よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】 作:Mr.ティン
【坂上田村麻呂】
おれは、もう限界に近かった。
突風を操る鬼との戦いで、心身ともに消耗し切っている。
特に、前衛として直接鬼と対峙し続けたおれは、全身に無数の傷を負っていた。
暴風の様な勢いで振り回される金棒に、その余波で飛び散る礫が、おれの身体を容赦なく削っていく。
顔に、腕に、脚に。
細かな傷が、総身を覆って、時には鎧さえも貫いていた。
一つ一つは浅い傷だが、その数があまりにも多く、出血も、徐々におれの体力を奪っていく。
(だが……まだだ。この程度で倒れては、師に笑われよう)
おれは、歯を食いしばった。
かつて魔穴の中で出会った、試練の鬼。
師と仰ぐあの鬼との修練の日々の中、今以上に追い込まれた事もある。
それを思えば、この程度どうとでもなるというモノだ。
故に、倒れるわけにはいかない。
高子が来るまで、耐え抜かねばならない。
阿弖流為殿も、おれと同じように消耗している。
矢を放ち続け、その腕は疲労で震えているだろう。
心の疲労も尋常ではないはずだ。
鬼が再び天空からの突風を放てば、おれたちは倒れ伏し蹂躙されてしまう。
それを防ぐために、阿弖流為殿は一瞬の緩みなく、鬼の力の発動を封じているのだ。
彼も決して諦めていない。
一方で、鬼は未だ勢いよく暴れているものの、その顔には、忌々し気な色が浮かんでいる。
おれたちを、殺しきれない。
それが、鬼の苛立ちを募らせているのだ。
おれと阿弖流為殿は、その理由を悟り、思わず笑みを浮かべた。
鬼以外の怪異たちが、朝廷の兵と蝦夷の連合に、駆逐されかけている。
高子に教えを受けた術師たちが、浄化された領域を密かに広げていた。
怪異の軍勢を、囲むように。
そして、その領域内では、怪異の再生が封じられる。
術師たちの浄化の力が、怪異を弱体化させているのだ。
そこへ、兵たちが一気に攻勢に出た。
交代しながら戦っていた兵たちは、消耗も少ない。
怪異たちを、次々と討ち取っていく。
「押せ! 押し切れ!」
「この地に生きる者の意地を見せよ!」
副将と母禮殿の声が、戦場で響き渡る。
兵たちが、雄叫びを上げ、矢を射かけ突撃する。
これまで再生頼みだった怪異たちは、その勢いに対抗し切れず、遂に壊走を始めた。
群れとしての体裁さえ崩れ、逃げ惑う怪異たち。
長たる者以外に、統制を取れる者など居ないのだ。
その様に、鬼は険し気に顔を歪ませた。
怪異たちの不甲斐なさに怒りを感じているのか、それとも屈辱か……。
それでも、壊走を押しとどめようと、大きく吸い込んだ。
威嚇の咆哮か。
だが、
「させぬ!!」
おれは、剣を振るい、阿弖流為殿も、矢を放つ。
鬼の喉を、おれたちの攻撃が同時に襲う。
そのような隙を、おれたちが見逃すはずがない。
鬼は咆哮を上げることができず、忌々し気におれ達を睨むが、最早どうしようもない。
そして、遂には、怪異たちは残らず駆逐された。
残るは、この鬼一匹。
立場が、逆転した。
「弓を射かけよ!」
「術師よ、田村麻呂様を援護せよ!」
多くの兵が怪異の群れの追撃に移る中、副将や母禮殿の指揮で、この鬼の方にも兵が差し向けられた。
蝦夷の戦士たちが、四方から矢を放ち始める。
鬼めがけて、無数の矢が降り注ぎ、その全身に突き立った。
「グォォォ!???」
鬼が苦痛に悲鳴を上げる中、術師たちも、動く。
瘴気の浄化を試み、大柄な式神を召喚して、鬼にけしかけ始めたのだ。
鬼は金棒を振り回し、式神を破壊するが、その数と槍の援護に倒しきれず、組みつかれて動きを封じられていく。
その間に、おれと阿弖流為殿は、ようやく一息ついた。
一旦下がり、いままで重荷でしかなかった水を取り出し、飲み干す。
その途端、おれの膝が崩れた。
「ぐっ……」
全身の細かな傷と、疲労。
暴風の如き鬼の猛攻の中に身を置いていたために、心もまた疲労していた。
師との鍛錬を経験していなければ、どうなっていた事か……。
阿弖流為殿も、緊張の糸が切れたのか、座り込んでいる。
