タバサ。
月夜のラドグリアン湖で握った小さな手。砂に汚れた汗ばんだ手のひら。細くて白くて美しい指。それを強く無造作に握り、曲げていく感覚。苦痛と驚愕に見開かれる、青く透きとおった宝石の瞳。
頬を伝う涙の粒。
かぼそい悲鳴。
吐き気がする。体が震える。視界がぐらぐら揺れている。自分のしでかしたことの大きさに、足下が崩れていくような非現実感に襲われる。床を見つめ、血の滲むほど唇を噛んで、叫びだしたくなる衝動を必死に抑える。キュルケたちの声が、どこか遠くに聞こえてくる。
「思い出したのよ。あたしたちがタバサの実家に行く途中ですれちがったのは、やっぱりウェールズ皇太子だったわ」
「はぁ? あんた急になに言ってるのよ。皇太子殿下は戦死なさったのよ」
「そうだよ。俺は死んだ王子さまから『風のルビー』を預かったんだ。ただの人違いだろ?」
「いいえ、あれは確かに皇太子だった。あんな色男、あたしが見間違えるわけないじゃないの」
目の裏を突き刺すような頭痛を堪え、俺は呟く。
「……『アンドバリの指輪』」
部屋の空気が、一気に張り詰める。
「ラドグリアン湖にあらわれた『クロムウェル』。死んだはずの皇太子殿下。死者を操る秘宝の力」
俺は俯き、頭をがりがりひっかきながら言葉を吐き出す。
惚れ薬の解除薬を飲んで混乱している男の発言としては、かなり不自然だ。あとから怪しまれる可能性もある。別にかまわない。
俺は責任を取らねばならない。一刻も早く、動かなければ。これ以上、事態が悪化する前に。
「キュルケとすれちがったってことは、皇太子殿下はトリスタニアの方角に向かっていた……」
「姫さまが危ない!」
ルイズが叫び、駆け出していく。才人も彼女に続いていく。
追いかけなくていい。どうせあとから回収できる。それよりも、いまは……、
「タバサ、お願いだ。力を貸して欲しい。ルイズと才人を手伝いたいんだ」
俺は床だけを見つめてタバサに頼む。俺が惚れ薬なんか飲んだせいで傷つけてしまった女の子に。怖くて顔をあげることもできないまま、戦場に行くよう頼んでいる。
ほんとうなら、俺が言うべき台詞じゃない。キュルケから頼んでもらったほうがずっと自然だ。きっと『原作』では興味本位のキュルケがタバサを巻き込んだのだ。けれども俺は、キュルケにそんなこと頼ませたくなかった。
なぜって、いまここにいるキュルケは俺の予言を聞いている。ルイズたちに同行すれば、危険が生じるとわかっている。アンリエッタを追いかけた先で『アンドバリの指輪』に操られた死体と戦闘になること、王族ふたりの
そんなキュルケが、タバサに助力を請うてはいけない。それは俺が負うべき責任。俺だけが負うべき罪なのだから。
キュルケはそのことに気づいているのか、あるいは別の考えがあるのか、口を差し挟まずにタバサの答えを待っている。
「一個借り」
そうして、長い沈黙のあと、タバサの呟きが静かに響く。
トリスタニアから港街ラ・ロシェールに続く街道沿いに、風韻竜は低く飛んでいた。
その背中に乗っているのは、ルイズと才人、タバサとキュルケ、そして俺とモンモランシー。
俺たちが王宮に着いたときには、アンリエッタはすでに
厳戒態勢が敷かれた王宮に降り立った俺たちは魔法衛士隊に捕まりかけたが、女王直属の女官というルイズの肩書きが役に立った。
ルイズが衛士隊の隊長を問い詰め、アンリエッタが誘拐された時刻と賊が逃げていった方角を聞き出すと、タバサは再びシルフィードを飛び立たせた。
「いやよ、わたし、陛下を掠ったやつらと戦うなんて……絶対にいや……ああ、どうしてこんな恐ろしいことに……」
シルフィードの背でうずくまったモンモランシーが、ぶつぶつと呟く。
『原作』では誘拐事件に関わらなかったはずの彼女は、俺が強引に連れてきた。
水の精霊の秘宝が関わる事件であれば、精霊と交渉できるモンモランシーの意見が求められるかもしれない。事件の解決に貢献すれば、モンモランシ家は再び交渉役を任されるかもしれない……とでたらめを言い立て、巻き込んだのだ。
俺の
惚れ薬の影響下にあったとき、俺は数え切れない過ちを犯した。
