雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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68.「がんばって。騎士さま」

 

「そろそろ薬が切れる頃だと思って」

 

 二日ぶりに俺の部屋を訪れたモンモランシーは、机に薬瓶を並べながら言う。

 この数日間、俺がお世話になっていた解熱剤や強壮剤は、みんな彼女が調合してくれたものだ。

 驚くべきことに、これらの薬は惚れ薬の解除薬を作ったときに余った『水精霊の涙』を素材にしているという。

 瓶底に残っていた水滴を垂らした程度らしいが、『水精霊の涙』はそれっぽっちの量でも金貨数枚分に相当する価値を持つ。

 『涙』を使ったという話を初めて聞かされたとき、そんな高級品使えるかよ、と俺は思わず拒絶したのだけれど、モンモランシーは『病人は、元気になることだけ考えてればいいの!』と厳しく叱りつけたのだった。

 

「でも、こんなに持ってくる必要なかったわね。見たところ、ずいぶん良くなったみたいだし」

「すまん。わざわざ作ってくれたのに」

 

 空き瓶を水の魔法で洗っていたモンモランシーは作業の手を止め、ぎろりと俺をにらんだ。

 

「薬が要らなくなって、どうして謝るのよ? ちゃんと治ってる証拠でしょ」

「あ、そうか。すまん……、じゃなくて、ありがとう。おかげで助かってるよ」

 

 モンモランシーは怒った顔のまま頷き、空き瓶をまとめて籠につっこむ。

 

「それじゃ、手を出して」

 

 と俺に命じる。

 素直に右手を差し出すと、彼女はベッドの脇に椅子をひっぱってきて腰を降ろし、俺の手を軽く握った。

 タバサの聴診とは違う、『水』の使い手に特有の技術。体内の水の流れを診ているのだ。

 このハルケギニアは中世ヨーロッパっぽい世界観だけど、医療関係は東洋的というか、前世でいうとことの漢方みたいな『流れを整える』的発想が主流なのである。

 

「痛むところはある?」

 

 モンモランシーが短く問う。

 

「痛いというより、怠いかな。まだ全身が重たい感じがする」

「胸の傷はどう? 咳は?」

「胸もそんなに痛くないけど、ずっと内側が痒いような気がする。咳は……今朝から出てない。胸の音がきれいになったって、タバサにも言われたな」

 

 モンモランシーは、ちょっとだけ眉をひそめた。

 

「あの子、今日も来てるの?」

「そうだな。用事があるみたいで、さっき出て行ったけど」

「ならいいわ」

 

 モンモランシーは安心したように息を吐く。

 彼女はタバサに苦手意識があるようだった。タバサの視線を、やたらと怖がっているのである。

 ラドグリアン湖から戻ってきたあの日、惚れ薬の解除薬が完成するまでずっと部屋に居座られ、調合の様子を監視されていたのがトラウマになっているらしい。

 

「最後に薬飲んだのは?」

「今日の昼前かな。また熱が上がってきたから、解熱剤を飲んだ」

「そう。だったらいま痛くないのは薬が効いてるだけね。治ったと勘違いして、動き回ったりしちゃダメよ」

「わかってるって」

「どうだか。また()()のご機嫌伺いにでも行く気じゃないの? それともツェルプストーに踏まれるつもり?」

 

 学院に戻ってからルイズとキュルケにされたことは、モンモランシーにも余さず話している。

 オールド・オスマンと入れ替わるように俺の部屋を訪れ、どうしてこんなに悪化したのか、自分の『治癒』がまずかったのかと深刻な顔をしている彼女に、隠し事なんかできなかったのだ(とはいえ、キュルケと別れたあとも自室で休まず、タバサの部屋で過ごしていたことは黙っておいた。あの日、あの部屋で起こったことを第三者に話すのは、タバサの名誉に関わると思ったからだ)。

 

「どこにも行かないよ。オールド・オスマンに言われた通り、ラーグの曜日までは大人しくしてるさ」

「そんならいいのよ」

 

 モンモランシーは疑わしげな目を向けながらも、一応は納得してくれた。

 握っていた手を離して、いつもの、高慢な澄まし顔になる。

 

