pixivにも同じ話を投稿しています。
狩人ウマ娘、デアリングタクトはシニア期の大半をゆこま温泉郷で過ごすこととなった。
「タクトちゃん。体の具合はどう?」
「ユノさん。まだ脚の腫れと熱感が取れていないので状況を見極めながら常歩から速歩にするタイミングを見計らっているところです」
デアリングタクトは、無敗のトリプルティアラを達成し、同期のコントレイルと先輩のアーモンドアイとのジャパンカップをも仕留めた。
だが今のタクトは、ウマ娘でありながら走ることが出来ない。
ジャパンカップでアイに微笑む勝利の女神を狩り、運命をねじ曲げた代償としてシニア期は温泉郷でリハビリをしながら過ごすことになった。
若女将のユノハナブルームは、相手を安心させる柔らかい微笑みを浮かべる。
「冷静でえらいわ。ウマ娘にとって思うように動けない日々はもどかしく感じると思うけれど……」
「これも修行です。山籠り中は無駄に動かず体力を温存することも大事ですから。その経験が活きているのかもしれません」
「この温泉郷に初めて来たときはまだ小さかったのに、立派になりましたね」
「はい、トランさんやアキュートさんと共に温泉を掘った日のこと、今でもよく覚えています」
タクトはデビュー前、まだトレセン学園で一番下の世代だった頃もこの温泉郷に来ている。
雄大な自然と優しい先輩達に支えられてきたタクトも、今ではすっかり無敗のトリプルティアラとして歴史に残るウマ娘となった。
「それでユノさん。今日お話に来てくださったのは、トレセンからのお客様ですか?」
「察しが良くて助かります。そう、トレセンからキタサンブラックさんが保養に来るそうで。お手伝いをお願いできますか?」
「はい、喜んで。走れぬウマ娘なれど、この温泉郷にもご恩返しはしたいですから」
タクトは今、旅館のちょっとした手伝いをしている。
身体能力は大きく制限されているが、タクトの丁寧で従順な性格は変わらない。旅館の一員としてお客さんをもてなすのに十分適していた。
主にトレセン学園から保養に来たウマ娘をもてなしたりのんびり話し相手を務めるのが、タクトの役目だ。
「ふふ、タクトちゃんもすっかりうちの一員ですね。ぷち女将としてみんなも頼りになりますし……タクトちゃんの現役が終わったら正式に雇いたいくらいだって女将が言っていました」
「そんな、おそれ多い。でも、精いっぱいやらせていただきます。キタさんのことはよく知っていますし。なにより、ご恩もありますから」
若女将からのお願いで、まずはキタサンが泊まる客室の掃除から始める。あくまで自分の体調を優先し、ゆったりとした動きで。
「ふぅ……これでぴかぴかになったかな」
満足げに部屋を見渡すタクト。まさにチリひとつない、というべき完璧な掃除だった。
曇りひとつないガラスの向こうには、温泉郷らしく雄大な山がくっきりと見える。
「山……籠りたいな……」
ぽつり。そう溢してしまう。今のタクトは走れない。走れないということは山で獣に襲われでもしたら対処できないということだ。
トレーナーやデアリングハートからも、体が治るまで山籠りは絶対禁止と念を押されている。
「まだデビュー前、熊と追いかけっこをして遊んでいたらタルマエさんに怒られちゃったこともあったっけ……」
まだ幼かった自分を気にかけてくれた先輩のことを思い出す。温泉を掘ったり、体を大事にすることの大切さを教わったり、一緒に歌ったりもした。あの時は思う存分元気に駆け回れていた。
でも走れるようになるのは早くて来年。わかっていてももどかしさに支配されそうになる思考を、タクトは首を振って追い払う。
「まぁ、さすがタクトちゃん。相変わらずすごく綺麗にしてくれましたね。もうじきキタさんが来るそうですから着物に着替えましょうか」
「わかりました。張り切ってお出迎えします……!」
ゆこま旅館の手伝いをするにあたって、女将さんはタクト用の着物も見繕ってくれた。
