ふたりの足跡   作:sayama/

1 / 5
告解
告解


/001

 

 

「デンジ君、明日はここから、このポイントまで移動する予定。いつもより長く歩くことになるかもしれないから、今日は早めに休んで。朝の6時には出発するよ」

「はいよォ。……なぁ、近くの神社でノーリョーサイ?っていう、祭りがやってるみたいなんだけどさ、ちょっと行ってみねェ?」

「……馬鹿なこと言ってないで、今夜は早く休もう。明日も早いんだから」

「へいへい」

 

 デンジとレゼは、過疎化が進んだとある地方都市の安宿にいた。チェックインを済ませ、部屋で一息つく間もなく翌日の移動ルートの確認を終えると、近くのスーパーで仕入れた物の整理を始める。買い物はいつでもできるわけではないため、今日の夕食から長期保存食、電池、ウェットシートなど、購入したものは多岐に渡る。

 二人の逃亡生活は、基本的に首都圏から遠ざかりながら人口の少ない地方都市を移動している。意外にも公安やソ連からの刺客、襲撃は今のところ一度も無かったが、山間部を移動することや野宿をすることもあるせいか、野良悪魔との遭遇は多かった。レゼは一度、早々に海外へ渡ろうか検討はしたものの、外国で右も左も分からないデンジを連れて、自らの方向性も定まっていない状態で(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、それは危険だと判断し、断念した。さして脅威でもないような野良悪魔を撃退しつつ、手持ちの現金を減らしながら、二人はいまだ国内に潜伏している。

 

 ———あの日、カフェでレゼがデンジと合流し、この逃避行が始まってから、およそ2週間が経過しようとしていた。

 

 逃亡生活は、当初デンジが思い描いたような楽しいものではなかった。レゼはいつ現れるかも分からない公安やソ連からの刺客を警戒し、逃亡計画をたて、まるで任務をこなすかのように淡々とそれを実行する。昨日から今日へ、今日から明日へと宛てもなく移動を繰り返す日々だった。

 この旅が始まって以来、デンジはレゼの笑顔を一度も見ていない。会話も必要最低限であり、これがレゼの()なのかと、どこか寂しい気持ちになりつつも、盗み見た横顔はやはり可憐であり、レゼが好きだという気持ちは変わらなかった。何より、レゼは態度こそあの日の海辺(・・・・・・)のようだったが、デンジと別れて行動するようなことは一切なかったし、常にデンジを優先しようとしていることは、他でもないデンジが最も身近で感じていた。

 

「ほら、キミの分のごはん」

 

 レゼはデンジに、先ほどスーパーで買った総菜のたこ焼き、食パン、使い切りタイプのパックジャムと野菜ジュースを渡す。野菜ジュース以外は全てデンジが自分で選んだものだ。

 

「あんがとよ。……たこ焼き、1個食う?」

「……私はいいよ。キミが全部食べちゃって」

「ふぉーかい」

 

 レゼの返事を聞く前に、腹を空かせたデンジはもう既にたこ焼きを頬張っている。そもそもたこ焼きもパンも同じ小麦粉が原材料の食べ物であり、その少しおかしな組み合わせが妙にデンジらしいと思い、レゼは少しだけ緊張を解いた。

 

「…………」

「…………」

 

 黙々と食事を進める2人。旅を始めた当初こそ、デンジはこの沈黙に耐え切れずあたふたとレゼに話しかけたりしていたが、レゼは必要最低限の会話で済まそうとした。もともとカフェでの気さくで明るいレゼは訓練で身に着けた演技であったを聞かされていたし、話しかければ無視をされたり、悪態を返されるようなこともなく返事はしてくれるため、いつからか無理やり話しかけることはやめた。

 

「ジャムパン、いつ食ってもうめぇ」

「……そう。良かったね」

 

 レゼはサンドイッチを食べながら日本地図を広げ、定規で距離を測りながら今後の逃走ルートを確認していた。

 レゼは元スパイであり、語学や歴史などの知識面は元より、潜伏、詐術、暗殺等にも高水準のスキルを持っている。爆弾の悪魔としての戦闘力は言葉にするまでもなく強力だ。日本人ではないのに国内の地理にもそこそこ明るく、サバイバル能力も高い。一方デンジは常識に欠け、今でこそ問題なく手続きできるが、当初はホテルや宿のチェックインすらできなかった。電車やバスの乗り換えは特に苦手で、レゼに手を引かれないと目的地を間違えそうになることもしばしばあった。自慢のチェンソーはレゼの戦闘力に引けを取らないが、そもそもレゼ自身の能力が高いため、デンジがいないと乗り切れないような場面は今のところ皆無であり、自身の存在意義を見失いつつあった。

 ぼうっとパンを頬張りながらふと顔を上げると、レゼはさっさとサンドイッチを食べ終え、次の作業を始めていた。

 

「私はここのコインランドリーで洗濯してくるから、洗うもの出してもらっていい?」

「あ、俺も手伝うぜ。もう食い終わるからよォ」

「気持ちは嬉しいけど、お洗濯している間に少し考えたいことがあるんだ。どのみち2時間は戻らないつもりだから、デンジ君はその間に先にシャワー浴びててもらっていい?ご飯もゆっくり食べてて良いよ」

「……そっか、分かった。なんかできることあったら、言ってくれな」

「うん。ありがとう。2時間したら戻るから、それまでは寝ちゃわないで待っててね。それと、もし2時間たって私が戻ってこなかったら、キミはチェックアウトしなくていいからすぐに自分の荷物だけ持って逃げて。この地図の、丸を付けてあるココに向かって、着いたら中にあるこの封筒を開けて。次のポイントまでのルートを書いてあるから。必ずどこかのポイントで合流できるようにするから、私を助けに来たりしないで、すぐに逃げて。逃げなきゃいけなくなるような事態になっていなければ、絶対に封筒は開けないで」

「分かった。いつもと同じってことだな」

「うん。じゃあ、行ってくるね」

 

 口調こそ穏やかではあるものの、レゼは無表情で言葉に抑揚もない。

緊急時に離れ離れになっても後で合流できるようにと、地図と封筒のやり取りは毎日行っていた。今のところ活用の機会はなかったものの、レゼは毎日それらを用意した。

 

 レゼとデンジは旅をするうえで、二つの『ルール』を決めていた。

 

『ソ連からの刺客か野良悪魔と遭遇した時は、一緒に戦う』

『公安からの刺客と遭遇した時か、レゼが逃亡を指示したときは、デンジは逃げる』

 

 レゼからの強い要望だった。旅を続けるうえでこの2つは必ず守ってほしいとレゼに強く言われ、自分だけ逃げるケースがあることを許容できないデンジは当初反対したが、もし顔見知りが刺客として現れた時、躊躇なく殺せるのか聞かれた際、思わずアキとパワーの顔が浮かび即答できなかったため、最終的に頷くしかなかった。

 

「……メシ食って、さっさとシャワー浴びちまうか」

 

 周囲は忙しいなか、自分にだけ仕事が振られずに時間を持て余しているような、そんな居心地の悪さを感じながら、デンジは残りのパンを口に放り込む。

 

(レゼは一人で逃げてたほうが、もっと楽に、上手くやれたんだろーなァ)

 

 レゼの出自や能力を考えれば、単独行動のほうが有利なはず。しかし、レゼはあくまで二人で(・・・)旅を続けようとしている。

 

(結局、レゼは俺ンこと、どう思ってんのかな)

 

 あの日、レゼはカフェに来て、デンジと共に逃げる道を選んだ。

 デンジは、その理由がどうしても分からなかった。

 

 

 

 

 

/002

 

 

 翌日、二人は予定通り朝6時にホテルから出発した。今日は県境の山間部にある田舎町の民泊施設に泊まる予定であり、電車とバスを乗り継ぎながら目的地を目指す。

 目的地に到着すると、白髪の老人が所在なさげに立っている。事前情報では閑散とした田舎町のはずだったが、建物は事故現場などでよく見る黄色いビニールテープで入口を封鎖されており、物々しい様子だ。

 

「えっ? ガス漏れ、ですか?」

「ああ。昨日の夜にガス漏れを感知してね。検査したら、配管に問題があったんだ。すぐにガス会社が対応してくれて、配管自体は修理済みなんだが、さすがにこの状況で直ぐに人を泊めるわけにもいかなくてねぇ。事前に知らせようと何度か電話したんだけど繋がらなかったもんで」

 

 今日の宿となるはずだった施設の管理人は、すまないねぇと申し訳なさそうに謝った。

 施設の予約はその時宿泊していた場所から電話しており、こちらの連絡先として伝えた電話番号は適当なものだった。

 

「いえ、私もしばらく留守にしちゃってたので。連絡がつかなくてすみません」

「それと、代わりの宿を探そうとしたんだけど、あいにくこの町はこんな田舎だもんで、ホテルも旅館もなくてねぇ。ただ、知り合いに同じような民宿をやっている奴がいるんだ。もしよければ、そっちを紹介するよ」

「……お気持ちは嬉しいですが、今回は大丈夫です。もともとキャンプも好きなので、仮に野宿になっても楽しめちゃうタイプなんですよ、私たち」

 

 怪しまれないように外面を意識した笑みを浮かべながら、レゼは老人を観察していた。

 イレギュラーを起こし、罠を張った別の場所へ誘導する。『モルモット』として自分がよく使う手口だった。

 

「そうかい。そう言ってくれると、気が楽になるよ。でもまあ、さすがに申し訳ないから、せめてこれはお詫びに受け取っとくれ」

 

 老人はビニール袋を差し出した。中には、今日の宿泊代金だったはずの五千円が入った封筒と、カップ焼きそばが2つ入っていた。現金はいくらあっても良い。カップ焼きそばは荷物としては嵩張るが、保存がきく。レゼは素直に受け取った。

 

「お気遣い、ありがとうございます。せっかくなので、遠慮なく頂きます」

「ああ。本当にすまなかったね。あっちの彼にも、そう伝えておくれ」

「はい。それじゃ、私たちは行きますね」

 

 急な予定変更ではあったが、幸いにも天気は良く、1日ほど山中に潜むくらい訳はない。

 少し離れた場所で待機していたデンジのもとへ戻り、事情を説明する。

 

「というわけで、今日は野宿になりそう。ごめんね」

「レゼが悪いわけじゃねーだろ。でも、そのオッサンの知り合いのトコを紹介してもらっても良かったんじゃね?」

「うん、まあ、そうなんだけど……」

 

 あの場では警戒心が勝り、代わりの宿を紹介してもらうという提案は断ったが、今思えば、もし公安やソ連の追手が絡んでいるのだとすれば、こんな回りくどいことをせずに、直接襲撃してくるか、もともと宿泊予定だった施設に罠でも仕掛ければよい。少し過剰な警戒だったかもしれないが、今さらやっぱり紹介してくれとも言いにくい。

 

「次からは、キミにも相談して決めるよ」

「あ、いや。こういうのはレゼの方が上手いから、レゼが良いって思えばそれでいィよ。それよか、野宿は久しぶりだな。もらったカップ焼きそば、さっそく食べちまおうぜ!」

「お湯を沸かさなきゃだし、臭いも強くて野生の動物を呼び寄せちゃうかもしれないから、また今度ね」

「マジかァ!」

 

 能天気なデンジを見ながら、レゼは聞こえないようにため息をついた。デンジに対する苛立ちではなく、デンジに不自由を敷いていることに対する自責のためだった。

 気持ちを切り替え、地図を取り出す。周辺の地理は大体頭に入っている。レゼはすぐに、近くに川が流れており、野宿にも適しているポイントに当たりをつけた。

 時刻は16時。空は夕焼けでオレンジ色に染まり、じきに日も落ちてくるだろう。

 

(大丈夫。尾行はなかったし、知り得る限りだけど近くに公安の詰所もないはず。さっきのおじいさんも怪しい様子はなかった)

 

 昨晩レゼは、デンジから離れた2時間を使って、周辺調査と翌日以降の逃亡計画を練っていた。まさか初日から計画が狂うとは想定しておらず、思わず目元がピクピクと小さく痙攣する。田舎とはいえ、住宅街の公園に寝泊まりするわけにもいかない。日本は治安が良い分、公安は元より地元警察も優秀だ。現状、2人がどの範囲まで指名手配犯として公開されているかは不明だったが、余計な敵を増やす必要もない。レゼは気持ちを切り替え、デンジを連れて山の方へ歩き出した。

 2人は1時間ほど早足で歩き、目的地の近くまでやってきた。公有地か私有地かは分からなかったが、山道も整備されておらず、人の気配もない。キャンプ場などもなく、恐らく一般人と鉢合わせするようなことはないだろう。耳を澄ませば、微かに川のせせらぎが聞こえる。長時間の移動と山登りで息も絶え絶えとなっているデンジに、レゼは声をかけた。

