「それで、お前も知らぬというのかね? わしのルイズが帰らなかった理由を」
手紙が届いてから三日後。
ラ・ヴァリエール公爵家の晩餐の席。
白灰色の髪と
「存じ上げませぬ。私もトゥルーカスさまから手紙を受け取るまで、ルイズお嬢さまは帰郷しているものだとばかり……」
俺も公爵をまっすぐに見返し、堂々と嘘を吐く。
大きな借りのある彼に嘘を吐くのは気が咎めたが、この親バカの大貴族に向かって『お宅の娘さん、女王陛下の密命を受けて、いまごろ
公爵は試すように俺の目を見つめていたが、それ以上の追求はなかった。
重苦しい沈黙が食堂に満ち、俺はふたたび、晩餐を胃に詰める作業に集中する。
このレベルのマナーなんてめったに使わないから、フォークの持ち方ひとつにも神経を削られるのだ。
こんな気取ったフォークの持ち方をしたのは、およそ一年ぶり。去年の夏休みにも、俺はこの屋敷に呼び出された。
去年はルイズも交えた晩餐の席で、公爵夫妻に娘の学院での様子を尋問の如く問い質されたのだった。
今年はルイズが帰省しないからこのイベントも起きないのでは、と期待していたが、現実はそう甘くなかった。
娘が帰らなかったぶん、公爵夫妻は余計に俺の話を聞きたがっているようだった。
ラ・ヴァリエール公爵家の食堂は、ある意味でコールス家のそれより過ごしやい。
ゲルマニアの気風が漂う俺の実家の
その点ラ・ヴァリエール公爵家の屋敷は、さすがトリステイン随一の歴史と格式を持つ大貴族の邸宅と言うべきか、抑制が効いていた。
食器や調度品ひとつとってもコールスよりずっと高級なのは明らかだったが、それをひけらかそうとしない。なにかにつけて都会の流行品を取り入れようとするコールスの……
そのほうが幾分、好ましかった。
もっとも晩餐の内容は、コールスと比べるべくもないほど贅を尽くしていたけれど。
全員が食事を終え、使用人が音もなく食器を下げたところで、今度は公爵夫人カリーヌが口を開いた。
「あの子は、
その短い質問に、食卓に緊張が走る。
席に着いているのは、俺とラ・ヴァリエール公爵、公爵夫人、そして次女カトレアの四人である。
幸いにして、長女のエレノオールは
「い、いいえ。ミセス・ヴァリエール」
俺はこわばった声で答える。
無論、嘘である。
なぜって『お宅の娘さん、魔法を使えるようになりましたよ。しかも伝説の虚無系統の担い手でして……』なんて言ったら侮辱と取られて殺される。比喩ではなく。言葉ひとつで俺を家ごと潰せる力を、この夫妻は持っている。
そしてそれ以前に、ルイズが虚無に目覚めた事実は、たとえ家族が相手だろうと打ち明けるべきではない。それは彼女が女王アンリエッタだけに告白した秘密だ。
俺としては女王より両親に報告すべきだと思うのだが、ルイズはアンリエッタを優先すべきと判断した。であれば、俺はその判断に従うまでだ。
「……しかし、コモン・マジックならば成功するようになっております。系統には目覚めていないようですが」
とはいえ、ここまでは話していいだろう、と俺が付け足すと、場の空気が一気に弛緩した。
カトレアは手を合わせて朗らかに笑い、カリーヌも声こそ出さないものの、目尻がわずかに下がっている。
「それでは、二つ名も変わったのかね?」
けれども公爵が発した質問で、食卓はふたたび凍りついた。
「いえ、その……お嬢さまは、いまだに……」
「はっきり言いなさい。あの子は、学院でなんと呼ばれているのかね」
「ぜ、ゼロ。『ゼロ』のルイズと、
「誰がそう呼んでる?」
俺とタバサを除いた、生徒のほぼ全員。
ついでにギトー他、数人の教師。
一瞬の間を置いて口を開きかけた俺に対して、しかし公爵は厳然と言った。
「ああ、言わなくてもよい……ジェローム、例のものを」
公爵に命じられた老執事は恭しく頭を下げ、紙束とペンを俺に差し出した。
見ると、その紙にはびっしりと名前が書かれている。
魔法学院に通う生徒と教師を網羅した、およそ三百人近い名前が並ぶ長大なリストであった。
