ふたりの足跡   作:sayama/

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「告解」のとは別の世界線の話です。いわゆる現パロ。

「現パロ」「学生」

 この辺りのキーワードがNGの方はお気を付けください。

 前篇投稿時の前書きに「2部構成の前篇です」と書きましたが、話が膨らんでバランスが悪くなってしまったので、3部構成にさせて頂きました。今回は「中篇」になります。


路傍の花

 

 

 

/001

 

 

「デンジ君!写真撮ろ、写真!」

「えェ〜、俺ァいいよ。見せる奴もいねェし」

 

 レゼはデンジの腕を取り、校門の前に連れて行く。校門前には既にレゼの両親が待機しており、カメラを片手にこちらに手を振っていた。

 今日はレゼとデンジが通う小学校の卒業式だった。

 卒業生は普段とは違い正装に着飾っており、当然ながら生徒の親も大勢参加していた。

 みな一様に笑顔で我が子の成長に対する喜びをかみしめる中、デンジのそばにはレゼがいるだけだった。

 デンジの父は正式にアルコール中毒の診断が下され、入退院を繰り返しており心身ともに回復の兆しはみせていない。たまにデンジの生活する養護施設の職員が退院しただの入院しただのと情報をくれるが、今どこにいるのか、どんな状況にあるのかという詳細はデンジには一切知らされず、また少なくとも今日というデンジの晴れ舞台に参加していないことだけは確かだった。

 卒業式に着ていく服は、養護施設が用意してくれた。養護施設にいる児童が節目のイベントで恥をかかないように、こういった衣装一式は一定の種類が施設に備え付けで保管されている。

 晴れ姿を見せる相手もいないデンジは卒業式をズル休みしようと思っていたが、卒業式間近で勘の良いレゼにバレてしまい、レゼはその足で養護施設に突撃し、職員を巻き込んでデンジの退路を絶った。

 

「どうせデンジ君はそう言うからって、私が施設の先生(・・・・・)に頼まれてるんだよ」

「ちょ、腕組むなよ」

「いいじゃん。ほら、ピース、ピース」

 

 卒業証書授与式、と書かれた立札の前で、2人は並んでポーズを取る。

 カメラはレゼの両親がそれぞれ持っており、父親が一眼レフカメラを、母親がポラロイドカメラを構えている。

 ポラロイドカメラは、施設に帰る前にデンジがその場で写真を持ち帰れるようにとレゼが両親に頼んで用意した物だった。

 はい、チーズ。というお決まりの掛け声とともに、何枚か撮影され、次の親子に場所を譲った。

 

「俺、カメラで写真撮られるの、人生で2回目だ」

「そうなの?」

「あァ。1回目は施設に入所するときで、2回目が今日」

「ふうん……じゃあこれからは、もう何回目かなんて分からないくらいに私がいっぱい撮ってあげる」 

「いいよ撮んなくて。どうせ撮るなら、レゼを撮った方がいいだろ」

「え、なんで?」

「写真って、綺麗なものとかを撮るんだろ?だったら、俺じゃなくてレゼの方がいい」

「……また、そういうこと言って」

 

 デンジは時々、遠回しなのかストレートなのか分からないような表現でレゼをドキドキさせた。

 それはデンジが幼少期に受けるべき義務教育をスキップしたことで生じた一種の人格形成の歪みによるものであり、レゼも何となくそれを察してはいたが、真正面から受ける想い人からの愛情表現を軽く受け流すことなどできず、言われる度に胸を躍らせていた。

 

「デンジ君。写真ができたよ」

「あ、レゼのお母さん……あの、すみません」

 

 レゼの母親はポラロイドカメラから現像された写真をデンジに渡し、デンジは俯き加減でそれを受け取った。

 デンジは、レゼの両親がすこぶる苦手だった。

 見目麗しく稼ぎの良い母親に、優しくて包容力のある父親。

 幸せな家庭の代表例のようで、自身のそれと比較することすらおこがましいと思ってしまう。

 また、デンジが少し周囲を見渡せば、目が合った生徒の親はみな一様に目を伏せるか、逸らしていく。

 デンジの育ってきた環境と現在の境遇は、レゼの起こした暴行事件、もとい、いじめの制裁イベントにより校内に知れ渡ることとなり、結果として各家庭の親は我が子に対し、デンジなる人物とは可能な限り距離を置いた方がよいのではと直接的には言葉にしないまでもそのように促していた。

 それにより、デンジと他の生徒との間には常に薄い膜が貼られたような距離感が保たれることとなり、デンジにとって友人といえばレゼ以外には存在しなかった。

 無論、レゼの両親はレゼに対しそのようなことを言ったことも促したことも一切ないが、デンジは勝手に『レゼの両親は自分とレゼが仲良くしていることを良く思っていない』と思い込んでいた。

 

「いいのよ。卒業、おめでとう」

「ありがとう、ございます」

 

 レゼの母親はデンジの警戒心を敏感に察知していたが、敢えてそれに触れることも、解くように働きかけることもしていなかった。

 愛娘からは、デンジこそが運命の人である旨の報告を受けている。ならばそれはレゼが自身か、あるいは2人か解決すべきことであり、他人が介入すべきことではないと結論付けていた。

 

「デンジ君、ピースしてないと思ったら、下の方で隠れてしてるじゃん」

「お前がいきなり腕組んでくるから、びっくりして上手くできなかったんだよ!」

「照れてるの?カワイイ」

「ぐゥ……おぼえてろよ」

「えー?私、何されちゃうんだろう。ワクワク」

「中学では昼飯一緒に食わない」

「わー!ウソウソ、からかってごめんね?ゆるして?」

「……まァ、許すケド」

 

 レゼはデンジと同じ公立の中学校に進学することを決めており、2人はこの春からも同じ学び舎に通う予定だ。

 学力的には有名私立中学への進学も難しいものではなかったし、実際に学校側からも打診はあったが、この段階でデンジと離れ離れになるような進路に検討する価値はなかった。

 

「じゃあ、俺ァもう帰るよ。写真、ありがとな」

「うん。電話するから、春休みも遊ぼうね」

「おう。それと……中学でもよろしくな」

「……うん!」

 

 公園で二人が未来を話し合ったあの日から、およそ1年半が過ぎていた。

 2人の関係に名前はなく、強いて言えば『友達以上、恋人未満』といったところだが、レゼとしては将来的に結婚することまで決めている旨を当の本人にも話しているため、特に焦ってはいない。デンジは家庭環境や生活環境が複雑なことに加え、自己肯定感が非常に低いため、慎重に距離感を縮めているところだった。