 

「あと少しだから、頑張って」

「……おォ……俺ァ全っ然……だいじょーぶ……まだ頑張れる……」

「うん。頑張ろう」

 

 デンジを励ましながら先を行くレゼは、ふと視界に違和感を覚えた。鬱蒼と茂る木々の隙間から、山中に似つかわしくない人工的な色を捉える。

 やがてその色は大きくなり、目の前に白を基調とした建物が現れた。

 

(これは、教会……? 年季の入った外観、使用されている気配はない。投棄された廃教会かな。どのみちこの辺りで寝る場所を決めようと思ってたし、いっそのことここに泊まっても良いか)

 

 レゼが窓越しに内部を覗こうとしたとき、追いついてきたデンジが声を上げる。

 

「なんだァこれ?教会か?」

「教会、知ってるの?」

「あぁ。ガキん頃、何か食うもんがねーかと思ってコンビニのゴミ箱とか漁ってた時によ、シンプ?ってのに見つかって、気付いたら教会に連れてかれてて、なんか説教されたんだよ」

「シンプ……神父さんのことかな」

 

 レゼは普通に返答したが、この国で子供が食べ物を探してゴミを漁るような状況は決して普通ではない。デンジは小学校にも通ったことがないと言っていた。やはり、自分とデンジはどこか境遇が似ている部分がある、とレゼは改めて思った。

 

「あぁ。盗みがどうとか、キューサイがどうとか言ってたけど『この話が終わったら、なんか食いモンくれんの?』って言ったら、呆れられて、そンまま家に帰してもらった」

「なんか、今も同じこと言いそうだね」

「言うね。絶対言う。そもそも、ガキが腹空かしてんだからパンの一つでも恵んでくれりゃよかったのによォ。なんか無性に腹が立ってきたから、窓でも割ってやろうっかって次の日その教会に行こうとしたんだけど、道を忘れちまったみてェで、結局たどり着けなかったわ」

「そっか……じゃあ、その時のリベンジってわけじゃないけど、今日はここに泊まらせてもらおうか。もう誰も使ってないみたいだし、雨風は凌げるから」

「そうすっか」

 

 教会のドアは未施錠で、二人はすんなり中に入る。外から見ると廃墟のようだったが、意外にも内部はそれほど汚くはなかった。レゼは間取りの確認と監視カメラ等がないかを調べるため建物内部を軽く調査しようと思ったが、すぐにその必要がないことに気付いた。一般的な教会は、礼拝堂を始めとして集会所や事務室、トイレ等があるものだが、この教会にはなぜか礼拝堂しかなかった。教会を見つけた時と同様に違和感を覚えたが、もしここを離れるとしたら、さらに山奥へと進まなければならない。窓越しに外を見れば、既に外は暗んでいる。何より、自分もデンジも、今日はさすがに歩き通しで疲労が溜まっている。むしろ幸運だと判断し、このまま教会で一夜を明かすことにした。

 地図で確認した通り、近くには川が流れていた。山中の川にしては意外にも水温は温いくらいで、二人は軽く水浴びをして体を清め、教会に戻る。さすがに電気は通っていないため、水の入ったペットボトルを下からライトで照らしてランタン代わりにし、その明かりを頼りに保存食で軽く夕食をすませた。

 レゼが片づけをしていると、デンジが欠伸をしながら礼拝堂の長椅子を繋げて簡易的なベッドを2つ作っていた。少しその様子を見ていると、片方のベッドだけ丁寧に埃を拭き取っている。おそらくレゼ用に作ったベッドで、特に何も言いはしないが、そちらを自分に薦めてくるだろう。この2週間、そういったデンジの気遣いを何度も見てきたが、なんと声をかけて良いのか分からず、レゼは気付かないフリを続けてきた。

 今回も結局何も言えず、デンジに促されるまま、汚れを取り除かれたベッドにレゼは寝転んだ。

 

「ちょっと固えけど、床よりマシだろ」

「うん。ありがとね、助かるよ」

 

 二人のベッドは、近すぎず、遠すぎずの距離に位置している。虫が寄ってきても嫌なので、既にライトの明かりは消してあり、窓から入る月明かりでぼんやりと周囲は見渡せる程度の明るさだ

 

「…………」

「…………」

 

 横になればすぐに眠れるかと思ったが、教会というなじみのない場所のせいか、二人とも目を閉じていても意識ははっきりとしたままだ。デンジもレゼも他者の気配に敏感であり、声は出さずとも互いがまだ眠りについていないことには気付いていた。

 レゼから話しかけることはない。正確に言えば、話したいことはいくらでもあったが(・・・・・・・・・・・・・・・・)どう話しかけて良いのか分からなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。寝返りをうちながら、無理やりにでも寝ようと、背を丸め、固く目を閉じ直した時、デンジが口を開いた。

 

「……なんかさ、あの日の学校みてーな感じだな」

「え?」

「ああいや、この教会、あの夜の学校に似てる気がして」

「がっこう……」

 

 レゼは寝たまま辺りを見渡す。

 威厳を感じさせる祭壇、整然と並べられた椅子。それらを窓から差し込む月明かりが照らしている。あの夜の学校も、教師が立つ教壇と、生徒たちが座る机と椅子を、同じ月明かりが照らしていた。

 確かに似ていると思った。学校探検。授業ごっこ。そして、二人で遊んだプール。

 あの日の光景。あの日の会話。鮮明に覚えていた。心に刻まれていた。

 同時に、まだチェンソーの心臓を狙っていた自分を思い出して、胸が痛んだ。

 

「……似てないよ。そもそも日本は仏教と神道がほとんどだし、教会の数自体が少ないから」

「へぇ、そーなんだ。俺にはあんまよくわかんねーな。カミサマとかホトケサマとか、ほんとにいるなんて思えねーし」

「……それじゃ、私はもう寝るから」

「あ、あァ。わりーな、話しかけて」

「いいよ。おやすみ」

 

 レゼは無理やり会話を終わらすと、デンジに背を向け、その背中を丸めた。心臓がバクバクと音をたて、上手く息ができない。

 

(ああもう、なんで、こんな言い方しかできないんだろう)

 

 あの日、なぜ自分は新幹線を見送り、デンジの待つカフェに行ったのか。任務遂行のため、訓練で鍛え抜かれたレゼの頭は、あの時から合理的な判断ができなくなっている。

 

(当てのない旅、終わりのない旅)

 

人間は目的がない無意味な行動を継続できない。果たして、この逃避行の先に何があるというのか。

 

(ごめんね、デンジ君。ごめん、本当に、ごめんなさい)

 

 ぎゅっと強く目を閉じる。

あの時、自分は彼を選ぶべきではなかった。縋るべきではなかった。

 いっそのこと(・・・・・・)この胸に渦巻く後悔を(・・・・・・・・・・)誰かにぶちまけてしまいたい(・・・・・・・・・・・・・)

 

 レゼがそう思った時。突然、教会の扉が開かれた。

 

「ッ!!」

「なんだァ!?」

 

 反射的に飛び起き、デンジは胸元、レゼは首筋。自然と己のトリガーへ指をかける。

 扉を開け放ち、ずかずかと教会へ足を踏み入れた存在は、まるで神父のような装いの、初老の男性だった。もともと眠っていたわけではない二人が、それでも扉が開くまでその気配を感じ取れなかった。ましてや普段から警戒心の高いレゼですら気付かなかった時点で、相当の手練れであることは明白だった。

 神父はその勢いのまま二人の前まで歩いてくると、唐突に話し始めた。

 

「悪いが、忙しい身でね。さっそく話を聞こう。私を呼んだのはどっちだ(・・・・・・・・・・・)?」

「あァ? 誰も呼んじゃいねェーよ!」

「…………」

 

 威嚇するデンジとは対称に、レゼは目の前の男を冷静に分析していた。

 教会に突然現れた男。気配からして人間ではない。恐らく悪魔だ。

「神父のような装い」「話を聞く悪魔」その二点から、レゼは既にこの悪魔の正体にたどり着いていた。宗教上の理由から日本に現れることはほとんどないと言われているが、海外ではメジャーなビッグネーム。その悪魔の名前は。

 

「自己紹介がまだだったな。私は『告解の悪魔』。悪魔でも神父でも牧師でも、好きに呼ぶといい」

「『こっかい』?知らねェ言葉だ。意味わかんねェ!」

「……お前ではなさそうだな」

 

告解の悪魔が、大げさにぐるりと首を回し、レゼを捉える。

 

「お前だな。私を呼んだのは」

「……私も、貴方を呼んでない。話すことも、懺悔するようなことも特にない。この教会、貴方のナワバリだったのかな。明日の朝、いや、今すぐにでもここから出ていくから、見逃してくれない? そっちも分かってると思うけど、私たちも普通の人間じゃない。戦えば、お互い無事じゃ済まないよ」

「ふむ。どうやらお前は、私のことを知っているようだ。そして、|私が現れた時点でもう生き延びる術がないことも知っている《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。なら話は早い」

 

 悪魔がそう言うや否や、教会内部が突然、強烈な光で覆われた。

 瞬間、デンジはスターターを強く引き、チェンソーマンとなる。

 

(このジジイは自分のこと悪魔だっつった。悪魔は二人で倒す!)

 

「デンジ君」

「……え?」

「逃げて」

「あ……え、なッ、なんで」

 

 二人を遮るように、悪魔が言う。

 

「告解は、他者にその内容を聞かれてはならない。場所は私が用意しよう」

 

 教会内部を照らす眩い光は徐々に集約されていき、やがて悪魔を上から覆うように、部屋のようなものが現れた。

 デンジは知らなかったが、それは告解部屋や懺悔室と呼ばれる、罪を自白するための場所だった。

 

「入っておいで。お前の犯した罪を話しなさい」

 

 なぜかレゼはピンを抜かず、ボムにならない。それどころか、人間の姿のまま、現れた告解部屋へ、一歩、また一歩と進んでいく。

 告解の悪魔の能力により、レゼは既に自らの意志で自身の体を動かすことが叶わなかった。幸いにも、言葉を発することはできた。話ができなければ、告解はできないからだ。

 

「レゼェっ!!どうしたんだよ!!」

「お願いデンジ君。今は、逃げて」

「逃げんなら一緒に逃げんぞ!それか、オレがコイツをぶっ殺すから!」

約束(・・)、忘れてないよね。お願いだから」

 

 ———約束。

 

『ソ連からの刺客や野良悪魔と遭遇した時は、一緒に戦う』

『レゼが逃亡を指示したときか、公安の刺客が差し向けられた時は、デンジは逃げる』

 

 もちろん、忘れていない。レゼが絶対に譲らなかった約束。

 

(え、どっち?どっちだ?目の前の悪魔は野良悪魔で、だから一緒に戦う?でも、レゼは逃げろって……とーぼーのしじ、って方か?)

