よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】   作:Mr.ティン

89 / 203
道鏡天皇事件

【道鏡】

 

恵美押勝の乱が鎮圧された後、拙僧は予想だにしない高みへと引き上げられた。

 

「道鏡、そなたを法王に任ずる」

 

帝――重祚され称徳天皇となられた方は、そう仰せになられた。

法王。仏教界の頂点に立つ、かつて無き地位。

それは、僧としては栄誉この上ないものであった。

 

だが、同時に拙僧は、己の内なる声を聞いた。

 

(……これは、過ぎたる事ではないか?)

 

帝の仏教への傾倒は、確かに深い。

それは純粋な信仰心から来るものだと、拙僧は信じている。

だが、その傾倒の深さ故に、周囲が見えなくなっておられるのではないか?

そして、拙僧もまた……法王という地位に、心のどこかで酔っていたのではあるまいか?

 

(いや、拙僧はただ仏法を広めたいだけだ。この国を、仏の教えで満たしたいだけなのだ)

 

そう自分に言い聞かせながら、拙僧は帝と共に、仏教重視の政策を進めていった。

 

寺院の建立を推進し、僧侶の地位を高め、仏法による国家統治を目指す。

それは、聖武天皇が大仏を建立された時の理想を、更に推し進めたものだった。

 

「道鏡、仏の教えこそが、この国を守るのです」

 

帝は、そう繰り返し仰った。

 

「仰せの通りにございます」

 

拙僧は、ただ頷くしかなかった。

だが、朝廷の空気は、日に日に重くなっていく。

 

藤原氏を始めとする貴族たちの視線が、拙僧に突き刺さる。

帝以外の皇族の方々も、良い顔はしておらぬ。

彼らの目には、明らかな敵意があった。

僧である拙僧が、政治の中枢に居座ることへの反発。

事実、帝と拙僧は専横と取られても仕方ないほど、まつりごとを押し進めている。

拙僧が高位の貴族や皇族の出ならば、また違ったやも知れぬが、所詮拙僧は然程地位の無い弓削の家より出家した者。

侮蔑や敵意を向けられるのは必然であり、それは、日を追うごとに強まっていった。

 

そして……あの事件が起きたのだ。

 

「宇佐八幡宮より、神託があったとのことです」

 

ある日、使者が報告に訪れた。

その内容を聞いた時、拙僧は背筋が凍る思いがした。

 

『道鏡を天皇とすれば、天下は太平ならん』

 

(……何という、馬鹿げた話だ)

 

拙僧は、即座にそう思った。

天皇とは、天照大神の子孫が継ぐもの。

それは、この国の根幹を成す原則だ。

 

かつて、光明皇后が人臣の身でありながら皇后となった時ですら、朝廷は大いに揺れた。

藤原氏という、それでも皇室に連なる血筋の者ですら、である。

それが、何の血縁も無い、ただの僧が天皇になれば、世が治まる筈がない。

 

(これは……罠であろうな。それほどまでに、拙僧が目障りとなった、か)

 

拙僧は、すぐに察した。

藤原氏か、或いは他の皇族か。

拙僧を陥れようとする者たちが、この神託を捏造したのだろう。

 

「陛下、この神託は……」

 

拙僧は、帝に進言しようとした。

だが、帝の目には、期待の光が宿っていた。

 

「道鏡、そなたが天皇となれば……」

(ああ、帝は……本気で、そう考えておられるのか。これは拙僧にも咎がある。帝を諫めきれなかったこの身の……)

 

拙僧は、絶望を感じた。

帝の仏法への傾倒は、もはや周囲が見えぬ程に深まっていたのだ。

 

結局、和気清麻呂という者が、再度神託を確認するために宇佐へ派遣された。

そして、彼が持ち帰った神託は、こうだった。

 

『天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし』

 

つまり、天皇は皇族が継ぐべきであり、道を外れた者は排除せよ、と。

 

(……やはり、な)

 

拙僧は、その報告を聞いた時、むしろ安堵した。

これで、この馬鹿げた話は終わる。

だが同時に、拙僧の運命も終わったのだと悟った。

 

