これ以上ないほど簡略化された
冗談のような、いっそ悪夢のような展開だ。
ルイズに対する
そんな報いを受けるために、あいつにつきまとっていたわけじゃない。俺は、むしろ、ずっとあいつに救われていたのだ。
報酬なんかいらない。たったひとこと、あいつにお礼を言ってもらえたらそれでいい。そうして、それはもう済んでいる。
いまやあいつに憎まれてしまったけれど……それでも、十分以上に受け取っている。
ラ・ヴァリエール公爵もアンリエッタも、どうしてルイズを理由に俺になにかを渡してくるんだ。気持ち悪い。
ラ・ヴァリエール領の端からトリスタニアまでほとんど休みなく馬を走らせた疲労、そしてカリーヌの稽古で負った傷が治りきらぬうちにルイズに手酷く殴られ、蹴られ、踏みつけられた痛みに濁った思考は、どうしても不快な方向へと進む。自家中毒的に、自分自身を苛立たせてしまう。
足を引きずり、壁に手をつきながら階段に続く廊下を歩いていると、背後で扉の開く音がした。
振り返ると、才人が客室から出てきたところだった。
『原作』のようにアンリエッタとの浮気がバレて逃げてきたのかと思ったが、どうも違うようだ。
彼は思い詰めた表情を浮かべ、こちらに歩いてくる。
「よお、クルト。よかったな。大出世じゃねえか」
軽く肩を叩かれ、そんなことを言われる。
思わず、足が止まる。
口汚い言葉が喉元までせりあがるが、押し殺す。才人は受勲と関係ない。彼の立場からしたら、友達……と、彼がまだ思ってくれていたらいいのだが……の出世を祝うのは当然のことだ。
それに、才人には別の用事があるはずだ。こんな深刻そうな顔をして、まさか、ただお祝いを言いに来ただけじゃないだろう。
「……親父さんのこと、大丈夫なんか」
しばらく待っていると、才人が言いづらそうに尋ねてきた。
「大丈夫だよ。陛下は慈悲深い裁きを約束してくださった。領地の連中には、なんの問題もない」
「そうじゃなくて、お前は」
「ああ……俺も巻き添えを食らったりはしないはずだよ。そうじゃなきゃ、俺を騎士になんてするはずがない」
と、ここまで言って、俺はようやく気がついた。
アンリエッタが俺に爵位を授けたのは、コールス家が取り潰しになる事態に備えてのことだったのだ。
彼女は可能な限り俺の望みに応えると言ってくれたが、コールスはもともとゲルマニアとトリステインの間の子の家系。宮廷での風聞は最悪に近いだろう。その当主が敵国と内通していたとなれば、家の取り潰しもあり得てくる。
アンリエッタがコールスを守り切ることができなかった場合、必然、俺も貴族の地位を失うことになる。そうなれば、俺はルイズの傍にはいられないだろう。
だからアンリエッタは、ルイズの『ほんとうのおともだち』に見えた俺を騎士に仕立て上げたのだ。
たとえコールス家が潰れても、俺にルイズを守らせるために。
こんな簡単なことにも気づけず、子どもじみた潔癖症から受勲を拒み続けていたなんて、俺はやっぱり頭が鈍い。
「いや、そういうことじゃなくてさあ……」
そうして、才人がなおも言いづらそうにしていることもまるで読み取れないあたり、俺の愚かさは深刻だ。
「すまん、才人。はっきり言ってくれ。疲れてるんだ」
「だからその……お前は、平気なのかよ。親父さん、下手したら捕まっちまうんだろ?」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって」
俺は廊下の壁に体を預けて、呼吸を整える。
苛立ちのせいか、頭の奥にずきずき響くような痛みが走る。
「投獄で済んだら、よっぽど運が良いほうだな。というか、奇跡だ。ほぼ確実に、我が父上は縛り首だよ。そんでヴィル
「お、お前は、それでいいのかよ。そりゃあこないだ、なんか親父さんとは仲良くないみたいな話もしてたけど」