 

 デンジが決断できない様子を、レゼは目に焼き付けるように見ていた。

 これが最後かもしれない。

 そう思うと、レゼはデンジを見て、無理矢理、ニカッ(・・・)と笑った。

 旅を始めてから初めて見る、渇望していたはずレゼの笑顔。しかしそれは、デンジの知るレゼの笑みではなかった。

 

「デンジ君、私は大丈夫!今は逃げて!地図と封筒、忘れないで!」

 

 地図と封筒。旅を始めてから、毎日行われたやり取り。二人が離れても、あとで合流できるようにレゼからの指示が入っているはず。

 

「———、———」

 

 レゼがまた何かを言ったが、今度は聞き取れなかった。そのままレゼは告解部屋に消えていく。デンジの目の前にはただただ告解部屋が存在し、もうレゼの姿も悪魔の姿も捉えることはできなかった。

 

「……おらァッ!」

 

 デンジは半ば反射的に告解部屋にチェンソーを突き立てる。部屋はびくともせず、逆に強い力ではじき返され、デンジは端の方に置いてあったレゼの荷物を巻き込みながら教会内を吹き飛ばされていった。

 起き上がり、もう一度突撃しようとするも、レゼの言葉を思い出す。レゼは逃げろと言っていた。そういえばあの約束をした時『私が逃げてって言った時は、私単独の方が動きやすい状況ってことだから、あくまで後で合流するための緊急措置なの。だから遠慮なんてしないで、すぐに逃げてね』とも言っていたことを思い出した。今がその指示に従う時だ。レゼとの約束。絶対に守りたかった。しかし同時に、守りたくなかった。

 先ほどのレゼの表情。まるで何かを諦めたような強張った笑顔だった。大丈夫と言っていたが、とてもそうは思えなかった。しかし、レゼはデンジと違い実戦経験も豊富で、本当に自分がいない方がやりやすいだけなのかもしれない。レゼの邪魔はしたくない。

 

「……糞がよオオオオッ!!!」

 

 デンジは告解部屋に向かって咆える。レゼから渡された地図と封筒を拾い上げ、教会から飛び出した。

 

 

 

 

 

/003

 

 

「……ありがとう、さようなら」

 

 レゼはデンジに聞こえないように小さく呟くと、悪魔の用意した告解部屋に入っていく。部屋の外はあれだけ光っていたのに、中は真っ暗な狭い空間だった。目の前には格子状の壁があり、見えはしないが、その向こうには確かに悪魔の気配を感じる。あの部屋(・・・・)を思い出し、吐き気が込み上げてくる。

 

(『告解の悪魔』は、主にキリスト教圏に現れる、|人間に対し友好的と分類される悪魔の内、最も多くの人間を殺している悪魔《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》)

 

 モルモット時代、悪魔対策訓練において『これらの悪魔と出会ったら一切の戦闘を停止し退却、もしくは即時自害する』という指導があり『告解の悪魔』はそのなかの一体だった。

 

(その時の報告書では、出現すると告解部屋に対象を閉じ込め、部屋が消えるとこの悪魔も対象も誰一人いなくなっている。いなくなった人間はその後の生存が一切確認できないことから死亡認定される。周囲の人間を無差別に殺したり建物を破壊したりは一切せず、会話だけして消えることもある。遭遇して生き残った人は全員『あの悪魔に救われた』と発言していることと、実際の殺害現場を押さえていないことから人間対し友好的だという見方もできる……という内容だったけど、対峙した今なら分かる。たぶん、この悪魔は……)

 

「……私、は……」

 

 何も答えるつもりはなかった。しかし、この悪魔の能力なのだろうか、体が勝手に話し始めていた。

 

「私は……許されない、罪を犯した……」

 

 レゼの口から、言葉が勝手にあふれ出る。

 

(この悪魔は、対象の罪の意識や存在を暴き、自白させ……自殺させる悪魔だ(・・・・・・・・)

 

 分かったところで、既にレゼにできることはない。

 先ほどこの悪魔は、呼ばれたから来た、と言っていた。そして呼んだのはレゼだとも言っていた。

 レゼが望んだのだ。罪の告白。誰かに裁かれ、罰を与えてほしかった。

 レゼの告解が始まった。

 

 

 

 

 

 私はモルモットと呼ばれるソ連の諜報員で、爆弾の悪魔の心臓を移植された武器人間。今回の任務はチェンソーの心臓の奪取し祖国に持ち帰ること。なぜチェンソーの心臓が必要なのかは聞かされないし、興味もなかった。ただ、任務を与えられれば、それを実行するだけだ。兵器は疑問を持たない。任務以外のことは考えなくていい。

 

 

 対象である少年にはデンジという名前があった。経歴を調べると、不運で、不幸な少年だった。義務教育も受けておらず、日本ほど治安が良く文化的な国にも、こんな人間がいるのかと思わせるような悲惨な人生だった。愛情に飢えており、交友関係も職場の一部の人間のみで、他は皆無に等しい。ボムになるような事態になれば、私の能力は多くの人間を巻き込んでしまう。できれば、いたずらに他の人間に危害を加えることなく、この少年の心臓だけを確保して帰投したい。関係を構築し、人気のない場所へ誘導、任務を実行する。接触してから1週間程度で堕とせるかな、と思った。今回もいつも通り、最低な任務の始まりだ。

 

 

 接触を図る前に、対象の少年を観察した。生活動線を把握し、出会い方やその後の接触に違和感のない場所を選定していく。

 深耕を図る場所として、寂れた喫茶店を選んだ。常連客はモーニングの時間帯のみであり、対象と主に接近する昼から夜にかけての時間帯はほとんど来客がない。それにコーヒーの強い香りは、ボムの火薬の臭いを上書きしてくれる。二度、客として利用してみる。一度目はカレーとコーヒー、二度目はチャーハンとコーヒーを頼んだ。可もなく不可もない、平凡な味。レストランより劣り、食堂には勝るような、一般的な家庭料理、という奴だろうか。

(……家庭料理なんて食べたことないから、分からないんだけど)

 どこか居心地の良さを感じ、アルバイトは募集していなかったが『家庭環境が複雑で家にいたくない。接客はするがバイト代はなくても良い。その代わり、客がいないときはここで勉強さ せてほしい』と言ったらすぐに採用となった。マスターは人が良く、バイト代は平均的な時給を設定された。断る方が不自然だと判断し、素直に受け入れた。安い労働力を手にするチャンスだったのに。日本人は甘いなあ。

 

 

 チェンソーの心臓を持つ少年は、電話ボックスで雨宿りをしている。雨。爆弾の威力が落ちる……が、元々悪魔の力を使わずに技術体術でヤる気だったし、もしボムになるとしても、電話ボックスのような密室空間なら、一発で終わるだろう。

 よし行くか、と電話ボックスに走り出す。

 ボックスまであと10メートル。顔の近く何かを振っている?ボックスが雨水で反射してよく見えない。少しだけ速度を上げ、ボックスに駆け込んだ。

———わー!ひー。

 対象との初めての接触。首元のピンをなぞる。雨宿りしにきました、とアピール。

 雨で顔に張り付いた前髪越しに、横目でちら、と少年を見て。

———む……え!?

 少年は、タバコの吸い殻が押し詰められて、灰皿代わりにされた缶コーヒーを持っていた。口元はダランと開き、まるで残りを飲もうとしているみたい。普通の人間なら、汚くてまず触ろうとすらしないものだ。

(そんなの飲んだら、お腹壊しちゃうよ)

 昔、あの部屋で、雨漏りで床にたまった泥水を啜ってお腹を壊した自分と重ね、思わず笑ってしまった。普段、こんな笑い方なんかしないから涙までこぼれる始末。

「おえっおえっおえぇ」

 少年が突然嘔(え)吐(ず)き始めた。もしかしてさっきの缶コーヒー、少し飲んじゃってたのかな。私はハンカチを渡そうとするが。

「タラーン!」

 少年は手品のように、口元から一輪の花を取り出してみせた。少し、衝撃。

 祖国では象徴的な、異性へ花を贈る行為。自分とは無縁の風習だと思っていたが、まさかこんな島国で、それを受けるとは。

 花を受け取る。なんとなく、今日、彼に手を出すのはやめようと思った。

 当初の想定とは違う形となったが、カフェにも誘った。近日中に、きっと来るはず。

 花って、プレゼントされると嬉しいと感じるものなんだな。

 私はいつもより少し早足で、カフェに向かった。

 

 

 その後は順調に少年……デンジ君と接触を重ねた。まさか出会った当日、それもその後すぐに店に来るとは思わなかったけれど。カフェ二道での何気ない会話から分かったが、やはりデンジ君は事前調査の通り教育機関に通っておらず、多少なりとも『学校』に憧れのようなものを持っていた。義務教育を受けていないからか情緒も幼く、小学生程度の、いわゆる『下ネタ』が好物なようだ。……私も、学校には通ったことがない。物心がつく前からモルモットとして訓練を受けていたし、そもそも学校という存在すら知らなかった。諜報能力の高さと爆弾の悪魔との融合実験に成功したことから、途中から組織内での扱いは悪くはなくなったが、人権はなく、任務と束の間の休息を繰り返すだけの日々を送っていた。

 デンジ君と過ごす時間だけは、私は普通の学生のレゼ(・・・・・・・・)になれる。

初めて会ってから、幾度となく彼の心臓を手に入れる機会はあったが、なぜか先延ばしにしてしまっている。キミと通う学校なら、きっと楽しいだろうな。

「レゼとなら学校、行きたかったかな。なんか楽しそうだし」

 言葉にはせず、フフンと笑みを浮かべる。

(私も、同じこと、思ってたよ)

 夜の学校に誘えば、デンジ君からは当然のようにイエスの答えが返ってくる。

 デンジ君は、不幸な少年だ。もともとの家庭環境は極めて劣悪、早々に天涯孤独となり、学校にも通えず、16歳になった今も国家に首輪を着けられ命がけでデビルハンターをしている。

 ……ごめんね、デンジ君。年が近くて、自分に好意を持っている女の子。気になって仕方がないよね。

 疎まれ、騙され、蔑まれてきた人生だっただろう。せめて最後は、夢を見せてあげるからね。

 

 

 夜の学校探検。日常と非日常の交錯。デンジ君の感情を揺さぶる。廊下で、デンジ君の手を握って歩く。緊張から彼の手は少し汗ばんでいて、たまにぎゅっと力を入れると、おずおずと握り返してくる。

 この学校には、校舎の配置や各階の間取りの確認のため、前日に一度下見に来ている。同じ廊下、同じ教室のはずなのに、なぜかは分からないが、彼と一緒に見る風景は、下見の時とはまるで違って見えた。

「はあ~……学校ってこんな感じなんだな。だいたい掴めてきたぜ」

 ……私も同じ。学校って、こんな感じなんだね。喜怒哀楽に嘘がないデンジ君みたいな人と一緒なら、やっぱり、楽しいかもね。

 デンジ君に、現状の異常さを説明する。不満があれば、新しい環境を欲するものだ。

 普通の16歳の子供は、勉強して、部活がんばって、友達と遊びに行くものらしいよ。

 普通の日本人は、一日3回温かいご飯を食べられるし、お布団で眠れるものらしいよ。

「う~~ん……考えすぎて、頭熱くなってきた」

 ……うん、解るよ。自分が普通じゃないんだって分かっていても、そういう生き方しかしらないし、許されなかったから、頭が痛くなってきて、心臓がバクバクいって、何も考えられなくなってくるんだよね。

———じゃあ、少し冷やしますか。

 夜のプールを、二人で泳ぐ。といっても、デンジ君は泳げないみたいなので、私が教えてあげた。……今まで、教えてくれる人なんていなかったよね。大丈夫。デンジ君が生きている限り、教えてあげる。デンジ君の知らない事、できない事。私が全部、教えてあげるよ。

 最近の自分、彼と出会ってからの自分は、合理性に欠ける判断をしている。ボムの弱点は水。任務のために、こんなことする必要なんてないのに。まるで『モルモット』でも『ボム』でもない、もう一人の『私』がいるみたい。

 その後、天気予報は外れ、雨、そして嵐となった。

 浮つき揺れ出した気持ちをリセットするために、いったんデンジ君と離れ、顔を洗う。

 既に任務に支障をきたし始めている。こんなこと、初めてだった。

 微かな気圧の変化。不意に違和感を覚える。これは、台風の悪魔の気配?それに加えて、校舎内にもう一人いる。釣り出すか。

 招かれざる客は、デンジ君目当てのモヒカン男だった。アメリカ人かな。外見からは判別できない。デンジ君を安全に殺すために、私を人質にしたかったみたいだけど、私の正体までは知らなかったみたい。見誤っちゃったね。あーあ。せっかく良い気分だったのに。

 教室に戻ると、デンジ君は飼い主が帰ってきた犬のような顔で私を見る。

(プール、楽しかったな。……また、デンジ君と入りたいな)

 ……明日のお祭り、楽しみだね。

 

 

 夏まつり。わたあめ、リンゴ飴、金魚すくい。デンジ君は、お祭りなんて初めて来たって言ってたけど、私も初めてだったよ。

(ねえ、デンジ君。私ね、ソ連ていう国のスパイなの。キミの心臓を持ち帰らなきゃいけないんだ。でも、心臓って、取られたら死んじゃうんだよ)

———仕事やめて……私と一緒に逃げない?私がデンジ君を幸せにしてあげる。一生守ってあげる。

(……いっそのこと、ホントに逃げてしまおうか)

———お願い。

(……お願い)

———だって私……デンジ君が好きだから。

(私を、受け入れて)

 でも、デンジ君は私のことが好きだと言いながら、一緒には来てくれなかった。

 葛藤。何かを選択できない時の表情。大事なものが、一つではない人の顔。

「ここで仕事続けながら、レゼと……会うのじゃダメなの?」

 うん、ダメなんだよ。だって私は祖国に帰らなきゃいけないから。キミの心臓を持ち帰らなきゃいけないから。一緒に来てくれれば、もう少し、夢を見させてあげられたのに。痛い思いを、させずにすんだのに。

 彼に口づけ。彼のそのギザギザの歯を少しつつくと、おずおずと受け入れてくれた。今度は互いの舌先を触れ合わせる。慣れない様子で彼が応じたのを確認。そのまま吸いつき、噛み切った。喉をナイフで切り裂き、スターターを引こうとする手も切り落とす。互いの口元は、彼の血で濡れている。任務に影響のない程度の、少しの罪悪感。そのまま、もう一度口づけをした。

 ———痛いね?ごめんね?デンジ君の心臓、もらうね?

