よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】   作:Mr.ティン

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間章4 ~時代の間のこぼれ話~
とある下人の一日


【とある下人】

 

下人の朝は、早い。

夜明け前の闇は、墨を流したように濃いが、そんな物に構っていられぬのが、下人というものだ。

京の北辺、とある邸(やしき)の隅にある、下人たちのための長屋。

その一角で、その下人一家は既に目を覚ましていた。

 

「良く寝ているな……」

「ええ。今日も元気そう」

「そうだな……」

 

まだ眠ったままの、一人息子の寝顔を覗き込みつつ、語り合う下人の夫婦。

このお屋敷の主は下人にも手厚く、寒さをしのぐための筵は十分にある。

息子はそれに包まって、まるでミノムシの様だ。

その様子が何とも微笑ましく、夫婦は顔を見合わせ、微笑み合う。

とはいえ、下人というのは忙しい。

何時までも子の顔を見ているわけにもいかない。

 

「……そろそろ、牛の面倒を見なければな」

「私も、朝餉の支度をしないと」

 

他の下人たちが動き出す気配を感じて、夫婦もまた動き出していた。

 

 

太陽がようやく東の山際から顔を出す頃、邸内はにわかに慌ただしくなる。

下人の妻の方は、台所である『御厨(みくりや)』で、煤にまみれて働いていた。

この家は、家は学問の家柄であるため、来客も多い。

 

「今日は、どの家の方がおいでで?」

「……うむ、当家に縁ある、書家がおいでだ。粗相のないように」

 

下人たちの上司にあたる『家司(けし)』が、他の家人と話し合う中、下人の女達は、貴族たちが食す『強飯(こわいい)』を蒸し、魚の干物を捌く。

都は海から遠い為、海の産物は貴重である。

他にも様々な品が膳に並べられる様子は、この家の力を示しているようであった。

尤も、下人たちの食事は、それにはほど遠い。

口にできるのは、雑穀を混ぜた粥などが主なものだ。

 

「御持て成しには、魚は欠かせないわねえ」

「お残ししてくれたら、食べられるけど……」

「あの方は良く残して下さるわよ?」

「あら、楽しみ」

 

実のところ、主人が食べた残りは下人たちに下げ渡されることが多い。

一番良い所だけ食べ、多くを残すというのが、下々への配慮がある貴族の在り様とされた。

 

「ホント、魚は楽しみなのよね」

「都には、肉が多すぎなのよ」

 

とはいえ、そうで無い家の家人も、餓えるかと言えばそうでもない。

魔穴に潜った兵らが持ち帰る肉等が手軽に手に入るのだ。

かつて、平城の都の頃に推奨された、魔穴での兵の鍛錬は、『肉余り』などと呼ばれるほどの食べ物を庶民に齎していた。

その為、どの下人も肉付きは良く、健康的であった。

 

 

朝餉が終われば、主の出仕の時間だ。

下人が世話をし、御者も務める牛車が、主を乗せて朝廷へ向かう。

こうした牛の世話や、主の供を行うのも、下人の仕事だ。

 

「……今日は、歌会がある故、帰りは遅くなる」

「心得ております」

 

もちろん、主人を迎えに向かうのも、下人の仕事。

とはいえこの主人は、他の家のお貴族様のように、無茶ぶりはしてこない。

ただ、何時も何処か不機嫌そうなのが、珠に瑕と言った所か。

もちろんそんな事を思っているのはおくびにも出さず、下人たちは牛車を進め続ける。

穏やかな日和の中、牛が暢気に鳴いていた。

 

主人が宮中へと入られ、牛車を待機させている間は、下人にとって束の間の休息でもある。

男は、供の仲間たちと牛車の影で腰を下ろし、持参した干し肉の端切れを口に含んだ。

魔穴の恵みであるこの肉は、噛めば噛むほど野性味のある滋味が広がり、働く体に活力を与えてくれる。

仲間のひとりが、ひそひそと笑いながら言った。

 

「今日の主様は、いつもより少しだけお顔が和らいでおられたな」

「ああ、きっと昨晩、良い詩でも思いつかれたんだろう」

「そうそう、あの御方は、言葉ひとつで機嫌がガラリと変わるからな」

「そうなのか?」

 

首を傾げた下人に、他の供が思いだす。

 

「そうか、お前たちが来たのは最近だものな。知らないのも無理は無いか」

「良い語句が浮かばないときは、凄く機嫌が悪くなるんだぜ?」

「そういう時にも、俺達をぶったりしないのは、有難いけどな」

 

そう言って下人たちは、どこかの家のお貴族は直ぐに手が出るだの、腹いせに暇を出された者が居るなど、様々なうわさを話し合う。

 

「……どうやら俺は、良いお方にお仕えできたみたいだな」

「そうだぞ? 俺達は運がいいって」

「お前は何処から来たんだ?」

「大和の国だ。大峰山だな」

「ああ、思い出したぞ。主様が吉野に出向かれた際に、お目に留まったのだったか」

「おれは安曇の川沿いからだな」

 

生地を語り合い、笑い合う下人たち。

大峰山から来たという下人も同様に笑いながら、ふと空を見上げた。

高く澄んだ青空を、一羽の鷹が悠々と横切っていく。

 

(……気高い姿だ)

 

下人は、その鷹に、主人に通じるものを感じたような気がした。

 

やがて、夕暮れ時。

予告通り、主人の帰着は、普段よりも遅くなった。

主人のモノ以外の牛車もある。

朝に話があった、書家の方のものであろうか?

