中谷秀和の飯テロ生活   作:藍色 紺

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68 午前四時のパン屋ごっこ(惣菜パン)

 午前4時。

 正気とは思えぬ時間に台所に立つ。

 

 ひやっとした床に、靴下を探しに居室に戻る。静かなアパート、窓から見える外はまだ暗い。

 

 何やってんだか。

 

 土曜の早朝。一週間の疲れを癒すための時間に、ベッドから抜け出した自分に呆れてしまう。

 だが、やむをえまい。

 

「中谷ベーカリー、本日開店」

 

 顔を洗って、鏡に映った自分に微笑む。

 

 そう、今日はパン屋さんごっこをすると決めている。

 

 ことの起こりは、出張だった。

 満開の桜の時期に、行った出張先の真の目的である人気ベーカリーに、寄り損ねた。仕事という鎖が俺に絡みついたからだ。

 泣く泣くその地から離れ、俺の心の中には、買うはずだったお惣菜パンが残った。

 

 何としても食べたい。

 食べたいのなら、作るのが主義である。

 

 4種類のお惣菜パンを作る。となれば、それはもはやパン屋である。

 なら、パン屋さんが開店する時間に仕上げたら楽しそうである。

 朝8時半に開店。そのための、この時間だ。

 

 

 盛大に寝ぐせがついたままの頭で、あくびをしながら強力粉を測る。

 4種類を4つずつだから、粉類だけでなかなかの量になる。

 今日食べる分、明日食べる分、明後日の朝と弁当、どれも譲れない。

 まぁ、パン屋さんなら余裕だろう。

 

 牛乳にぬるま湯、塩を先に溶かす。

 パン作りの一家言は何かと聞かれたら、水の量と温度と言える。

 強力粉に水分を含ませながら、手の感覚で生地と会話する。

「今日はしっとりしてんね。水少なめにしとくな」

 雨の日や、雨上がりはこういうことが多い。

「昼間は半そでなのに、今は寒いね。ちょっと保温するか」

 真冬なら、部屋ごと暖かくするし、今ぐらいなら自分の手でも十分生地が温まる。

 

 今日の生地は――、ご機嫌だな。

 

 指から離れる具合といい、なめらかさといい、大変よろしい。

 

 こんな風に、手間をかけた分、応えてくれるのがパン作りの醍醐味だ。

 パン屋さんごっこがしたくなる要因である。

 

 パンチクリンに張りのある生地を、オーブンに入れる。

 発酵時間は長めの2時間。

 

 食パンなら、昼寝の時間なんだが――。

 今日は、職業としてのパン作成である。昼寝などしている場合ではない。

 

 パンの生地は1種類だが、具と包み方を変えて4種類作る。

 中の具を4種類用意しなければならない。

 さすがに2時間あれば余裕だろう。

 

 1つめは、コーンにチーズマヨ。

 冷凍コーンを湯がいて、チーズマヨ、コショウで和えておく。

 

 2つめは、めんたいポテト。

 コーンを湯がいた湯で、薄くスライスしたじゃがいもを茹でる。

 明太子をほぐし、海苔を刻んでおく。

 

 3つめを作ろうとして、息をついた。

 疲れてきたな。

 しょぼくれた目で時間を見たら、4時40分。

 まだパン屋になって1時間も経ってない。

 

 3つめが終わったら、コーヒーでも飲もう。開店前の一杯くらい、許されるはずだ。

 

 改めて3つめは、ツナにみじん切りにした玉ねぎを入れて、マヨで和える。

 

「さて、と」

 

 オーブンで発酵中の生地を外から確かめる。

 ボウルの中で、やや膨れた生地ににやけてしまう。

 

「がんばっとるな……、俺も頑張ろ」

 

 4つ目は、キーマカレーだ。

 本当、これが最大の山場だと思っている。

 行きたかったベーカリーの目玉商品は、『牛肉ごろっとプロのカレーパン』だった。

 もう、そんなん、名前だけで買ってしまう。

 カレーパンってだけて食べたいのに、牛肉がごろっと。

 しかも、プロのよ。なんていうか、プライドを感じさせる。

 絶対負けないカレーパンだ。

 あぁ――、食べたかった。もう、カレーパンを外すことはできない。

 

 でも、カレーパンを作るためには、カレーがいる。

 

「まだやんの?」

 

 俺の心の中の、ミニ中谷が文句を言う。

 

「パンを作るだけで手一杯だろ。カレー作るなら、カレーでいいじゃん。カレーパンにこだわる必要ある?」

 

「じゃあ、カレーフィリングはレトルトにするよ。それなら」

 

 それなら?

 そこ、手、抜くとこ?

 

 ベーカリー中谷なんて笑っちまうね。

 牛肉ごろっとプロのカレーパン、目指してんじゃないの?

