毎日、毎日……。
およげたいやきくんの曲が脳内で流れ始めて、顔をぴしゃりとはたいた。
不平不満、あるいは極度の疲れが溜まると決まって脳内でおよげたいやきくんがループ再生される。これは危険信号である。
休まねばならぬ休まなるが、休む覚悟が聞きたい。といったところか――。
だめだ! 重症である。
休めないなら、ガスを抜かねばなるまい。
ふつふつと沸く疲労を、プシューと抜く物は何だ?
電車から、ローソンの看板が見えた。
これだ!
何を隠そう、ローソンのアイスカフェラテが好きである。たっぷりの冷たい牛乳に、エスプレッソが最後に入る。あれがたまらない。
家でやっても、ドリップではあの味は出ない。
かくして、サイゼリヤでもエスプレッソマシンがある場所では、必ずエスプレッソを楽しむ。高圧をかけてコーヒー豆の成分を抽出するあの音がまたいい。うまさを保証している。
今までも、散々エスプレッソマシン購入を検討してきてはいる。ただ、マシンはでかい上に高い。休日出勤までして日銭を稼いでいるのに、この上、なけなしのボーナスを全投入するわけにはいかんのよ。
次に候補にあがるのが、マキネッタ。キャンプ用品でも有名だが、でかいマグカップを2つ重ねたくらいの大きさで、圧をかけて抽出できる。値段もマシンほどではない。なら買いだと思うだろうが、圧力が違う。
エスプレッソマシンの圧力は9、マキネッタなら2だ。当然味が違う。
高くそびえる値段の壁に、場所の壁、味の壁がそびえたつ。
こうなると、諦めてしまう。
ドリップでも十分おいしいし、豆を変えたり、泡を落とすかどうかで楽しむことはできる。
だが!
今は違う。
心の中の、ブラック中谷が立ち上がる。
心の圧力、抜きたくはありませんか?
自然に裂けちゃったら、治りませんよ。
なら、マキネッタでプシュッと弱めの圧力、かけちゃいましょうよ。
食べもんに関しては、ブラック中谷の力が断然強い。すすいっとスマホで検索をし始めた。
ふふんふんふん。
おいしさの証であるクレマが立つマキネッタは、イタリア製のブリッカか、国産のコフィカなのか。
候補はこの2つに決まったが、選ぶ要素が国しかない。ここは、ツイッター(何を言われてもツイッターはツイッター)のみなさんにお知恵を拝借しようではないか。
アンケート機能を使って、どちらがおすすめなのか聞いてみる。
これで休日出勤の初日は乗り切れる。
結果の通りにブリッカをぽちり。3日目には我が家にマキネッタがやってきた。
「ようこそ!」
おもちゃを買ってもらった子供のごとく、すぐに包装を解いて取り出す。銀色のマキネッタがあるだけで、何だかコーヒー通になったような気がする。
コーヒー通って、何か敷居が高いよね。ワインみたいに、好きってうっかり言おうものなら、わけのわからない言葉でいろいろ話しかけてもらうのに、何一つわからないで、残念な顔をされるイメージがある。
憧れるけど、遠くで見てた方がよさそうな感じ。
それが、我が家にあるわけです。クククク。
マキネッタは、買ってすぐに使えるわけではないらしい。(ここも俺には壁だった)
水で1回、豆を入れて3回使って、計4回分捨てる。(懐が痛い)
使えるようになるまでに時間も金もかかる。
楽しみのはずが、己を励ましながら使うわけだ。
覚悟を決めて、最初の1回目を火にかけた。
何だか、直火ができそうにない見た目なのに、五徳でガスにかけるのも台無しにしそうで怖い。
すぐにシューシュコッ、ジュジューと音がし始めて、またビビる。
「えっと、音が出たら止める? 音が変わったら止める?」
スマホで使い方を見ながら、とりあえず火を止めた。
湯を捨てて、分解しようとして止まる。
待てよ。これ、熱で圧力がかかってるなら、冷めるまで開かないんじゃないか?
両手にミトンの情けない恰好で、マキネッタと対峙する。
うん。冷えるまで放っておこう。
しばらくの後、今度はコーヒー豆を入れて2回目だ。
分量分の豆はエスプレッソ用にミルで挽いた。
手動ミルでコーヒー豆を挽くっていうのも、憧れる要素の一つといえる。
脳内では、バリスタばりに腰までのギャルソンエプロンをかけた俺が、手動ミルでごりごりと豆を挽いている。めっちゃかっこいい。
シューシュコッ、ジュジュー
火を止めてっとぉ!?
ブシュワー!
抽出液がマキネッタからあふれ出た。
うわわわわ!
パニクリながら、火を止める。ミトンでマキネッタを持ち上げて、流しに移動するが時すでに遅し。
ガスコンロから流しまでに、濃厚な抽出液が大量に流れでている。
トホホホ……。
爆発するとは聞いていたが、ダメージがでかい……。
楽しいコーヒー生活、憧れのバリスタを夢みて買った結果、夜中に台所でコーヒーの染みと格闘している。
なんか違う。でも、楽しい。
この手に負えない感じ。
練習してモノにしたるでって感じ。
燃える。
2回目は、マキネッタに張り付いて待機し、音が出ると共に火を止めた。
爆発はしなかったが、抽出が甘く、水分が下に残っている。
3回目は、火をもっと弱くしてみた。時間がかかるだけで、まだ抽出は甘い。
いよいよ4回目。
金がもったいないとか細けぇことを言っていたが、じゃじゃ馬を慣れさせるために必要な時間だったと言える。
遊びはこれまでだ!
張り付いて待機し、液体があがってきたのを確認してから火を止めた。
ぶわわっと沸き上がってくる抽出液を、皿で受け止めながら流しに移動する。
中を見る。
眼鏡が曇る。
冷えた牛乳を入れたマグカップに注いで、一口。
「あ、これこれ。近いな」
ドリップとはまた違う濃厚さ。
これを楽しみにしていたのだ。
じゃじゃ馬に慣れるというよりは、こちらが慣らされたわけだが、まぁ、そんなもんである。相手を変えるより、自分が変わる方が早くて楽なのはコーヒー生活にも共通するらしい。
すすいと検索する。
「爆発するのは挽き方が荒いせいです」
あ、そなの?
脳内のバリスタ中谷に、ブブーっと赤い×マークがついた。
うまくガスは抜けたからいいか。