「学院の全員と交友があるわけではございませんので、漏れがあるかもしれませぬが……」
「かまわん。お前が見聞きした範囲で良いから、娘を『ゼロ』呼ばわりした愚か者にしるしをつけておけ」
「……かしこまりました」
公爵がこんなリストを用意したのは、去年、彼から『誰が娘を侮辱しているのだね』と訊かれた俺が同級生の名前を(ルイズを侮辱した程度の順に)延々と挙げ続けていたせいだろう。
俺はリストに目を落とし、並んだ名前の上に悪質さに応じた記号を……数回『ゼロ』と呼んだ程度ならただの
告げ口しているような罪悪感の一方、ムカつく同級生たちが当然の報いを受けるのだという予感に仄暗いよろこびを感じてしまう。
「ミスタ・ギトーは?」
公爵が短く問う。
去年の夏休み、ルイズを嘲笑する人間の筆頭として、俺はあの教師の名を挙げていたのである。
「変わりありませぬ」
ちょうどリストに見つけたギトーの名前に
ワインをぐいと飲み干し、机に叩きつけるようにしてグラスを置いた。
かつては自ら軍を率いていた歴戦のメイジとして、あるいは国の要職を歴任してきた大貴族としての、相対するものを跪かせるオーラが、老公爵の体から陽炎のように立ち昇る。
「思い上がった若造め。学院の教師風情が……」
「あなた」
けれどもその迫力は、公爵夫人カリーヌの一声で途端に萎んでしまった。
「わかっているとも、カリーヌ。なんでも家の力で解決してしまっては、あの子のためにならない。うむ、わしもお前の言う通りだと思う」
尻に敷かれてんなあ……。
ルイズと才人も、将来的にはこうなるのだろうか。なるんだろうな。確実に。
「ほんとうにわかっているのですか? あなたはいつもルイズを甘やかして……末の娘が可愛い気持ちはよくわかりますが、だからこそ、厳しく躾ける姿勢が必要なのですよ!」
「ご、ごめんなさい」
ルイズに折檻される才人を思わせる情けなさで、公爵はぺこぺこ頭を下げる。
ラ・ヴァリエール公爵家がルイズの境遇を知った上で放置しているのは、つまり、こういう教育方針のせいだった。
魔法が使えるようになる見込みもないまま学院に放り込んだのだから、せめてもう少し優しさを見せてやるべきだと思うのだが……、俺が口出しできる問題じゃない。
「学院で起きたことには、わしからは手出ししません……卒業までは」
公爵は妻に低頭しながら、子どものようにぽそっと付け足した。
カリーヌは腕を組んで不満そうにしつつも、しかしなにも言い出さない。娘の境遇について、彼女もそれなり以上に感じるところがあるのだろう。
ルイズの卒業後、俺の作ったリストがどう活用されるのかについては……、まあ、ルイズをバカにしたやつらの自業自得である。ざまあみろ。
「ねえクルトくん、あの子、お友達はできたかしら?」
微妙に重たくなった空気を取りなすように、次女カトレアが俺に尋ねた。
ルイズから『ちいねえさま』と慕われている彼女は、常に温和で穏やかな空気を纏っている。キツい人間が揃った公爵家において、唯一の癒やしとも呼べる存在だ。
ときどき妙に鋭いことを言うので、実はちょっとだけ苦手意識があるのだが、昔から世話になっている。
「ええ、お嬢……さまは、ご友人も増えたようです。去年より社交的になったかと存じます」
「よかった。ルイズってば意外と人見知りするから、心配してたのよ。ねえねえ、どんな子がお友達になったのか、教えてくださらない?」
キュルケ……ではないか。
もう友人と言って良い関係に見えるけれど、本人たちは断固として否定するだろう。
それに、ツェルプストーの娘の名はこの席で出すべきじゃない。
だとしたら……、
「タバサ……ガリアからの留学生で、『雪風』の二つ名で呼ばれる、成績優秀な風のトライアングルなのですが……彼女と特に親しいようです。本の貸し借りをする仲だとか。それから、」
シエスタ……も違う。
『宝探し』の小旅行では仲良く才人を取り合っていたけれど、ここは平民との友情を語れる席ではない。
となると、……あれ? もしかして、あいつ、意外と友達増えてない?
