雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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81.才人とルイズと伝言の剣(3)

 

 長い長い沈黙の間、才人はずっとルイズの手を握っていた。

 怯えたように小刻みに震えるルイズと、顔面を蒼白にしたクルトの間で視線を彷徨(さまよ)わせ、才人はどうすることもできなかった。

 

 ルイズが突きつけた問いは……あの勇敢な王子さまが殺されるのを防ぐことはできなかったのか、未来がわかっていたなら、もっと上手くやれなかったのか、という疑問は、才人自身、一度ならず考えたことがあった。

 クルトが黙っていなければ、あの王子さまは今も生きていて、姫さまもあんなに傷つかずに済んだんじゃないのか……、と。

 

「それ、は……」

 

 クルトは泣きそうに顔を歪め、実に苦しそうに呟いた。

 才人は、そしてきっとルイズも、クルトが否定することを望んでいた。

 未来が占えるといっても、たいしたことはわからない。皇太子が死ぬことは知らなかった。俺にはどうしようもなかったんだ……、と。

 そんなことを言ってくれたら、ルイズはクルトを許せるはずだ。すべて元通りになるはずだ。

 けれども才人の抱いた希望は、あっさりと否定されてしまう。

 

「すまない……俺は、こ、殺さなくても、よかったかも、しれない。そうか、そこから変えても、よかったんだ。むしろ変えるべきだったんだ、そこから……すまない、俺が愚かなばかりに……。ああ、俺が逃げてたせいだ。もっと早くに、俺が、まともに動いてたら……、タルブじゃなかったんだ、俺が、最初に見捨てたのは……間違えたのは……」

 

 つっかえつっかえ話すクルトの姿に、才人はデルフリンガーの言葉を思い出す。六千年の昔から存在し、未来を占う虚無魔法さえ知っているというこの伝説の剣は、予言にもクルト自身にも『期待するな』と警告した。

 先のことが見えるのは呪いと一緒だ、と。

 この剣には珍しい陰鬱な調子で語っていたのだ。

 

「あの王子さまは、ニューカッスルで死ぬつもりだった」

 

 気がついたら、自分で意識するより先に、才人は口を開いていた。

 彼の脳裏に浮かんでいたのは、アルビオンへの途上、ラ・ロシェールの『女神の杵』でクルトに慰められた記憶。

 きっとあのときのクルトも、いまの自分と同じように必死で話していたのだろうと、才人は思う。

 

「俺もルイズも……たぶん姫さまも、逃げるように説得したけど、王子さまは頷かなかった。姫さまに迷惑をかけないために、戦って死ぬつもりだったんだ」

「だけど、だけど、俺がちゃんとしてれば、ウェールズは……、ああ、俺があんなにバカじゃなければ、彼はワルドに殺されなかったかもしれない。せ、せめて、勇敢に戦って死んでいくことが、できたのかも、しれない」

 

 クルトは首を振って、いっそう苦しそうに言葉を吐き出す。

 

「俺は、助けようともしなかった。俺のなかでは……、死んでたんだよ、ウェールズは。彼が死ぬのは、もうすでに決まり切ってることだった。避けられない、避けようがないことだったんだ。そんなことないのに。まだいくらでも手の打ちようがあったのに。俺はただ、バカみたいに黙って見てるだけだった」

 

 才人を握るルイズの手に、ぎゅう、と力が籠められた。

 それが何を意味しているのか、ルイズは怒っているのか、悲しんでるのか、それともまったく別の感情を抱いているのか……、まるでわからなかった。わからないままに、才人はルイズを握り返した。

 

「ねえ、クルト……」

 

 しかしルイズは、するりと才人の手を抜け、立ち上がる。

 テーブルを回ってクルトに歩み寄ると、胸ぐらを掴んで、その頬を思いっきりひっぱたいた。それからクルトを突き飛ばし、床に転がった彼の腹に容赦ない蹴りを入れた。抵抗もなく倒れた彼の体を、何度も何度も、蹴り続けた。

