キュルケたちがアンリエッタの誘拐事件を解決してから、すでに五日が経つ。
事件の後、オールド・オスマンから特別に認められた休日もあっというまに終わってしまい、いつも通りのつまらない授業を終えたキュルケは、日当たりの良いアウストリの広場のベンチに腰掛けていた。
放課後の時間を思い思いに過ごす生徒たちをぼうっと眺めて、ため息なんか吐いていた。
退屈だった。
どうにも、刺激が足りないのである。
こんなときは適当な男を呼びつけ、気が晴れるまで相手させるのがキュルケの常だ。
しかしここ最近、彼女は恋人を切らしていた。入学以来、数限りない恋を楽しんできた『微熱』のキュルケには珍しいことである。
その原因は、クルトの
近いうちに『運命の相手』と出会えるというクルトの
キュルケは夏の日差しを浴びながら髪をかき上げ、すらりとした脚を組み直す。
それを誘いと捉えたのだろう、広場を歩いていた元恋人のひとりが気取った調子で話しかけてくる。
キュルケは杖を振ってその男を追い払い、せつなく息を吐いた。
男性生徒の寮が入っている本塔に目をやって、この数週間で最大の愉しみ……いまもそこで繰り広げられているだろう情熱の
なんとか覗き見できないかしら、とキュルケは考えを巡らせて、……しかしあの耳聡い『風』の使い手と、気持ち悪いほど感知能力に長けた石ころの使い魔とを出し抜くのはとうてい不可能である、といういつも通りの結論に達した。
「あーあ、つまんないの」
もちろん、正面から彼を訪ねることだってできる。けれどもそれで友人たちの恋路を邪魔しては、もっとつまらないことになる。
キュルケは子どものように唇を尖らせ、足下の小石を蹴飛ばした。
数日前に見たばかりの、あの最高に情熱的な光景を脳裏に描いた……。
それは事件から一昼夜が過ぎた、翌朝のことである。
アルヴィーズの食堂で朝食を摂ろうと自室から出てきたキュルケは、ちょうど同じタイミングで扉を開けた隣室のルイズから、クルトが血を吐いて倒れたことを聞かされた。
ガーゴイルに刺された傷が悪化して、肺炎のような症状が出ているらしい。
オールド・オスマンやモンモランシーの治療で容態は落ち着いているが、一週間ほどの安静を命じられているのだとか。
キュルケは最初、この事態に関して少なからず責任を感じていた。
王宮から学院に戻った後、彼の情熱を焚きつけているとき、まだ治りきっていない胸の傷を手酷く扱った自覚があったからである。
若干の後悔と罪悪感を抱え、キュルケは彼の見舞いに行くことを決めた。
あまり早くに訪ねても迷惑だろうと、朝食のあと少しばかり時間を潰してからやってきたクルトの部屋。
しかし、ノックをしても返事がない。扉の向こうに人の気配はするけれど、応えてくれない。
彼は眠っているのだろうか。それとも……、と、不意に暗い想像に襲われたキュルケは、衝動的に『
初恋の相手でもある友人が目の前でガーゴイルに貫かれ、胸から血を吹きだして倒れたあの瞬間は、根っから陽気で楽天家の彼女に少女のような恐怖心を植え付けるのに十分な威力を持っていたのである。
けれども扉を開けた瞬間、キュルケは快哉をあげたくなった。
クルトの傷をいたぶった自分を、褒め讃えてやりたくなった。
なぜって、キュルケが発見したのは、最高に情熱的な光景――先んじて見舞いに来ていたらしいタバサが、ベッドに眠るクルトの胸に頭をのっけている姿だったから。
しかもクルトの手はタバサの頭を捕まえており、がっちりと押さえ込んでいる。
一方のタバサは『雪風』の二つ名を持つ彼女らしくもなく頬を染めていた。
男の子の胸板に頬を押しつけたまま、扉の前に立つキュルケと視線を合わせているタバサは、ふやけた顔をしていた。
その情けなく蕩けた表情、とろんとした瞳は、しかし彼女本来の幼い清楚さ、新雪のような神秘な静謐さを絶妙に引き立て、同性のキュルケをして腰が砕けそうになる、恐ろしい魅力を放っていた。
「……お邪魔したわね」
キュルケはなんとかその魅了を振り切って呟き、扉を閉めた。
それからくるりと振り向いて、廊下を歩き出した……が、次の瞬間には我慢が効かなくなって、クルトの部屋に駆け込んだ。