その最大のものが、このアンリエッタ誘拐事件への対応だ。
でも、タバサが――唐突に、骨をへし折った感触が蘇る。手のひらに爪を立てる。首を振る。だめだ。考えたくない。考えられない。いまは考えるべきじゃない。
タバサの件では、結局誰も死んでない。あの子に痛い思いをさせただけだ。その傷だって、すぐにモンモランシーが治してる。だからたいした問題じゃない。俺は必死で、自分に言い聞かせる。
もちろん嘘で、誤魔化しで、俺はいますぐ死ぬべきだ。ああ、首を切って死にたい。杖を眼窩に突き刺して死にたい。竜の背から飛び降りて死にたい。タバサにしたことを考えるだけで、俺は俺のなかの大切なものが崩れて壊れていくのを感じる。指一本動かせなくなってしまう。だけど、だめだ。そんな贅沢、いまの俺には許されてない。
死ぬのは、せめて目前の事件を終わらせてからだ。
それに俺には自分を殺す権利もないのだ。タバサを傷つけたら灰にしてやると、キュルケが約束してくれた。俺を殺すのは彼女の権利であり義務だ。約束したのだ。
いまは誘拐事件に集中しなてくてはいけない。このままアンリエッタが誘拐されたら、いよいよ取り返しがつかなくなる。トリステインが『聖地奪還』を掲げるレコンキスタに飲み込まれ、エルフとの『聖戦』が引き起こされかねない。
『聖戦』とは、本来はロマリアの教皇のみが発布できる最高位の宗教令。敵か味方のどちらかが滅びるまで止まることを許されない、最悪の総力戦の号令だ。
そしてエルフを相手に争うとなれば、滅びるのは当然、人間の側だ。
歴史上幾度となく繰り返されてきた『聖戦』と同じように、ハルケギニアの全土で数えきれない悲劇が起きる。貴族も平民も関係なしに戦場に送られ、あるいは干からびるまで収奪され、苦役の果てに殺される。
虚無の担い手たるルイズも、ガンダールヴである才人も、ゲルマニアの軍閥貴族の血を引くキュルケも、当然に最前線で使い潰されるだろう。
そうしてタバサの救いも永遠に失われ、その命さえも、守ることはできないだろう。
未来を知っていた者の責任として、俺は、この結末だけは避けねばならない。絶対に。命に代えても……キュルケに差し出したはずの命を捨ててでも、防がなければならないのだ。
この危機感とキュルケとの約束が、砕けそうになる俺の心をなんとか支えてくれている。
俺はもともと、この誘拐を未然に防ぐつもりだった。
惚れ薬の騒動が起きる前、タバサとともに学院を
死者を操る秘宝、『クロムウェル』、そしてトリスタニアに向かうウェールズ。この三つの情報があれば、アンリエッタの身に危険が迫っていることは容易に想像できる。
解除薬の完成を待たずに王宮に報告し、警護を厳重にさせ、アンリエッタ自身にも心の準備をしてもらう。そうすれば、誘拐事件なんか起こらなかったはずだ。
『原作』では、この事件でヒポグリフ隊の大半が惨殺され、後にアニエスを隊長とする銃士隊が創設される下地が整えられる。
アンリエッタは、恋人を殺しその亡骸さえ弄んだレコンキスタへの復讐を強く望むようになる。アルビオンへの無謀な侵攻を決意する。
この誘拐事件を未然に防げば、衛士隊の誰も死なずにすむ。
そしてアンリエッタが復讐に囚われることもなくなり、もしかしたら、侵攻自体をなくすことができるかもしれない。もっと大勢の命を救えるかもしれない。
裏で糸を引いてるガリアがどう動くかわからないが、それでも、アルビオンへの侵攻を止められる可能性があるのは魅力的だった。『原作』における最大の悲劇を防ぎ、何千、何万という人の命を救えるかもしれないのだ。
仮に戦争そのものが防げなくとも、誘拐を防ぐことには意味がある。アンリエッタが『原作』より少しでも冷静であれば、ルイズを都合の良い兵器と
……かもしれない、かもしれない、というばかりの曖昧な見通し。
しかもこれは明らかに『原作』を外れ、タバサの救いを損ないかねない選択肢だ。
以前の俺なら、絶対に選べなかった方法。