 

「お、おいルイズ、そんくらいにしとけよ。さすがに死んじまうって」

 

 才人はクルトへの心配が半分、抑えがたい嫉妬の気持ちがもう半分で、ルイズの肩を掴んだ。

 たとえそれが怒りであれ、悲しみであれ、ルイズの激情が自分以外の男に向いていることが、耐えがたかったのである。

 この『魅惑の妖精』亭で初めて迎えた朝、寝ぼけ(まなこ)のルイズが呟いた『クルトはわたしがだいすきだもんね』という言葉は、いまだに才人を(さいな)んでいるのだった。

 

「死んだほうがいいのよ、こいつ」

 

 仰向けに転がしたクルトの胸に足を乗っけているルイズは、ひどく不機嫌な顔。

 ぐりぐりと、ルイズは胸のまんなかにヒールを突き刺すように足を(ひね)る。クルトは唇の端から血を垂らし、苦痛の呻きをあげるけれど、逃げようともしない。

 

「わたしは、あんたを許さない。一生、ぜったいに、あんたが皇太子殿下を見殺しにしたことを許さない。姫さまを悲しませたことを許さない。あんたなんか、いっぺん死ねばいいのよ」

 

 ルイズはひときわ強くクルトの胸を踏みつけた。

 

「だけどあんた、こないだ、いっぺん死んでたわね。それで手打ちにしてあげる」

 

 クルトが弱々しく首を振り、口を開きかけたけれど、ルイズは胸を蹴って彼の言葉を遮った。

 

「黙って。あんたの言い訳なんか聞く価値もないわ。許さないけど、殺すのもやめにしてあげる。せいぜい、義務を果たしなさい」

 

 ルイズはようやくクルトを解放し、ふらりと才人に抱きついた。彼女は使い魔の胸に顔を押しつけて、呟く。

 

「ほんと、あんたのバカ剣が言ってた通りね。呪いよ、こんな……」

 

 そのとき、客室の扉がノックされた。

 

「お取り込み中ごめんなさい。ルイズちゃん、またご指名が入ってるのよ」

「断ってください、ミ・マドモワゼル」

 

 廊下から聞こえたスカロンの声に、ルイズは才人にくっついたまま、気怠そうに返事をする。

 すると今度は、ジェシカの揶揄うような声が聞こえた。

 

()()で忙しいのはわかるけどねー、ルイズ、そうもいかないお相手っぽいのよ」

 

 才人は思わずクルトを見るが、彼も心当たりがないというように首を振る。

 扉の向こうでスカロンが言う。

 

「身分は隠してらっしゃるけど、やんごとない御方よ。そこのお兄さんより、ずっと高貴なご身分ね」

 

 やんごとない……つまり、貴族ということはわかったが、いったい誰だろう?

 また先日のように、暇を持て余したキュルケがタバサやギーシュを引き連れ、ルイズにタカりにきたのだろうか。

 

「あ」

 

 才人とルイズが目を見合わせて首をひねっていると、不意にクルトが声をあげた。

 彼はおぼつかない手つきでポケットに手を入れ、使い魔の石ころを床に落とす。

 

「そう、か、今日が……こんなに、早かったのか。通してください、スカロンさん」

 

 掠れた声で、扉の向こうに呼びかける。

 はぁーい、とおっさんのキモい裏声が聞こえ、ばたばたと去って行く気配。

 ルイズは、よろよろと起き上がろうとしていたクルトの脚を蹴っ飛ばして転ばせながら、

 

「なに勝手に答えてんのよ! 生意気! やっぱ死んだら!?」

「い゛、いでっ、すまん、つい……」

「『つい』じゃないのよ、『つい』じゃ! 礼儀がなってないのよ! あんた仮にも貴族でしょ!? わたしの子分でしょ!? まずはわたしにお伺い立てなさいよ! バカ犬のほうが、まだ躾ができてるわ!」

 

