雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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74.「弱いんだから、せめて頭を使わなきゃ」

 

 街外れの広場。

 口笛で呼び出したシルフィードに鞄を預けたタバサは、トリスタニアの中心部へと(きびす)を返す。

 このまま学院に帰るものだと思っていた俺は、軽い驚きとともに小さな背中を追いかける。

 

「タバサ、他にも買いたいものあるの?」

 

 タバサは無言で首を振った。

 

「なにか用事でもあるのか?」

 

 タバサは答えない。

 街の中心部に近づき、だんだんと人気が増えていく街路を、まっすぐ前を見つめて歩くばかり。

 口を開く気がないだけなのか。あるいは俺には言えないような、深い事情でもあるのだろうか。

 

「えっと……じゃあ、ここで解散する?」

 

 タバサは立ち止まった。

 静かに振り返り、感情の読めない青い瞳で、俺をじぃっと見つめた。

 

「それでもいい」

 

 妙に投げやりな返事をどう捉えていいのかわからず困惑している俺に向かって、タバサは淡々と呟く。

 

「クルトは、もう帰りたい?」

「いや、まったく。タバサが許してくれるなら、その用事にも付き合わせて欲しい。なんでもするからさ」

 

 考えるより先に口が動いた。

 我ながら、必死すぎてキモい。

 でも領地に帰ったら、二ヶ月間も……その後も下手したら終戦までタバサに会えなくなってしまう。

 その前に、少しでも長くタバサと一緒にいたいのだ。

 

「なにかする」

 

 タバサはぽつりと呟き、ふたたび街に向かって歩き出した。

 

「なにかって?」

「気晴らし」

 

 気晴らし?

 タバサのイメージにはそぐわない言葉だけれど、同時に納得させられる。

 日々の過酷な任務で、タバサもストレスが溜まっているのだろう。

 賭場で荒稼ぎしたり本を大量に買ったりしていたのも、日頃の鬱憤を晴らすためだったのかもしれない。

 

「でも、やっぱり……ちょっと意外だな」

 

 俺の呟きに、タバサがわずかに首を傾げる。

 

「タバサも街で遊んだりするんだな、って。本さえ読めたら満足なんだと思ってた」

「わたしはそれでいい」

 

 俺はタバサの隣を歩きながら、その横顔をちらりと見る。

 相変わらずの怜悧な美しさ。けれども、夏の日差しのせいだろうか。いつもより柔らかな雰囲気を纏ってる気がした。

 

「あなたには気晴らしが必要。快復祝いでもしてきなさいって、キュルケが言ってた」

 

 俺は(つまづ)きそうになった。

 タバサがこんなにも俺のことを考えてくれていたのだという感激で、足下がおぼつかなくなったのだ。

 

 どうしたの、と不審そうな瞳を向けてくるタバサに首を振る。自然と緩んでしまう口元を片手で隠し、彼女から顔を(そむ)ける。

 ……っていうかキュルケ、ありがとう。ありがとう。愛してる。いつも色ボケの恋愛脳とか思っててごめん。お前は最高の親友だ。

 

「あ、あの、あのね、俺はね、タバサ」

 

 動揺のあまり、なんだかキモい口調になった。

 

「気持ちは、すごくうれしい。大好き。で、でもね、無理しなくていいんだからね。タバサも忙しいだろうし……」

 

 タバサは首を振った。

 でも、それは嘘である。いつ何時イザベラから任務の指示が飛んでくるかもわからない身分で、貴重な休日を費やしてまで俺のことを気遣ってくれて、無理をしてないわけがない。

 

「俺はもう、タバサがお見舞いに来てくれてただけで、最高にうれしかったんだから。キュルケに言われたからって、わざわざ自分の時間を削らなくたっていいんだよ」

「わたしの意思」

 

 タバサは呟いた。

 そうしてそれきり、黙ってしまった。

 口に出すのはこれで十分、と言わんばかりの態度で……そうして実際、これで十分、彼女の優しさは伝わったから。

 その沈黙は、何にも増して心地よかった。

 

