「それで、クルトには悪いんだけど」
夏期休暇が始まる、ちょうど一週間前。
悪友のクルトが授業に復帰して二日が経った
入浴の後、キュルケはタバサの部屋を訪れ、粛々と切り出した。
すでに寝衣のシュミーズに着替えていたタバサは、ベッドの奥に座って分厚い本を開いている。
「はっきり言って、彼、脈ナシだと思うのよね」
タバサはページをめくろうとした手を止め、ちらりとキュルケに視線をやった。
……よし、反応は悪くない。
話を聞く気はあるみたいだ。
あとはどうやってこの子をその気にさせるか、だけど……、とキュルケは内心で頷き、親友を言いくるめるべく、説得の材料を整理する。
この過酷な運命を背負った小柄な少女、キュルケの親友タバサは、どういうわけか『クルトはルイズが好き』と思い込んでいる。
彼はタバサに、呆れるほど惚れてるのに。
タバサは自分に向けられる好意にはまるで気づかない様子で、なぜだか『クルトの恋を応援したい』と意気込んでいるのだった。
キュルケはこの誤解にお腹が痛くなるほど笑い転げたし、これからも大いに笑わせてもらう予定である。
とはいえ一応クルトは友人だし、背中を押してやった義理もある。できれば、その情熱が報われて欲しい。
それに彼女は、タバサに恋人ができたらどんなに素敵だろうと常々思っていた。その相手として、クルトは悪くない選択肢だと信じていた。
「ルイズ、どう見てもサイトに夢中じゃないの。クルトに勝ち目はないわよ」
キュルケはベッドに腰を降ろし、すらりとした脚を組む。
タバサの誤解を解くつもりは、キュルケにはない。
なぜって、面白すぎるから。
そもそもの話、そんな誤解されるような態度を取ってるクルトも悪い。恋する相手がいるなら、自分の情熱を余さず伝えるべく努力するのが男の義務だ。誤解については、すべて彼の自己責任なのだ(キュルケは、自分がこの手の自己正当化における素晴らしい才能の持ち主だと自覚していた)。
それゆえ彼女の目的は、『クルトの恋はどうせ実らないのだから、応援しても仕方ない。失恋を待つくらいなら、いっそ奪ってしまえ』というツェルプストー的思考を、この小さな親友に教えること。
これなら誤解を維持したまま、友人たちの恋路を愉しむことができる。むしろ、このすれ違いこそが情熱を燃え上がらせるアクセントになるはずだ。
タバサがクルトをどう思っているか定かではないが、先日クルトの部屋で出会った情熱的な光景、親友のキュルケをして初めて見た蕩けた表情を考えるに、ほとんど答えは出たようなものだ。
ちょっと背中を押してやれば、『応援する』なんて迂遠で控えめな態度、取っていられなくなるはず……、
「勝機はある」
しかしタバサは、平然と言い返す。
「サイトはときどき意地悪。クルトのほうが、ずっとルイズに親切してる」
キュルケはくすりと笑みを零した。
友人の主張が、あまりにも素朴で可愛らしかったものだから。
タバサは本に視線を落として、むっとした表情。外見上はほとんど変化がなかったが、キュルケにはわかる。わずかに空気が変わっている。
キュルケはますます可愛く思いながら、諭すように言った。
「やっぱりあなた、まだまだお子さまね。情熱がわからないのね。本はたくさん読むけど、恋の話は読んでこなかったのかしら?」
「読んでる。だから、わかる」
「わかってないじゃないの。恋の話って言っても、どうせ勇者がお姫さまを助けるお話とか、貴婦人に仕える騎士道物語とかでしょ? あんなのみんな、御伽話よ。男のひとの妄想よ。なんの参考にもならないわ」
図星だったのか、タバサは答えない。
むすっとしたまま、開いた本を見つめるばかり。
「女ってのはね、男が親切だから……とか、優しくされたから……なんて理由で惚れたりしないのよ」
「そんなことない」
呟くような反論。
キュルケはにやりとして問いかける。
「あら、心当たりでもあるの?」
「……本で読んだ」
「面白そうな本ね。後学のために、タイトルを教えてもらえるかしら」
「忘れた」
キュルケは試すようにタバサを見つめた。
タバサは答えず、じっと本を眺めている。
「忘れた」
タバサは繰り返す。
「たくさん読んでるから」
