やっぱり更新するといろいろ反応いただけてうれしい。
うれしいので次の章もちまちま書き溜め始めております。
「なあデルフ、そろそろ話してくれたっていいんじゃねえか」
魔法学院の夏休みが始まって間もない夕方。
ふだんならデルフリンガーや訓練用の鉄棒を振り回して疲れた体を涼め、今日の夕飯はなんだろな……、なんてぼんやり考えてるような時間。
日当たりは悪いけど居心地の良かったヴェストリの広場とはまるで様子の違う、狭くて湿っぽくて埃まみれの『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋で、古びたベッドに腰掛けた才人は、壁に立てかけた伝説の剣をにらみつける。
「そうさね。いまんとこは当たってるね、石の兄ちゃんの予言ってやつぁ」
デルフリンガーは殺気だった視線をものともせず、いつも通りの呑気な声で語った。
才人の隣で剣をにらんでいたルイズが、唸るように言う。
「じゃ、なによ。あんた、わたしがこんなとこで働く羽目になるって知ってて、それでも黙ってたってワケ?」
「うん。『魅惑の妖精』って名前も、兄ちゃんの言ってた通りだ。そんで嬢ちゃんが賭けに熱くなって、相棒の小遣い奪って文無しになるまで大負けするってのも言われた通りだったね。いやあ、見事な負けっぷりだった。おりゃあ六千年生きてきたけど、あんな負け方を見たのは初めてかもわからんね」
デルフリンガーはぷるぷる震えた。
笑いを堪えているのである。
「こ、こ、こ、この、駄剣! なんで黙ってたのよ!」
ルイズが怒鳴った。
『平民に混じって市井の声を集めなさい』というアンリエッタからの密命を受けている最中なのだが、そんなこと忘れていまにも杖を抜きそうな雰囲気。
ルイズは熱くなりやすく、そして熱くなると周囲の状況を忘れて大いに暴れる悪癖がある。
本来は才人が冷静になって止めるべきなのだが、このときばかりは、彼も短気な主人に加勢した。
「そうだよ! 俺が姫さまからもらったお金! こいつがぜんぶスっちまったじゃねえかよ!」
「んなこと言ったってよぉ、相棒も納得してたじゃねえか。俺ぁ石の兄ちゃんから予言ってやつを預かっとくけど、コトが起きるまではなんにも言わねえって……」
そのとき、階下から中年男の裏声が響き、デルフリンガーの言葉を遮った。
「ちょっとぉ! サイトくん、ルイズちゃん! なにしてるのよ!? 荷物置いたら厨房に来てって言ったじゃないの!」
「すんませんスカロンさん! いま下ります!」
才人は叫び返すと、ベッドから腰を上げた。
「……仕事が終わったら、詳しく聞かせてもらうからな。ルイズもそれ着たら来いよ」
ルイズはぷいっと顔を
スカロン……いましがた才人たちを呼びつけた『魅惑の妖精』亭の主に渡された仕事着が、お気に召さないらしいのだ。
プライドばかり高い貴族令嬢のルイズからしたら、それも当然かもしれないが……。
「いいから、あんたはさっさと行きなさいよ。じゃないと着替えらんないでしょ」
ルイズはじぃっと壁を見つめ、なんとも苦々しい声で呟く。
才人はルイズがきちんと働けるのか不安になったけれど、またしても中年男の裏声に急かされたので、仕方なしに厨房に繋がる階段を駆け下りる。
なんだか、いまだに、悪い夢に閉じ込められてる心地がした。
夏休みが始まる一週間ほど前。
病床のクルトから『実は前世の記憶があるんだ』『才人と同じ、日本で暮らしてたんだよ』なんて打ち明けられたときは、こいつ惚れ薬の後遺症と高熱で頭が沸いてしまったのか……と悲しくなったものだが、彼が語る日本の思い出話は説得力に満ちていた。
トリスタニアよりずっと人口の多い東京の雑踏や、高層ビルが立ち並ぶ街並みについて。あるいはトリステインに訪れようとしている夏と比べて蒸し暑い、日本の夏の過ごし方……クーラーをガンガンに効かせた部屋でアイス食べながらゲームして、たまに友達とプールに行ったりして、帰り道に自販機でスポドリ買って……なんて聞かされたときには、才人は泣きそうになった。
