中谷秀和の飯テロ生活   作:藍色 紺

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55 甘じょっぱい残業代(いなり寿司)

 おかしい。やってもやっても仕事が終わらない。終わらぬどころか、タスクが増えていく。ホワイトボードに目をやって、はたと気づいた。

 

「あれ? なんか休み続いてね?」

 

 何気ない声に、部署が静まった。

 

 会社の小さなホワイトボードには、誰が今どこにいるかの一覧がある。社内にいなければ、書いておく。例えば、俺の場合は9/17~9/18富士山(帰社予定時間)、9/24~25赤城山(帰社予定時間)、10/1~10/2兼六園(帰社予定時間)となるわけだ。

 そのホワイトボードの下部には、有給取得者の名前を書くことになっているのだが、……。

 確か、富士山に行ったときにもあった名前が、今日もある。そして、この静まり具合、だ。

 

 こりゃ、地雷だったか……。

 

 たまに耳にするやつだ。風邪か何かだと思っていた休みが、一週間になり、二週目には怪しまれ、三週目には告知がなくても周知の事実になるやつ。

 よそでは聞いたことがあった。もう二人目だよとか聞いたら、苦笑いするしかなかった。

 それが、今や我が部署に来ている。これで春から三人目だ。

 

 誰が悪いというわけではない。と思う。

 ただ、誰かが来なくなると、その分の仕事がなくなるわけではない。誰かがそれをすることになる。一人減ると、何故かその人の仕事は均等に分配されない。なぜか俺に偏る。結果、3週連続で出張に行くことになったわけだ。

 

 バレないように溜息をつくと、デスクにチョコウェハースが差し出された。

 

「コーヒーでも行くか」

 

 チョコウェハースな同僚が「いいスね」と笑い、連れだって給湯室へと旅立った。限界が来る前に社内で幸せを実感する。これが俺が生き残っている理由である。今んところ。

 

 

 

 もう、こんな日は、いなり寿司しかないのよ。

 鶏肉のそぼろを煮ながら、いなり寿司の重要ポイントをおさらいする。

 鶏肉のそぼろ煮は、しょっぱめ、炒り卵はほわっと優しく甘めに、さやいんげんで彩を添える。それらとゴマを炊き立ての白米に混ぜ込む。普通なら酢飯に入れるのだろうが、俺の場合は白米にする。いろいろ入れる具材の味を楽しみたいゆえに。

 それらを軽く握ったのを、煮たお揚げに詰めていく。これが結構面倒くさい。

 そもそも、そぼろに炒り卵、さやいんげんなら三食丼にすれば楽に食べられる。それをわざわざ握って、詰め、さらに形を整えながら握り直す。ほおばったときにほろっとなり、手に残った方が崩壊しないそんな絶妙な力加減で握るのは面倒といえば面倒である。けど、それが好きだ。

 

「口ん中で混ぜたら、味は一緒、試してみて」

 

 同僚は、包むのではなく巻く派らしい。お揚げを海苔のように酢飯に巻いて食べるらしい。おすすめに従って、巻いて食べたことがある。

 

 結論、俺は包む。

 

 同僚は、巻いて食べればいい。だが、俺は面倒でも包む。煮たお揚げが口にふれるじゅわっと、ツルっとした感じ。プツンと切れた中から出てくる白米。噛んだ時に甘い、しょっぱいが交互に来て、ツプンツプンとしたゴマの食感と香り。これらの刺激を十分に楽しむためには面倒くささは織り込み済みである。

 

 俺の幸せは、お揚げの皮くらい薄く、ゴマほど小さい。そんなちっぽけな人間なのだ。小さいから、苦労のつけ入る隙間はありません。おいしいのだけ入れてあげるね。

 

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