「……ギーシュ。グラモン家の四男。ギーシュ・ド・グラモンなど」
「グラモン?」
公爵の瞳に、不穏な光が宿る。
「あの女好きの色男気取りの
「男子生徒のなかでは、比較的、交流があるようです。で、ですが、ギーシュには恋人がおります。そのモンモランシ家の長女とも、ルイズお嬢さまは親しくしていらっしゃるようで」
「なお悪いわ! あの血筋は、恋人がいるときほど調子に乗るのだ!」
公爵は激しく机を叩いた。
理不尽だが、仕方のない怒りだ。
娘のまわりにあの手の男がいると知ったら、父親としては気が気じゃないだろう。
「ええ、はい。仰るとおりで……よく見ておきます……バカがバカをしないように……」
俺はなぜだか自分が悪いことをしたような気分で、縮こまって頭を下げる。
「あ、そうだわ!」
カトレアがぽんと両手を合わせ、居づらい沈黙を断ち切った。
ほんとうに、彼女はこの晩餐で唯一の救いだ。ルイズが懐くのもよくわかる。
「わたし、知ってるわ。魔法学院の二年生と言ったら、使い魔召喚の儀式があるそうじゃないの! あの子、進級できたってことは『サモン・サーヴァント』に成功したんでしょう?」
……が、出てきた話題は、これまた扱いづらいものだった。
とはいえ、ここで隠しても仕方ない。
いずれは伝わることである、と俺は正直に答える。
「お嬢さまが召喚されたのは、……少年でございました。人間の」
公爵夫妻とカトレアは、一様に戸惑った顔をした。
特に公爵は難しい顔をして……俺がデタラメを言ったのではないかと疑ったようだが、そんなことをする意味がないと判断したのだろう……重々しく問いかける。
「人間というのは、我々と同じ……つまり、メイジかね?」
「いえ、剣士です。遠い異国の生まれであり、並みのメイジでは歯が立たぬほどの、優れた剣士だと聞き及んでおります」
「ふむ……」
公爵はよく手入れされた口髭を撫で、考え込むように沈黙した。
「そうそう、わたし、もうひとつ気になることがあったのよ」
と、深刻になりかけた空気を変えたのは、またしてもカトレアである。
「あの子、盗賊を退治したって聞いたわ。なんでも、あの『土くれ』のフーケをやっつけたとか! 使い魔の剣士さんも活躍したのかしら?」
「ええ。フーケのゴーレムを打ち倒したのは、使い魔殿でございます。もちろんルイズお嬢さまも……」
俺の言葉は、厳粛そうな咳払いに遮られた。
見ると、公爵がかすかな笑みを浮かべている。
「そこまでだ、クルトよ。詳しい話は、娘から直接聞くと決めているのでな。楽しみにしておきたいのだ」
思わず、俺も笑みを零してしまう。
公爵の気持ちがよくわかったからだ。俺だって、彼と同じ立場だったらルイズの口からその活躍を聞かせてもらいたい。
「では、私からはひとつだけ」
俺も軽く咳払いして、わざとらしくもったいぶってから、ルイズの家族に言う。
「ルイズお嬢様は、けっして敵に後ろを見せませんでした」
公爵夫妻は目を見合わせ、それからふたりそろってくすくすと笑い出した。
「……まったく、あの子と来たら」
「誰に似たのだろうな、カリーヌ」
「あなたですわよ、きっと」
「いいや、お前だ。わしはいつでも冷静だからな」
「あなたの冷静は口ばっかりじゃないの」
「おやおや、わしの冷静さが何度お前を救ったと思ってるのだね……」
このふたりのこんなに穏やかな姿と出会うのは初めてで、俺は少しばかり驚かされる。
晩餐や舞踏会で見てきた険しい表情とも、ルイズからぐちぐちと語られる厳しいだけの姿とも違う。コールスの領地にいくらでもいるような、仲睦まじい夫婦の姿だった。