 

「レゼ、私たちもそろそろ行きましょう。お祝いのレストランを予約してあるから」

「うん。ママ、ありがとう」

「デンジ君、誘わなくて良かったの?せっかくのお祝いだし、貴女が一緒に食べたいなら、お金のことも気にしなくていいけど」

「うーん。まだちょっと、今の段階でそういうのは、デンジ君的に早いかなと思って」

「……貴女は、本当に私の娘ねぇ」

 

 外堀を埋めにかかるには時期尚早であると、この歳で既に駆け引きを考え出している娘を前に、レゼの母親は自分の若い頃を思い出し小さく息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 2人は揃って地元の公立中学校に進学した。

 部活動への参加は自由だったため、レゼもデンジも帰宅部を選んだ。

 レゼはデンジと共に過ごす時間を確保するため、デンジは入部したところで道具代や活動費を賄うことが困難だからという理由だった。

 

「デンジ君、放課後はまた図書館で宿題見てあげるから、終わったら寄り道して帰ろ」

「毎日見てもらうんじゃワリィからよォ、レゼもたまには友達と遊んだりしてこいよ」

「お友達とは休み時間にちゃんと遊んでるよ。それに、放課後はデンジ君と過ごすって決めてるから」

 

 ツれないことを言うデンジに、レゼは軽く眉間にしわを寄せてムゥと唸った。

 デンジはレゼのむくれた顔をぼうっと見つめた。

 中学生になったレゼの容姿は、周囲の女子生徒と比較しても贔屓目なしに群を抜いていた。蕾が開花する直前のような、可愛さと美しさを内包するレゼの魅力は学校中の男子を魅了し、一目その姿を見ようと違う学年の男子がレゼの教室を覗きにくる程であった。

 一時はよく昼休みや放課後に呼び出されて告白もされていたが、1年程でほとんど無くなった。当のレゼ本人は、誰の目から見ても明らかなほどにデンジに夢中だったからである。

 

「なに?」

「あぁ、いや……怒った顔のレゼも綺麗だと思って」

「……ありがと。デンジ君も、背、また伸びたんじゃない?」

 

 デンジの言葉に思わず頬を染めながら、誤魔化すようにレゼは自身よりも少し背が高くなったデンジの頭に手をかざす。

 

「おー。学校通うようになってから、毎日牛乳飲めるからな」

「いや、そんな理由じゃ……ないことも、ないのかな」

 

 デンジは養護施設に入った後、生活の質が著しく向上したおかげかメキメキと身長を伸ばしていた。小学生の頃はレゼの方が高かった身長も、今ではデンジに抜かされている。

 しかし、体は年相応になっても、デンジの学力は酷いものだった。特に文法を理解することが苦手であり、これは保育園や幼稚園の類をはじめ、小学校1年生から5年生の途中まで一切の教育を受けずに育ってきた弊害だった。宿題や課題等はレゼが付きっきりでチェックしていたので問題なかったが、定期テストでは常にビリ争いをしていたので、教師陣の中には優等生のレゼと劣等生のデンジが仲良くすることを良く思わない者もいた。当然、そんな輩はレゼが学年1位の順位を守り続けることで、有無を言わせず黙らせていた。

 放課後の図書室でうんうんと唸りながら宿題と格闘するデンジを眺めるのが、レゼにとっては最も心が安らぐ時間であり、守るべき時間だった。

 

「行こうぜ。今日は英語のチョーブンドッカイがあるから、レゼがいないと1問も分かんねェ」

「任せて。なんならロシア語も教えちゃうよ」

「その前に日本語をちゃんと覚えてえなァ」

「しっかり教えてあげるよ。デンジ君専用の辞書になってあげる」

「レゼ辞典、助かるわ」

 

 ふふ、とレゼが上機嫌で笑みをこぼす。時折肩が触れる距離感で、二人は図書室へ歩いて行った。

 

 

 

 

 

 中学3年生の夏、デンジの父親が死んだ。

 夜中にベロベロに酔った状態で道を歩いていた際、何かに躓きでもしたのか、千鳥足のまま道路に飛び出して車に撥ねられたらしい。

 らしい、というのは、訃報を知らせに来た養護施設の職員はデンジの境遇やネグレクトの事実を知っていたため敢えて詳細を教えなかったからであり、元々父親に迎えに来てほしいなどとは1ミリも思っていなかったデンジも、父の死亡について大した関心を示さなかったからだった。

 父親は資産らしい資産は持っておらず、むしろ複数の消費者金融から借金をしていたため、区役所や養護施設の職員の計らいで早々に相続放棄の手続きを進められた。葬式をする金もなく、区役所側の都合で火葬のスケジュールが決められていく。入れ代わり立ち代わりデンジの前に誰かが座り、何かを伝えてまた立ち去っていく。中身のよく分からない書類にひとしきりサインをして、その全てをまるで他人事のように感じながら、気付いたら父親は骨になっていた。

 火葬場のホールで火葬炉をぼんやりと見つめながら、誰に聞かせるわけでもなくデンジは呟く。

 

「……15歳になったぜ、クソオヤジ」

 

 火葬の実行日は、デンジの誕生日だった。養護施設の職員は何もそんな日に火葬をしなくてもと訴えたし、区役所と火葬場も事情を知った後に再度スケジュール調整を行おうとしてくれたが、誰の悪意に依るものでもなく本当に偶然であることは分かっていた為、これ以上迷惑をかけたくない一心で、デンジは当初のスケジュール通りに火葬を依頼した。

 

「……?」

 

 不意に視線を感じて、デンジは後ろを振り返る。

 父親の火葬を見届けに来たのは自分と付き添いの養護施設の職員だけだと思っていたが、平日の昼間にも関わらず、制服姿のレゼがそこにいた。

 

「レゼ、来てくれたのか」

「うん。昨日、デンジ君が電話で教えてくれたから」

 

 デンジは父親の火葬について特に誰にも言うつもりはなかったが、本当なら今日はデンジの誕生日を祝うため放課後にレゼと二人で遊びに行く約束をしていたので、火葬のスケジュールが丸被りしていたことから父の死と火葬の件を伝え断りの電話を入れていた。

 

