雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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才人編はここまで。



59.平賀才人(9) 誓約の湖で才人、保証人を得る

 

 ――イーヴァルディは洞窟の奥で竜と対峙しました。何千年も生きた竜の鱗は、まるで金の延べ棒のようにきらきらと輝き、硬く強そうでした。

 震えながら剣を構えるイーヴァルディに、竜は言いました。

『小さきものよ。立ち去れ。ここはお前が来る場所ではない』

『ルーを返せ』

『あの娘はお前の妻なのか?』

『違う』

『お前とどのような関係があるのだ?』

『なんの関係もない。ただ、立ち寄った村で……

 

 右肩に軽い衝撃を感じて、才人は音読を止めた。

 体を動かさないように、首だけ回してそちらを見る。ルイズが才人の肩に頭を預け、すうすう寝息を立てていた。

 一緒のベッドで寝るようになって数週間が経つが、ルイズの体温は、重たさは、いまだに才人をどきどきさせる。

 

 しばらくの間、才人はルイズの寝息に耳を傾けて……、はっと気がついた。

 まだ『イーヴァルディの勇者』を読んでる途中だ。しかも、かなり緊迫しているシーン。

 またタバサにせっつかれちまう、と(ルイズを起こさないように最大限の注意を払いつつ)左側を向くと、タバサも眠っているようだった。

 

 座ったまま、小さな体をマントにくるんで、目をつむってじっとしている。

 それだけなら起きてる可能性もあったけれど、才人が音読を止めてもパーカーを引っ張ってこないあたり、ほんとうに眠ってしまったのだろう。

 

 本を閉じ、どうしたもんかな、と才人は口のなかで呟く。

 起こすのも悪い気がするけれど、このまま放っておくわけにもいかない。

 寝るならもっと焚き火の近くで、せめて横にしてやらないと……。

 

 そんなことを考えていると、タバサがぱちりと目を開けた。

 話の続きをせがむのかと思ったが、違った。タバサは顔を上げ、焚き火の向こうをじぃっと見つめている。

 才人もつられてそちらを見る。薪の爆ぜる音を聞きながら待つこと数十秒……、森の奥から茂みをかきわけ、キュルケがあらわれた。

 

 キュルケはタバサに優しく微笑み、おまたせ、と言った。それから才人にもたれかかって眠るルイズを見つけて、にやりとする。

 

「サイト、あんたもすっかりヴァリエールを手なづけたみたいね」

 

 才人は肯定するのも否定するのもおかしい気がして、まあな、と曖昧に頷いた。

 それから一緒にいたはずのクルトの姿が見えないことに気づき、尋ねる。

 

「あいつは?」

「沈めたわ」

「……!?」

 

 才人は必死で悲鳴を押し殺した。ルイズを起こしたくなかったのである。

 右肩に体重を感じているのは幸せだったし、もしルイズがその寝姿をキュルケに見られたと知ったら、羞恥心から才人にやつあたりするのは確実だったから。

 

「嘘よ。本気で沈めてやろうかと思ったけど、薬のせいじゃ……、ねえ?」

 

 キュルケは憂鬱そうに目を伏せた。

 焚き火に杖を振って火勢を強め、タバサの隣に腰を降ろした。

 

「朝までこっちに近づかないようキツく言っておいたわ。そのほうが、サイトも安心でしょ?」

「目ぇ離してるほうが怖い気もするけど……」

「それもそうね」

 

 とキュルケは苦笑いする。

 

「でも、今夜は我慢してちょうだい。あたしが朝まで見張ってるから、あんたたちは寝ちゃいなさいな。厄介なのにつきまとわれて、疲れてるでしょ?」

「そんな、悪いよ」

 

 才人は首を振った。

 知らなかったとはいえ、キュルケたちには襲いかかってしまった負い目がある。夜間の見張りまで任せるのは、さすがに気が咎めた。

 

「気持ちは嬉しいけど、あんたにはちゃんと休んでもらわなきゃ困るのよ。そういう約束で、あいつを追っ払ったんだから。あんたが起きてるのが見つかったら、あいつ、何しでかすかわかんないわよ」