 

 

 サメの悪魔の魔人に邪魔をされ、ボムとなり、公安との戦闘に入る。公安の人間も、関係ない民間人も、たくさん殺した。民間人に直接手を出すことはしないが、私の能力は爆発による建造物の破壊に民間人を巻き込むことが多い。私の指示で動いていた台風の悪魔による被害者も、相当なものだったと思う。

 デンジ君はしぶとかった。戦闘技術は無いに等しいが、とにかくタフで、予想外の攻撃が多い。サメを移動手段に使っていたのには、少し笑った。ボムの時は、頭がハイになる。ここまで自分と張り合える相手と戦うのも久々で、まるで遊んでいるような感覚。ホント、デンジ君はメチャクチャで、最高に面白い。

 厄介だったサメの魔人を始末し、デンジ君を海辺のコンテナ置き場まで吹き飛ばす。いい加減、時間を使いすぎている。さすがにボムのまま飛んで帰るには血が足りない。

「だったら、初めて会った時にさっさと殺しとくんだったな……!」

 ……本当に、その通りだ。初接触の時から、何度でも機会はあったはずなのに。

「俺に泳ぎ方を教えたのは間違いだったな~」

 火花を飛ばして左手を爆破する……が、デンジ君は先にエンジンを吹かしており、再生した両腕からチェーンだけを伸ばして、メチャクチャに振り回す。砕けて飛んできたコンクリートを弾いていると、足元には伸びたチェーンが私を囲うように転がっていた。嫌な気配を感じた直後、ジャラララと音を立て、チェーンが私に巻き付いてきた。

「シケてても爆発できるのかァ~?」

 彼の足元にも小さなチェンソー。回転させて、移動に使っている。デンジ君が勢いよくチェーンを巻き戻し、私を引きずり込む。

(……ッ!まずい!)

 ヒビは入っているが、頭のチェンソーはまだ生きている。頭を貫かれるかと思ったが、デンジ君は顔を傾けてチェンソーの刃を逸らした。なぜ、と思う間もなく衝突する。ぶつかった衝撃のまま、折り重なるように海へと落ちた。全身をチェーンでガッチリ巻かれているため、体術では抜けられない。感覚の残る両手を爆破させてみるが、海中では大した威力もでない。チェーンの一部を壊すだけで、体は一向に動かず、むしろ爆破の反動でさらに海底へと沈んでいく。

 ボムだろうが、息をしなければ窒息する。何より海底(ここ)は、暗くて寒くて、あの部屋(・・・・)を思い出す。

(あぁ、死ぬんだ……)

 あの部屋で私は生まれ、あの部屋で私は死ぬ。

 ふと、顔にデンジ君の頭が触れた。デンジ君は既に意識を失っているのか、顔の奥の光が明滅している。チェーンが消える気配はない。彼はきっと、勝つことだけを考えており、勝った後のことなど微塵も考えていなかったんだ。

 海の底は真っ暗で、何も見えないし何も聞こえない。なのに、なぜだろう。二人の体が触れ合っているところが、とても温かく感じて怖くない。

(ずっと、一人で生きて、一人で死ぬんだと思ってた。でも、最後の最後で、私は、一人じゃないんだ)

 仮面を被っていたとはいえ、自分のことを好きだと言ってくれた少年。

 最後に彼と一緒だったら、それでいいか。

 意識のないデンジ君に、体を預ける。ふと、二人で遊んだ学校のプールを思い出す。

 そこで、私の意識も途切れた。

 

 

 波の音。海の匂い。

 目を覚ます。

 彼が、私を蘇らせた。何度も騙し、何度も殺した私を……信じられない。

「一緒に逃げねえ?」

———へ?

 この場を去ろうとする私に、彼からの誘い。思わず気の抜けた声がでる。こんなにひどいことをした私のことを、彼はまだ好きだと言う。

(ソ連からも、公安からも追手がくるかもしれないのに。二人で逃げるなんて現実的じゃない。何より、デンジ君が私と一緒に逃げる必要なんてない。バカじゃないの?)

 一瞬、二人で逃げること、逃げた後のことを頭の中で想像するが、すぐに否定した。だって、彼にメリットがなさすぎる。

「仕方なくねえけど仕方ねえな。まだ俺ぁ好きだし。全部嘘だっつーけど、俺に泳ぎ方を教えてくれたのはホントだろ?」

(……あ、ちがう。メリットとかじゃないんだ。この人、ホントに、ただ私のことが好きなんだ。それだけなんだ)

 意識的に頬を赤らめたわけではないのに、少しだけ顔が熱くなる。

 嘘だらけの私にも、ホントのことがあった。彼にとっては、ホントのことだったんだ。

 考えるよりも先に足が動いていた。

 彼の首筋に手を回し、すがるように抱き着いた。

 (……きっと、たぶん。私も、キミのことが好きだよ。ホントなのは、泳ぎ方を教えたことだけじゃない。デンジ君のことが好きだってことも、ホントだよ)

 他人を好きになったことなんてないから、この想いが正解なのかは分からないけれど。

 想いのままに、口を寄せる。

 互いのそれが触れる直前、最後の理性が働いた。

(このままキスすれば、彼は本当に私と一緒に逃げるだろう。やっとの思いで手に入れた、彼が欲して止まなかった、なんてことはない、かけがえのない普通の幸せを全て捨てて)

 彼の首に添えた手に、力を込める。慣れた感触。首の骨を折る。

 崩れ落ちる彼を視界に収めたまま、周りを見渡す。

 この景色を、全部覚えておきたかった。

———もう少し、賢くなったほうがいいよ。

(ありがとう。こんな私を、まだ好きだって言ってくれて)

 モルモットに任務失敗は許されない。失敗した自分は祖国に帰っても殺されるか、また実験動物のような扱いに戻され、二度と外には出られないかもしれない。いったん日本国内に潜伏した後、時機を見て海外に逃亡するしかない。

(デンジ君は、不幸のどん底から、温かいもの、守りたいもの、手放したくないものを手に入れたんだ。私に付き合わせて、全部捨てさせることなんてない)

 彼に背を向け、歩き出す。

「今日の昼に……!あのカフェで待ってるから!!」

 カフェでの幸福な時間を思い出し、一瞬足が止まりそうになる。

(私の夢……普通の暮らしがしてみたい。少しだけだったけど、デンジ君と過ごした時間は、私にとって夢みたいな普通の時間だった)

 柔らかい砂浜。しかし、まるでガラスの上を歩くかのように、足の裏がひどく痛む。

(楽しかったよ。嬉しかったよ)

しかし、歩みは止めない。彼に残すのは、この足跡だけ。

(私に夢を見せてくれて、ありがとう。どうか、お幸せに)

 私は振り返らず、何かがこぼれないように少しだけ上を向いて、歩き続けた。

 

 

 一度拠点に戻り、手早く旅支度をする。街は先の戦いで甚大な被害が出ており、その対応に追われている公安や警察の包囲網は簡単にすり抜けられた。いったん新幹線で北に向かい、寂れた田舎町を探してしばらく潜伏しよう。

 駅に向かう途中、台風の悪魔による被害者のための募金活動をしている団体があった。普段なら見向きもしないが、ふと足を止め、募金箱を眺める。主犯の私が、なんの贖罪か。手持ちの硬貨を募金箱に入れ、無感情のまま立ち去ろうとすると、女性からお礼にと花を渡された。後で思えば、おそらくここが、分岐点だったのだと思う。

 

(赤い、ガーベラ)

 

———タラーン!

帽子を深くかぶり直し、再び駅へ向かう。

手の中で赤いガーベラをひらひらと回す。

 

———レゼとなら学校、行きたかったかな。なんか楽しそうだし。

駅に着く。乗車予定の切符を買う。

手の中で赤いガーベラをひらひらと回す

 

———好きイ!

改札を通り、ホームで電車の到着を待つ。

手の中で赤いガーベラをひらひらと回す。

 

———一緒に逃げねえ?

電車が到着し、乗車のアナウンスが流れてくる。

手の中で赤いガーベラをひらひらと回す。

 

———全部嘘だっつーけど、俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?

電車に乗り込もうと、一歩、前に進む。

手の中で赤いガーベラをひらひら、ひらひらと。回して、回して、回して———止めた。

 

———今日の昼に……!あのカフェで待ってるから!!

 

 進んだのは、一歩だけだった。電車には乗らず、駅を出た。

 少し歩くと、慣れ親しんだ二道への通勤ルート。路地の向こうに、待ち合わせの場所。

(居てほしくない。居るはずがない。会いたく、ない)

 歩く。歩く。徐々にカフェに近づく。

(居てほしい。居るに決まってる。会いたい。会いたい。会いたいよ……!!)

 走る。走る。カフェの窓越しに、彼の後ろ姿。

(……いた)

 扉の前。息を整え、静かに開ける。カランコロンと来客を知らせるベルが鳴る。

 

「あっ……えっ?……れ、レゼ!?」

 

 彼は、私が来たことが心底信じられない、といった様子だった。

ちらりと店内を一瞥する。彼以外の客はおろか、裏の倉庫にでも行っているのかマスターすらいなかった。

 

「……呆れた。ホントに待ってたんだね」

「だ、だって……約束、したからァ……」

「約束なんてしてないよ。キミが一方的に提案してきたの」

 

 私が冷たく言うと、彼は一瞬何かを言いかけたが、そのまま下を向いた。

 

「その花束、どうしたの」

「あっ……これは、レゼに、渡そうと思って……。俺、女子が喜ぶもんなんて分かんねェけど、花なら、前みてェに喜んでくれるかなって思って……」

「デンジ君、これから逃げるんでしょ?こんな大きな花束抱えてたら、すぐに見つかっちゃうよ」

「そ、そうかもだけどォ……」

「……ホントに分かってるの?私と逃げるってことは、デンジ君、もう友達にも知り合いにも会えないんだよ?楽しくなってきた仕事も、信頼も踏みにじって、全部、全部、捨てなきゃいけないんだよ?」

「……分かってるよ」

「分かってないって。今後一生、誰かの目を気にしながら生きてくんだよ?気が休まる時なんてないし、もう好きな物も食べられないかもしれない。野宿もするだろうから、あったかいベッドでも寝られないよ」

「レゼ」

「公安からも、ソ連からもきっと追手が来る。戦いになれば無事じゃすまないよ」

「なあ、レゼって」

「そもそも私、大量殺人犯だよ。デンジ君の同僚も、関係ない一般人もいっぱい巻き込んで。デンジ君も同じになっちゃうよ。それでもいいの?」

「……なんで」

「私と一緒に逃げたって、良いことなんて、一つもないんだよ」

「……なんで、レゼが泣きそうになってんだよ」

 

 泣きそうになんかなっていない。ただ、胸が苦しくて、喉がきゅっとなって、自分ではどうにもできないこの痛みを、誰かに取り除いてほしいだけだ。

 

「絶対、後悔するよ。いつか、あの時、私と一緒に逃げなきゃよかったって思うよ」

「……俺ァ、頭よくねえからさ。ソレン?とか公安にボコボコにされても、好きなモンが食えなくても、あったかい布団で寝らんなくても……言ったろ?次の日に一個でも良いことがあれば、それでハッピーになれんだよ」

「…………」

「そんでもって今、レゼと一緒に逃げてたら、なんか良いことねーかなーって考えたんだけどよォ……さっそく一個思いついたぜ」

「…………」

「レゼがずっと一緒にいるじゃん!俺と!」

「……え?」

「それが、俺にとって良いことで、しかもずっと一緒ってことは、どんな嫌なことがあっても、次の日のハッピーが約束されてんだぜ?俺にとっちゃあ、マジ最高だぜって感じ」

 

 だからよォ、と。おずおずと私に花束を差し出しながら、彼は続ける。

 

「俺と一緒に逃げようぜ。大丈夫。二人なら、きっとなんとかなるよ」

 

 思わず手が出て、縋るように花束を受け取った。

 祖国では象徴的な、異性へ花を贈る行為。諦めていた、憧れの行為。

 普通なら、普通の人なら、私のことなんて絶対に選ばない。でも、そうだった。この人は、16歳のクセして学校にも行かずデビルハンターなんてやってる、普通ではない珍種だった。

 私と一緒にいるだけでハッピーだという能天気な彼の、何の根拠もない、その言葉を。

 暗くて冷たいあの部屋で、私はずっと待っていたのかもしれない。

 

「ばかな人」

 渡された花束を抱きしめ、深く息を吸い込む。花の匂い。心に刻んだ。

「でも、うれしい」

 公安。魔女。ソ連。刺客。秘密の部屋。モルモット。

 頭によぎる全ての不安を無視して、この日、私はデンジ君と一緒に逃げることを選んだ。

 それは同時に、無邪気なまでの彼の温もりに甘えて、彼が手に入れた幸せを全て奪うことと同義だった。

 