「来てくれって意味じゃあなかったんだけど……学校、早退したの?」

「うん。こっちを優先したかったから」

「そっか。ありがとな。さっき全部終わったよ」

「……お疲れ様」

「ザンコツクヨウ?ってやつだから、骨は火葬場の人たちが処理してくれるみてェだけど、明日は寺に行かなきゃいけねェんだ。だから、もう一日学校は休むよ」

「そっか。……1人で大丈夫?」

「あァ。行って挨拶してくるだけだから。今日も、せっかく誘ってくれてたのにゴメンな」

「いいよ。落ち着いたら、改めて誕生日のお祝いしよう」

 

 レゼは春生まれで、既に15歳。デンジは夏生まれで、今日15歳となった。

 レゼの計画では、15歳になったら二人は恋人になる予定だったが、正確な日付を決めているわけではないし、あの日以降、二人の間でこの話題が出たことは一度もなかった。

 レゼ自身は一時も忘れたことなどなかったが、デンジが覚えているのかは若干自信がない。

 本当ならデンジの誕生日を祝いながらその話題を持ち出し改めてデンジに返事をもらうつもりだったが、さすがに今日はタイミングが悪いとレゼは思った。

 

「もう帰るだろ?せめて、家の近くまで送ってくよ」

「ん……じゃあ、お願いしよっかな」

 

 火葬場の出入り口でデンジを待っていた養護施設の職員に、デンジはレゼとバスで帰る旨を伝える。

 レゼは養護施設の職員と既に顔見知りであり、小学生の時にデンジをいじめから救った騎士として認知されていたため、二つ返事でデンジを任された。

 二人は火葬場を出てすぐ近くのバス停のベンチに座った。車通りは少なく、二人以外にバスを待つ人もいない。

 

「あーあ、やっと終わったァ」

「本当にお疲れ様。……ねぇ、デンジ君、引越したりとかしないよね?」

「ああ。とりあえず学生の間は今のままでいられるみてェ」

「そっか。良かった」

「まあ、俺は高校卒業したら就職するだろうから、そのあたりで施設は出てく感じになるだろうな」

「高校は別々だけど、デンジ君のお勉強はしっかり見てあげるからね」

「別にいいよ……って言いたいとこだけど、レゼがいないと宿題できる気がしねェ」

 

 中学卒業後の進路について、デンジは地元の工業高校に進学する予定だった。デンジの学力でも入学できそうなこと、デンジと同じ養護施設の子供も既に何人か通っていること、卒業後は地元の企業への就職斡旋があることなどから、特に悩むことなくその道を選んだ。

 レゼは当初、デンジの進路に介入しようか迷いに迷っていたが、デンジが行こうとしている工業高校は男子校のため学校の生徒募集要項にレゼが該当していなかったり、デンジが合格できるレベルの共学高校はレゼにとって偏差値が低すぎるなど、二人の進路を擦り合わせるのは困難を極めた。

 レゼはこの時点で既に両親と相談し、進学する大学とおおよその就職先にまで当たりを付けていた。将来設計を修正せず、かつ今後の長い人生のより多くの時間をデンジと共有するためには、一定以上の学力を維持するための勉強を学校の授業だけで完結させる必要があり、塾や家庭教師に時間を割くわけにはいかない。最終的に、レゼは国内でもトップクラスのエスカレーター式の私立有名女子高を受験することにした。

 

「……」

「……」

 

 進路が分かれる話から一抹の寂しさを感じ、レゼもデンジも口を閉ざす。少しの間、風の吹く音だけが二人を包んでいた。

 バスが来るまで続くかと思われた気まずさのない無言の時間は、デンジが小さく漏らした声で不意に終わった。

 

「未来に責任をとる、かァ」

「……覚えてたんだ」

 

 レゼは小さく驚いた。

 小学生の時にした、15歳になったら私たちは恋人になろうという約束。

 デンジも覚えていた。レゼと同様に、忘れたことなど一度もなかった。

 

「あん時はさ。自分が、まるでこの世界でひとりぼっちみてェって思ってた。そんで今日、親父は死んで骨になって……俺、本当にひとりぼっちになっちまった」

「デンジ君……」

「でも、別にそんなに悲しくねェ。寂しくもねェ。たぶん、レゼがずっと傍にいてくれたから……レゼが俺を、ひとりぼっちじゃなくて、2人ぼっちでいさせてくれたからだと思う。……なあ、レゼ」

「……うん」

「俺ァ、今日15歳になったぜ。やっとレゼと同じ15歳になった。もし、あの約束がまだ有効なら、俺たち、恋人になろうぜ」

 

 デンジは前を向いたまま、少しぶっきらぼうにそう言った。

 レゼはデンジの横顔を見ながら、段々とその輪郭が滲んでいくのを感じた。

 夢にまで見た瞬間。そして、最初の夢が叶った瞬間だった。

 

「うん、うん……もちろん、有効だよ。この日をずっと、待ってたよ。私も、デンジ君と恋人になりたい。……よろしくお願いします」

「まァた、泣いてんな。泣き虫め」

「私を泣かせるは、いつだってデンジ君だよ」

 

 普通の人なら、告白のシチュエーションに火葬場前のバス停は選ばないだろう。

 

「デンジ君。お誕生日おめでとう」

「あんがと。これからもヨロシク」

 

 しかし、死ぬまでこの人と一緒にいたいと本気で願うレゼにとっては、これが一番の正解だった。

 レゼは、今までの人生において最高にロマンティックな出来事だと思い、涙がこぼれないように空を見上げた。

 

 

 

 

 

/002

 

 

 2人が恋人になってから最初の春、当初の希望通り、レゼは私立有名大学の附属高校へ、デンジは地元の工業高校へ進学した。

 学校自体は離れたが、レゼの実家とデンジの暮らす養護施設は同じ区内にあるため、平日の放課後や休日は近くの公園や商業施設のフードコート等で待ち合わせて、週の半分ほどは会っていた。

 デンジは高校生になってから、引越し業者と個人カフェのアルバイトを掛け持ちで始めた。時給は引越しの方が高かったが、個人カフェはとにかく暇な店だったので、特に仕事がない時はバイト中でも宿題をしたりしていたし、何より賄いに出てくるカレーとチャーハンがお気に入りだった。たまにデンジに会いに来ていたレゼも気付いたら常連と呼ばれるようになり、商売っ気のないマスターからたまに珈琲をサービスされる程には気に入られている。

 

「わっかんねェ……」

「あと5分だけ考えて、分かんなかったらヒントあげるね」

 