 

 才人は想像して、暗い気持ちになった。

 惚れ薬を飲んで以来、クルトはやけに才人の世話を焼きたがる。まるで過保護な母親のように。もしキュルケが才人を()()()()()()という約束を破ったら、また怒り出すかもしれない。

 タバサの右手に復讐したときみたいに、彼らしからぬ過激な方法で。

 

「……わかったよ」

 

 才人は渋々頷いた。

 ルイズを起こさないよう、そうっと体を横たえてやる。脇に積んでいた荷物から携帯用の毛布をひっぱり出してルイズにかけてやり、自分もその隣に潜り込む。

 

 キュルケが面白そうに、あらま、と呟く。

 しまった、と才人は思う。

 最近はルイズと一緒に寝るのがあたりまえになっていたから、つい同じ毛布に入ってしまった。キュルケはきっと、この件でルイズをさんざん揶揄(からか)うに違いない。

 そしたらルイズは恥ずかしがって、才人を蹴りまくるのだ。

 

 もう一枚毛布を出すべきか、とちょっと考えるが、仕方ねえや、と開き直る。

 それに横になると疲労がどっと押し寄せてきて、もう目を開けるのも億劫だった。

 

「タバサ、あなたも寝ちゃっていいのよ」

 

 眠りに落ちかけた意識のなかで、キュルケの静かな声が聞こえる。

 

「……あたしはいいの。ほら、ちゃんと横にならないと明日に響くわ」

「ねたくない」

 

 タバサのイメージにそぐわない、しかしよく考えたらその小さな体にはぴったりの、子どもっぽい言い草。

 

「まだ途中」

 

 ああ、そうだ、『イーヴァルディの勇者』……。

 才人は無理矢理に目を開ける。毛布から手を伸ばして、クルトから借りた本を取る。

 

「ふぁ……、あ……、続き、……読む、か?」

 

 あくび混じりに問うと、タバサは首を振った。

 

「気にすんなよ。あとちょっとだけだし……。こんくらいなら、クルトも許してくれるだろ」

 

 タバサは無言でキュルケを指さした。

 

「あたし?」

 

 不思議そうに首を傾げるキュルケに向かって、才人は言う。

 

「さっきまで、タバサとルイズに、この本読んでたんだ。俺の、言葉の勉強……ふぁ」

 

 才人はまた大きなあくびをする。

 キュルケはくすくす笑って、才人の手から『イーヴァルディの勇者』を取った。

 

「仕方ないわねぇ……。それじゃ、タバサも横になって。ちゃんと毛布に入ったら続き読んであげるから」

 

 才人は安心して目をつむった。

 勇者イーヴァルディの物語に影響されてか、落ち込んでいるタバサに本を読んでやるのが自分の義務、やり遂げねばならない使命のように感じていたのだ。

 しかしキュルケが代わってくれるというなら、大丈夫。この使命は、もはや自分にしかできないことではなくなった。

 ルイズの隣で寝ることのほうがよっぽど大切だ。

 

「それで、どこまで読んだの? ……安心なさいな。今夜はずっと、あたしがついてる。うなされてたら起こしてあげるわよ」

 

 もぞもぞと身支度する音がして、それからキュルケの、思いのほか落ち着いた、穏やかな声の音読が始まる。

 

 ――『ルーを返せ』

『あの娘はお前の妻なのか?』

『違う』

『お前とどのような関係があるのだ?』

『なんの関係もない。ただ、立ち寄った村で、パンを食べさせてくれただけだ』

『それでお前は命を捨てるのか』

 イーヴァルディは、ぶるぶる震えながら、言いました。

『それでぼくは命を賭けるんだ』……

 

 

 

 翌日。

 朝霧に覆われたラドグリアン湖の岸辺で、才人たちはふたたび水の精霊と対峙した。

 使い魔のロビンがつれてきた水の精霊に向かって、モンモランシーが呼びかける。

 

「水の精霊よ。もうあなたを襲う者はいなくなったわ。約束通り、あなたの一部を分けてちょうだい」

 