家人たちは、その客の持て成しに駆け回り、何とも慌ただしい。

 

「お客様がおいでだ! 夕餉の支度を急げ!」

 

家司の声が飛び、御厨では下人の妻たちが慌ただしく動き回っていた。

 

「魚の準備は?」

「既に整っております」

「良し。では、酒の用意も忘れるな」

 

下人の妻は、他の女たちと共に、手際よく膳を整えていく。

客人を持て成すというのは、家の格を示すこと。

粗相があってはならない。

 

「お母さん、これは?」

「ああ、それは客間に運んで頂戴」

 

傍らでは、息子が小さな手で器を運ぼうとしている。

まだ幼いが、よく働く子だ。

下人の妻は、我が子の成長を密かに喜びつつ、次々と料理を仕上げていった。

 

やがて、主人と客人の食事が始まった。

下人たちは、控えの間で静かに待機する。

 

「……今日の客人は、どなたでしょうな」

「書家の方と聞いたが……」

「主様は、学問の方だからな。そういう方々との交流が多いのだろう」

 

小声で語り合う下人たち。

やがて、食事が終わり、主人の食べ残しが、下人たちに下げ渡された。

 

「おお、魚がこんなに……」

「主様は、本当に良く残してくださる」

 

下人たちは、喜んで食事を始めた。

貴族の食べ残しとはいえ、下人にとっては贅沢な食事だ。

 

男も、妻や息子と共に、魚を口にした。

都では貴重な海の幸。

その味わいを、家族で分け合う。

 

「美味しいな」

「ええ。本当に」

「おいひい!」

 

息子が、無邪気に笑う。

その姿に、男は心からの笑みを浮かべ、他の下人たちも笑っていた。

 

こうして、日が暮れていく。

下人たちの一日は、長く、そして充実していた。

 

 

その夜。

主人の部屋には、灯火が灯されている。

客人は既に帰り、主人は一人、書を読み解いていた。

 

男は、その傍らに控えていた。

他の下人たちは、既に休んでいる。

だが、男は、主人の側に残っていた。

 

「……」

 

まだ年若い主人は、黙々と書を読んでいる。

その横顔は、昼間の不機嫌さとは違い、穏やかだった。

男が静かに声をかける。

 

「篁様」

「……何だ」

 

主人が、顔を上げた。

 

「今日も、お疲れ様でした」

「……そうだな」

 

主人は、少し疲れたように息を吐いた。

そしてゆっくりと辺りを見回す。

如何なる感覚なのか、他に聞く者が居ないと知ると、主人はおもむろに口調を変えた。

 

「……全く、下人などに身をやつさずとも……」

 

主人が、少し呆れたように言うと、下人の男も表情を変え、朗らかに笑う。

 

「いや、こういう庶民の生活が良いんだ」

 

その口調は、明らかに主たる者に向けるような物ではない。

 

「それに、こうして側で見ていると、色々と分かることもある」

「……まったく、物好きな」

 

主人──小野篁は、呆れたように首を振った。

だが、その目には、どこか諦めにも似た温かさがあった。

 

「……アキト殿。どうしてあなたはそうも酔狂なのか。かつて姉上の側役を成した時も、そう思いましたが……」

「ははっ懐かしいな……だが酔狂さなら、ツクヨミも同じだろう?」

 

男……つまり根乃国大神とも呼ばれる存在は、笑って答えた。

 

そう、この下人こそ、魔力に宿る意思として、久々に現世に降り立ったアキトだった。

そして、主人の小野篁もまた、ツクヨミの写し身による顕現。

同じと言われれば、確かにその通りだ。

 

 

「まあ、良い。そなたが満足しているのなら、それで良かろう」

 

篁は、再び書に目を落としつつも、未だ呆れが残る声で苦言を呈する。

 

「だが、ハルカ様とアマタまで巻き込むとは……」

「二人とも、喜んでいるぞ。特にハルカは、久々の現世を楽しんでいる」

「……そうか」

「アマタもな。こうして生身を通じて大人となる方が、やはりいい経験になっているようだ」

「ならば、いい。私も文句は言うまい」

 

篁は、小さく笑った。

その後しばし、二人の間で静かな時間が流れる。

 

外では、虫の音が響き、僅かな風が庭の木々の枝を揺らす。

平安の都の、静かな夜だ。

 

「そう言えば……」

 

静寂の中、思い出したようにアキトが告げる。

 

「……何だ?」

「アマテラスだが、その内にツクヨミに会いに来るかもしれない」

「何だと!?」

 

その言葉に、ツクヨミは篁の顔を投げ捨てた。

アキトに詰め寄りながら、大声を出さずに声を荒げるという、器用な芸当を成したツクヨミへ、内心賛辞を送りながら、アキトは続ける。

 

「行き違いになった事を、少し気にしていたからな。どういう形になるかは、分からないが」

「そうか……そうか!」

 

喜色を浮かべるツクヨミ。

早くも、現世で姉と過ごせる時間を思い、浮かれだしたようだ。

 

(この分だと、今後は機嫌のよさを噂されるようになるかもしれないな)

 

それは同時に、主である篁の気分を一変させた下人と言う評価を発生させるのだが、アキトもそこまでは気付いていなかった。

その後、主が落ち着くのを見計らって、アキトが、立ち上がった。

 

「……では、私はこれで」

「ああ。休め」

 

アキトは、一礼して部屋を出た。

廊下を歩きながら、アキトは小さく笑う。

 

(久々の現世。やはり、良いものだな)

 

長屋に戻れば、ハルカとアマタが待っている。

明日も、下人としての一日が始まる。

この時代における、幾らか幸運寄りな庶民の一人として。

 

(明日も早いからな……)

 

既に眠りについているであろう妻と子を想いながら、一人の下人として、アキトはその生活を、心から楽しんでいるのだった。




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