雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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76.「ドラゴンさんにバイバイは?」

 

 

「おお! 坊ちゃま! クルト坊ちゃまじゃないですか! みんな! 坊ちゃまが帰ったぞ!!」

「竜に乗ってお帰りとは! さすが坊ちゃま!! 大出世ですな!」

「だれか! 若さまを呼んでこい! 北の水門を直してくだすってるはずだ!」

「おや、そちらのお嬢さまは学校のお友達ですかな!? なんとまた、美しくていらっしゃる!」

「こりゃあルイズお嬢さまじゃねえか!? ははあ! 初めてお目にかかったが、噂どおりのとんでもない美人さんで……!」

「しかも竜に乗りなさるとは! 使い魔ってやつですかな!? さすがヴァリエールのご三女さまだ!」

「ルイズお嬢さまがご一緒たあ、坊ちゃま、学校でうまいことやられたんですな! ご結婚はいつになさるんで!?」

 

 魔法学院からシルフィードに乗っておよそ三時間。

 コールス領の麦畑の傍らに降りた俺たちは、浮き足だった領民たちに囲われていた。

 領民たちは突如あらわれた風竜を警戒している様子だったが、背中に乗っているのが俺だとわかった途端、仕事を放り出してわらわらと集まってきたのだった。

 

 こうなるのがイヤだったから、村から離れた場所に降りて欲しいと言ったのに。

 俺の要望を聞いたシルフィードが嫌がらせの如く村の上をゆっくり旋回しながら降りていったので、こんな騒ぎになってしまったのである。

 彼らのことは嫌いじゃないが、この状況をタバサに見られるのは、さすがに恥ずかしい。

 なんというか、前世の子どもの頃、親と買い物してるときに同級生とばったり出会ってしまった瞬間の羞恥心を思い出す。

 っていうか、いい加減『坊ちゃま』はやめて欲しいのだが。

 俺は顔が火照ってくるのを自覚しながら、竜の背から飛び降りた。

 

「みんな、ただいま。それと……この方はルイズお嬢さまじゃない。学院の同級生だ。俺はともかく、こちらのお嬢さまに不躾なことを言っちゃいけないよ」

「おお、こりゃあ失礼! それでは坊ちゃま、こちらのお嬢さまとは、いつご結婚なさるので? お世継ぎは、その学院てのが終わってからですかな?」

 

 ユーゴ……領民たちの先頭に立っていた初老の男が、驚いた顔で言った。なにかと言うとすぐ結婚、お世継ぎ。悪意がないのはわかっているけど、田舎のイヤなところである。

 俺がそれに答える前に、ユーゴの足下にいた子どもたちが、

 

「ぼっちゃま、けっこんするの?」「おみやげはなに? ドラゴン?」「およめさん?」「およめさんがおみやげ?」「なんでー!?」「やーだー!」「ドラゴン蹴っていい?」「のっていい?」「のっていいの!?」「いいんだって!」

 

 と先を争うように尋ねてくる。

 

「この子はお友達だから。結婚しないしお嫁さんでもないから。それとリズ、シシー、お土産はちゃんと買ってるから安心しなさい。アベルはドラゴン蹴っちゃダメ、ゼッタイ。そんでディミトリ、サロ、アレク、ドラゴンさんは忙しいから……」

 

 と言ってる間に十人以上の子どもたちがシルフィードに駆け寄っている。

 竜の恐ろしさは教えたはずだが、このあたりに竜なんて出たことがないので、恐怖より物珍しさのほうが勝ったのだろう。

 ドラゴン以前に余所様(よそさま)が連れてる幻獣という時点でもうちょっと遠慮すべきだと思うのだが、おそらく『坊ちゃまのともだち』と聞いた時点で、子どもたちの頭から遠慮という概念が消失している。

 まわりの大人たちも制止の声をかけてはいるが、誰も本気で止めてない。俺が傍観しているのを見て、無理に止めるより成り行きに任せることを選んだらしい。

 

 尖った木の枝を構えていた、今年七歳になる悪戯好きのアベルだけは首根っこを掴んで止めたが、他の子たちはシルフィードを取り囲み、青い鱗をべたべたと無遠慮に触っていた。

 

「きゅいぃ……」

 

 シルフィードは体を(優しく)揺すり、しっぽを丸めて、体をよじ登ろうとする子どもから懸命に逃れている。困ったように背中の主人を振り返るが、タバサは黙々と本を読み進めるばかり。

