「イル・ウィンデ……」
魔法学院からほど近い森の奥。
シルフィードが
すると手のひらにおさまりそうな小さなつむじ風が起こり、安売りされてた赤身の豚肉を刻んでゆく。
頃合いを見て、隣でリンゴの皮を剥いていた俺が合図する。風の渦がほどけると、豚肉は使いやすそうな挽肉状になっていた。
次はどうするの、とタバサは視線で指示を求める(かわいい)。
「かわいい……」
「……?」
「あ、ごめん。キモくてごめん。そしたら、ええと、肉の面倒は俺が見るから、パン切っといて欲しい。指一本……いや、二本分くらいの厚さで。切り終わったらバター塗れるかな?」
タバサは俺から顔を
俺は皮を剥き終えたリンゴを『錬金』製のボウルに入れて、タバサが処理してくれた豚肉に向き直る。
昼下がりの平和な泉のほとりで、俺たちは、なぜだか『東方風サンドイッチ』を……、才人が言うところの『ハンバーガー』を作っていた。
観劇が終わり、タバサが密談について教えてくれたあと。
適当な店で昼食にしようという話になったのだが、いつの間にか、俺たちは酒場通りからずいぶん遠くまで歩いていた。
おまけに『サイレント』のカモフラージュのために買った大量の食料を抱えていたものだから、『いっそこれを昼飯にしたほうが早いか』と呟いたら、そうなってしまった。
『あなたがそれでいいなら』とタバサは投げやりな言葉とともに頷いたのだった。
タバサは最初、目についた軒下に腰を降ろし、買ってきたパンをそのままちぎって食べようとしていた。
それでも確かに腹は満たせるし、過酷な経験を積んできたタバサからすれば、口に入ればなんでもいいのだろう。
『タバサの冒険2』の『タバサと極楽鳥』でも、彼女は『食事は、何を食べても身体の栄養になる』と言い放ってシルフィードの
けれども目の前でそんなことされたら、さすがに心が痛む。
パンさえ食べられない人がこのトリスタニアにも大勢いるとわかってはいるのだけれど、俺は身勝手で、タバサにだけはちゃんとしたものを食べて欲しいのだ。
そうして俺は味気ないパンを黙々と口に運ぶタバサを制止して、どうせなら、もっと美味しく食べよう、と提案したのだった。
トリスタニアでいくつか食材を買い足し、シルフィードに乗って飛んできた泉のほとり。
どこか落ち着いて作業できる場所はないかとタバサに尋ねたら、この場所に案内してくれた(シルフィードは嫌がったけれど、タバサが杖で頭を小突くと大人しくなった)。
当然、調理器具のひとつも用意してなかったけれど、俺は魔法使いだ。
鍋もフライパンもボウルも包丁も杖の一振りで生み出せる。なんなら石鹸だって作れるし、火を起こすのもかんたんだ。
まったく、魔法は奇跡のわざだとしみじみ思う。
焚き火台に乗せたフライパンの上で、
その数は五つ。パンに挟んで食べることを考えたらひとつでも満足できそうな大きさで作ったが、タバサの胃袋を満たし、ついでにシルフィードの分も残すとなると、このくらいは必要だろう。
タバサはフライパンの隣に座り、肉の油が弾け、香ばしい匂いを漂わせる様子をじぃっと眺めている。
本を読んでていいと言ったのだが、調理の風景が気になるのか。それとも、よほどお腹がすいてるのだろうか。
「待たせてすまん。こんな時間になっちゃったし、やっぱ店を探せばよかったな」
タバサは小さく首を振る。
「気になってた」
「東方に興味があるの?」
『東方風サンドイッチ』はタバサのリクエストだ。
せめてパンに合わせるジャムでも買ってこよう、それともサンドイッチでも作ろうか、と提案した俺に向かって、タバサは『東方』と呟いたのだった。
「ううん」
タバサはハンバーグに目を注いだまま、ふたたび首を振る。
その仕草が妙に子どもっぽくて、可愛らしくて、思わず口元が緩んでしまう。
「あなたは東方料理の達人らしい」
「なにそれ」
「ギーシュ」
なるほど、やっぱりあいつか……と頷きながら杖を振り、『念力』でハンバーグをひっくり返す。
よし、いい感じの焼き目。
焚き火だと火加減が難しいのだが、上手く焼けそうでよかった。
「そんな期待しないでくれよ。あいつ、話が大げさだから」
ギーシュには、以前の『宝探し』でヨシェナヴェ風味の鹿の丸焼きを見せたし、惚れ薬の一件では(才人のついでに)照り焼きバーガーやヨシェナヴェを振る舞った。
きっと俺が寝込んでいる間にギーシュが大声でその話をして、タバサの耳にも入ったのだろう。
『東方』と聞いてロクに確かめもせずハンバーガーを作り始めてしまったのだが、正解だったようだ。
……ほぼ確実に『照り焼きバーガー』を期待されてるとわかっていたけれど、惚れ薬でおかしくなっていた間のできごとを話題に出すのはあまりにも恐ろしく、確認できなかったのである。
俺は気を取り直して、フライパンに意識を戻す。
ハンバーグに鉄串を刺し、透明な肉汁が溢れるのを確認してから皿に移す。
その間もタバサは集中を切らさず、きらきらした青い瞳が、俺が『念力』で運ぶ肉の軌跡をぴったり追尾する(かわいい)。
