『気温28℃
照りつける日差し
汗ばむ肌を撫でる風
夏休みが始まる』
──アオのハコ第29話より
……というのが、アオのハコ、第四巻、二十九話ラストに載っている文章である。
いかにもな夏休みのキャッチコピーで、何だか心が叫びたくなって来る感じだ。
言語化できない、何かが始まる予感。夏の魔物とか、よくわからんファンタジーが待っているような、不思議な気分に自分をさせる。
用いる語彙は暑苦しいのに、最後の”夏休みが始まる”だけで清涼感が漂う。やはりこの文章は結局、最後に集約されている気がする。
しかしながら、現実はこんなもんである。
『気温三十五度
じわじわ体を焼く太陽
べたつく肌に吐かれる風
夏休みが 始まった』
……終わりです。
*
「……暑すぎる、最近の夏は、どうなってるんだ」
昼過ぎに、自室でそんな、文句を漏らした。だらりと椅子に背中を預け、天井に向かって。
電子時計の温度メーターは、三十五度を指し示している。湿度は、なんと七十パーセント超。
七月も終わりに向かっているというのに、エアコンもつけず、暑さ対策を講じないと、こうなる。
まあ死にはしない。ある程度はよくわからないチートで熱さ耐性があるので、熱中症は大丈夫。サウナに三時間水分無しで籠っても何か死なないのだ。
今夏は、このまま乗り切るかと、考えている。
でも何でそんな苦労をするのか? エアコン無しで夏を乗り切っても、まあまあの節約にしかならないというのに。
「……」
その理由もまた、別に、大したものではなかった。
ふと立ち上がって、窓の外へ、視線、耳を向けてみる。人目はないが、右足は使わないように。
夏だ。じぃわじぃわと、蝉が泣いている。
窓を開けると、風と共にその声が遊びに来る。
夏にありふれた音だった。でも耳を離すことができなかった。不思議とそれに引きつけられた。
泣いているは、文字通りだ。蝉というのは一週間で死ぬだろう。それを彼らも悲しんで、鳴きながら、泣いているのだ。
長年土の中で生きて、やっと外に出たと思えば一週間で死ぬ。笑えない話だ。外に自発的に出るからには、蝉だって、何かしらの希望を抱いて飛び出すのだろう? だというのにすぐ死ぬ。それは、とても虚しいと思う。
「……」
だからかな。共感でもしたのか。
俺も、泣いていた。
(……いや、さすがにおかしい)
汗の混じった涙をシャツの袖で拭きながら、いやいやちょっと待てと、俺は自分にストップをかけた。
これは蝉に対して共感の悲しみを抱いた訳じゃないだろう。泣くほどの悲しみは胸に満ちていない。
ならば何か。これは多分、生理的な涙だ。
自分の体が、感情の高ぶりとか関係なく自然とこぼすもの。例えば心臓が脈動するとかそういったもの、なんだと思う。
だが以前まではこんな事はなかった。泣くという行為には、必ず理由が着いて来た。この変化には原因があるはずだ。
それに対して既に、自分の中で一つの考察がある。
(おそらくだが……自己嫌悪をやめたせいだ)
たぶん俺にとっての自己嫌悪とは、自身のメンタルを保つ一種の精神衛生装置だったのだと思う。
内心で嫌悪を吐き出すことで、楽になっていた。つまりストレス解消の側面があったのではないか? 実際自分に悪態をつくことで罪悪感を誤魔化していたのだし。
だがそれをやめたから、吐き出せないストレスが出て来た──涙として。
エアコンをつけないのも、似たようなもの。つまりは自傷行為。俺はつけたくないからつけないのだ。
でもそう思ってしまうのは、罪悪感を誤魔化したいがため。自分を苦しめて、大喜くんの体を奪った罪を、少しでも軽くしたいと思うがためだ。そうすると少しだけ、楽に思える自分がいる。
自己嫌悪は、決して無意味ではなかったのだなと、無くなってから気づく大切さがあった。
……まあ、自己嫌悪がきっかけでストレスが溜まっていた側面もあるから、結局は適度にやれという話に収まるか。
しかしだとしても疑問がある。
(涙が勝手に出て来るようなストレスを、俺は今感じているのか?)
