中谷秀和の飯テロ生活   作:藍色 紺

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1 代替え? いいえ、本命です(チヂミ)

「一玉四百円だと?」

 

 会社帰りのスーパーで、キャベツを前に一人、思わず声が出た。

 

 いつもなら百五十円のキャベツが四百円。約二・六倍の値段。しかも、春キャベツ。

 春キャベツは巻きが緩やかで、冬のキャベツと比べると密度的には高級だ。栄養価が優れていようと、高いもんは高い。

 

 無造作にカゴに入れようとした自分が怖い。

 

 伸ばした手を引っ込めるついでに、眼鏡を押し上げる。

 

 落ち着け。打開策を考えよう。

 

 本日のメニューはお好み焼きだった。広島風にするか大阪風にするか、脳内で激しい争いが繰り広げられるほどにお好み焼き腹になっている。そんな中、キャベツが高いのは非常にマズい。

 

 そんなにお好み焼きが食べたいならオンラインで頼むか、食べて帰ればいい。何ならスーパーのデリカや冷凍食品コーナーでも買える。

 しかし、違う。

 

 俺が食べたいのは、自分で焼いたお好み焼きなのであって、他のもんではない。

 

 

 男三十三歳、独身、一人暮らし、どこにでもいる会社員。趣味は自分の飯を作ること。

 

 自炊のメリットは、好きなもんを好きな味付けで安く食べられるところだ。お好み焼きなら焼きそばを入れるか否か、餅やチーズ、マヨネーズに青のりとちょっとしたアレンジだけでも、選べる。

 体調や気分で自由にカスタマイズできるところが最大のメリットと言える。

 

 

 それが、だ。

 まさか、キャベツにこんなに悩まされることになろうとはな!

 

 閉店間際のスーパーで、キャベツを前に不敵に笑う中年サラリーマン。他の客にさりげなく避けられているのに気づいて、そっと戦線から離脱する。

 

 豆腐コーナーまで下がって、遠目に敵を見た。スーパー独特の食い込み数字は、やはり四百円と読める。

 

「さよなら、俺のお好み焼き」

 

 ため息一つ残して、野菜コーナーからさらに遠ざかった。自分で料理する三大柱、コスパ、うまさ、臨機応変の内、二つを失うわけにはいかない。

 

 豆腐に油揚げ、納豆を見ながらキャベツから遠ざかる。

 

「くそぉ」

 

 腹が鳴った。無償に腹が立つ。

 

 臨機応変にしているつもりが、思いのほかダメージが大きいのは、昼飯を食べそこなったからだ。同僚と入った定食屋で、注文したBランチが届いた瞬間、スマホが鳴った。電話の相手は気難しいことで有名な取引先で、出ないわけにいかない。湯気の出るランチを置いて席を立つしかなかった。幾度目かの同じ愚痴を聞いて、やっと通話が終わったとき、同僚が定食屋から出てきた。混雑し、並ぶ人がいる店内にもう戻ることはできなかった。

 

 飯でさえままならぬ。

 

 いい大人がこの様だ。こんな世の中なんてポイズンである。

 

「だが、俺には勝機がある」

 

 納豆コーナーを曲がれば、そこは肉コーナーだ!

 

 値引きシールが貼られるパックの争奪戦が静かに繰り広げられる中、物色して流す。春キャベツの攻撃を回避した俺に、何も怖いものはない。

 

 豚バラ肉のパックを手にして、ニヤリと笑った。

 今日の夜飯はチヂミだ!

 

 

 

 

 台所で、キッチンスケールにボールを乗せる。

 小麦粉に片栗粉、砂糖少々を混ぜてから、そこに水と卵、隠し味の

醤油をたらして、また混ぜる。

 

 キッチンスケールがなくても料理は作れる。計量カップ一杯の小麦粉はだいたい百gだし、大さじは九gだ。俺は計算するのが面倒なもんで、キッチンスケールでズバァンと一気に測る。洗い物が増えるのが嫌だから、どれもこれもボールに直に入れる。何、失敗したところで、食べるのは自分だ。

 

 ここに安いときに買ったニラを刻んで冷凍したやつと、キムチを好きなだけ入れる。豚バラもたっぷり入れるのが俺流。

 なにしろ、今日はチヂミだけで栄養を補充したい。

 

 うまくて、楽。これ最高。

 

 ごま油をしいたフライパンに薄く広げて、焼く間に、冷蔵庫からお楽しみを取ってきた。

 

 プシュッ

 

 音だけで何かわかる人はお友達になれる。

 

 最初の一口は思う存分、次からチビチビやるのが俺流。ビールは腹にたまるから、ガブガブやるとせっかく作った飯が食べられなくなってしまう。

 

 フライパンの音が、パチパチと軽くなったら、ひっくり返す合図だ。

 

「あらよっ」

 

 チヂミは圧倒的に楽だ。

 お好み焼きより具材が少ないし、キャベツを切る必要もない。焼けるのも早ければ、ひっくり返すのも楽。

 二枚目を仕掛けてから、焼きたてチヂミと向き合う。

 

 会社で一日働いたサラリーマンの腹はからっからよ! いざっ!

 

 頬張ろうとして、眼鏡が曇った。

 

 危ないところだった。

 

 実はかなりの猫舌だ。コンタクトにしないのは、眼鏡が実に優秀な火傷回避センサーになっているからである。

 

 荒ぶる胃を抑えるために、食卓にまで移動してチヂミの写真を撮る。SNSに投稿してから、やっと一切れ。もう一切れ。

 三切れ目でようやく、タレを思い出し、ポン酢しょうゆをつける。ビールを飲む。

 

「あ゛~……」

 

 二枚目に突入したところで、コチュジャンをつけて味変。

 ここまでくると、コチュジャンの量をコントロールできる。

 

「ふふふん。緑のニラに赤いキムチが映えるじゃない? 健康的よね」

 

 若干の酔いもあるのか、脳内に住むお姉様の言葉に、自分で頷く。野菜がうまいのは、たっぷり入れた豚バラのおかげだが、そこはソレ。

 

 ちなみに、普通なら先に食用油で、仕上げにゴマ油だが、俺は一度しか入れない。なぜならば、二枚食べたいから。二度油を使ったら胸やけしてしまう。だが、ゴマ油の香りはマストだ。

 

 満ち足りた後に、SNSを開けば、今宵も数人のお馴染みさんから痛烈なコメントがあった。

 

「こんな時間に飯テロか!」

 

「中谷ぃ=!!」

 

 これぞ飯ウマ。究極のスパイス。

 

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