「タバサさん、クルトさん、ほんとうにありがとうございました」
トリスタニアの中心街から少し外れた、寂れた広場。
夕闇に覆われつつある広場の片隅で、リュリュは深々と頭を下げた。
ここまで俺たちを運んでくれたシルフィードも広場に降り立ち、きゅいきゅい愛らしく鳴いてリュリュの頬をぺろりと舐める。
リュリュはくすぐったそうに身をすくめ、青い鱗に覆われた鼻面を優しく撫でた。
「シルフィードさんも、ありがとう。火竜山脈でも魔法学院でも、あなたのおかげで楽しかったわ」
まるで人間に接するようにシルフィードに語りかけるリュリュは、この風韻竜の秘密に勘付いてるのかもしれない。
『タバサと極楽鳥』では、タバサはシルフィードの正体を『ガーゴイル』と説明していたし、魔法学院から飛び立つ前にもそんなことを言っていた。
リュリュが帰り支度を始めた頃、人に化けていたシルフィードが『さよならなのね!』と叫んで走り去り、数分後に竜の姿に戻ってあらわれたとき、タバサは明らかに俺に視線を向けて『ガーゴイルだから』と呟いた。リュリュの前ではそういうことになってるから、口裏を合わせろ、と伝えたかったのだろう。
だけどそんな雑な言い訳、魔法に疎い平民ならまだしも、リュリュのような優れたメイジに通じるわけがない。
きっと、彼女はシルフィードの正体を察した上で、気づかぬふりをしてくれているのだ。
リュリュはもう一度俺たちにお礼を言って、夜のトリスタニアへと消えていった。
タバサのシルフィードに便乗してトリステインまでやって来たリュリュは、陸路でガリアに帰るらしい。
道中、トリステイン各地の美食を堪能しつつ、代用肉を広める旅にするのだとか。
代用肉はトリステインではほとんど知られていないが、代用肉料理のレシピと一緒に商人に
そして、これからも美食の探求と魔法の研鑽を続け、代用肉そのものを改良することも諦めない。いつか魔法で一流の料理人にも負けない美食を作り、胸を張って家に帰れるようになるのだ、と。
夕日にきらめく瞳で語っていたリュリュは、なんだかとても尊いものに感じられた。
彼女みたいな魔法使いが同じ世界に生きてると思うだけで、俺は無性に励まされるのだった。
そうしてリュリュの消えた街路をぼうっと眺めていると、マントの端を引っ張られた。
「そうだな、そろそろ帰ろうか」
並んでリュリュを見送っていたタバサに声をかけるけれど、なぜか、彼女は動かない。
薄暗闇にも輝く青い瞳で、じぃっと俺を見上げるばかり。
どうしたのだろう、せっかくできた友人との別れが寂しいのだろうか。それとも、なにか用事でもあるのか……。
俺も黙ってタバサの言葉を待っていると、やがて彼女はぽつりと言う。
「疲れた?」
「うん、まあ、少しだけ。リュリュさん、押しの強い人だったから」
「ごめんなさい」
呟くような謝罪の言葉に、どきりとする。
「やだな、謝らないでくれよ。久しぶりに色々作れて楽しかったし、疲れたっていうなら、タバサのほうがずっと疲れてるだろ?」
リュリュが去り際に零していたが、やはり彼女たちは火竜山脈で出会ったらしい。
もし『タバサと極楽鳥』通りの展開が起きていたなら、タバサは学院を出てからずっと繁殖期の火竜が跋扈する火山で過ごし、最後には火竜の成体との一騎討ちまで演じたはずだ。
生きて帰れたことが奇跡のような冒険だったのだ。
多少は休息を取ったのかもしれないが、疲れが溜まってるに違いない。
けれどもタバサはそっけなく首を振って、呟く。
「あなたと話すべき、って思ってリュリュを連れてきたけど、無理させたかも」
「そうだな……彼女には、つらい思いをさせちゃったかもしれない。でも、あの様子なら大丈夫だよ」
リュリュが泣き出したあの瞬間を、そしてシルフィードの背中で見せてくれた笑顔を思い出して、俺はしみじみしてしまう。
しかしタバサは、またしても首を振った。
「あなたのこと」
「俺が? 無理なんて、したつもりないけど」
「してた」
タバサは確信めいた声で言う。
「クルト、女の子が苦手なのに」
その言葉の意味を理解するのに、俺はたっぷり一分以上も費やした。
「たしかに、得意ではない……、かもな」
思い出すのは、アンリエッタ誘拐事件の翌日。タバサの部屋で、彼女に『イーヴァルディの勇者』を読み聞かせる直前の会話。
あのときタバサは唐突に、『あなたは、女の子が苦手?』なんて尋ねてきたのだった。