だけど俺はルイズを信じている。才人を信じている。キュルケを、コルベール先生を信じている。もちろんタバサも、シルフィードも信じてる。『原作』から逸れても幸福な結末があり得ると、今の俺は信じることができている。
そうして俺は、もはや耐えられそうもなかったのだ。好きな女の子を言い訳にして、防げるはずの悲劇を見過ごすことに。タルブの村の人たちを見捨てたみたいに、不条理に傷つき死んでいく人たちを『避けられない犠牲だ』と割り切ることに。
惚れ薬を飲んだ俺は違った。
異変を見つけたシルフィードが街道に着陸する。油断なく周囲を見張るタバサを残し、俺たちは竜の背から降りてゆく。街道に散らばる騎士と
なんだよ、これ、と才人は息を呑み、モンモランシーは泣き出してしまう。
これが俺の許容した犠牲。俺が惚れ薬なんか飲んだばっかりに防ぐ術を失った、物語通りの悲劇の前触れ。
才人に惚れていた俺は、主人公たる彼の幸福は『原作』の先にあると信じ、その過程が生み出すあらゆる犠牲を受け入れた。
衛士隊の死も、仕方ないと受け入れていた。むしろ死ぬべきだと思っていた。なぜって、魔法衛士隊の壊滅が、アンリエッタが銃士隊を創設するきっかけになるからだ。そうして平民のアニエスが近衛の隊長に引き立てられることが、いずれ才人のためになると信じたからだ。
アルビオンへの侵攻さえも、俺は受け入れていた。戦争の終盤、才人が七万の軍勢の足止めに残ることさえ防げれば、どれだけたくさんの人が殺し合って、飢えて、苦しんで、惨めな死を迎えてもいいと思っていた。
タバサのためならなにを見捨ててもいいと信じ、『原作』に起きる悲劇を変えようともしていなかった、ほんの数週間前までの俺の思考と同じように。
あのラドグリアン湖での夜。
いっそ今すぐにでも王宮に警告しようと提案してくれたキュルケに対して、俺は未来を変えてしまう恐ろしさをさんざんに言い立てた。ほとんど脅迫のようなかたちでキュルケを説得し、彼女がウェールズについて
当初の打ち合わせにあった『水の精霊からアンドバリの指輪の情報を得たとき』から、『原作』通りの『惚れ薬の解除薬ができあがる深夜』まで。
「この人、生きてるわ!」
キュルケが叫ぶ。ルイズと才人が駆け寄っていく。一歩遅れて、モンモランシーが追いかける。
衛士隊の制服を着た男だ。腕に深い傷を負っている。もはや杖を握れそうにないが、それがかえって命を救ったのだろう。
モンモランシーはしゃくりあげながらもなんとか詠唱を完成させ、水の魔法でその傷を癒やす。
俺が彼女を連れてきたのは、ただこのときのため。
『原作』で衛士隊の生き残りを見たルイズが『モンモランシーがいれば助けられたかもしれない』と悔いていたから、せめてそのひとりだけでも助けたくて連れてきた。
ひとつくらいは良いことをしたという証拠が欲しくて。身勝手な動機で犠牲を認めた俺自身の罪を軽くしたくて。争いごとを忌避するあたりまえの感性を持った女の子をこんな危険な場所まで引っ張ってきたのだ。愚かにも。
詠唱を続けるモンモランシーの肩に、キュルケがそっと手をかけた。
「そのくらいにしときなさい。そこまで治せば、とりあえず死にはしないでしょ?」
「だ、だめよ……、まだ……っ、こんな、い、痛いに、決まってるわ……なおして、あげないと……っ」
「この人をこんなにしたやつらが、女王陛下を掠った下手人が、そこらに潜んでるかもわからないのよ。もっと怪我人が出るかもしれない。そのときのために、精神力を残しておきなさい」
モンモランシーは力なくうなだれた。涙と鼻水に濡れた顔を手の甲でぐしぐしこすって、ごめんなさい、と呟いた。そのときだった。路傍の草むらから、いくつもの魔法が飛んでくる。
風の刃、炎の球、氷の矢……タバサが張っていた風の障壁が、攻撃をまとめて弾き返す。
一瞬の沈黙の後、魔法を放ったメイジたちが姿をあらわし、街道を塞ぐかのように並び立つ。十人以上もいるアルビオン貴族の亡骸たち。その中心には、輝かんばかりの美貌をたたえた高貴な青年がいた。『原作』の挿絵でしかその姿を知らない俺にも、微笑を浮かべる青年の正体はすぐにわかった。
才人が驚愕の声をあげる。
「ウェールズ皇太子!」
