カリーヌさんのことを考えたくて『烈風の騎士姫』読み返してたらプロットの十割増しで過激になっちゃった(記憶の十割増しで過激な人だったため)。
「動きは悪くないわね」
砂塵舞うラ・ヴァリエール邸の中庭で、埃ひとつ付いてないドレスに身を包んだカリーヌは不服そうに呟いた。
全身に打撲と切り傷を負った俺は地面に手をついてぜいぜいと息を吐き、返事をする余裕もない。
カリーヌによる
早朝こっそり中庭に出て、盾にできる砂をそこらじゅうに『錬金』しておかなかったら、いまごろ腕の一本くらい切り飛ばされていただろう。
「わたしの風をここまで凌げるメイジは、マンティコア隊にもそうはいませんでした。あなたは『土』ですが、風を読む才能があるようですね」
以前、ワルドの『遍在』にも似たようなことを言われたのだが、俺にそんな才能はない。すべてロッキーのおかげである。
この石ころの使い魔は、地面の砂や小石の動きを鋭敏に察知し、風の予兆を俺に教えてくれるのだ。
先日の誘拐事件以来、微妙に信頼が置けなくなったロッキーだったが、主人が本気で恐怖してることを察してくれたのかもしれない。俺の使い魔は『女神の杵』の戦い以上に正確に、かつ俺への負担を減らして地面の感覚を伝えてくれていた。
「ただ、その性根は気に入りませんね。杖を合わせる前からこそこそ動いていたのは、百歩譲ってよしとしましょう。あなたは『土』ですから」
突如、とてつもない悪寒に襲われた俺は咄嗟に横っ飛びにその場を逃れた。
一瞬遅れて、ぶおっ、と空気の砲弾が俺のいた場所を薙ぎ払う。
削れた地面を通してロッキーがその威力を教えてくれて……
「ほら、また」
カリーヌがつかつかと歩み寄り、杖を大上段に構える。
地面にうずくまり、呆けて見上げる俺の頭上で、杖に魔力の光が宿る。おそるべき空気の刃が形成されてゆく。
『ブレイド』のスペルだ。
「何を、ぼうっと見ているのですか」
側頭部に衝撃。
杖じゃない。
カリーヌの足が振り抜かれたのだ。
ぐらぐらと揺れる視界のまんなかに、突然、刃が突き立てられる。
俺は思わず『ブレイド』から身を退こうとして――腹を蹴られた。一瞬間、呼吸が止まり、口から胃液が噴き出す。ああ、やっぱり朝食は断っといて良かった。
「これだけ隙を作ってあげてるのに、反撃のひとつもしようとしない」
隙? どこが?
この蹂躙が始まってからこっち、俺は風を防ぐのに必死で、反撃を考える余裕もなかった。
攻撃の間が不自然に空くことはあったが、息を整え、防御を固める時間としか思えなかった。それでさえここまで打ち据えられたのだ。
どうせカリーヌの気が収まるまで耐えるしかないのに、反撃だなんて。ふざけてる。
「自ら攻める勇気のない、逃げることしか考えられない臆病者。あなた、それでも
関係ねえだろシュヴァリエは。
結局受勲しなかったし。
そもそも俺、好きで推薦されたわけじゃないし。
なんでそんな『騎士』にこだわるんだよ。
そんな不貞腐れた思考が瞳にあらわれていたのか、カリーヌはため息とともに杖を振った。
刃を形づくっていた風が爆発的に膨れ上がり、俺は枯葉みたいに吹き飛ばされる。
「以前より男らしい面構えになっていたから、少しは期待していたのですが……」
うるせえ。
たまたま偉く生まれただけでひとを好き放題殴れる権利があると思ってんじゃねえよ。サディストの親はやっぱりサディストだな。
と、口にできたらよかったのだが……いや、口にできなくて命拾いしたのだが……俺はもはや指一本動かせない。反抗する気力もない。
それだけ肉体のダメージは深刻で、力の差は圧倒的だった。
「とはいえ、まだ杖を手放していないことだけは
いやもういいよ。
もったいぶってないで、なんとでも言え。
やる気を出させるっていっても、どうせ家名への侮辱とか、ルイズとの交友を禁じるとかそういうのだろう。
好きなだけ禁じればいいさ。無視してルイズにつきまとってやるから。
「わたしにひとつでも魔法を当てられたら、ヴァリエールからコールスにあてる支援を、倍にしてあげましょう」
「は? なんて?」
俺は不躾に問い返した。
コールス領はいま、潜在的な食糧難の危機にある。
それは幼い日の俺が考えなしに行った農業改革の影響。畑からの収穫さえ増えれば飢える人がいなくなると思い込んで前世の知識を振りかざした結果、実際に収穫は倍増し……しかし、それ以上に人口が増えてしまった。
小さなコールス領で養える人数以上に。
うちに畑を増やせるような余裕があればよかったのだが、コールスは土地が痩せて急峻で、おまけにオークやコボルトのような人食い種族がうようよしている。気軽に開墾できる土地じゃないのだ。
ヴァリエールからの支援がなければ、今年も何人もの子どもを身売りに出すか、飢え死にさせるかしていたはずだ。
それがいきなり、倍になるって?