「それよりコールス、聞いてくれるかしら。ギーシュのことなんだけど、やっぱり惚れ薬が必要だったんじゃないかって、わたし思うのよね」

 

 そうしてなんの脈絡もなく恋人への文句を吐き始めた彼女は、人を癒す使命を負った『水』の使い手から、ひとりの少女に戻っていた。

 

「あのバカ、わたしが学院に戻ったときにはあんな誓いを立てさせたくせに、もう他の女の子に気移りしてるんだから。信じられる? また一年生に手ぇ出してたのよ。ケティだかパーバティだか知らないけど……」

 

 愚痴にも惚気話にもまったく興味がないけれど、彼女には薬を作ってもらった恩がある。それ以前に、命を救われた大恩も。

 体調だって、ベッドで話を聞くだけなら問題ない程度には回復していた。

 モンモランシーのことだから、きっとそのあたりも考慮に入れてしゃべっているんだろう。

 

 「バカは死んでも治らないのかしら」「せめてあなた程度には死んどくべきだと思うわ」「ほんとにわたしを愛してるなら、わたしだけを見てくれるはずよね」「でも学院に戻ったときのアレは悪くなかった」「でもアレを誰にでもやってると思うとますます許せないの」「水責めと鞭打ち、どっちが効くと思う?」等々……俺は際限なく続くモンモランシーの話をうんうん頷きながら聞き流し、タバサ、はやく帰って来てくれないかなぁ……と早くも意識が遠のいてきた頭で思う。

 

 

 

 部屋の扉がノックされたのは、モンモランシーが愚痴を吐き始めてどれだけ経ったころだろう。

 「あのバカがバカを治す気がないなら、わたしにだって、相応の報復をする用意があるのよ……」と語った彼女が奇妙な目つきで俺をにらみつけているときだった。

 

 モンモランシーは、はっと我に返って椅子から立ちあがり、一応は部屋の主である俺に視線で許可を取ってから扉を開ける。

 入ってきたのは、タバサとルイズだ。

 いつもと変わらず怒ったような顔のルイズを背後に、タバサは無感情な瞳をモンモランシーに向ける。

 

「彼は病人。静かにして」

「そ、そうね。薬を届けにきただけのつもりが、話が長引いちゃって……」

 

 タバサは机に並んだ薬瓶にちらりと視線をやって、呟く。

 

「感謝してる。でも、休ませてあげて」

「わかってるわよ、悪かったわよ……。それじゃ、わたしはこれで失礼するわね」

 

 モンモランシーはそそくさと部屋を出て行った。

 プライドの高い彼女なら嫌味のひとつくらい言い捨てて行きそうなものだけど、よっぽどタバサに怯えているらしい。

 

 一方のタバサはすでにモンモランシーへの興味を失っているようで、さっきまで彼女が座っていた椅子にちょこんと腰掛け、俺に問う。

 

「疲れてない?」

「ちっとも」

 

 青い瞳に疑いの色が浮かぶけれど、俺の言葉は真実だ。

 タバサの(かわいい)姿を見た瞬間に、疲労なんか吹っ飛んでいる。

 それに俺は、延々と続く女の子の愚痴には慣れているのだ。主にルイズのおかげである。

 しかるべき返事をしながら心を別のところに飛ばす術は、とっくの昔に心得ていた。

 

 タバサは納得したのか、してないのか、ともかく俺から目を離してルイズに手招きした。

 そうして椅子から立ち上がって、代わりに座るようルイズに促す。

 

「わたしはいいわよ。べつに。偶然、ちょっと暇だったから、顔見に来ただけだし」

 

 視線を(そむ)けてつんけんと言うルイズは、なんだかんだで毎日お見舞いに来てくれている。

 とはいえ彼女はタバサと違って俺の部屋で過ごそうとはせず、毎度のように『顔見に来ただけ』と宣言し、実際、顔を見たらさっさと帰ってしまう。

 