 

 永遠に歩いていたいような気分だったけれど、俺たちはじきにトリスタニアの中心街に戻ってしまう。

 中央広場の噴水前で足を止め、隣で俺を見上げてきたタバサに問いかける。

 

「タバサは、したいことある?」

「あなたのしたいこと」

 

 じゃ、じゃあ、手ぇつないでもいいですか……とキモすぎる発言が口から零れないよう自分を抑えるのに必死で、俺は頭が働かない。

 こんなとき、いったいどうしたらいいんだろう。

 デート……ではない。タバサは俺の気晴らしに付き合ってくれてるだけだ。でも俺はタバサが隣にいるだけで最高に満足なのだ。気晴らしどころじゃないのだ。せめてものお礼に、彼女も楽しめる時間を過ごしたい。

 とりあえず、適当な酒場にでも入るべきだろうか。こんな夏の日に、タバサみたいな華奢な女の子をいつまでも歩かせているわけにはいかない。

 だけどいったいどんな店がタバサの好みなんだろう……と血眼になってあたりを見回していると、通りの向こうの石造りの建物が目についた。

 

「あ、そうだ」

 

 ()()()()を探していた俺が脊髄反射的に指さしたのは、円柱が並ぶ神殿のような建物……タニアリージュ・ロワイヤル座。

 『原作』ではルイズが才人を連れて行ったり、高等法院長のリッシュモンがアルビオンの間諜と密談したりしていた劇場である。

 

「あの、もしよろしかったら、劇なんて、いかが……です、か?」

 

 謎の緊張に襲われておかしな口調になった俺を、しかしタバサは、おどけてると思ったらしい。

 唇の端をほんのわずかに緩ませて、スカートの裾をつまんで可憐に一礼した。

 それから、俺の手を取った。

 

 そのあまりのかわいらしさに、柔らかな手の感触に、俺はもう意識が飛びそうで……、とうとうしびれを切らしたタバサが、

 

「エスコート、しないの?」

 

 と呟くまで、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 幸い、公演中の劇は『トリスタニアの休日』ではなかった。

 『原作』で酷評されていた傭兵メイジたちの演技がどんなものかは気になるが、タバサと一緒に見たい演目ではない。

 代わりに上演されていたのは『リュティスの恋人』。やはり城下で流行中という恋愛ものの悲劇である。

 タバサが興味を示すとは思えなかったけれど、彼女は『キュルケに見るべきと言われた』と嘘かほんとかわからないことを言って頷いてくれた。

 

 賭場で稼いだ金貨の残りでチケットを買い、タバサと並んで薄暗い客席に座る。

 やがて管弦楽の演奏とともに舞台の幕が上がり……、始まった劇は、正直、お世辞にも上出来とは言えなかった。

 『原作』の『トリスタニアの休日』じゃないが、役者がどうにもカタいのだ。

 台詞は棒読みだし、歌のシーンでは声が掠れている。俺だって演劇に詳しいわけじゃないが、もうちょっとなんとかならなかったのか、と思ってしまう。

 

 横目でタバサを窺うと、彼女はさっそく本を開いていた(かわいい)。

 鞄はシルフィードに預けたはずなのに。どこにしまってたんだろう(謎かわいい)。

 というかこんな暗い場所で読書したら目を悪くするよ……と、猛烈に声をかけたくなったけれど、俺から観劇に誘った手前、そんな小言が吐けるはずもなかった。

 いっそ劇場を出ようかとも思ったけれど、タバサは優雅に本を読み進めながらも、時折ちらちらと舞台に視線を送っている。

 どうやら、まったく興味がないわけではなさそうだ。

 劇の脚本自体はそこまで悪くないから、本を読みながらだったら下手な演技にも耐えられる、ということか。

 

 舞台上で主人公の王子が恋仇(こいがたき)である敵国の貴族と妙に熱の入った剣舞を繰り広げているなか、俺の意識は自然とタバサに吸い寄せられる。

 考えてしまう。

 未来のこと。

 タバサに訪れるだろう、未知の苦難について。

 そうして、その先に訪れるはずだった、救いと初恋について。

 

 タバサにとっての救いとは、幸福とは、いったいどんなものなんだろう?

