雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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64.「今回の事件で、ひとつだけよかったことがあるとしたらね」

 

 フレイムのしっぽを追って辿り着いたのは、アウストリの広場。

 放課後や昼休みは生徒たちで賑わうこの場所も、授業時間中のいまはがらんとしている。

 不思議な静けさを感じる広場の一角、人目を避けるような木陰に置かれたベンチに、キュルケが腰掛けていた。

 珍しく、本なんか読んでいる。

 俺とフレイムが近づいていくと、キュルケは物憂げな瞳を上げ、ぱたんと本を閉じた。

 足下に寄り添ってきた火トカゲ(サラマンダー)の頭を撫で、それから読んでいた本を俺に差し出す。

 

 受け取ると、それは古ぼけた『イーヴァルディの勇者』。

 俺が持ってるやつと同じ、表紙には旅装の少年が描かれた、ガリア西部の伝承を下敷きにした物語……というか、俺の本だ。

 才人に貸したはずだったのに。どういう経緯か、キュルケから返されてしまった。

 

「見てて飽きないわね、あの子たち」

 

 きゅるきゅると小さな火を吐く使い魔に愛おしげな視線を送りながら、キュルケは呟いた。

 やっぱり彼女は、フレイムを通して俺たちの様子を覗いていたらしい。

 

「お前、相変わらずだな……」

 

 俺も呟くように返事をして……、ふと、気づく。笑ってしまう。

 こいつ、使い魔だけに覗きを任せてたわけじゃないみたいだ。

 

「鼻に泥がついてるぞ」

「え、うそ」

 

 キュルケは慌てて、いつも身につけている化粧鞄から手鏡を取り出した。

 

「ヴェストリの広場の泥だな。お嬢と才人の風呂、穴から覗いてたんだろ」

「正解。でも気持ち悪いわね。あんた土メイジだからって、そこまでわかるの?」

「わかるさ。あの穴を掘ったの、俺だからな。こないだお嬢に掘らされたんだ。才人がメイドと仲良くしてるのが気になるみたいでさ」

 

 キュルケはおかしそうに唇を歪める。

 

「あら、そうだったの。なら後でルイズにお礼言わないとね。おかげさまで、あの子とサイトのロマンス、かぶりつきで観劇できたもの」

「趣味の良いことで」

 

 そういや『原作』にも、キュルケがヴェストリの広場の穴からルイズたちを覗いてる場面があった。

 『原作』だとそれはルイズが解除薬を飲んだ直後の出来事だったし、穴もヴェルダンデが掘ったものだったけれど。

 

「それにしても、あの子、貞淑ぶってるくせに大胆よね。下着は外さなかったとはいえ、こんな昼間から外で一緒にお風呂に入っちゃうし、とっくに同衾も許してるみたいだし」

「お嬢のやつ、基本的には立派なご令嬢なんだけどな。急にアホになるんだよ。ほんと、見てて飽きない」

 

 キュルケはくすりと笑みを返し、まじめな目つきで化粧を直し始めた。

 そんな彼女の足下では、フレイムが猫みたいに丸まって昼寝している。

 俺は広場に突っ立ったまま『微熱』主従の姿を眺め、でっかいトカゲって可愛いんだな、と意外な事実に気づく。

 

 魔法学院にはさまざまな幻獣が暮らしているけれど、俺はタバサのシルフィードにばかり目を奪われていた。タバサの使い魔という贔屓目を抜きにしても、風韻竜の幼生であるシルフィードは可愛くて美しくて強そうでかっこいい。

 でも火トカゲは火トカゲでドラゴンに負けない独特の魅力があるのだと、いまさら気がついた。

 キュルケに頼んで撫でさせてもらおうかな、と俺は口を開きかけて……、やめる。そんなことしたら生きるのに未練が出てきそうだ。

 

「あんたが女王陛下にかましたお説教、悪くなかったわ」

 

 手鏡をじぃっと覗き込み、泥を拭った鼻によくわからない粉をつけ直しているキュルケが言う。

 