 ひとことお礼を言うだけで大騒ぎなルイズにしたら、お見舞いに来るだけでもたいした進歩だと俺は思うのだが、なぜだろう、タバサは不満だったらしい。

 タバサはルイズの手を引いて椅子に座らせ、ぶつぶつ文句を垂れるルイズを無視して、じっと俺に目を向ける。

 どうしたのかと首を傾げる俺の耳元に口を寄せ、俺にだけ聞こえる囁き声で、

 

「がんばって。騎士さま」

 

 と呟き、滑るように部屋を出て行く。

 俺は呆然とタバサの後ろ姿を見送って、それから同じく驚いた顔で彼女の消えた扉を見ていたルイズと、目を見合わせる。

 

「なあ、お嬢」

「あによ」

 

 タバサの台詞にも謎に帰ってしまったことにも驚かされたが、それ以上に、俺は、彼女が去り際に見せた表情にすっかり心を奪われていた。

 

「いま、タバサ……笑ってなかった?」

「それがどうしたのよ」

 

 ルイズは怪訝そうに答える。

 

「珍しくもないじゃない。そりゃあの子ってちょっと無愛想だけど、笑うくらい、ふつうでしょ?」

「あ、そっか。そうなんだ」

 

 そのぶっきらぼうな返事に、俺は無性に嬉しくなった。

 いつの間にか、ふたりはずいぶん仲良くなっていたらしい。タバサの笑顔を、ルイズが当然のものと受け止めるくらいには。

 キュルケはほとんど動かないタバサの表情や仕草から感情を読み取っていたが、ルイズも同じような能力を育てているのかもしれない。

 あるいはルイズを相手にするときは、タバサはいつもより表情豊かになっているのだろうか。ルイズには相手の感情を振り回す不思議な魅力がある。いかな『雪風』のタバサといえど、ルイズの前では平静でいられない、ということか。

 いずれにせよ、タバサにとって、心を開ける友人が増えたということ。

 喜ばずにはいられない。

 

「なんであんたがにやにやしてんのよ。キモいわね」

「ああ、うん、確かに。キモいわ俺」

「認めないでよ。余計にキモくなるでしょ」

「すまん。キモいモグラですまん」

「キモいときのサイトみたいなこと言ってんじゃないわよ。キモすぎ」

 

 ルイズは俺を殴るべく拳を振り上げ、しかしさすがに遠慮したのか、ぽす、と俺のベッドを叩いた。

 むうっと不機嫌そうに唇を曲げ、それきりなにも言わなくなった。

 

 

 

「……話すのは、あんたの義務じゃないわ」

 

 ずいぶん長い間黙りこくっていたルイズが、ぽつりと呟く。

 

「あんたが隠してること……あんたがどうして『虚無』を知ってるのか。言いたくなかったら、別になんにも言わなくたっていいのよ」

 

 俺はルイズの顔を見つめて、まばたきする。

 意外だった。

 王宮から学院に戻り、ヴェストリの広場でルイズと才人と再会したとき、ルイズは入学以来はじめて俺に『ありがとう』と言い、『隠してること、教えなさい』と叫んだ。

 『あんたのこと、ちゃんと信じたいんだもの』、と。

 

 あのとき、俺は答えなかった。

 ルイズは言うだけ言ってさっさと逃げてしまったし、俺は俺で、その後すぐにでもキュルケに焼いてもらうつもりでいたから、ルイズの言葉をきちんと受け止めきれていなかったのだ。

 ただ、この意地っ張りのルイズ・フランソワーズお嬢さまにこうまで言ってもらえるのは名誉なことだな、うれしいな、これで死んでも悔いはないかな、と素朴な感想を抱いただけだった。

 

 ルイズが毎日俺の部屋に来ていた理由のひとつは間違いなくこの会話の続きがしたかったからだろうし、『顔を見に来ただけ』とすぐ退散してしまうのは、俺の部屋にはいつでもタバサがいたからだろう。

 だからこうしてふたりきりになった以上、この話になることは覚悟していた。

 ルイズと才人になにを話すべきか、どこまで教えるべきかも、ずっと考えていた。

 だけど、『言わなくていい』とはどういうことか。

 

「黙ってんじゃないわよ」

 

 とルイズが唸る。

 

「言いたくないなら黙ってろ、って言ったろ」

「うるさい。生意気。余計な口きくんじゃないの」

 

 ベッドを殴られた。

 言ってることがめちゃくちゃである。

 というか、埃が立つからやめてほしい。また咳が出始めたらけっこうしんどいのだ。

 

 ルイズ、今日は暴力的な気分みたいだ。

 しかも俺を殴って発散できないせいで、不機嫌の内圧がますます高まっている。

 タバサが去り際に『がんばって』と囁いたのは、この爆弾処理をがんばってほしいという意味だろうか?