 

 あぁ、そうだった。

 ――、危ねぇ。

 

 週末に、ベーカリー中谷をすると決めてから、こつこつ計画立ててきた。

 何時に起きるか。

 必要な材料は何か。

 土曜の買い出しでは、間に合わず、夜遅くスーパーに寄りさえした。

 

「中の具にも手は、抜かない!」

 

 蛍光灯の下で、眼鏡が光る。

 やるしかない。

 

 玉ねぎ、セロリをみじん切りにし始める。

 何、手間がかかっても、夜、カレーにすればいいだけだ。

 朝早く起きた結果、夜うまいカレーが保証されると思えば、いい。

 

 

 カレーを煮込む間に、ようやくコーヒーを淹れられた。

 台所の椅子に座って、眼鏡を曇らせる。

 

 ぐつぐつとキーマカレーが煮える音、芳醇なコーヒーの香り。

 目を瞑ってしまうほど、心地いい。

 閉ざされた空間、ここまで完璧な工程――。

 

 ピーピーピー

 

 電子音に慌てて立ち上がる。オーブンを開く。

 

「できちゃった――」

 

 約2倍の大きさに発酵し終わった生地を見て、鍋を振り返る。

 

「どーしよ、カレーができる前に生地ができちった」

 

 俺の計画では、できたカレーを皿に広げて冷ましてから、生地ができるはずだった。

 計画破綻である。

 

 打開案が展開される。

 今できてるカレーを具にするのは?

 ダメだ。しゃばしゃば過ぎて、包めない。

 カレーをキーマカレーにしたのも、水分量が少ないカレーにしたかったからだ。ここを妥協するわけにはいかない。

 

 じゃあ、まだ暖かいカレーを包むのは?

 それもダメ。

 包んだ後、二次発酵が待っている。うまく発酵させるためには、高温で酵母を殺すわけにはいかない。

 

 じゃあ――。

 ぼんやりした頭で、台所に並ぶ3つの具と、パン生地を見る。

 

 まぁ、包んでいこか。

 

 経験上、包むのには時間がかかる。

 イチかバチか、包みながら煮込みと冷やすをやる。

 

 

 ちまちまと具を包み始める。

 パンの楽しみといえば、いろんな形があるところだ。

 コーンチーズは、チーズとマヨを焦がしたいから丸めて、ハサミでちょん切る。

 すると、中に包んでいた具が表面に出てくる。

 

 次のめんたいポテトは、じゃがいもの輪切りが見えるように包み、上からほぐしためんたいこを伸ばす。じゃがいもとめんたいこの鉄板のうまさをダイレクトにお客さんに伝える。薄いから食べやすいってのもある。焼き上がったら海苔で完璧。

 

 できあがったカレーを皿で冷まし始める。

 皿の下には、保冷剤。

 まだ、挽回できる。

 いける。

 

 ツナはそれだけで味が豊かだから、包んでから、上の方だけハサミで切る。チューリップみたいな形にして、味を閉じ込めながら、噛みつくとツナの香りが上から抜ける計算だ。

 

 いよいよカレーを包むとなって、指で温度を確かめる。

 

「いけるぞ」

 

 カレーは、丸く伸ばした生地に、細く伸ばした生地で土手を作る形にした。

 生地を伸ばす。

 

「8cmってことは、円周が――」

 

 まさか、朝日を浴びながら、円周を計算するとは思わなかった。

 小学生の粘土遊びのように、にょろにょろと生地を伸ばし、土台にくっつけていく。

 

「あぁ、もう疲れた。あと何個?」

 

 パティスリーボードの上の残った生地は2個分だ。

 

「もう座りたい。寝たい。疲れた」

 

 あんなに楽しみだったのに――。

 

 違う。こんな気持ちになりたかったんじゃない。

 おいしいのを作りたい。

 

 焼きカレーパンにしたいのも、牛肉ごろっとにせず、キーマカレーにしたのも、包みやすくするためだ。

 それで、頬張ったときにカレーの香りが鼻にも口にも広がって欲しいかったから。

 

 雑に伸ばした生地を見て、やり直す。

 

 どうも俺は、パン屋にはなれない。

 仕事となれば、16個程度では済まない。

 

 パン屋には、見渡すばかりのパンの種類が並んでる。

 どれを選んでもいい、けど、食べられるのはせいぜい4つ。

 どれにしようかな。

 

 あの楽しみは、この先にあるわけだ。

 

 包み終わって、200度のオーブンへIN。

 あと18分で、本日最初のパンが焼き上がる。

 

 

「中谷ベーカリーには遠いな」

 

 大きなあくびをして、笑った。

 

 少なくとも、三日間の幸せは保証されている。

 パンが焼ける匂いに、腹が鳴った。

 

 寝る前に、1個だけ食べよ。

 

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