 

 

 

 

/004

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 私の悪。犯した罪。誰が決めて、誰が裁くのか。

 

「私はデンジ君を幸せにすることなんでできない……私は……私が幸せになるために(・・・・・・・・・・)、デンジ君から全てを奪ったんだ……!」

 

 デンジ君が海辺で、一緒に逃げようと言ってくれた。意味が分からなかった。だってあの時点で、デンジ君はソ連からの刺客である私を撃退し、公安での日常に戻るだけ。でも私は、公安からはお尋ね者で、国際指名手配もありうる状況。祖国からも任務失敗による存在抹消のための刺客が送られてくるかもしれず、今後一生、まっとうな生き方は望めないだろう。デンジ君はおそらく、そこまで深く考えていない。矛盾する言い方だが、彼の生き方は「歪んでいて真っ直ぐ」であり、仕方なくないけど仕方ない、ダメだけどダメじゃない、というもの。瞬時に脳内でシミュレーションしたが、二人での逃亡生活はとてもではないが上手くいくとは思えず、長続きもしないことが予想できた。そもそもあの魔女がまるで駆け落ちのような逃避行など見逃すはずもなく、カフェでの合流すらできない可能性もあった。

 ただ、それは。(だめ、考えるな)

 ただ、その逃亡生活は(だめ、絶対に)

 ……あぁ、楽しいかもしれない。デンジ君と二人で、田舎に行って、二人きりで、日雇いの労働でお金を稼ぎ、たまにアイスを食べて贅沢だねなんて笑って、野宿になってもデンジ君はキャンプみたいでワクワクするなんて言ってまた笑ったりして。

 キミと、二人でなら。少しだけ、そんな夢を、見てしまった。

 乗るはずだった新幹線が遠ざかっていくのを見送り、気付いたら約束のカフェ二道に向かっていた。向かう途中も『何をしているんだやめろ馬鹿!』と叫ぶ自分と、形容しようがないフワフワとした初めての感情で背中を押してくる自分が頭の中にいた。今まで感じたことのない期待感。まるでこの世界に、自分とデンジ君の二人だけしかいないような、なんの確証もない希望に縋り、私はカフェ二道にたどり着いた。道は二つ、選べるのは一つだけ。

 デンジ君は両手いっぱいに花束を持って、約束通りに私を待っていた。この世界のすべてを敵に回すかもしれないのに、私のことを、待っていた。

 一緒に逃げよう、と。幸せにしてあげる、と。一生守ってあげる、と。

 夏祭りの日、先にそう言ったのは私だ。だから、私がやらなきゃいけない。

 いけない、のに。

 

(幸せになったこともない、誰かに守られたこともない私は……この人をどうやって幸せにできるんだろう。どうやったら、守れるんだろうか)

 

 『モルモット』でも『ボム』でもない『何者でもない私』は、彼に何ができるのか。

 逃亡生活が始まり、約2週間。私は未だにその答えがわからない。

 とにかく命だけは守れるようと常に安全確保を一番に行動していたが、気を張っているせいかデンジ君の前で可愛いレゼ(・・・・・)に上手くなれず、せめて食事だけでも一緒にと思い、そこに最低限の会話しかなくとも、その時間だけが私の心が休まるひと時だった。

 

「……もう、いい。もう殺してよ。私は充分すぎるくらい、幸せな夢を見させてもらった」

 

 この部屋に入って、初めて悪魔が口を開いた。

 

「私は思うのだよ。悪魔よりも人間の方が遥かに罪深く、そして傲慢な生き物だと。その価値観の違いから、他者を害することを簡単に正当化する。正義の行いとすら思う者もいる。お前は今までその能力で何百人と他者を害してきたな。他者を害するということは、その本人だけでなく、その家族、友人、知人。関係のある全ての他者にも影響を及ぼすこととなる。それらを含めれば千ではきかない数となろう」

 

 しかし、と告解の悪魔は続ける。

 

「お前の口からは、その男に対する罪の告白のみ行われた。それ以外の他者については、直接害した相手にすら罪悪感を抱いていない。その者たちに対する罪はないのか?」

「……私には選択肢なんてなかった。私が生きるために、それ以外の道はなかった。殺せと命じられれば、殺さなければ私が殺されていた。だからやった。そのことを、悪いこととは思っていない。何が罪かなんて、誰も決められない。憲法、条例、法律、あるいは道徳。そんなもので守られるような世界に、そもそも私は生きていなかった」

 

 だって、それらも私を守ってはくれなかった。

 自分が直接殺してきた相手。爆発に巻き込んだ相手。爆破した建物にたまたまいて瓦礫に圧し潰された相手。任務の達成が、何よりも優先される。ターゲット一人を確実に殺すために、百人巻き込んでしまっても、それは仕方のないことだ。だって、悪いことだと教わらなかったのだから。

 

「でも、デンジ君は違う。私が願い、選択した。初めて、自分の意志で。だから怖い。大事だから。自分よりも、何よりも大切にしたい。したかった、のに」

 

 彼は普通の愛情を知らない哀れな子供だ。自分だってまともな人生を送っているとは思わないが、それでも訓練の名のもとに高水準の教育は施され、今も追手の目を逃れて生き延びることができている。彼は小学校にすら通えず、碌な教育も受けてこなかった。一般常識もなく、正常な判断能力すら養われていない。そんな彼を、騙し、傷つけ、全てを奪った。

 

「私が、彼にとって、最悪の悪魔だったんだ。私なんて……」

 

 死んでしまえばいいんだ。

 

「死にたいのなら、死ねばいい。私はただ、話を聞くだけの悪魔だ」

「……」

「人間は愚かだ。この世界で自死を選ぶ種族など、お前たち以外にはいまい。告解の悪魔として生まれた以上、告解を望む者の前には現れねばならない。教会を用意し、この部屋に招き入れ、話を聞く。すると不思議なことに、大多数の人間がその場で自死を選ぶ。特筆すべきは、その数の多さだよ。おかげで私はとても忙しい」

「……私がいなくなれば、きっとデンジ君は元の生活に戻れる。最初から、そうすれば良かったんだ。彼を選ぶべきじゃなかった……背負わせるべきじゃなかった!」

 

 レゼは、両腕で自身を抱きしめながらそう叫んだ。一度は全てを失ったデンジが、這い上がり、自身の力で手に入れたものを、自分がまた全て奪ってしまった。罪の意識が常に付きまとい、デンジとまともに会話することもできなくなってしまっていた。いっそ、このまま悪魔に食べられれば楽になれるとも思うが、そんなことを思う自分に「なんて無責任な」と再び罪の意識が生まれる。がんじがらめの気持ちがこの告解でさらに増幅し、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃとなっていた。

 

(デンジ君……)

 

 今まで数多くの戦闘を経験してきた。リスク管理は得意な分野であり、任務の際は常に確実な達成条件を整えてから実行した。その機会を見誤ったことのないレゼは、今、自分がこの悪魔相手に勝利することはできないと悟っていたし、その気力も失われていた。

 何よりレゼ自身がもう限界だった。何もかも終わらせたかった。

 

(デンジ君……)

 

 ふと気づくと、右にハンドガン、左に小瓶に入った薬物、目の前には絞首台とロープが吊り下がっていた。この空間に先ほどまではなかったものだ。告解の悪魔の能力。自死の方法を選ばせてくれるということか。告解の悪魔は人間を殺さない。人間が勝手に、一人で死ぬだけだ。

 

(デンジ君……)

 

 レゼが閉じ込められた懺悔室は固く閉ざされており、デンジの姿はとっくに見えず、声も聞こえない。

 デンジには緊急時のための逃亡ポイントとその後の指示を記した紙を毎日渡してある。その指示に従えば、デンジだけは(・・・・・・)助かるだろう。

 レゼはハンドガンを手に取った。

 

(今日、こんなことになるんだったら。お夕飯、デンジ君にカップ焼きそば、食べさせてあげればよかった)

 

 デンジはレゼが用意した物は何でも美味しそうに、幸せそうに食べてくれた。そんな彼を、いつも横目で盗み見ていた。まさか今日が最後になるなんて。後悔と罪の意識だけが胸を締め付ける。目を閉じた。もう何も見えない。

 

「…!……!」

 

 暗闇の中、なんだろう、なにか、音が聞こえた気がする。

 どこか懐かしい、しかし心をざわつかせるその音の正体が知りたくて、レゼは再び目を開けた。

 暗いはずの告解部屋。しかしなぜか、一筋の光が差し込んでいる。

 

「暗ェ教会で独りぼっちはさみしいかんよぉ! オレも仲間に入れてくれよ!!!」

 

 轟音とともにチェンソーの悪魔となったデンジが、懺悔室をぶち抜いて現れた。

 

 

 

 

 

/005

 

 

 デンジが告解部屋に突入する、少し前。

 レゼに逃げてと言われ、逃亡時のための地図と封筒を握りしめ教会を飛び出したデンジは、走りながら地図を睨み、逃亡ポイントに向かって走っていた。正直、月明かりだけが頼りである山中では、走っている方向があっているかも定かではなかったが、どのみちレゼとの約束で、ポイントに着かなければ封筒の中身を見ることもできない。

 地図上でのポイントは教会から大分離れており、デンジは早くポイントに辿り着きたい気持ちと、レゼから遠ざかりたくない気持ちでグチャグチャになっていた。

 

「ガアアアアアッッ!!!!」

 

 デンジは地図と封筒を握っていない方のチェンソーをぶん回し、木々に八つ当たりをしながら猛スピードで走っていたが、太い幹に引っ掛かり盛大に転んだ。

 

「いってェ!」

 

 転んだ拍子に、持っていた地図と封筒を手放してしまう。

 

「やべッ」

 

 慌てて拾い上げようとした際、封筒がチェンソーの刃にふれ、切れ目が入った。封筒は逃亡ポイントに着いてから見てね……レゼがいつも言っていたことだ。しかし、破れた封筒から、何かが飛び出してしまった。

 

「あっ……って、なんだコレ……花?」

 

 封筒から滑り落ちたのは、白と赤の押し花を栞にしたものだった。

 見た瞬間、なぜか胸がざわついた。

 

(レゼ、ごめん!)

 

 心の中でレゼに謝りながら、デンジは両腕のチェンソーをいったん引っ込め、封筒の中に入っていた紙を取り出した。

 月明かりで、かろうじて文字は読める。それは、レゼからデンジへ宛てた手紙だった。

 

 

 

 

 

『デンジ君へ。

 

このてがみを読んでいるということは、公安のひととであったか、私がにげてっておねがいしたかのどちらかだよね。まずはやくそくをまもって、にげてくれて、ありがとう。

 

デンジ君には、3つのおねがいがあります。

 

1つ目。この手紙はよみおわったら、だれにもみつからないようにすててほしいです。

こんな手紙がのこってたら、もしデンジ君が公安にもどったときに、たちばがわるくなるかもしれないから、ぜったいにすててほしいです。もちろん、ごみばこにポイするっていみじゃないよ。もやすとか、とかすとかあるけど、もしほかにほうほうがなければ、食べちゃってください。デンジ君、だいたいなんでも食べられるもんね。できれば、いっしょにはいっていた『はなのしおり』といっしょにたべてくれるとうれしいな。

 

2つ目。デンジ君は、このまま公安にかえって、もとのせいかつにもどってください。私とのたびはここでおしまいです。私につかまっていたことにして、すきをみてにげてきた、ということにしてください。しばらくはかんしされるとおもうけど、デンジ君はつよいから、きっともどれるとおもいます。『クソみたいなせいかくのバディ』と『イヤ~なせんぱい』と、またおしごとできるといいね。

 

3つ目。私のことは、どうかわすれてください。デンジ君はおばかでたんじゅんだから、私みたいなわるいおんなにだまされちゃうんだよ。これにこりたら、おんなのひとを見る目をやしなったほうがいいかもね。キミといっしょにいたじかん、けっこうたのしかったよ。

さようなら。

 

レゼより。』

 

 

 

 

 漢字が苦手なデンジにもわかるように、そのほとんどが平仮名で綴られている。読み終えて、デンジは頭がクラクラして、体に張り付くような嫌な汗が止まらなかった。

 

(え……どゆこと?ここで、レゼとはお別れってこと?ふ、振られた?それに公安に戻るって……レゼは?レゼと一緒には戻れねえ)

 

 それはつまり、別れの手紙だった。

 レゼからの3つのお願い。1個ずつ考えてみた。

 

(1個目は……この手紙と栞、食っちまえばいいんか。そんなんすぐにでもできる)

 

 他人の食い残しや腐った残飯を食べてきたデンジにとっては朝飯前だった。

 

(2個目……正直、公安に戻っても元の生活に戻れるとは思えねー。たぶん、ありったけの金を持ってきた時点でアキは俺が自分で逃げたって気づいてるだろーし、マキマさんと岸辺の先生が素直に信じてくれるはずねー。パワーはいけるかもしんねぇけど。それに……)

 

 わたしとのたびはここでおしまいです。

 その文面が、何度読んでも頭に入ってこない。手紙を持つ手から力が抜けていく。

 

(3個目、3個目は……)

 

 デンジはその場に崩れ落ちる。視界が滲み、文字が上手く読めない。

 

(レゼ、レゼ、レゼ……!!)