 今日のデンジはカフェのバイトの日。レゼが合流した辺りで客足も途切れ、実質貸し切り状態となったカフェで2人は学校の宿題をしている。

 

「日本語も難しいのに、英語なんてぜってェ分かんねェ。英語って必要なくねェ?」

「分かると何かと便利だよ?世界共通語なんて言われてるくらいだし」

「そーかなァ。別に困ったことねーけど」

「アハハ。まぁ、テストに出てくる必要最低限だけ覚えれば大丈夫だよ。本当に困ったときには私が通訳してあげるから」

 

 レゼは小さい頃から語学に関心があり、子供の頃から純血のロシア人である母親からロシア語と英語を教え込まれていた。最近は中国語の勉強も始めており、最終的には日本語と併せて4カ国語をマスターする予定だ。

 

「それに、たまに外国人のお客さんが来るじゃん。そういう時に簡単なやり取りだけでも出来ると慌てないで済むし」

「外国人の客なんてほとんど来ねェーよ。来ても、一応外国人用のマニュアルがあるから大丈夫」

「ま、それもそうだね」

 

 2人の会話を遮るように、カランコロンと来客を告げるベルが鳴った。デンジは反射的に「いらっしゃいませェ」と言いながら接客に向かうが、一瞬で顔が強張る。話したそばから早速、来店した女性の風貌が明らかに外国人だったからだ。

 

「えーっと」

『こんにちは。席はどこでもいいですか?』

「は、はろー。え、英語?そ、そーりー、うぇいと、ぷりーず」

 

 女性は英語でデンジに話しかけた。

 デンジはただでさえ英語が苦手な上に、女性の発音は綺麗なネイティブものであり、一瞬でパニックに陥る。

 振り返ってマスターを探すが、裏の倉庫にでも行っているのかフロアからは見当たらない。レジ横に置いてある外国人用のマニュアルを取り出し、パラパラとページを捲る。使用頻度の高い英語用のページはマニュアルの1ページ目にあるが、デンジの目には入らなかった。

 

『……ごめんなさい。雰囲気の良さそうなお店だからドアを開けてみたけど、困らせちゃったみたいね』

 

 女性はデンジのような対応にも慣れているのか、特にがっかりした様子もなく店を出ようとするが、奥のボックス席から一部始終を見ていたレゼが声をかけた。

 

『もし良ければ、私が通訳しますよ』

『……ワオ!キュートなお嬢さん、英語が話せるの?』

『まだまだ勉強中ですが、少しだけなら。そこのウェイターは私の恋人なの。だから怒らないであげてね。席はお好きなところへどうぞ』

『恋人の働くカフェでデートなんて素敵ね。何かオススメのメニューはある?』

 

 レゼと女性客は英語で軽く世間話をして、レゼが注文内容を聞き取りしたあたりでちょうどマスターも戻ってきたため、事情を説明し接客を引き継ぐ。

 

「……悪ィな、助かったぜ」

「ごめんね。迷ったけど、結局声かけちゃった」

「英語、話せないより話せた方が便利ってことだけは分かったわ。やっぱ、俺と違ってレゼはすげェな」

 

 自身を称賛するデンジの目。まるで決して手の届かない遥か遠くの山を、月を、羨み慈しむような目だった。

 あるがままを受け入れたような穏やかなデンジの瞳は、懐の深さでも度量の大きさでもなく、むしろ画面越しに違う世界を見ているかのような、羨望、あるいは諦観の念を強く感じさせた。

 デンジは育ってきた環境が悪すぎたせいか、時折、まるで自分の()のようなものが他人と比べて劣っており、そのことに全く違和感を感じていないかのような言動があった。極端に自身を卑下するわけではない。ただただ自分が同じ土俵に立っていない(・・・・・・・・・・・)と信じているようだった。

 

(……やっぱり、声なんて掛けなければよかった)

 

 レゼにとっては、カフェの売上が下がろうと、客が注文もできずに帰ってしまおうと、どうでもいいことだった。

 ただデンジを助けたい一心で取った自身の行動は、結局はその場しのぎの悪手だったことを察知し、自己嫌悪に沈む。

 

「……うん。いつでも、私を頼ってね」

 

 翌月、デンジはカフェのバイトを辞めた。

 引っ越しのバイトの方が時給が良いからと言っていたが、それだけが理由でないことをレゼは知っていた。

 

 

 

 

 

 高校3年生になった二人は、休日の公園でベンチに座って次の進路について話していた。

 

「デンジ君、就職先は決まりそう?」

「ああ。学校から近場の会社を何社か紹介してもらってるよ。去年職場体験で行った先もあるから、何となく様子も分かるし、どうにかなるんじゃねェかな。レゼはどう?」

「私も予定通り大学に進む予定。校内選抜はパスしたから、特に問題が起きなければ年内には合格になるんじゃないかな」

「へェ……じゃあ春から俺は社会人、レゼは大学生だと、今までより会う回数は減っちまうかもな」

「大学生は意外と時間の融通が利くから、デンジ君の方が時間の確保が難しいんじゃないかな」

「そーなの?」

「でも、大丈夫だよ。あと2年もしたら私たち二人とも二十歳になるから、そしたら一緒に住もうね。そうすれば毎日一緒だよ」

「そっか……じゃあまだ(・・)一緒に居られるな。嬉しいぜ」

 

 デンジの言い方にレゼは一瞬、会話が嚙み合っていないような引っ掛かりを覚えたが、続く喜びの言葉に上書きされたため指摘することはなかった。

 

「そろそろ行こうか。お料理教室」

「ああ。遅刻したらもったいないしな」

 

 2人は最近通い始めた駅ビル内のクッキングスタジオで行われる料理教室に向かうため席を立つ。

 きっかけは、レゼが18歳の誕生日プレゼントとして物の代わりにデンジに一緒に通うことをリクエストしたためだった。料理教室のオーナーがレゼの両親の知り合いであり、若者の顧客層や男性の顧客層の獲得に苦戦しているらしいという話をたまたま耳にしたレゼは、両親経由で学生向けのコースとカップル向けのコースの新設をオーナーに提案し『参加費を無しにする代わりに自分と彼氏がモニターとして参加し、毎回レポートを提出する。顔出しは一切しないが、レポートの内容はホームページやSNS等に公開してもОK』とういう条件で無料参加できるように交渉した。当初、隔週で通うコースの料金を見たデンジは石のように固まってしまっていたが、モニター扱いのため料金がかからないと分かると、安心したように了承した。