簡素な浴衣から着物に着替えるのももう慣れたもの。自力で着付けをして旅館の門前に向かう。
今は8月。真夏の暑さは年々増すばかり。外に出た瞬間汗が吹き出る。着物姿ではなおさらだ。
「暑い、ですね……」
「タクトちゃんは中にいてもいいですよ? お手伝いをしてくれているとはいえ、保養中なんですから」
「……いえ、せっかくキタ先輩が来てくださるのなら直接お迎えしたいです。水分補給はしっかりしますから」
若女将は慣れたもので汗をかきながらも笑みは崩していない。タクトも汗をぬぐい笑顔を作る。
キタサンブラックはGⅠ7勝を成し遂げたレジェンドであり、アーモンドアイが誰よりも愛し勝ちたいと願ったウマ娘。
今は後進の育成のために各地を駆け回り、若いウマ娘達に歌で力を与えている。無論タクトにとっても尊敬する先輩だ。
幸い、キタサンブラックはほどなくしてやってきた。
黒塗りの高級車が旅館の前に止まり、そこからキタサンが降りてきたのだ。
「今日は、よろしくお願いします……あれ、タクトちゃん?」
「キタ先輩、お久しぶりです。……なんだかぐったりしていらっしゃいますね」
車から降りてきたキタサンの姿は、見るからにぐったりしていた。
運転席から出てきた厳つい黒服の男も、キタサンを心配そうに見ている。
「お嬢は、毎日のようにティアラウマ娘の皆さんに精を出して若い衆にもシノギを教える日々で……流石のお嬢も体力の限界です、どうか癒してやってください、頼んます!」
「言い方! でも、ほんとに忙し……けほっ」
「キタ先輩の喉が、枯れてる……!?」
黒服の男がキタサンのキャリーケースを若女将に渡し、勢いよく頭を下げる。
若女将は丁寧に受け取り、キタサンに微笑んだ。
「お話は温泉でゆっくりいたしましょう。タクトちゃん、キタさんの話し相手をお願いね」
「承知しました。キタ先輩、お疲れのようですし一緒に温泉に入りませんか?」
「……タクトちゃんも保養中だもんね。もちろんだよ!」
この暑い中疲労困憊で話し始めるのは体に良くない。若女将の判断にしたがってタクトとキタサンはゆこま温泉に浸かることになった。
服を脱いで、タオルを巻いて。2人はのんびり温泉に入る。
「はぁ~癒される……」
「キタ先輩も、お風呂お好きですよね。よくトレセン浴場から歌声が響いてました」
キタサンの歌声はよく通る。本気できかせたこぶしを聞くとタクトも元気がもらえたものだ。
タクトの無邪気な言葉に、キタサンは少し俯いた。
「うん……でもね、最近はあまり大声は出さないようにしてるんだ。因子継承の時にも歌であたしの力を届けてるし……声が響くと、人やウマ娘が集まっちゃうことがあるから」
「まぁ、キタ先輩の人気は留まるところを知りませんね」
「嬉しいんだけど、もう少し自分の立場を考えてってスイープさんやアイさんにも怒られちゃって……あはは」
スイープトウショウにアーモンドアイは、特にキタサンと仲の良いティアラウマ娘だ。スイープとは既に後輩育成にあたったこともあるし、いずれはアイともそうするのだろうとタクトは思う。
「でも、キタ先輩はタフですからそれだけならここまで疲れませんよね、後輩の育成で何かあったのですか?」
「実はイクイノックスっていう子がもうすぐデビューするんだけど、その子の走りが凄くてね……げほっ!」
「ああっ、大丈夫ですかキタ先輩……!」
ちょっと気合いの入った言葉を言おうとしてむせたキタサンの背中をさするタクト。
「ごめんね……とにかく、その子の走りに併走してたら体力を使いすぎちゃって。
今月デビュー戦までには元気に応援してあげたいから一旦ゆこま温泉で休むことになったんだ」
「ステイヤーのキタ先輩をここまで消耗させるとは……末恐ろしい子ですね」
キタサンは引退後も自主トレを欠かさない。走りはまだまだ健在のはずだ。
「すっごくがんばり屋なんだよ。世界最強の座に上り詰めてみせるんだって高い目標があって……アイさんだって越えてみせるって」