 さすがタバサ。

 この状況にも、まるで動じていない(かわいい)。

 

 主人が助けてくれないと悟った風韻竜は、今度は俺をにらんできゅいきゅいと鳴く。

 俺はにっこり笑って、首を振った。

 相手がふつうの騎乗用の風竜なら止めただろうが、シルフィードは風韻竜で、使い魔だ。めったなことは起きないだろう。

 それに平民が竜を間近に見る機会なんてそうそうないし、子どもたちには良い機会かもしれないと思ったのだ。

 そもそもの話、この状況は俺への嫌がらせのためにわざと目立つ降り方をしたシルフィードの自業自得である。

 

 

 そんな風にして子どもたちを竜で遊ばせ、シルフィードのほうも慣れてきたのか、なんだか楽しそうにきゅいきゅい歌い……、けれどもこれ以上タバサを引き留めるのも悪いなと思い始めたころ。

 

「帰って早々なにを騒いでるんだね、クルト」

 

 低い、よく通る声が響き、振り返ると貴族の男がこちらに歩いてくるところだった。

 

「あ、ヴィル(にい)。レルニーも。ただいま」

「うむ、よく帰った。こちらのお嬢さまが手紙にあったご友人かね?」

 

 俺と同じありふれた金髪、ゲルマニアの血を感じさせる浅黒い肌。顔の造り自体がへらへらと笑っているような、軽薄な雰囲気。痩せた背の高い体には、使い魔である青黒い大蛇、レルニーを巻き付かせている。

 彼はこのコールス領の『若さま』であり、『湧水』の二つ名を持つ水の使い手。

 俺の兄、ヴィルヘルムである。

 

 兄は俺と違って貴族らしい威厳を保つべく多少の努力をしているので、彼が近づくとシルフィードと遊んでいた子どもたちも途端に大人しくなった。

 

「コールス家が長男、ヴィルヘルム・ド・コールスです。弟を送っていただき、感謝の言葉もない」

 

 タバサはちらりと目を上げて、頷き、また本を読み始めた。

 ヴィルヘルムは虚を突かれたような顔をしたが、すぐに居住まいを正して言葉を続ける。

 タバサの素っ気ない態度を受けて、よほど高貴の生まれだと思ったのかもしれない。

 

「ミス、領民たちが失礼を致しました。長旅、お疲れでございましょう。どうぞ我が屋敷へ。昼餐の用意を致します。学院の美食には遠く及ばぬ粗食ではございますが……」

「かまわない」

 

 タバサは短く答え、本を閉じた。

 シルフィードを囲っていた子どもたちもヴィルヘルムもまるで無視して、まっすぐ俺に視線を向ける。

 

「学院で」

「うん、ありがとう、タバサ。体に気をつけて。また学院で会おう」

 

 タバサは頷き、竜の背中を軽く叩いた。

 シルフィードはきゅいきゅいと応え、翼を広げる。領民たちから、おお、と歓声があがる。

 俺もその優美な姿に感嘆しながら、いまだシルフィードの足にひっついて青い鱗をぺちぺち叩いていたほっぺたの赤い女の子……シンシアを抱えて後ろに下がる。周囲の大人たちも慌ててそれぞれに子どもを捕まえ、竜から離れた。

 

「ほら、シシー、ドラゴンさんにバイバイは?」

 

 腕のなかのシンシアに促すと、彼女は手足をじたばた振り回して甲高い声で何事か叫んだ。別れの挨拶をしてるのだろうが、ドラゴンの来訪にテンションが上がりすぎて言葉になってないのである。

 他の子どもたちもシンシアに呼応するようにきんきん声の別れの挨拶をして、シルフィードも機嫌好さそうにきゅいと高く鳴く。

 力強い羽ばたきとともに飛び上がり、俺の顔面に唾を吐きかけ、観客たちにサービスするかのように頭上を旋回してから学院の方角に飛び去った。

 

「……怒らせてしまったかな?」

 

 シルフィードの青い鱗が空に溶け込んでしまったころ、ヴィルヘルムがぽつりと言った。

 主人の不安を体現するように、レルニー……痩躯に絡みついた大蛇の使い魔がしゅうしゅうと細く息を吐く。

 俺が唾まみれにされたことに気づいたのは、ヴィルヘルムと彼の使い魔、そして俺が抱えていたシンシアだけ……彼女は俺の腕のなかで懸命に体をよじって、シルフィードの唾を手で拭っていた。熱い汗ばんだ手のひらはかえって唾を塗り広げているだけだったし、彼女の手についていた砂や泥のせいで顔の皮膚がじゃりじゃりと削られている感じがした……他の連中はみんな、シルフィードの飛翔にすっかり心を奪われていたのだった。

