よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】 作:Mr.ティン
【坂上田村麻呂】
あの鬼との日々は、おれを変えた。
魔穴の深層に現れる、武神の如き鬼。
何度も何度も挑み、何度も何度も打ちのめされる。
だが、その度におれは強くなっていった。
剣の握り方。体の捌き方。敵の動きを読む目。
全てが、あの鬼との稽古で磨かれていく。
暫くすると、おれは数合鬼と打ち合えるようになった。
すると鬼は、おれに様々な技を見せるようになったのだ。
神速の剣の切り返しに、同時に放たれたかのような無数の突き。
幻の如き歩法からの、雷鳴の如き踏み込み。
戯れのように見せられるその技の数々を、おれは必死に目に焼き付け、己のものとしていった。
その練武に注ぎ込む時の、何と充実していた事か!
夢中になりそれらを身に付ける程に、おれの動きの根本もまた、研ぎ澄まされていった。
そして、ある日……。
「……!」
「や、やった……!」
おれは、ついに一撃を入れることができた。
鬼の頬を、おれの剣が掠めたのだ。
有るか無いかの刹那の隙。
それを意識すらせず射抜いた無心の突きが、師たる鬼の頬を掠めていた。
およそ寸毛にも満たない、わずかな傷。
だが、おれは確かに一撃を入れていた。
鬼は、剣が掠めた頬に触れ、動きを止めた。
そのまま瞠目し暫く動きを止めた鬼は、不意におれを見つめ、にやりと笑った。
「む……?」
ポン!
「……えっ!?」
そして、一瞬で目の前に現れると、おれの肩を叩き、そのまま姿を消した。
まるで、この場に誰も居なかったかのように。
だが、叩かれた肩に残る重みが、確かにここに鬼が居た事を告げていた。
(認められた……のか?)
疑問が浮かぶが、答えなどない。
だが、理由もなく、鬼とはもう出会わないのだろうという確信があった。
おれは、その日を境に、自信を持つようになった。
己の力を信じられるようになったのと同時に、あの鬼に誇れるような振る舞いを心掛けるようになったのだ。
元より武門の家である坂上氏の名に恥じぬよう生きる意志があったが、そこに更なる芯が通った自覚がある。
そんな時、朝廷より使命が伝えられた。
「坂上田村麻呂、そなたに命ずる。伊勢国の鈴鹿山に住まう悪鬼、大嶽丸を討伐せよ」
伝令の者は、厳かにそう告げた。
「大嶽丸……聞き及んでおりまする」
実際おれは、その名を聞いたことがあった。
空を駆け、雷を操る悪鬼。
東国への街道をゆく者を襲い、多くの命を奪ってきた存在。
かの大怨霊の名残ともされる、恐るべき妖異であると。
「東国の蝦夷討伐においても、進軍の際の障害となることが予想される。故に、討伐の必要があるのだ。そなたの力を見込んでの命であると心得よ」
朝廷は、おれに期待していた。
魔穴で急速に力をつけたおれに、この重大な任を託したのだ。
「はっ!! 承知いたしました!」
おれは深く頭を下げ、その命を受けた。
鈴鹿山への道のりは、険しかった。
かの大怪異の災禍により崩された街道や、封鎖された山道は数多いと聞く。
それから長らく時が経っているが、復旧し切らぬ街道も多いらしい。
大和から鈴鹿へと抜ける経路も同様であった。
時折道は途切れ、山林を抜けねばならぬ箇所もある。
おれは、魔穴で鍛え上げた兵や術者たちと共に、そのような道を辿り、伊勢へと向かった。
総勢五十名ほどの精鋭である。
だが、伊勢に入り鈴鹿山が見えたかと思った瞬間、おれたちは異変に気づいた。
「若君、この瘴気……」
「ああ、尋常ではない」
遠方よりみやる鈴鹿山全体が、濃い霧の如き瘴気に包まれ、周囲にさえ流れ出していた。
元よりこの付近は、街道などあってなきが如くの山林だ。
谷も深く足場も傾斜が激しい。
その上で瘴気が立ち込めているのだ。
霧の如く辺りを覆う瘴気に近づくほどに視界が悪くなり、足元も覚束ない。
辛うじて届く頭上の日の光だけが頼りである。
これでは、まともに戦うことすら難しいだろう。
「気を引き締めろ。敵は、この戦場を知り尽くしているはずだ」
おれがそう告げた直後、それは起きた。
「ぎゃああああっ!!」