 

 俺は愚かで無責任で、キュルケに火をつけられるまで、その具体的なかたちをちっとも考えていなかった。

 才人がすべて解決してくれると信じ込んで、思考を放棄していたのだ。

 けれども自らの情熱の在処(ありか)を知ったいま、その怠惰は許されない。

 俺は考え続けねばならない。

 

 タバサにとっての救い……そのひとつは明白で、母親を助けることだろう。

 すなわち、ガリア王家からオルレアン公夫人の身柄を奪い返し、タバサ自身も自由な身分になること。そして毒薬に壊された母の心を癒す術を見つけることだろう。

 

 この世界が『原作』通りに進むなら、タバサはいずれ救われる。

 才人たちがアーハンブラ城でエルフと戦い、打ち勝つことで、タバサもタバサの母も解放される。

 『タバサの初恋』の時点では、オルレアン公夫人の心は病んだままだったけれど、『原作』が終わるまでにはきっと癒されるだろう。

 なぜって、『ゼロの使い魔』はハッピーエンドを迎える種類の物語だから。

 

 けれども俺が存在し、要らぬことばかりしていたせいで、その救いは不確かなものになってしまった。

 にもかかわらず……あるいは、だからこそ……俺は俺自身の手でタバサを救い、初恋を奪ってやりたいとさえ欲している。

 そしてあわよくば、俺はアーハンブラ城で『原作』以上の成果を……エルフを追い払うだけでなく、オルレアン公夫人の治療法を手に入れてやろうと望んでいる。

 

 『タバサの初恋』では、タバサも母親と同様、エルフの術によって心を奪われそうになっていたのだと示唆されていた。

 であれば、その治療法もエルフが知っているはずだ。

 エルフと対決することになるタバサの苦難は、しかし最大のチャンスでもあるのだ。

 俺はその機会を逃したくない。せめてそのくらいしなければ、『原作』を壊した責任を取れない。

 

 つまり俺は、タバサを捕らえるというエルフの戦士と戦って打ち勝ち、あるいは交渉しなければならない。

 スクウェア・クラスのメイジを遙かに超えた力を持つというエルフと、どうにかして渡り合える実力を身につける必要があるのだ。

 

 ……そうするとタバサと劇なんか見てる場合なのか、こないだルイズとのんきに掃除してたのはなんだったのか、俺は一秒でも長く己を鍛えるべきじゃないのか、という話になってくるのだが、それはそれで、どこか根本的に間違ってるような気がするのだ。

 

 ひとつには、俺の魔法の才能なんてたかが知れている。

 いくら鍛えたところで、才人やルイズのような特別な存在には(かな)わない。『土くれ』のフーケほどにも強くなれないだろう。

 俺はまっとうに実力を磨くのではなく、もっと別の道を突き詰めるべきだ。

 

 ようするに、ずる(チート)をするのだ。

 前世の科学知識と『錬金』を組み合わせれば悪辣な化学兵器を量産できるし、手数をかければコルベール先生の『爆炎』だって再現できるだろう。

 先日の誘拐事件では敵が死者であり、『女神の杵』の戦いでは『遍在』を相手にしていたからメイジ相手に使う機会がなかったけれど、領地に帰ったらオークやコボルト退治のついでに試すつもりだ。

 

 けれども俺が疑っているのは、努力の方向性の話じゃない。

 そもそも、強くなることだけを求めるのが間違ってるんじゃないか、ということだ。

 

 なぜって、タバサにとっての救いは、彼女が切望しているのは、復讐だから。

 父と母を奪った叔父を、自らの手で殺すことだから。

 

