ポケットの中の月をゴミ箱に捨てた。大きな音がした。

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第1話

「私、大きくなったら大学ってところで勉強するんだ」

「どんなところ?」

「すごいところなんだって父さんと母さんが言ってたの。でも私ならきっと、えっと、なんだっけ。とにかく私ならできるんだって」

「それはすごいね」

「ヒトくんは最近は?」

「いつも通りだよ。父さんは忙しいし、母親は焦ってる」

「違う」

「ん?」

「ヒトくんのことだよ。ヒトくんはどうなの?最近」

「僕かぁ」

「うん」

「お腹が空いてるかな」

「それじゃあ、あげる。泥団子」

「はむっ。おげっ。うぐぐ」

「え、冗談だったんだけど。大丈夫?」

「大丈夫ではない」

「水で口洗ってきなよ」

「そうする」

 

 口を洗う。

 

 空に大きく星が見えた。光であり影。そこにあってそこにない。迫ってきているようで、ただ小さくなって遠くなって自分の胸に収まる。頭の中がひっくり返ったような感覚、目が冴える感覚。

 

「ちゃんと洗えた?」

「多分」

「じゃあ、ほら。チーズ」

「チーズ。不思議な匂いだ。ん、お、意外とおいしい」

「牛乳とか普段飲まない?」

「分からない」

「ああ、普段味分からないって言ってるもんね。名前覚えるのも苦手だって。弁当食べる時も不機嫌そうな顔してるし」

「うん。どうして食べるかが分からないんだ。食べないことによる結果はストレスの発生で、食べる理由とは本来何の因果も無いはずだと思う」

「賢いんだ。意図を持って食べようとしてないように見えるけれど。弁当」

「母さんに見て欲しいんだ。そうでもしないと話す機会も無くなって、弁当も家でのご飯も作ってくれなくなって、気づいたら知らない場所でベンチの下に隠れて暮らすことになるんじゃないかって。怪我をしたポッサムみたいに。それで、最後は自分と同じような境遇の捨てられた犬に少しずつ体を」

「そう思うんだ? 父親が見てくれないから? 母親もそうなって自分のこと誰も見てくれなくなるんじゃないかって?」

「うん」

「ヒトくんは想像力豊かだなぁ。余裕が無くなった大人は、自分よりも能力が習熟していない人間が自分以上のパフォーマンスを発揮するということを認められないの。だから、言ってしまえば、ヒトくんのアプローチは正しくないよ」

「何でそんなことが分かるんだ?」

「本で読んだの」

「そっか」

「それと、犬の話だけれど。ヒトくんがそういう想像をするのはなんでなんだろうね? 前世で酷いことしたとか? 冗談。よくお母さんが言っててね。悪いことがあったら全部前世の業に理由を求めるの」

「前世? 分かんないな。前世って?」

「生まれる前にもヒトくんは生きてたんだって。私も、母さんから生まれる前に私じゃない誰かだったらしいの。ヒトくんも」

「ミツカイはミツカイだよ。きっとそうだよ。ミツカイの前がミツカイじゃないなら、それがミツカイだなんて誰も言えないよ」

「ありがとう。ヒトくんは命に興味ある?終わりとか、始まりとか。その間の全部とか。終わりから、次の始まりまでにある何かの話とか」

「嫌いだな。母さんがいつも死の話ばかりしているから、飽き飽きだ」

「そっか。不幸なんだ」

「否定できない。人形なんだ」

「じゃあ、その呪いを解いてあげる。ヒトくんの母さんが抱えてるものじゃない。ヒトくんが渡された物を床に降ろせるように」

「それでも母さんとの呪いは完全に解けるわけじゃない。もっと言うと、解呪した差分が君と僕との間の縁に転移するだけさ。しかも、人は人と関わり続ける限り呪いを増やし続ける。本で読んだんだけど、こういう量は増え続ける運命にあるらしいんだ」

