よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】 作:Mr.ティン
【菅原道真】
宇多天皇が譲位され、新たな帝が即位された。
それは、一つの時代の終わりを告げるものであったが、私にとっては、さほど大きな変化ではなかった。
何故なら、新たな帝もまた、私を重用されたからだ。
「道真、引き続きそなたの力を貸してもらいたい」
「畏れ多きことでございます」
帝の言葉に、私は深く頭を下げる。
だが、内心では当然だと思っていた。
私の才能と知見は、誰が天皇であろうと必要とされる。
それは、疑いようのない事実であった。
そして、私の予想どおりに事は動く。
醍醐天皇の治世においても、私の昇進は続いたのだ。
遂に、右大臣。
その地位に就いた時、私は深い満足を感じた。
右大臣とは、朝廷における最高位の一つであり、左大臣に次ぐ地位。
私は、ここまで昇り詰めたのだ。
「道真殿、おめでとうございます」
公卿たちが、祝いの言葉を述べ、私は穏やかに微笑んだ。
「皆様のお力添えがあればこそです」
謙遜の言葉を口にしながら、私はこうも思っていた。
これは、私の才能の証であると。
菅原家から、右大臣が出る。
それは、我が一族の栄光だ。
しかし、その栄光の影には、既に暗雲が立ち込め始めていた事を、この時の私は愚かにも見落としていた。
左大臣、藤原時平。
彼との対立が、次第に表面化していったのだ。
最初の衝突は、政策を巡るものであった。
「唐風の制度を見直し、我が国独自の体制を整えるべきです」
「道真殿の仰ることは理解できますが、急激な変化は混乱を招きます。慎重に進めるべきでおじゃろう」
私が朝議で主張すると、時平は即座に反論したのだ。
「慎重? それは、現状維持を望む者の言い訳に過ぎません」
「道真殿は、麻呂が現状維持を望んでいると?」
「そうは申しておりません。ただ、改革には勇気が必要だと申し上げているのです」
表面上は穏やかなやり取りであったが、その裏には激しい対立があった。
時平は、かの藤原北家の嫡流である。
摂関政治を支える中心的な人物であり、彼にとって私の存在は目障りであったのだろう。
何故なら、私は天皇の側近として、藤原氏の影響力を削ぐ役割を果たしてきたからだ。
宇多上皇の意向を受け、私は藤原氏に対抗する勢力の中心にいた。
「道真殿の発言力が、あまりに強すぎる」
そのような声が、藤原氏の間で囁かれているのを、私は知っていた。
だが、気にしなかった。
私の才能があればこそ、朝廷は正しく機能する。
彼らの妬みなど、取るに足らないものだ。
しかし、対立は日増しに激しくなっていった。
朝議での議論は、しばしば私と時平の論戦となった。
他の公卿たちは、ただ私達二人のやり取りを見守るだけであった。
「道真殿は、理想を語るのがお好きなようでおじゃるな」
「理想なくして、何を目指すのです?」
ある日、皮肉めいて時平がそう告げて来た時、私は即座に反論した。
「現実でおじゃる。我々は、現実の中で生きておる。理想だけでは、国は治まらぬのでおじゃる」
「では、現実に甘んじて、何も変えようとしないのですか?」
「変えることと、破壊することは違うのでおじゃる」
時平の言葉に私は苛立ちを覚えたが、此処でその想いを表に出すわけには行かぬ。
何故なら、時平もまた私の言葉に苛立っていると判るからだ。
平静を崩せば、そこを突かれる。
これはその様な争いであった。
そして、対立が決定的になったのが、帝の妃選びである。
それは、ある日の朝議で提起された。
「陛下の妃を、そろそろお迎えすべき時期でおじゃる」
「左大臣の仰る通りです」
時平が、そう切り出した。
今上の帝が妃を迎えるのは、次代を思えば当然のことだ。
故に私も同意したが、問題はその候補である。
「藤原氏より、相応しき姫君がおられるのでおじゃる」
時平が、続けた。
当然、藤原氏の娘を推すつもりだ。
外戚として、天皇との結びつきを強めるために。
だが、私はそこに異を唱えた。
「待たれよ。妃選びは、慎重に行うべきです。血筋のみならず、才徳、そして陛下の御意向を第一に考えるべきでしょう」
時平の顔が、僅かに強張った。
「道真殿は、藤原氏の姫君が相応しくないと?」
「そのようなことは申しておりません。ただ、他にも候補はいるはずです」
