最凶を纏う者が行く忘却の譚   作:五目柔目焼そば

2 / 3
身体の涯、意志の涯、
そして、逃れられぬ因縁の涯まで。
闇の底で響くのは、誰の声か。

記憶の底に沈むのは、かつての光か、それとも拭えぬ呪いか。

それは絶望の追体験か、あるいは再起への儀式か。
止まっていた羅針盤が、狂おしく回り、彼方へ消えた回顧録を呼び起こす。

深海に沈む眠り行く島で、男は独り過去を「再演」する。


忘却の回顧録、闇の凪

この島で目が覚めてから、どれくらいの月日が過ぎただろうか。

日は昇り、沈み、星は巡り、月は満ち欠けする。男はそれを数えるのをやめた。

孤独に心がささくれ立つ一方で、常に側にある「強い気配」に、奇妙な安堵を覚えていた。

長い、永いと錯覚する時間は、島の呼吸に合わせてしか動かない。

島は形を変える。

最初は錯覚だと思った。

海岸線の曲がり具合が、昨日より鋭い。岩の並びがずれている。

星の位置が夜ごとに異なり、月はいつも同じ場所から昇らない。

 

――島が、動いている。

 

男は識っていた。

目覚めた瞬間から感じていた気配の正体。

島そのものが、生きている。

巨大な、ゆっくりとした、深海の鼓動。

だから景色がズレる。だから月が、逃げるように移動する。

だが、敵意はない。悪意もない。ただ、視ている。

男を視ている。

だから男も、仕掛けない。

「視られている」なら、「視返す」だけでいい。それが、島との無言の契約だ。

島をくまなく歩く。

新しい発見がある。岩の隙間の化石、苔の下の金属板、廃墟の奥の崩れた石板。

それは地図のようであり、航海日誌のようでもあった。

島は、変わっている。生きている証拠だ。

やがて、中心部へ。

これまで何度も通ったはずの廃墟の奥。崩れた神殿の裏。

 

――なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

 

そこに、木があった。

岩肌を割り、苔を纏い、枝を空へねじらせた一本の木。

実が、幾つもなっている。

赤、青、紫、金、黒。形も、星形、螺旋、滴と様々だ。

どれも掌から溢れるほど大きく、重い。皮の突起が、まるで生き物のように不気味に瞬いている。

男は立ち止まった。胸の奥が疼く。

識っている。

どこで見たのか、誰に聞いたのかは知らない。だが、この実の意味は細胞レベルで理解できる。

 

「食えば、海に嫌われるんだったか……」

 

呟きは風に吸い込まれた。

食べるべきか?

男の視線は、一つの実に吸い寄せられた。

紫色で、パイナップルのようなざらついた皮の実。闇を凝縮したような色。

指が自然に伸びる。だが、止めた。

 

――その前に。

 

この身体が何を知っているのか、識りたい。

海に嫌われる前に。泳げなくなる前に。

己の限界を、確かめたい。

男は木から離れ、開けた場所へ出た。

深呼吸。腰を落とす。

走る。

岩を蹴り、草を裂く。速い。昨日より、確実に。

岩壁に手をかけ、蜘蛛のように駆け上がる。

頂上から島を見下ろす。視える。すべてが、小さく、鮮明に。

次は、海。

波打ち際へ疾走する。泳ぐのではない。水面を、蹴る。

 

一歩。沈まない。

二歩。波紋が広がる。

三歩目で、風になった。

 

海を、駆ける。

水しぶきが尾を引き、風が髪を逆立てる。泳ぐのではなく、走る。跳ぶ。

海面を蹴り上げ、鳥のように空へ。

高く、遠く。水平線が歪むほどの跳躍。

 

「ははははははははは!」

 

笑いが止まらない。自由だ。潜る、泳ぐ、跳ねる。

身体はすべてを識っている。限界を超える術を。

だが――。

ふと、気配が遠のいた。

あの強い、一つの意志。島が、離れていく。

振り返ると、霧が出ていた。

深く、濃い、乳白色の霧。

島が、消えつつある。海岸線がぼやけ、廃墟が霞む。

 

――ーまずい。

 

男は海を蹴った。疾走。

だが、間に合うか。霧が島を呑み込んでいく。

その時、海が割れた。

巨獣だった。

最上級の深海の王。海流そのものが具現化したような、獅子の形をした海王類。

巨大な触手がたてがみのようにうねり、牙が空を噛む。

鱗は鋼の如く、目は深淵の如く。咆哮だけで大気が震え、波が爆ぜた。

行く手を阻む。

 

――間に合わない。

 

島を見失えば、二度と上陸できない。不思議な確信があった。

 

「邪魔だ」

 

一言。全霊の意志を込める。

体が黒く硬化し、覇王の気配が空間を歪ませる。

大気を、蹴り上げる。足が虚空を捉え、体が弾丸となる。意志が刃となる。

激突。

血飛沫が、海を赤く染めた。

巨獣の鱗が裂け、たてがみの一本が千切れ飛ぶ。断末魔に近い咆哮。

だが、浅い。

致命傷には到っていないことを瞬時に悟る。男の技量は、まだこの怪物を屠る域には達していない。

 