もしかして、俺のリュリュに対する態度も、客観的に見たら耐えられないほどキモかったのだろうか。
でも、考えてみたら、その通りだ。
落ち込んでしまったリュリュを慰めようと必死になっていた俺の台詞は、相当にキザったらしくて気持ち悪かった。
俺を『達人』と誤解していたリュリュはなんとか騙し通せたけれど、ふだんの俺を知るタバサからすると
タバサが泣きじゃくるリュリュを放置して急に姿を消したのも、きっと、キモすぎる俺を見ていられなかったからだ。
「あなたは、がんばったと思う」
「お、おう、ありがとう……」
タバサの優しい言葉が痛い。泣きそうだ。
この耐えがたい気持ちをロッキーと共有して和らげてもらいたいのだけど、断固として拒否するような気配だけが返ってきた。薄情なやつめ。お前の悲しさは俺が引き受けてやったのに。
「でも、気をつけて。ふらふらしすぎ」
タバサは俺をじっと見据えたまま、わずかに硬い声で続ける。
「あなたの優しさは美徳。だけど、今後は相手を絞って。ただでさえ、あなたの立場は危うい」
今度こそ、俺はタバサの言ってる意味がわからない。最近は彼女独特の言葉を節約しすぎる喋り方にも慣れてきたつもりだったけれど、どうにも読み取れない。
俺の頭が鈍いせいか、タバサの省略が極端なせいか。
それにしても、『立場が危うい』って。どういう意味だろう。
もしかして、タバサはもう俺の実家のいざこざを察しているのだろうか。
そんなことを考えている俺を置いて、タバサは歩き出した。
リュリュと同じ、トリスタニアの中心街に続く街路へと。
「タバサ、こっちで用事があるの?」
「あなたが」
慌てて追いかけながら問うと、短い返事。
どうやら、俺にはトリスタニアでなにかするべきことがある……らしい。
「どこにいくの?」
「チクトンネ」
「酒場にでも行くのか? この時間から? 急いで帰れば、夕食に間に合うと思うけど」
「ルイズ」
思わず、足が止まる。
タバサはかまわず歩を進めていたけれど、俺についていく気がないと悟ると、どこか憮然とした様子で引き返してくれた。
「ルイズに会おう」
「俺は……いいよ。遠慮しとく。あの店に行きたいなら、タバサがひとりで行ってきなよ」
「あなたが会うの」
「どうしても、今から会わないとだめかな?」
尋ねる声がこわばっているのが、自分でもわかる。
俺は、いま、ルイズを怖がっているのだった。
ロッキーから押しつけられた恐怖ではなく、俺自身の気持ちとして。
俺はいままでさんざんルイズに罵られ、殴られ、蹴られて踏んづけられてきたけれど、あんな感情をぶつけられたことはなかった。
俺がウェールズを見殺しにしたことでルイズが抱いたであろう憎悪は、いまだに俺の足を竦ませていた。
ルイズにぶつけられた『許さない』という言葉は、俺の愚かさがあの勇敢な王子を死なせて、アンリエッタを悲しませてしまったという事実よりも、ずっと重たくのしかかっているのだった。
どうせ来週には夏休みが終わり、また学院で毎日顔を合わせることになるとわかってるのに。
俺はあいつに会うことを恐れて、少しでも先延ばしにしたがっていた。
「だめじゃ、ない、けど」
俺の緊張が伝わってしまったのか、タバサは彼女らしくもない戸惑い声で言った。
その瞳には、まるで叱られた子どもみたいな、不安な色が浮かんでいる。
「ごめんな。でも、やっぱり、女の子は苦手だからさ。今日はもう疲れちゃったし、寄り道しないで帰ろう?」
タバサは無言で、頷きもせず、薄暗い街路を戻っていく。
シルフィードの背から眺める残照の空は、非現実的な光景だ。
地平線の向こうから差し出される夕焼けの光が紺碧の空に棚引く雲を淡い赤紫色に染め上げ、嘘みたいに綺麗だった。
俺はだんだんと色彩を失っていく西の空に目を向けたまま、前に座るタバサのことを考える。
あれから彼女は、ひとことも喋らない。
それ自体は別に珍しくもなんともないのだが、沈黙の質が違っていた。
俺たちの間に流れているのは、なんとなく居づらいような、焦れったいような、気まずい空気。
視界の端に映るタバサはさっきから何度も座り直し、本を開いては閉じ、こちらに振り向きかけてはまた遠くをぼうっと眺め……まったく、彼女らしくない。
いつもの静謐な雰囲気とはかけ離れた、まるで同級生との沈黙を気にするごくふつうの女生徒のような、おかしな態度。
やはり、さっき俺が彼女を強く拒絶してしまったことが原因だろうか。
タバサがそんなことで動揺するとは意外だったけれど、相手のためを思って提案したことがあんなふうに