実のところ、宇多上皇と私は、ある皇女を醍醐天皇の妃に推していた。
血筋も申し分なく、才徳も備えた方である。
「例えば、どなたでおじゃるか?」
「内親王の中に、相応しき方がおられます」
時平が問い、私が答えると、彼は冷ややかに笑った。
「内親王を妃に? それは珍しいことでおじゃるな」
「前例がないわけではありません」
「しかし、通常は臣下の娘を妃に迎えるもの。それが、慣例でおじゃる」
「慣例に囚われすぎるのは、いかがなものかと」
私と時平の対立は、もはや隠しようがなくなっていた。
朝廷内は、二つの派閥に分かれた。
宇多上皇と私を支持する者たち。そして、藤原氏を支持する者たち。
結局、帝は藤原氏の娘を妃に選ばれた。時平の勝利である。
だが、私は諦めなかった。
まだ、機会はある。
私の才能があれば、藤原氏の影響力を削ぐことはできる。
そう、信じていたのだ。
……それが、きっと私の限界であり、驕りであったのだろう。
その時は、目の前に迫っていた事を、この時の私は気付いていなかった。
【藤原時平】
菅原道真。
あの男は、危険でおじゃる。
麻呂は、そう確信しておった。
道真の才能は、認めざるを得ぬ。
学問においては、並ぶ者がおらぬでおじゃろう。
されど、それゆえに危険であり、それゆえに哀れなのでおじゃる。
彼は、自らの才能を過信しておる。
そして、藤原氏の存在を軽んじておるのでおじゃる。
「道真殿は、理想を語るのがお好きなようでおじゃるな」
麻呂が皮肉を込めてそう言った時、彼の目には苛立ちが浮かんでおった。
だが、それを隠そうとした。その姿が、滑稽でおじゃった。
道真は、宇多上皇の庇護の下で力をつけた。
そして、今や右大臣にまで昇っておる。
このままでは、藤原氏の地位が脅かされるでおじゃろう。
摂関政治。
それは、藤原氏が代々築き上げてきたものでおじゃる。
天皇の外戚として、朝廷を支配する。
それこそが、我らの在り方なのでおじゃる。
だが、道真はそれを壊そうとしておる。
宇多上皇と共に、天皇親政を目指しておるのでおじゃる。
藤原氏の力を削ぎ、天皇の力を強めようとしておる。
それは、許されることではないのでおじゃる。
故に麻呂は、決断したのでおじゃる。
道真と宇多上皇を、排除すると。
しかし、どのようにして?
道真には、落ち度がない。
政務においても、私生活においても、彼は実直でおじゃる。
讒言の材料が、ないのでおじゃる。
ならば、作るしかないでおじゃろう。
これこそ、根が学者たる道真には出来ぬ事でおじゃる。
彼は清廉に過ぎ、権謀に欠けるのが、欠点でおじゃろう。
そして、麻呂は機会を見つけたのでおじゃる。
斉世親王。
道真の娘の婿でおじゃる。
その親王を、皇太子にしようとする動きがあるという噂を耳にしたのでおじゃる。
(これは……何とも都合がよい事でおじゃるな)
麻呂は、微笑んだ。これを利用できるでおじゃろう。
今上の帝は、まだ若くそれ故に腰が定まらず、疑い深い部分があるでおじゃる。
宇多上皇の影響力を気にしておられるのが、その何よりの証拠。
そこに、道真が親王を皇太子にしようとしているという話を持ち込めば……さて、いかなる結果を呼ぶでおじゃろうな?
そしてその日、麻呂は、帝に拝謁を願い出たのでおじゃる。
「陛下、重大なる報告がおじゃる」
「……何事か?」
天皇は、麻呂を見つめられた。
「菅原道真が、謀反を企てておりますのでおじゃる」
「謀反……!?」
「はい。道真は、斉世親王を皇太子に立て、陛下を廃そうとしておるのでおじゃる」
実のところ、その様な話を裏付ける証拠はないでおじゃる。
だされど、状況証拠はあるでおじゃる。
道真の娘が斉世親王に嫁いでいること。
宇多上皇が道真を重用していること。
そして、藤原氏の影響力を削ごうとする動き。
それらが脳裏に浮かんだのか、帝の声は震えておじゃった。
「それは、まことか……?」
「残念ながら、複数の証言がおじゃる。道真は、陛下の御地位を脅かそうとしておるのでおじゃる」
麻呂の言葉は、天皇の心に染み込んでいったのでおじゃる。
【帝(醍醐天皇)】
私は、疑っていた。
父である宇多上皇の影響力を。
そして、菅原道真の権勢を。
即位した時、私はまだ若かった。
宇多上皇は、私を支えてくださった。
そして、道真もまた、私を補佐してくれた。
だが、それは本当に私のためなのだろうか?