「なかなか情熱的だったし、昔のあんたを思い出しちゃった。最後が人任せだったのはいただけないけど」

「仕方ないだろ。あれは才人の役目だったんだ」

「あ、そう。彼も大変なのね」

 

 キュルケは興味なさそうに呟き、化粧道具を片付ける。

 そして沈黙。

 夏の強い日差しのもと、フレイムの穏やかな寝息だけが繰り返される。

 

 その静かなリズムを聴いているうちに、俺はポケットにロッキーを入れっぱなしだったことを思い出す。

 これからキュルケに焼いてもらうっていうのに、またこの使い魔が()()を起こしたら困る。どこか遠くに置いておきたい。

 いまさらキュルケの傍を離れたくないし、ここはフレイムを借りて、ヴェストリの広場のテント跡にでも持っていってもらおう。

 才人が家出していた時期に住み着いていたあの場所は、本来の主が去った今、学院の使い魔たちの溜まり場になっている。

 あそこなら、ロッキーに寂しい思いをさせずにすむ。

 

「あのさ、キュルケ、」

「焼かないわよ」

「え?」

 

 俺はちょっとふらついた。

 

「え? いや……、だって……え? な、なんで? 約束は? どうして……い、言ったじゃないか。俺が解除薬飲んだとき、用事がすんだら殺してくれるって……」

「そりゃあね。あのときのあんた、そうでも言ってあげなきゃ使い物になりそうもなかったもの」

 

 キュルケは呆れたように嘆息する。

 

「あんたがタバサにサイトをけしかけたのも、指を折ったのも、その後の態度も、ぜんぶ惚れ薬のせいでしょ? それであんたを責めたりしたら、あたしはタバサのお母さまも憎まなきゃいけなくるわ」

 

 キュルケの言葉は、まったく正しかった。

 自分で思いつかなかったのが不思議なくらいに、あたりまえの理屈だった。

 薬で心を狂わされた結果タバサを傷つけるのが罪になるなら、タバサの母こそが世界でもっとも罪深い存在になってしまう。

 だけど現実には、そんなことあり得ない。タバサの母は悪くない。

 それゆえキュルケは、惚れ薬の影響下にあった俺の罪を問うことができない。

 

 でも、だとしたら、俺の罪はいったいどうなる? 俺はいままで、キュルケが焼いてくれると信じていたから、なんとか息をしていられたのだ。彼女がなにもしてくれないなら、俺は……、

 

「……でも、そうね。あたしとあんたの仲だもの。軽く炙り(ロースト)くらいはさせてちょうだい?」

 

 飛んできた火球を、俺はよろこんで受け入れる。

 ……が、キュルケはすぐに炎をひっこめてしまった。

 

「せめてイヤそうにしなさいよ。面白くないじゃないの」

 

 キュルケはつまらなそうに呟いて、それから真剣な瞳を俺に向けた。

 

「それより、いくつか質問させてもらうわ。まずひとつ。あんたが惚れ薬を飲んだのは、ルイズのため?」

 

 その険しい声色に、俺は安堵する。

 せめてひとことでも責めてもらえると思ったからだ。

 教会の告解室を訪れた敬虔なブリミル教徒みたいな心持ちで、俺はキュルケの問いに答える。

 

「違うよ、俺のためだ」

 

 キュルケは口を閉じたまま、視線で先を促す。

 

「前に話した通り、ほんとうはルイズが惚れ薬を飲んで、才人に惚れるはずだった。でもあのときモンモランシーの部屋には『原作』と……本来の未来と違って、俺がいた。俺はルイズの隣にいた。薬を飲んだルイズが振り返って、俺に惚れる可能性があった。それがイヤで、怖くて、咄嗟に自分で飲んじまったんだ」

「そのわりには、ルイズへの態度が変わらなかったみたいだけど」

 

 キュルケの意図を理解するのに、数秒間、時間がかかる。

 

「あたりまえだ」

 