 いつの間にか、『リュティスの恋人』はクライマックスに近づいていた。王子役の男とお姫さま役の女が手と手を取り合い、調子の外れた歌を高らかに歌い上げている。

 ふと気になって他の観客の様子を眺め回してみると、やはり退屈しているのか、うとうとと眠そうにしている客や、おおっぴらにあくびしている客の姿が目に入る。

 隣に座るタバサが、俺のシャツの袖をつまんで、ちょいちょい、とひっぱった。

 きょろきょろするな、みっともない、ということだろう。

 たしかに、あまり行儀が良くなかったかもしれない。

 隠しもせずに本を開いてるタバサが注意できたことではないかもしれないが……。

 俺は小さく謝り、舞台の上に目を戻す。

 もちろん、意識の半分以上はタバサに向けたまま。

 

 仮にタバサの幸福が叔父を殺すことにあるとしたら。

 その復讐を成し遂げさせるだけの力が俺にあったら、俺は、それを手伝うだろうか。

 手伝いたいと思えるだろうか。

 俺はタバサが好きで、大切で、いちばんで、彼女の望みはなんだって叶えたい。

 だけどタバサは王弟の娘で、彼女の叔父は大国の王だ。その復讐が、たったひとりの死で終わるわけがない。

 復讐にかられてアルビオンへの侵攻をしかけるアンリエッタと同じ(あやま)ちをタバサが犯そうとしているのだとしたら、俺はいったい、何を望むべきなんだろう?

 

 いったいなにが正しいのかさっぱりわからないけれど……、戦うための魔法(ちから)だけを求めるより、一緒に古本屋で買い物したり、こうして劇を見たりしているほうが答えに近いと、俺には思えるのだ。

 

 

 

 『リュティスの恋人』が終わり、ぱらぱらとした拍手とともに舞台の幕が下りてゆく。

 タバサは本に目を落としたまま、

 

「どうするの」

 

 と呟いた。

 

「そうだな、どこかで昼食にする? 劇も長かったし、お腹すいたんじゃないか?」

「いいの?」

「もちろん」

 

 タバサは本を閉じて立ち上がった。

 そうしてやけに早足で、出口に向かう観客たちの間を縫うようにして歩いてゆく。

 

「タバサ?」

 

 返事はなかった。

 タバサは一瞬こちらに視線をやっただけで、するすると外に向かってしまう。

 俺も慌ててタバサを追いかけ、タリアニージュ・ロワイヤルの扉を抜けて……その途端、手を掴まれた。

 ぐいと強くひっぱられ、俺たちは足早に人混みのなかを歩いていく。

 タバサ、よっぽど空腹に耐えかねているのか。それともやっぱり、劇が退屈すぎて苛々したのだろうか。

 

「すまなかった、タバサ。俺が劇なんか見ようとしたばっかりに」

 

 先ほどの噴水の手前まで来て、ようやく歩を緩めたタバサに謝罪する。

 タバサはじっと前を見つめて歩きながら、こくりと頷いた。

 

「昼は俺が奢るよ。……つっても、タバサが稼いだ分だけど。あのお金、ほんとに山分けでいいの?」

「いい。あなたが気を引いてたおかげ」

「そう言ってもらえると助かる。にしても、ひどい劇だったな。歌なんて聴けたもんじゃなかったし……退屈させちゃってすまん」

「退屈?」

 

 突然、タバサは足を止めた。

 こちらに振り向いたそのかんばせは、わずかに眉をひそめている。

 あ、これは……やらかしたかもしれん。タバサ、あれでけっこうあの劇を気に入ってたのか。劇の舞台だったリュティスはガリアの首都だし、実は思い入れのある話だったのかも。安易に悪口なんか言うべきじゃなかった。

 

「いや、脚本は良かったと思うんだけど……」

「クルト」

 

 タバサが冷えた声で言う。

 やばい。本気で怒らせてしまった。知らなかった。タバサの地雷がこんなところにあるなんて。

 

「……気づかなかったの?」

「え? えっと……、なにがでしょうか。歌の下手さが伏線になってたとか……?」

 