そうして実際、クルトはこれまで、才人にスポーツドリンクや照り焼きバーガーを振る舞ってきた。コルベールから聞いた話だが、ガソリンについても妙に詳しかったらしい。そういえば、彼は使い捨てカイロのことも知っているようだった。
ここまで証拠を揃えられては、彼の『前世の記憶』を疑う気にはなれなかった。
ルイズは『前世なんて異端の発想よ』と怒っていたけれど、才人自身、魔法なんか存在しない地球から突然ハルケギニアに召喚されたのだ。
だったら生まれ変わりくらいあるんじゃねえの、と思ってしまう。
しかし、クルトが語ったもうひとつの秘密……『未来の知識』については、才人は大いに疑っていた。
それはクルトを信じられなかったからではなく、彼の予言した未来が、才人にとって受け入れがたいものだったから。
『夏休み期間中、ルイズは女王陛下から密命を受け、トリスタニアの民衆に混じって城下の情報を集めることになる』とクルトは語った。
当然、才人もその密命に付き合うことになる、と付け足して。
しかし才人は、彼の部屋を訪ねる直前、シエスタから誘いを受けていたのである。
夏のお休みが始まったら、タルブの村でしばらく一緒に過ごしませんか……、と。
率直に言って、才人はシエスタと過ごしたかった。
ルイズのことは好きだし可愛いと思うけれど、シエスタのほうがおっぱいが大きい……だけでなく、優しいし、才人を立ててくれるし、細かなことでぐちぐち言わないし、蹴ったり殴ったりしない。
なんとかして、ご主人さまからタルブで過ごすお許しを引き出さねば……と考えていた矢先のできごとであった。
敬愛するアンリエッタからの密命を予言されて、ルイズは大喜びだった。
彼女は部屋に帰るなり、帰省に向けてまとめていた荷物をほどき……ついでに
いくら才人が『占いなんか怪しいもんだぞ』と諭しても、聞き入れようとしないのだった。
ルイズがあんまりクルトを信じ込んでいるものだから、才人は
使い魔がご主人さまを離れようとするとはなにごとか、貴様そんなにメイドがいいのか、あの慎みに欠けた胸が好みか、とルイズは才人を蹴り回したが、最終的にはこれを受け入れた。クルトの予言を信じていたからである。
才人はそんなルイズを見て、地球でもハルケギニアでも、人間ってのは自分の信じたいものを信じてしまうものなんだなぁ、とせつなくなった。
そうして、結局、信じたいものを信じて現実から目を背けていたのは自分のほうだったのだと、才人は夏休みの初日に思い知る。
アウストリの広場でそわそわしているルイズのもとにアンリエッタからの手紙が届いたとき、才人は正直、悪夢でも見ている気分だった。
「さあ、素敵な妖精さんたち! 今日は新しいお仲間を紹介するわよ!!」
城下街、トリスタニアの夜。
チクトンネ街の酒場『魅惑の妖精』亭のフロアで、胸元の開いたフリル付きのシャツに身を包んだ屈強な男……スカロン店長が裏声で叫んだ。
「はい! ミ・マドモワゼル!」
呼びかけられた『妖精さん』たち……『魅惑の妖精』亭の給仕を務める、露骨に肌色の多い派手な衣装を着込んだ女の子たちが、一斉に唱和する(なお、マドモワゼルとは、『お嬢さん』という意味である。このことをルイズにこっそり教えてもらった才人は、この国では『お嬢さん』と『おっさん』を区別しないのかとルイズに尋ね、足を踏まれた)。
「まずはサイトくん! こっちにいらっしゃい!」
女の子たちの前に立ったスカロンが、腰をカクカク振りながら手招きする。
才人は吐き気を堪えて歩み出た。
こんな変態男のもとで働くなんてまっぴらごめんだが、文無し宿無しの身分なのだから仕方ない。
クルトの予言した通りにアンリエッタからの手紙を受け取ったルイズは、トリスタニアに着くなり『資金を増やすわよ』と裏通りの賭場に吸い込まれ、任務のために支給された金も才人の小遣いも失ってしまったのである。