「どういうことよ!?」
「気のせい」
タバサはぽつりと答えた。
彼女はキュルケが離れていた数秒のうちに部屋の隅の椅子に腰掛け、分厚い本まで開いていた。おそるべき早業である。
キュルケは一瞬、あの光景は白昼夢だったんじゃないかと自分を疑った。
しかし、タバサの親友であるキュルケにはわかる。雪のように白い頬には赤く火照っていた名残があり、その青い瞳はせつなく潤んでいる。
というか、髪が乱れてた。
タバサはロクに鏡を見ない上に風使いなので髪やマントが乱れてるのはしょっちゅうなのだが、こんな、男の子とふたりきりの部屋でぼさぼさの頭になってるというのは、いかにも
「気のせい、なワケないでしょ! 無理があるわよそれは!! ねえタバサ! いったいどういうこと!? クルトとなにがあったの!? どこまでしたの!? キスした!? 舌入れた!? まさかあなた、初めてを――」
突然、声が出なくなった。
タバサが『サイレント』を唱えたのである。
「彼は病人。静かに」
タバサは本に目を落としたまま呟いた。
それはまったく、正論であった。
ベッドに横たわっているクルトは顔色も悪く、呼吸も苦しそうだ。あれだけ騒いだというのに、目を覚ます気配もない……っていうか、彼、寝てたのね、とキュルケはいまさら気づく……自分のせいで怪我を悪化させた友人を前にして大騒ぎすることは、さすがのキュルケにもはばかられた。
もちろん、意外な進展を見せている友人の恋路に対する好奇心は、みじんも揺らいでないのだが。
それでもキュルケはマジメに頷き、『サイレント』を解くよう身振りで頼んだ。
タバサは顔をしかめた。
この魔法を解いたらキュルケがいまの光景について(小声で)追求してくるのが明白だったからだ。
タバサは『サイレント』を維持したまま、平坦に言う。
「誤解」
誤解ってなによ、とキュルケは思う。
キュルケの表情からその疑問を読み取ったらしいタバサは、やはり平坦に続ける。
「彼は寝てた。寝相で、ああなった」
無理よ、その言い訳。
仮に、百歩譲って、クルトの手が寝相だったとしても、あなたが彼にくっついてた理由にはならないでしょ……タバサは、キュルケのまなざしからその追撃を完璧に読み取って、
「聴診してた」
と答える。
「彼は肺を悪くしてる。胸に耳をあてて、呼吸の音を聴いてた。そしたら寝相で頭を掴まれた」
なるほど。
一応、筋は通っている。
『水』の使い手だったら体内の水の流れを診るのだが、タバサは『風』である。
キュルケはあいにくと『聴診』なんて聞いたことなかったが、無数の本から知識を溜め込んでいるこの小さな友人ならば、風変わりな医術の技法を知っていてもおかしくない。
でも、それはあくまであの体勢に対する言い訳であって、タバサが頬を染めていた理由にはならない。瞳を潤ませていた理由にはならない。
そこんとこ、きっちり説明しなさいよ……、と。
キュルケはそんな意図を瞳に浮かべた。
タバサは頬を掻いて、首を傾げた。
え? なに? どういうこと? あなたが何を言いたいのか、さっぱりわからない……、という顔である(ほとんど無表情であるが、キュルケの目には、そのように映った)。
そんなら『サイレント』解きなさい、とキュルケは瞳で訴える。
タバサは無視した。
本に視線を落として、ページをめくり始めた。
この青髪の少女、キュルケの無二の親友の困ったところは……それが不思議と美点にも繋がっているのだが……目の前にいる相手を無視するという選択肢を、平気で取れるところである。
そんなら、あたしにも考えがあるわ、とキュルケは言った。
音にはならないが、ともかく言った。
タバサは読書をやめようともしない。
しかし唇がかたく引き結ばれているところを見るに、徹底抗戦する構えであるのは確かだった。
こうなったタバサの意思を変えるのはとても難しいことを、キュルケはよく知っている。
なので、矛先を変えた。
クルトに聞くことにした。
彼はまだ目を覚ましそうもないけど……と、ベッドに視線を向けたキュルケの耳に、静かな、しかし断固とした呟きが届く。
「だめ」
……まだなんにもしてないでしょ。
「だめ」
……彼、そんなに悪いの?