 こういうのは、もうぜんぶ才人に任せたいのだが。

 

「ええと、ルイズ」

 

 と、俺は話を切り出そうとして……、鳶色の瞳に浮かんだ不安に気づく。思い出す。彼女が抱いている不安を、怯えを、俺はかつて見たことがある。

 

 もう五年近くも前、俺が学院に入る前にラ・ヴァリエールの屋敷を訪ねた、最後の夜。

 豪奢な舞踏会が気持ち悪くてバルコニーにひっこんでいた俺の前にあらわれたルイズも、こんな不安そうな瞳をしていた。

 あのときルイズはやたらと俺の足を踏んづけて、それから突然、どこかに消えてしまったのだ。

 

 後に知らされた話によると、ルイズは、泥酔した俺の親父がヴァリエール公爵に放った暴言を聞いてしまったらしい。

 

『ところでルイズお嬢さまは、魔法が得意でいらっしゃらない様子。それなら息子(クルト)を婿にどうぞ。うちは女なんぞ無能でかまいませんので。子どもさえ産めれば十分……』

 

 そうして親父はヴァリエール公爵家へのご機嫌伺いを禁止され、俺はルイズを泣かせた(かど)で公爵夫妻から直々の教育……という名目の折檻を受けた。

 学院で再会してからの数週間、この最低の別れの前の距離感を取り戻すまで、俺は……そして最近やっと気づけるようになったのだが、おそらくはルイズも……ずいぶん苦しい時間を過ごした。

 

 

 俺はなにをどう話していいものかわからず、間抜けに問いかける。

 

「お嬢……なにか、あったのか?」

「はぁ? バカじゃないの? あったに決まってんでしょ」

 

 ルイズは怒ったように言う。

 

「あんたが意味わかんない薬飲んで、姫さまが(さら)われて、ウェールズ皇太子が操られてて、そのうえ……」

 

 ルイズは俺の胸元をちらりと見て、顔を俯かせた。

 

「あんた、昔っから、余計なことばっかしてんじゃないわよ。命を捨ててまで守るような価値、わたしにはないでしょ? こんな、お礼のひとつもまともに言えない『ゼロ』のわたしを……、そ、それともやっぱり、わ、わ、わたしが……きょ、虚無、だから? 伝説の力の担い手だから、わたしを庇ったの? そ、そう、よね? そうでもなければ、こ、こ、こんな、……するわけ、ない、わよね」

 

 ルイズの声は震えていた。

 彼女は泣き出す直前で必死に堪えているのだと、何度もこの声を聞いている俺にはわかった。

 

「あ、あんた、いつからよ。いつからわたしが、虚無って、知ってたの? 誰から聞いたの? だ、だ、だれ、に、たのまれて……わたしを、たすけてたの?」

「お嬢? さっきからなにを……俺は誰にも」

「う、う、うううう、うるさい! やめてよ! だまってよ! あんた、もうなんにも言わないで!」

 

 ルイズはベッドを叩いた。

 何度も何度も、ばしばし叩いた。

 彼女が深くうなだれているせいで、そのかんばせは柔らかなピンクブロンドの髪の毛に覆い隠され、表情を窺い知ることはできない。

 けれどもその肩の震えで、ぐずぐずと鼻をすする音で、ルイズがもはや涙を堪えきれなくなっているのは明らかだった。

 けれども俺には、なにがルイズをそこまで怯えさせているのか、どうしてもわからないのだった。

 ああ、キュルケに叱られた通りだ。やっぱり俺は頭が(にぶ)い。

 

「く、クルト……は、は、はっきり、言いなさい、よ。あんたの、正体。あ、あんたが、ずっと、わたしに……わ、わたしの、まわり、うろついてた、のは、わ、わ、わたし、が……虚無、だから」