「サイトくんには、厨房で働いてもらいます。まずはお皿洗いからね。厨房当番の子は、しっかり仕込んであげるのよ!」
やけくそ気味になった才人が、よろしくお願いします! と叫んで頭を下げると、女の子たちから声援と拍手が返ってきた。
単純な才人はそれだけで元気が出てきたけれど、次いでスカロンがルイズを呼ぶので、途端に不安でいっぱいになった。
ルイズはぎくしゃくした動きで才人の隣にやってきて、唇を噛んで下俯いた。
才人の可愛いご主人さまが纏っているのは、『妖精さん』たちと同じきわどいキャミソール……ではなく、地味な灰色のワンピースと店の刺繍が入ったエプロン。
長いスカートの裾は足首まで届いており、頭には三角巾をつけている。
それでもなお生まれ持った顔立ちの高貴さ、ピンクブロンドの長髪の輝きは隠し切れていないのだが、『身分を隠して市井の声を集めよ』という任務にはぴったりの衣装であった。
「ルイズちゃんは、サイトくんの妹さんでね。占い師のお父さんが博打で借金をこしらえて、サーカスに売り飛ばされそうになってたの。そこを間一髪、お兄ちゃんと一緒に逃げてきたのよ。とっても苦労してるご兄妹なのね」
女の子たちから、同情のため息が漏れる。
それは才人がスカロンに連れられて『魅惑の妖精』に辿り着くまでの道中、でっちあげた嘘である。
ルイズと才人ではどう考えても兄妹に見えないはずだが、スカロンも女の子たちも気にしなかった。
きっちり働いてくれるなら、身元なんてどうでもいい、ということだろう。
「妹ちゃんの担当はお掃除ね。とっても可愛いから、ほんとは給仕になってほしかったんだけど……この子、とっても恥ずかしがり屋さんみたいなの。お掃除が得意らしいから、まずは裏方で働きながら、妖精さんの仕事を覚えてもらいます。……さ、ルイズちゃん。みんなにご挨拶して」
「ル、ル、ルイズ、です。よ、よよよよ、よろっ、よろしくお願いなのです」
ルイズは俯いたまま、なんとか声を絞り出した。
才人の目には『どうして公爵家令嬢のわたしがこんな平民の仕事を』と屈辱を堪えてるようにしか見えないのだが、初対面の女の子たちからすると、その仕草が内気な少女らしく感じたらしい。
優しい、慈しむような拍手がフロアに満ち、ルイズの肩がぴくぴくと震えた。
「トレビアン」
スカロンは満足げに頷き――その言葉に、ルイズは一瞬、おそろしい殺気を発した。才人にも、その気持ちは理解できる。『トレビアン』。このたったひとことのために、ふたりはこの『魅惑の妖精』亭まで引っ張られてきたのだ――壁にかけられた時計に目をやった。
「さあ! もうじき開店の時間ね! 紳士のみなさまがお待ちかねだわ! 楽しい時間を過ごしてもらって、どさどさチップをもらうべし! 妖精たちのお約束よ!!」
スカロンがぱちんと指を鳴らすと、魔法仕掛けの人形たちが踊り出す。フロアに派手な音楽が鳴り響き、羽扉がばたんと開いた。
我先にとなだれこんてきた男たちを、女の子たちが黄色い悲鳴をあげて取り囲む。
しばしの間、ルイズと才人はその光景を呆然と眺めていたが、にっこり笑ったスカロンに促され、各々の持ち場に入ってゆく。
才人の仕事が終わったのは、空も明るくなってきた頃。
店自体はもう一時間ほど前に閉まっていたのだが、流し場に積み上げられた皿が洗っても洗ってもなくならなかったのだ。
結局、スカロンの娘だというジェシカがすさまじい早業で皿洗いを終わらせて、才人はようやく厨房を抜け出せたのだった。
慣れない仕事で、しかもいきなりの徹夜で、才人はもうグダグダだった。
這いずるように階段を上り、才人たちにあてがわれた屋根裏部屋に戻ると、ルイズは先に眠っていた。
よほど疲れたのだろう、エプロンと三角巾を床に放り出し、灰色のワンピース姿のままベッドで寝息を立てている。
寝るときはネグリジェ一枚じゃないとダメ、パンツも窮屈だから穿かないもん、と使い魔の寝付きを悪くする主張を譲らないルイズを知っているだけに、才人は妙にしんみりした。