 タバサはふたたび、無言で歩き出した。

 俺は非常に気まずい気持ちで彼女のあとをついて歩き……、やがて大通りを離れ、人通りがまばらになってきたところで、タバサは露店に立ち寄った。彼女は値段をろくに確かめもせず、大きなパンや赤々としたリンゴをいくつも買い付ける。

 なんだろう。やっぱりお腹が空いてたのか。

 

「持って」

 

 食料の詰まった袋を受け取ろうとしたら、なぜか、タバサは手をひっこめた。

 

「魔法で」

「このくらいなら、ふつうに持てるけど」

「いいから」

 

 強く言い切られ、俺は素直に『浮遊(レビテーション)』を唱える。

 するとタバサはこちらに顔を傾け、俺にだけ唇の動きが見えるようにして『サイレント』を唱えた。

 

「街中で密談する場合」

 

 と、魔法の遮音膜の内側でタバサは言う。

 

「移動しながら、というのは最適解のひとつ。密会する場所を暴かれたり、盗聴の魔道具(マジック・アイテム)を仕掛けられたりする危険を避けられる。ただ、この方法には別の危険がある」

 

 タバサはそこで言葉を切り、俺の表情を窺った。

 俺は(にわか)に険呑になってきた空気に身を硬くし、しかし話の流れが読めないままタバサに答える。

 

「ええと、危険っていうと、密談相手と歩いてるところを見られたり、通りすがりの人に話を聞かれちゃったり……とか?」

「そう。『サイレント』を使えば話の内容は漏れないけど、人前でその呪文を唱えるべきではない」

「たしかに、秘密の話をしてます、って宣伝するようなものだからな」

 

 『サイレント』は人目を惹かない魔法だが、『探知(ディテクト・マジック)』をかけられたら魔法の存在が一発でバレてしまう。腕の立つメイジであれば、『探知』なしでもその魔力に勘付くだろう。

 だけど、それがどうしたというのか。

 

「目立たずに『サイレント』を唱える簡単な方法は……」

 

 タバサは、俺が浮かばせている買い物袋をちらりと見た。

 

「連れがメイジだったら、適当な魔法を唱えてもらう……ってこと? そしたら魔力に勘付かれても、その魔法が目くらましになるから」

 

 タバサは頷いた。

 その青い瞳には、どこか満足そうな色が浮かんでいる。

 

「なあ、タバサ。いろいろ教えてくれるのはありがたいんだが、どうして急にこんな話を?」

「劇場の客席を使うのも、悪くない発想。薄暗い客席なら身分を隠すのに都合がいいし、観劇中は声をひそめて話すのがあたりまえだから」

「え」

 

 動揺のあまり『レビテーション』の制御を失い、買い物袋からリンゴがひとつ落っこちた。

 タバサはひょいと手を伸ばしてリンゴを受け止め、俺に問う。

 

「ほんとに、気づいてなかったの?」

 

 若干の呆れを含んだその問いかけに、俺は言葉もなく頷いた。

 油断してた。まさか俺たちが見ていたあの演劇の最中に、リッシュモンがアルビオンの間諜と密会していたとは。

 俺はやっぱり、底抜けのバカだ。『トリスタニアの休日』じゃなければ大丈夫だろうと思い込んでいた。

 歌の下手さが、ちゃんと伏線になってたじゃないか。

 

 だからタバサは、劇が終わった途端にタニアリージュ・ロワイヤルから離れようとしたのだ。厄介ごとに巻き込まれないようにするために。

 その前に俺の意向を尋ねたのは、タバサが見つけたリッシュモンの売国行為にどう対処するのか、確かめようとしていたのだろう。タバサは、俺も当然に密談を察知してると思っていたのだから。

 そんなことにも気づかず、『タバサ、お腹が空いてるのかな……』とか『意外とあの劇が気に入ってたのかな……』とか考えていた俺はクソボケが過ぎる。

 

「一応聞きたいんだけど、あの下手くそな役者たちって……」

「メイジだった」

 