「んなわけねえだろ」

 

 と俺は言い、言ってから、理解する。

 ルイズが抱く不安の正体を。

 虚無について詳しい俺を怪しみながらも、不思議と追求してこなかった理由を。

 この子がこんなことで怯えるはずがないと頭の片隅で否定しながら、それでも、俺は言ってしまう。

 なぜって、怒っていたからだ。

 そんなあたりまえのことを言わせるルイズに、そしてルイズを不安にさせる自分自身にムカついたからだ。

 

「あのな、お嬢。俺がお嬢を尊敬してるのは、そんで掃除でもなんでも付き合ってきたのは、お嬢がお嬢だからだよ。俺の知る誰より誇り高い貴族だからだよ。昔から言ってるだろ。魔法ができようができまいが、お嬢はお嬢だ、って」

「……るさい、ばか……、な、なにがお嬢よ……そ、そ、その、呼び方……やめろって……、っ」

「すまん、さすがに恥ずかしくて。こういうときに名前で呼ぶのって、こう……照れるじゃん」

「なに、それ……っ、キモすぎ」

 

 ルイズは泣いてるような笑ってるような、引きつった甲高い音を出す。

 ああ、そういえば、五年前の舞踏会でも俺は似たようなことを言って、ルイズを泣かせたのだった。

 俺自身は涙を見ていないけれど、バルコニーから戻ってきた彼女は大泣きしながら舞踏会の会場を出て行ったのだと、後日、ヴァリエール公爵から魔法の鞭とともに告げられた。

 ルイズを慰めるべく語った俺の言葉は、しかし、ルイズを傷つけていた。

 

 だとしたら俺は、あのときと同じ言葉を繰り返すだけじゃいけないのだろう。

 何が正解なのかまったく見当がつかないけれど、別の何かを言ってやらなきゃならないのだ。

 彼女の不安を拭い去れるだけの力を持った、何かを。

 

「キモくて悪かったな。じゃ、はっきり言い直してやろうか。俺はルイズが好きだよ。ひねくれてるけど実はまっすぐなルイズが好きだよ。バカで弱っちくて自分に自信がないくせにプライドばっかり高いルイズが好きだよ。ハルケギニアのどんな貴族より貴族らしいルイズが好きだよ。ヴァリエールも虚無も関係ない……いや正直ちょっと関係してるんだけど、でも、それも言い訳だな。俺はルイズが好きで、いろいろ手助けしてやりたくて、それで都合よくお前が公爵家令嬢なもんだから、逆らえなくて小間使いにされてるって言い訳して……、気づいたら、自分でもそう思い込んでた。でもさ、お前も悪いんだぞ。お前がいちいち嫌味ったらしくコールス家の義務だとか言うから……」

 

 殴られた。

 ベッドを、ではない。

 小さな弱々しい拳が、俺の肩を、とん、と叩いた。

 

「もう、無理……だまって。キモい」

「ひどいなお嬢。勇気を出して、素直になったのに」

 

 俺の肩に触れていた手がずるずると滑り落ちて、俺の手に重なる。手の甲に爪を立てられる。

 

「お嬢、やめろよ、それ痛いって」

「知ってる」

「……俺、一応、病人なんだけど」

「それも知ってる。だから手加減してやってんじゃない」

 

 気づいたら、ルイズは泣き止んでいた。

 俺がキモすぎたせいかもしれない。

 

「じゃあ……まあ、いいか」

「バカじゃないの。なにがいいってのよ、こんな」

 

 がり、と手の甲をひっかかれた。

 鋭い痛みに、思わず顔が引きつってしまう。

 

「いいんだよ、別に。ルイズのすることだったらなんでも。だからな、ルイズ……俺は、その、なんだ。少なくとも学院に来てからの一年間は、下心とか(たくら)みがあってお前と仲良く……」

「は? 仲良く? 誰と誰が?」

「……この俺、クルト・ド・コールスは、ルイズ・フランソワーズお嬢さまと、ラドグリアンの清水の如く澄み切った、アルデンの森の恵みよりさらに豊かな、そして火竜山脈に暮らす火竜と極楽鳥にも劣らぬ無二の友情を育んできたわけだが」