今の俺の精神衛生は過去最高に良い。部活も気楽だ。マネージャー業はとても楽しい。大喜くんへの罪悪感も、部活が楽だから、少しはましだ。人間関係も気楽──いや。
ああそうだな、最近の、目下最大のストレス。
守屋、菖蒲。
いやストレスは言い過ぎた。でも、悩みのタネの一つであることに違いない。
本当に何故、この時期にマネージャーになったのだろう。何が原因かは全くわからない。
原作では遊佐くんの顔を見て入部していたが、大喜くんはタイプではないはずだ。顔的にも性格的にも。
加えて中身が俺である以上、どう考えても好きになられるはずがない──のだが。
さすがの俺でもわかる事がある。
(何故か、本当に何故かわからないし、知りたくもないけど……たぶん)
好きに、なって、いただいている……可能性が、高い。
自分でもそう思いながら、何だか気持ちが悪い言い回しだなと自嘲するが、本当にこんな表現しか浮かばなかったのだ。
ここ最近の、一週間くらいの守屋さんの言動を思い返す。
『途中まで一緒に帰ろーよ』
『お昼どこで食べてるの?』
『今度カラオケ行かない?』
……訳が、わからない。
本当にこうなる理由が浮かばない。俺はそもそも、成り代わってから一度でも彼女と関わった覚えがない。
だから”その万が一”など起こるはずはないと思いたい──でも万に一つは起こるから、万が一だ。
俺はその可能性に身震いする。それに、多大なるストレスを感じている。
暑さは今だけ消し飛んで、それが起きてしまった事態を想定して、体の芯から震えあがる。
だってそれは、匡に対する何よりの──
「……誰だろう」
そこでスマホがぶーぶー五月蠅くブーイングを入れて来たので、連絡をして来たのは誰だと、画面を点けた。
*
夏休みに入って、数日。
今日は、原作通り雛主催の勉強会がある日だ。
でも日程に少し変更が入って、部活の後にやる訳ではなかった。だから自宅から一直線に図書館へ向かう。
しかし集合時間には遅れた。つい先ほどまで、生死の境を彷徨っていたためである。
もう皆集まっていた。俺は松葉づえ野郎なので遅れるかもしれないと雛に伝えてあったから、文句を言われることはなかった。楽だ。
ただそろそろギプスは取らないと逆におかしくなる。ひと月くらいが目安らしい。
そして、メリハリをつけられるタイプの栄明高校生徒たちは、夏休みの課題を済ませるため、さっさと机を囲いだしたのだった。
「……ふう」
みんながちらほらと会話を挟みながら、課題のテキストを進めている最中、俺は静かに一息を入れた。
テスト前にも勉強会はやったが、正直勉強会というのは、あんまり効率的ではないなと、思う。
効率よりは、たぶん課題に向き合うことのつらさを、大人数で共有することで誤魔化している側面があるのではないだろうか。実際黙々とやった方が処理効率は高いだろうし。
あと意義としては……そう。
青春野郎が、意中の相手と近づくために、この場を利用したりする。
「──そこにXを代入すればいいんだよ」
(──来た、伊藤くんだ!)
俺は机の隅っこで、今か今かと待ちわびた、伊藤くんの活躍に心を躍らせた。
「──伊藤の奴ようやく攻めだしたな」
「──蝶野さんのこといいなってずっといってたもんな」
(原作の台詞だ!)