そうだよな、こいつ、仮にも大貴族のお嬢さまなんだから、まともに働いたことなんかなかったに違いない。俺よりよっぽどキツかったはずだ。でもめげずにがんばったんだな。大事な任務のために……なんて、自分の金貨まで博打に費やされたことを忘れて、才人はその寝顔に魅入られてしまう。
そのままルイズの隣に横たわろうとしたが、横合いから金属の擦れた声が聞こえてきた。
「よお、相棒。俺の話は聞かなくていいのかい?」
静かにしろよ、ルイズが起きちまう、と才人は身振りで剣に伝える。
「その嬢ちゃんから頼まれてんだよ。相棒が戻ったら起こしてくれってな。……ったく、どいつもこいつも、俺を伝言板と勘違いしてんのかね」
「……るさい、駄剣」
毛布にくるまったままのルイズが、むにゃむにゃと呟いた。
「そんで、サイトは遅いのよ。あんたいつまで……」
ルイズはベッドの上で体を起こし、ごしごしと目をこすった。ふわ、と大きなあくびをひとつ。それから冷めた声で言う。
「……もういいわ。さっさと話を済ませて寝ましょう。この駄剣が預かったっていう、予言の話をね」
クルトが『未来の知識』があるなんて眠たいことを言い出したとき、当然のこと、ルイズも才人も『じゃあどんな未来を知ってるのか、言ってみろ』と彼を問いただした。
そしてクルトはルイズがアンリエッタから密命を受けることを語り、それ以上、ほとんど何も答えなかった。
その代わり、デルフリンガーだけに未来の詳細を話し、あとで
曰く、『いまのルイズたちには、詳しいことは教えられない。そのせいで未来が変わるかもしれないから』と。
「そもそも、その言い訳が納得いかないのよ。こんなことになるって知ってたんなら、教えてくれたらよかったじゃないの。未来なんか変えりゃいいじゃないのよ。クルトのバカ」
ルイズは憤懣やるかたないといった調子で呟いた。
このご主人さま、アンリエッタからの密命と聞いて大喜びしていたが、どうせ、もっとカッコいい仕事ができると期待していたのだろう。
身分を隠して悪代官の無法を暴き、虚無魔法で悪党どもをばったばったとやっつける、とか。
ところが実際は夜の酒場で掃除女になっているのだから、苛立ちもするはずである。
「そしたらわたし、あんなキモいおっさんについてこなかった。いいえ、それ以前に、賭け事なんかしなかったわ。姫さまからいただいたお金を増やそうだなんて……ああ、もうっ」
突然、ルイズは甲高く叫び、ベッドをばんばん叩き始めた。
やり場のない怒りをどうにか発散しようとしているのである。
とはいえ、こんなボロいベッドの上で暴れたら、埃が立って仕方ない。
才人はルイズを止めるべく、その手をぎゅっと握った。ルイズは才人をにらみつけた。今度はこっちに拳が来るかと身構えたが、ルイズはくてりと脱力し、才人に身を預けてきた。そうして才人の肩に顔をくっつけたまま、ぶつぶつと言う。
「そうよ、あいつ、ぜんぶわかってたのよ! わかってて、このわたしに、こんな思いさせてるのよ! ぜんぶぜんぶ、あいつのせいだわ! 意味わかんない! 任務をまっとうするには資金が必要だとか、『トレビアン』とか……!!」
そう、ルイズが賭場で全財産をなくしたのは、ひとつにはクルトの助言が原因だった。
姫さまからの密命を完璧にこなすにはどうしたらいいのか、と尋ねたルイズに対して、クルトは『なんにせよ、資金はあったほうがいいよな。チクトンネの賭場にでも行ったら楽に増やせるんじゃないか』と言ったのだ。
クルトがこんなことを言っていたから、ルイズが任務の資金を使い果たし、今度は才人の小遣いにまで手を出そうとしたとき、才人も抵抗しなかった。
どう考えてもルイズは賭け事に向いてないし、負ける予感しかなかったけれど、アンリエッタから密命が来ることをぴたりと言い当てたクルトが、賭場を勧めていたのである。