 

「あれでいつも通りなんだよ。タバサもシルフィードも。むしろ機嫌が良いくらいだ」

 

 ようやく満足のいくまで唾を拭いたシンシアにお礼を言って地面に降ろし、お母さんのところに帰るよう促してから、兄に答える。

 ヴィルヘルムは砂っぽくなった俺の顔をまじまじと見つめ、感慨深そうに言った。

 

「変わった子なのだな。まあ、お前が惚れるくらいだ。ふつうの貴族の娘ではなかろうが」

「だから、お嫁さん連れてきたんじゃねえから。ヴィル兄までやめてくれよ」

「おや、惚れてるのは否定しないのかね?」

 

 いかにも楽しそうな兄の声。

 

「……んなことより、畑の様子を教えてくれよ。去年の夏休みから、変わってないか? 収穫はどうだった? 第六(ニューイ)の月も終わるけど、頼んどいた肥料の『錬金』は済んでるか?」

 

 俺はヴィルヘルムに背を向け、コールスの屋敷に続く道を歩き出す。

 新年の降臨祭では帰省しなかったから、およそ一年ぶりの生家である。

 

「そりゃぜんぶ教えるがね。いやそれより、お前の話を聞かせなさい。まさかと思ってカマをかけたが……ははっ! ついにクルトも恋人ができたか! で、結婚はどうするんだ? お兄さまに教えなさい!」

「くそ、これだから田舎貴族は……。彼女は恋人じゃないし、結婚もしない。畑の話が先だ」

 

 ヴィルヘルムは小走りで俺に追いつくと、愉快そうな笑みを隠しもせずに言う。

 

「わかったわかった。肥料はできてるし、麦もブドウもお前の予想した通りだ。収穫は多少減ったが、問題ない。お前のおかげで、ヴァリエールからの援助が増えたからね。ついでに言うと、虚無の曜日の教室も変わらない。若い連中が上手いこと回してくれている。……で、お前、やっぱり惚れてるのは否定しないね!?」

「いいから、はやく帰ろう。夏休みは短い。やるべきことが山積みなんだ」

 

 俺は冷たく言って、屋敷への道をひたすらに歩く。領民たちの好奇の目が痛い。

 『惚れてない』とひとこと言えば済む話なのだが……まあ、なんと答えても、夏の間ずっとからかいの種になるのだろうが……たとえ言葉の上だけでも、タバサへの情熱を否定できなかった。

 『タバサメインヒロイン計画』なんてふざけたことを考えていた時期からずっと誤魔化してきたこの気持ちに、これ以上、嘘をついてはいけない気がした。

 

「なあクルト、屋敷に戻るのは賛成だが、今のうちに吐いたほうが身のためだぞ」

「やだよ。なんでだよ」

「お前がずっと黙ってたら、私は父上の前であのお嬢さまについて根掘り葉掘り質問する」

「おい……」

 

 幼いころから心底嫌っている、浪費家で低俗な『悪い貴族』の典型のような親父の前でタバサの話をする光景を想像して、不快感に顔が歪む。

 そんなことしたら、世界でもっとも綺麗なものを穢される気がした。

 子どもっぽい潔癖症に過ぎないと自覚しているけれど、耐えがたい想像だった。

 そんな俺の心情を、ヴィルヘルムは手に取るようにわかっているのだろう。にやりと笑って無理矢理に肩を組んできた。俺と兄に体を挟まれた大蛇のレルニーは迷惑そうにしゅうしゅうと鳴き、滑るように地面に這い降りる。

 そのまま()()()()()()が始まるかと思ったけれど、兄は奇妙に感心したような声をあげた。

 

「……おお、クルト」

「なんだよ」

 

 俺はぶっきらぼうに答える。

 

「お前、背が伸びたな。それに、なんというのかな。逞しくなった」

「まだ成長期だからな」

「それだけじゃないよ。学院で、ちゃんと食べてるようだね。ずっと心配してたんだよ。去年の夏は、ずいぶん痩せて帰ってきたから」

 

 俺はますます顔をしかめた。

 嫌なことを思い出したからだ。

 