突如、木々の間から、異形の者たちが飛び出してきたのだ。
「山賊……いや、何だ!? この者たちは!?」
供の者の一人が叫ぶ。
山賊。確かに、かつてはそうであったのだろう。
だが、この者たちは異様であった。
身体の彼方此方が膨れ上がり、人の輪郭を成していない。
口からは乱杭歯がはみ出し、剝かれた眼球は汚泥の如く黒い。
何よりその頭には、ねじれ曲がった角が肌を突き破り生えている。
この者達は、瘴気に呑まれ異形と化していたのだ。
(鬼……いや、師とは似ても似つかぬな)
おれを鍛え上げた鬼は、角こそあるものの、その姿は精悍そのもの。
このような異形とは似ても似つかぬ。
角が生えているという一点以外、全く及ばない。
だが、この者らの放つ瘴気は濃く、侮る事は出来ぬ。
「術師、瘴気を払え! 兵は迎撃だ! 槍を向けよ!!」
おれは指示を出し、自らも剣を抜いた。
だが、直ぐにこれが容易ならざる戦いだと知る。
異形化した山賊たちは、予想以上の力を持っていた。
此方が瘴気で視界が利かない中、土地勘であるのか、それとも瘴気を見通しているのか、瘴気がないかのように動き回る。
一方で、配下はまるで暗夜の中襲われているかのように、敵を見通せず味方ですら定かではない。
「くっ、見えん!」
「どこだ、どこにいる!?」
「落ち着け!! 互いに声を掛け合うのだ!」
魔穴で鍛え上げられていた筈の兵たちも、苦戦を強いられている。
だが、おれだけは違う。
あの鬼との稽古で、おれは敵の気配を読むことを学んでいた。
師たるあの鬼は、歩法と隠形で目の前に居ながら姿を消してみせるのだ。
その武と比べれば、この程度どうと言う事はない。
「そこだ!」
おれは、木の陰から飛び出してきた山賊を、袈裟懸けの一刀のもとに斬り伏せる。
師に鍛えられ、魔穴の霊気を存分に取り込んだおれの斬撃は、山賊が隠れていた木ごと両断していた。
更に、背後から襲いかかってきた者も、振り向かぬまま、納刀するが如き動きで、背後にある心の臓を突き刺す。
これら全ては、師との鍛錬の成果だ。
この様な者達に後れを取ることはない。
だが、おれだけ無事でも意味はない。
であるならば、一旦態勢を立て直さなければ。
「退くぞ! 囲みを食い破る! おれに続け!!」
「はっ!!」
「若君に続け! やつらの陣を突き破るぞ!!」
木々の陰に隠れんとしていた敵を引き裂き、乱れたその動きをさらに乱す。
おれは包囲しようとする敵を突き崩し、囲いを食い破った。
おれたちは、どうにか窮地を脱したのだ。
だが、その時。
「ガハハハハハハハ!!!!」
ゴロゴロゴロ……
「何!? 誰が笑っている!?」
「くっ、雷鳴だと!?」
「若君! 空を!」
何者かの哄笑が、辺りに響き渡ったかと思うと、にわかに空が曇り始めたのだ。
あっという間も無く太陽が分厚い暗雲に覆われ、空が鳴動した。
激しい雷雨が降り始めたのだ。
「これが……大嶽丸の術だというのか!!」
「もしや、先の哄笑こそ、大嶽丸の……!?」
大嶽丸は、噂によると天を駆け、雷を操り、天候さえも乱すという。
呼び起こされた嵐は、瞬く間に激しさを増し視界はさらに悪化する。
そして、強風が吹き荒れ、滝のような豪雨と共に、沢が増水した。
「若君!!」
「おれは構わん、皆は退避しろ!」
鉄砲水をおれ達は避けたが、結果、おれと配下の者たちは分断されてしまう。
だが、そんなおれ達を変異した山賊たちが逃すはずもない。
おれ達はそれぞれ別方向への撤退を余儀なくされたのだ。
その後、雷雨の中、おれは一人山中を彷徨った。
(まずいな……このままでは、各個撃破されてしまうか)
だが、この嵐の中では、配下の者たちと合流することも難しい。
そもそも、おれ自身自分の居場所を見失っていた。
そのままどれ程彷徨っていただろうか?
(……うん? 何だ?)
おれは不意に何か声の様なものを感じた。
何事かとあたりを見回すと、豪雨の先に、何か輝くものが見える。
(……行ってみるか)
怪しくも思うが、このまま彷徨うよりはとおれはその方向へ足を向ける。
そして、偶然にも洞窟を見つけたのだ。
長くなったので分割します。18時に続きを投下。