 俺はぶっきらぼうに言う。

 そんな態度が許される立場じゃないとわかっているけれど、苛立ちが声にあらわれてしまう。

 彼女が確かめようとしているのは、きっと惚れ薬のもうひとつの効果について。

 『もともと好きだった相手への関心を失わせる』という薬効が、どうしてルイズに対してあらわれなかったのか、と訊きたいのだろう。

 

「ルイズとの関係は、何度も否定してるだろ」

「あんなにあの子を大切にしてるのに? 惚れ薬が作る好意に怯えて、自分で薬を飲んじゃうくらい大好きなのに?」

「まあ……、そうだな。俺はルイズが好きだよ。尊敬してるし、可愛いし、大切に想ってるよ。そこはもう認める」

 

 はっきりと口に出して言うのは気恥ずかしさがあったけれど、あいつの側から歩み寄ってくれたばかりだ。

 いまさら俺が意地を張ってるわけにもいかない。

 苦々しい顔で、素直な気持ちを吐き出した。

 

「でも、お前が好きな種類の『情熱』は持ってない」

「つまんないの。……一応、念のため訊くけど、サイトのためでもないわよね?」

「勘弁してくれよ。あれは惚れ薬の影響だ」

 

 キュルケが揶揄(からか)うように言うので、俺は声を荒げてしまう。

 ラドグリアン湖の湖畔であんなことを……『万が一にもルイズが俺に惚れたら、才人が可哀想だから』なんてふざけたことを言ったのは、薬で頭がおかしくなっていたせいだ。

 

「そう。そんならいいわ」

 

 キュルケはほんのわずかに唇を歪めて、しかしすぐに真剣な顔に戻った。

 

「タバサの気持ち、少しは考えてた?」

 

 タバサ。

 彼女にしてしまったことを考えると、胸の奥に重い冷たい石が沈み込んでいくような、ひどく憂鬱な気持ちになる。

 目を伏せ、静かに答える。

 

「ほんとうに、すまなかったと思ってる。彼女を傷つけて、痛い思いをさせて、その上『一個貸し』だなんて……」

「待って。訊き方を変えるわね」

 

 キュルケは俺の言葉を遮り、奇妙に平坦な口調で言った。

 

「惚れ薬を飲んだとき、あんた、あの子のことは考えた?」

「いや……あのときは咄嗟だったから……。惚れ薬の効果なんて知らなかったし、自分があんなことするなんて、考えてもみなかった。ルイズと才人がラドグリアン湖に行きさえすれば、なんとかなると思って……」

「いいえ、ちがうの。そういうことじゃないのよ」

 

 キュルケは焦れったそうに首を振る。

 

「タバサのお母さまの事情、知ってるんでしょ?」

「……あ」

 

 頭をぶん殴られたような衝撃。

 タバサは父を失った直後に、母の心を壊された。まだシャルロットと呼ばれていた彼女の目の前で、彼女を庇って、母は自ら毒薬を飲んだのだ。

 そんなタバサの前に、級友を庇って心を狂わせる薬を自ら飲んだ人間があらわれたら、いったいどう思うだろう? なにを感じるだろう?

 まして、彼女は母の住む屋敷に戻ってきたばかりだというのに。

 

「……で、でも……ちがうんだ……、そんな、つもりは……」

 

 ああ、俺は底抜けのバカだ。死んだほうがいい。どうしてこんな簡単なことに、いまのいままで気づかずにいられたんだ。

 『解除(ディスペル・マジック)』の一件と同様ロッキーのせいにしたくなるが、そんなわけはない。この使い魔の目的はわからないが、こいつは俺が惚れ薬を飲むのを止めようとしていた。きちんと警告を発していたし、あのグラスを飲み干したとき、この石ころは怒っていた。

 だからこれは純然たる俺の(あやまち)ち。俺が責めを負うべきこと。だけどそれはあまりにも重たくて、耐えがたくて、愚かな俺は無意味な言い訳を口走る。

 