そこへ、兵たちが、駆け寄ってきた。
「田村麻呂様! こちらを!」
「阿弖流為殿も!」
兵達が取り出したのは、封を解かれた小さな瓶だ。
朝廷が物資として用意した貴重な薬であり、時折高子が何やら力を込めていたもの。
兵たちが、おれの傷に薬を塗っていくと、その瞬間、傷が、瞬く間に癒えていく。
痛みが消え、出血も止まり、鬼が為した再生のように傷さえも消えてゆく。
「これは……凄まじいものだな」
おれは、驚愕した。なんという効果だ。
これまで何度か似たような薬を使った事はあるが、これほどまでに効果が高いのは初めてだった。
阿弖流為殿も、同じ薬を塗られて、湧き上がる活力に、目を見開いていた。
「田村麻呂殿……この薬は……」
「魔穴……いや、神域から得られる薬だ。そのうえ、高子が効用を高めてくれたらしい」
おれは、答えつつ、瞠目する。
またしても、高子の助けだ。
(感謝してもしきれん……)
おれは、心の中で呟いた。
こうして、態勢を立て直したおれと阿弖流為殿。
だが、同時に、未だ倒れない鬼を見て、表情を曇らせた。
結局、これまで多くの傷を鬼に負わせたが、その一切が、再生されていたのだ。
今も、射かけられた矢で全身を貫かれているが、悉く再生をしている。
また、内に取り込んだ瘴気の量が多いのか、術師たちが浄化を試みても、再生が衰える気配がない。
(やはり……神器の分け御霊が必要なのか)
おれは、歯噛みした。
その時だ。
「田村麻呂様!」
空から、おれを呼ぶ声が聞こえた。
聞き慣れた、愛しい声。
見上げると、太陽を背にした鳥の群れがおれの目に映った。
白い鶴の式神。
その上に乗るのは、高子と護衛たちだ。
「高子……!」
おれは、戦場でありながら、喜色を浮かべるのを抑えられない。
高子が、式神を降下させ、おれの元に、降り立った。
その目には、涙が浮かんでいる。
高子が、おれの名を呼ぶ。
「田村麻呂様……!」
「よくぞ、間に合ってくれた……!」
おれは、高子に駆け寄った。
阿弖流為殿や兵たちも、高子の到着に安堵の表情を浮かべている。
「高子殿、よく来てくれた」
阿弖流為殿も、感謝の言葉を述べる。
高子も、再会を喜びたいのだろう。
だが、彼女は表情を引き締めた。
「田村麻呂様、神器の分け御霊を、再び託したく思います」
高子が、凛とした声で言う。
おれは、頷いた。
そして、愛用の剣を掲げる。
高子は、携えた光の珠を、剣に触れさせた。
その瞬間、剣が光を放ち始め、変容していく。
かつて、鈴鹿の山で降臨した神剣、天羽々斬の姿へと。
「これは……」
おれは、その圧倒的な力を、感じ取っていた。
あの鈴鹿の山で感じたのと同じ、圧倒的な神気を。
更に高子は、続けた。
「阿弖流為殿も、弓をかざしてください」
「オレもか……?」
阿弖流為殿が、戸惑いながらも、弓をかざす。
高子は、別の光の珠を、その弓に触れさせた。
すると弓は、輝きを内に秘めた神弓へと変容したのだ。
阿弖流為殿が、驚愕する。
「これは……なんという……」
「これなるは、天之麻迦古弓。神弓です」
高子が、説明する。
「怪異の長たちを倒すまで、この地を守る意志ある者に託します」
「……分かった。この力、確かに受け取ろう」
阿弖流為殿は、高子の様子に驚きつつも、それを受け入れるようだ。
おそらく、高子がただならぬ者であると、阿弖流為殿も察した事だろう。
さらに、高子は、己が使うひとりでに動く二本の剣にも、光の珠を近づける。
二本の剣も、神々しい光を纏った。
そして、高子は、おれたちに告げた。
「あの鬼のような怪異の長が、今四体います」
「四体……」
おれは、呟いた。
阿弖流為殿もまた、告げられた言葉に眉根を寄せる。
「突風を操るあの鬼、大岳丸。雷を操る大猛丸。豪雨を操る大武丸。そして、全ての怪異の王、悪路王が」
高子の言葉に、おれたちは息を呑んだ。
薄々は感じていたものの、あのような鬼がそれほどにいるとは。
しかし、怖れが浮かびそうなものだというのに、おれはむしろ戦意が高まるのを感じていた。
それは、この手の中にある神器がもたらす物であろうか?