 才人は、なおもクルトを蹴ろうとするルイズを羽交い締めにして止めながら、それって褒められてるんか……? とせつない気持ちで天井を見上げた。

 

 

 

「姫さま! それにアニエスも!」

 

 ややあって二階の客室に上がってきたふたりは、つい三日ほど前に会ったばかりの人物。

 トリステインの女王アンリエッタと、銃士隊の隊長アニエスだった。

 

「先日のお礼とお詫びを言いに来たのだけど……ルイズ、お仕事の邪魔をしちゃったみたいね」

 

 アンリエッタは、身分を隠すためのフード付きローブをアニエスの手で脱がされながら言った。

 

「そんな! 姫さまのためとあれば、いつ何時(なんどき)でも都合をつけますわ!」

 

 ルイズは直前までの不機嫌を完璧に隠した笑顔で答える。

 さすがに涙の跡までは消えていないが……、女ってこええ、と才人は思う。

 

「ありがとう、ルイズ。やっぱりあなたは、わたくしのほんとうのおともだちね」

 

 アンリエッタもルイズの頬の赤みに気づいてるはずだが、見ぬふりをすると決めたらしい。にっこりと、気品に溢れた微笑みを浮かべる。

 

「実を言うとね、お礼もお詫びもただの口実。わたくし、あなたに会いたくてここまで来たのです。先日、あなたの顔を見てからというもの、ずっとあなたが恋しくて……」

 

 才人は先日の『きつね狩り』でアンリエッタと過ごした時間を思い出し、思わず頬を染めた(別に彼女が自分を恋しがってたワケじゃないと、わかってはいるのだが)。

 あの夜、内通者を炙り出すために『女王が(さら)われた』という狂言を演じていたアンリエッタは、才人と一緒にトリスタニアの木賃宿で一晩を過ごした。

 そして彼女を探しに来た兵士たちの目を(あざむ)くために恋人のフリをして、深いキスまで交わしていたのである。

 

「わ、わたしもですわ、姫さま……!」

 

 そんな才人の様子に気づきもしないルイズが、なにやら感動した(おも)()ちで立ち上がる。

 アンリエッタも芝居がかった調子でルイズに近づき、ふたりはひしと抱き合った。

 

「ルイズ、ああ、ルイズっ……!」

「姫さま……!!」

「ルイズ……!!!」

「姫さま……!!!!」

「ルイズ……!!!!!」

「姫さま……!!!!!!」

 

 このままキスでもするんじゃないかという勢いでくっつき合っていたふたりだったが、彼女たちだけに通じる符牒(ふちょう)でもあるのだろうか、突然、ぱっとお互いの体を放した。

 

「さて」

 

 と、アンリエッタはきわめて冷静な調子で呟き、部屋の隅で所在なさげに立っているクルトを見た。

 ルイズは我が意を得たりとばかりに頷いて、得意そうに言う。

 

「それじゃ、あんたはさっさと消えなさいよ。わたしたち、姫さまと大事なお話があるの」

「わかってるよ、ルイズ。ただ、ひとつだけ、陛下にお伝えしたいことがあるんだ」

「あんたにそんな権利ないわ。っていうか、姫さまの前で息する権利もないわ。いいから……」

「待ってください、ルイズ」

 

 怒りをあらわにクルトに詰め寄り、その腕を掴んで強引に引きずり出そうとしたルイズを、アンリエッタが制止した。

 ルイズは不満そうに顔をしかめるが、アンリエッタの求めとあれば逆らえない。しぶしぶとクルトから手を離す。

 才人はこの光景になぜだかちょっとだけ安堵して、ルイズとクルトの間に体を挟み込んだ。

 ルイズは唸るように言う。

 

「あによ、バカ犬」

「それは、お前……乱暴するからだよ、姫さまの前で」

「しないわよ」

「してるじゃんか」

 

 足を踏まれた。

 なぜか、才人はますます安心してしまった。

 その様子をおかしそうに見ていたアンリエッタは、気を取り直すように咳払いして、クルトに言う。

 