 ちなみにデンジはレポート作成のような言語表現がすこぶる苦手だったので、デンジの分のレポートはレゼが代わりに作成している。

 

「今日は筑前煮を作るんだって」

「チクゼンニ?」

「和食の定番料理だよ。煮物って言った方が分かりやすいかな」

「そりゃあ食うのが楽しみだなァ」

「こらこら、キミも作るんだよ?」

「へェへェ」

 

 デンジは通い始めこそ初心者そのものといった様子で包丁を持つところからあたふたして可愛い限りだったが、コツを掴んで楽しくなってきたのか、最近は養護施設の料理当番も率先して行っていた。

 

「デンジ君、お料理すごく上手になってきてるって、スタジオの先生も褒めてたよ」

「マジで?……へぇ……ふぅん」

「嬉しそうな顔しちゃってぇ。最初は『適量ってなんだよ!』ってよく叫んでたのに」

「それは今でも思ってるよ。……まァ、そういうのも味の濃い薄いで個性が出て楽しいけど」

「無理やり付き合わせるだけだと申し訳ないなって思ってたけど、楽しんでくれてるみたいで良かった」

「料理に限らず、俺はレゼと一緒だったら何でもたのしーよ」

「……そーですか」

 

 赤く染まった頬を見られないようにレゼは軽く俯いた。上目遣いでちらりとデンジを見るが、デンジは緊張感の欠片もない様子でぼけっと歩いている。

 恋人であることを強く意識しているのが自分だけのようで少し悔しくなり、レゼはデンジの腕を絡めとった。

 

「うおッ。どした?」

「べつに~?ちょっと腕を組みたくなっただけ……ダメ?」

「ダメじゃねェよ。ビックリしただけ」

 

 覗き込んだデンジの頬もレゼと同様に朱が差していることを確認し、レゼは満足し微笑んだ。

 

「そういやさ、ずっと気になってたんだけど、なんでレゼは俺を料理教室に通わせたかったんだ?」

「……デンジ君がっていうか、私が通いたかったんだよ?ほら、私も乙女だしさ、将来のことを考えてお料理とか習っておいた方がいいかなって思って。実はずっと興味あったんだよねぇ」

「レゼが俺と一緒に通うためにオーナーに直接交渉したって、この前、スタジオの先生から聞いたんだよ」

 

 レゼは余計な情報を漏らしたスタジオの講師に対し、内心で舌打ちする。

 実際のところ、確かにレゼは『自分が料理教室に通いたい』ではなく『デンジを料理教室に通わせたい』が目的だった。

 理由は主に2つあった。

 1つは、高校の卒業後は就職し一人暮らしを始めるデンジに自炊スキルを身に着けさせるため。

 1つは、デンジに特技を持たせて自信をつけさせるためだった。

 

「私が料理教室に通いたかったのはホントだよ。でも私一人で通うとデンジ君と会う時間が減っちゃうから、いっそのことデンジ君も一緒に通っちゃえばいいんだって思ったんだ」

「へー」

 

 そこに何か別の思惑が混じっていたとしても、恋人と一緒に料理教室に通いたいと思うこと自体は、誰が聞いてもおかしなことではない。

 ちらりとデンジの横顔を盗み見ても、何かを疑っているような感じはなく、ただ単に疑問に思ったことをそのまま聞いただけという様子だ。

 

「ほら、早く行こ!」

 

 この話はこれで終わり、という意味を込めて、レゼはデンジの腕を強く引っ張った。

 急に腕を引かれてバランスを崩しながら、デンジは再びレゼの顔を見て、無感情に思う。

 

(まだ大丈夫……まだ、気付かれてない)

 

 スキップでもしそうなレゼに腕を引かれ、デンジは胸をなでおろす。

 この気持ちが安堵からくるものなのか、それとも違う感情なのか、今のデンジには分からなかった。

 

 

 

 

 

/003

 

 

 二人は高校を卒業し、レゼは有名私立大学の付属高校から内部進学により国内でも有数の知名度を誇る学校の大学生となり、デンジは学校の斡旋で地元の板金加工業を営む企業に就職した。

 レゼは大学生になってから、非常に苦慮していることがあった。同じ大学に通う男性陣から言い寄られることが格段に増えたことだった。

 高校時代のレゼは女子高だったこともあり異性と知り合う機会もなかったことから告白されるようなことは無かったが、付属高校なので事前に情報でも回っていたのか、入学式を終えた後からレゼは既に校内でも美人新入生として注目されており、毎日のように声を掛けられていた。

 ナンパ程度なら彼氏がいることを伝えて軽くあしらえたが、中には既にデンジの情報まで掴んでいる者もいた。そういう輩は『底辺高卒で零細企業に就職?絶対俺の方がイイじゃん、俺にしときなよ』とむしろ嬉々として乗り換えさせようとしてくるので、黙らせるのに一番手っ取り早い対応策として『ランチの時間帯で学食に連れていき、愛しの彼氏の素晴らしさを延々と語ること』にしていた。延々と、と言っても、大体の男は30分も経たずに自身が脈なしであることを悟り、早々に席を立つ。レゼとしてはこれから4年間も通うことになる学校で変に目立つことは避けたかったが、下手に希望を持たせて2回目、3回目とまた声を掛けられるよりずっとましだと判断していた。

 一方デンジはというと、意外にも上手く社会人生活を送っていた。入社した企業はデンジを含めて5人程度の人数で工場を回しており、18歳のデンジ以外はみんな50代以上のおじさんだけという職場だったが、デンジが既存の社員にとっては我が子同然の年齢であったことから、デンジは息子のように可愛がられた。もちろん、業務上のミスや社会人としての社会常識の欠如はその都度しっかりと叱られ正されたが、母親は幼少期に死別し父親からもネグレクトを受けていたデンジにとって、それは味わったことのない年長者からの愛情であり、職場の先輩たちをまるで父親のように感じていた。

 就職に合わせて養護施設は退所することになったが、部屋選びは施設の職員や先に施設を退所した仲間が手伝ってくれたため、職場まで歩いて通える場所にある安アパートを借りられた。基本的な家事は養護施設で学んでいたことに加え、レゼが料理教室に通わせてくれたおかげで自炊の心得もあったことから、慎ましくも平和な日々を送れている。