「ば、倍っていうのは、小麦が? それとも税のほう?」
ヴァリエールからの支援は、直接的な食料の送付と、王政府に納める税の一部肩代わりの二通りで行われている。
動揺をあらわに問いかける俺に対して、カリーヌはあくまでも平静に言った。
「どちらが良いですか?」
「税……いや、小麦! 小麦でお願いします!」
税のほうが取り回しが効くけれど、親父の浪費癖を考えたら現物支給のほうがずっと良い。
「けっこう。ただし、わたしに当てられたら、ですよ?」
「あ、そっか……」
すでに支援の増額を取り付けた気でいた俺は嘆息し、こうなったら絶対に一発ぶちこんでやると震える脚で立ち上がり……、同時に、底抜けの怒りを抱いた。
そりゃ支援をくれるのはありがたいし、公爵夫人たるカリーヌにとっては、コールスに送る小麦くらい小遣い程度の額なんだろう。
だけどそれを、俺のやる気を引き出すための餌にするっていうのは、傲慢がすぎるんじゃないか。
その金で生きたり死んだりする人間がいて、故郷で、親元で過ごせか否かが決まる子どもがいるってことが、まるでわかってないんじゃないか。
大貴族ってのはこれだから嫌いなんだ。
ああ、そういえば……、と俺は思い出す。
去年の夏にこの屋敷を訪れたときも、俺は同じ怒りを抱いたのだった。
ルイズの学院での生活についてしつこく語らされた晩餐のあと、俺は公爵の私室に呼び出された。公爵はそこで、俺の学院での振る舞いに対する礼を述べ……俺やルイズから直接聞き出す以外にも、彼は個人的な伝手を使って学院の様子を調べていたらしい。過保護だが、当然の親心でもある……三年前にヴィルヘルムが取り付けたコールス領への支援を増額することを約束した。
このありがたい言葉を、愚かな俺は拒絶した。
あまりにも、バカにされてる気がした。
たかだか子ども同士の関係で俺の領地の人間の生き死にを決めようとする、その傲慢さが気に食わなかった。
俺がルイズにしてることが金貨の枚数で計られているような気がして、果てしなくムカついた。
どう考えても怒りを飲み込んで公爵の靴でも舐めるべき場面だったのに、俺は一時の感情を優先して公爵に首を振り、そのまま彼の部屋から逃げてしまったのだった。
そんな俺の幼稚な振る舞いを、しかし、公爵は許容した。
公爵の目からすると、俺の見せた怒りがルイズへの忠義に感じられたらしい。節穴である。心底ありがたい節穴である。
領地に帰ってから自分の短慮と公爵以上の傲慢さに震えていた俺のもとに、約束通りの支援を実施する旨を記した公爵からの手紙が来たとき、俺は安堵のあまり泣きそうになった……というか、泣いた。
隠れて泣いてたはずなのにヴィルヘルムに
あのときの怒りと羞恥を(そして認めたくはないが、歳の離れた兄に抱いた素直な愛情を)思い出して、胸の奥が熱くなる。
暴風を凌ぐために涸れかけていた精神力が、わずかに潤っていくのを感じる。ドット・スペルを二、三度唱えたら尽きてしまう程度の、ほんのわずかな力だけれど、それでも俺はまだ魔法を、奇跡の御業を使うことができる。
「ミセス・ヴァリエール。ひとつ、伺いたいことがあるのですが」
「なんでしょう」
「二発当てたら、三倍とかになりません?」
カリーヌは一瞬きょとんとして、それからさも愉快そうに唇を歪めた。
「かまいませんよ。その代わり、ひとつも当てられなかったらコールスへの支援は打ち切りとします」