帝は、激怒された。

和気清麻呂を流罪とし、拙僧を擁護しようとされた。

だが、もはや遅かった。

 

貴族たちは、一斉に拙僧を糾弾し始めた。

 

「僧の身で、帝位を狙うとは!」

「仏法を利用して、権力を奪おうとした!」

 

(……そんなつもりは、無かったのだが)

 

拙僧は、ただ黙って耐えるしかなかった。

弁明しても、誰も信じまい。

元より、女性の帝を誑かした破戒僧などという扱いをされて居たのだ。

拙僧を貶めるにこれほどの好機はあるまい。

そこまで考え、ふと疑念が過る。

 

(いや……拙僧自身、本当に全く野心が無かったと、断言できるだろうか?)

 

法王という地位に就いた時。

帝の信任を受け、政治に関わるようになった時。

拙僧の心に、驕りは無かっただろうか?

 

(……そうか。拙僧は、身に余る立場に、目を眩ませていたのだ)

 

無意識の内に、拙僧は増長していたのかもしれない。

ただの僧が、国の政を左右する立場に立っていたこと。

それ自体が、既に道を外れていたのではないか?

故に、この結末が訪れたのであれば、これも必然というモノであろう。

 

 

程なくして、帝が崩御された。

そして、新たな帝が即位された。

 

拙僧は、その光景を、遠くから見守った。

もはや、拙僧に政治に関わる資格は無い。

 

貴族たちは、再び政治の主導権を取り戻し、その中でも藤原氏が、橘氏が、朝廷の中枢を占める。

仏教重視の政策は、静かに修正されていく。

 

(……拙僧の時代は、終わったのだ)

 

下野国への左遷が決まった時、拙僧は静かに受け入れた。

都を離れ、遠い地で余生を送る。

それが、拙僧に残された道だった。

 

下野国薬師寺。

そこで、拙僧は再び、ただの僧として過ごすことになった。

 

朝の勤行。

経典の読誦。

民衆への説法。

 

かつて、拙僧が若き日に行っていた、僧としての日常。

それが、今は何よりも尊く感じられた。

 

(これで、良かったのだ)

 

夕暮れ時、寺の境内で、拙僧は静かに合掌する。

 

「南無阿弥陀仏……」

 

法王として権勢を誇った日々は、まるで夢のようだった。

だが、その夢から覚めた今、拙僧は穏やかな心を取り戻していた。

 

そして、ある日。

拙僧は、静かに息を引き取った。

 

最期まで、拙僧は祈り続けた。

この国の平和を。

仏法の繁栄を。

そして、かつて拙僧を信じてくださった、あの帝の魂の安寧を。

 

 

【アキト】

 

(……道鏡の人生も、終わったか)

 

俺は、魔力の流れの中で作り上げた、和風の庭園のような空間で、道鏡の最期を見届けた。

隣には、いつものようにハルカが寄り添い、アマテラス達も同様の光景を共に見ていた。

 

(アナタ……道鏡さん、可哀想……)

(ええ、帝との純愛が、周囲に理解されなかったのでしょうね……)

 

ハルカが、涙ぐみ、アマテラスまで、何やら感動した様子で言っている。

二人とも、どうも男女関係が絡むと、冷静に分析できない傾向があるが、今回は特にその傾向が強いようだ。

 

(ちょっと待て、二人とも。あれは恋愛じゃないだろう? どちらかと言うと信仰とか崇拝に近くなかったか?)

 

俺は、思わずツッコミを入れるが、

 

(何を言うのです、アキト様。あれこそが純愛ですよ! 互いの信仰を通じて結ばれた、魂の絆! ああ、あんな風に悲恋でもいいから素敵な旦那様が欲しい……!)

(そうよ、アナタ! 道鏡さんと帝の関係は、とても美しかったわ!)