 湖面に立つ水柱が震え、ぴっ、と水の塊が一行にの元に飛んでくる。大きなガラス瓶を構えていたギーシュがそれを受け止め、慌てた様子で蓋をする。

 すると水柱がごぼごぼ音を立てながら沈んでいくので、才人は大声で呼び止めた。

 

「待ってくれ! お前に訊きたいことがあるんだ!」

 

 水柱がうねり、昨日と同じようにモンモランシーの姿を取った。

 

「なんだ? 単なる者よ」

「どうして水かさを増やすんだ? できたら、やめて欲しいんだよ。理由があるなら教えてくれ。俺たちに手伝えることなら、協力するから」

 

 それは、昨夜キュルケたちと話し合って決めたこと。

 彼女たちが水の精霊を襲っていたのは、タバサの実家から湖の水位上昇をなんとかするように頼まれていたからだ。

 だからって精霊を襲うのは乱暴なやり方にも思えたが、モンモランシーのように精霊と交渉できる人間なんて滅多にいない。意思疎通ができない以上、自分たちの生活を守るために暴力に訴えざるを得なかったのである。

 

 しかし幸いなことに、キュルケたちも水の精霊も致命的な傷を受ける前に、こうして交渉の場を持つことができた。

 話し合いで解決できるなら、それに越したことはない……、と、平和主義の日本で育った才人は思う。

 

「お前たちに任せてもよいものか、我は悩む。しかし、お前たちは我との約束を守った。我が同胞(はらから)と共にある者もいる。であれば、信用して話してもよいことと思う」

 

 やけにもったいぶった言い回し。

 才人はちょっと苛ついたが、水の精霊を怒らせるわけにはいかない。黙って続きを待つ。

 

「数えるのも愚かしいほど月が交差する時の間、我が守りし秘宝を、お前たちの同胞(どうほう)が盗んだのだ」

「秘宝?」

「そうだ。我が暮らすもっとも濃き水の底から、その秘宝が盗まれたのは、月が三十ほど交差する前の晩のこと」

 

 だいたい二年前だな、とクルトが才人に聞かせるように呟く。

 ハルケギニアの暦をぱぱっと計算できない才人には助かるのだが、なんとなくキモい。無視して精霊に尋ねる。

 

「じゃあお前は、人間に復讐するために、水かさを増やしてるのか?」

「復讐? 我はそのような目的は持たない。ただ、秘宝を取り返したいと願うだけ。ゆっくりと水が浸食すれば、いずれ秘宝に届くだろう。水がすべてを覆い尽くすその暁には、我が体が秘宝のありかを知るだろう」

「なんつーか、ずいぶん気が長い話だな……」

 

 精霊の言うことはもっともだが、二年もかけて村一つ飲み込むようなペースでは、湖水が秘宝に出会うまで何百年、下手したら何千年とかかるかもしれない。

 

「我とお前たちでは、時に対する概念が違う。我にとって全は個。個は全。時もまた然り。今も未来も過去も、我に違いはない。いずれも我が存在する時間ゆえ」

 

 なにやら哲学的な話だが、才人にはぴんと来ない。たぶん一生、来ないのだろう。

 

「アルビオンにあったら?」

 

 クルトの呟き。

 水の精霊がごぼごぼと泡立ち、沈黙する。全員の注目がクルトに集まる。

 彼は戸惑ったように……みんなの視線を浴びていることより、まるで自分が口を開いたこと自体に驚いている様子で、言い訳するように続けた。

 

「いや、前から……じゃなくて、いまちょっと気になったんだけど。そのゆび……秘宝がアルビオンにあったらどうするつもりだったんだ?」

 

 あ……、と才人は思う。

 クルトの言う通りだ。水の精霊のやり方では、あの空に浮かぶ大陸に秘宝があった場合、どうがんばっても届かないじゃないか。

 水の精霊は静々と答えた。

 

「大地から切り離されし力は永遠ではない。かの大陸に宿る風の力はいずれ尽き、大陸は地に帰る。そのとき、我は秘宝を取り戻すだろう」

「あと一万年は浮いてるって、聞いたことあるけど」

「永遠ではない。そして、おそらくはそれほど待たぬ。我が体が天に届く時は近い。かの大陸が地に帰るより先に、お前たちの寿命が尽きるより先に、その時は来るだろう」

 