「あ、すんません、やっぱいまのナシで。生意気言いました」
「……臆病者ね」
「臆病者でかまいません。何を自分の賭け金に乗せられるか、わきまえておりますので」
「去年はルイズへの忠義のために、ヴァリエールからの支援を断ったと聞いていますが?」
うげ、と顔をしかめる。
俺と公爵との間にあったできごとを、しっかり把握していたらしい。
そりゃ彼女は公爵夫人なんだから、あたりまえではあるけれど。
「あれは自分のためでしかありませぬ。そして、あまりにも短慮だったと反省しております」
「良い短慮でしたよ」
カリーヌは瞳に鷹のような鋭さを宿し、しかし口元の笑みを深くする。
「だからルイズとあなたがともにシュヴァリエに推薦されたと知ったとき、いっそう嬉しかったのですよ。わたしも……口には出さなかったけれど、きっと夫も」
意味がわからない。
この公爵夫人は……そして公爵は、俺のどこをそんなに評価しているのか。
っていうかそういう前向きな理由で
五年前みたいに折檻されるかと思って無駄に怯えてしまったじゃないか。
……まあ、この稽古も折檻と同じかそれ以上にキツかったのだが。
「さて、休憩はこのくらいでいいでしょう。せめて一度くらいは、あなたから打ち込んできなさい、クルト・ド・コールス」
そうして俺は、当然の如く一方的に打ちのめされて気絶した。
なけなしの精神力で唱えた『アース・ハンド』は地面ごと吹き飛ばされ、『クリエイト・ゴーレム』は砂像が立ち上がる前に破壊され、やぶれかぶれに『ブレイド』を唱えてつっこんだら、なんと魔法なしの体術で軽くいなされてしまった。
曰く、同じ『ブレイド』で受けたら、あなたを切らないように加減するのがとても難しいから……、と。
五十近い女性のものとは思えない拳を腹に受けて意識を失った俺は、直後、頭から冷水をぶっかけられて目を覚ました。
カリーヌは俺を無理矢理に立たせると、にっこりと笑う。
「ラ・ヴァリエールでの滞在を延長なさい。期間は……そうね」
俺が返事する前に年嵩の侍女を呼びつけ、なにやら予定を確認し、有無を言わさぬ口調で告げた。
「一週間程度なら、わたしも都合がつきます。明日から毎日、この時間に稽古をつけましょう。騎士として、最低限の気構えくらいは身につけておきなさい」
「い゛っ……!」
「あら、クルトくん、目が覚めた?」
目覚めると同時に激痛に襲われ、口から悲鳴が漏れる。
すると聞き覚えのある穏やかな声が振ってきて、俺は痛みに耐えながら慎重に体を起き上がらせる。
カトレアがベッドの横の椅子に座り、心配そうに、しかしなんだかおかしそうに俺の顔を覗き込んでいた。
痛みに顔をしかめながらも、俺は思い出す。
カリーヌの言葉を受けた俺は呆然としたまま客室に戻り、そのままベッドで意識を失ったのだった。
土と血でシーツを汚してしまったのは気が咎めたが、あの状態でここまで帰り着けただけでも褒めて欲しい。もう少しだけ回復したら、洗濯はちゃんと自分でやるから。
カトレアは俺の様子をしげしげと観察していたが、不意に立ち上がり、深々と頭を下げた。
「母さまがごめんなさいね。昨夜、ちゃんと止めてあげればよかった。ここまでするとは思わなくて」
「いえ、そんな。ミセス・ヴァリエールほどの使い手から直々にご指導いただけるなど、身に余る光栄でございます」
ルイズと同じピンクブロンドの頭が下げられている光景に、俺は慌ててしまう。