「お、おれは、でも……そうだ、おれは、タバサの母さまとはちがう。俺は、ただの、同級生だ、知り合いだ……あ、あの子が、そんな、き、気にするだなんて、思わなくて……、だから……」

「あんたは昔から、ときどき、どうしようもなく(にぶ)くなるのね」

 

 キュルケは呆れたように言う。

 

「ねえクルト、あんたは自分を知らないのよ。自分がどう思われてるか、どんな情熱を向けられてるか、知ろうともしない。知っても信じてないんだわ。知った上で無視してるんだわ。ほんと、やんなっちゃう。あたしのときもそうだった」

「キュルケの……?」

 

 俺は間抜けに問い返す。

 キュルケは怒りを滲ませた、しかしどこか愉快そうな、悪戯っぽい微笑みを俺に向けた。

 

「だーめ。こっから先は、教えてあげない。あたしが言ったことの意味を、あんたはずっと考えるのよ。必死でね」

 

 

 俺はバカで頭が鈍くて、必死で考えてもわからない。

 しかしキュルケはこの話題はおしまいと判断したのか、すらりとした脚を組み直して俺に問う。

 

「あんたには、まだまだ訊きたいことがあるの。予言について。あの子の運命について。あの子の未来になにがあるのか。いったいどんな苦難が待っているのか。伝説の勇者サマ……サイトがどうやってあの子を助けるのか。残らず教えなさいな」

 

 俺は正直に答えた。

 

「わからない……」

「はぁ?」

「俺の知識は、中途半端なんだ。物語で(たと)えるなら、中盤までしか読んでないようなもんだ」

「じゃ、最後まで読みなさいよ」

 

 キュルケの言いざまに、俺は笑う。

 俺だってできるならそうしてる。

 

「すまん。本が手元にないんだ」

「あんたねぇ……。それじゃどうして、タバサにサイトが必要ってわかるのよ?」

「そうだな、また物語の喩えになるんだが……、才人の活躍は『本編』だ。俺はそれを途中までしか知らない。あいつがタバサを助けるところまでは読んでなかった」

 

 俺は手に持った『イーヴァルディの勇者』の表紙を撫でる。

 

「でもタバサの話は『外伝』だ。俺は『外伝』はぜんぶ読んでる。そこには救われたあとのタバサが書かれてた。救ったのは才人だった」

 

 キュルケはベンチで脚を組んだまま、『イーヴァルディの勇者』をじっと見つめた。

 まるでそこに未来が記されていると信じてるみたいに。

 

「その『本編』とか『外伝』とかいう……つまり『予言の書』ってやつは、いまどこにあるのよ?」

「知らない。少なくとも、このハルケギニアには存在しない。探したって意味ないと思う」

 

 杖でも抜きそうな目をこちらに向けてくるキュルケに、俺は慌てて付け足した。

 

「隠してるわけじゃないよ。俺はいま、かつてないほど素直に話してる」

 

 キュルケはしばらく俺をにらみつけていたが、やがて諦めたように嘆息した。

 

「あんた、よくそれで未来を変えようなんて思えたわね。いったいなにを考えてたの?」

「わからん。たぶん、なにも考えてなかったんだと思う」

 

 俺は自嘲して唇を歪める。

 そうする他に、どうしようもなかったからだ。

 

 俺は最初、タバサの初恋を叶えさせようと『タバサメインヒロイン計画』なんてバカげたことを考えていた。結局その計画はすぐに頓挫し、せめてタバサの救いを損なわないために、『原作』通りに話を進めようと必死になった。

 けれども、それはみんな『未来を知っている』という恐怖から逃れるための方便にすぎなかった。

 未来を知っている者ならば当然の責任、これから起こり得る悲劇を防ぎ、よりよい未来に変えねばならないという義務から……しかしその義務を果たそうとすれば当然()()()()未来を招きかねないという恐怖から目を背けるための言い訳に、大好きな女の子を使っているだけだった。

 