 このアメーバみたいな生き物の体がアルビオン大陸まで届く……そんなことあり得るのかと才人は考える。

 水の精霊は強大だ。ものすごくがんばって触手を伸ばせば、アルビオンまで届くかもしれない。でも、精霊の口ぶりからするとそういう方法ではないのだろう。

 もっと自然に、自らの意図しないところで水が天まで届くかのように、この精霊は話している。

 

 次に才人が考えたのは、水の循環だ。

 小学校の理科の授業で見たイラストを思い出す。太陽の熱によって湖や海の水が蒸発して雲になり、雲から雨や雪が降り、それが地中に浸透して川や湖を造り出し、それらはやがて海に流れ、また蒸発し……、というやつである。

 その循環の過程で、体の一部がアルビオンまで行くんじゃないか。

 

「……いや、ちげえな」

 

 才人はひとり呟く。

 昨日、クルトとモンモランシーが言っていた。

 精霊の体は千切れても吹き飛ばされても、意思がひとつにつながっているという。だから水の循環でアルビオンまで届くのかも、と考えたのだが、精霊の体は蒸発しちゃいけないのだ。

 一度気体になったら、その部分からは意思が失われる。ふたたび液体としてつながることはできない。

 だとしたら……、

 

「あなたがそこまでして取り戻したいっていう、その秘宝は、いったいどういうものなの?」

 

 ルイズの声で、才人は我に返った。

 精霊が空に行く方法なんか考えてる場合じゃない。いまは交渉に集中しなくては。

 それに秘宝とやらの正体も気になる。

 

「『アンドバリの指輪』。我が共に、時を過ごした指輪」

「聞いたことがあるわ。『水』系統の伝説のマジックアイテム。偽りの生命を死者に与えるっていう……」

 

 モンモランシーが呟く。

 

「その通りだ、(ふる)き盟約に連なる単なる者よ。我が秘宝は、『命』を与える力を持つ。死を(まぬが)れぬお前たちには、なるほど魅力と思えるのかもしれぬ。しかしアンドバリの指輪がもたらすのは偽りの命。旧き水の力にすぎぬ。所詮は益にならぬ」

 

 水の精霊は溺れるような声で語る。

 モンモランシーを模したその表情は、悲しみに彩られていた。

 秘宝を失った精霊の気持ちを表しているのか、それとも話の内容と表情が偶然一致しているだけなのか、才人は判断がつかなかった。

 

「我が秘宝は、誰の作ったものかもわからぬ。お前たちの仲間かも知れぬ。しかしお前たちがこの地にやってきたときには、すでに存在した。我らは、我と我が秘宝は、共に時を過ごしてきた。我らは共にあらねばならぬ」

「そっか、大事な指輪だったんだな」

 

 才人は頷いた。

 悲しげに指輪のことを話す水の精霊の姿に、初めて人間らしいものを感じたのである。

 うわべだけの偶然の一致かもしれないけれど、ともかく才人はそう感じたし、信じた。流されやすい性根の彼にとっては、それで十分だったのだ。

 

「そんじゃあその指輪、俺が探して、取り返してやるよ。そしたら水かさも増やさなくてすむだろ?」

「然り」

「よし。約束だぞ。それじゃあ指輪を盗んでいったやつらについて教えてくれよ」

 

 モンモランシーの像がぐらりと揺れた。

 たぶん、頷いてるつもりなんだろう。

 

「我が秘宝を盗んだ者は数個体。風の力を用いて湖底にやってきて、眠る我には触れず、秘宝のみを持ち去った」

「名前とか、わからないのか?」

「個体のひとつが、こう呼ばれていた。クロムウェル、と」

「それって……」

 

 キュルケが呟いた。

 彼女はしばし躊躇(ためら)ったが、やがて決意したように頷き、おずおずと言う。

 