「その全てを倒すまで、これらの神器は、お二方に貸し与えられたのです」
その言葉に、おれたちは察した。
四匹の怪異の長を対処するには、四つの神器が必要なのだ。
だから、高子も自分の剣を強化し、阿弖流為殿にも神器を授けたのだと。
おれは、納得し、そして、天羽々斬を手に、鬼へと視線を向ける。
四方から射かけられ、次々に襲いかかる式神に、動きを封じられている鬼……いや、大岳丸か。
傷こそ再生するものの、最早、敵ではなかった。
おれは、大きく上段に神器を構えた。
全身の力を、この一撃に込める。
一方で大岳丸もおれの姿を見て何か察したのか、暴れ様を激しくするも……もはや手遅れだ。
そして……。
「はああああああっ!!!」
おれは裂帛の気合と共に、天羽々斬を振り下ろした!
その瞬間、天が、割れた。
かつて鈴鹿の山で為したような、嵐さえ切り伏せる一撃。
天空の雲さえ切り開きながら、鬼へと光の刃が天より降り注ぐ。
斬ッ!!!
「っ!???!??」
まとわりつかれた式神ごと、脳天から真っ二つに唐竹割りにされた大岳丸。
余りの威力に、悲鳴すら形にならない。
さらに、その斬撃に込められた神気が、再生など許さずに内側から瘴気を浄化する。
数瞬後、鬼の身体が、光の中に溶けるように消滅していった。
跡形もなく、大岳丸は死滅したのだ。
残されたのは、神器の一撃に吹き飛ばされ、墓標のように突き立った金棒だけ。
そのあまりの凄まじさに、朝廷の兵も、蝦夷の戦士たちも、声を失っていた。
おれは、天羽々斬を振り上げ、そして、叫んだ。
「勝ったぞ! 我らの勝利だ!」
その声に、兵たちが我に返った。
「勝った……!」
「俺たちが勝ったんだ!」
歓声が、上がる。
兵たちが、戦友たちと抱き合い、無事を祝い合う。
朝廷の兵も、蝦夷の戦士たちも、共に喜んでいる。
その様子に、おれはこの地の未来を見た。
朝廷と蝦夷が、共に手を取り合う。
その第一歩を、ここで踏み出したのだ。
「田村麻呂様」
「ああ、高子。お前のおかげだ」
高子が、おれの隣に立つ。
おれは、その手を取った。
高子が、微笑む。
そこには深い安堵の色が見えた。
きっと、俺も同じような表情を浮かべているのだろう。
「いえ、貴方様が、耐え抜いてくださったからです」
「……だが、まだ終わりではないな」
阿弖流為殿が、神弓を見つめながら言った。
おれは、頷いた。
「ああ。残り三体の怪異の長が、いる」
「だが、今日の勝利が、我らに希望を与えた」
おれは、兵たちを見渡した。
「この勝利を、糧にしよう。そして、次の戦いも、必ず勝つ」
「おおおおっ!」
おれの言葉に、兵たちが応える。
歓声が、胆沢の地に響き渡った。
おれは、天羽々斬を鞘に収める。
変容していた筈の刀身がそのまま収まった事に、不思議さを感じながら、おれは高子と、阿弖流為殿たち共に、この勝利の余韻に浸った。
次の戦いもまた、厳しいものになるだろう。
だが、おれたちは、必ず勝つ……この地を守るために。
朝廷と蝦夷の、未来のために。
おれは、そう誓ったのだった。