「陛下、これは上皇の御意向でございます」
道真が、そう言って政策を進める。
私の意見ではなく、上皇の意向。
それを、常に優先しようとする。
私は、帝なのだ。
この国の頂点にいるはずだ。
しかし道真は、実際には上皇の意向に従うことが多い。
それが、不満であった。
そして、時平の報告を聞いた時、私の疑念は確信に変わった。
「道真が、斉世親王を皇太子に……」
斉世親王は、道真の娘婿である。
もし親王が皇太子になれば、道真の影響力はさらに増す。
そして、私は……。
「私を、廃そうというのか……」
恐怖が、私を襲った。
道真の才能は、誰もが認めるところだ。
もし彼が本気で私を廃そうとすれば、できるかもしれない。
さらに、別の噂も耳に入った。
「宇多上皇が、皇太弟を立てようとしているとか」
皇太弟。それは、私の弟を皇太子にするということだ。
つまり、私の子ではなく、弟に皇位を継がせる。
「父上も、私を信用しておられないのか……」
疑念が、疑念を呼ぶ。
道真も、上皇も、私を軽んじている。
私は、ただの傀儡なのではないか。
私は、決断した。
「道真を、大宰府に左遷せよ」
その命令を下した時、私の心には恐怖と怒りが渦巻いていた。
【菅原道真】
それは、突然のことであった。
醍醐天皇の言葉を聞いた時、私は耳を疑った。
「道真、そなたを大宰府権帥に任ずる」
「陛下……それは……」
大宰府権帥。
それは、都から遠く離れた地への赴任である。
右大臣からとなれば、これは明らかな左遷だ。
「何故……何故でございますか?」
私は、問うた。
だが、天皇は冷たい目で私を見つめるだけであった。
「そなたが、斉世親王を皇太子に立てようとしていると聞いた」
「そのような……そのようなことは……」
私は、否定した。
だが、天皇の目は、私を信じていなかった。
それどころか、私の子供たちも、次々と都を追われた。家族がばらばらにされたのだ。
さらに、私を取り立てて下さった宇多上皇もまた、疑いをかけられた。
「上皇は、皇太弟を立てようとしている」
そのような噂が流され、上皇は譴責を受け、その力は大きく削がれてしまった。
(帝は気付かれてはおらぬのか? これは全て藤原氏の思惑そのものだと……)
結果として、宇多上皇が削ごうとした藤原氏の外戚としての力が、再び勢いを取り戻している。
そう、宇多上皇と私は敗北したのだ。
時平の策略に、まんまと嵌められ、結果もはや手の打ちようもない。
そう理解した時には、全てが手遅れであった。
大宰府へ向かう道中、私は何度も振り返った。
都が、遠ざかっていく。
私の栄光が、遠ざかっていく。
「何故……何故なのだ……」
私の才能は、認められていたはずだ。
私は、正しいことをしてきたはずだ。
それなのに、何故このような目に遭わねばならないのか。
大宰府に着いた時、私は打ちのめされていた。
家族とも引き離され、私は一人、この地で過ごすことになる。
かつての栄華は、夢のように消え、後に残るのは私が散々自負し続けた才のみ。
故に、日々、私は漢詩を詠んだ。詠むより他に、することが無かった。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ……か」
その日々の中、私は都の屋敷にあった梅を思いながら詠んだ漢詩を思い起こしていた。
左遷前に読んだこの詩は、様々な思いが込められたものだ。
「……都の梅は壮健であろうか?」
自らがゆっくりと朽ちていくことを自覚した私は、ただ家族や愛でた梅の事を想うばかりであった。
その様な無念の日々が続き……だが、ある日、私は一つの転機を得る。
「魔穴の様子がおかしい……?」
大宰府近くに、規模の大きい魔穴があるという話を聞いたのだ。
魔穴の事は、私も聞き及んでいる。
日乃本各地にある、神秘に満ちた地の底への道。
多くの幸をもたらし、兵や術師を精強に育てる場。
その一つが大宰府近くにもあり、そこの様子がおかしいのだという。
大宰府の者達も、私が学者として身を立てた事を知っているらしく、その異常に対して意見を求めて来たのだ。
(……ふむ。元より左遷された暇な身だ。調べてみるのも良いか)
詩作にふける事しか出来ぬ毎日であったため、私もその異常とやらに興味を持ったのだった。
それが、決定的な変化を呼ぶことになる事を……この時の私は知る由もなかったのである。
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