「アルビオンの新皇帝も、そんな名前だったわね。オリヴァー・クロムウェル。それで、その指輪、死者を蘇らせて操る力があるのよね。レコンキスタの叛乱では、諸侯の不自然な裏切りが続いたと聞くわ。指輪の力かもしれない。それにあたし、学院からこっちに来る途中で、」

「キュルケ」

 

 クルトが咎めるように言った。

 

「聞き間違えか、偶然同じ名前だったって可能性もあるだろ。現時点で、証拠もないのにそこまで考えを詰めるのは、かえって視野を狭めかねない」

「……。ええ……そう、かもね。ごめんなさい。なんだか怖くなっちゃったみたい」

 

 タバサと精霊を除いた全員が、目を丸くしてキュルケを見た。タバサでさえ、精霊から目を離してキュルケに振り返っている。

 彼女がこんなにも素直に謝るなんて、誰も想像していなかったからである。

 クルトはその奇妙な空気を気にもせず、湖に呼びかける。

 

「水の精霊よ、指輪はいつまでに取り返せばいい?」

「その個体の寿命が尽きるまででかまわぬ」

「うん……? その個体って?」

 

 透明なモンモランシーの腕が上がり、まっすぐに才人を指差した。

 

「その単なる者は、自らが秘宝を取り戻すと宣言した。ならば、その者の体に水が流れている間は、我は水かさを増やさぬこととする」

 

 俺かあ……、と才人は肩を落とした。

 自分の短気が恨めしい。どうして自分は、こう、いい格好をしようとしてしまうんだろう。

 こんなことならせめて『俺が』じゃなくて『俺たちが』と言っておけばよかった。

 『寿命が尽きるまででかまわぬ』と精霊は慈悲深いかのように言ったけれど、それってようは『一生かけてでも探し出せ』ということである。

 これじゃ指輪を取り返すまで、絶対に地球に帰れないじゃないか。

 ああ、また地球が遠のいてしまった。ルイズの奉公の手伝いに加えて、精霊の失せ物探しも終わらせなきゃならないなんて……。

 

「なるほど。この契約はあなたと才人……そこの彼との間で結ばれたわけだな?」

「然り」

「それなら、水の精霊よ。俺が彼の保証人になろう」

「へ? クルト? なに言ってんの?」

 

 クルトは戸惑う才人に流し目を送り、にやりと笑う。

 

「彼はもともと、遠い場所から来た人間なんだ。いつか帰る日が来るかもしれない。そのときは、俺が彼に代わって契約を果たすと誓う」

「お、おい、待てよ、バカ、やめろよ」

 

 実際、彼の申し出はありがたい。精霊との契約を才人ひとりだけで背負い込むなんて理不尽だとすら思っていたが……、ダメだ。

 いまの彼にそんな契約を結ばせるのは、認められない。

 

「よかろう」

 

 しかし水の精霊は才人の気持ちなんて知る由もなく、鷹揚に答える。

 

「我が同胞に与えた水の力が、秘宝を探すのに役立つだろう」

 

 才人は早口に叫んだ。

 

「待って待って、精霊さんよ、いまのナシ! 俺、保証人なんかいらない! こいつ薬で頭おかしくなってんだって! 契約なんてできる状態じゃないんだよ!」

「断る。世の理を知らぬ単なる者よ。この契約は、我とこの単なる者との間で結んだものだ。お前に破棄させることはできぬ」

「お前……っ」

 

 才人は思わず精霊を罵りかけたが、モンモランシーが慌ててその口を塞いだ。

 

「落ち着きなさい! 精霊を怒らせたらとんでもないことになるわよ!」

「わかってるって……!」

 

 精霊じゃ話にならねえ、とモンモランシーの手を払った才人はクルトに振り返り、唖然とした。

 なんと、彼は精霊に向かって杖を振りかざし、ギーシュに羽交い締めにされていたのである。

 

「な、なにをしとるんだね、きみは!?」

「こいつ、才人をバカって言った」

「んなこと言ってないだろーがね!」

 

 クルトは据わった目でぶつぶつと言う。

 