 

 忘れてください、と書いてある。さようなら、と書いてある。

 好きな女。忘れない。忘れられるわけがない。こんな形でさようならなんてできない。

 顔にかかる長い前髪も。綺麗な緑色の瞳も。壊れそうな華奢な体も。

 目が合うと笑いかけてくれる、デンジが大好きな、その悪戯な顔も。

 まだほんの少ししか一緒に過ごしていない。わずか、2週間の逃避行。

 

(これで終わり……?俺ァまだ、なんもレゼに伝えられてない。返せてねーのに)

 

 落ちている押し花の栞を拾う。なぜか、その花には見覚えがあった。

 

(考えろ、考えろ、考えろ!俺は、バカで、単純で、どうしようもねェ奴かもしんねェけど。ここでレゼとお別れなんて……そんなん、ぜってェ嫌だ!!)

 

 来た道を振り返る。教会は見えない。

 

(……ここでレゼと別れたら、もうこの先も一生会えない気がする。今から教会に戻って、レゼにもう一緒に居られないって言われても、そっから先はレゼと一緒にはいらンねェ)

 

 今はただただ、レゼに会いたい。

 

(どっち選んでもレゼと一緒にいらンなくなる。だったら、少なくてももう1回はレゼに会える方がいいや!)

 

 選べる道は、常に1つ。しかし、もしまだ間に合うのならば、その道を戻ることだってできるはず。

 デンジは教会に戻るため、全力で駆け出した。

 

(レゼ……俺が戻ったらどんな顔するかな……)

 

 もし、レゼが自分と一緒に逃げることを、実は良しとしていなかったら。

 もし、レゼがただ自分と別れて単独で逃げたいと思っているだけだったら。

 

(俺ンやってること、間違ってるかもしんねェ……でも)

 

 チェンソーをぶん回しながら走ってきたおかげで、傷ついた木々が道を教えてくれた。

 来た道を、先ほどよりも早く駆ける。

 

(もう、間違いでも何でもいいや!)

 

 視界の奥に、白い建物が見えた。教会。戻ってきた。

 

(俺は、レゼに会いてェし、もっとずっと一緒にいてェ!)

 

 デンジは教会の入口にたどり着き、乱暴にその扉を開けた。

 

「ハァッ……ハァッ……!!」

 

 告解部屋が変わらずに残っている様子をみて、デンジは少し安堵した。

 まだ、レゼは生きている。

 両腕からもチェンソーを生やそうとした時、ふと、散乱したレゼの荷物が目に入る。

 

(なんだ……)

 

 見覚えのない冊子が落ちていた。つい引き寄せられ、拾い上げる。

 冊子には、十数ページに渡って、たくさんの押し花が大切に保管されていた。

 全て見覚えがある。あの日、カフェでデンジがレゼにプレゼントしたものだ。

 レゼは、さすがに持っていけないからと、逃亡初日に泊まった宿に置いてきたと言っていた。嘘だった。押し花が敷き詰められた冊子からは、まだ微かにあの日の花束の匂いがする。

 好きな人が、自分が贈ったプレゼントを、大事にしてくれている。

 ぐっと胸が熱くなる。何かが込み上げてくる。

 

(まだだ、まだ何も終わっちゃいねェ)

 

『ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!!!!』

 

デンジは告解部屋を睨みつけ、近づいた。

 スターターを思い切り引っ張り、両腕だけでなく、両足からもチェンソーを生やす。

 

(この箱は固ェ。闇雲にチェンソーぶん回しても、さっきみてェに弾かれちまう。だったら……!!)

 

 デンジは足から生やしたチェンソーを床に突き刺す。足のチェンソーは回さない。テントを張る時のペグのような役割となり、デンジの体が固定される。

 

「ゥオラアアァッ!!!!」

 

 両腕と頭のチェンソーを全力で回転させながら、一点に集中してチェンソーの刃を押し当てた。強い抵抗を受け弾き飛ばされそうになるが、足元を固定したデンジはそれに耐える。ぶちぶちっと嫌な音がした。強い負荷に全身の筋肉が悲鳴を上げている。体が上手く動かなくなる都度、デンジは口に咥えたスターターを引いて回復させた。

 

「クソ固ェ!ふざっけんな!!」

 

 チェンソーの回転で火花が散り、デンジの顔に降り注ぐ。

 頭と身体がバラバラになりそうだ。

 耐えて、耐えて、耐える。ピシリ、と部屋にヒビが入り、小さな穴が開いた。

 ヒビの間から、中に光が差し込む。デンジは見た。レゼが泣いていた。

 頭にカッと血が昇り、怒りで視界が真っ赤に染まる。

誰だ、俺の好きな女を泣かせた奴はと。チェンソーの回転が一層早まる。

 

「暗ェ教会で独りぼっちはさみしいかんよぉ! オレも仲間に入れてくれよ!!!」

 

 チェンソーで一閃。轟音とともに告解部屋をぶち抜いた。

 

 

 

 

 

/006

 

 

「レゼ!悪ィ、遅くなった!」

「……デンジ、君?」

 

 レゼが決めた逃亡ポイントは、敢えてかなり遠方を印したはず。それに、手紙を読んだのなら、そこでこの旅は終わるはずだった。

 レゼはへなへなと力を失い、その場に座り込んだ。デンジが支えようとするが。

 

「告解に乱入するなど、許されざる所業だ。実に罪深い」

 

 告解の悪魔はデンジの乱入に心底嫌そうな顔をした。

 

「うるせェーよ!コッカイもショギョーも、難しい言葉は知らねェし意味わかんねェ!」

 

 告解の悪魔は、人間の罪の意識を暴き、増幅させて、自害させる悪魔であり、そもそも罪の意識を持っていない人間には何の能力も発揮できない。生きながらにして『何に対しても一切の罪の意識を感じていない人間』などそうはいないが、歴史上、常にそういう狂人は存在し、いつの時代もその狂人こそがこの悪魔の天敵であった。

 

「それによォ~、テメェは偉そうにしてっけど、そっちの方が罪深いことしてんじゃね~のか!?あァ!?」

 

 告解の悪魔が目を見開く。今まで何百年と討伐されずに生きてきたが、このように自身が訴えられたのは初めての経験だった。

 

「ほう、面白い。私がなんの罪を犯したというのだ?」

「レゼを……俺ン好きな女を、泣かせた罪だよ!!」

 

 デンジは告解の悪魔に向かって突撃する。左手にスターターを引っ掛け、振りかぶった右腕を悪魔に叩き込むが、腕のチェンソーが悪魔に触れた瞬間、告解部屋を外から破壊しようとした時以上の強い力で跳ね返された。

 余りに強い力で跳ね除けられ、元々ボロボロだったデンジの右腕が引きちぎられる様に吹き飛んでいく。

 

「んなもん、想定内だ!」

 

 左手に引っ掛けていたスターターを引き、吹き飛ばされた腕の先から勢いよくチェーンだけを伸ばしていく。夏祭りの日、あの戦いの中でレゼから学んだ能力の応用だ。悪魔は特に反撃する様子もなく、チェーンに巻かれていく。

 

「ゥオラァッ!!」

 

 ありったけの力を込めて、グルグル巻きにした悪魔を遠くへ投げ飛ばす。

 まるで釣り竿のように、悪魔と繋がっている右のチェーンもキリキリと音を立てて伸びていった。デンジは左腕のチェンソーでそれを切り落とし、すぐにレゼの元に駆けつける。

 レゼは座り込んだまま、下を向いていた。デンジはいつ告解の悪魔が戻ってくるか気が気ではなかったが、いったん変身を解いてレゼを抱きかかえた。

 

「レゼ!レゼ!おい、大丈夫か!」

 

 デンジに抱きかかえられたレゼは、目の焦点が合っておらず、涙と鼻水で顔は濡れ、小声で「ごめんなさい」とつぶやき続けていた。こんなことは逃亡生活が始まって以来どころか、レゼと出会ってからも初めての経験であり、デンジはどう声をかけて良いのか分からず、ただレゼを強く抱きしめた。痛々しいまでのその姿に、デンジは胸が張り裂けそうだった。

 デンジに痛むほど強く抱きしめられ、レゼの目に少しだけ光が戻る。

 

「……デンジ、君。どうして」

「あぁ……ごめん、ごめんレゼ!こんなんなっちまって、来るの遅くなっちまって、ホントにごめん!」

「……なんでキミが謝るのさ。キミが謝ることなんて、何一つないよ。悪いのは、全部私……私が、キミを……デンジ君を……」

 

 レゼの瞳から再び涙がこぼれ、言葉が続かない。

 だが、言わなくてはならない。彼に別れを告げなければならない。

 名前もない、居場所もない、何者にもなれないモルモットが、少しだけ、夢を見てしまっただけ。その夢に、彼を巻き込んでしまった。それは許されない自分の罪なのだと。

 デンジから体を離し、しかし向き合う勇気は出ず、レゼは下を向いたまま言った。

 

「……ごめんね、デンジ君。この旅は、ここで終わりにしよう。私が巻き込んだのに、途中で投げ出して本当にごめんなさい。公安には、私に拘束されてたってことにすれば、もしかして戻れるかもしれない。何なら、私の心臓を手土産にして持ち帰って。爆弾の悪魔を回収したっていえば、それなりの功績になるはずだから」

「おい、何言ってんだよ!そんなん、全然嬉しかねーよ!」

「……私ね、幸せが何かを知らないから、分からないから、デンジ君のこと、幸せにしてあげられないんだ。せめて守ってあげたいって思ってたけど、今回だって、デンジ君が戻ってこなかったら私だけ先に死んでいた。守ってあげることも、できなかった。この先も、きっと同じようなことが起きると思う。私、私……デンジ君を死なせたくない……デンジ君に、幸せになってほしいんだ……!なのに、私は、私が幸せになるために、デンジ君と、もう少しだけ一緒にいたくて、巻き込んで、全部捨てさせて、背負わせた……もういやだ……こんな私……嫌い、だいっ嫌い……!!」

「……『私が幸せになるために』って……レゼはそのために、あの日、カフェに来てくれたのか?」

「……うん、そうだよ。……あのね。デンジ君、私のこと好きだって言ってくれたよね。私は人を好きになったことがないから、正直、自分がキミのことを好きなのか、よく分からないんだ。でも、キミのことを好きじゃないなら、一人で逃げれば良かった。キミのことを好きなら、本当に好きなんだったら、私と一緒に逃げてもキミは失うものが多すぎるから、やっぱり私はキミの前から消えて、一人で逃げるべきだったと思うんだ。……でも、私はキミに会いに行って、今も一緒に逃げてる。デンジ君が自分の力で手に入れた仕事も、仲間も、信頼も、全てキミに捨てさせて、キミから奪って。……だから私は、私は……結局、自分の、自分でも分からないこの気持ちが何なのか知りたくて、きっと知ったら幸せになれるんじゃないかと思って……デンジ君と一緒にいるんだ」

 

 正直なところ、レゼの話はデンジには抽象的すぎてあまり理解できていなかった。ただ、言葉を間違えるとこの旅が終わってしまうということだけははっきりと理解できた。少ない語彙力をフル稼働して考えたが、言葉は頭の中をぐるぐると舞うだけだった。そんなデンジを見て、困らせてしまっていることに胸を痛めながら、レゼは続けた。

 

「実際、この2週間。デンジ君が思ってたような楽しい旅じゃなかったでしょう?」

「……まあ確かに、レゼは全っ然笑わなくなったし、いつも何かに悩んで、ピリピリしてるみたいで……俺ァ頭が悪いから、レゼを助けてやれることなんて、なんもなくて」

 

 自分で聞いておきながら、予想通りの返答にレゼはたまらず俯いた。実際、一般常識も満足にないデンジは、この旅において役に立つことはほぼ皆無であり、ヒヤヒヤさせられる場面も多く、レゼは昼夜を問わず常に気を張っていた。そんなレゼに、でもよお、とデンジは続ける。

 