――故に、とどめは刺さない。刺せない。

 

時間をかければ、島を見失う。

男は怪物の横をすり抜け、疾走を続けた。

巨獣は追わなかった。血を滴らせながら、鼻を鳴らすように海面を視ている。

まるで、男が島に辿り着くのを「試した」かのように。

島の守護者。あれもまた、島の一部なのだ。

霧を抜け、足が岩を捉えた。

島だ。廃墟だ。

男はへたり込んだ。息が荒い。胸が熱い。安堵が全身を駆け巡る。

生きている。島も、自分も。

男は立ち上がり、神殿の裏へ戻った。

あの木の前へ。

もう、試すことはない。答えは、この先にある。

男は迷うことなく、あの紫色の実をもぎ取った。

ずっしりとした重さ。皮の突起が、指に吸い付くように蠢く。

口に運ぶ。噛み砕く。

皮が弾け、果肉が溢れた。

苦い。不味い。腐った泥のような、あるいは重力そのもののような味。

冷たい闇が喉を滑り落ち、胃袋で爆発する。

視界が歪む。体が震え、指先から黒い煙が立ち昇る。

闇が、満ちる。

男は倒れた。だが意識は鮮明だ。

島が、笑っている気がした。

 

――ようこそ。選ばれし者よ。

 

  ⭐  ⭐  ⭐

 

目が覚めたとき、世界は変わっていた。

木の根元。仰向けの視界に、虹色の膜が揺らめいている。

空を覆う巨大なシャボン玉のような膜。鳥の群れが膜にぶつかり、弾かれていく。

 

「……コーティング」

 

船を深海へ潜らせるための技術。

島全体が、その膜に包まれている。

体を起こす。軽い。力が溢れている。

だが同時に、強烈な脱力感が足元を襲った。

すぐ近くまで波が寄せている。飛沫が足にかかった瞬間、石のように体が重くなった。

嫌われている。海が、男を拒絶している。

カナヅチ。泳げない体。

だが、焦りはない。食べた実。あの闇の味。

ヤミヤミの実。

名前は知らないが、本質は識っている。闇を操り、すべてを引きずり込む引力の化身。

男は手を翳した。指先から黒い渦が湧き上がる。

 

「はは……」

 

自然と笑みがこぼれた。海に嫌われた代償に得た、最凶の力。

その時、島が沈み始めた。

岩が軋み、廃墟が傾く。島が海へ還ろうとしている。

コーディング――情報を隠蔽するように、島は自身を「コーティング」し、深海へと姿を消す。

背負った文明を、歴史を、生きたまま保存するために。

 

「なるほど。選ばれた者以外、二度と辿り着けないわけだ」

 

海面が上昇する。いや、島が潜行しているのだ。

膜の外は海水に満たされていくが、膜の中は空気が保たれている。

男は沈みゆく島の上で、安足をかいていた。

海は男を拒む。だが、島は男を包み、闇は男を守る。

光が消え、音が消えた。深海の静寂。

男は闇の底に座り、膝を抱えた。

孤独? いや、違う。ここには島がいる。守護者の巨獣も、外の海で見守っている気配がする。

目を閉じる。断片的な記憶。フラッシュバック。

別の世界。死と、光と、転生。

誰かの声が響いた。

 

『ーーー、ーーーーー。』

 

聞き取れない。

だが、聞き取れないからこそ、たしかに解ることもある。

本来、ここに辿り着くのに必要な四つの点。赤い石の道標。

島に正しく認められるには「それ」が必要なのだと。

 

忘却の羅針盤が、胸の奥で微かに震えた。

見上げれば海面は遠く、かつて仰いだ光は滲み、溶け、やがて完全な虚無へと塗り潰されていく。

泡の音さえ消え、深海の静寂が島を包み込んだ。

すべてを吸い込む、底なしの闇。

だが、その深淵にさえ吸い込まれず、澱のように残っている欠片がある。

男は溢れ出す闇に身を預け、そっと目を閉じた。

水圧の代わりに圧しかかってくるのは、重く、冷たい過去の記憶。

届かない声。消えた名。

意識が、ゆっくりと遠い過去へ、あるいは「ここ」ではない別の場所へと解けていく。

島の鼓動が凪ぎ、広大な地肌が眠りにつこうとしているのが伝わってきた。

逆巻く闇の中で、男は「己」という名の深淵へ、深く、深く沈んでいった。




続いたので、書きました。

そういえば、ティーチはヤミヤミの実を食べたから能力を2つ得られたのか、それとも考察されているゾオン系の何らかの実の効果で複数の能力を得られたのか、原作の種明かしがまだなので今後の展開に期待ですが、とりあえず、この男もーーーしていこうかなと思います。

二次創作ですし、やりたい放題したいですよね?
また気が向いたら続きます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。