「言った。『世の理を知らぬ』って。こんなところもゲンサク通りだ。才人なら気づかねえと思って、こっそりバカにしてんだよ。前々からムカついてたんだ。こいつもモンモランシーも……学院のクズどもも……この世界の連中は、みんなみんな才人をバカにしやがる。たまたま自分が知ってる側にいるからって。自分は賢いと思って才人を見下してんだよ。運が良いだけの、血と力の義務を果たそうともしないクソカスどもが……。ああ、もう我慢ならん。報いを受けさせる。てめえの愚かさを思い知らせてやる。いいか、かならず、報い、を……」

 

 どこからか青白い(もや)が湧き、クルトの顔を包み込む。クルトは途端に沈黙した。ギーシュは、うわ、わわわっ、と間抜けな声をあげて、ぐったりとくずおれたクルトの体を受け止める。

 この魔法を、才人は知っている。アルビオンへの任務でも見た『眠りの雲(スリーピング・クラウド)』だ。

 呪文の主、タバサは眠たげな瞳でクルトを見つめていたが、やがて水の精霊に視線を移し、ぽつりと呟く。

 

「わたしも保証する」

「おい待てタバサ、お前は関係ねーだろ!」

 

 タバサは首を振った。

 

「もともとわたしの問題。あなたのほうが関係ない」

 

 才人は反論しようとした。できなかった。タバサの言葉は、まったく正しかった。

 水の精霊に事情を聞き出し、指輪を取り戻すとまで約束したのは、湖の水位上昇を止めるため。そして才人たちにこの問題を持ち込んだのは、実家から水位上昇への対処を頼まれたタバサなのである。

 

「そういうことなら、あたしも無関係ではいられないわね」

 

 今度はキュルケがこともなげに言う。

 

「精霊さん、あたしも保証人に加えてちょうだいな」

「よかろう。お前たちが契約に加わることを、我は認める」

 

 タバサは不服そうにキュルケのマントを引っ張ったが、キュルケは涼しげに微笑むばかり。

 そしてキュルケが名乗りを上げたのなら、当然、才人のご主人さまも……、

 

「わたしも保証人になるわよ」

「あら、遅かったじゃない」

 

 キュルケが揶揄(からか)うように笑う。

 

「別に、言うまでもないと思ってただけよ。主人が使い魔のめんどう見るのはあたりまえだもの」

 

 ルイズはつんけんと答えた。

 

「ああもう、最悪! フォン・コルパスに留学生に、おまけに『ゼロ』のルイズまで出しゃばってくるなんて! こんな状況で、モンモランシ家のわたしが黙っていられるわけないじゃないの!」

 

 ルイズに増して棘のある声で叫んだのは、モンモランシーである。

 

「旧き盟約の担い手、モンモランシ家の長女である『香水』のモンモランシー。秘宝を取り戻すのに協力するわ。ついでにこの『青銅』のギーシュもね」

「ええ? ぼくもかい?」

「あたりまえでしょ! あんた、あたしのなんなの?」

「恋人?」

「なんで疑問形なのよ! そんで仮にも恋人っていうなら、一緒に契約するのは当然でしょーが!」

 

 ギーシュは微妙に納得がいかない顔だったが、モンモランシーの剣幕に押され、しぶしぶ頷いた。

 

「では、お前たちに、我が秘宝を任せることとする」

 

 水の精霊は体表を泡立たせ、湖に沈んでいこうとした。

 

「水の精霊。ふたつ、あなたに尋ねたいことがある」

 

 呟くようなタバサの声。

 才人は驚いてタバサを見つめた。この無口な女の子が誰かを呼び止めるところなんて、初めて……いや、ニューカッスルでワルドを追いかけようとして止められたことはあるが、それを除けば初めて……見たからだ。

 

「なんだ? 旧き力の血を継ぐ単なる者よ」

 

 モンモランシーの像から噴水のような水柱に、そしてまたモンモランシーの像へと戻った水の精霊に、タバサが尋ねる。

 

「ひとつ。あなたは、心を壊された人間を治すことはできる?」

 

 透明な水で象られたモンモランシーの瞳は、ギーシュに支えられて眠るクルトに視線を移した。

 