やっぱりルイズは愛されてるなあと俺は思い、そのことが奇妙に嬉しかった。
「オールド・オスマンからの手紙によれば、クルト」
カリーヌが笑いを堪えるような声で言った。
「あなたもそのとき、娘と一緒に戦ったのですよね?」
「はい……」
と俺は頷いて、不意に、差し迫った危機に気がついた。
オスマンの手紙には、いったいなんと書かれていたんだろう。
フーケのゴーレムとの戦いで、俺はルイズを抱えてシルフィードから飛び降りた。才人に『破壊の杖』を届けるタバサからフーケの気を逸らすためだ。
そのときはそれが必要だと思っていたのだが、結果的にはルイズを危険な目に遭わせただけだった。
もし、このことが手紙に書かれていたら。
ルイズを危険に晒したことが、公爵夫妻に知られていたら。
軽くても打ち首、最悪、家の取り潰しまであり得るんじゃないか……。
「わかりますよ。去年とは顔つきが違います。
「……いえ。私はまだ、騎士に相応しいメイジではありませんので」
一瞬呆けてしまったが、そういえば俺はシュヴァリエの爵位に推薦されたのだった。
フーケを捕まえた功績で、オールド・オスマンは俺とルイズとキュルケをシュヴァリエに、すでにシュヴァリエを持っていたタバサには精霊勲章を推薦していたのである。
アルビオンの政情不安を受けて『シュヴァリエは従軍経験のある者に限る』と規定が変更されたため俺は受勲できなかったのだが、タバサの精霊勲章はどうなったんだろう?
「盗賊と戦って、ルイズも成長したのかしら。ふふ、あの子と会うのがますます楽しみになりました」
カリーヌはそう言うと、隣に座る公爵に目配せした。
公爵が軽く頷くと、背後に控えていた使用人たちが動き出す気配。
ようやく、晩餐が終わるのである。
長かった……と、緊張を解きかけた俺に向かって、カリーヌが微笑む。
「クルト、せっかくの休暇だというのに呼びつけてすみませんでした。娘のことが、どうしても気になったものですから。お礼に、稽古をつけてあげましょう」
「え」
「今日これから、というのはさすがに遅いわね。明日の出立前にしましょうか」
ぶわ、と冷や汗が浮き出る。
呼吸が荒くなる。
顔色が悪くなっていくのが、自分でもわかる。
カリーヌの
およそ五年前、俺が魔法学院に入学する前に最後にヴァリエールの屋敷を訪れた日。
親父の暴言と俺の考えなしの慰めのせいでルイズを泣かせてしまった
あれは稽古や教育なんて言葉で
あの暴風と水の鞭はいまだ夢に現れるトラウマで、正直言って、『虚無』より怖い。
「朝食の後、荷物をまとめたら中庭に来るように」
「ぁ……、ぅ、あ、……はぃ……」
「声が小さい!!」
「はい! かしこまりました! ミセス・ヴァリエールっ!!」
脊髄反射的に直立してそう叫ぶと、カリーヌは「よろしい」と満足そうに頷き、食堂を出て行った。
その後ろ姿を見送って、ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう……と俺は頭を抱える。
やっぱりフーケ戦でルイズを危ない目に遭わせたのが悪かったのか。それとも晩餐の席でなにか不味いことを言ってしまったんだろうか。
でも、それにしては怒ってる感じでもなかったし……。
恐怖に
いっそ夜逃げしようかとも思ったが、コールスの俺がラ・ヴァリエール公爵夫人の命令に背けるはずもない。
その晩、俺は客室に戻ってからもベッドの上でがたがたと震え続け……結局、客室に置いてあったワインを一本あけて、無理矢理に意識を失ったのだった。