「クルト殿。あなたもあの忌まわしい夜、わたくしを止めてくれましたね。ルイズと、優しい使い魔さんと一緒に……。改めて、お礼を言わせてくださいまし」

「いえ……、私は、なにも」

 

 クルトはひどく苦しそうに視線を伏せた。

 女王に礼を言われることになった原因、あの誘拐事件は、元を辿ればウェールズの死から始まっている。

 たったいまルイズに糾弾されたばかりの、彼の罪から……果たしてそれが罪と呼べるものなのか、才人にはわからなかったけれど……彼が女王の言葉に苦痛を感じていることは、才人の目には明らかだった。

 

「わたくしに伝えたいこととは、何なのですか?」

 

 問われたクルトはゆっくりと顔を上げ、こわばった声で話し始めた。

 ひとつ言葉を発する度に体を剣で貫かれているかのような、痛々しい調子だった。

 

 

 

「父君の内通、ですか……。クルト殿、よくぞ話してくれました」

 

 クルトが語ったのは、彼の父、マラカイ・ド・コールス男爵がアルビオンと内通しているという告発だった。

 アンリエッタもアニエスも疑わしげにその告発に耳を傾けていたが、彼が差し出した手紙と帳簿の写しを受け取ると、次第に険しい顔になっていった。

 

「慈悲深き女王陛下……どうか、どうか寛大なご処置を(たまわ)りとう存じます」

 

 クルトは床に膝をつき、深々と頭を下げて懇願する。

 手紙を睨みつけて考え込んでいるアンリエッタに代わり、アニエスが吐き出すように言った。

 

「しかし……コールス殿。ことがことだけに、見逃すわけにはいかぬぞ。この手紙が事実であれば、貴殿の父は、もはやトリステインの貴族とは呼べぬ。庇い立てしようにも……」

「かまいませぬ」

「……なに?」

 

 アニエスは、困惑したように眉をひそめた。

 

「父はどうなろうとかまいませぬ。コールスの民に、寛大なご処置を」

「ご安心ください。領主が犯した罪の責を、いったいどうして民に問うことができましょう」

 

 アンリエッタが静かに答え、クルトは安堵の息を吐いた。また深々と頭を下げ、慇懃に感謝の言葉を並べた。

 才人は、この友人が平民に対して優しい一方、貴族に対しては驚くほど酷薄な面があることを思い出す。その判断基準は、家族であっても例外ではないようだった。

 

「陛下、お伝えしとうございます。父の罪を暴いたのは、我が兄、ヴィルヘルムにございます。コールスには兄が必要なのです。あの土地は、メイジがいなければ誰も生きていくことはできませぬ。兄のような、土地をよく知る、優れたる水の使い手がいなければ、いまに民が飢えてしまいます。どうか、どうか兄にだけは、(とが)が及ぶことのないよう、お願い申し上げます」

 

 クルトが懇願しているのは、兄を想ってのことなのか。それとも言葉の通りに、領地の平民のためだけを考えているのだろうか……。

 思わずそんなことを考えてしまった才人をよそに、アンリエッタは頷いてみせた。

 

「わかりました、クルト殿。わたくしの力の及ぶ限り、あなたの望むように処置を進めましょう。もちろん、あなたの兄君の身柄を調べ、真実、潔白であれば……という条件は付きますが」

 

 重々しく礼を言い、低頭を続けるクルトに対して、アンリエッタは楽にするよう命じ、悲しみを帯びた微笑みを浮かべる。

 

「いいのです。これはほんのお礼ですよ、クルト殿。ウェールズさまの亡霊に心を狂わされていたわたくしを、あなたは叱ってくれた。そのお返しがしたいのです」

「陛下、私は……」

「あなたは心底から民を想うことのできる、数少ない、ほんとうの貴族のようですね。宮廷にも、あなたのような方がもっといてくれたらよかったのですが」

 