「ひとつ、食べてみる?」
尋ねると、悩むような微妙な間を置いて、タバサは首を振った(かわいすぎる)。
「それじゃ、もう少しだけ待ってて。ソース作ってパンで挟めば完成だから」
俺はそう言いながらフライパンを軽く拭いて……軽く、というのがポイントである。ソースの風味付けのために、フライパンに多少の脂を残しておくのだ……ワインをとぽとぽ注ぎ入れる。肉を焼いてる間にすりおろしたリンゴを匙ですくって放り込む。甘酸っぱい、爽やかな香りがフライパンから立ち昇る。
水気を飛ばしながら『錬金』でワインの一部を塩と砂糖に変換し、味を
ソースにとろみがついてきたころを見計らい、フライパンを火から下ろす。
代わりに小鍋を焚き火台においてワインを注ぐ……が、これは食後のデザートだ。
ひとまずはハンバーガーを完成させよう。
以前、才人に『照り焼きバーガー』を作ったときはやたらと手間をかけたが、今日はそこまでするつもりはない。
もちろん手を抜いてるわけではなく、今回は日本のチェーン店の味を再現する必要がないからだ。
それにタバサは、すでに両手で皿を抱えて、待ちかねた様子。
これ以上
食前の祈りを手早く済ませ、俺たちはハンバーガーにかぶりつく。
肉の旨味とリンゴの酸味を効かせたソースが絡み、美味しい……と、思う。ハンバーグと一緒に挟んだハシバミ草も、食感と独特の苦味が良いアクセントになっている。
木の皮から『錬金』した包み紙の匂いがちょっと気になるかもしれないけど、味を邪魔するほどじゃない。
だから、……うん、大丈夫。
少なくとも、パンをそのまま食べるよりはマシなはず。
焚き火の様子を見るフリをしながら、対面に座るタバサを窺う。
タバサはハンバーガーを両手に持って、黙々と食べ進めていた(かわいい)。
才人たちに照り焼きバーガーを振る舞ったとき、ルイズとモンモランシーは『人前でそんな大口開けるなんて』と
アルヴィーズの食堂では誰より優雅に食べているタバサだけれど、必要とあらば型に
そんなところも素敵だなあ、ああ、それにしてもタバサがご飯食べてるところってやっぱりかわいい、好き、一生そばで見ていたい、だけど果たしてハンバーガーは口に合うだろうか、無理して食べてないだろうか……とぼんやり見つめていると、その不躾な視線に気づいたのだろう、タバサが顔を上げた。
彼女は小さくなったハンバーガーを皿に置き、ハンカチで口元を拭う。それから、わずかに首を傾げた。
「すまん。じろじろ見て……ただ、その、口に合うかなって。きっと食べ慣れない料理だし。そういや
「おいしい」
タバサは呟いた。
それからまた、食事を再開した。
「そ、そうか! よかった! おかわりあるから、いくらでも食べていいからな!」
タバサは包み紙に顔を半分くらい埋めたまま、こくりと頷く(かわいい……)。
俺はタバサを見つめすぎないよう気をつけながら、自分のハンバーガーを食べ進める。
しかしその間にもタバサが包み紙をくしゃりとたたみ、ふたつめのハンバーガーに手を伸ばすものだから、俺はもう、快哉をあげないよう堪えるだけで必死である。
「気晴らしになってる?」
みっつめのハンバーガーを両手に抱えたタバサが、ふと気がついたように尋ねた。
「気晴らし?」
と俺は間抜けに問い返し、そういやタバサがトリスタニアに連れてきてくれたのは、買い物ついでに俺の快復祝いをするためだったと思い出す。
「なってるよ。すごく。おかげで明日からがんばれそうだ」
「そう?」
タバサに怪しまれてしまうのは、先に食事を終えた俺がまた作業を始めているからだろう。
すりおろしたリンゴと軽く火にかけて酒気を飛ばしたワインを鉄製の小さなボウルに入れ、『錬金』で砂糖を追加する。
もうひとまわり大きなボウルに塩水を用意し、タバサに作ってもらった氷を浮かべる。
そうしてリンゴとワインを入れたボウルを冷たい塩水に浸け、ゆっくりかき混ぜる……。
俺が作っているのは、
学院に通う前、夏至の祭りや秋の収穫祭で領地の子どもたちに振る舞っていた氷菓子だ。
もちろん魔法で果汁を直接凍らせたほうが早いのだが、このやり方のほうがずっと口あたりが良くなるのである。
「好きなものを好きに作って、そんで好きに食べるってのは楽しいよ。しかも……」
それを好きな人に食べてもらえるんだから、最高に幸せだ……と、俺はまたしてもキモいことを口走りかけて、慌てて口をつぐんだ。
「……自分の作ったものを誰かに食べてもらえるって、それだけで嬉しいんだよ」
嘘ではない。
食べてくれるのがタバサだから、なおさら嬉しいというだけで。
タバサは口いっぱいに頬ばったハンバーガーをもぐもぐ咀嚼しながら、こくりと頷いた。
その姿はいつも以上に幼げで、年相応で、『原作』や『タバサの冒険』に描かれたあの過酷な運命を抱えているようにはとても見えない。
大国の王を殺そうとしている王弟の娘だとは、思えない。思いたくない。
タバサはこれから、叔父を殺すんだろうか?