タバサがなにを思って俺をルイズに会わせようとしたのか、ちっともわからないが……、断るべきじゃなかった。
俺は『魅惑の妖精』に行くべきだった。
そんな後悔を抱いてしまうのは、タバサが落ち込んでるから、というだけではない。
俺は逃げたのだ。
どんな敵に対してもけっして逃げることを選ばなかった、あの誇り高い女の子から。
一年生のころは、あいつの気持ちなんか無視してあんなにつきまとってたのに。
自分の都合が悪くなった途端にこのありさまだ。情けない。かっこわるい。
「タバサ」
覚悟を決めて呼びかけると、タバサは開いていた本を勢いよく閉じた。それからゆっくり、振り向いた。
「ごめん、いまからでも、トリスタニアに戻れないかな」
タバサは考えるような間を置いてから、呟く。
「無理してる?」
「無理なんかしてないよ。ちょっと、がんばってはいるけど」
タバサはふたたび口をつぐんだ。
どうしたの、と、俺を見つめる青い瞳が心配そうに問いかけている。
「実は俺、ルイズと喧嘩してて……いや、喧嘩なんて上等なもんじゃないな。俺があいつを怒らせちゃったんだ。許さない、って言われちまった」
「許すべき」
タバサは俺をまっすぐ見つめたまま、付け足した。
「ルイズが。あなたを」
そのタバサらしいような、らしくないような慰めに、俺は笑う。
少しだけ、気が楽になる。
俺はやっぱり単純で、タバサと話してると世界が輝かしいものに見えてしまう。
リュリュの場合は彼女が遠く離れていくほど、俺とは無関係にがんばってると思うほど励まされるのだが、タバサはまるで正反対だ。
俺はタバサが近くにいればいるほどに、そして言葉を交わすほどに心が温かくなってゆく。
「あいつは許さないよ、俺を。でも、だからって、ずっと逃げてるわけにもいかない。騎士道精神に反する、ってやつだ」
冗談めかして、そんなことを言ってみる。
何の因果か、俺は
せめて年金分の騎士らしさは発揮しなければ……なんて、信じてもいない思考で自分に発破をかけてみる。
だけどタバサは、いつもの平坦な調子で答えた。
「騎士じゃなくても、いい。まだ夏期休暇だから」
「……関係あるの、それ?」
タバサは頷いた。
騎士道精神に休暇もなにもないと思うのだが、タバサが言うなら、そうなのかもしれない。
なんだかよくわからないままに都合の良い言い訳を手に入れた俺は、ほんの数日分だけ、ルイズに会うのは先延ばしにしようと決めてしまう。
アウストリの広場でシルフィードから降りたタバサは、どこへともなく歩き出した。
女子寮塔ともアルヴィーズの食堂とも、もうじき閉館時間を迎える図書館とも違うどこかに向かって、タバサはゆっくり歩いていた。
その歩調に、もう少しだけ一緒にいようと誘われた気がして、俺は彼女の隣で黙って足を動かしている。
それはもちろん、俺がタバサと離れがたく思っていたから、そんな気がしただけなんだろう。夜の散歩に誘われた、なんてただの妄想だ。
だけどタバサは俺を追い払うでも逃げるでもなく、むしろ、いっそうゆっくりと、ぽつぽつと星が浮かぶ空なんか見上げながら魔法学院の広場から広場へぶらぶらしていた。
そうして遠くにコルベール先生の研究室が見えてきた頃、火の塔と水の塔の間から、冷たい風が吹き抜けた。
俺は思わず身震いして、マントの前を合わせる。
もう、夏の終わりも近い。
夏休みが終わって二ヶ月もすればアルビオンへの侵攻作戦が正式に発布され、俺は士官候補生として教練を受けにいくことになる。
そして『原作』通りに歴史が進めば、冬には……
「タバサ、寒くない?」
タバサは無言のまま、青い眼差しを俺に向けた。
しばらくの間こちらを見つめたあと、また空を見上げる。
寒くもなんともないらしい。
「そっか。冷えてきたら教えてくれよ。マント貸すから」
俺はそう言ってから、寒いんだったら、部屋に帰してやるべきだよな、と気づく。
同時に、帰したくないな、と思う。
俺は、気遣う言葉をかけるフリまでして、この心地よい夜の散歩を……タバサと過ごせる時間を一秒でも長く引き延ばそうとしているのだった。
そんな賤しい下心に俺は自分で苦笑いをこぼし、タバサに怪訝な目を向けられる。
俺は弁解するように肩をすくめ、
「いや、なんていうのかな。こんな調子で、ほんとに良いのかな、って」
小さく首を傾げたタバサに向かって、なかば独り言のように答える。