もしかしたら……、と思ってしまった。
魔法が存在する世界なのだから、未来予知くらいあるかもしれない、と。
それが間違いだった。
案の定、ルイズは大負けし、ふたりは一文無しで賭場を出た。
そうして、街の広場で途方に暮れていたところを、スカロンに拾われたのだった。
スカロンの風貌はいかにも怪しく、男友達に熱愛を受けたのがトラウマになってる才人からすると全力で拒否したい相手だったのだが、他に行くあてがなかった。
そして何より、スカロンは『トレビアン』と呟いた。
それはクルトがルイズに与えた、もうひとつの助言……『トレビアン』な人は信頼できる……と見事に一致していた。
こんなナリだが、実は裏社会の重鎮だったり、とんでもない情報通だったりするのか? とルイズと才人は顔を見合わせ、スカロンについていくことを決めたのだった。
「あ、あ、あいつ、い、いまごろ、笑ってるわ。わたしが、こんな、平民の、薄汚い仕事なんかして、こ、こ、こんな……っ」
肩に湿っぽいものを感じて、才人はぎょっとした。
ルイズは泣いているのだった。
そりゃルイズは泣き虫だから、彼女が泣いてるところを見るのは初めてではない。
だけど才人は、この可愛らしいご主人さまの涙というものに、いつまで経っても慣れないのだった。
才人はぎこちなく手を伸ばし、ルイズの頭を撫でてみた。
ルイズはますます強く才人の肩に顔を押しつけ、うぐうっく、ふぐず、ぅぐぐっ、と啜り泣いた。
「なによ、もう……っ、なんなの、ほんと、い、いみ、わかんないっ……、なんでよ、ど、どうして、あいつが……あのばか、す、す、す、……って、言った、のに……ぎ、ぎむ、なのに……もう、やだ……どうして……」
泣きながらぐすぐすと吐き出されるルイズの言葉はまるで要領を得なかったが、そのほとんどはクルトへの不満のようだった。
もしこれが『どうして貴族のわたしがこんな平民の仕事しなきゃならないの』という高慢な恨み言だったら、才人も適当に流していただろう。なんなら、『あのねルイズ、生きるってのはこういうことなの。お前ら貴族は毎日のんきに暮らしてるけど、ふつうはみんな、このくらい苦労してるの』と説教していたかもしれない。
けれどもルイズが泣いているのは、たんに掃除女に落ちぶれてしまったからではなく……もちろん、その屈辱も彼女のプライドを深く傷つけたようだが……クルトに裏切られたと感じたからだろう。
わたしがこんな、ひどいめにあうとわかってたのに、どうしてクルトはなんにもしてくれなかったのか。それどころか、どうしてこの悲惨な状況に誘導するようなマネをしたのか……と、ルイズは行き場のない怒りと悲しみに悶えているようだった。
そうして、ルイズが抱えたその痛みは、涙は、クルトへの信頼の裏返しだった。
そう思うと、才人の胸には奇妙な不快感がこみ上げてくるのだった。
心がざわざわするような、ムカつくような、それでいてルイズをいっそう愛おしく感じてしまうような……。
ようするに、やきもちだった。
好きな女の子の幼馴染みに。ルイズがこんなに泣いてしまうくらい信頼を寄せていた、自分以外の男の存在に。独占欲を刺激されたのだった。
そりゃふたりにその気がないのは才人もよく知っている。モンモランシーが作った特別製の惚れ薬も、そのことを証明している。だけど嫉妬という感情は、そういう理屈とはまったく無関係に生じるものなのだ。
才人は、泣きじゃくるルイズを自分の胸に強く抱き寄せ、少しばかり乱暴に髪を撫でる。ルイズはふにゃふにゃと文句を呟きながらも、才人に頬をすりよせる。
そんなもどかしくも甘ったるい時間が、どれだけ続いただろう……ルイズがようやく泣き止んできたころ、才人はなにか意地の悪いことを、ルイズの幼馴染みへの信頼を芯から損なうようなとびきり悪意の籠もった台詞を吐いてやろうと考えて……、やめた。