それが『原作』の流れなんだろうか?
俺にはわからない。
『原作8巻』以降の展開は、俺の知識にはないのだ。
ただ、この
それは、もしタバサが復讐を成し遂げたら、ガリアを二分する内乱が起こり、下手したらハルケギニア全土を巻き込む戦争が始まり……そしてタバサに訪れる未来は、死ぬか、玉座におさまるかの二択しかない、ということだ。
俺はタバサに死んで欲しくない。だとしたら、俺は彼女の戴冠を望むべきなんだろうか? もしそのときが来たら、俺は、血に濡れた王冠をかぶるタバサを祝福できるのだろうか?
タバサが王冠を望むなら、俺は協力すべきだ。
誰より優しく聡明で勤勉な彼女なら、きっと善い王さまになるだろう。ガリアを、この
けれどもタバサは、恐ろしいことに、復讐の先を見ていない。
彼女は王冠を欲しているわけではなく、しかし戴冠以外の未来も望んでいない。
ようするに、なんにも考えてないのだ。
タバサは、己の復讐をきわめて個人的な問題だと信じている。
その証拠に、『タバサと暗殺者』で東薔薇騎士団のカステルモールから決起の申し出を受けたとき、タバサは応えなかった。
復讐に他人を巻き込みたくないから、自分ひとりの手で
バカじゃねえの、と思う。
ライトノベルを読んでるときは抱かなかった素朴な感想。
タバサは……少なくとも、『タバサと暗殺者』で描かれていたタバサは……頭が悪い。
しかもルイズや才人のような輝かしいバカですらなく、ごく単純な事実として、考えが足りない。
だって一国の王を殺すことが……、しかも王弟の忘れ形見がそれを為すことが、個人的な問題で済むわけがない。
どんな形であれ、宮廷勤めの騎士団員を巻き込まずに済むわけがない。
それ以前に、たったひとりで大国ガリアの王を暗殺するなんて、どんなに優れたメイジにも不可能だ。
そうしてきっと、タバサは気づいている。
自分の復讐が生み出す結果も。そもそも復讐できない可能性のほうがずっと高い、ということも。
そんな簡単なことに、聡いタバサが気づかないわけがない。
彼女はすべてを理解したうえで、自ら視野を狭めているのだ。
頭を悪くしていなければ、生きていくことに耐えられないから。
復讐こそが、
「それも東方の料理?」
いつの間にか、タバサはみっつめのハンバーガーを平らげていた。
ほっぺたにソースをつけたまま尋ねてくるタバサは無性に愛らしくて、眩しい。
「東方……ではないかな。子どものころ、なにかの本で読んだんだ。口直しにちょうどいいと思って」
リンゴのシャーベットを小皿に移して、タバサに手渡す。
ハンバーガーが一個手つかずだが、さすがのタバサも一度に四個も食べたらお腹を壊しかねない。
あとでおやつにしてもらうか、シルフィードに食べてもらえばいいだろう。
やはり魔法で作った鉄製のスプーンを渡すと、タバサはシャーベットをちょびっとすくって、口に含む。
宝石みたいな青い目を、ぱちぱちとまばたきさせる。口元をわずかにほころばせる。
タバサは惜しむようにスプーンの端でシャーベットをすくい、ちまちまと食べ続ける。
どうやら、気に入ってくれたみたいだ。
「好き……」
タバサが固まった。
スプーンを咥えたまま顔を上げ、感情の読めない瞳で俺を見つめる。
「あ、いや、好きなだけ、食べていいからな。まだまだあるし。タバサが食べたいっていうなら、もっとたくさん作れるし」
タバサは頷き、またシャーベットを食べ始める。
「おいしい?」
タバサは手を止めずに頷いた。
それから、ぽつりと呟く。
「あなたは」
「俺はいいよ。タバサが食べてるところ見るだけで、なんかもう、お腹いっぱいで」
タバサは訝しげに俺を見た。
この発言はさすがに気持ち悪すぎたのかもしれない。
「あなたも食べて」
「でも……」
「食べて」
やけに強く命じられて、俺も自分の皿にシャーベットを盛り付ける。
「苦手な状況でも、気が向かなくても、食べられるときに食べなきゃだめ。特に、あなたは病み上がり。リンゴは最高の病人食で、回復期にも必要な栄養がたくさん。いろんな本に書いてる」