 クルトは顔を伏せ、じっと黙っていた。

 彼は静かに肩を震わせ、骨が白むほど強く拳を握っていたけれど、アンリエッタは気づく様子もなく……あるいは、彼が女王からの賞賛に感激しているのだと勘違いしたのかもしれない……素直な、感心した調子で言葉を続ける。

 

「あなたの働きは、ルイズからよく聞いています。わたくしの手紙のためにアルビオンに向かった任務ではワルド子爵の『遍在』を足止めし、あの忌まわしい夜には、ルイズをガーゴイルの凶刃から庇ってくれた……。あなたは何度も、わたくしの大切なおともだちを守ってくれました。この意味でも、あなたには恩がありますわ」

「……ルイズを守るというのであれば、お言葉ですが、陛下」

 

 耐えるようにアンリエッタの言葉を受け止めていたクルトが、不意に顔をあげた。

 

「此度のアルビオンへの侵攻、考え直すことはできませぬか」

 

 瞬間、客室に緊張が走った。

 ルイズが恐ろしい殺気を発し、それに呼応するようにアニエスが、そして才人までもが咄嗟に武器を取ろうとしたのだ。

 

「黙りなさい、クルト。あんたにそれを言う権利はないわ。あんたにだけは……」

 

 ルイズは怒りに震える手で杖を握り、その杖先をクルトの頭に突きつけていた。

 アニエスは上着の懐に片手を入れ、ルイズとアンリエッタの間に体を差し込んでいる。

 一方の才人はどうしたらいいのかもわからず、デルフリンガーに手を伸ばしかけた格好で身を固めていた。

 

「ルイズ、すまない。お前が俺を許せないのはわかってる」

 

 クルトはアンリエッタを見つめたまま、呟くように言う。

 

「でも、俺は言わなきゃならない。これが最後の機会かもしれないんだ。ルイズも才人も、戦争に行かせたくない」

「あんたの希望なんて、知ったことじゃないわよ」

「わかってるよ。でも、俺はお嬢が大切なんだよ。お嬢には、危ない場所に行って欲しくないんだよ。止めたいんだよ。そのせいで、なにが変わっちまうとしても」

「変えたくないんじゃなかったの?」

「それは次善の策だ。始まっちまったら、変えずにいるのが一番安全なんだろうさ。お嬢が戦争に行きたいっていうなら、いくらでも手伝ってやる。だけどそもそも戦争が始まらないなら、悲劇が起きずに済むなら、そうするべきに決まってる」

「あんた、どうしてそれを――」

 

 ルイズは唇を噛みしめた。

 放たれなかった言葉の先を、才人はまざまざと想像できる。

 どうしてそれを、ウェールズ皇太子のときにはできなかったのか。あの王子さまを見殺しにしたくせに、どうして今さら、姫さまを止めようとしているのか――と、ルイズは叫んでいるのだった。

 

 クルトは答えなかった。

 彼もまたルイズの叫びが聞こえているはずなのに、ひたすらにアンリエッタを見つめるだけ。

 それは彼がルイズに答える言葉を持たないからか、あるいはアンリエッタとアニエスの前では語れない理由があるからなのか……、才人にはわからなかった。

 

 ただ、才人は言いようのない悔しさを覚えた。

 

 いままで才人はルイズに付き従うばかりで、それ以上のなにかを考えたことがなかった。もし今後戦争が起きて、ルイズが姫さまのために戦場に行くと言ったら、才人は言われた通りに着いていっただろう。

 ルイズを止めようとは思いもしなかったし、戦争そのものを止めてやろうだなんて、想像したこともなかった。

 才人はそんなことを考えて、ルイズを想って女王さまに直談判できるクルトに、奇妙な敗北感を覚えた。羨ましい、と思った。

 

「……クルト殿。あなた、ルイズの力を知っているのですね?」

 

 重苦しい沈黙を破り、アンリエッタがふと気がついたように呟いた。

 ルイズとクルトの意味深な会話から、彼女は虚無を連想したらしい。

 まったく的外れというわけではないのだが、しかし正解とも言い難い女王の言葉に、クルトは黙って頷いた。

 