「悪い」
タバサは本を閉じた。
「……けど、大丈夫。すぐ良くなる。心配いらない」
そうして、そんな言葉を続けたのは、キュルケが抱いた不安を察したからだろう。
キュルケは親友の優しさに胸を打たれながらも、また新たな疑問を思い浮かべた。
「わたしのせいだから」
タバサは無表情な顔を俯かせ、こわばった声で答える。
『どうしてあなたが、そんなにもクルトの容態を気にするのか』というキュルケの問いへの答え。
それは簡潔でわかりやすく、確信に満ちた返答だったが、間違っていた。
クルトの傷は、そもそもルイズを庇ったためにできたものだ。
それがこうも悪化したのは、学院に戻ってからキュルケが虐め倒したせいだ。
タバサが責任を感じる理由は、どこにもない。
「無理させた。怪我してるってわかってたのに、甘えてしまった。休ませなかった。わたしのせい」
キュルケは、鼻血が出そうになった。
甘えて、休ませない。
女が男に……いや、いまだ『女』とは言い難い、この未成熟な親友が、彼女を好いている男に対して。
『無理』をさせて、怪我を悪化させた。
それって、つまり……、
「誤解」
……恥ずかしがらなくたっていいのよ、あたしの可愛い、小さなタバサ。誰だって、いつかは卒業するんだから。
「誤解」
……でも、それでこんなに怪我を悪化させるなんて、たいしたものね。あなたって意外と、
「……」
杖が振るわれた。何度も振るわれた。
『あ、いた、痛いってば、タバサ、痛いから、やめて、ごめんね、軽い冗談じゃないの、ちょっとからかっただけじゃないの、大人の仲間入りした親友を祝福……いたっ、やめて、ちょ、待って、なにそれ、痛い、刺さる、刺さってるから、やめて、尖ったほうはやめて、そっちで刺すのは反則……』
……と、キュルケは必死に謝ったのだが、『サイレント』がかかっているのでタバサには届かなかった。
少なくともタバサは、届かなかったというフリを続けた。
この青髪の親友の欠点――そしてとびきり可愛いところのひとつは、人の訴えをまるっきり無視できることである。
こうして部屋を追い出されたキュルケは、その翌日、もう一度だけクルトの見舞いに行った。
そのときもタバサが部屋にいて、無言で本を読んでいた。あの情熱的な光景が嘘だったみたいに静かだった。
目を覚ましていたクルトはいかにも病人らしい顔色だったけれど、一応謝っておいたキュルケに『ラ・ロシェールでの仕打ちよりマシだよ』と冗談めかして返すくらいの元気はあった。
結局のところ、ふたりに何があったのか……キュルケはなんとしても追求したかったが、タバサの視線が許してくれなかった。
下手なことを言ったら、また追い出されそうな気配である。
それにキュルケ自身も、少し話すだけで息切れしてごほごほと咳き込むクルトに詳しく尋ねる気にはなれなかった。
タバサは話してくれそうもないし、彼が元気になったら、じっくり聞かせてもらいましょう……と、キュルケは心に決めて、クルトの部屋を後にした。
……そうして、誘拐事件から五日が経つ今日。キュルケはひとりで退屈しているのだった。
クルトの回復にはまだ数日かかりそうだし、タバサは彼の部屋に足繁く通っている様子である。
キュルケは友人たちがいまナニをしてるのか猛烈に気になるのだが、数多の恋を経験してきた『微熱』の勘が『まだ早い』と……『いまはまだ、情熱をじっくり育てるべき期間。あまり詮索しては、情熱の芽を潰しかねない』と告げている。
けれども退屈と好奇心はどうにも耐えがたく、ちょっとだけ、ちょっと様子を見るだけだから……とベンチからお尻をあげた、そのときだった。