「楽しいだけの旅じゃなかったけど、ちゃんと楽しいこともあったぜ!レゼのこと、いっぱい知れたからよ!」

「……え?」

「レゼが歩く時の歩幅とか、腕の振り方とか。予定通りにいかなかったときに目がピクピクすることとか、寝相が良いこととか……あとはァ」

「……え、何、そんなところ見てたの?」

「ああ。基本ずっと一緒だしな。あんま話さない分、レゼのこと、いっぱい見てた」

「……そんなの……見てないでよ……」

 

 自分が祖国や公安からの刺客に備え、常に警戒態勢だった一方、デンジが着目していたものを聞き、レゼは思わず脱力する。恨み節の一つでも吐いてやろうかとレゼが顔を上げると、真剣な眼差しのデンジがこちらを見ていた。久方ぶりに、視線が交錯する。

 

「……見てたよ、俺」

「え?」

「見てたんだ。レゼのこと、まだ知らないことばっかだからさ。レゼと出会ってから、ずっと見てんだ。今までも、そんで、これからもずっと。今度は一番近くで、見て、たくさんレゼのこと知りてェんだ。だって、レゼのこと……まだ好きだから……今の俺には、そんくらいしかできねェけど……」

「あ……」

 

(そうだ、デンジ君は私と違って嘘がないから、ずっと本当の気持ちを伝えてくれてたんだ……)

 

「それによお……自分のため自分のためって、別にいいんじゃね?」

「……え?」

「レゼが自分のために俺と一緒にいるってことも、そンためにいろんなこと考えてくれたってのも分かったよ。……でもよ、そもそも、俺だってレゼのために一緒に逃げねーかって誘ったわけじゃないぜ。俺はレゼが好きだから、もっと一緒にいてーって思ったから、だから俺だって、俺のために(・・・・・)、レゼと一緒に逃げたいって決めたんだ。それって、レゼとおんなじじゃねェの?」

 

 自信と不安が入り混じる、暖かさに満ちた心地よい彼の言葉。

 もっと聞いていたい。でも、もう聞きたくない。だって、麻薬のように、抜け出せなくなってしまう。別れを決めて凍らせた心が、少しずつ溶けていってしまう。

 

「それに、今までのモン全部捨てたのは、レゼだって一緒だろ?でも、これからはさ(・・・・・・・・・)、俺にはレゼが、レゼには俺がいるじゃん!」

 

 デンジもレゼも、今まで持っていたモノは全て手放した。

 しかし。

 デンジにはレゼが。レゼにはデンジが残っているんだと。

 当然のように、これからの、未来の話をするデンジに、レゼは憑き物が落ちたような感覚を覚えた。

 

(そっか……デンジ君も、同じだったんだ。私は、『モルモット』でも『ボム』でもない、初めての『私』の感情を制御できなくて、今までの経験でそれを補おうとしていたけど……そもそも、制御なんて必要なかったんだ。知らないなら、知っていけばいい。だって、そんな『私』のことも、デンジ君が見ててくれるから……一緒にいてくれるから……それでいいって、それはダメじゃないって……自分も同じなんだって、言ってくれるから……)

 

「俺ァ、今までは見てることしかできなかったけど、ホントはもっと、レゼとおしゃべりしてェんだ。だから、レゼん気持ち、思ってること、全部じゃなくてもいいから、これからは俺にもっと教えてくれよ」

 

 この2週間、二人の間には必要最低限の会話しかなかった。しかし、本当はもっと相手に話しかけていた。声に出さずとも、言葉にしなくとも。

 ずっと蓋をしていた。レゼは負い目から。デンジは不安から。

 デンジはその不安を乗り越え、踏み出してきてくれた。なら、今度は自分の番だ。

 言葉があふれ出す。

 支離滅裂で、理性的ではない、しかしそれはレゼの本心だった。

 

「……あの、ね、デンジ君。私、もういやなの。暗いのも、寒いのも、痛いのも、辛いのも、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、ずっといやだったの。でも泣くとぶたれるの、失敗すると蹴られるの、寒くて真っ暗な部屋に閉じ込められて、ご飯もお水ももらえなくて。なんで、なんでなんでなんで。私だって、普通に暮らしてみたかった。おウチはいつも温かくて、ごはんとおやつを食べて、夜は暗くて恐いから、お父さんとお母さんと一緒に寝るんだ。学校に通って、友達と一緒に遊んで。好きな人と教会に行って、デートをして、楽しい時間をすごして、幸せに眠るんだ。でも、できない。なんで。どうして。いやだいやだいやだ。なんで、わたし……だれか、わたしを助けて……あの部屋から連れ出してよッ……!!」

 

 レゼの悲痛な叫びを浴び、たまらずデンジはレゼを強く抱き締めた。細く、脆く、ガラスのように、今にも割れてしまいそうだった。

 好きな人が悲しむ姿、痛々しい姿。無力な自分。こんなにも胸が苦しくなるものなのか。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……俺ァ、レゼがいた国のことも全然知らねェし、どんな生活を送ってたのかも知らねェ。でも、レゼがずっといやな思いしてたってのは、すげェ伝わってきたぜ」

 

 腕の中でレゼが震える。デンジは少しだけ力を緩め、レゼに言う。

 

「レゼが、ごめんなさいって言うなら、俺はレゼをゆるすよ。そんでもって、俺も、レゼに謝るよ。ごめんな、助けてやれなくて。辛い思いさせて、ごめんな」

 

 レゼは、デンジが悪いことなんて一つもないと思った。しかし、言わなかった。それは違うと心が止めた。間違え続けてきた自分の選択。また間違えるかもしれない。でも、それでもいい。間違いでもいいから、この人には素直な気持ちを打ち明けたいと思った。

 

「……ううん、いいの。デンジ君、私をゆるしてくれて、ありがとう。そして、私もキミをゆるすよ。キミがごめんなさいって言うのなら、私も、キミをゆるしたい」

「あ、ありがとォ……これで、仲直りでいい?俺、レゼとこのまま一緒にいてもいい?」

「うん……。こちらこそ、よろしく、おねがいします」

「良かった~……もう少しで泣くところだった……」

「……うそつき。泣きそう、じゃなくて、もう泣いてるよ」

 

 自分でも気付いていなかったのだろう。デンジは自身の頬を伝う涙を指で掬い取り、恥ずかしそうな顔をした。レゼはその手を優しく取り、少し濡れたデンジの指をなぞる。デンジの指に、レゼの指が触れる。乾いたレゼの指に、デンジの涙が染み込んでいく。

 

「だって……俺、レゼに振られちまったんだと思って……」

「ふっ、振られ?……ははっ!そんなこと考えてたんだ……ホント、キミってば……私のこと、好きすぎじゃない?」

「あぁ!? ち、ちげえよ! ちがわねーけど!」

「アッハハハハ! なんじゃそりゃ~」

 

 ほんの少し前まで絶望の底にあったレゼの心は、デンジと話しているうちにみるみる上向いてくる。デンジの楽観的とも捉えられる底なしの前向きさはレゼにはないもので、思えばレゼはいつもそれに救われていた。

 あの部屋で、うずくまってずっと待っていた。来るはずないと思っていた。でも、来てくれた。過去の自分も、今の私も、全てをひっくるめて助けに来た、私のヒーロー。

 ふらふらと、レゼはデンジにもたれかかり、デンジは慣れない手つきでその細い体を抱きとめた。笑いすぎたのか、それとも別の理由からか、レゼの瞳からは再び涙がこぼれていた。

 

「なんだか……全部初めからやり直したいや」

「……やり直す必要なんかねェ。俺たち、これから長い時間、ずっと一緒なんだから」

「……かぁっこいいセリフ。私以外に、言わないでね」

「レゼにしか言わねーよ」

 

 笑いあう二人。やがて、二人がいた告解部屋が徐々に薄れて消えていく。この部屋は告解の悪魔が作り上げたもので、必要に応じて現れ、必要が無くなれば消える。部屋が完全に無くなった時、二人は祭壇の前にいた。

 

「そういえばデンジ君、あの悪魔倒したんだね。凄いよ。アイツ、海外では有名な強い悪魔で、多分トータルで数千万人は殺してる奴だよ」

「え?……あッ!そういや、あいつンことぶっ飛ばしただけで多分倒してねーや!」

「えッ!?」

 

 思わず周囲を見渡す二人。教会内、一番後ろの長椅子に、告解の悪魔が座っていた。

 

「話は終わったか?」

「……!!」

「……!?」

 

 何事もなかったかのように話しかけてくる告解の悪魔に、デンジもレゼも反応できない。

 一瞬遅れて、二人は悪魔化のトリガーに手を伸ばすも、告解の悪魔はそれを手で制した。

 

「罪がなくなったのならば、もう告解の必要はない。告解部屋が消えたということは、既に告解が終わったか、そもそもその必要がなくなったということだ」

「……つまり、見逃してくれるってこと?」

 

 レゼが尋ねる。悪魔は呆れたように答えた。

 

「見逃すも何もない。最初から言っているが、私は話を聞きくだけの悪魔だ。罪の告白を聞き入れ、赦しを与える。告解する人間がいないのならば、もうここに用はない」

「……」

 

 レゼは警戒したまま思考を巡らす。言葉の真贋は元より、この悪魔が実は公安やソ連からの刺客や追手である可能性、ここで見逃すことで自分たちの位置情報がリークされる可能性を心配していた。

 

「……デンジ君、どう思う?」

「んー。まあ、もう戦わなくていいってんなら、それでいいんじゃね?」

「……うん。じゃあ、そうしようかな」

 

 デンジは既に戦闘を再開する気はないようで、棒立ちしている。レゼもそれに倣い、首元のピンから手を放す。この悪魔が特定の国家や組織に属していることは考えにくいと判断した。

 

「あ!でも、あいつレゼを泣かせてたじゃん。やっぱぶっ殺す」

「……いや、その気持ちは嬉しいけど、そんな理由でまた戦うのはちょっとイヤだなぁ」

 

 レゼは告解を経て、既に赦しを得た状態だ。その一連の流れを経験し、この悪魔が人間に対し友好的であると言われる理由が分かっていた。

 

(告解は『自らの罪を告白する』という行為ではなく、『自らの罪を告白し、神からの赦しを得る』という行為。実際に神様が赦すよって言うわけじゃないから、代理人である司祭がその役を担う。だから、この悪魔……告解の悪魔は、赦しを与えるのが前提で対象の罪の告白を聞き入れている)

 

 レゼを赦したのは神でも悪魔でもなく、当の本人であるデンジだったが、ある意味ではそれが一番の赦しだろう。

 

「私を救ってくれたのはデンジ君だけど、そのきっかけは貴方がくれた。思えば、貴方からは最初から、一切の殺意を感じなかった。ホントに話を聞くだけなんだね。こんなこと言うのは変かもしれないけど、一応言っておく。……ありがとう、ございました」

「何の礼かは知らんが、気にするな。そもそも、お前が死のうが生きようが、どちらでも良かった。生きることが救いとなる人間もいれば、死ぬことが救いとなる人間もいる。それだけの違いだ。|ただ、当事者間で謝罪と赦しが行われるのであれば、《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》それに越したことはない」

「え……もしかして、私たちの話、聞いてました?」

「告白の内容は神のみぞ知ればよい。その内容を秘匿するために告解部屋は存在する……のだが、そこの男が部屋を壊したせいで、秘匿性は失われていた」

「えっと……つまり?」

「全部聞こえていた。……私の本分は告解した者への『救済』にある。断じて痴話喧嘩の『仲裁』ではない。先ほども言ったが、私は忙しいんだ。二度と下らんことで私を呼び出すな」

「……ゴメンナサイ」

「まあ、長く生きていれば、こんなこともある」

「……達観してるんですね」

「長く生きているからな」

 

 見た目が完全に人間ということもあり、悪魔らしくない悪魔だと思った。

 はあ、そうですか、とレゼが脱力すると、しばらく黙っていたデンジが悪魔に話しかけた。

 

「なあ」

「なんだ?」

「あんたさ、昔どっかで、俺と会ったことある?」

 

 デンジは昔、教会で神父に会った過去がある。この教会も、この神父も、どこか見覚えがあった。

 

「はて、私には覚えがないな」

「ふーん。じゃあ、俺の勘違いか」

「私は、私を呼ぶ者がいたことと、古い知り合いの匂い(・・・・・・・・・)がしたから来たただけだ」

「え?」

 

 告解の悪魔はデンジの胸元、心臓の辺りを見ながらそう言った。

 悪魔は人間の恐怖から生まれ、その恐怖が存在する限りは死んでも生まれ変わる。

 強力な悪魔は悠久の時を生きる。長く生きる悪魔同士なら、知り合いということもあるだろう。

 