 

 ルイズはますます強く俺をひっかく。

 もう皮膚を削るどころか骨まで折るつもりなんじゃないかってくらい、強く。

 その容赦のなさに俺は(かえ)って安心して、まだ涙に潤んでる瞳で俺をにらみつけているルイズに言う。

 

「それはお前が公爵家令嬢だからとか、伝説の力を持ってるからとか、そういう事情は一切関係なくて。ルイズがルイズだから、俺の意思で、そうしていたわけだ」

「……知ってる」

「嘘つけ」

「うっさい。わたしが知ってるって言ったら、つまり知ってるってことなのよ。わかったら、返事」

「はいはい。そういうプライド高いとこ、昔から可愛いよな」

「死ね」

 

 枕が爆発した。

 

「お、お前! なんてことしやがる! 病人の寝床を……!」

 

 枕に詰まっていた藁がはらはらとベッドに舞い落ちる。

 俺は数日ぶりの虚無の恐怖に震えながらも、必死で抗議する。

 ルイズは平然と……直前までの不安を完全に隠した、いつも通りのちょっと不機嫌な表情で杖を揺らした。

 

「あんたが生意気なのが悪いのよ。それに、ちょうどよかったんじゃない? あんた、ここんとこずっと寝てたでしょ? その枕、汗臭かったのよ。ここらで新調しときなさい」

「仕方ないだろ。カバーはたまに換えてたけど、枕に風通したりする気力までなかったんだよ。替えの枕なんか持ってないし……」

「じゃ、わたしの予備を譲ったげる。きっとよく眠れるわ。どうせあんた好みの……コールスじゃ一生お目にかかれないような、とびきり良い枕だもの。枕の値段なんて、いちいち気にしたことないけどね」

 

 学院に入るずっと前、ラ・ヴァリエールの屋敷に出入りしていたころを思い出させる皮肉な台詞。

 ルイズは唇の端をぴくぴくと歪ませて、

 

「っていうか、ベッドごと換えたら? さっきから思ってたけど、この部屋けっこう臭うわ。男の子の体臭ってイヤね。不潔だし、鼻が曲がりそう。ねえクルト、こんな部屋にタバサを閉じ込めてたの? いくらなんでも、あの子がかわいそうよ。あんた死んだほうがいいわよ」

「やめろよ! ひ、人が気にしてることを……! タバサ持ち出すのは反則だろ!」

 

 ルイズが俺を傷つけるために放った台詞に、俺はその狙いどおりに深く傷つく。虚無を遙かに超えた甚大なダメージ。頭を抱えて、ちょっと泣きそうになってしまう。

 ルイズは俺を見て意地悪に笑い、ごく自然な調子で俺に命じた。

 

「それじゃ、教えてもらいましょうか。あんたの秘密。あんたの正体。わたしが納得するまで、ぜんぶぜんぶ話すのよ」

 

 さっきまで『言わなくていい』とか言ってたくせに。

 自分の不安が解消した途端にこの態度である。

 

「わかったよ……話すよ。お嬢がお望みなら、叶えてやるのが俺の義務だ」

 

 俺は露骨に顔をしかめてみせるけれど、それはただの()()で、本心ではちっとも怒ってない。むしろルイズの横暴っぷりをよろこんでいる。

 そんな自分の本心に……恋とは違う、しかし逆らいがたい情熱に気づけるようになったのは、キュルケのありがたいお説教のおかげだろう。

 

「バカじゃないの。そんなあたりまえのこと、いちいち偉そうに言わなくていいの」

「そうだな、俺はバカで傲慢だって、キュルケにも叱られるんだ」

 

 宿敵(ツェルプストー)と重ねられたことが気に食わなかったのだろう、ルイズは俺の左手をぱしんと叩いた。

 ついさっき彼女の爪が作った傷を正確に狙われて、俺は情けない悲鳴をあげる。ふん、とルイズは鼻を鳴らす。

 

「……それじゃ、お嬢。才人を呼んできてくれ」

「なんでよ」

「あいつも関係してるからだ。というか、あいつがいなきゃ話にならない」

 