才人がぼそぼそと言って、俺はやっと彼の心配を理解する。
家族が捕まって死刑になるって、日本なら……いや、ハルケギニアでも
「いいも悪いもないよ。俺たちは貴族だ。王国のもとに平民を支配し、君臨するものだ。俺たちには、最低限、国法に従い、民を守る義務がある。親父はその義務を怠った。それだけの話だ」
あえてそこに
あくまでも推測になるが……、レコンキスタが親父に近づいた理由は、やはり、ルイズしかないのだ。
コールス家なんて官職のひとつも持っていない田舎貴族に取り入ったところで、たいした情報が得られるはずもない。金と人員の無駄でしかない。家の成り立ちや親父の人格からして
だとすれば、レコンキスタには明確な目的があったと考えるべきだ。
そして、それは虚無に違いない。
虚無の担い手であるルイズを、その生家であるラ・ヴァリエールを背後から狙うために、レコンキスタはコールスに取り入ろうとしていたのだ。
その可能性を考えると、こうして早々にアンリエッタに伝えられたのは幸運だった。
父の内通に気づいてくれたヴィルヘルムには、いくら感謝してもしきれない。
「なんだよ、それ。わかんねえよ。仲悪くても、父さんなんだろ?」
「才人がわかる必要はない。コールスには、ヴィルヘルムさえいればいいんだ。浪費癖の領主が消えて、領民たちには、むしろ良かったんじゃねえか」
俺は才人に背を向ける。
こんなこと、なんの前触れもなしに家族と離ればなれになった才人の前で言うべきじゃない。
そのくらい、わかっているのに。どうしても抑えが効かなかった。
また階段に向かって歩き出すと、才人も半歩後ろをついてくる。鬱陶しい、と思った。はやくひとりになりたかった。
「それじゃお前、親父さんを殺すつもりで、ここに来たのかよ。それでぜんぶ姫さまに話したのかよ」
ちゃんと
俺は彼の怒りを受け止めることができない。その余裕がない。ぶつけられた怒りをそのまま跳ね返すように、ぶっきらぼうに答える。
「あたりまえだろ。他に何がある?」
「お前……」
肩を掴まれ、強引に振り向かされた。
「お前、それで満足かよ。家族を売って出世して」
「は……?」
侮蔑をあらわに吐き出された言葉を、俺は、理解できない。
言ってる意味がわからない。
わかりたくない。
「わかってたんだろ? こうすりゃ嫌いな親父を殺せて、姫さまに認められて、ルイズのお付きのシュヴァリエとかいうやつにもなれるって。だってお前、未来のことがわかるんだもんな。姫さまが来るってわかってたから、今日この店に来たんだろ? 俺たちをハメてこの店で働かせてたのも、そのためなんじゃねえか。なんなら、いままでルイズに――」
俺は才人の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。
「てめ、なにしやが……」
顔面を殴った。
「才人、さい、と、なんで、どうしてだよ、……お前、も、どうして、お前までっ」
もう一発殴ろうとしたら、片手で防がれる。そのまま殴り返され、俺はあっけなく床に転がされた。
才人は俺に馬乗りになり、唸るように言う。
「いきなり、なにしやがんだよ」
「……すまん、気が立ってるんだ。もうほっといてくれ」
俺は天井を見上げたまま、呟いた。
いまの取っ組み合いで、体力も気力も使い果たしたみたいだった。もう、なにもしたくなかった。ルイズに憎まれて、才人にまでバカげた疑いをかけられて、でもぜんぶ自分が悪くて、どうしようもなかった。
俺をぎりぎりのところで支えてくれていた
どうしてルイズは俺を殺してくれなかったんだろう。
「うお、クルト」
才人がぎょっとしたような声を出して、俺の上から体をどかす。
気づいたら、俺は涙をぼろぼろ零していたのだった。
「だ、大丈夫かよ」
才人は直前までの怒りをひっこめて、いかにも心配そうな声音で俺に言う。