本塔から、青い、小さな人影が出てくるのが見えた。
タバサである。
珍しいわね、とキュルケは思う。
タバサはクルトが倒れて以来、授業と食事と睡眠以外ほとんどすべての時間を彼の部屋で過ごしている。こんな、まだ日が高いうちから外を出歩いてるなんて。
キュルケは小走りでタバサに近づき、問いかけた。
「彼はもういいの?」
「よくなった」
答えるタバサは、微笑んでいた。
親友のキュルケさえめったに見ることのできない穏やかな表情に、キュルケもまた微笑みを返す。
「そばにいなくていいの?」
タバサは頷いた。
それからキュルケの微笑みに気づき、いつもの無表情に戻ってしまう。
「もったいないわよ。あなた、笑ったらとっても可愛いのに」
タバサは首を振った。
けれども、頬のわずかな紅潮、瞳の奥の優しい光は隠せていない。
キュルケは微笑みを深くして、タバサの頭をぽんぽんと撫でた。
「それじゃ、あたしもあいつの顔くらい見てこようかしら」
そう言って本塔に入ろうとしたら、マントをひっぱられた。
振り向くと、タバサがじぃっとキュルケを見上げている。
「わかってるわよ。変なこと訊いたりしないわ。今日のところはね」
タバサは首を振った。
クルトとの関係を探られるのを嫌ったのかと思ったけれど、どうにも違うらしい。
「ルイズがいる」
「……あ、そう。そりゃ、あたしは行かないほうがいいわね」
不承不承、キュルケは頷いた。
ルイズはキュルケの宿敵である。顔を合わせたら、ほぼ確実に喧嘩が始まる。
ツェルプストーの血を引くものとしては、ラ・ヴァリエールとやり合うのはいつでも大歓迎なのだが、病人の部屋でそんな大騒ぎをするわけにはいかない。
その程度の良識は、己のわがままな性格、人を振り回す横暴さを自覚するキュルケにもあるのだった。
「ねえタバサ、今度の虚無の曜日には、クルトも元気になるでしょ? 快復祝いに、あなたのシルフィードでトリスタニアにでも行ってきたら? ずっと部屋に閉じこもってたんだから、気晴らしが必要よ」
どうせこのふたり、ほっといたらデートにも行きそうもないし……と何気なく提案してみたら、タバサは首を振った。
「彼は忙しい」
「あら、もう予定が入ってるの?」
タバサは首を振った。
「ルイズがいる」
「だからどうしたのよ。ヴァリエールなんか、関係ないじゃないの」
タバサは答えず、すたすたと歩き始めた。
しかしそれは拒絶ではなく、その背中が『ついてきて』と語っているので、キュルケは素直に、タバサの隣に並んで歩く。
スズリの広場を経由し、人気のないヴェストリの広場の入り口についたころ、タバサは足を止めずに『サイレント』を唱えた。
ふたりを囲うように、薄い遮音の膜が作られる。
風のある屋外で、しかも歩きながら『サイレント』を維持するのはそれなり以上に神経を使うはずだが、タバサは涼しい顔である。
「それで、どういうことよ?」
沈黙。
いったい何をどう話すべきか、タバサは悩んでいるようだった。
広場の端のベンチに辿り着き……ベンチの裏の穴に誰も隠れていないことを確かめてから……ふたり並んで腰掛ける。
そうしてようやく、タバサは口を開いた。
「クルトは、ルイズの騎士だから」
「……はぁ?」
思いっきり顔を歪めたキュルケにタバサが語ったのは、とんでもない妄想。
曰く――、
『以前から、彼はわたしの身分を知ってる様子だった。学院では、オールド・オスマンしか知らないはずなのに』
――それは彼が『予言の書』とやらを読み、『未来の知識』を持っているからである。