「では、私は行く。この教会はすぐに消してもいいが……まあ、明日の朝までは残しておこう。今すぐ出ていくか、明日出ていくかは好きにしろ」

「マジで?じゃあそれでレゼんこと泣かした罪を、少しだけ軽くしてやんよ」

「ちょっと、デンジ君!?」

 

 コツコツと足音を立てて、悪魔が教会の扉を押して出ていこうとし、こちらを振り向いた。

 

「……もしも、この世界に自分たちの居場所がないなどと思っているのなら、それは間違いだ。それでも、もう嫌だと思うのなら、|いっそ本当に悪魔になって地獄にでも引越せばよい《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。その時は、歓迎しよう」

「え~、地獄って、コンビニとかあんの?ないなら行かねー」

「……そんなこと、考えたこともなかった。あなた、本当に神父業できるんじゃない?」

「あちこちに希望を振り撒いているだけだ。希望を打ち砕かれ絶望した人間ほど、芳醇な味わいとなるからな」

 

 最後に悪い顔でそう言うと、今度こそ告解の悪魔はこの場を立ち去った。

 

「ホージュンって、なんて意味?」

「ものすごーく良い香りがして、ものすごーく美味しい、ってこと」

「……コワ~。あいつ、やっぱ悪い悪魔だわ」

「アハハ。やっぱり良い悪魔なんていないみたいだね」

 

 そう言いながら、レゼはあの悪魔に感謝していた。告解が、心の中の悪いモノを吐き出させてくれた。何より、自分を受け入れ、赦してくれたデンジを思うと、彼を想う気持ちが、血管を通って体中に巡っていくようで、活力が沸いてくる。すると心の回復に体が反応したのか、レゼのお腹から、クゥ、と音が鳴った。

 慌ててお腹を押さえるも、その可愛らしい音はデンジの耳にもしっかい届いていた。

 

「……なんか、食う?」

「……キミには、デリカシーって言葉を教えてあげないといけないみたいだね」

「なにそれ。食いモン?」

「違うよっ。なんでも食べ物に結び付けるんだから。あのさ、デンジ君に提案があるんだけど……今日もらったアレ、一緒に食べちゃいませんかぁ?」

「アレ?……ってああ!カップ焼きそば!いいんか!?」

「いいよいいよ。ってか、喜びすぎだろ~。私の手料理とどっちが好きなの~?」

「今はカップ焼きそばァ!」

「アハハハ! デンジ君、素直すぎ!」

「オレ、作る!レゼの分も!俺ァ、湯切りが下手でよ~。二回に一回は失敗しちまうから、練習してぇーんだよなァ」

「ちょ、それじゃどっちかの焼きそば失敗するじゃん!教えてあげるから、一緒に作ろうよ~」

 

 湯を沸かす準備をするため、楽しそうにリュックを漁りに行くデンジを見ながら、レゼもそれに続く。ふと気が付けば、レゼはいつの間にかカフェ二道で交わしていた口調に戻っていた。特に演技をしたわけではなく、もちろん()に戻ったわけでもない。無意識でのことであったため、深堀りしていくとまた暗い気持ちになりそうだと思ったレゼは『デンジと一緒にいる時は、こういう自分になれるんだ』と思い込むことで決着をつけた。本当に久しぶりに心から笑ったことで、顔とおなかに鈍い痛みを感じたが、今はその痛みすら、ただただ愛おしく思う。

 

(私に足りなかったのは……)

 

 命の重みなど一切ないような場所で育てられ、また自身も数多くの命を軽々と奪ってきた。死んだほうがマシだという思いは何度もしてきたが、本当に死のうとするほど絶望もしておらず、淡々と任務をこなす日々を送ってきた。任務での殺害対象も含め、今まで『殺さなければいけない人間』は数多くいたものの『死んでほしくない人間』はいなかった。祖国の同僚でさえ仲間意識などなく、むしろ任務に失敗した他の『モルモット』を情報漏洩防止のためにと殺したこともあったくらいだ。死なせたくない、守りたい相手などできたことがなかったから、だからきっとどうすればいいか分からなくて、ずっと間違えてしまっていたのだ。

 デンジはとっくに覚悟していた。そんなデンジに腕を引かれ、レゼの覚悟はやっと決まった。この生活がいつまで続くかは分からないが、いつか訪れるこの旅の終わりのその瞬間まで、きっと私たちは大丈夫だ。根拠もなくレゼはそう思った。

 

(自分だけでも、デンジ君だけでもない、デンジ君と私の2人の命、2人分の人生。それらを、デンジ君と一緒に(・・・・・・・・)背負う『覚悟』だったんだ)

 

 散乱した荷物を拾い上げ、バッグの中に戻していく。

 彼からもらった花束を押し花にしてまとめた冊子。

 バッグの一番底には、あの海で彼が着せてくれた白いYシャツ。

 この二つが、レゼの大切な宝物だ。

 

「レゼぇ~、早くこっちこいよォ」

 

 レゼの大切なものは、ぜんぶ彼がくれたもの。その彼が、私のことを呼んでいる。

 

「うん!いまいくよ!」

 

 二つの宝物を大事にしまい、レゼはデンジの元へ駆け出した。

 

 

 

 

 

/007

 

 

「……デンジ君。まだ起きてる?」

「起きてるよ。どした?」

 

 デンジとレゼは教会の礼拝堂で、先ほどデンジが椅子を並べて作った簡易ベッドを横並びにして寝転んでいた。夜食にカップ焼きそばを食べ終えた後、この1カ月を取り戻すかのようにたくさんの話をした。特にデンジは話したいことが山積みになっていたようで、聞いて聞いてと、まるで幼子が親に対してそうするように、目を輝かせながらレゼに話しかけた。そんなデンジに、レゼはうんうんと終始笑顔で応えた。演技ではない、心から湧き出る自然な笑みだった。

無限にも思えたあの悪魔との対峙は、終わってみれば意外にも1時間程度の出来事だった。時計を見れば、23時30分。就寝するにはちょうど良い時間だ。

 

「……まだちょっと眠れなくてさ。もう少しだけ、おしゃべりに付き合ってくれない?」

「もちろん、付き合いまぁす!」

「アハハ、ありがと。……あのね、私また、少し、暗いことを言ってしまうんだけど。……私は『変わる』ことが、とても怖かったんだと思う。デンジ君と出会って、最初はチェンソーの心臓の祖国に持ち帰るためのターゲットでしかなかったけど、だんだんと私のなかでデンジ君の存在が大きくなっていって。『この人ともっと一緒にいたい』って思う気持ちも膨らんでいってさ。それで、デンジ君も私のことが好きって言ってくれて、とっても嬉しくて。……でも、きっと逆もあるよね。私の気持ちが段々と『デンジ君と一緒にいたい』って気持ちに変わったように、デンジ君の『私が好き』って気持ちだって、いつか変わっちゃうんじゃないかって。こんな生活が続けば、きっといつか、あの時の選択を後悔するときがくるんじゃないかって……それを思うと、たまらなく怖くなっちゃうんだ。……なんかおかしなこと言ってるよね、ごめんね、変なこと言って」

「……未来のことなんかわかんねぇーけどさ……確かに、気持ちが変わっちまうことはあるかもしんねーわ。だってよ……俺の座右の銘は『殺されるなら美人に』だったのに、レゼと一緒に逃げ出してからは『どうせ死ぬならレゼと一緒に』に変わっちまったよ。……あー、てか、こんな話をしてたら、また変わってきたぜ」

 

 デンジはレゼをちらと見ると、気恥ずかしそうに顔を逸らした後、天井に向かって叫んだ。

 

「『レゼと一緒に、ずっと、ずーっと!生きていきたい!』……今はこれかなァ」

「———ふっ、アハ、アハハハハ!!何それ、座右の銘ってそんなコロコロ変わっていいものじゃないでしょ!」

「いやそーかもしんねーけどさ!変わっちまうもんはしょーがねぇじゃんか!とにかく、今の俺の座右の銘はコレだから!」

「はーあ、ほんと、なんかデンジ君と話してると、ごちゃごちゃ考えてる自分が馬鹿みたいだ~」

「うっせーな!……そういうレゼは、なんかねーの?こう、座右の銘的な?」

「えー……じゃあねぇ……私の座右の銘も『デンジ君と、ずっと、ずっと、ずーっと!一生一緒に生きていきたい!!』にしよ~」

「はぁ!?そんなの……最高じゃんかよォ!」

 

 小さくガッツポーズをするデンジに、レゼは「私たち二人ともバカだ、バカ悪魔コンビだ~」としばらく笑っていたが、久方ぶりの心からの弛緩に、旅を始めてから溜まっていた疲れが一気にでたのか、徐々に瞼が重くなってきたことを感じた。

 

「……ねえ、デンジ君」

「うん?」

 

 レゼはゆっくりと、教会の窓から外を見た。

 満点の星空。都会のネズミでは決して見ることができない、田舎のネズミの特権だ。

 

「今日のこと。私、絶対死ぬまで忘れないと思う」

「あぁ。俺もぜってー、忘れねェ」

「……なんだか、少し、眠たくなってきたよ。お付き合いありがとう。そろそろ、眠れるかなーと思います」

「……なぁ、朝起きたらレゼがいなくなってるとか、そんなことないよな?」

 

 そんなことを言われ、思わずレゼはデンジの方へ体を向ける。デンジは半身を起こし、隣にいるレゼを真剣な眼差しで見つめていた。デンジは、この旅はここで終わりにしよう、と言った先ほどのレゼの言葉が、実はずっと不安だった。

 レゼも半身を起こし、座ったまま向かい合う形で、デンジに答えた。

 

「うん。そんなこと、絶対ないよ」

「……分かった!悪ぃな、変なこと聞いて。そんじゃ、おやすみィ」

 

(……そっか。デンジ君、私がいなくなっちゃわないか、不安なんだ。そんなこと、あるわけないのに)

 

 レゼは既に自覚している。デンジがレゼを想う気持ちよりも、自分のほうが遥かに強くデンジを求めていることに。一度覚えてしまった甘美な蜜。まるで本能で花に吸い寄せられる虫のように、この人がいないと生きていけないという想いで満ちている。

 デンジにも、少しでも同じ気持ちを抱いてほしくて、レゼは悪戯に笑った。

 

「……ねえ、デンジ君。そんなに心配なら……捕まえておけばいんじゃない?」

「え?」

「あー、なんだか肌寒くなってきたなー。こういう時、体と体をくっつけると、あったかいって聞いたことあるなー」

「え?え……えェ!?」

「もし体が冷えて風邪でも引いたら、この先の予定や戦闘にも悪影響がでるでしょ?だから、さ。今日はくっついて一緒に寝ようよ。私はデンジ君で暖が取れてハッピー、デンジ君は……こうしてさ!」

 

 レゼは勢いよくデンジの寝床に侵入し、その懐に潜り込む。ぎょっとして固まるデンジの腕を素早く掴み、自らを抱きかかえるような体制をとらせる。急にレゼを抱きしめる形となり、デンジは声にならない叫び声をあげた。

 

「なっ、え、ちょ、ちょっとレゼさん……急すぎて、心の準備がァ」

「大好きな私を捕まえられてハッピーでしょ? ほら、これでとりあえず、明日の朝まではずっと一緒だよ」

「……今度は俺が、寝れねーかもしれねー」

「私は寝られるから。そんじゃ、おやすみ~」

 

 レゼはデンジの骨ばった胸板に顔をこすりつけ、その鼓動を確かめる。

初めて会った時から、欲しかった彼の心臓。今は違う理由で、たまらなく愛おしい。

深く息を吸い込み、レゼはデンジを想う。

 

 

(———この人と、必死に生きて、そして死のう)

 

 

 デンジにばれないように、少しだけ目を開ける。そこに、デンジがいる。今はただ、それだけでいいと思った。

 

(……ねえ、デンジ君。今はそれが、私の座右の銘。まだ少し気恥ずかしくて、デンジ君には言えないけれど。私は今まで『普通の生活』なんてしたことないし、幸せになったことがないから、何が幸せなのかはまだよく分からない……だから、これからはデンジ君と一緒に考えることにするよ。どうすればデンジ君を幸せにできるか、どうすれば私が幸せになれるのか。デンジ君が知らないことは、私が全部教えてあげる。だから……私が知らないことは、デンジ君が私に教えてね)

 

 微睡みのなか、デンジの胸に再び頬を寄せる。

 いつか必ず、終わりは来る。ただ今は、今だけは。

 何者でもないジェーンは、もういない。

 そこにいるのは、好きな人の胸のなかで幸せに眠る、普通の少女だった。

 この心地よさを少しでも深く味わいたくて、レゼは今度こそ瞼を閉じた。

 

 

 終





ここからやっと、二人の幸せな話が書けます。

読了された方は気付いた方もいると思いますが、「GUNSLINGER GIRL」より一部セリフを使わせてもらっています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。