「……ねえ、よ、ぜんぜん」
俺は鼻をすすり、情けない涙声で答える。
「だい、じょうぶ、じゃ、ねえよ。お、おれは、俺は……」
「やっぱり、あれか。親父さんの件だよな。ごめん、言い過ぎた」
「ちげえ、よ、親父は……、どうでも、いいんだ、おれは」
才人がいつまでも体中のポケットを弄ってるので、俺は自分のハンカチを出そうとポケットに手をつっこんだが、すでにぐっしょり濡れている。そういや、さっきルイズに貸したのだった。
あいつが鼻をかんだハンカチで顔を拭う気には、さすがになれない。俺はシャツの袖で目元を擦り、ぐずぐずと鼻をすすった。
「でも、な。ヴィル兄に、とっては、お兄ちゃんにとっては、父親、だったんだ。俺はあいつらから、父親を奪おうとしてる……いや、ちがう、とっくの昔に奪ってた。壊してたんだ。それなのに……」
俺はずっと、貴族の、魔法使いの息子なんかに生まれたことを罪だと思い込んでいた。いまでもそうだ。俺には生まれつき罪がある。このわけのわからない力を誰かのために、なにか
だけど、このひとりよがりの贖罪こそが俺の大切な人たちを傷つけていた。いままで俺を愛して守ってくれていた兄たちの平穏を壊してしまった。俺が父と兄たちを遠ざけた。コルパスがコールスになったことをきっかけに家を離れた母だって、俺さえいなければ、屋敷に残っていたかもしれない。
俺さえいなければ、兄たちは今も母と暮らしていたかもしれない。
俺さえいなければ、愛情深いヴィルヘルムは、父を庇っていたかもしれない。
そうして、そもそも、父の内通は俺が原因かもしれない。
もしレコンキスタの目的がルイズの虚無だというなら、コールスが狙われた理由は、ラ・ヴァリエールとの地理的な隣接関係だけではないだろう。
俺が……コールスの息子が虚無の担い手の近くにいるからこそ、レコンキスタは父に取り入ったのだ。
「ごめん、クルト……俺、誤解してたみたいで」
「やめ……て、くれよ……俺が、悪いんだ、ぜんぶ……」
なんとか体を起こして、壁に手をついて立ち上がる。足から力が抜けてまた倒れかけたけれど、才人が支えてくれる。情けない。
「死んだほうがいいんだ、俺は……、はじめから、いないほうがよかった。思い出した時点で、消えるべきだったんだ。俺のせいで、なにもかもが悪くなる」
「そんなことねえって」
才人の慰めに、俺はますます苦しくなった。
だって彼は主人公だ。英雄だ。俺さえいなければ、俺が余計なことをしていなければ、必ず幸福になれた人間なのだ。
ルイズもそうだ。あいつには、幸福と輝かしい未来が約束されていたのだ。きっとキュルケも。コルベール先生も。シエスタも。ギーシュも。モンモランシーも。アンリエッタも、アニエスも。
「……タバサ」
「へ?」
「タバサも、俺のせいだ。俺のせいであの子は死ぬんだ。助からないんだ。ああ、キュルケ、俺はお前みたいになれない。ごめん、約束、守れなくて。ごめん、誓わせてくれたのに、ごめんな。でも、だめなんだ。俺は情熱に従いきれない。いくらツェルプストーの真似したってだめだ。無意味だ。所詮は血が濁ってるんだ。炎なんか流れてないんだ。身勝手に壊して、大切なものをぜんぶ台無しにして、それでおしまいなんだ。俺は悪い魔法使いだ。燃やすべきは俺自身なんだ」
「な、なに言ってんの」
「才人、助けてくれ。守ってくれ。あの子を。俺はもう死ぬ。消える。その代わり、あの子を救ってくれ。お前ならできる。お前にしかできない。あの子を幸せにしてあげてくれ」
才人から身を離して、杖を握る。杖先を自分の首筋にあてて、
「ウル――」
「ちょ、待て、なにしてんの!?」
腕を捻られ、狙いを逸れた『火球』が床板を焦がす。
「は、はなせよ! やめろよ才人! なんなんだよてめえは!!」
「こっちの台詞だっつの! いいから落ち着けって! なんでお前、タバサが絡むと急におかしくなるわけ!?」