「ふうん。そういうことにしといてあげるわ」
タバサは杖を取った。
このところ殴られてばかりのキュルケは反射的に身構えたが、タバサが唱えたのは『サイレント』のルーン。
「クルトにも可能性はある。この間、あなたに彼の秘密を話したあと」
タバサの口調はいやに真剣だ。
もしかして、また『クルトはルイズを守る秘密騎士』とかいう妄想が膨らんじゃったのかしら……と、キュルケは不安半分、期待半分で、タバサに頷いてみせる。
「ルイズが枕を持って行った」
「……はい?」
キュルケは首を傾げた。
タバサは口数の少ない少女だ。たんに無口というだけでなく、たまに口を開いたとしても、まるで言葉を節約するかのような話し方をする。
それでも大抵、キュルケは友人の意図を察することができるのだが、タバサはときどき言葉を削りすぎるのだ。
そしてキュルケが友人の言わんとすることを掴み損ねた場合、タバサの対応は、おおむね三通りに別れる。
ひとつはそのまま会話を打ち切ってしまうパターン。タバサは
ふたつめの対応でも、タバサは口を開かない。ただし、会話を続けるつもりはある。
……いや、会話自体は途切れてしまうのだが、キュルケと居続けてくれる、というべきか。
このパターンでは、どこかに消えてしまうことはない。読書を再開するにしても、心の一部は本の外に残している。
こんなとき、ふたりの間に流れるのは『あなたと一緒にいたい』『あなたが隣にいてくれてうれしい』という無言のメッセージを伴った穏やかな沈黙。
おしゃべり好きなキュルケが学院でもいっとう寡黙なタバサとくっついているのは、この沈黙が生み出す無二の心地よさに気づいてしまったからだ。
みっつめ。これはなかなか珍しいパターンなのだが、タバサが自分の説明不足を認め、言葉を継ぎ足してくれることがある。
そして幸いにも、今回はその『みっつめ』だった。
タバサはメガネの奥の瞳をきらりと光らせ、大真面目に言った。
「ルイズが枕を持って、クルトの部屋に行ってた」
「は?」
キュルケはふたたび、首を傾げた。
しかし今度はタバサの言葉がわからなかったからではなく、むしろわかったからこそ、うまく飲み込めなかったのである。
「ちょ、ちょっとまって……」
キュルケは片手で額を押さえた。理解を拒むような現実を前に、心臓が冷たく高鳴っている。
「ええと、まず、確認させてちょうだい……なんであなたが、そんなこと知ってるのよ。あの話のあとでしょ。あれからまた彼の部屋に行ったの?」
「あの日は行ってない。でも、枕を持ったルイズが本塔に入るのを見た」
「なんで見てるのよ……」
「広場で本を読んでた」
「え? 広場って、本塔の前よね? あなた、ずっとあそこにいたの? 夕食の時間まで?」
タバサは頷いた。
それから、付け足すように呟いた。
「良い天気で、良い本だったから」
それはそれで非常につっこみたい……キュルケが穴に飛び込んで笑い転げている間、タバサはずっと本塔への出入りを監視していたということか。いくらクルトの不調に責任を感じているからって、さすがに気にしすぎじゃないか……が、いまはルイズの件である。
「それは、でも……、ちょっと考えすぎじゃない? 枕を届けてあげただけじゃなくって?」
タバサは首を振った。
少しだけ、ためらうような間を置いて、
「ルイズ、笑ってた」
「う、うそよ、そんな……」
「事実。鼻唄歌って、小躍りしながら歩いてた」
めまいがした。
『微熱』のキュルケをして、この展開はちょっと予想外だった。
ルイズはサイトに惚れてるとばかり思っていたが、自分の見込み違いだったのか……いや、そんなはずはない。
もう一ヶ月以上も前、フリッグの舞踏会のときから、ルイズの態度は怪しかった。自分の使い魔と踊っている彼女は、愛らしく頬を染めていた。
アルビオンへの任務を終えて以降、ルイズはときどき、ぽーっとした顔でサイトの横顔を見つめていた。恋する女の顔をしていた。
アンリエッタ誘拐事件の翌朝なんか、ルイズがなんだかんだと言い訳を並べてサイトと一緒に大鍋の風呂に入るところを、キュルケはしっかり覗き見している。
あのときのルイズはもう、完全に、恋に
にもかかわらず、ルイズ、枕を持ってクルトの部屋に?