 デンジが一番嬉しかったのは、物欲の少ないデンジが唯一買った娯楽であるテレビを好きなだけ観ることができるようになったことだった。幼少期はテレビは父親が独占していたし、養護施設時代は施設に1台しかないテレビのチャンネル争いが毎日起こっていたから、好きな番組を好きなだけ見られることはデンジにとっては夢のようなことだった。

 

「ねえねえデンジ君。今年のイヴも一緒に過ごせるよね?」

 

 19歳。冬の休日。

 この日もレゼはいつも通り朝からデンジの家に入り浸っており、ベッドをごろごろと転がりながらすぐ近くに座っているデンジに言った。

 

「あぁ。うちの工場はカレンダー通りだから、今年はちょうど24、25が土日だし大丈夫だ」

 

 デンジの勤務する工場は完全週休二日制であり、繁忙期以外は休日出勤もない。

 レゼの通う大学も基本的に土日は授業がないので、平日に会いにくくなった分、土日のうち1日は必ずデンジの家に遊びに来ている。

 

「やった!じゃあさじゃあさ、二人でお料理しながら、デンジ君の家でパーティーしない?」

「いいぜ。この前たまたま見てた料理番組で、オーブンがなくてもフライパンでローストチキンを作るっていうやつやってたから、それ、試してみっかなァ」

「すごー!デンジ君、すっかりお料理上手になってるねぇ」

「上手かはわかんねェけど、まあ、料理は楽しいかな……でも、家でいいのか?その、イイ感じのレストランで食ったりとか」

「レストランもいいけど、私にとってはデンジ君が作ってくれるお料理が一番美味しいし嬉しいよ」

「そーかァ?」

「そうだよ。それに、クリスマスシーズンはきっとどこも混んでるだろうから、おうちでまったりしよ?」

「レゼがいいなら、そうすっか」

 

 そう言って柔らかく笑うデンジに、レゼは自身の頬が熱を帯びていくのを感じ、誤魔化すようにを顔を寄せた。

 徐々に距離は近づき、やがてゼロになる。

 二人の関係はいまだキスまでで、それ以上の肉体関係はなかった。

 レゼとしては学生の内は避妊さえすれば、むしろいつでもウェルカムといった心持ちではあったが、デンジから手を出してくる様子はない。

 ハグやキスといった肉体的な接触は常にレゼから行っており、デンジは常に受け身だった。

 レゼのデンジへの想いは年々大きくなっており、特に最近は歯止めが利かなくなっていることを自覚している。

 今年のクリスマスは、次のステップに進みたい。クリスマスのおうちデートは、そのための提案でもあった。

 

「今からメニュー考えよ?」

「よォし、腕が鳴るぜェ」

「楽しみだな~」

 

 レゼはスマホで『クリスマス おうちディナー』と検索し、レシピ集のページを開いてスクロールしていく。

 

「…………」

 

 楽しそうにしているレゼの横顔を、デンジはどこか虚ろな瞳で見つめていた。

 

 

 

 

 

 クリスマスイヴ当日。

 二人は昼過ぎにいったんデンジので集合し、そのまま町へ買い出しに出かけた。

 まだ日は明るいが町は既にクリスマスムードであり、腕を組んだり手をつないだりする男女は明らかにいつもより多かった。

 

「すごい人だねぇ。混んできそうだし、買い物終わったら早めに帰ろ」

「そーだな。しっかし、さみィな」

 

 俯き加減で歩いていたデンジがふと顔を上げると、通りかかった店の窓ガラスには、例にもれず腕を組みながら歩く自分とレゼの姿が映っていた。

 今日のレゼは緩く巻いて結いだ髪をサイドから前に下ろしており、普段のナチュラルメイクではなくバッチリとキメた余所行きのメイクで、一際目立つ顔立ちが道行く男たちの視線を集めていた。一目見て上等なものだと分かるコートに、いつもより短めのタイトスカートから黒タイツに包まれた脚がスラリと伸びていて、見慣れているはずのデンジですら思わずチラチラと目がいってしまう。

 それに比べて、デンジは量販店で買った目立たない黒のダウンと安物のジーンズを合わせただけのラフな服装に、寝癖がない程度の最低限に整えられた髪の毛。

 お姫様と奴隷くらい違うな、とデンジは思う。自分だけでなく、恐らく道行く人々もきっとそう思っているだろう。

 

「デンジ君、何か気になる物でもあった?このお店入ってみる?」

「あ……いや、窓ガラスに映ったレゼ見てた。そんで、今日はいつもの何倍も可愛くて綺麗だなって思ってただけ。行こうぜ」

「……え、ちょ、ちょっと!そういうことは最初に言ってよ!」

「ご、ごめん。今日会った時から思ってたけど、いま、実感したというか」

「……バカ、バカバカバカバカ」

「ごめんってェ」

 

 レゼはデンジの腕に自身のそれを絡ませたまま、器用に肘でデンジの脇腹をつついてくる。

 その顔は真っ赤に染まっており、本当に怒っているわけでないのはさすがにデンジでも分かった。

 今日のレゼは、いつもより可愛くて美しいと思ったこと。

 不釣り合いな自分との差が更に広まったように感じたこと。

 言った方が良いこともあれば、言わない方が良いこともある。デンジは頬を膨らますレゼの腕を引いて、スーパーに向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 ディナーはいつも通り、メイン料理をデンジが作り、サラダやつまみ系の軽食をレゼが作る役割分担だ。

 料理教室に通い始めて分かったことは、意外にもデンジには料理の適正があり、意外にもレゼにはあまり適正がないということだった。

 適性がないというのは『料理が下手』という意味ではなく『料理を純粋に楽しめない』という意味だ。

 レゼにとって料理とは作業でしかなく、元来の器用さからレシピ通りの料理は完成させられるが、デンジと違いその工程を楽しむことはできず『いかに効率よく作業できるか』に重きを置いてしまう。

 小学生の時にした『デンジにカレーを食べさせる』という約束を果たすために何度かデンジの家でカレーを作ったりはしていたが、今ではすっかりデンジの方が料理にハマってしまい、二人で夕食を作る時はこのような分担になっていた。

 

「よし、準備オッケー。電気、いったん消すぜ」

「うわぁ……!すごいすごい!本物のレストランみたい!」

 