「おかしくねえよ! やっと正気に戻ったんだよ! だから死のうとしてるんだろ!」
「正気のやつは、んなこと言わねえよ! とりあえずその杖よこせ!」
才人が杖を掴み、引っ張ってきた瞬間、俺は杖を手放した。よろめいた才人の足を蹴り、腕を引いてうつぶせに転ばせる。彼の背中に吊られていたデルフリンガーの柄を握る。無理矢理にひっぱって、鞘から刀身を露出させる。
「おお、兄ちゃん、意外とやるねえ。そんで相棒は油断しすぎ」
俺は身をかがめ、常と変わらぬ口調でしゃべりだしたデルフリンガーに首を押し当てようとして――後頭部に衝撃。
「いつまでも騒いでいるから様子を見に来たら……、いったい何をしているのだ、コールス殿」
才人と重なり合うように倒れた俺の背後から、呆れたような女性の声。振り返ろうとするけれど、視界がぐらぐらして体を起こすこともできない。
「貴殿は、名目上とはいえ我が隊の一員になるのだ。あまり隊の名を汚す真似をしてくれるな。女の取り合いはかまわんが、せめて酒場の外に出てくれんか」
「取り合いじゃないっすよ、アニエスさん! 手ぇ貸してください! こいつ急に暴れだして、死ぬだのなんだのって……!」
才人が俺の体の下から這い出し、困り果てた声で叫んだ。
「うむ? 呑んでいるようには見えなかったが……待て、使い魔殿。気づいてないのか」
「はい?」
「貴殿は早く客室に戻れ。いや動くな。そこに寝たままでいい。絶対に自分の背中を見るなよ」
「え? え? なんでっすか? 怖いんですけど」
「いいから従え」
アニエスはそれだけ言うと、客室に戻っていく。
残された才人は意外にも素直に、うつぶせに倒れた格好のまま、顔を床に向けている。好奇心より、高圧的な女性に従うことへの本能が優先されたらしい。
けれども彼の隣に倒れていた俺には、その背中がどうなってるのか、よく見えた。
彼がいつも着込んでいる青いパーカーの背中は、べっとりと、鮮血で汚れていた。
「さい、と……?」
視界が暗くなって、一瞬、意識が飛びかけた。言いようもない寒気を感じて、がたがたと全身が震え出す。
「才人、ああ才人すまない! お、俺のせいで……! デルフリンガーで切っちまったんだよな!? つ、杖! 杖を返してくれ! すぐに『治癒』をかけてやるから!」
「兄ちゃん、心配すんな。おりゃあ誰も切っちゃいねえよ。っていうか、自分で気づいてねえの? 本気で? なんつうか、そっちのが重傷かもわからんね」
デルフリンガーは鷹揚に言った。
「動いちゃいけねえのは兄ちゃんのほうだよ。さっき握られたときわかっちまったんだが、お前さん、なんつう体してんだ。ひとりで軍隊でも相手にしてきたのかい?」
「なにを……」
と、俺は問い返そうとして、ようやく気づく。
俺の体の下に、血溜まりがある。いまも広がりつつある。才人のじゃない。俺の血だ。右の肩から胸にかけて、痺れるような感覚。先日、風のスクウェア・スペル『カッター・トルネード』で負った傷が開いたのだ。
公爵が俺の治療を受け持つようになってから、カリーヌは『あの人が治すなら、死なないでしょう。たぶん』と稽古をますます過激にして、致死性の呪文も平気で唱えるようになっていたのである。
まあ、俺も公爵の『治癒』をあてにして、なんとかカリーヌに一発食らわせるべく捨て身で魔法に突っ込んだりしてたから、彼女を責めることはできないのだが……。
「……なんだ、そっちか。じゃあいいや」
ともあれ、才人が怪我してないならよかった。
深い安心感から、すうっと気が遠くなる。
うん、やっぱそっちのが重傷だわ……なんてデルフリンガーの呟き、俺の傷に気づいたらしい才人の悲鳴、そうしてルイズとアンリエッタがばたばたと駆け寄ってくる気配を感じながら、俺は目を閉じ、脱力する。