「その愚かな単なる者は、なるほど、水の力の影響を受けている。その者を歪める水の力を除くことはできる」

「それなら……」

「しかし、心を癒やすには、歪ませる力を除くと同時に本来の流れに正す力が必要となる。我が力は、単なる者の心に触れるには大きすぎる。癒やすにはお前たちの同胞の技がなければならぬ。ゆえに、単なる者よ、お前に問いに対する答えは否だ」

 

 タバサは唇を噛みしめ、小さく俯いた。

 けれどもそうして感情を見せたのはほんの数秒で、すぐにいつもの無表情を取り戻し、水の精霊に向き直る。

 

「ふたつ。あなたはわたしたちの世界で、『誓約』の精霊と呼ばれている。その理由が知りたい」

「単なる者よ。我とお前たちでは存在の根底が違う。ゆえにお前たちの考えは我には深く理解できぬ。しかし察するに、我の存在自体がそう呼ばれる理由と思う。我は定まったかたちを持たぬ。ゆえに変わらぬ。我は死を持たず、ゆえに生を持たぬ。我は水と共にあるのみ」

 

 謎めいた精霊の言葉を、しかし才人は理解できるような気がした。

 不可思議な水の体を持ち、千年でも一万年でも平気で待とうとしていた、永遠不変の存在……。

 

「変わらぬ我の前ゆえ、お前たちは変わらぬ何かを祈りたくなるのだろう」

 

 タバサは頷いた。

 それから、目をつむって手を合わせた。キュルケが寄り添い、優しく背中を撫でた。

 いったい何を誓っているのだろうと、才人は思う。

 

 早朝の澄んだ冷たい風が湖面を越えて吹き渡るなか、ギーシュがモンモランシーに愛を誓わされている間もずっと、水の精霊が湖の底に姿を消してからもずっと、タバサは祈り続けていた。

 

 

 

「できた! やーっとできたわ……!」

 

 その夜更け。

 モンモランシーは快哉をあげ、椅子の背もたれに深く身を預けた。

 彼女は昼過ぎに学院に戻り着いて以来、授業も出ないでずっと解除薬の調合に勤しんでいたのである(本人は『これ以上サボれないわ!』とわめいていたが、才人が『一刻も早くクルトを治せ。それともモンモン、臭い飯食うか?』と尋ねると、黙ってレシピを確かめ始めた)。

 

「こいつを飲んだら、クルトが元に戻るんだな?」

 

 才人は机の上の坩堝(るつぼ)を指差した。

 そうよ、とモンモランシーは呟き、気怠そうに体を起こした。杖を振って坩堝を傾け、どろどろした濃緑色の液体をビーカーに移す。

 才人と一緒に様子を見に来ていたルイズが顔をしかめた。

 

「ひどい臭い。あんたの香水よりはマシだけど。いつも教室につけてくるあれ、下品で甘ったるくて吐き気がするのよ」

「うっさいわよ、『ゼロ』のルイズ。あんたなんか泥水しか作れないでしょ」

「あんですって?」

「なによ。事実を言っただけじゃないの。お得意の爆発じゃあ……」

 

 ぱん、と乾いた音が女の子たちの小競り合いを遮った。ベッドの端に腰掛けていた小柄な女の子、タバサが本を閉じたのである。

 『実家に報告してくる』と言って才人たちと別れたタバサとキュルケは、しかし学院で才人たちを待ち構えていた。

 シルフィードの翼であれば、多少の寄り道をしても、馬など簡単に追い越せるのだった。

 

 モンモランシーは、さっきまで彼女のベッドで寝ていたキュルケに涙目で訴える。

 

「ねえ、この子、怖いんだけど。調合の間、なんにも言わないでずーっと部屋に居座ってるし……そりゃ悪いとは思ってるけど……」

「そんなら、さっさとそこのバカに薬飲ませてやりなさいな」

 

 キュルケはつまらなそうに爪をいじり、あくびまじりに答えた。

 モンモランシーはため息を吐き、部屋の隅に座っていたクルトにビーカーを押しつけた。

 クルトはビーカーに鼻を近づけ、眉間にしわを寄せた。許しを請う目で才人を見た。

 気持ちはわかる。あんな腐った魚みたいな悪臭を放つ、しかも鼻水みたいにどろどろした液体、飲みたいとは思えない。

 しかし才人は首を振って命令する。

 