 学院に入学した当初、俺はアルヴィーズの食堂を恐れていた。

 無駄に豪勢な食事が毎日毎日饗されるあの場所を。同級生たちが当然に無思慮に無遠慮に食べている光景を。そうして自分もその一員であって、なんとか気を張り詰めていなければ……ちょうど最近の俺がそうしているように……あの食事を無感動に受け入れてしまえるという事実を憎み、恐れていた。

 あんな金のかかったものはいらないから、ひとりで食べさせてくれないかと教師たちに何度も嘆願したのだが、『学院は社交と礼儀作法を学ぶ場でもある。君も貴族らしい振る舞いを身につけなさい』と許されなかった。

 

 まともに食べられるようになるまで、半年以上もかかった。

 俺が食べなくてもその食材が無駄になるだけだとわかっていたので無理矢理にでも口に詰めていたが、その後しょっちゅうゲロを吐いていた。

 無機物でも有機物でも、即座に無味乾燥でなんの役にも立たない砂に変えられる己の『錬金』の適正をありがたく感じたのは、あの時期が初めてだった。

 

 学院で再会したルイズの力になろうと彼女について回っていた理由のひとつは、そんな寮暮らしの苦痛から意識を(そむ)けたかったからだ。

 当時は自覚できなかったルイズへの依存のみっともなさが、今の俺には痛いほどによくわかる。

 

「……まあ、俺も大人になったってことだよ。残念ながら」

「ふふ、ヨアナは残念がるだろうがね。私としては、ようやく安心できそうだ」

 

 ヴィルヘルムが乱暴に頭を撫で回してくるので、俺は彼を突き飛ばしてその腕を逃れる。

 

「そうだ。食事といえば、ヴィル兄に訊きたいことがあったんだ」

 

 俺はその勢いでふらついたフリをして、つま先を森のほうに向ける。

 今日は遠回りして帰ろう、という昔からの合図。

 静かに笑みを深めた兄に向かって、俺は言う。

 

「こないだ友達に指摘されたんだけどさ。俺って、リンゴが苦手だったっけ?」

 

 

 

「親父はどこだ?」

 

 無駄に広い屋敷の食堂。

 ゲルマニアの職人による銀の燭台やらロマリアから買い付けた宗教画やら金張りの聖人の像やらが無秩序に飾られたその部屋で、俺は不機嫌に言った。

 

「トリスタニアだ。このところ、父上は嫌に羽振りが良くてね。しょっちゅう出かけているのだよ。一昨日コールスを出たばかりだから、一週間は帰らんだろうね」

 

 ヴィルヘルムは悪びれもせずに答える。

 親父の前で問い詰められるよりマシだと彼の()()()()()()に……あのお嬢さまはなんと仰るのだ、どこの生まれだ、学院の後輩なのか、どこが好きでいつ惚れたのだ、どこまでヤったか結婚する気はあるのか、等々……耐えてきたというのに、親父が不在にしてるのでは、まるっきり無駄骨だったじゃないか。

 

「そうむくれるな、弟よ。お前が答えなかったら、私は父上が帰ってくるまで続けるつもりだったぞ。一週間でも、一ヶ月でもな」

「まあ、ヴィル兄ならやりかねないが……」

「とにかく、クルト、食べなさい。竜に乗ってきたとはいえ、学院は遠かっただろう」

 

 兄に促され、俺は自分の前に置かれた皿を見る。

 硬い黒パン、干し肉のかけら、根菜の切れ端が浮いた薄いスープ……屋敷の使用人と同じ食事。そんな懐かしい故郷の味に、昨日トリスタニアで買ってきたリンゴが一切れ、添えられている(兄曰く、俺は昔から菓子や果実全般を避けていたが、皿に出しておくといつも物欲しそうに見ていた。特にリンゴは反応がよかった、らしい)。

 対面に座る兄はすでに食事を済ませていたのか、山で採れる香草を煮出した茶を飲んでいる。

 

「今年も金物修理から始めるのだろう? 屋敷の裏に集めさせておいたから、落ち着いたら取り組むといい」

「さっきちらっと見たけど……またずいぶん溜め込んだな? 去年の倍どころじゃないぞ。ヴィル兄、また遊んでただろ」

「今年は雨が少なくてなあ……、用水に注力せねばならなかったのだよ」

 

 ヴィルヘルムはへらへらと答えた。

 今年三十になる男とは思えない軽さである。

 

「それに、私は『水』で、お前は『土』。これ以上わかりやすい分担があるかね?」

「ああ、そのことなんだがな、ヴィル兄。その分担をちょいと崩したいんだ」

 