背中に吊ったデルフリンガーを掴み、強い怒りに左手のルーンを輝かせながら、才人は鋭く言い放つ。
「姫さまを返せ!」
背後にいる俺でさえ身震いするような才人の殺気に、しかしウェールズは美しい微笑を崩さない。
「返せ? おかしなことを言うね。僕の可愛い
ウェールズはおどけるような仕草で背後に立つ女性を指し示した。それはネグリジェの上にガウンをまとったアンリエッタ。
「姫さま!」
ルイズが叫んだ。
「こちらにいらしてくださいな! そのウェールズ皇太子は、姫さまの愛した御方ではありません! 精霊の秘宝に操られた亡霊でございます!」
アンリエッタは動かない。苦しそうに、怯えたように、唇を噛みしめているばかり。
その姿に、俺は不思議な共感を覚えた。
義務を果たさない身勝手な王族なんて嫌悪の対象でしかなかったはずなのに、俺はいまや親しみさえ感じていた。国と……世界と愛する人とを天秤にかける、かけざるを得ない苦痛は、俺には鮮明に想像できる。
もしアンリエッタがウェールズに向ける想いが、俺がタバサの幸福を願う気持ち、あるいは薬の効果で才人に抱いていた想いと同じ重さを持っているのだとしたら、俺は彼女を責められない。
「アンリエッタの意思は見ての通りだ。ここでひとつ、取引といこうじゃないか」
ウェールズは優雅に笑う。
「ここで君たちとやりあってもいいが、僕たちは馬を失ってしまってね。朝までに馬を調達しなくてはいけないし、道中、危険もあるだろう。魔法はなるべく温存したい。なに、その風竜を寄越せとは言わんよ。ただ見逃してくれるだけでいい。代わりに、僕たちも君たちを……」
ウェールズの胸に、氷の矢が深々と突き刺さった。タバサの『ウィンディ・アイシクル』だ。
しかし驚くべきことに……そして当然……ウェールズは倒れない。胸の傷は見る間に塞がり、その再生力に押し出された氷の矢が街道に落ち、からん、と澄んだ音を立てた。
ウェールズはくつくつと笑った。
「姫さま! ごらんになったでしょう!? それはウェールズさまではないのです! あなたの恋人ではないのです!」
ルイズの必死の呼びかけに、しかし、アンリエッタは首を振る。
「お願いよ、ルイズ。杖をおさめてちょうだい。わたしたちを、行かせてちょうだい」
「どうしてわかっていただけないのですか! 姫さまは騙されているのです!」
アンリエッタは笑みを返した。薔薇の微笑みの君とも謳われる彼女が浮かべたそれは、明確な拒絶。揺るぎない決意を宿した微笑だった。
「知ってるわ、ルイズ。再会したウェールズさまと唇をあわせたときから、そんなことは百も承知。でも、それでもわたしはかまわない。ねえルイズ、あなたは人を好きになったことがないのね。本気で人を好きになったら、何もかもを捨てても、ついて行きたいと思うものよ。嘘かもしれなくても、信じざるを得ないものよ。だってわたしは誓ったの。水の精霊の前で『ウェールズさまに、生涯変わらぬ愛を捧ぐ』と……」
街道の石畳の隙間から砂の手が伸び、アンリエッタの足首を掴む。ひとまず脚でも折っとくか、と一気に締めあげるが、骨を砕く前にウェールズの風が砂を吹き飛ばしてしまった。
「お気持ちはわかりますよ、女王陛下。俺もついさっきまで、熱烈な恋の
ああ、と俺は思う。
やつあたりだ。考えなしの癇癪だ。また悪い癖が出た。
アンリエッタを叱るのは才人の役目なのに。俺がでしゃばっても良いことないのに。
共感を抱いていた相手の長広舌に自己嫌悪が掻き立てられて、ムカついて、怒りをぶつけずにいられない。
後悔するぞ、もうそのくらいでやめておけ、と頭の冷静な部分がずっと警告してるのに、俺は傲慢にしゃべり続ける。
「でも、あなたには責任がある。だってあなたは女王だから……なんて言いません。情熱には身分や立場なんて関係ない。恋に身を焦がすのは万人に与えられた権利だ。義務だ。宿命だ。だけどあなた、逃げてませんか? あなたが背負わされた責任から、義務から、逃げるために恋する人を使っていませんか?」
それは未来の知識という責任から逃れるためにタバサを口実にしていた俺自身を責めるための言葉。