タバサの言葉に、きょとんと首を傾げてしまう。
なぜだかわからないが、彼女は俺が好き嫌いしてると思ったらしい。
「苦手ってことはないけど」
「少なくとも、得意ではない」
「え? そうかな? そう見える?」
「見える。聞こえる」
「そうか……」
「自分で言ってた」
自覚はなかったけれど、タバサが言うなら、そうかもしれない。
フーケの事件以降はアルヴィーズの食堂でも近くの席で食べてたし、リンゴが出たとき(無意識に?)避けてるところを見られたのかも。
とはいえ俺は、『リンゴが苦手』なんて言った記憶はないのだが……。
俺が食事の後片付けをしている間、タバサは木陰に腰掛けて本を読んでいた。
その傍らに置かれている最後のハンバーガーはタバサのお腹におさまるのか、それとも泉の向こうから恨めしげに俺たちを眺めているシルフィードがありつけるのか……。
俺としてはシルフィードにも食べてみて欲しいのだが、このあたりの采配は主人であるタバサ次第。俺が口出しできる問題じゃない。
俺は汚れた皿やフライパンを一箇所にまとめ、『錬金』で土に戻す。
シルフィードの住み処でもある綺麗な泉を汚してしまわないように、念入りに。もう一度しっかり『錬金』を唱え、足で踏んで地面を
魔法というのは便利なもので、片付けはそれでおしまいだ。
せめてもう少し時間がかかればよかったのに……とタバサを窺うと、彼女は読書に集中している様子。
俺はそれをいいことに、買い物袋に残った食材を確かめ始めた。
べつにこんなもん解散してからでもいいのだが、一秒でも長く、タバサと一緒に過ごしたかった。
許されるなら、いっそ日が暮れるまでこの泉に居させて欲しかった。
けれどもタバサは、そんな俺の下心をすっかり見通していたのだろうか。ぱたんと本を閉じて立ち上がる。
スカートのお尻を手で払って俺の隣まで歩いてくると、わずかに首を傾げる。
俺はその意図を察せないフリをしようとして……やめる。
タバサにはこんなに良くしてもらったのだ。いつまでも甘えていられない。
「今日はありがとう。そろそろ、学院に帰ろうか」
タバサは頷いた。
そうして彼女が目配せすると、待ってましたとばかりにシルフィードが飛んでくる。
その背中にひょいと飛び乗ったタバサに続いて、俺も風韻竜に騎乗する。
シルフィードはきゅいきゅい鳴いて、青空高く舞い上がった。
シルフィードの翼なら学院まで十分もかからないというのに、タバサはその背びれに背中を預け、さっそく本を開いている。
後ろから覗き見たそのページには、風魔法の運用に関する複雑な議論がびっしり書き込まれていた。
真剣に本と向き合っているその横顔は息を呑むほど美しくて……、不意に、泣きたいような気持ちに襲われた。
さっきまでご飯を食べていたタバサの幼げな顔を思い出したから。そんな彼女が、こんなにもひたむきに力を求めなければ生きていけない現実が悲しかったから。
「なあ、タバサ」
タバサは本に目を落としたまま、意識だけを俺に向ける……表情にも仕草にもあらわれないけれど、確かにそうしてくれたのだと俺は思う。
「今日はほんとに楽しかった。またいつか、息抜きに付き合ってくれないかな」
タバサは静かにページを繰り、頷く。
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
この
エルフを倒せるくらいにならなきゃいけない俺にとっても、ジョゼフへの復讐を成し遂げなきゃいけないタバサにとっても。
俺たちは、なんの役にも立たない時間を過ごしたのかもしれない。
ゆったりと翼を広げてアウストリの広場に降りてゆくシルフィードの上で俺はそんなことを思い、けれども、ちっとも、悔やめそうになかった。
こうやって無為な時間を過ごしたことは、タバサにとっても意味があったのだ。絶対に。
ルイズがくれた二つ名に賭けて、俺はそう信じることに決める。