いつもの時間、日差しが痛い中、いつもの通勤電車にそそくさと乗り込んだ。
あれ? 人少なくね?
座れないはずのシートで、汗をふきながら、周りを観察する。
心の中で、勝手に同士扱いしているくたびれたサラリーマンも、素敵なお姉さんもいない。
代わりに、旅行鞄が転がっていかないように押さえている人が目立つ。
あぁ、世間は夏休みか――。
俺は例によって仕事である。
まぁ、家族がある人は、そっちを優先してほしい。
その方が平和だ。
とはいえ、どこか納得いかない。
俺もなんか、夏っぽいことしたい。
「夏にしたいこと大会!」
号令に、頭の中で、ミニ中谷が集まってきた。
「せーの!」
海! 暑すぎるやろ。
キャンプ! もっと暑い。
BBQ! あれね。あれは、準備と片付け的に却下。
ミニ中谷たちは、ぶーぶー文句を言いながら去っていった。
残ったのは、控えめにスケッチブックを掲げているミニ中谷だ。
「野菜」と緑色で大きく書いてあるわきに、赤色で「肉も!」とある。
そうなんよ。
肉が食いたい。
でも、野菜も食べないと身体に悪いし、なにより――。
腹周りが気になる。
「いやぁね。夏って薄着になるじゃなぁい?」
そっと、腹を見て、息を吸い込む。
……うん。
見なかったことにはならない。
でもなぁ。肉、食いてぇよなぁ。
どこかに姿を消したミニ中谷が、一斉に「ヤー!」と肯定した。
健康的な肉があればなぁ。
熱にうかされた脳を煙を上げながら稼働する。
そういえば、ラム肉の脂は身体にいいんじゃなかったっけ?
それは、つまり――。
食べれば、食べるほど健康になる!
多少、理屈は飛躍している気もするが、細かいことは気にしない。
世間は夏休み。
夏休みに働いている俺には、多少のボーナスステージがあって然るべきである。
今日は、ジンギスカンだ。
キャベツをざく切りにする。
玉ねぎを輪切りにする。
フライパンに玉ねぎを敷き、キャベツともやしを山のように積む。
その上からラム肉で蓋をする。
以上。
火をつけたら、あとはラム肉の色が変わるまで待つだけだ。
実に簡単。
……だが。
ジンギスカンには、一つだけ重要な工程がある。
これを怠ると、うまさが三割減る。
誰も教えてくれない、俺だけの秘伝である。
スマホから、あの曲を流す。
「ウッ! ハッ!」
正拳突きで、精神を統一する。
ボックスステップからの~、肩をわきわき!
ジン、ジン、ジンギスカ~ン♪
右で、あはははははぁっ!
左で、わはははぁぁっ!
こいつを真剣にやる。
焼けるまで、全力で。
これが、ジンギスカンをノンストレスで食べる秘訣だ。
誰にも見られていない一人暮らしだからこそできる、夏の贅沢である。
焼けたジンギスカンが入ったフライパンを片手に、居室に帰る。
頭の中では、ミニ中谷たちがまだ踊っている。
トングで、ジンギスカンをどんぶりに移す。
眼鏡が曇る。
どんぶりによそった白米へ、まずはキャベツともやしを乗せる。
その上から、ラム肉をどさり。
フライパンの底には、肉汁とジンギスカンのタレが混ざった琥珀色の汁。
脂がきらきら浮いている。
これを回しかけない理由がない。
キャベツやら玉ねぎやらが渾然一体となったのに、ラム肉を混ぜて、ばくっ!
甘い。
ラム肉の甘い脂と、玉ねぎの甘さが、じゅわっと口の中に広がる。
そこに、しょっぱ酸っぱいタレがからむ。
飯、飯。
急いで、白米をかきこむ。
ふはっ、ふぐぐ。
キャベツも、もやしも、玉ねぎも、ラム肉の脂を十分に吸っている。
もやは、こうなれば、これは野菜ではない。
肉だ。
もう、箸が止まらない。
白米が終わったところで、第二ラウンド開始。
ゴングの代わりに、ビールをシパっと開ける。
「ぷはっ」
ラム肉の脂を、苦い泡が一気に流していく。
あぁ、この一口のために踊ったんだった。
またジンギスカンをほおばり、ビールを飲む。
「あー、食った食った」
くちくなった腹を撫でる。
「……揺れたな」
まぁ、ラム肉は身体にいいらしいし。
細かいことは、また明日考えよう。