「もっともっと、夏休みの間にいろいろ解決するはずだったのに。結局たいしたことできなかった。問題を先送りにして、役立つことなんかちっともしないで、楽しんじまった。今も……」
俺はタバサから目を逸らし、さっきまでの彼女のように、ぼんやりと空を見上げた。
「こんなにたくさんタバサと過ごせるなんて、思ってなかった」
「だめ、だった?」
囁くような問いかけ。
「まさか」
と俺は反射的に否定して……、この言い方じゃ、タバサを迷惑がってるように聞こえたかもしれないな、と気づく。
彼女が俺を『気晴らし』に連れて行ってくれたのも、リュリュと出会わせてくれたのも、この夜の散歩も。
「だめなもんか。タバサと過ごせて、俺はすごくうれしかった。楽しかったんだよ。いまだってそうだ。なんだかずっと、夢でも見てるみたいなんだ。それで
「あなたは」
タバサは呟き、俺のマントを引っ張った。
寒いのかな、なんて一瞬だけ思うけれど、どうも違うらしい。彼女はいつもの無表情のなかに、睨むような、凄むような、どことなく険しい気配を漂わせている。
「……ギーシュみたい?」
どういう意味だ、それは。
俺はなにを訊かれてるんだ。
さっきのリュリュへの説得のことを言ってるのか。
それともあれか、ギーシュみたいに、表現がいちいち大げさだって言いたいのか。
「たしかにリュリュさんの前では、らしくないこと言っちゃったな。でも、いまのはべつに、なにも誇張してないよ。俺は本心から、タバサといられて幸せなんだ」
「やっぱり……」
タバサは足を止めた。
俺の答えのなにがそんなにまずかったのか、纏う気配がますます険しくなっている。
「クルト、ふらふらしすぎ」
怒られた(?)。
「本気なら、もっとまじめにやって。ルイズと喧嘩したからって、遊んでいいわけじゃない」
「す、すみませんでした」
俺は深々と頭を下げた。
タバサがどうしてこんなに怒ってるのかわからないが、きっと、俺は調子に乗りすぎた。キモがられたのだ。
彼女がさりげなく
どうしてここでルイズとの喧嘩が出てくるのかは、いまいちぴんと来ないけれど……。
「で、でも、俺だって、まじめにやってるつもりなんだ。学院に帰ってからも、多少は、できたことがあるんだよ。ずっと暇してたわけじゃない」
俺はひどく狼狽しながら、そんな言い訳を口走る。
タバサは鋭い目で俺を見つめたまま、小さく頷いた。
弁解の余地を認める、言ってみろ、ということか。
俺はごくりと唾を飲み、この夏休みの間にしてきたこと、未来のために積み上げてきたことを数え上げる。
領地では最低限の義務はこなしてきたし、その仕事を通して『土』への理解も深まった。ヴィルヘルムから『水』の扱いを教わり、オークの群れを相手に『錬金』を使った『爆炎』の再現にも成功した。
ヴァリエールの屋敷に呼ばれてからは、カリーヌの拷問じみた稽古を受けた。
その帰り道に親父の内通を知り、アンリエッタに直接告発することになった。不相応な
そうして、学院に帰ってからは……、
「タバサも見てただろ。コルベール先生の手伝いをしてたんだ。ゼロ戦の整備をしたり、『ヘビくん』の新作を取り付けたり、
タバサの表情は変わらない。
その視線は俺の心臓を冷たく射貫き、話の続きを促している。
「今日なんか、タバサがリュリュさんを連れてくるまで、ずっと『錬金』を練習してた。
俺は言葉を続けながら、この言い訳には、はたして意味があるのだろうかと不安になる。
タバサを怒らせた原因に対して、俺の弁解はどこかズレているんじゃないか。噛み合ってないんじゃないか。
そんな不安を抱えながらも……いや、不安だからこそ、俺は言葉を留めることができない。思いついたことを端からタバサに話してしまう。
「あとは、ええと、使い魔について調べた。それでわざわざ、ラドグリアン湖にも行ったんだ。モンモランシーと一緒に」
「ギーシュは」
不意に、タバサが口を挟んだ。
俺はそのことに安堵して、笑みさえ浮かべて彼女に答える。
「いや、あいつは誘わなかったけど」
「他には」
「いなかったよ。モンモランシーとふたりだった」
風が吹いた。
自然の風ではない。タバサの魔力が呼び起こした、雪まじりの凍てつく風だ。
「ばか」
「え? ば……? ええ? た、タバサさん……?」
タバサは、足早に俺のもとから去って行った。
その背中にはあからさまなまでに拒絶のオーラが漂っていて、俺はあっけなく打ちのめされて、その場を一歩も動けない。
クルト視点の話は次回まで。