 

ハルカとアマテラスは、恋愛脳を暴走させたままだ。

俺は援軍を求めてツクヨミに視線を送るが、

 

(姉上はそれでいいのですよ。ともあれ……あれは急伸過ぎた勢力の、政治的な失脚劇と言うべきでしょう)

 

ツクヨミは基本アマテラスに甘いので役に立たない。

ただ、分析自体は俺も同意見だ。

 

(そうだな。簡単に言えば、出る杭が打たれた、という話だ)

 

俺は、頷いた。

そして、ダンジョンのデータベース機能を使って、俺の生前の世界における道鏡の歴史を検索した。

 

(……やはり、俺の生前の歴史でも、同様の事件は起きて居たんだな)

 

画面に映し出されたのは、宇佐八幡宮神託事件の詳細だ。

 

(基本的な流れは、同じか。道鏡が天皇になろうとして、和気清麻呂がそれを阻止した、と)

(その様に伝わっていた、そういう事ですな?)

 

ツクヨミが、興味深そうに画面を覗き込み、俺はその言葉に頷く。

 

(そう言う事だ。道鏡が本当に天皇になろうとしたかは、正確な所は判らない。本当に女性の帝を誑し込み、果ては天皇の位まで望んだ破戒僧だったのか……話の題材としては、そっちのが好まれそうだけどな)

 

チラリとハルカとアマテラスを見る。未だに恋愛脳はフル回転しているらしい。

俺は二人から視線を外し、先ほど見た道鏡の様子を思い出す。

 

(この世界では、道鏡自身、天皇になるつもりなんて無かった。むしろ、罠だと気付いていた)

(そうですな。これは完全に貴族側の仕掛けた陰謀に他ならない。解りやすいにもほどがある)

 

ツクヨミが、宮廷の過去の要素を呼び出し、そう分析する。

 

(そうだろうな。帝主導の仏教政策や仏教優遇路線を否定したい貴族が、帝の権威は維持しつつ、道鏡に醜聞を持たせてスケープゴートにした)

(帝の権威を否定すれば、貴族自身の立場も危うくなる。同時に、仏教全体を敵に回すこともできず……)

 

ツクヨミが、俺の言葉を継いだ。

 

(大仏の存在を考えると、な。あの威光を見せつけられた後で、仏教そのものを否定するのは難しい。だから、道鏡一人に全ての咎を押し付けようとした)

(道鏡一人に全てを押し付けるなら、あの神託はまさしく妙手だ。事実、道鏡の全ての権威は失墜した)

(道鏡本人に野心がないのであれば、この流れの妥当性は高いでしょう)

 

俺たちは、頷き合った。

政治的な駆け引きとしては、見事なものだ。

貴族たちは、仏教勢力の勢いを削ぎつつ、自分たちの立場を守った。

 

(しかし、ここまで朝廷が不安定だと……)

 

と、そこでスサノオが口を開いた。

 

(兄上、東国や奥州の方が騒がしくなってきたぞ)

(奥州?)

 

俺は、視点を奥州──つまり東北地方に移した。

そこには……

 

(これは……大怪異の残滓か?)

 

かつて、長屋王の怨念が引き起こした大怪異。

その残滓である瘴気が、東北各地に残っていた。

そして、その瘴気を元に、朝廷に反抗する勢力が生まれようとしているのだ。

 

(朝廷の政治的不安定さが、地方にも影響を及ぼしているようだな)

 

スサノオが、厳しい顔で言う。

 

(奥州各地に、小規模にこれら勢力が生まれている。坂東等の他の東国でも。こうも広範囲だと、朝廷としても、対応に苦労するだろう)

(それぞれ大怪異ほどの規模ではないが、それでも厄介だな……)

 

俺は、東北各地に点在する、小さな瘴気の塊を見つめた。

それらは、まるで朝廷への反抗の意思を持つかのように、じわじわと広がっている。

 

(恐らく、大規模な戦いが始まるかもしれないな)

 

俺の言葉に、ハルカが不安そうな顔をする。

 

(また、戦いなの……?)

(ああ。だが、これは避けられないだろう。朝廷が東北を完全に支配下に置くまで、この動きは続く)

 

俺たちは、静かに東北の地を見つめ続けた。

新たな時代が、また動き始めようとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。