しかも機嫌が良さそうに、にこにこ笑って――ルイズがたんに枕を届けてあげただけだ、という可能性は、これで完全に消えた。あのプライドの塊のようなルイズが、寝具を届ける、なんて平民がやるような雑用を機嫌良くこなせるはずがない。しかもその相手は、入学以来、小間使いのように扱ってきたコールス家のクルトなのだから――つまり、これは……。
「……情熱、ね」
キュルケは絞り出すように呟き、タバサはこくこく頷いた。
タバサ、実に楽しそうである。
その気持ちは、キュルケにもわかる。
友達の恋愛って、最高に愉快なのだ。
しかしいまのキュルケにとって、この現実は楽しめそうもなかった。
衝撃が、あまりにも大きすぎたのである。
そりゃキュルケだって二股や三股は当たり前、調子が良ければ一度に十人以上の恋人を持っていたこともあるけれど……、あのルイズが。
いかにも貞淑でございますという態度と性格と体つきの、あの堅物ルイズが。
自分の使い魔と小間使い、その両方に、二股をかけていたなんて。
「参っちゃったわ……ルイズ・フランソワーズ。あんたもなかなかの情熱の持ち主だったのね」
でも、負けてられないわよ、とキュルケは思う。
あたしのタバサのほうが、あんたよりずっと可愛いんだから。
キュルケは決意を秘めた瞳でタバサを見るが、彼女は優雅に本のページをめくっている。平静そのものだ。
『クルトの恋を応援する』と宣言しているタバサからしたら、そりゃ何も焦るような状況じゃないだろう。
キュルケにしたって『クルトの恋を応援する』つもりではあるが、彼とルイズの関係を後押しする気は欠片もない。キュルケは、クルトのタバサに対する情熱が燃え上がるところを見たいのだ。
……と、ここまで考えて、キュルケはようやく気がついた。
クルトはタバサが好きなのである。
そして、ルイズに対する恋愛感情は、徹底的に否定されている。彼自身、何度も否定しているし、惚れ薬の効果によっても証明された。
つまり、仮にルイズが二股をしかけようとしても、クルトが受け入れる可能性はないのだ。
だが……。
キュルケが思い悩んでいることに気づいたのか、タバサはちらりと本から視線をあげた。
こっちの話よ、とキュルケは首を振る。
キュルケはクルトを誘惑するのが好きだった。自分の魅力に困惑している彼を見るのが楽しかった。
その趣味は彼と初めて出会った幼い日に目覚めたものだが、学院で再会してから彼と友人になるまでの数ヶ月の間にも……そして友人になってからも、ときどき……彼をさんざんからかった。
そうして、彼に対する情熱が落ち着いてきた今、振り返ると、彼は幼い頃のほうが反応がよかった気がする。
成長して女らしい魅力をたっぷり備えた魔法学院一年生のキュルケよりも、当時まだ六歳だったキュルケがくっついたときのほうが、クルトの動揺は大きかったのである。
「やっぱり、彼、小さければなんでもよかったのかしら……」
キュルケは頭を抱えた。
クルト、いままではルイズに恋愛感情を抱くことはなかったようだけど、ルイズのほうから仕掛けた場合、話が違ってくるんじゃないか。
なにせルイズはかわいい。
ヴァリエールは宿敵だが、その容姿が飛び抜けていることだけは認めねばならない。
そして、ルイズは小さい。
タバサほどではないが、背が低く、ほっそりとして、胸も平らだ。
女性的な魅力に溢れているとは言い難いが、タバサを好きになるような男だったら、当然、ルイズだって好みの範疇だろう。
これは……危険だ。
のんきに構えてる場合じゃないかもしれない。
「ねえ、タバサ。もしもの話なんだけど」
キュルケは深刻な声音で問いかける。
その本気を感じたのか、タバサは本を閉じてキュルケを見つめた。
「その、ルイズが枕を持っていった日に……、クルトと寝てたら、どうする?」
「どうもしない」
タバサは平然と答えた。
おそらく、嘘や強がりではない。タバサは本気でそれを受け入れているのだと、キュルケは直観する。