『彼はアルビオンへの任務でも、今回の誘拐事件でも、ルイズに同行していた。女王アンリエッタ個人と、あるいは王室と関わりがある可能性が高い』
――それもやはり、彼には『未来の知識』があるからだ。事件の概要をあらかじめ知っていたから、関わることができたのだ。
『そしてルイズは特別な存在。あなたも見たとおり、彼女は四大系統に属さない魔法を唱えていた。使い魔も伝説のガンダールヴ。ルイズの系統は、ほぼ確実に、虚無』
――それもクルトから聞かされた通りの話だが、キュルケは神妙に頷いた。誰に教えられたわけでもなく、自力でこの結論に辿り着いたタバサに、素直な感心を抱いた。
『クルトの役目は、その特別なルイズを守ること。おそらくは、学院の同級生から選ばれ、トリステイン王室から任じられた騎士。まわりの誰にも……ルイズにもその任務を知らせていない、わたしと同じような秘密騎士だと思う。だから王室と関わる任務や事件でルイズと同行していたし、わたしの身分もオールド・オスマンから知らされていた』
――なるほど。やっと話が繋がった。
繋がったけれど、間違っていた。
いや、まあ、『未来の知識』なんて胡乱な発想より、タバサの説のほうがよっぽど説得力があるのだけれど。
「……で、でも、そんな、ことって……、ある、かしら? し、信じられない、わ」
キュルケはなんとか尋ねた。
内心の動揺に、その声は震えまくっていた。
タバサはこくりと頷いた。
「他に説明がつかない」
「そう……」
キュルケは深呼吸した。
どうしよう、と本気で悩んだ。
こんなに悩んだのは、入学式の夜、クルトに見てもらう下着を見繕ったとき以来であった。
「あ、あのね、タバサ……」
こちらに振り向いたタバサは、真剣だった。
『わたしだけが気づいた彼の秘密。あなただから、特別に話した』と、その瞳が語っていた。
とてもじゃないが、『彼には未来の知識があってね……』などと胡乱な話ができる雰囲気ではなかった。
「つまり、彼は、その、る、ルイズを守る、騎士で……」
そんなわけあるか。
『クルト・ド・コールスはヴァリエール嬢に仕える騎士である』なんてバカな噂はこの一年間でさんざんに語り尽くされ、すでに飽きられてしまった妄言だ。いまさら話の種にもならない。
しかしタバサは、真剣に頷くのである。
キュルケは、あまりにも予想を超えた事態を前に機能停止しそうになる頭を必死に働かせて、なんとか言葉を紡ぎ出した。
「……でも、それって、彼がトリスタニアに行けない理由には、ならないじゃない?」
この話の発端は、キュルケが『次の週末に彼とデートでも行ったら?』と提案したことであった。
誤解はともかくとして、デートの話だけでも進められないか……と、キュルケは現実逃避的に考える。
タバサは淡々と答えた。
「護衛の任務」
「いくら秘密の騎士だからって、虚無の曜日くらい、休まないとやってけないわよ。サイトだって、あの子のそばにいるわけでしょ?」
「……だからこそ、彼はルイズを離れちゃいけない」
その呟きは、いやに深刻そうだった。
キュルケはいよいよ、頭痛がしてきた。
まさか、この子、『クルトはルイズの騎士』という妄想に留まらず、サイトを怪しむような陰謀論じみた思考に囚われているのではなかろうか。
クルトが惚れ薬でおかしくなった事件が、そんなにも衝撃的だったのか。
「あなたなら、気づいてると思うけど」
タバサはここで言葉を切り、鞄から本を取り出した。そうしてぱらぱらとページをめくり、開いた本で口元を隠した。
『サイレント』をかけたうえで、この仕草……唇を読まれることを警戒しているのだ。
