よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】 作:Mr.ティン
【源義経】
倶利伽羅峠での敗北から、平氏の運命は既に決まっていたのだろう。
安徳天皇と三種の神器を奉じて西へ落ちた平家は、太宰府で在地武士に拒まれ、源氏の追撃を受ける中で、次第に海の上の漂流政権へと変わっていった。
阿波国の田口成良に迎えられ、讃岐国屋島に本拠を構えるに至った平氏。
屋島はほぼ島状で、海側からは天然の要害だった。
長門の国の彦島と合わせて瀬戸内の航路を押さえることで、かつての清盛が整備した宋との貿易路を、今なお利用することができたのだ。
そして、平氏はなお有力な水軍を保持していた。
瀬戸内の制海権と諸国からの貢納を押さえることで、まだ滅亡には至らぬ力を保っていたのだ。
一方、源氏は依然として水軍の面で弱かった。
范頼殿が苦労したように、熊野水軍や摂津水軍の協力を得てもなお、水軍面では平家に分があったのだ。
そのような状況の中で、後白河法皇は三種の神器返還を条件に和平を打診してきたと聞いた。
だが、現平家をまとめる平宗盛は、それを拒否したという。
決戦は、もはや不可避だったのだ。
後白河法皇の使者・高階泰経が、私の陣へとやってきたのは、そのような時だった。
「義経殿、法皇様からのお言葉でございます」
泰経の言葉に、私は頷いた。
「屋島攻めについては、そなたが総大将として陸から奇襲をかけるというお考えのようだが、法皇様は申し上げたい。大将が先陣に立つべきではない。京に戻られよ」
泰経の言葉に、私は深く考えた。
確かに、大将が先陣に立つのは、戦術上の危険性をはらんでいる。
だが、私には、この戦いに自ら参加する必要があると感じていたのだ。
「泰経殿、申し訳ございません。ですが、これは戦ではなく、武士の誉れです。そして、兄上の意向でもあります。私は、この戦いに参加する必要があると考えます」
泰経の顔が、わずかに歪んだ。
「法皇様は、そなたのことを危ぶんでおられるのです。どうか、京に戻られよ」
だが、私は首を横に振った。
「申し訳ございません。ですが、私の決意は変わりません」
こうして、私は出陣を強行することになったのだ。
摂津国渡辺津で、私の軍勢が集結した。
渡辺党などの摂津水軍、熊野別当湛増の熊野水軍、河野通信の伊予水軍。
それらの軍勢を味方につけて、一つの艦隊が編成された。
二月のある夜、暴風の中を、私は軍の一部を率いて出航した。
翌日、阿波勝浦へと上陸する。
だが、これは只の上陸ではなかった。
如何にも海路から来たと見せかけ、実は陸路で一気に北上して屋島背後に回り込む策だったのだ。
天狗に教わった、この山々での戦術を、ここで活かすのだ。
海から攻撃が来ると思わせておいて、実は陸から包囲する。
その落差が、戦いの勝敗を決めるだろう。
一日かけて、私たちは屋島近くまで到達した。
そこで、私は一つの策を仕掛けたのだ。
二月の乾燥した空気の中、枯草など彼方此方に火をかけながら進軍する。
その炎の列が、いかにも大軍が陸から押し寄せてきたかのように見えるはずだ。
心理戦だ。
平氏の目を、海から陸へと逆転させるのだ。
平氏は当然、海からの攻撃を想定していた。
陸側の警戒は手薄だった。
背後から火の手が上がり始めた時、平氏の兵たちは恐慌状態に陥ったはずだ。
陸上陣地が危険だと判断した平氏は、陣を捨てて軍船へと退避していく。
その瞬間、屋島の陸上拠点は、ほぼ私の手に落ちた。
だが、平氏は海上に退いた後、私たちの兵力が少ないことに気づいたのだろう。
船を引き返して、船上から激しい弓戦を仕掛けてきたのだ。
その弓戦の中で、一本の矢が、私の胸目がけて飛来した。
平教経の矢だ。
その矢は、確かに正確で、致命的な威力を秘めていた。
だが、その矢は、私の胸には到達しなかった。
私の部下である佐藤継信が、身を挺して私を庇ったのだ。
「継信!」
私は、その場で叫んだ。
継信の身体に、平教経の矢が深く刺さっていた。
「殿……申し訳ございません」
継信が、弱々しく言った。
「いや、継信……そなたの忠義を、拙者は忘れないぞ」
継信は、その言葉を聞いて、わずかに笑った。
そして、その身体が、海へと沈んでいった。
継信の死に、私の心は怒りで満たされた。
だが、同時に、彼の忠義に報いるために、奮戦する必要があったのだ。
「全軍、弓を放て!」
私の号令で、源氏の弓たちが、一斉に放たれた。
その矢たちは、まるで砲撃のような超人的なものだった。
天狗に教わった弓の技術を、ここで存分に発揮する。
矢を放ち、矢を避け、矢で矢を射抜く。
そのような凄まじい技量が、源氏の弓手たちの中にはあった。
更にその凄まじい矢が飛来しても、槍や刀で切り払う、あるいは矢で矢を射抜くなどの技量で防いでいたのだ。
更に平家側が揺れる船の上にあるということで、双方の命中率が落ちてもいた。