「カトレアお嬢さまに謝られてしまっては、私の立場がなくなってしまいます。どうかお顔を上げてくださいませ」
「ありがとう、クルトくん。そう言ってもらえると助かります。でも……」
と顔を上げてくれたカトレアは、ルイズからキツさと性格の悪さを抜いて慈悲の心を百倍にしたような、歳のわりに幼げなおっとりとしたかんばせに不満の色を浮かばせる。
「あなたにそんな話し方されたら、お姉さま、ちょっぴり寂しくなっちゃう。昔みたいに話せない?」
「い、いえ、そういうわけには……」
かつてラ・ヴァリエールの屋敷に通わされていたころ。
カトレアはルイズから俺の性格についてよく聞かされていたらしく、『わたしにも、ルイズにしてるみたいに気安く接してくれていいのよ』としょっちゅう声をかけてきたのだった。
とはいえルイズの前で大事な『ちいねえさま』に砕けた口調を使うわけにもいかず……なぜって、ルイズの機嫌が一瞬で最悪になるからだ……カトレアの要望に応えることができたのは、ほんの数回、さまざまな偶然が重なって彼女とふたりきりになった短い時間だけだった。
あのころは俺も幼かったから多少の無礼は見過ごされていたけれど、いまの俺がカトレアに不躾な口を聞いたら……それが使用人の耳に入って、公爵に報告でもされたら、いよいよ折檻を受けかねない。
そのあたりの事情は、カトレアもわかっているのだろう。
彼女は短く嘆息すると、色白の頬を子どもっぽく膨らませた。
「男の子って、すぐ大きくなっちゃうのね。この間までこんなに小さかったのに」
「去年もお会いしたじゃないですか」
「去年なんか、あなた、このくらいだったわ」
カトレアはそう言って腕を上げ、手のひらで身長を表現するけれど、ベッドの隣の小机より低い。初めて会ったときだって、もう少し背丈があったはずだ。
けれども彼女は大真面目な顔で手を上下させて「このくらいだったかしら……」なんて呟くものだから、俺は吹きだしてしまう。
「ふ、……っぐ、いて、いってぇ……!」
笑った瞬間、胸から脇腹にかけて引きつるような痛みが走り、ベッドの上で身悶えた。
「あらあら! たいへん! そうだわ、わたし、あなたの怪我を診に来たのに!」
カトレアは大慌てで杖を取り出し、鞄に詰めてきたらしい包帯や水の秘薬を小机に並べ始めた。
「いえ、そ、そんな、お嬢さまの手を、わずらわせるわけには」
反射的に拒絶してしまったのは、彼女が公爵家の娘だからじゃない。
カトレアは生まれつき体が弱く、魔法の行使をきっかけに体調を崩すこともある。
そんな彼女に『治癒』を唱えさせるくらいなら、このまま血を垂れ流してるほうがずっとマシだ。
「ありがとう。あなたのそういうところは、昔から変わらないのね」
カトレアは、まるで俺の心を読んだかのように微笑んだ。
このひとは昔から、ときどき異様に鋭いのだ。
「でもいいのよ。わたしだって、成長してるんだもの。このくらいで倒れたりしないわ」
その言葉が俺への気遣いなのか、それとも本気でそう言ってるのか、俺にはわからない。
しかし彼女がそうまで言うのなら、俺に拒否する資格はなかった。
これ以上治療を拒むのは、あまりにも傲慢な、誇りを穢す行為に思えた。
俺は命じられるままにシャツを脱ぎ、彼女の母にさんざん痛めつけられた体を晒す。
カトレアはなぜかにこにこしながら、秘薬の瓶を手に取った。