しかしこの種の自己嫌悪は、アンリエッタにも通じるところがあったらしい。彼女は薔薇の微笑みを曇らせる。
「だったら、なんだと言うのですか。わたしはもう疲れたのです。重たいのです。わたしのような女の身に、初めから王冠など不相応だったのです。こんな、恋に溺れて国を投げ出すような女には」
よかった、と俺は呟く。
アンリエッタは訝しむように俺を見る。
「いえ……、安心したのですよ。陛下が認めてくださってよかった、と。もしここで否定されたら、俺は陛下を見逃したくなっていた。でもよかった。これで俺も、気持ちよくムカつける。義務を果たすことができる」
「なにを、わけのわからぬことを……」
「申し訳ございません、陛下。俺の話はわからない、遠い異国の言葉を聞いているようだ、とよく言われるのです。兄たちにも、ここにいるレディたちにも。特にルイズには、昔から何度も叱られたものです。ですから、陛下に申し上げるべきことは、俺よりもこの使い魔殿から……な? 頼むぜ、才人」
好き放題に言って幾分か気持ちの落ち着いた俺は、あとは主人公に任せることにした。
才人はデルフリンガーの柄を握ったまま、ちらりと俺を見る。
「おい、バカ、意味わかんねえとこで振るなよ。なに言えっつうんだよ」
「才人が言いたいことを言ってやりゃいいんだよ。それが一番の薬になる」
「……その冗談、あんま面白くねえぞ」
才人は横目に俺をにらみつけた。
俺は
ひどい誤解だ。
しかし俺が口を開くより先に、才人はデルフリンガーを抜き放つ。
「それじゃ言わせてもらうけどさ、お姫さま」
一瞬前までの気の抜けた調子はどこかに消えていた。彼の内に渦巻く怒りと悲しみが、空気を通じて俺たちを包んでいるような気配がした。
「あんた、間違ってるよ。そんなの愛でもなんでもねえよ。疲れてるとこに王子さまの顔したやつが来て、そんで頭に血が上ってワケわかんなくなってるだけだ」
「黙りなさい。あなたになにがわかるというの」
アンリエッタは震える声で叫んだ。
「あんたがやってることも、王子さまを操ってる連中も、間違ってる。絶対に認められねえ。俺にわかるのはそんだけだ。あんたがどうしても行くって言うなら、俺はあんたを叩き斬ってでも止めてやる」
「ならば、仕方ないね。交渉は決裂だ。君たちには死んでもらおう」
ウェールズが風の刃を俺たちに飛ばす。タバサの風が攻撃を逸らす。その攻防の隙間を縫うように才人が踏みだし、ウェールズに斬りかかった。
しかしデルフリンガーが皇太子を切り裂く直前、水の塊が才人を吹き飛ばす。アンリエッタの水の魔法。震える手で杖を構える彼女は、静かに、自身に言い聞かせるように呟いた。
「わたしの恋人には、指一本たりとも触れさせません。ええ、そうです。もう二度と、なにがあろうと、ウェールズさまを傷つけさせるものですか」
その言葉に、俺はやはり共感する。
才人に惚れている間、俺は才人が傷つくことをまったく許容できなかった。『原作』範囲内の……たとえばルイズによる折檻や『原作』に描写のある怪我だったらかろうじて耐えられたけれど、それ以外の傷は想像するだけで死にそうだった。
そしてタバサ。
過酷な運命を背負った彼女はこれまでたくさんの怪我をしてきたし、これからも怪我をし続けるだろう。
俺はタバサが傷つくのが怖い。気が狂いそうなくらい怖い。ほんとうはこんな危ない場所に来て欲しくなかった。どこか温かくて静かで安全な場所で、ふわふわのクッションに埋もれて本でも読んでいて欲しかった。
もしタバサが死んでしまって、そうしてその亡骸がウェールズみたいに蘇って目の前にあらわれたら、俺はすべてを
愚かな、可哀想なアンリエッタと同じように。
その想いは、きっとルイズも一緒だったに違いない。
「わたしの使い魔を傷つけるなら、姫さま、わたしはあなたと杖を交えることを
ルイズの爆発がアンリエッタを吹き飛ばす。今は味方とはいえ、相変わらず脚が竦みそうになる虚無の力。
しかし秘宝に操られた亡骸たちは恐怖を感じる心さえ失っているのか、一斉に魔法を撃ち込んでくる。