よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】 作:Mr.ティン
【源義経】
屋島を落とした私たちは、次なる標的へ向かうことになった。
長門の国彦島。
そこに追い込まれた平氏は、もはや逃げ場のない最後の袋小路へと陥落していたのだ。
彦島は、関門海峡を押さえる要衝であり、九州との連絡が取りやすいという利点があった。
だが、同時に、逃げ場のない最後の檻でもあったのだ。
源氏は二つの経路で進軍することになった。
私は瀬戸内を熊野水軍、伊予水軍、渡辺党などを率いて西進する。
一方、范頼殿は陸路で西へ山陽道、九州側から圧力をかけ、平氏の退路と補給を断つ。
かくして、平氏は東から私の水軍、西から范頼殿の陸軍に挟まれる形となった。
関門海峡での決戦は、もはや避けられないものとなっていたのだ。
開戦前、源氏の船は約八百艘。
対する平氏は四百艘ほど。
数においては源氏が優勢だった。
だが、平氏は長年の水軍の経験があり、源氏はあくまで陸が主体で、水軍は寄せ集め的な存在だったのだ。
勝敗は不透明であった。
更に、決戦の舞台となる壇ノ浦は、潮の流れが極端に速く、潮の満ち引きで流れの向きが変わるという特殊な海域だった。
潮流の読み合いが、そのまま勝敗に直結する戦場だったのだ。
そして、決戦の幕が上がった。
開戦は午前だった。
この時間帯、潮の流れは彦島側から源氏側へ向かう形で、平氏に有利な追い潮だった。
平氏はこの潮を利用して、船を並べて浮き城のような陣形を組み、弓戦で源氏を圧倒していた。
序盤、弓戦では平氏優勢だった。
高く組まれた平氏の船からの矢は、源氏に大きな損害を与えていく。
あたかも平氏の陣営が動く城塞のように、源氏の兵たちを圧倒していたのだ。
「くっ……」
私は、歯を食いしばった。
だが、この状況は私の予想の範囲内だった。
「待つのだ」
配下の者たちに言った。
潮は変わる。
人間には変えられぬが、天の営みは確かなのだ。
正午を過ぎる頃、潮の流れが逆転した。
今度は源氏側に有利な追い潮となったのだ。
この瞬間を、私は逃さなかった。
「全軍、前進だ!」
私の号令で、源氏の船団が動いた。
船を縦横に動かし、平氏の船団の間に割り込むように接近していく。
弓が主の戦いから、組み討ち・近接的な戦いへと切り替わる。
それは、数に勝る源氏にとって、最も優位となる戦い方だった。
海戦の主導権が、遠距離の弓戦から近距離の白兵戦へと移行していく。
水軍を得手としていた平氏は、源氏よりも弓の使い手が多い。
しかし近接の場合、魔穴で鍛えられた源氏に抵抗できるほどの強者は、平氏に最早ほとんどいない。
そういった者達は、これまでの戦で多くが討ち取られていたのだ。
更に、ある程度近づいたのならば、私の独壇場だ。
「先行する。皆は私の後を追え!」
「義経様!?」
平氏の船はまだ距離があるものの、この程度ならば天狗の教えを受けた私ならば、渡るのにも容易い。
「せぁっ!!」
掛け声とともに、私は大きく跳躍する。
さらに、自分の身に風を纏うと、数十間の距離を一気に飛び、平氏側の船へと乗り移ったのだ。
「な、何だと!?」
「遅い!」
驚く平氏の兵を一刀の下に切り捨てる。
更に、舵取りの者も同様に。
「これで、この船は制圧したな」
船上であるため、多くの者は余り鎧を着こんでいない。
万が一海に落ちれば、そのまま沈むからだ。
しかし、こうして近づけば、容易に切り伏せられる。
「……この綱は、錨か」
だが、私が見抜いたのは、更に重要な弱点だった。
平氏の船の足並みが、錨による船体の維持であるということだ。
「全軍、平氏の船の錨綱を切れ!」
私の命令により、源氏の兵たちが動いた。
錨綱を、次々と切り落としていく。
錨を失った平氏の船は、速い潮流に流されて隊形が崩れ、互いにぶつかり合い、統制を失っていった。
平氏の海上要塞としての強みが、一気に崩壊したのだ。
そして、更に決定的なことが起きた。
平氏に与していた阿波水軍、伊予水軍などが、形勢不利と見て源氏に寝返ったのだ。
ここに至り、平氏の形勢は決定的に不利になったのだ。
そもそも平氏は、ここに至るまで敗走続きで、士気が底を打っていた。
対する源氏は連勝続きで、士気は高かった。
その差は、もはや埋められぬほど大きかったのだ。
【幼帝(安徳天皇)】
朕は、何が起きているのか、未だよく理解していなかった。
都から、福原へ。
そして屋島を経て、彦島へ。
源氏なる者達が、朕たちを追いやったのだと周囲の者達は言っている。
だが、よくわからぬ。
帝たる朕が、何故追われるのだ?