ぼそぼそと隣で話す二人の男子に耳を傾ける。
なんてことない言の葉が、まるで映画最後の決め台詞のように輝いて聞こえる。だから俺は感動と、希望に満たされていた。
「──夏休みで会えなくなるし、今日はチャンスなんだし、連絡先くらい交換しないと」
その通りだ。頑張れ伊藤くん。俺はあなたを猛烈に応援しているのだ。
何故応援しているのか。決まっている。
(雛と、くっついて欲しいからだ)
……そういえば、伊藤くんは前回もいたな。ていうか前回も同じことを雛に教えてなかったか。雛は同じ所をわからなかったのか。
さて伊藤くんとは、誰か。モブキャラである。ほんの少しの期間だけ登場して、いつの間にか物語から姿が消える。でも役割が用意されているだけましかもしれない。
彼は一年生時の夏祭りで、雛に花火を一緒に見ようと誘って、描写はないが断られて、それ以降物語上の出番はない。
そして彼がその後どうなったのかは……謎に包まれている。そんなキャラクターだ。
(では何故、そんな伊藤くんと雛に、くっついてもらいたいと考えるのか)
単純明快で、良い奴だからだ。
同じクラスになって、時々会話をするけれど、ものすごく良い奴なのだ。嫌みったらしい一面が一つもない。
漫画を読んでいるだけではわからない、一人の人間として関わって見えて来た人間性。伊藤くんは、俺が呼び捨てしていいような人ではない。
(それだけじゃない。原作の描写からも見えて来る人柄の良さがある)
彼は、おそらくではあるが、断られた後に雛にアプロ―チを仕掛けていない。他の漫画キャラはそこで諦めなかったりする中で、すんなり諦めたのだ。
その根拠、といえるほどではないが、一つ言える事がある。原作の文化祭で、王子様の代役が求められた際、彼がそれに立候補しなかったことだ。その時も好きであるならば、同じクラスであるのだし、彼自身の仕事があったとしても、少しはその素振りを見せてもおかしくないだろう。
多分断られた後にけっこうへこんで、友達に励まされて、何とか立ち直って、別の恋を見つけたのだろう。容易に想像できる。
まだある。
夏祭り、花火大会。大喜くんが千夏先輩と迷子の子どもの相手をしている最中、伊藤くんは雛と会った。
その時、伊藤くんは雛が来ていることを知らなかった。
これは何を意味するか。伊藤くんは、勉強会があって隣に座っていたのに、雛に一切アプローチをかけられなかったことを意味している。
連絡先も結局交換していないのだろう。だって交換していたら、雛を祭りに誘うはずだ。そして誘って、他に行く人いるからと断られるが、少なくとも雛が祭りに来るという予定はわかるはずだ。だというのに知らなかった。
だから俺は、伊藤くんが結局雛に一つもアプローチをかけることが出来なかったと推測する。
これらは、伊藤くんの内気で、初々しさが象徴されている側面だと思う。
(……また、これは根拠は一つとしてないが)
アプローチできなかったのは、たぶん勇気が出ないからじゃなくて、原作の雛の思いが大喜くんに向いていることを察していたからだろう。
俺はそんな彼の、自身の欲望を抑えて、雛のことを考えてアプローチしない──雛のためを思って行動する。そんな精神性、人柄がとても好きだ。
それに比べて俺は──。
「……ねえ大喜。ここわからないから、教えて」
「数学Aの教科書の四十八ページを見ればわかるよ」
などと、雛に尋ねられて適当に指示を返して、やはりなと思う。
やはり俺と伊藤くんは全然違う。
俺は『教えて』という希望に対して『自分で考えろ』と告げた。人間性の差が出ているのだ。
(……本当に良い人だろう。優しいし)
そう、優しい。これは大事だ。雛のわからない所を積極的に教えているし、優しい。
懸念はない。文句もない。ただ一つ、こじつけのような可能性だが、藤木先輩のように闇落ちしなければ問題ないだろう。
二年目文化祭で大喜くんを倉庫に閉じ込めた彼──藤木先輩。彼も印象深いモブキャラの一人だ。
あの人のその後は非常に気になる。友達無くしてないといいが。いじめられてないといいが。先生に一応報告されたらしいが……大丈夫だろうか?