これ以上ルイズを傷つけたくなかったし、結局のところ、クルトは才人の友達でもあった。才人も彼を信頼していた。そうして才人は、ルイズほど『姫さまの密命』とやらに期待していなかった。
ルイズに密命の手紙が届いた時点で、ああ、どうせまた苦労することになるんだろうな、と諦めの境地に達していたのだ。
スカロンはキモいし皿洗いは大変だったけれど、当面の食い物と寝床は保証されている。それにきわどい格好をした可愛い女の子がたくさんいて、眼福で、まあ悪くないんじゃねえの、くらいに思っていたのだった。
だから才人が呟いたのは、もっと早くに追求するべきだった疑問。
「しかし……『未来の知識』なんて。クルトのやつ、本気で言ってんのか?」
ルイズがあんまり頭から信じ込み、一方の才人はまるで信じなかったせいで素通りしてしまった、根本的な謎である。
クルトは、『使い魔召喚の儀式以来、未来のことが少しだけわかるようになった』と話していた。
彼が虚無について妙に詳しいことや、『破壊の杖』盗難事件やアルビオン行きの任務にタイミング良く参加してきたこと、『竜の羽衣』の正体を知っていたことを理由に、一応、納得していたけれど……、
「さあね。少なくとも、いまんとこは石の兄ちゃんが言ってた通りになってるがね。
「あんですって?」
デルフリンガーの呟きに、才人の胸におさまったままのルイズが聞き返す。
「嬢ちゃん、掃除担当になったんだろ? 石の兄ちゃんの言うことにゃ、嬢ちゃんの仕事は給仕だったぜ」
「なによそれ、最悪……わたしがあの下品な子たちに混じって、平民に酌をすることになるっての?」
「俺ぁ知らねえよ。兄ちゃんがそう言ってたってだけだ」
「使えないわね、
ひでぇや、とデルフリンガーは鍔を震わせた。
傷ついたような台詞とは裏腹に、その声音はのんきなものである。
「使えないと言えば、クルトよ。ぜんぶ、あいつが元凶なのよ」
ルイズは才人のパーカーで鼻水を拭いて、吐き捨てるように言った。
「あいつ、このわたしがこんなところで働かされるって知ってて、なんにもしてくれなかったんだから。信じらんない。それに、今回の件だけじゃないわ。未来が見えるっていうなら、いままでだって、もっと上手くやれたはずよ」
ルイズの指摘は、もっともである。
クルトは『未来って言っても、断片的なことしかわからないんだ』と
もし未来を知っていたなら、たとえば『破壊の杖』盗難のときなんか、初めからフーケの正体がわかっていたはずである。わざわざ巨大ゴーレムと対決して、才人に『破壊の杖』を撃たせる必要はなかった。
アルビオンへの任務だってそうだ。ワルドの裏切りを知っていたなら、ルイズと才人に警告してくれてもよかった。最終的にはタバサを助けに送ってくれたけれど、もっと他に手の打ちようはなかったのか。あの勇敢な王子さまが殺されないようにはできなかったのか。
そうすれば、先日のアンリエッタの誘拐未遂だって起きなかった。
あのお姫さまにあんなに悲しい思いをさせずに、すんだはずである。
そしていっそうおかしいのは、どの事件でもクルト自身が危険を犯していたことだ。
フーケとの戦いではゴーレムに狙われてぼろぼろになっていたし、アルビオンの件ではワルドの『遍在』と一騎打ちを演じ、キュルケに窮地を救われたらしい。
アンリエッタの誘拐を防いだときなんか、ガーゴイルに胸を貫かれ、死にかけていたのだ。
未来を知っている者の行動としては、どうにもお粗末じゃないか。
ラドグリアン湖でタバサの指を折ったことに関しては、『あれはほんとうに予想外だった』と死にそうな顔で語っていたので、『未来がわかる』と嘯く彼をしても知り得なかったことなのだろうが……。
「あいつ、昔っから意味わかんないことばっかり……頭おかしいのよ。なに考えて生きてんのかしら」
「そりゃあやっぱり、未来を変えるためじゃねえの?」
才人はぼんやりと呟いた。
日本の漫画やアニメに出てきた予知能力者のやることと言ったら、だいたいそんな感じだった。