 あのタルブの夜で俺はその事実に気づかされ、もはやタバサを言い訳にできなくなったのだ。

 そうして俺は未来をより良く変えようと挑み、その結果が、このざまだ。

 

 アンリエッタの誘拐事件は俺の知ってる通りに起こり……モンモランシーのおかげで何人かの命が救われたとはいえ……レコンキスタへの憎しみを深くしたアンリエッタは、きっと悲劇を起こすだろう。

 俺はなにも果たせなかった。

 そればかりか、俺の愚かさはタバサに余計な傷を与えた。

 死んだほうがいい。

 

「だめよクルト。答えなさい」

「なにを……」

「これだけあたしを巻き込んどいて、ひとりで自分を責めて満足してんじゃないわよ。ちゃんと説明しなさい。あたしにもわかる言葉で。あんたが未来を変えようとした理由を」

 

 キュルケは静かに言う。

 炎を宿した瞳で俺を見る。

 俺は鈍い頭を必死で働かせて、キュルケの問いを考える。

 

「俺は……うまくやれると思ったんだ、最初は。未来を良い方向に変えられると自惚れてた。タバサをもっと幸せに出来ると思い込んでた。俺は傲慢なバカ野郎だ」

「そうね。あんたは確かにバカだわ。傲慢だわ。でも、クルト、あんたはなにが気に入らなかったの?」

 

 俺の答えに、しかしキュルケは満足していないようだった。

 その瞳にますます強く怒りの……あるいは他の、俺には得体の知れない激情の色を映して、穏やかに問う。

 

「あんた、いつか言ってたじゃない。自分がなにもしなくても、サイトはタバサを助けてくれる。ほんとうは、なにもしないほうがよかった、って」

 

 それはゼロ戦に乗った才人がタルブに飛んだ日、ルイズが虚無に目覚めたあの日に、俺がキュルケに語った言葉だ。

 

「その『外伝』ってやつには、タバサが救われた姿が書かれてたんでしょ? でもあんたは動いたわ。未来を変えようとしたんだわ」

「ああ、だから傲慢だって……」

「なにがあんたを傲慢にしたの? あんたはいったい、なにに怒って、タバサの未来を変えようとしたの?」

 

 俺は考えて、考えて、考えて、答えようとして……、ためらう。

 なぜって、俺の根本に見つけたその理由が、怒りの火種が、あまりにもふざけていたからだ。

 身勝手だったからだ。

 けれどもそれが擁護の余地もない傲慢な理由であればこそ、隠すことは許されなかった。

 

「俺が知ってる未来では、タバサは才人に救われる。だからタバサは才人が好きで、初恋で……」

 

 灼熱の眼光に魅入られたまま、俺は言う。

 

「……でも、才人はずっとルイズが好きなんだ。振り向きもしないんだ。それが、ムカついた。変えたいと思った。だってありえないだろ。あんなに可愛いタバサに好かれて……。だから、才人にタバサのほうを向かせてやりたかったんだ」

 

 いっそ消し炭にされてもおかしくない俺の告白に、なぜか、キュルケは頬を緩めた。

 

「そうね。ようやく理解できたわ。あんたが間違えたのは、きっとそこなのね」

 

 キュルケはくすりと笑いをこぼし、幼げな、初めて会った頃を思い出すような無邪気な声音で続ける。

 

「ねえクルト。今回の事件で、ひとつだけよかったことがあるとしたらね。あんたの情熱への態度ってやつがわかったことよ」

 

 キュルケはベンチから立ち上がり、俺の胸のまんなかに、とん、と手を置いた。

 

「つまんない男。ほんとにツェルプストーの血を引いてるの?」

「……そのはず、なんだが。自信がなくなってきた」

「なによあんた。バカなの?」

「いや、だって、前にもキュルケにそんなこと言われたから」

 

 キュルケはけらけら笑った。

 俺たちの足下で寝ていたフレイムが、どこか迷惑そうに首をもたげる。

 