まあ彼に関してはこの世界では安心だ。俺と千夏先輩が恋人になる可能性はゼロだし。少なくとも原作と同じ暴挙には出ないだろう。
ただ卑怯なアプローチを先輩に仕掛けないかだけ不安か。短絡的な行動を実行する力はあるから、場合によっては排除する必要があるだろう。
「休憩しよ! 十分!」
思考を巡らしていたら、いつの間にか休憩になったようだ。雛が頭から漫画っぽい煙を出しながら叫んだ。
俺は伊藤くんを今一度見る。目と目が合う。不思議と鋭い目つきをしていて、格好良く見えた。
以前の勉強会では彼の重要性を理解していなかったが、今は理解している。
──伊藤くん。あなたには是非とも、雛と花火大会に赴いてもらいたい。
……ところで、課題全然進んでないな、俺。
*
宿題は、一旦休憩になった。
「お疲れ……」
「ああ、お疲れ様」
手には眠気対策で缶コーヒーを持っている。せっかくだからと二本買って、大喜に一本渡した。
それを一口飲んで、
「高校生の勉強って、むつかしいね……」
ずーんと、沈み込んで呟く。
「これからもっと難しくなるよ」
大喜から絶望の追加情報をプレゼントされて、もっと肩がずずんと沈み込んだ。
でも、難しいとは言ったが、課題はやっぱり、教科書見ればわかる所が大半だ。わからないのは、どこを見ればいいのかだった。
なので大喜の『数学Aの教科書四十八ページ見ろ』は、かなり的確で、助かっていたりする。ちょっとイラっとしたけど。
(まあでも、一応、勉強教えてもらったし、お礼……そう、これは、お礼)
私は自分に言い聞かせる。横目で大喜を見る。いただきます、と言ってから、缶コーヒーを啜っている。
ふうと、意気込みをして、さも偶然のように振り返る。
「ねえねえ、後ろ」
「?」
ポスターが、私たちの後ろの柱に貼ってあった。ポスターの内容が示すは、祭りのこと。
「花火大会……行かない?」
──これは口からついて出た言葉だった。思わず、だった。何の思慮もなしに、自然に告げた一言だった。
長い長い一瞬があって、大喜が私が今告げた言葉の意味に気づいたのか、言った。
「……後ろの?」
私は頷いた。
大喜はそれから黙っていて、その後の言葉を続けない。私は大喜と目を合わせた。
目と目とが、ほんの一瞬、交差した。
大喜の目は、泳いだ。
「……先約が」
「え──」
私は嫌な予感がして、でも平常を装ってすぐに、
「そうなんだ。誰と行くの?」
変なアクセントにならないよう、低い声にならないよう、冷たい目つきにならないように、話したつもりで尋ねた。
誰なのかは、何となくわかっていた。
「マネージャーの、守屋さん」
──だと思った。
「そ、っかあ」
「ここに来る前に、連絡来て……予定ないからいいよって……」
……紙一重じゃん。
「じゃあどうしよっかなあ、にいなちゃんと行こうかなあ」
笑顔を、できる限り普通の、笑顔を、記憶からコピーして、こんな感じだったよねと、貼り付ける。
私は悩むふりをした。だって大喜に断られたのなら、にいなちゃんと行く以外に、一緒に行きたい人はいない。
でもそっか。わかっていたけど、千夏先輩とじゃなかった。まあ大喜、この間恋愛的に好きとかじゃないって、言って──
「伊藤くんは?」
「え」
いとうくん──伊藤君。同じクラスで。さっき数学とか、教えてくれた、人。
私はさすがに薄っぺらな平静すら装えなくなりそうだった。
「なんで伊藤くん?」
大喜へ理由を尋ねてはみるけれど、その名前が出て来た時点で、私は気づいていた。
「なんでって……」
大喜からそう言うってことは、やっぱり。
薄々理解していたこと。納得したくないけれど、せざるを得ないこと。そりゃそうだよと、思ってしまうこと。