 思わず天を仰いだ。

 そんなところも『原作』通りである。

 いや、あたりまえなんだけど。

 

「見ればわかる」

 

 とタバサは言い、俺の反応を確かめるような視線を寄越す。

 赤点を取った生徒のめんどうを見る教師みたいな口調で、タバサは続ける。

 

「まず、役者が持ってた杖が本物……基本だけど、杖自体を見ちゃだめ。観察すべきは、杖に対する意識。そうすれば、相手の杖が本物か偽物(フェイク)か見抜けるはず。相手の次の呪文を予測するのにも役立つから、覚えておいて」

 

 俺は、ふと、『女神の杵』でのワルドとの戦いを思い出す。

 あのときワルドは俺の手から杖を叩き落とし、そうして咄嗟に杖を拾おうとした俺の反応を見て『それが君の杖で間違いないようだな』と呟いたのだった。

 

「最初は演技だと思ってた。役者が上手にメイジを演じてるだけ、って。でも、それにしては台詞も歌もお粗末。しかもひとりやふたりじゃない。舞台に上がる全員がそう。だから役者がメイジだと……正確には、メイジが役者を演じてるのかも、って気づいた」

 

 淡々と解説を続けるタバサは、俺にもそのくらいできて当然と思っていたのだろう。

 タニアリージュ・ロワイヤルが陰謀の場になっているという『原作知識』を持ってたくせに、ぼんやりタバサのことを考えていた自分を恥じ入るばかりだ。

 

「確信したのは、クロードとコンスタンの決闘」

 

 タバサが言っているのは、劇の中盤、主人公である王子(クロード)と恋仇の貴族(コンスタン)が剣舞を演じていた場面。

 劇中の設定ではふたりともメイジなのだが、舞台上で魔法を放つわけにはいかないからだろう、役者たちは暗闇で光る塗料を塗った剣をぶつけあっていた。

 

「剣の振り方がおかしい。あれは『ブレイド』の振り方。クロードは『風』、コンスタンは『水』の使い手が演じてたはず。それにふたりとも、ずっと剣じゃなくて自分の杖を気にしてた」

 

 ……まったく気づかなかった。

 台詞の棒読み加減と比べて、やけに気合いの入った殺陣(たて)だなあと思っていただけだった。

 っていうかあの剣舞で系統までわかるのか。たしかに『ブレイド』は系統によって形状が変わるから、剣の振り方で推測できなくもないのだろうが……。

 

「役者はみんな、定期的に、劇場のある一点を見ていた。なにかの指示を待ってるみたいに。ちょうどわたしたちの右後ろ、柱に接した席……おそらくはトリステインの高官と、アルビオンの間諜。トリステイン空海軍の編成状況について話してた」

「すごいな、タバサ。そこまでわかるなんて」

「すぐ近く。注意すれば、誰でも聞こえる」

 

 タバサはこともなげに答えるが、絶対そんなことないと思う。彼女が風のトライアングルだから聞こえたのだ。

 感覚が鋭い人間からすると、鈍い人間の世界というのは想像しづらいものなのだろう。

 

「そんなに寝不足だったの?」

 

 こんな簡単なことにも気づけないなんて、ちゃんと目ぇ開けて見てたんですか、と言外に問われている。

 しかもその質問をぶつけてきたのは、劇が始まって早々に本を開いていたタバサである。

 俺はいっそう情けない気持ちになって、しょぼしょぼと答えた。

 

「寝てたわけじゃないけど、劇に集中してなかった。ずっと、タバサのこと考えてたから……」

 

 そして沈黙。

 お互い口を開かないまま、ごみごみとした通りを十メイルは歩いてから、俺はようやく自分の発言のキモさに気づき、愕然とした。

 もはや言い訳さえも思いつかず、冷や汗を垂らしてそこからさらに三十メイルほど歩を進めたころ、タバサが呟いた。

 

「このあとは」

 