 テーブルの上には、サラダ、クラッカーのカナッペ、ローストチキン、バゲットと、雰囲気作りでワイングラスに注がれた葡萄ジュースが用意されている。

 それらの料理を並べ、燭台に刺した蠟燭に火を灯した後で部屋の電気を消せば、簡易的ではあるが十分に雰囲気のあるディナーテーブルが現れた。

 普段はしないテーブルクロスに燭台や蝋燭もデンジが100円ショップで用意した物で、総額でも500円はしない。

 よく見れば安物であることは見て取れるが、それでもレゼの感動は本物だった。

 

「綺麗……デンジ君、準備ありがとう。まだ食べてないのに、もうすっごく感動しちゃった」

「レゼも一緒に料理してくれたじゃん」

「私はサラダとクラッカーでカナッペ作っただけだし」

「レゼが作るクラッカーのやつ、おれ大好きだよ。ほら、食べようぜ」

「う、うん……いただきます」

 

 デンジから不意に漏れた『大好き』の言葉に、自分のことを言われた訳でもないのにレゼの心臓は軽く跳ねた。

 レゼはデンジへの好意をよく口にするが、デンジからは直接的な言葉で返ってくることはあまりないため、いまだに耐性がついていない。

 

「おいしー!デンジ君、このチキン、ホントに美味しいよ!」

「レゼのカナッペも超美味いよ。これめっちゃ好きなんだよなァ、無限に食える」

「そう言うと思って、冷蔵庫にまだおかわりあるよ」

「マジで?サイコーじゃん」

 

 作るのに時間はかかっても、食べ終わるのは早い。

 年の瀬でもないのにこの一年を振り返って思い出話をしながら食べ進めた料理は、あっという間に完食となる。

 デザートのケーキまで食べ終えると、デンジは伸びをしながら椅子の背にもたれかかった。

 

「ふぃー。食った食った。ごちそうさま」

「ごちそうさま。ホントに美味しかったー。写真もいっぱい撮ったから、後で送るね」

「あんがとな」

「……えー、ではでは、お待ちかねのプレゼント交換、しちゃいますか」

「おー。あんま期待すんなよ?」

 

 二人は誕生日やクリスマスなどのイベントに関するプレゼントについて、一つのルールを決めていた。

 それは、プレゼントの金額は事前に二人で決めた範囲内に収める、というものだった。

 これは付き合い始めた当初よりレゼから提案したもので、特に学生時代に使えるお金が限られていたデンジのために設けたものだった。

 中学生、高校生の時は500円以内、今回は千円以内のルールであり、下手にブランド物などを選べない分、本当に相手のことを考えて選ぶことになる。

 

「じゃあ」

「おう……せーの」

「メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

 

 背中に隠していたプレゼントを相手に渡し合う。

 

「開けるね。……あ、これ、マグカップ?」

「え?レゼも?」

 

 二人が選んだプレゼントは、お互いマグカップだった。さすがに購入した店は違うのでお揃いではなかったが、レゼの手元には緑色の目をした黒猫のイラストが描かれた白地のマグカップが、デンジの手元にはモフモフした犬のイラストが描かれた黄色地のマグカップがあった。

 

「デンジ君、今使ってるのは100円ショップで買った思い入れのないやつだって言ってたから。あと、この犬がなんかデンジ君に似てると思って」

「えェ?オレ犬かよ〜」

「アハハ!ごめんごめん!」

「俺は、この黒猫がレゼにそっくりだと思って。目も同じ色だし」

「えぇ?ワタシ猫かよ〜」

 

 ふざけて、にゃあにゃあと猫の鳴き真似をしながら、レゼは手の中でマグカップを揺らした。

 

「……ねえ、デンジ君。このマグカップ、デンジ君の家に置いておいてもいい?」

「いいけど……あんまり気に入らなかった?」

「ううん、すっごく気に入ったよ。でも、どうせならこの家で、二人でお揃いで飲みたいなって思って」

「……じゃあ、いつも並べて飾っとくよ」

「うん!ありがとう!」

 

 レゼはデンジの首元に手を回し抱き着いた。

 いつまでもハグに慣れないデンジは少したじろぎながら、控えめにレゼの背中に腕を回した。

 

「……あの、実はさ。レゼに、もう一個プレゼントがあるんだ」

「え?」

「お互い千円以内でって言ってたのにルール違反なんだけど、これはクリスマスプレゼントじゃなくていつものお礼というか、その、この冬に初めてボーナスをもらえたから、そのお祝いっていうか」

 

 予想だにしていなかったデンジからのサプライズに、レゼは少し狼狽える。

 

「え、えぇえ?な、なんだろー、ドキドキしちゃう」

「……これ、良かったら貰ってほしい」

 

 デンジは近くに置いたブランケットの中に隠していた小箱を取り出し、レゼに渡す。

 

「たまたま見つけてさ。なんか、レゼに似合いそうだなーって思って」

 

 明らかにジュエリー用の小箱。大きさからして指輪の類ではなさそうだとレゼは思った。

 意を決して小箱の蓋に手をかけ、ゆっくりと開けた小箱の中には、薄紫色の天然石のネックレスが入っていた。

 

「……これ、チャロアイト?」

「あァ。不安とか、恐怖とか、そういうイヤ~な気持ちを癒してくれるヒーリングストーンなんだってさ。あと、この石はロシアでしか採れない石なんだとよ。レゼは半分ロシア人だから、普通の人よりご利益ありそうだと思って」

「アハハ、なんじゃそりゃ」

 

 レゼはデンジの謎理論に笑いながらネックレスを手に取り、大事にそうに撫でた。

 

「……ね、デンジ君。これ、デンジ君が私にかけて?」

「えェ!?俺、かけ方なんて分かんねェよ」

「大丈夫。ほら、首に回してココを引っ掛けるだけだから」

 

 レゼに促され、デンジは恐る恐るといった様子でネックレスを受け取り、レゼの首に回す。 

 

「……できたぜ」

「どう?似合ってる?」

「超クソ似合ってる」

「ありがと。……実はね、デンジ君。私も、もう一個、デンジ君に貰ってほしいものがあるんだ」

「え……なに?」

 

 至近距離で見つめ合いながら、レゼはテーブルの上に置かれたままになっているデンジへのプレゼントを包装していたリボンを手に取り、ネックレスに被せるように自身の首元に回し、首の右側で器用に蝶々結びをした。

 

「ジャジャン!レゼちゃんのプレゼントボックス~。ほら、紐を解いて開けてみて」

「お、おう」

 

 デンジはレゼの首元に手を伸ばす。

 