「そう……。ルイズ、あなたには、ほんとうのおともだちが近くにいるのですね。羨ましいわ」

 

 ルイスとクルトは、揃って首を振った。

 アンリエッタはその様子に寂しそうな瞳を向けて、微笑んだ。それはあの誘拐の夜に彼女が見せたものと同じ、揺るぎない決意と拒絶を宿した哀しい微笑みだった。

 

「アルビオンの打倒は、いまやトリステインの国是です。今後ルイズの身には、多くの危険が降りかかることでしょう」

「それは、陛下が彼女をお使いにならなければ――」

 

 ルイズが杖を振った。

 魔法ではなく、純粋な暴力でもってクルトの後頭部を殴り、その言葉を遮った。

 

「わたしの虚無は、姫さまのため、祖国のために捧げると誓ったの。あんたに口出しされる(いわ)れはないわよ」

「謂れも権利も、知ったことか。俺は、嫌なんだよ。耐えられないんだ。これ以上、黙って見てるだけなんて、許されるわけないんだよ!」

 

 ほとんど泣きそうな声で叫んだクルトに対し、アンリエッタは薔薇の微笑みを崩さない。

 

「あなたのような貴族がいるなら、ルイズも安心だわ。どうか、これからも、わたくしのルイズを守ってくださいまし」

 

 クルトはアンリエッタに視線を戻し、吐き捨てるように言った。

 

「謹んで、お断り致します、陛下」

「……いま、なんと?」

 

 アンリエッタは、きょとんと首を傾げた。

 ルイズもアニエスも、そして才人も、クルトを除くその場の全員が、あっけに取られて彼を見つめた。

 

「お嬢……ルイズは私の友人です。友を守るのに、どうして陛下のご命令が要りましょうか。彼女を戦場に送る陛下の……」

 

 クルトは険しい表情で語り、ルイズはまた彼の頭を殴った。

 

「不敬よ! 不敬! あんた姫さまをナメすぎ! そういうときはねえ、謹んで拝命致します、命に代えてもお守り致します……とか言っときゃいいのよ!」

「そうだな。俺の命に代えても、お嬢は死なせない。陛下のご命令とは関係なく」

「そうじゃないわよ! なんもわかってないじゃない! っていうか、命に代えても、とか生意気言ってんじゃないわよ! 二度とあんなことすんなっつったでしょ! キモいのよ!!」

「命云々はお前が言い出したんだろが」

 

 ああもう! とルイズは頭をかきむしって地団駄を踏み……、ふっ、とアニエスが吹きだした。

 射殺すようなルイズの視線を受けたアニエスは、しかし堪えきれないというようにくつくつ笑い、さも愉快そうに言う。

 

「い、いや、失敬、ラ・ヴァリエール殿。良い友を持ちましたな」

「良い友? 冗談! だいたい、こいつ友達じゃないし! せいぜい子分か、小間使いよ!」

 

 あっはっは! とアニエスは快活に笑った。目の端に涙まで溜めている。その隣に座るアンリエッタも、つられたように唇の端を震わせていた。

 

「しかし、そうなると、コールス殿には悪いことをしたかもしれぬ」

 

 アニエスは、ふと笑いをおさめ、深刻そうに呟いた。

 

「先日の、捕物(とりもの)での出来事なのですが」

 

 アニエスはちらとアンリエッタに視線をやって……女王は近衛の隊長に頷き、任務について話す許可を与えた……にやりと唇を歪める。

 なにかに気づいたらしいルイズが焦ったような表情を浮かべるが、アニエスは容赦なく言葉を続けた。

 

「あの晩、私はラ・ヴァリエール殿と偶然に出会い、行動を共にしていたのですよ。そして密使を追っている最中、敵の目を欺くため、恋人を(よそお)ったのです。酒場の影で、我ら、唇まで合わせて! いや、あれは情熱的な夜でしたな!」