「運命。運命か。運命は、好き?」

「分からない。あるのか分からないから」

「うん。じゃあ、私が魔法をかけてあげる」

「魔法」

「私のことは好き? 分からないってのは無しね」

「え」

「私はここにいるよ」

「うん。ここに君はいる」

「運命はあるよ。決めることができるもの。想像してみて」

「想像」

「あとは、選ぶの。選べない時はあるけどね。選べる時は選べる。物語は面白い方がいいって思うのは私もそうなの。これから先の君が言いそうな話。自然に幸せになって欲しい気持ちと、好きになった役者が演じる面白い物語を見せて欲しいって気持ちは両立するって話」

「自分が舞台に上がらずに傍観者として素晴らしい劇を見たいから両立から前者を実質的に排除するのだとしても?」

「それも選択だし、すでに私が時折やってることだし、君がこれから一生をかけてやることだよ。意図は伝わったみたいだね。それじゃあ、私は祈ってるよ」

「祈りで他人のことは決められない。でも他人に祈ることで自分のことは決められる」

「良く分かっているね。私の犬は随分と知恵がついたみたいだ。はっきり言っておこう。傍観者でも祈ることはできる。舞台上の都合の良い展開を願うばかりじゃない。舞台を降りた後の、役者が過ごす一日が楽しく安らかで幸せなものとなるよう祈ることができる。役者の願いが叶うよう祈ることができる。些細に、謙虚に、自分のために。でも自分のために祈って、それでほかに何か他人に幸せを分けてあげることができたのなら、それは自分のためだけじゃなくなる。これはきっと幸せなことだよ。頼んだよ。呪うだけじゃないんだ、人間は」

「そっか。じゃあ、やってみるよ」

「そろそろ時間だ。先生が呼んでる。一緒に行こう」

「うん」

 

 

 小麦粘土の匂いがしていた。泥団子よりかは美味しい。チーズよりかは不味い。

 

「ヒトくんは、幸せになることを半ば諦めてるね。どうにかして不幸を物語に組み込んで楽しもうとしている。間が悪かったんだ。用意されるべき自然なしがらみが用意されなかった結果の自由。不幸せな自由とでも言えば、お気に召すかな」

「分からない」

 

 輪になって歌い踊る。ロンドン橋が落ちる。ロンドン橋が落ちる。

 

「これは現実だよ。夢と現実の境目が君には判別つかないだろうから、教えておいてあげる」

「分からない。どちらでもいい」

 

 ロンドン橋が落ちる。

 

 休憩時間、外で鬼ごっこ。足裏で蟻を踏み潰す感覚。

 

「体は、好き?」

「まだ分からない」

 

 頭、肩、膝、つま先、膝とつま先。頭、肩、膝、つま先、膝とつま先。そして目と耳と口と鼻。頭、肩、膝、つま先、膝とつま先。

 

 昼寝の時間になった。

 

「好きになれるといいね」

「自然さも含めて?」

「自然さも含めて。宝石がより綺麗に色付いて輝くためには洗練された光がいる」

「宝石じゃなく、星みたいに人間が光を放つことはあるのかな」

「星に見える時があるのは共感する。星なのかな。どう思うかは自由だよ。もう眠いから寝るね。おやすみ」

「おやすみ。さよなら。やっぱりこれは現実じゃない。分かった」

 

 駆けていく。扉を開けて外に出る。木製の階段は湿っていた。

 月がこちらを見ている。他人の顔をしていた。綺麗だった。

 太陽は、先ほどまで居た建物の向こうだった。風が吹いている。青臭い芝生の匂いがした。影になって乾かずに残っている水溜まりから、微かに雨の残り香が漂ってくる。

 ポケットから、チーズを包装していたビニールが出てきた。チーズの匂いが残っているそれで月を包む。

 雨水が湧いてきて、空へと降る。小さな水飛沫が芝生の一点に集まり、雫になって雨雲に向かう。

 これを無数に繰り返して、雨が止んだ。あるいは、始まる前に至った。月をポケットに突っ込んだ。

 

 

 目が覚めた。夢だった。ポケットの中の月をゴミ箱に捨てた。大きな音がした。




今晩は寿司でも食べよう。

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