けれどもそれは、この親友がルイズとクルトの関係を受け入れることを意味しない。男と女が『寝る』ということのほんとうの意味を、賢いけれど初心なタバサは実感できていないのだ。
「じゃあ、キスしてたら? 舌、入れてたら?」
「べつに」
タバサは動じない。
キスも先走りすぎたかもしれない。
この小さな親友の場合は、もっと、純粋な……それこそ子どもみたいな……、
「手つないでたら?」
青い瞳が、わずかに揺れた。
これだ、とキュルケは確信を抱く。
「彼がベッドで寝てる間、お見舞いに来たルイズが、ずっと手ぇ握ってあげてたら、どうする?」
「……。……しつこい」
「ごめんなさい。でも、お願い。どうするのか教えてちょうだいよ」
タバサは無言で本を開いた。
もう付き合ってられない、という明確な意思表示。
これ以上
だが、その態度こそ、欲していた答えだった。
キュルケは素直に口をつぐんだ。
そうして己の考えに深く沈み……、言うべき言葉を真剣にまとめあげ、タバサの苛立ちも治まってきただろうと思える頃、静々と尋ねる。
「ねえタバサ、来週には夏期休暇が始まるわよね。あなた、ほんとに学院に残るの? あたしと一緒にゲルマニアで過ごしましょうよ」
タバサは答えなかった。
その質問には、もう一週間以上も前に答えているからだ。
そしてキュルケにしたって、タバサの答えが変わることは期待していなかった。
「ルイズは実家に帰るらしいわ。クルトも、領地でやることがたくさんあるんですって。畑の面倒見たり、いろいろ直したり、オーク鬼を退治したり、お兄さんが遊んでないか監視したりしないといけないそうよ」
タバサは本から視線を上げた。
だからどうしたの、という顔である。
「あたしが言いたいのはね、タバサ。夏休みの間は、クルトもルイズと一緒にいられない。つまり『護衛の任務』ってやつから解放されると思うのよ」
タバサは少し考え……、冷ややかに頷いた。
あなたの言うことは正しい。でも、それがなにか? という顔。
「それでね、あたし思ったんだけど。やっぱり彼にも息抜きが必要よ。
「護衛」
「……ルイズの護衛なんて、疲れちゃうに決まってるわ。こないだはそれであんな大怪我したわけだし」
青い瞳が、キュルケをじーっと見つめる。
己の親友が何を言わんとしているのか、タバサは掴みかねているようだった。
「せっかくの休暇なんだから、あなた、遊びに誘ってあげなさいな。きっとよろこぶわよ」
タバサの眉間にしわが寄った。
「彼が暇になるわけじゃない。領地の仕事がある」
キュルケはにやりとした。
それこそ、彼女の狙いどおりの返答。
この理屈っぽい親友を動かす方法を、キュルケは熟知しているのだった。
「だからこそ、彼も休んだほうがいいって思わない? そんで、彼を休ませてあげられるのは、ヴァリエールじゃない。あなたよ。あなたの力が、彼には必要なの」
【キュルケ】
○原作との主な違い
キュルケにとってクルトは幼い日のオモチャであり、初恋の相手でもある。
学院で再会し、しばらく追いかけ回したあとに友人となった。
原作と変わらず奔放な性格を発揮し、恋人を量産していたが、クルトの存在もあって原作よりその数は控えめ。
さらにクルトから近いうちに『運命の相手』と出会うことを予言されて以降、手頃な情熱ではいまいち盛り上がれなくなってしまった。
いまは自身の情熱より、友人たちの恋路を楽しむのに心血を注いでいる。
クルトからタバサの身に起きる悲劇を予言され、未来を恐れていた時期もあったが、持ち前の陽気さと楽天主義ですぐに持ち直した。
その一方で、タバサに対しては原作以上に深く思い遣るようになっている。
○性格
どう見てもスリザリン。
(血筋や財力、魔法、人間的な魅力を含めた)己の力を振りかざすことに躊躇がなく、見る者によってはひどく悪辣な印象を受ける。
一方、
※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。