「伊藤くんは、雛と仲良くなりたそうだったから」
(──私、眼中にないんだ)
がりっと、心臓を猫の爪で引っかかれたような、痛みが走った。
「……そうなんだ。じゃあ、ちょっと、考えるよ」
「ああ、応援してる」
それは止めの一言だ。
それだけ残していった大喜は、伸びをした後松葉杖を器用に使ってクッションから立ち、去った。
私は笑顔をやめた。
それから数秒経って、大喜の座っていた所に、ぼふんと倒れ込んだ。
「ああ、くっそーう……」
生暖かな温度を感じる。それが寒いくらいに効いたエアコンで冷えた体には心地よかった。
それと同時に、温まる、暗い感情──は飲み込む。
暗い気持ちは、吐き出すべきじゃない。耐えるべきだ。私はそうやって乗り越えて来たはずだ。
だから、切り替える。メリハリ大事だ。
「ふんだ。じゃあせいぜい後悔させてやろうっと」
別にいいもん。あんな奴別に好きじゃないもん。昔の方が好きだったもん。へんだへんだふーんだ。後で伊藤くんに連絡先聞いちゃおっと。
切り替え完了。私の中で今のやり取りは過去になった。
……でも、本当にわからない。
(どうして守屋さんが、大喜を?)
これは少なくとも、今日やった数学なんかとは比べ物にならないような、難解な設問だ。
答えがある問題って、楽なんだなとふと思った。
*
「ねえ菖蒲。花火大会、一緒に行く?」
「……あー、いや、ごめん」
ファミレスで勉強しながら、
「ああ、そっか。相変わらず早いね。猪股くんだっけ」
「あはは、いやー、まだだよ」
「てか名前、聞いたことある気がする。一時期人が百八十度変わったとかで噂になってたような」
「あと体育祭ですごーいみたいな」
友達の二人が口々に言うのを聞いて、そんなのあったなあ、と思い出した。
なんか大喜くんは以前すごい元気で明かるかったらしい。今では全く想像できないけど。
「てか怪我して松葉づえついてるって」
「んー? ああ、この間走ったりはできないけどギプスはそろそろ取れるっていってたから、たぶん大丈夫」
それより花火大会では知り合いと会いそうというのが、私の中の懸念だった。特に元カレは、最近けっこう雑に振ったから、会うと気まずい。
あと……お姉たちには、会いたくない。
それから、また課題の問題集に向き合っていると、
「でもなんで? 菖蒲の好みと全然違くない?」
恋バナがしたいのか、課題がめんどくさいのか、きっとどっちもで、話題を振られた。
……私は正直、普段なら『望むところ!』と、周りが引くほど恋愛を語るけど、今回のはちょっと、訳が違った。
「……まあ、そうなんだけど、なんていうかな」
あまり、深く話したくはない。恥ずいし。
ただその質問はされるだろうなあ、と思っていた。答えはぼやっと作ってる。
「……えーと」
でも口にするのが難しい。できる限り悪口にならないように、恥ずかしいから本当を隠せるように頑張るけど、悪口になったらごめんなさいしようと決めて、口を開く。
「……ほら、回転ずしとかさ、たまーに、普段は絶対頼まないネタ食べようってなるじゃん?」
それを聞いて、二人はこいつ何を言ってるんだという表情になって、すぐ後に腑に落ちた表情を見せた。
「うわあ……」
「ええ……」
そしてガチドン引きトーンの声を漏らした。
……うーん、失敗。ごめん大喜くん。
「要するに……偶にはゲテモノに挑戦しよみたいな……」
「は、初めの方はね! 今は……そんなの思ってないよ。誠実そうだなあって、感じ」
そう。今は全然だ。普通にいい人。私は自信をもってそれは言える。
「……? てかそもそも菖蒲、好きじゃないの?」
