後藤ふたりの高校生活   作:青井するめ

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第十話 病院の母と眠る姉

 

「大したことないんだから、お見舞いなんていらないわよ」

 ベッドの上の母は、少し恥ずかしそうにそう言った。

 というか、実際に恥ずかしいのかもしれない。ギプスで固めた足を、天井から吊り下げている。絵に書いたような「骨折した人」だ。

「でも、元気そうで良かったよ」

 姉はそう言って、母に笑いかけた。

「他に、悪いところとかないんだよね?」

「もちろんよ。ぜんぜん元気。心配しなくていいわ〜」

 実際、母は病気したこともないし、元気なのは事実なんだろう。でも同時に、娘たちに心配させたくない、弱ったところを見せたくない、という気持ちも感じられた。母親の矜持というやつなのかもしれない。

「というか、ひとりちゃんは大丈夫なの?」

「え?」

 姉がきょとんとした顔になる。

 実際、姉は青白い顔で、さきほどからしきりにあくびをしていた。目元にはくまがくっきり。私は嘆息する。

「だから昨日、ちゃんと寝ないとって言ったのに……」

 

 *

 

 昨日。地元の駅に電車がついたころには、とっぷりと日が暮れていた。

「ひとり、ふたり! よく帰ってきたなあ〜お父さんはうれしいぞ!」

 なぜか改札口にお父さんが立っていて、大声を上げながら手を振り、私たちを出迎えてくれた。私と姉はもちろんドン引きし、そのまま回れ右して逃げ出したくなったくらいだ。

「ちょっとお父さん……恥ずかしいから、やめてよ」

 小声でそう言ったが、全く聞いていない。涙を流して私と姉の肩を抱き、そのまま引っ張っていく。

「今日はパーティだ! お寿司を買ってきたぞ! あとケーキも!」

「あ、あのね」

 私は呆れた。

「お母さん入院してるのに、そんなことしてる場合じゃないでしょ」

「ん? でもお母さんも、ひとりたちを出迎えてあげてって言ってたぞ」

「……」

 あの母ときたら。だいたい、姉はともかく、私は家を離れて一ヶ月かそこらじゃないか。

「お父さん、お母さんの具合はどうなの?」

 姉が問いかける。父は首を傾げて、

「足首の骨折で、全治一ヶ月くらいって言ってたかなあ。とりあえず一週間は入院だって」

「そ、そう」

 重症というわけではないのだろう。私も姉も、少しほっとする。

 その後、テンションが上がって騒ぎ続ける父とともに家に辿り着く。お留守番していたジミヘンが、元気そうに私達を出迎えてくれた。もうおじいちゃん犬なのに、元気だねジミヘン。

「ただいま」

 私は言った。一ヶ月ぶりの実家は、思った以上に懐かしく私を出迎えてくれた。

 

 3人前にしては多すぎる寿司の出前を平らげ、ケーキは流石に入らないので冷蔵庫へ。お風呂で一日の疲れを洗い流し、自室に戻ると、もうやることがなくなってしまった。

 私の部屋は、出ていく前とほとんど変わっていない。下北の家には、最低限のものしか持っていかなかったからね。

 ベッドに腰掛け、壁に貼った結束バンドのポスターを見る。確か初めてのライブツアーのやつだったかな。懐かしい。

 そういえば、姉はどこで寝るんだろう。

 姉の部屋は前述の通り物置と化していて、とても寝る場所はない。客間か、それとも私の部屋かな? 姉に聞いてみようか。

 応接間に降りていくと、姉はそこで、なぜかギターを手にしていた。

「あれ? それって」

「そう、お父さんのストラト」

 姉ははにかんで、黒のストラトフォートを私に見せつける。アンプにつなぎ、いそいそと爪弾き始める。

「懐かしくなって借りちゃった。まだちゃんと整備してるんだね」

「そりゃあね、一応……」

 ストラトが、鳴いた。

 天の彼方から降ってくるような音。いっぺんに天井を貫いて、地面の奥底に潜っていく。姉の手がフレットを走る。今度は重い重低音が、床を震わせた。びりびりと足先から振動が伝わる。

「うん、いい音」

 姉は満足そうな顔をして、言った。

「こらー、ひとり、ご近所さんに怒られるから、ほどほどにしておけー」

 隣の部屋からお父さんの声。

「はーい、ごめーん」

 そう言葉を返した姉は、さっさとギターを片付け始めた。そして、私の顔に気づく。

「どうしたの? ふたり」

「うん……」

 私は、なんとか言葉を絞り出した。

「いい音だね。お父さんのギター」

「でしょ」

 嬉しそうな顔で、姉はギターをかたしていく。

 こんな音、出るんだ。

 私もお父さんから、このストラトを借りたことがある。でも、こんな音は出ない。出るはずがない。

 ギターヒーローって、こんなこともできるんだ。

 

