「明日は、何曜日だっけ?」
何気なくカレンダーを見てしまった。
奇跡的に続いていた赤い日は、明日の水曜日で終わりだ。
脱力し、後頭部はベッドへ、持っていたゲーム機は太ももへ落下する。
だめだ。
このままむざむざと連休を終わらせるわけにはいかない。
どこかに出かける?
この雨の中?
秋らしい気温は大歓迎だが、もう雨は満足している。
であれば、アパートでできることがしたい。
問題は、それが何なのか、ということだ。
欲望の靄をかき集め、矛で混ぜていく。
もろもろした欲望は、すぐに形を成した。
「パン焼こう! ……でもなぁ」
時計を見ると、もうすぐ夜の十一時。パン焼きには五時間はかかる。
今から焼いたら、寝不足で、木曜からの仕事に――、おっと皆までは言うまい。
五時間ねぇ。何も五時間ずっと作業しているわけじゃない。
仕込んで二時間の一次発酵待ち。
手入れしてから二時間の二次発酵待ち。
二時間に一度起きればいいわけだ。
だが、それを幾度となく失敗しているからこそ、踏み切れない。
気が付くと、惰性でゲームにエントリーし、1ゲーム終わったところで溜息をついていた。
「でもなぁ、じゃない。何か方法があるはずだ」
立ち上がって、冷蔵庫を開ける。
いつも通り、パンの材料は揃っている。
「固い系のを、オープンサンドにして食いたい。クリームチーズをナイフで塗って、そんで、生の玉ねぎのせるやつ」
それにふさわしいのは、カンパーニュだろう。
……、待てよ。
「オーバーナイト仕込み! これなら!!」
夜に冷蔵庫に仕込んで、低温で長時間発酵させる。
それを、朝焼くという仕込み方法だ。
俺が寝ている間に、イーストには働いてもらえる。
なのに、今までしたことがない。
通常と違って、イーストの量が極端に少ない。この極端さが、俺に待ったをかけていた。
手間も暇もかけるのだから、確実にうまいものが食いたい。
でも、今なら、チャレンジする価値あるんじゃね?
新しい扉、開いちゃおうか。
小麦粉に塩、水、砂糖にドライイーストを計量し、手でざっくり混ぜる。
ここで三十分待ち。
ゲームをする。
四十分後に慌てて、捏ねる。
また三十分待ちでゲームする。
そしたら、タッパーに入れて冷蔵庫にIN!
俺は寝られる。イーストズよ頑張りたまへ。
翌朝、寝ぐせをみょんみょんさせながら、冷蔵庫を開いた。
「うぉ」
タッパーの蓋が持ち上がっている。
元気だ。元気すぎる。
何がいけなかったのかは理解している。
あまりに少なすぎるイーストが不安で、倍入れたからだ。
慌てて冷蔵庫から取り出した。
レシピ通りなら、タッパーのまま一時間常温に戻していく。しかし、このまま常温に戻せば、生地は溢れるだろう。
溢れた生地は戻せない。
しかも、俺の勝手な采配で発酵は予定よりも大幅に進んでしまっている。
なら、そのまま使う方がいい。
覚悟を決めて、パティスリーボードに粉を打つ。
生地を落として、拳で生地を押す。
ぷすっ、ぷしゅっ
ガスが抜け、縮んでいく生地。
やや粗目に形を作って、常温に戻すために放置だ。
その間に、貴重な最終日の予定を組み立てる。
この後、生地の温度が18度になったら、二次発酵に入る。
そしたら、二時間の間に、買い物に出よう。
クリームチーズに、生ハム。
そんなお洒落な食材は常備していない。
ワインも欲しいところだが、そういうわけにはいくまい。
急ぎ足で、買い物から帰ったら、発酵終了3分前。
妙な声を上げながら、ナイフの用意をする。
発酵中のオーブンから、ふるふる震える生地を取り出す。
そこに、ナイフで十字を入れる。
ピリピリピリ
傷に耐えかねて、十字に大きく開いていく。
これが、ハード系のパンを焼く楽しみだ。
ここにオリーブオイルをたらす人もいるが、俺はこのまま焼いてしまう。
230度とカンカンに温めたオーブンに丸い生地を入れる。
その上から、余熱してあるボウルを被せる、のだが、これがなかなか難しい。
ボウルは球体で持ちにくい上に、ミトン越しでも、だいぶアチチである。
だが、ちんたらやってしまえば、オーブンの温度が下がってしまう。
暑かろうと、やるしかない。
「ふぅ」
オーブンの窓から中を見る。
超高温注意! の点滅の中、ボウルが熱せられている絵面に、気分が高まって来る。
今日、俺はカンパーニュを焼いている。
初のオーバーナイト仕込みで。
「これは、もっとうまく食わにゃならん」
かと言って、オープンサンドの具はもう十分だ。
「スープでも作るか」
野菜たっぷりのスープなら、肌寒さも却ってうまい具合にうまさになる。
玉ねぎ、キャベツ、じゃがいもにマッシュルーム、えのきを炒める。
オーブンを見る。あと二十分。
塩こしょう、ブーケガルニに少量の醤油を入れる。
オーブンを見る。あと十六分。
小麦粉を振り、とろみをつけて、牛乳を入れる。
味見して、悩む。
もう少しパンチがあった方がうまいか?
足りないのは、肉かベーコンのうまみ。
ちらっと、オーブンを見る。
窓ごしから見えるのは、ボウルだけ。カンパーニュがどうなっているのかはわからない。
今日は、肉はなしだ。
カンパーニュがあるからな。
居室で待てず、台所の踏み台に座って、文庫本を開く。
オンラインゲームでは、オーブンの終了音で終われない。
軽快な音で、文庫本を閉じながら立ち上がる。
ミトンをつけるのももどかしい。
天板を引き出し、すべるボウルを何とか持ち上げる。
眼鏡が曇る。
ここでボウルを滑らせて、カンパーニュを潰したら大変だ。
気を引き締めて、ボウルをシンクに置き、ミトンを取ってから、眼鏡を拭いた。
すちゃっと装着する。
やや茶色が強いくらい焼けたカンパーニュ。
十字の裂け目だけが白い。
パリっ、ピシっ
「いい音で鳴くね」
非常にそそる。
美しい球体を、ブレッドナイフでがりがり切り分ける。
湯気と共に現れたのは、大小の穴。
この穴がうまい。
切り分けたカンパーニュに、クリームチーズをたっぷり塗りたくる。マスタードを少々、生玉ねぎに、生ハム、そこに黒コショウをがりがり削る。
食う前から、もううまい。
パリっ
もちっ
食感の違いに身もだえる。そこにクリームチーズの濃厚さ。鼻にマスタードのさわやかさが抜ける。生ハムのしょっぱさを生たまねぎの辛みが奪い去る。
息をつく暇もなく、一枚食べた。
それで、眼鏡を取る。
いつの間にか皺を寄せていた眉間を揉む。
「うまいな……」
ただいまの時刻は十一時。
朝からパンを焼いたら二時になってしまう。
使えるんじゃないか? オーバーナイト仕込み!
野菜たっぷりスープを、もぐもぐやって、眼鏡をかけ直す。
「おかわりしよっと」
二枚目のカンパーニュに、手を伸ばす。