「まあ、好きではないかなー。でも優しいし。良い人だよ」
「……褒める所がない時にいうやつじゃん」
「そんなことないよ。ほんとに……うん、ほんとに」
そう、それだけじゃない。たぶん人柄良いし。顔も……整ってる方だ。
「相変わらず軽いねー。長続きしそうってだけで、好きでもない人と付き合いたいって……ああでも、菖蒲の恋愛ってそういう感じだったかあ……」
「まー今の私にとって、長続きが大事というか……」
「ああ、前カレ三日で振ってたしね。しかもかなり理不尽に。あれ引くわー」
それは……まあ向こうが悪いけど、理由の一つ。
とにかく、やっぱりこの話はしたくない。有耶無耶にして終わらせようと、口を開く。
「……なんていうか、今まではさ、とりあえず告られたらつき合ってたけど、つき合った後のギャップで別れることが多くてさ」
そう、だからこそ今回は──。
「ならつき合う前から彼氏としてどうか? って考えてたら、こいつはアリとか、こいつはナシとか、わかるじゃんって」
「……なんか、成長したねえ、菖蒲」
感心してくれたのか馬鹿にしているのかわからないけど呟いた。たぶんどっちもだ。
「はい! 私の話終わり! 課題さっさと終わらせよ!」
「えー」
「はいはーい」
そうして無理やりに断ち切って、私たちはめんどくさい課題をだらだらこなすのを再開する。
本当の理由は、きっと包み隠せた。
*
汗がテキストに一滴、染み込んだ。
「ふう……」
自室。机に向かっていた。
それを、今終えた。最後のテキストを、積み重なったプリントやノートの上に重ねて、鉛筆を転がした。
高校一年生の課題量は、結構なものだ。受験期だと勝手に勉強するから少ないだろうが、一年なんて遊びまくるものだ。ある程度抑制するために、量も多くなるのだろう。
俺はぬるい水を口に含んだ。そして、今日あったことの振り返りをすることにした。
(色々あったな、今日は)
まず、雛の花火大会の誘いを断った。
とりあえず断るのは当然だ。俺は大喜くんではないのだから。おそらく雛は勘違いをしているのだろう。
そして、伊藤くんの存在を仄めかしておいた。
割と最近、そういえば伊藤くんがいたじゃないかと気づいたのだ。良い人だろうし、上手く行ったらいいなと思う。
ただ一つ雛と花火大会に行かないという選択の、懸念があるとしたら、原作から逸れることだ。まあこればかりはしょうがない。
そもそも夏祭りの誘いが、守屋さんから来ていた時点で、原作は崩壊しているだろう。
そう、彼女──守屋菖蒲からの誘いの連絡は、勉強会に行く前に来ていたのだ。
正直、どうするか迷いに迷い、断るべきだとは思っているが、最終的に俺は誘いを受ける決断をした。
理由は二つ。
まず守屋菖蒲という人間の真意を探るため。
正直何を考えているのかまるでわからない。作中でも自由奔放で、心理が難しいキャラクターだったのが、現実になって余計にわからなくなった。
だからこそあえて近づき考えを探る。原作改変には原因があるはずだ。またある程度は原作通り行かなければまずいから、可能ならば修正したいという魂胆もある。
そして二つ目の理由。
「俺は絶対に、匡を裏切るつもりはない」
だから来たる夏祭りの日。攻めの一手を打つことに決めた。
俺はどうしようもない、くそ野郎になる。
大喜くんのためでもない。千夏先輩のためでもない。匡のために、やる。
匡の、親友の、未来の恋人を奪うような最低な奴には、絶対にならないと誓う。
死んでも食べ物とか奢らないし、エスコートとかしないし、男らしい姿とか見せないし、優しくもしない。
守屋菖蒲。あなたがどんな理想を俺に抱いて、俺をどう思っているか知らないが。
「絶対失望させてやる」