能力バトルものだったら敵の攻撃を予知して紙一重で回避したり、事件や事故を防いだり。
あるいはもっとスケールの大きな、破滅的な未来を避けるために同じ時間を何度もループしてるキャラクターもどこかで見た気がする。
「じゃ、なんで、いま、こうなってんのよ? 未来を変えるってんなら、もっとわたしの為になる未来に変えてくれたっていいじゃないの。それがあいつの義務でしょーが」
「んなこと言われても……。じゃあ、逆に
才人は小学生の頃に見た『ドラえもん』の長篇アニメを思い出す。
毎週放送される十五分程度の話ではなく、かといって映画の大長編でもない、一時間足らずで終わるちょっと感動的なエピソードである。
あの話はたしか、のび太が自分の両親のなれそめを確かめようとして、タイムマシンで過去に行くのだった。
年若い両親は甘酸っぱい恋愛をしていたのだが、のび太が余計な介入をしたせいで不仲になり、結果、ふたりの子どもであるのび太の存在が消えかかってしまう。
のび太とドラえもんは、のび太の存在を守るべく、つまり『両親が無事結婚し、のび太が生まれる』という未来を守るべく、ひみつ道具を駆使して奮闘し……、
「未来を変えないってなによ。意味わかんない。んなもん変えりゃいいじゃないのって、もう何回言わせるのよ。それとこの状況と、なんの関係があんのよ」
ルイズは不機嫌に吐き捨てた。
才人は自分の考えをまとめながら、つっかえつっかえに言う。
「例えば……、こう、もっと先の未来からすると、この状況が必要だった……とか?」
はぁ? とルイズは怪訝そうに才人を見上げる。
「だから、やっぱあのスカロンさんがすげえ人だったって後でわかったり、この店に超重要な人物がお客としてやってきたりするから、クルトは俺たちをここで働かせたかった……、ってこと」
才人の言葉を理解するのに、ルイズは幾分、時間がかかった。
『ドラえもん』も存在しない世界の住民にとって、未来予知能力の活用法やタイムパラドックスみたいな問題を考えるのは、きっと才人の想像以上に難しいことなんだろう。
「……伝言の剣、そこんとこどうなのよ」
才人が『のび太の生まれた日』(記憶が朧気だが、たぶんそんなタイトルだった)のあらすじを何度か説明し、なんとか理解に至ったらしいルイズが、苛立ちをあらわに問う。
デルフリンガーは鷹揚に答えた。
「知らね」
才人の腕のなかのルイズが、がたがたと震え始めた。爆発寸前なのである。
「おいデルフ、素直に吐いたほうが身のためだぞ。俺、まだお前とお別れしたくねえよ」
才人の台詞は脅しではなく、本心からの忠告であった。
しかしデルフリンガーは相変わらずの気の抜けた調子で、
「別に隠してるわけじゃねえよ。俺だって、たいしたこたぁ聞いてねえんだ。あの兄ちゃんが言ってたのは、なんだったっけかな。嬢ちゃんが『魅惑の妖精』の給仕になるってことと……、ああ、そうそう。そのうちこの店にチュレンヌっつう悪党の徴税官が来るから、適当にぶっ飛ばしてかまわねえそうだ」
「へえ……」
ルイズの震えが治まった。
悪党退治ができると聞いて、少しは溜飲が下がったらしい。
「そんで相棒はお姫さまの『きつね狩り』に、嬢ちゃんは近衛の『ねずみ取り』に参加するけど、結局はどっちもおんなじ事件なんだってさ」
「なんだそりゃ。むかし話かよ」
『おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山へ
才人にぴったりくっついたまま、可愛らしく小首を傾げている。
「知らねってば。俺ぁただの伝言の剣なんだから」
「拗ねんなよ、剣のくせに。でもさ、ここにいりゃそのキツネだかネズミだかの事件を解決できるわけだろ?」
「あの兄ちゃんは、そんなこと言ってたね」
「なんだよ、クルトのやつ、最初っからぜんぶ教えてくれりゃよかったのに」
ルイズの怒りが落ち着き、クルトの意図も少しは腑に落ちて、ようやく安心できた才人が、ため息まじりに言う。