「それじゃ、あたしが保証してあげる。この心臓には、あたしと同じツェルプストーの炎が流れてるの。すべてを焼き尽くす破壊と情熱の炎よ。だったら、やることは決まってるでしょ。奪うのよ」

「奪う? なにを?」

 

 キュルケは制服越しに、俺の胸をぎゅううっと抓った。

 一応『治癒』で塞いでもらったとはいえ、まだ新しい傷口が引っ張られて、俺は情けない悲鳴をあげる。

 

「あんたの『予言』は役立たずだわ。大事なところはわからないし……、なんたって、あんた自身が出てこないんだもの」

「まあ、その通りだけど。それがどうしたんだよ」

「まだわからない? あんたが未来を変えるのよ。タバサの初恋を奪ってやるのよ。あんたの一番大切な女の子なんでしょ? 好きなんでしょ? 『俺がタバサを救うんだ』って、それくらい言ってみなさいよ。愛する人の幸せを、人任せにしてんじゃないわよ」

 

 キュルケの言葉は正しくて、しかし俺は頷けない。

 俺自身がタバサを救う……それはロッキーを召喚したあの日の夜、俺が最初に考え、そして諦めたことだ。

 だって、俺には足りない。

 力も知識も家柄も、タバサを救うにはなにもかも不足している。

 そして俺は才人と関わるたび、その諦めを強固にしていた。才人の力を、心の在り方を知り、彼を好きになればなるほど、タバサを救う勇者は彼以外にあり得ないと確信を深めていた。

 キュルケは胸の傷をいたぶりながら俺を追い詰める。

 

「恋の情熱は、ツェルプストーの炎は、すべてを燃やし尽くすのよ? あんたが望もうと望むまいと、あんたにはそういう炎が流れてるの。宿命なの。あんたが覚悟する前に、あんたの情熱は、もう世界を壊してるの。いい加減、認めなさいよ」

 

 叩きつけるようなキュルケの言葉に、俺は幼い日に犯した失敗の数々を思い出す。

 飢えていく領民を見ているのが嫌で、この世界のメイジというものが気に食わなくて、俺は両親や兄たち、果てはツェルプストーの領主や幼いルイズにまで噛みついていた。

 その結果、コールス/コルパスの立場が悪化し、そこに住む人々がさらなる窮乏を強いられるかもしれないというのに。怒りにまかせて見境(みさかい)なしに罵っていた。

 キュルケと初めて会った日も俺はそんな失敗を犯し、コルパスへの帰り道、兄のヨアナは『お前の怒りこそが火の本質。あらゆる情熱のなかでもいっとう素晴らしい、自己破壊的な情熱なのだ』とわけのわからない講釈を垂れていたのだった。

 

 ヨアナが言わんとしていたことは、俺はいまだに理解できない。

 しかし兄が俺に見出していた『火の本質』とやら……自己破壊的な、制御し得ない情熱によって大切なものを自ら壊してしまう矛盾が俺にあることは確かだった。

 

 俺はタバサに対する情熱によって、もっとも守るべきタバサの救いを、幸福を、約束されていた穏やかな未来を壊そうとしていた。

 未来への恐怖から逃れる言い訳だったかもしれないけれど、俺が初めて未来を変えようと動いたのは、タバサの初恋を叶えるためだった。

 俺が知り得た他の何を変えるのでもなく、ただ、彼女に訪れる未来を壊すためだった。

 

「……だとしたら、やっぱり、俺はいますぐ死ぬべきじゃないか?」

「バカね。逆よ。あんたが燃やすべきはあんたじゃない。世界よ」

 

 キュルケに触れられている胸が熱い。どくどくと血の脈打つ音が鮮明に聞こえ、傷が開いたのかもしれないと思うほどに。異様な熱を持っている。

 

「世界も未来も、壊してやりなさいよ。ムカつくんでしょ? 怒ってたんでしょ? 焼いて壊して、奪い尽くしてやりなさいよ。それがツェルプストーよ」

 