 ルイズはちょっとだけ俺をにらんだが、それは『とりあえず』の反発。ツンデレ以前の子どもっぽい反抗心。俺の言うことを素直に聞くのが気に食わないからそうしてるだけだ。俺の秘密に才人が関わっていることは、彼女だってとっくに理解してるはずだ。

 俺が頭を下げてもう一度頼むと、ルイズは満足そうに部屋を出て行った。

 

 扉が閉まるのを見届けて、俺は深く息を吐く。

 久しぶりにルイズとはしゃいで、正直、かなり疲れた。頭がぼんやりする。肺の機能が追いつかなくて、酸素が不足してるみたいだ。目をつむったらすぐにでも意識を失えそうだ。

 けれども俺には、休んでいる時間はない。ルイズが才人を連れてくる前に、何を話すべきか、あるいは何を話さずにいるべきか、もう一度、しっかり確認しておかねば……強い目眩(めまい)に襲われて、俺はベッドに倒れ込む。

 枕に詰まっていた藁が背中に刺さって、ちくちく痛む。

 

「……あ、くそ、しまったな」

 

 ぐるぐる回る天井を見上げて、ぽそりと呟く。

 

「才人のついでに、枕も持ってこさせりゃよかった……」

 

 体が重たくて、藁を払う気にもなれない。

 そうして俺はルイズたちが戻ってくるまで、背中の痛みを眠気覚ましに天井をにらみつけ、ともすればいまにも意識を手放そうとする脳みそを酷使して、未来のことを考え続ける。

 

 





【ルイズ】
○原作との主な違い
 『ゼロの使い魔』のメインヒロイン。ツンデレの王。
 相手を言いくるめたり失言を誘って言質を取ったり、原作より賢い部分を見せているが、これは才人以外の人物との絡みが増え、本来の知性を発揮できる場面が増えたから。
 才人が絡むと色ボケのレモンちゃんになるのは変わらない。

 魔法がひとつも成功せず、いろいろ自信がないのも原作と変わらないが、自分の努力を認めてくれる男の子=クルトが存在し、彼が入学以降なにかとつきまとって世話を焼こうとしてきたため、原作の同時点より少しだけ自己肯定感が高くなっている(ただし、原作のように孤高を貫いてきたわけではないため、かえって脆くなった側面もある)。

 比較的高い自己肯定感、そしてクルトに対するプライドも働き、一年生の頃は積極的に実技に挑んでいた。
 爆発するとわかった上で実技に挑み、授業を中断させることがしょっちゅうだったので、罰則として片付けを命じられることも原作よりずっと増えている。
 一部の教師から『公爵家の令嬢に対して、毎週のように罰を与えるのはどうなんだ、そもそも彼女はマジメに授業を受けてるだけじゃないか』……との反発もあったが、『どうせミスタ・コールスが手伝うから』という理由でずっと見逃されていた。
 (つまり『ルイズがやたらと罰則を受け、クルトがその手伝いをする』という構図はある意味でマッチポンプである。クルトがこの事実に気づいたら猛烈に落ち込む)。

 なお、教室を爆破しまくる状況はヴァリエール家にも伝えられていた。
 父ピエールは嘆いていたが、母カリーヌは「どんな状況でも臆せず挑戦するのは騎士的だからヨシ!!」とむしろ満足していた模様(ルイズが実家にいたころは、家庭教師の前で杖を振るのも怖がる時期があった)。
 ヴァリエール家は学院に『魔法が使えないからといって、ルイズに特別な配慮をしないように』と約束させ、代わりに学院への寄付という形で、教室の修繕費を負担することを請け負った。
 クルトの行動についても、このときヴァリエール家に伝わっている。


○性格
 母譲りの無鉄砲で、子どもの頃から損ばかりしている。
 組み分けするなら帽子をかぶった瞬間に「グリフィンドーーール!!!!!」と叫ばれるタイプ。
 『ゼロの使い魔』の登場人物は総じてグリフィンドール適正が高いが、そのなかでも飛び抜けてグリフィンドール。たぶん帽子から剣も抜ける。


※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。
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