 口のなかの干し肉を飲み込み、俺は言う。

 この帰省の目的のひとつ。いずれアルビオンで起きる悲劇を止めるために、才人もルイズも死なせないために、俺が手に入れるべき最重要の手札。

 

「コールスの民を生かす『水』を……その『湧水』の技術(わざ)を、どうか教えてくれないか」

「教えるのはかまわんが……、お前は『土』じゃないか。それに、修理はどうするね? 私にお前みたいな丁寧な仕事は無理だぞ。領民たちから文句が出る」

「大丈夫だよ、お兄さま」

 

 ()()()()するときの口調で呼びかけると、ヴィルヘルムは不審そうに目を細めた。

 

「使い魔の力を借りられたら、お兄さまみたいなことができる気がするんだ。修理のほうも、三日で……いや、二日で終わらせる」

「ずいぶん強気だな。去年は半月かかってなかったかね?」

「それは、途中から畑をまわりながらのんびりやってたからさ。集中すれば、すぐ終わる」

 

 俺には時間がない。

 タバサと過ごせる貴重な時間が終わったいま、のんびりしている暇などない。少しでもマシな未来を手繰り寄せるため、俺は最大限の努力を続けなければならない。

 兄から『水』の扱いを教わったら、残りの時間はひたすら強くなるために費やそう。

 虚無の曜日の教室も、最低限、顔を出すだけにして……とりあえずは前世の記憶にある化学兵器やコルベール先生の『爆炎』を再現し、領内のオーク退治で実験するところからだ。

 

 俺は皿に残っていたリンゴを口に放り込んで立ち上がる。玄関に繋がる扉に向かう。

 

「やけに急いでるようだね、クルト」

「急いでるんだよ、ヴィル兄」

 

 とはいえ、まずはこの土地に生まれた貴族として、最低限の義務を果たさねば。

 『土』の使い手として領民たちに必要な道具を直し、その後は土地の様子も見て回らないと。

 この義務を果たしておかなければ、俺は俺を誇れない。

 情熱に従うなんて許されない。

 

 それに考えようによっては、これは魔法の良い修練だ。

 手に触れた物の構造を把握し、『錬金』と『固定化』を唱え続ける。土系統の基礎の基礎の再確認。

 俺が入学前にライン・クラスになれた理由のひとつは、系統魔法に目覚めて以来、こんな作業を毎日のように繰り返していたからだ。

 タバサと同じトライアングルに至るための修行と思って取り組めば、その効果も倍増する……はずだ。魔法とは精神によって為すものなのだから、己の力を嫌悪しながら杖を振るうより、力を得るために魔法を使ったほうが、ずっと成長につながるはずなのだ。

 俺はとにかくそう信じて、壊れた農具の山に向かう。

 

 

 そうして、コールスの屋敷にラ・ヴァリエール公爵家からの手紙が届いたのは、それから二週間後。

 俺が宣言通りに……とはいかず、三日をかけて修理を終え、ヴィルヘルムから『水』の教えを受け、ようやく『爆炎』の再現魔法でオークの群れを殺すことに成功した日の夕方だった。

 

 ルイズの母カリーヌの使い魔、フクロウのトゥルーカスの足に(くく)られていた手紙には、短く、俺をラ・ヴァリエールの晩餐に招待する旨が書かれていた。

 





【ヴィルヘルム】
○概要
 クルトのお兄ちゃん(その1)。
 水のラインで、二つ名は『湧水』。使い魔は大ヘビのレルニー。

 コールス家の次期領主であり、年齢は三十。
 もう子どもがいても良い歳であり、弟の恋路を詮索している場合ではないのだが、家柄ゆえに出会いがない。
 加えて、ヴィルヘルムは、クルトが家を出るまで……弟が学院を卒業して奉公先を見つけるまでは、結婚相手を探す気もない。
 どんな嫁をもらっても(母が家を出たように)クルトに耐えきれず逃げてしまうと確信しているからである。

 クルトもこのあたりの事情は察しているので、どれだけタバサとの関係をからかわれても『ヴィル兄こそどうなんだよ』と言い返したりはしない(ただし、自分の行動を改めるつもりもない)。


○性格
 グリフィンドール気質のハッフルパフ。
 情に流されやすく、衝動的で軽薄な性格。
 本来はギーシュに近いお気楽な男だったが、弟たちが問題児なせいで家の苦労を一心に背負い、最低限の慎重さと『善良な田舎貴族』的な振る舞いを身につけざるを得なかった。


※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。
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