 一夜明け、ふらふらな姉を引っ張って、病院へ向かう。

「ね、眠い……」

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 朝一番に見舞いへ行って、そのまま下北に戻るつもりだった。明日から学校だし、あんまり実家でのんびりしている余裕はない。だが姉のことを忘れていた。最近徹夜続きで、生活リズムが崩れていることを。

 作詞の仕事は一段落したらしい。でも夜型の生活を急に戻すことができるわけもなく。ろくに寝れないまま、朝一番で私に起こされたというわけだ。

「帰りの電車で寝なよ。たぶん座れるから。ね」

「うん……」

 大きなあくびをする姉。

 

 *

 

「と、言うわけなのよ」

 母に、昨日のことを説明する。ちらと隣を見ると、立ったまま意識が飛びそうになっている姉がいる。

 母は苦笑して、

「相変わらずなのね、ひとりちゃんは」

 と言った。相変わらず、と言っていいのかどうか。

「……だ、大丈夫だよ」

 姉がどこか遠くを見ながら、明らかに空元気とわかる声で言った。

「ぜ、ぜ、全然平気だから。お母さんが元気で、良かったなぁ〜」

「……」

 私と母は、顔を見合わせる。

 私はため息を付いて、

「あー、うん、お母さんは心配しないでね。お姉ちゃんは、私がちゃんと様子を見るから」

「うん、それは、ふたりちゃんに任せれば大丈夫だろうけど」

 母は苦笑して、

「でも、ふたりちゃんも無理はしないでね。まだ子どもなんだから。いつでも、お母さんやお姉ちゃんに頼っていいのよ?」

「……」

 私は渋面になる。

 つい先日、熱を出して倒れたことを思い出す。そのとき喜多ちゃんにも言われた。私はまだ子どもなんだって。そうなのだろう。人からはしっかり者と言われるけれど、それでも所詮は高校一年生。できることなど限られている。

 子供の頃から、姉を見て育った。姉の醜態は私の幼児体験とともにあった。私が、お姉ちゃんを助けなきゃ。私はしっかり者にならなきゃ。

 そう自分に言い聞かせて育った。だから、人に頼ろうとしてもうまくいかない。全部を自分でやろうとする。それが私の悪癖だ。

 姉がまた大きくあくびをする。私は嘆息し、母は苦笑する。

 

 病院から駅へ。ありがたいことに、始発に乗れた。ガラガラの席の一角に、姉を据える。

「ほら、お姉ちゃん、寝てていいよ。乗り換えのときに起こすから」

「……ああ、うん」

 姉の声はすでに夢うつつである。

「ふたりは、やさしいねえ。こんなお姉ちゃんのために……」

「こんなお姉ちゃんだから、じゃない?」

 半ば呆れながら言う。時間を確認する。電車が出るまであと5分くらいか。

「……もう少し、次のライブまでだから、忙しいのは」

 姉が呟くように言う。聞きとがめた。次のライブ? 姉はいまフリーのはずなのに。

「次のライブって?」

「あ、ああ」

 目をぱちぱちさせている。

「あれ、言っちゃダメなんだっけ? でも、まあ、いいか。もうすぐだし」

「ちょっと」

 私は不安になる。まだシークレットの案件なの? それなら、私が聞いちゃダメじゃないか。

「結束バンドの10周年記念特別ライブ。やるんだよ」

 なんでもないことのように、小声でそう言ったものだから、咄嗟に意味を解しかねた。私の背筋がぴんと伸びる。結束バンド!? つまり数年ぶりに再結成、てこと!?

「お姉ちゃん、それって」

「うん」

 姉はもう目を閉じていた。

「まだ、誰にも言っちゃダメだよ。公表前だから……」

「……」

 なら、私にも言っちゃダメじゃん。

 と反論する間もなく、姉はもう眠りに落ちていた。穏やかな寝息が聞こえてくる。

「……」

 そうだ。いまさらながら私は気付いた。結束バンドが結成されたのはちょうど10年前。私が5歳のときだった。

 10周年記念ライブ? 再結成? でも、喜多ちゃんはどうするの? 疑問が頭の中で渦巻く。でも姉を問いただすこともできず、私は口を半開きにさせて幸せそうに眠る姉の顔をにらみつけることしかできない。

 その日。何かが変わる決定的な日だったように思う。大きな出来事はなかったけれど。事態は変わって、もう後戻りはできなくなった。

 特に姉は。

 

 ほんの数日後にあんなことになるなんて、私も姉も、思ってもみなかったのだから。

 

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