 

 才人はアニエスの話に、アンリエッタとの一夜を思い出してしまった。

 彼もまた、アンリエッタと恋人のフリをして、キスしていたのである。

 思わずアンリエッタを見ると、彼女もあの夜を思い出したのか、薄く頬を染めて俯いている。

 なんとも魅力的な姿だったが、しかし才人は、それ以上にルイズとクルトが気になってしまった。

 

 だって、アニエスは『コールス殿に悪い』とか言ってルイズとのキスを語っていた。

 だけどそれっておかしくないか? 悪いなら、俺に対してじゃないか? ……と、才人は考えてしまったのである。自分が付き合ってるわけでもないのに。

 

 クルトは「任務のために仕方なかったとはいえ、その手の話を笑いの種に、しかも当事者の前で暴露するのはどうかと思いますが」とマジメなのかルイズを庇ってるのかよくわからないことを言ってるが、ルイズは……。

 

 恐る恐るご主人さまの様子を(うかが)うと、なんと、ルイズ、頬を赤らめていた。

 アニエスとのキスをクルトに知られたのが、そんなに恥ずかしいのだろうか。

 でも、ルイズ、それってへんじゃんか。おかしいじゃんか。いつもキスしてるの、俺じゃんか。さ、昨夜なんか、舌まで……なんて考える才人の前で、ルイズは顔をまっかにして俯いている。

 彼女はちらりと才人のほうを見て、一瞬だけ視線が合うけれど、すぐ逸らされてしまう。

 ど、どうして……。

 クルトのほうは、恥ずかしくて目も向けられないってこと? オモロ顔のモグラでも見て気持ちを落ち着かせてるってこと? やっぱクルトって元カレだったの? もしかして、まだあいつに気があるの?

 

 い、いいもんね、ルイズが浮気するなら、いや浮気っていうかもともと俺たち付き合ってないけど、ともかく、俺だって姫さまがいるもんね。き、き、キスしちゃったもんね……とアンリエッタを見ると、彼女はもう落ち着きを取り戻していたらしい。

 女王としての優美な微笑みを浮かべ、アンリエッタは咳払いする。

 

「クルト殿。あなたをルイズの友人と、そしてほんとうの貴族と見込んで、差し上げたいものがあります」

 

 え? なに? 今度は姫さまもクルトに?

 

「あなたを騎士(シュヴァリエ)に任じます」

「お断りします」

 

 クルトは憮然とした調子で応え、アンリエッタは微笑みを深めた。隣で肩を震わせているアニエスをちらと視線で咎めながら、淡々と言う。

 

「なりませぬ。あなたはわたくしの命令と無関係に、勝手にルイズを守るのでしょう? ならば、あなたの意思とは無関係に、あなたがわたくしのおともだちを守ってくれるよう取り計らうのも、わたくしの勝手」

 

 筋が通っているようないないような、無茶苦茶な理屈であったが、女王が言うからにはそれで通るのだろう。

 

「わたくしは未だ若輩の女王ですが、冠を(いただ)いてから学んだこともあります。地位や肩書きというものは、それだけで問題を解決してくれるものではありませぬ。厄介な荷物と感じることも多いでしょう。しかし、ときとして、肩書きが他に代えがたい働きをすることもあるのですよ?」

 

 クルトは少し考えてから、やはり不愉快そうに答えた。

 

「……騎士の爵位には、従軍経験が必須になったと聞きましたが」

「そうでしたね。では、銃士隊の名簿にあなたを加えておきましょう。アニエスもかまいませんね?」

「陛下のご希望とあれば、ご随意に。我ら銃士隊、平民でなければならぬ、女でなければならぬという規定はございませぬ(ゆえ)

「んな適当な……」

 

 クルトはいつもルイズに向けてる不機嫌な顔で、低く唸るような声を出す。

 嫉妬で(うたぐ)り深くなった才人は、それが、なんというか……、こいつ姫さまにまで手ぇ出す気かよ、つーかもったいぶって特別感出そうとしてんじゃねえよ、かっこつけんな……とムカついてしまった。