「それによく考えてみたら、姫さまからの密命ってのも、この店なら上手くこなせそうだしな。酒場なんて、街の噂を集めるにはうってつけじゃんか。クルトの言うこと聞いてりゃ、そんな悪いことにはならねえんじゃねえかな」
けれどもデルフリンガーは、暗い調子で呟いた。
「どうだかね。その占いってやつにも石の兄ちゃんにも、あんま期待しねえほうがいいと、俺ぁ思うがね」
才人とルイズは目を見合わせ、それからふたりそろって、壁に立てかけた剣に視線をやった。
「デルフリンガー、あんた知ってるのね。未来を知る魔法について」
「ああ、そうさね。知ってるね。覚えてるね。ちくしょう。思い出しちまった。六千年前、ブリミルのやつが作ったんだ。大いなる精霊の意思を真似て、虚無の『
ルイズは才人から身を起こし、伝説の剣に向かって瞳を輝かせた。
「虚無……ってことは、わたしも使えるかもしれないのね!? 未来を占う魔法!」
「やめときな。先のことが見えても、ロクなこたぁねえんだ。呪いと一緒だ。嬢ちゃんにゃ似合わねえよ」
大振りの剣が発した沈鬱な響きに、才人とルイズは、ふたたび目を見合わせた。
「そうだ。もし『希望』に意味があったら、ブリミルもサーシャも……」
それきりデルフリンガーは、黙り込んでしまった。
いくら才人が尋ねても、ルイズが脅かしても、ひとこともしゃべらなかった。
仕方なしに、才人たちは寝ることにした。
この剣からこれ以上の情報が出てくることはなさそうだし、明日も……正確には、今夜も……忙しくなるのは、予言などなくても明らかだったから。
『ベッドが狭いのよ』とぶつくさ言いながらいつも以上に隙間なく才人にくっついてきたルイズが、あくびまじりに呟いた。
「そう、よね。本気で悪いことになるなら、あいつがほっとくワケないものね」
才人の腕に頭をのっけたルイズの、むにゃむにゃした、眠気に飲まれつつある囁き声。
「わたしを助けるのは、あいつの、ぎむだし……なんたって……あのばか、クルトってば……わたしのこと、だい、すき……だもん、ねー……」
「……なんですと?」
思わず、才人は聞き返す。
返事はなかった。
ルイズはすでに、くうくう寝息を立てていた。
【才人】
○原作との主な違い
言わずと知れた『ゼロの使い魔』の主人公。
ルイズの近くに同年代の男子がいるせいで、原作ではワルドやジュリオ相手に発揮していた嫉妬深い側面がたびたび姿を現している。
自身がよくやきもちを妬くせいで、ルイズの独占欲に対して(原作より)理解があって寛容。ルイズとの関係も、ちょっとだけ進展が早くなっている。
とはいえ才人なので、胸の大きな子がいたら視線を奪われる。シエスタやアンリエッタの向けてくる好意にもふらふらするのも相変わらず。
ニューカッスル城におけるワルドとの戦いでタバサに窮地を助けられ、友人=クルトを失ったかしれないと恐れた経験から、「(ルイズだけじゃなくて)みんなを守れるくらい強くなる」という誓いをウェールズに立てている。
以降、デルフリンガーのアドバイスのもと自主訓練を続けているため、原作の同時期より逞しくなっている。
(ルイズが「剣なんか振ってないで、ご主人さまのお相手しなさいよ」と不満を口にすることもあったが、才人が「ルイズ(を含むみんな)を守るために強くなりたいんだ」と答えたら大人しく見守るようになった)。
○性格
ハッフルパフ気質を持ったグリフィンドール。
アホで調子に乗りやすいけど、平凡で善良な心の持ち主。ガンダールヴという力を持ってしまったことで、勇敢な行動ができるようになった。あるいは、「しなければいけない」と感じるようになった。
才人自身は、それは勇気ではなく責任感に過ぎないと思っているが、力を自覚してその責任を認め、行動に移せる時点でグリフィンドールの剣を抜ける資質の持ち主と言える。
※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。