「飲め」

 

 クルトは悲しそうに俯いて、呟く。

 

「才人、最後にひとつだけ、いい?」

「あとで聞く。話は薬飲んでからだ」

「あのさ、才人……」

 

 才人はちょっと驚いた。

 惚れ薬を飲んで以来、才人の言うことだったらなんでも嬉しそうに聞いていたクルトに無視されて、意外に思ったのである。

 

「この薬を飲んだら、俺、お前のこと好きじゃなくなるかもしれない。そりゃもちろん、俺がお前を好きなのは薬のせいじゃない。本心だ。でも、話の流れからすると、きっとそうなんだよな。だからいまのうちに言わなきゃいけないんだ」

「言わなくていいよ。どうせ薬のせいなんだから」

「俺、お前を好きになってよかった」

 

 クルトはやはり、才人に従わなかった。彼は才人に伝えるというより、彼自身に言い聞かせるように話を続ける。

 

「昨日の夜、領地のこと話しただろ? 俺の失敗のこと……」

「いいから。黙って飲めよ」

 

 才人は言いながらも、脳裏に記憶を蘇らせる。

 彼の幼い日の挫折。飢える領民を助けるために努力し、領地の収穫を増やし、しかしそのせいで赤ん坊が土地の許容量以上に生まれ、結果的には飢えに苦しむ人を増やしてしまった。

 そんなことを、クルトは小難しい用語を交えて説明していた。

 

「俺の知識も魔法の力も、結局、なんの意味もない。なにも変えられない。生きてる価値がない。生きていちゃいけない。そう思ってた。でも、違ったんだ。俺はいま、生きてて楽しい。希望がある。なぜだかわかるか?」

 

 クルトは熱っぽい、狂気を帯びた瞳で才人を見つめた。

 

「愛だよ。愛する人のために生きる。ただその人の幸せだけを考えて生きる。そりゃ世界だって見捨てられない。お嬢とか、領地の連中とか、コルベール先生とか、大切な人は他にもいる。けど、才人のほうがずっと大切だ。才人だけが大切だ。そういう優先順位をつけることができたら、生きるってことがずっと楽になる。世界が輝いて見える。才人を好きになってから、俺は苦しくなかった。なにが自分にとって一番大切かって、はっきりわかってたから」

 

 クルトは才人に笑いかけた。男の才人がどきりとしてしまうくらい、それはせつない、儚げな微笑みだった。

 

「ありがとう、才人。俺に生きる意味をくれて」

 

 クルトはビーカーを傾け、その中身をひと息に(あお)った。

 臭いに劣らず味もひどいのだろう、ビーカーから口を離したクルトは、うえっ、と悲鳴のような声を漏らす。涙の浮かんだ目で才人を見つめる。

 才人は一瞬、薬が効いてないのかと疑った。けれどもそれは勘違いで、クルトの目尻から涙が零れたかと思うと、その瞳が大きく見開かれた。顔から血の気が引き、病的なまでに真っ白になった。

 力の抜けた手からビーカーが落ち、床を転がっていく。ベッドに座っていたタバサの靴にぶつかって止まる。

 

 そのさまを呆然と眺めていたクルトは、空いた手を懐に伸ばした。才人がこの世界に来てから、見飽きるほどに見たメイジ特有の仕草。クルトは杖を取ろうとしたのだ。

 けれども彼の手は虚しく宙を切るばかり。『正気に戻ったとき暴れるかもしれないから』とキュルケが杖を預かっていたのだ。メイジにとって、杖は体の一部である。クルトは抵抗を示したが、才人が命じると素直に杖を差し出した。

 

 惚れ薬が解除されても、その間の記憶がなくなるわけではない。クルトは杖を預けていたことを思い出したのか、縋るような目でキュルケを見た。

 かすれた声で、

 

「殺してくれ」

 

 と呟いた。

 

「ええ、もちろん。あたしの用事が終わったらね?」

 

 キュルケは穏やかに微笑んだ。

 

 

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