 というかコイツ、未来が見えるっていうならこうなるのもわかってたんじゃねえか? むしろここで出世するために、いままでルイズにいろいろしてたんじゃねえか、親父さんの話も、そのために持ってきたんじゃねえのか、と思ってしまった。

 拗ねた気持ちで、

 

「いいじゃんか、なっとけよ。騎士サマに」

 

 と言った。

 

 その声に滲む苛立ちを気取られたのか、アンリエッタが申し訳なさそうな顔をする。

 

「サイトさん、本来ならばあなたにも騎士を……いえ、それ以上の報奨を与えねばならぬのですが」

「いいっすよ。こないだお金もらいましたし」

 

 半分はギーシュとモンモランシーに貸したっきりだし、もう半分はルイズが賭けでスったけど。そういやどっちもクルトのせいだ。なんなんだよ、こいつ。

 アンリエッタは才人に頷くと、ふたたびクルトに向き直る。

 

「騎士の爵位は、あなたを縛るものではありませぬ。建前上はルイズの補佐官ということにしますが……わたくしから、何かを命じることはないでしょう。命じずとも、あなたは必要なことをしてくれるでしょうから」

「……かしこまりました、女王陛下。謹んで拝命致します」

「ありがとう、クルト殿。あなたがこの肩書きを、正しく使ってくれることと信じます」

 

 とうとう折れたクルトがアンリエッタの前に跪き、その場で受勲の儀式とやらが執り行われる。

 儀式が終わった頃になってようやく我に返ったルイズが抗議するけれど、いまさら取り消すことはできない。

 その様子を、才人はなんだかとてもつまらない気持ちで眺めていた。

 

 





【マラカイ】
○概要
 台詞がひとつしかないまま退場しそうになってるクルトの父親。
 火のラインで、二つ名は『灯火(ともしび)』。

 生まれたときはコールス姓だったが、十七歳のときコルパスになった。当時通っていたトリステイン魔法学院には、ゲルマニアからの留学生という体裁で半年ほど在籍した後、退学となる。
 オールド・オスマンが度々言及している「クルトの兄」はヴィルヘルムではなくマラカイのこと(ヴィルヘルムが通っていたのはヴィンドボナの学院)。


○性格
 紛うことなきグリフィンドール、だった。
 生来、彼は人好きのする朗らかな性格であり、貴族らしい勇敢さを持っていた。
 しかし家柄のためにその勇敢さを発揮する機会に恵まれず、在学中にゲルマニアの所属となり友人の大半を失ったことをきっかけにして、次第に鬱屈とした性格になっていった。

 クルトからは軽蔑されているが、ハルケギニアの貴族としては善良な部類。
 『火』の使い手ゆえに領民の暮らしに直接貢献することは少なかったが、領地に出た幻獣や野盗の退治は積極的に行っていた。
 いざ戦となれば領地を守るために命を賭す覚悟であった(が、その機会はついぞ訪れなかった。彼がレコンキスタと繋がりを持ったのは、その勇敢さの行き先を求めた結果。歴史の転換点を前にして、分不相応に大胆な、あえて分の悪い賭けに乗ってみたくなったからだ)。
 クルトが嫌っている彼の浪費癖は、生まれながらのゲルマニア人ではないマラカイが、ゲルマニア的性質を身につけようと努力した結果である。

 クルトのことは、彼に『前世の記憶』が目覚めるまではごくふつうに愛していた。息子の言動がおかしくなってからも、愛する努力をやめなかった。
 妻ローレライがクルトの異常な言動に耐えかね、家を出た後でさえ、マラカイは末の息子に彼なりの愛情を注ごうとしていた(長子ヴィルヘルムの情け深い性質はマラカイから受け継ぎ、マラカイによって育てられたものである)。


※あくまでも『筆者の解釈』であり、クルトやその他視点人物の認識とは異なることがあります。

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