 昼食の予定を尋ねてるわけじゃない。いましがた教えてもらった密談にどう対処するのか訊いているのだ(俺のキモすぎ発言は聞かなかったことにしてくれるらしい。やっぱりタバサは優しい。天使だ)。

 

「どうもしないよ。間諜を捕まえるのは、俺たちの仕事じゃない。下手に動いても邪魔になるだけだ」

 

 今ごろは、アニエス率いる銃士隊がリッシュモンについて調査を進めているだろう。

 アニエスとアンリエッタが解決するはずの事件に、俺が積極的に関わっていく意味はない。

 

「それにしても、今日は悪かった。劇場でそんなことが起きてるとは気づかなくて……」

 

 タバサは首を振った。

 きっと『あなたのせいじゃない』と伝えてくれているのだろうが、そんなことはない。

 俺は『原作知識』を持っているのだから、もっと上手く立ち回れた。タニアリージュ・ロワイヤルなんか、そもそも近づくべきじゃなかったのだ。

 

「でも、心配になる。弱いんだから、せめて頭を使わなきゃ」

「そ、そうだな。タバサの言う通りだ」

 

 領地に帰ったら、本気で鍛え直そう。力を求めることに疑問を呈してる場合じゃない。そういうのは、最低限の実力を身につけてから考えるべきだ。

 畑のめんどうはヴィルヘルムに任せて、他の用事もはやいとこ済ませて、空いた時間はみんなオーク狩りにでも費やそう。あの害獣どもを魔法の実験台にしてやろう……。

 そんなことを考え、沈んだ声で返事をすると、短い間を置いて、タバサがぽそりと付け足した。

 

「今日くらい、気を抜いてもいい。ルイズもいないから」

 

 フォローしてくれるのはうれしいけど、どうしてルイズが出てくるんだろう?

 そんな疑問は、しかしタバサの次の呟きで氷解した。

 

「『ゼロ』のルイズの()()()は大変」

「……まあ、そうだよな。タバサだったら、()()()()()()、か」

 

 あの誘拐事件でルイズの『爆発(エクスプロージョン)』も『解除(ディスペル・マジック)』も目の当たりにしたタバサが、その系統に辿り着かないわけがない。

 そして当然、その系統の担い手が背負っている危険性にも気づいているはずだ。

 伝説の力を受け継いでしまったルイズは、どんな連中から狙われるかわかったものじゃない。

 そんなルイズが、いまは実家に帰っている……実際はアンリエッタからの密命を受け、トリスタニアにいるはずだが……のだから、油断しちゃうのも仕方ない、とタバサは慰めているのだ。

 

 そうしてタバサがルイズの名を出してくれたことで、他の疑問も自ずと解決した。

 どうしてタバサは、密談の方法や役者がメイジだと気づいた理由をやけに丁寧に教えてくれるんだろう……とさっきから疑問を抱いていたのだが、それはきっと、ルイズを守るためなのだ。

 ルイズから小間使いのごとく扱われ、彼女のそばにいることが多い俺に最低限の知識を与えることで、友人に訪れる危険を少しでも減らそうとしているに違いない。

 タバサはやっぱり、友達思いの優しい子だ。

 俺はそんなタバサの苦難を取り除いてやりたいと改めて決意し、そうしてその決意と同じくらい強く、彼女の初恋を奪いたいと欲してしまう。

 

「ありがとう、タバサ。俺、さすがに腑抜けてたな。ちょっと気合い入れ直すよ」

「明日からでいい。今日は気晴らしの日」

「気晴らしだったら、もう十分だよ」

「まだ足りない」

「そうかなぁ……」

 

 がんばるのは明日から……で、良いワケがない。

 ないのだが。

 タバサがいつもの無表情でこくりと頷くので、俺はなんだか、それでも良いような気がしてくるのだった。

 

 





○サイレント
 本作では『錬金』に次いで多用されてる風系統の魔法。
 原作だと『対象を黙らせる魔法』だったが、それを『音を遮断する空気の膜を作る魔法』と都合良く拡大解釈している。
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