その問いに、周囲の者らは口をつぐむ。
故に、朕は何もわからぬまま、今こうして船に乗せられている。
「阿波と伊予の者らが裏切っただと!?」
「あの恩知らずどもめが!!」
周囲で、多くの声が響いている。
罵声、悲鳴、悲嘆。
だが、その声が何を意味するのか、朕には分からなかった。
ただ、恐ろしい。
周囲の共の者らも、怯えている。
一体何が起きているのか……
そんな中、祖母・二位尼が、朕のもとへ来た。
「帝……」
二位尼の顔には、深い悲しみが映っていた。
「なにがおきているのじゃ?」
朕は、尋ねた。
だが、周囲の誰も、朕に答えてくれなかった。
甲板の上で、多くの兵たちが倒れていく。
矢が飛び交い、刀が鳴る。
その音は、まるで地獄のようだ。
更に轟音が響いた。
ふと見ると、炎を纏った船が、多くの船がある側へと突き進んでいる。
そして、多くの船をその炎に巻き込み、そして海へと沈んでいった
そのような光景が、あちらこちらで起きていた。
そして……。
「帝、最早これまでで御座います。参りましょう」
二位尼が、朕の手を握った。
「何処へ? 祖母よ」
朕が尋ねると、二位尼は静かに答えた。
「水底にも都は有りましょう。帝は、そこへ参るのです」
その言葉が、朕に何を意味するのか、完全には理解できなかった。
だが、朕は祖母の意志を感じた。
二位尼が、朕を抱いた。
朕の身体が、水に包まれていく。
海が、朕を呑み込んでいく。
沈み行く水の中で、朕は何かが呼びかけてくるのを聞いた。
(何だ……この声は……)
朕の意識が、次第に遠くなっていく。
水底からの呼びかけは、朕の心を揺さぶり、ふと何処か優しいもののように思えたのだ。
(朕は……どこへ……)
遠くなる意識の中、呼びかける声の先、水底を見る。
そこには、とても大きな何かが潜んでいるように見えた。
とても、大きな……。
【源義経】
壇ノ浦の勝利に、源氏の全軍が沸き立った。
平家は滅亡した。
あの長きに亘る戦いも、ここで終わりを告げるのだ。
だが、私の心は、完全には喜びに満たされていなかった。
沈む夕日を見た時、その赤さが、まるで血の色に見えたのだ。
(何か……おかしい)
その違和感が、私の心を占めていた。
平家が亡び、もはや戦う必要などない筈だ。
天下は源氏のものとなり、兄上の政権が確立されるであろう。
だが、その予感を振り払おうとしても、消えない不安があったのだ。
弁慶が、私のもとへ来た。
「殿、勝利です。平家は滅亡しました」
弁慶の声は喜びに満ちていた。
だが、私の返事は、そこまで素直ではなかった。
「そうだな。だが、弁慶……」
「何ですか、殿?」
「何か……気になることがある」
私は、海を見つめていた。
水底に沈んだ平氏の者たちの姿が、脳裏に浮かぶ。
平教経は、最後まで源氏と戦い、炎の力を使って特攻し、多くの源氏の船を巻き込んで消えた。
その姿は、確かに武士の死だった。
平知盛は「見るべき程のことは見つ」と言い残し、甲冑を重ねて海に身を投じたという。
その言葉に、平家の気高さを感じた。
だが、最も深く心に残ったのは、幼帝とその祖母だった。
幼帝は、何も理解しないまま、祖母に抱かれて海に沈んでいった。
その情景が、私の心を揺さぶり続けていたのだ。
「殿、大丈夫ですか?」
弁慶が、心配そうに言った。
「ああ……大丈夫だ。ただ……」
私は、言葉を継ぐことができなかった。
勝利。
それは確かに源氏のものだ。
兄上の政権も、確立されるであろう。
だが、その勝利の代償として失われたものは何なのか。
その問いが、私の心に重くのしかかっていたのだ。
沈む夕日は、更に深く赤くなっていった。
その色が、どうしても血の色に見えてならないのだ。
白い旗が、壇ノ浦の空で揺れていた。
源氏の旗だ。
その旗の下で、私たちは勝利に沸いていた。
だが、その勝利の輝きの奥に、何か深い影があるような気がしてならないのだ。
「殿、京へ帰りましょう」
弁慶の言葉に、私は頷いた。
「そうだな。兄上に報告する必要があるな」
だが、京へ帰る道の中で、私の心は壇ノ浦の海を見つめ続けていたはずだ。
水底に沈んだ幼帝。
その幼い顔が、私の脳裏から消えることはなかった。
あの子は、何も知らないまま、何も選ぶことなく、海の底へ沈んでいったのだ。
その事実が、源氏の勝利がどれほど正当であっても、消えることはない。
夜が、次第に深くなっていく。
星が、冷たく輝いている。
その星の光を見つめながら、私は京へ向かうのだった。
だが、壇ノ浦での一つの予感は、消えることなく、私の心に残り続けるのであろう。
勝利と敗北の狭間で、人間は何かを失い、何かを得る。
その永遠の営みが、この戦いの終わりの中に、静かに横たわっていたのだ。
白い旗が、夜の風になびいていた。
源氏の旗だ。
だが、その旗の下で、私、源義経の心には、消えぬ不安が存在し続けていたのだ。
なお、崇徳上皇は、史実よりも早く、平治の乱前に没しています。
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