「何が出るかはお楽しみ~。はずれだと爆発するかもよ~?」

「怖ェこと言うなよ」

 

 デンジが蝶々結びを解いて紐を外す。

 

「ボンッ」

「えェ~?はずれかよォ」

「アハハ!冗談冗談、ハズレじゃないよ。……デンジ君が、当たりだって思ってくれると嬉しいけど」

 

 レゼはその場で背伸びをして、デンジにキスをした。

 

「……プレゼントは、私です。デンジ君に、ぜひ、もらってほしいな」

「え……あ、で、でも、時間とか」

「今日、ウチの親は二人で旅行に行ってるから、帰らなくても大丈夫」

「あ、え、でも」

「デンジ君」

「……は、はい」

「私、今日は帰りたくないよ」

「……シャ」

「シャ?」

「シャワー……せめて、シャワー、浴びさせて……」

「……ッぷ、アッハハハ!!それ、私のセリフじゃない?」

 

 顔を真っ赤にさせて少し涙目で俯くデンジに、レゼはお腹を抱えて笑った。

 

「は~あ、デンジ君といると、ホント最高に楽しいよ。……いいよ、先にシャワー浴びといで。その後、私も入るから。……それと」

「……な、なんだよ」

「今夜は、寝かせないから。そのつもりでね」

 

 チェシャ猫のような悪戯な顔で、レゼはデンジに宣言した。

 

 

 

 

 

 翌日。

 明け方までベッドで愛を確かめ合っていた二人は、朝日が昇るのを見届けながら一緒に寝て、昼過ぎにようやく起きた。

 

「……おはよ」

「おはよう、デンジ君」

 

 レゼは寝ぼけ眼のデンジの頭を撫でながら、初めての行為の余韻として残る下腹部の軽い痛みと全身の気だるさに、この上ない幸せを感じていた。

 

「なんだよ、そんなにニコニコして」

「目が覚めて一番にデンジ君の顔が見られるなんて、なんだか病みつきになりそう」

「……なあ、レゼは、なんで俺なんかを好きなの?」

 

 行為後の質問としては最低なものだったが、ついに二人の関係が一線を越えたこともあり、デンジは質問せずにはいられなかった。

 

 「なんで?なんでかは、分かんないなあ。好きなところはいっぱいあるけど、好きな理由はないと思う。デンジ君は?なんで私のことが好きなの?」

 「え?あー、そう言われると、俺も理由はない気がする」

 「同じだね。似た者同士だ」

 

 えへへ、とレゼははにかむように笑った。似ていること、同じであることが、これ以上ない幸福であるかのように。

 

(……似てないよ。同じじゃないよ。お前は、俺とは違う。きっとお前は神様に選ばれたすごい人で。本当は俺なんかが触れていい人じゃないんだ)

 

 心ではそう思っても、目の前のレゼの笑顔を見ているとなんだかこれでいいような気もしてくる、とデンジは思った。

 綺麗な人。美しい人。俺のことが好きな人。

 この人といると、自分も綺麗な人間だと思える。普通の、いっぱしの、真っ当な人間になれたみたいに勘違いできる。

 俺なんかが触って汚すのは嫌だった。でも、この人は俺が触ると喜んでくれる。

 だったらもう、このままでもいいんじゃないか。

 俺がレゼと一緒にいることで、俺がそっち側(・・・・)に行ったっていいんじゃないか。

 

「ぅん~、そろそろ起きよっかぁ。いま、何時だろ」

「あ、ああ。ちょっと待って」

 

 デンジは時間を確認するためスマホを手に取る。

 暗い画面には、反射した自分とレゼが映っていた。

 デンジは冷や水を浴びせられたように、一瞬で目が覚めた。

 

(……何を、夢見てんだ、俺ァ)

 

 隣を見れば、太陽の光に照らされる美しいレゼだけが見える。

 画面を見れば、暗闇に反射する憐れな自分と彼女が映っている。

 

(俺がそっち側(・・・・)に行けることなんてねェ。俺が、レゼをこっち側(・・・・)に堕としたんだ)

 

 馬鹿な自分に、誰か教えてほしい。

 どうすれば俺の汚れた手で、この人を綺麗なまま守れるのかを。

 

「デンジ君?スマホ、電池切れちゃった?」

「あ、いや……ごめん、ちょっとぼーっとしてた」

 

 レゼは一瞬きょとんとした顔をした後、ニヤリと笑う。

 

「まだ寝ぼけてるの?……じゃあ、一緒にシャワー浴びてスッキリしますか」

 

 もうやめてくれ。

 まだやめないで。

 相反する想いを胸に抱えたまま、デンジはレゼの望む答えを探した。

 

 

 

 

 

 /004

 

 

 私、分かってるよ。あなたが、私のことをどう思っているのかを。

 嬉しい。嬉しい。嬉しい。

 そこまで私の存在は、あなたのなかで大きくて、特別なものになっているんだね。

 だけど。

 寂しい。寂しい。寂しい。

 それはすごく光栄で嬉しいことだけど、同じくらい、悲しくて寂しいこと。

 あなたが私を花のように扱うのならば、私は花になりましょう。

 でも、私はあなたの高嶺の花になんてなりたくない。

 私は、路傍の花になりたいの。

 あなたの歩く道の端っこに咲いてる、名前すらないような花に。

 あなたが気軽に摘んでくれるような、そんな花に、私はなりたいんだ。

 そして、私という路傍の花で、あなたの歩く道を埋め尽くす。

 他の花なんて1輪たりとも咲かせない。あなたには、私だけいればいい。私も、あなただけいればいい。それだけでいいから。

 

 

 私にとって、あなたは———デンジ君は、空気で、水で、太陽なんだ。

 あなたがいないと、私は上手く息が吸えないよ。

 あなたがいないと、私は干からびて萎れちゃうよ。

 あなたがいないと、私は力が出なくて立つこともできないよ。

 

 

 デンジ君。ねえ、デンジ君。

 遠くから見ているだけなんて許さない。

 お願いだから、一番近くで、ちゃんと私の傍にいて。

 私も、いつでも、あなたの隣にいたいから。

 

 

 後篇に続く




 元々は今回の投稿で完結させるつもりで書いていたので、後篇はそこまでお待たせせずに投稿できると思います。

 ブラックノベル風ですが、自分はハッピーエンドしか書けませんし、書くつもりもありません。

 書けば書くほど、この二人には本当に幸せになってほしいと心から思います。
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