こうして、射撃戦は長期化していったのだ。
そんな中、夕刻一時的な膠着状態の中で、平氏側の小舟が現れた。
竿の先に赤い扇を立てて、源氏を挑発している。
その挑発の意図は明白だった。
源氏の弓手が、この扇を射抜くことができるかどうかを試すのだ。
もし射抜けなければ、源氏の弓の名声は傷つくであろう。
もし射抜けば、平氏の士気は低下するであろう。
私は、その挑発を受けることに決めた。
「誰か、この扇を射抜く者はいないか」
私の言葉に、一人の若き武士が名乗り出た。
那須与一だ。
与一は、この時点で既に多くの平氏の兵を討ち取るなど、弓の腕を示していた。
「拙者が、その扇を射抜いてみせます」
与一の確信に満ちた言葉に、私は頷いた。
与一は馬に乗って、海へと乗り入れた。
海に乗り入れた与一の馬は、波を蹴りながら進んでいく。
海上で揺れる、四百間先の扇。
その距離は、通常の弓手には到達不可能な距離だった。
与一は、弓を引いた。
その弓の構えは、まるで修行の果てに得られた境地のようだ。
そして、与一は矢を放った。
その矢は、空を裂いて飛び、赤い扇を一矢で射抜いた。
源氏の兵たちから、歓声が上がった。
与一の武勇に沸き立つ源氏と、恐れ戦く平氏。
その落差は、戦いの勝敗を象徴していた。
それでも、膠着状態は数日続いた。
その間に、平氏の一部が屋島東側の志度湾から上陸し、私たちの背後を突こうとしてきた。
だが、私はそれを撃退することに成功したのだ。
そして、梶原景時が率いる源氏本隊が屋島に到着した時、源氏側の兵力は決定的優位となった。
もはや、平氏が戦闘を続けることは不可能だった。
「退却するぞ! 長門国彦島へ!」
平氏の総大将が、そう命じるのが聞こえた。
屋島を放棄して、平氏は長門国彦島へと撤退していったのだ。
屋島の陥落。
それは、平家の海上優位が覆ったことを意味していた。
平氏の拠点は、もはや長門国彦島のみとなった。
九州側は範頼殿が押さえつつあり、陸路の補給線と四国の拠点を失った平氏は、狭い海域に押し込められた。
彦島に籠城するような形となったのだ。
その事を理解している私は、屋島の勝利に、源氏の中で最後の決戦に向けて意気込んでいた。
弁慶が、私のもとへ来た。
「殿、屋島の陥落により、平氏は決定的に追い込まれました。あとは、最後の一撃だけです」
弁慶の言葉に、私は頷いた。
「そうだな、弁慶。だが、平氏もなお海上では力を持っている。彦島での最後の抵抗は、激しいものになるであろう」
「拙僧も、そう思います。ですが、殿、源氏の勝利は確定しました」
弁慶の言葉に、私は安堵の息をついた。
長き平氏討伐戦も、もう終わりが見えている。
倶利伽羅峠での義仲殿との戦い、一の谷での激戦、そして今の屋島での勝利。
それらが、全て源氏の勝利へと繋がっていたのだ。
白い旗が、屋島の空に翻っていた。
源氏の旗だ。
その旗の下で、私たちは平氏滅亡へ向けて、最後の歩を進めようとしていたのだ。
京では、後白河法皇も、この屋島の勝利の知らせを受けたであろう。
法皇は、私の出陣を止めようとしていた。
だが、結果として、私の出陣こそが、この勝利をもたらしたのだ。
兄上・頼朝殿は、どのような想いで、この報を聞くであろうか。
範頼殿との連携により、平氏は完全に包囲され、あとは最後の決戦を待つのみだ。
私は、夜の海を眺めていた。
その海の向こうに、彦島が見えるはずだ。
その彦島に籠城する平氏を滅ぼすために、源氏は再び動き出すであろう。
佐藤継信の死を思い出した。
継信は、私を庇って死んだ。
その死は、決して無駄ではない。
継信の忠義が、源氏の勝利へと繋がっているのだ。
「継信よ、その死を無駄にしないぞ。平氏を滅ぼし、そなたの忠義を讃えよう」
私は、夜の海に向かって、そう呟いた。
屋島での戦いは終わった。
だが、平氏討伐戦は、まだ終わっていない。
最後の決戦は、おそらく彦島付近の海上で起こるであろう。
「……壇ノ浦か」
そう呼ばれる海こそ、源氏と平家の最後の戦の場となるだろう。
その決戦に向けて、源氏の全軍が動き始めるのだ。
範頼殿との連携、熊野水軍や摂津水軍の力、そして私の奇襲作戦。
それらが全て合致する時、平氏の完全な滅亡が訪れるだろう。
私の心には、確かな予感があった。
平氏滅亡の時は、もう近い。
そして、その滅亡とともに、源氏の新しい時代が始まるのだ。
弁慶が、私の後ろに立っていた。
配下たちも、皆、屋島での勝利に沸き立っている。
「では、準備を進めよ。次の戦いに向けて、全軍の態勢を整えるのだ」
私の指示に、配下たちが動き始めた。
源氏の、最後の総力戦へ向けて。
白い旗が、屋島の夜空に翻っていた。
その旗の下で、源氏は平氏滅亡へ向けて、最後の歩を進めるのだった。
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