桃がある。
出張先で立ち寄る道の駅で、桃と出会ってしまった。
買いたい。
でも、買えない。
気温は36度を超えている。車中では、何度になるか。生の桃が無事ではないというのはわかりきっている。
桃は無理か……。
侘しさを抱えて、農産物を見る。
決して、私利私欲のためではない。
これは、営業的戦略である。
地方への出張では、道の駅でその土地ならではのものをインプットする。
さすれば、出張先の人との会話につながる、というわけだ。
「蜂の子の瓶詰を見ました」だけで、食べてなくとも会話になる。
好き嫌いも含め、うまくいけばうまい食べ方を教えてもらえる。
そして、見つけてしまった。
「赤米」の二文字。
手に取る。
赤というより、赤紫色の米が小分けされている。
パッケージには、「米一合にカレースプーン一杯を混ぜて炊いてください」とあった。
思わず、にやっと笑ってしまう。
親切なんだか、不親切なんだかわからない。
こんな部分も道の駅の楽しさだ。
米一合は定量だ。対して、カレースプーンは定量ではない。
大きなスプーンもあれば、小さいのもある。
でも、なんとなく雰囲気で伝わるだろうというところが、なんというか愛嬌がある。
「米一合に対し、15g」と書かれるより、秤がない家には親切だ。
「買うの一択。それ以外なし」
赤米を手に取り、レジ前の冷蔵庫で引っかかる。
「こっ、これは……!」
野沢菜だ。
脳内に炊き立ての赤米と、野沢菜が並ぶ。
だが、野沢菜は冷蔵品だ。
さっき、桃を諦めたのと同じ理由で、野沢菜は危険すぎる。
しかも、野沢菜は近所のスーパーでも買える。
だが、目の前にあるのは、ここで漬けられた野沢菜だ。
でもなぁ――。
脳内で、寸劇が始まる。
出張から、帰る俺。
暑い中、慣れない場所で仕事をこなし、その上、長距離を運転して帰る。おそらく神経も肉体も疲労の限界を迎えている。
窓を閉め切っていた部屋は、空気がよどんでいるはずだ。
なのに、窓を開けても、隣の家の室外機の空気が入るだけ。
そんな生活に、野沢菜があっても、いいんじゃなぁい?
お水だけじゃなく、塩分をおいしくとっても、いいんじゃなぁい?
あり! これは健康のためのマストアイテムだ!
保冷剤! 野沢菜は君に任せた!!
とやったのが、昨日。
お約束通り、どろっどろのくたっくたになって中谷帰還。
何よりもまず、リュックを漁って、野沢菜を出す。
どうにか、まだひんやりしている。
ほっと胸を撫でおろし、まずは赤米。すぐ赤米。何はなくとも赤米。
米二合にカレースプーンを二杯混ぜて、水を吸わせる間に、風呂。
米を土鍋で炊く間に、荷解きをし、洗濯機を回す。
そして、いざ、野沢菜だ。
まな板に大きな野沢菜の漬物を乗せる。
包丁で、ザクっ、ザクっと切る。
もう、この音がうまい。
土鍋の火を消して、蒸らす間に、エアコンの効いた居室に入る。
「あ~、ビール飲みてぇ……」
いつもなら、既に一杯ひっかけてるところだ。
しかし、今日は待たねばならぬ。
薄れていく意識の中で、どうにかスマホを操作した。
アラーム音で目が覚める。
「んあ?」
どうやら、ベッドに寄りかかり、片手にスマホを持ったまま寝ていたらしい。
身体を軋ませながら立ち上がり、台所までよろよろ歩く。
盆に、土鍋ごと置く。
しゃもじに、どんぶり鉢、野沢菜がぐっすら入ったタッパー。そして、麦茶。
土鍋の前に座る。
カレースプーン二杯の赤米は、白米をどんな色に変えたのか。
そもそも、ちゃんと炊けているのか。
期待に、少しだけ眠気が引いた。
土鍋の蓋を取った。
眼鏡が曇る。
慌てて外し、もう一度、土鍋をのぞいた。
「おぉ……」
もうもうと立つ湯気の向こうで、白米がピンク色に染まっている。
白米と赤米のバランスもちょうどいい具合だ。
カレースプーン一杯。
曖昧な説明で、本当にちょうどいい。
実のところ、真剣だからこそ曖昧でなければ、ちゃんと表現できない部分っていうのはある。
こういうの好きなんだよな。
低く笑いながら、どんぶりに炊き立て赤米ご飯を入れる。
さらに、野沢菜をライドオン!
完璧である。
喉が鳴る。
まずは、箸で赤米ご飯だけ。
噛んだ瞬間、プチ、と小さく弾けた。
もう一度噛む。プチ、プチ。
「おもしろい」
香りは白米と大きく変わらない。
味にも癖はないが、しいて言えばピーナッツの皮みたいな渋みがある気がしないでもない。
それすら、歯ごたえが凌駕する。
あぁ、赤米を食ってる。
その幸せが、疲れ切った身体に満ちる。
そこに、野沢菜をほおばる。
シャキシャキした歯ごたえに、爽やかな酸味。
野沢菜一口で、赤米ご飯三口はかたい。
野沢菜、飯、飯、飯。
野沢菜、飯、飯、飯。
搔き込むように喰らい、麦茶をガバ飲みする。
「ぷはっ」
肩で息をする。
炊き立てご飯の香りが、もう幸せだ。
どんぶりに新しく赤米ご飯をよそう。
宮沢賢治は、一日に四合の玄米を食べたというが、わかりすぎる。
彼はつましい生活を書いたのかもしれない。
だが、俺にとっては、幸せの時間だ。
あぁ、赤米は、大陸から伝わった古代の米と言われているとか、
元祖赤米と言われているとか、
ポリフェノールとビタミンが多いとか、
いろいろ赤米を大量に食う理由を考えていたが、
全て間違いである。
赤米を食う理由は、
うまいから。
腹が満ちれば、しばし休める。