 キュルケが語るのは、ある意味で俺がもっとも嫌悪しているメイジの生き方。

 欲望のままに力を振るう、悪しき魔法使い。

 けれどもそれは、不思議と魅力的だった。

 俺の理解を超えた、崇高な、誇りある貴族の姿だった。

 

「できるかな、俺に」

「さあ、知らないわ」

「おい」

「未来に起きることなんか知らないわよ。あんたじゃないんだから。でも、そうね、ひとつだけ確かなことがあるわ」

 

 キュルケは俺の胸に手を置いたまま、炎の瞳で俺を射貫く。

 

「あんたの情熱のあるべき場所は、あんたの情熱に従った先にだけあるのよ」

 

 そのまなざしに、俺は見蕩れる。

 魂を奪われそうになる。

 キュルケの手に自身の手を重ね、強く、握りしめる。

 操られるようにして口を開く。

 

「ああ……そうだな。キュルケの言うとおりだ。俺は俺の情熱に従う。お前と、この炎に誓わせてくれ」

 

 真剣な表情をしていたキュルケが、相貌を崩す。にぃ……っと輝かしい笑顔を浮かべる。

 俺は思わず、顔を俯かせた。握った手は離せないまま。声にならない悲鳴をあげた。

 

「あら、さすがに怪我人をイジメすぎたかしら?」

「いや……」

 

 身をかがめて顔を覗き込んでくるキュルケに、俺はたじろいでしまう。揺れる赤毛が陽光にきらめき、やけに鮮やかに目に焼き付く。

 

「なんていうか……知らなくて、いままで。いやもちろん知ってはいたんだけど、気づけなくて」

 

 はぁ? とキュルケは眉をひそめる。

 

「お前、可愛かったんだな」

 

 瞬間、傷口が炎になった。

 キュルケが胸に爪を突き立て、思いっきり押しのけたのだ。

 

「い゛っ……!」

 

 うずくまって悶絶する俺を見下ろし、キュルケは呆れたように言った。

 

「あのね。あんた、いまさら遅いのよ」

「お、おそい? なにが……、いてっ!?」

 

 蹴られた。

 

「なんでもない。ともかく、好色になれと言った覚えはないわ。そういうのはね、タバサに言ってやんなさいな」

 

 俺は涙目でキュルケを見上げ、おずおずと、

 

「で、でも、タバサに急にそんなこと言っても、怖がらせるだけだし」

 

 キュルケが杖を抜き、俺は反射的に飛び退いた。

 それから情けなく尻餅をついたまま、げほげほとひどく咳き込む。喉の奥から血の味がする。制服の上から胸を撫でる。傷口が開いたわけではないようだが、まだ治りきってない傷に良くない影響があったのは確実だ。

 キュルケはそんな俺にはおかまいなしで、突き放すような口調で言った。

 

「あんた、あの子に夢見すぎよ。あんたが思ってるより、よっぽど図太いんだから、あの子」

「そうかな……」

「そうよ。あんたはあの子の未来とやらを知ってるのかもしれないけど、あたしはこの一年間、ずっと隣で見てきたの。あの子のことは、あたしのほうがずーっとよくわかってるんだから」

 

 それからキュルケは、指揮棒のように杖を振った。

 炎は飛んでこなかったけれど、俺を立ち上がらせるにはそれで十分だった。

 

「じゃあもう行ってきなさい。いまごろ部屋で休んでるから。これ以上、寄り道するんじゃないわよ」

 

 誰のところに、とは言わない。さすがの俺もわかってる。ここで尋ねたりしたら本気で灰にされかねない。

 俺はじんじん痺れる傷口をさすりながらキュルケに頭を下げ、女子寮塔に向かって歩き出す。

 そうして、そんな俺の背中に向かって、キュルケはわざとらしく呟いた。

 

「あーあ。また都合のいい女みたいなことしちゃった。この『微熱』のキュルケともあろうものが、ざまあないわね」

 

 

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