キュルケもタバサに合わせて、化粧鞄からパレットを取り出し、覗き込むフリをした。
誰かに盗み聞きされる危険などみじんも感じていないが、そうしなければ、タバサが話してくれそうになかったからだ。
「クルトは、ルイズが好き」
「んぐっく……ふひっ」
キュルケは唇を噛んだ。血が滲むくらいに、強く噛んだ。そうでもしないと、笑い出してしまうから。
タバサは訝しむ目をキュルケに向ける。
「なぁ、んでも、ない……の、よ……、ふ、くくっ……」
言ってるうちに笑いの波が押し寄せて、堪えようとして、目に涙が浮かぶ。鼻水まで垂れてきた。
「……大丈夫?」
タバサは平坦に、しかしキュルケにはわかる気遣いの色を瞳に浮かべて問いかけてくる。
キュルケはこくこく頷き、タバサから顔を背けた。ハンカチで鼻をかんだ。
なんと、この小さな親友、『クルトはヴァリエール嬢の騎士』という一周遅れの妄言のみならず、『クルトはルイズに惚れてる』という、あまりにもいまさら過ぎる与太話を自力で発明してしまった。
クルトはあんなにもわかりやすく、タバサを好いてるというのに。
ふだんのタバサが聡明で、その手のくだらない話題と無縁なことを深く知っていればこそ、キュルケはタバサが大真面目にそんなことを言ってるのがおかしくて、可愛くて、もう、たまらないのだった。
にやつく顔を見られないよう、キュルケは親友に背を向ける。そうして気を抜くとけらけらと大声で笑いそうになる衝動を堪え、問いかけた。
「ね、ねえ、タバサ……そ、そ、それ、クルトが、じ、自分で、言ってた……の?」
タバサは、やはり淡々と答える。
「見ればわかる」
「ふっ、く、ぅうん……っ!」
平静な返事をしようと
キュルケを信奉する男たちが聞いたら、それだけで失神するだろう。
けれどもタバサは、キュルケの声から色気とは別のものを感じたらしい。
「もしかして……」
タバサは真摯な声で呟き、キュルケの背中を優しく撫でた。
「やっぱり、まだ彼が好きだったのね?」
キュルケは鼻水を吹いた。
タバサに背を向けたまま、丸くなってぷるぷる震えた。
細かなルビーがちりばめられたお気に入りのパレットが手から転がり落ちるけれど、拾い上げる余裕もない。
そんな反応に、タバサは自説への確信を深めたのか、とん、とん……と、子どもをあやす母親のようにキュルケの背中を一定のリズムで叩いてくれる。
やめてほしい。
これ以上、こんなこと続けられたら、耐えられない。
お腹がよじれて死んでしまう。
「も、も、もう、おわっ……た、はなし、よぉ」
鼻をすすりながら、なんとか答えた。
目尻に浮かんだ涙を指で拭い、丸くなったまま、タバサに問う。
「あ、あのね、タバサ……か、仮に、クルトが、る、る、ルイズを、好きっ、だったと、して……」
つっかえつっかえ、ときどき声が裏返りながらも、言葉を続ける。
その間もタバサが背中を叩いてくれるので、キュルケは死にそうだった。
「あなた、は……どう、したい……の?」
「応援したい」
「ひ、うぅっ……!」
「ごめんなさい。でも、彼の力になりたい。彼に助けられたから」
キュルケは、もはや、限界だった。
言葉を紡ぐことなど不可能で、震える手をわずかに振って、『ひとりになりたい』という意図を示した。
タバサはそれを正確に受け取って――そのことがまたキュルケをおかしくさせたが、鉄の意志で笑いの衝動を抑え込んだ――ベンチから立ち上がった。
その気配が十分に離れてから、キュルケは這いずるようにして、ベンチの裏に回り込む。そこに掘られていた穴に飛び込み、かぼそい声で『サイレント』を唱え……爆笑した。
大粒の涙をぼろぼろ零し、水っぽい鼻水を垂らして、自慢の赤髪が泥まみれになるまで笑い転げて、気が
「ごめんなさい、タバサ。こんなこと考えちゃうなんて。あたし、あなたの親友失格だわ」
タバサが抱いた誤解をどう扱うか、キュルケはとっくに決めていた。
まともに考えれば、誤解を正すべきである。己の親友があんなトンチキな妄想に囚われているのを、放っておくワケにはいかない。
いかないのだが……、
「……だめだわ。面白すぎる」
呟いて、自分でぶふーっと吹きだした。
真実を伝えるという選択肢は、キュルケの頭から完全に消えていた。
まあ、タバサは賢い子だ。
いまはちょっとおかしな方を向いているが、そのうち自分の誤解に気づけるだろう。誰かに指摘されるより、自力で気づいたほうが恥ずかしくないだろうし……。
だからそれまでの間、こっそり楽しむくらいは、許されるはず。
キュルケは瞬く間に自分を正当化する論理を組み立てて、誤解を放っておくことへの罪悪感を意識の隅に追いやった(彼女は、自分のこういう性格を
「とはいえ、……よね」
誤解は死ぬほど笑えたが、このままではキュルケの本来の愉しみ、友人たちの恋路に進展がなさそうなのも事実である。
タバサがクルトの
「こりゃあ、この『微熱』が、一肌脱ぐ必要がありそうね」
人気のない広場の穴のなか、泥まみれになった赤毛の少女は拳を握り、ひとり、ふんすと気合いを入れた。
【タバサ/シャルロット】
○原作との主な違い
いろいろあってクルトを『ルイズの騎士』であり『ルイズに惚れてる』と誤解している。
なお、彼がタバサの前で挙動不審になることにも気づいているが、『クルトは女の子が極端に苦手だから』と信じることで心の安寧を確保した。
原作の同時点と比べるとクルトとルイズという友人が増え、彼女なりに学院生活を楽しんでいる模様。
ルイズとは、原作のように危機を助けられた恩義や才人への恋心を通した関係ではなく、単なる同級生としての友人関係を築いている(ルイズからすると、タバサは何度も命の危機を救ってくれて、
キュルケとの絡みも、原作より少しだけ濃くなっている。
これはクルトに『タバサの身になにか悪いことが起きる』と予言されたキュルケが、タバサをいっそう優しく気遣うようになったからである。
また、タバサ自身は知らないことだが、原作とのわずかな違いによってジョゼフから目をつけられてしまった。
現在、悲劇の演出に向けた準備が水面下で進行している。
○性格
グリフィンドール気質のレイブンクロー。
優れた勇気と正義感を持ち、誇り高いタバサは間違いなくグリフィンドール的である。が、その個人主義と理知的な精神、知識への欲求から、帽子をかぶったらレイブンクローに組み分けされる。
逆にもっとも適性がないのはスリザリンで、タバサは『どんな手段を使っても、目的遂げる狡猾さ』を持ち合わせていない。
彼女の計略はあくまでも『機知』であり、他人を利用し、貶めることを許容する『狡猾さ』ではない。
『タバサの冒険』ではたびたびシルフィードを囮にするが、これは機知でも狡猾さでもなく、甘えである。
どれだけ酷使してもシルフィードなら許してくれる、自分の使い魔なら、どんな窮地でも切り抜けられる……という甘え/信頼のあらわれであり、『試し行動』とも解釈できる。
これで許してくれないなら、ついてこられないなら自分の復讐に付き合わせるわけにはいかないから、と、タバサは無意識のうちに使い魔を試していた……かもしれない。
※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。