「さすがアイ先輩。キタ先輩と同じ、伝説のウマ娘ですね」
タクトは心からの敬意を込めて口にした。
だがその言葉に、キタサンはタクトをじっと見つめて、少し移動して、正面を向いて言う。
「でもね、タクトちゃん。あの子が……イクイノックスが一番憧れてるのは、あなたなんだよ」
「え? 私が……ですか?」
きょとんとするタクト。無敗のトリプルティアラとなりジャパンカップを制した自分に多くのファンがいることはもちろん理解している。
理解しているが、あまり実感はない。タクトはジャパンカップのあとすぐに休養のためここに送られて、トレセン学園には戻っていないからだ。
「タクトちゃんも、『8冠女王』アイさんと同じ……みんなの憧れの頂点にいるウマ娘。『無敗の日本女総長』それが今のタクトちゃんの称号なんだよ」
「いつの間にそんなことに……!? でも、今までトレセンからきたお客さんからそのような話は聞いていませんが……」
タクトは毎日保養とお客さんの相手をしていて全く知らなかった。
だがキタサンがこんな嘘をつく理由がないので事実なのだろう。
「デビュー前の若い衆の話だからね。でも、本当だよ? ノックスちゃんも、いつかタクトちゃんに見合うウマ娘になって一緒に走りたいってよく言ってるんだ。そのためにも無敗のクラシック三冠目指すって!」
「まぁ……では私も、しっかり体を治さないといけませんね」
「うん、私やアイさん、ノックスちゃんだけじゃない……トレセンのみんながタクトちゃんがターフに戻ってくるのを待ってるよ」
歌声はなくとも、キタサンのエールは心に響く。声に籠った魂の熱は変わらない。
その言葉に当てられ、タクトも温泉でもわかるくらい頬を赤くして、そっと小指を立ててキタサンに差し出した。
「ではキタ先輩。私は来年必ずターフに戻ります。その時はイクイノックスさんを私に紹介してください。……指切りです」
「……うん、約束だね!」
タクトとキタサンの小指が絡まる。
歌えないキタサンの代わりに、タクトはお決まりの歌を囁くように歌った。
「ゆーびきーりげんまーん、うそついたらはりせんぼんのーます……♪」
そっと指が離れる。タクトはその手を自分の胸に当てて言った。
「……これでまた、約束が増えました。足が治るまで、走らず、籠らず、腐らず。我慢できそうです」
「タクトちゃん……やっぱり、辛いよね。ううん、あたしなんかが気軽に言っていいことじゃないけど……」
現役中に足が動かせない辛さは、頑丈なキタサンにはわからない。かつてトウカイテイオーが足を故障したときに幼いキタサンが声をかけようとして余計に傷つけてしまったこともある。
タクトは首を振って、キタサンの心に寄り添うように隣に戻る。
「いいんです。これは私が無茶をした結果ですから。私はどうしてもアイ先輩を狩りたかった。たとえこの足がべっきり折れようと。治る可能性がある奇跡に感謝です」
「……タクトちゃんは強いね」
「それは、キタ先輩やアイ先輩がすごくすごく強かったからですよ。お2人がトレセンの先輩だったから、私は歴史に残るウマ娘になれました」
タクトは色んな先輩たちに支えられてきた。特にアーモンドアイはタクトを自分と同じトリプルティアラにしてタクトに勝つことで最強で無敵のティアラウマ娘になろうとした。
彼女がそこまでしたのは、キタサンブラックへの愛があったからだ。アイがクラシックを迎える前にGⅠ7勝をもって引退したキタサンを越えるためにタクトを極限まで強くしようとした。
もしアイがキタサンにそこまで拘らなければ、きっとジャパンカップでデアリングタクトはアーモンドアイにもコントレイルにも勝てなかっただろう。そうタクトは感じていた。
しばらく無言でお湯に浸かったあと、タクトは自分から話を切り出した。
「キタ先輩は、まだまだ後輩の育成を続けますよね?」
「うん、まだまだ頑張るよ! ドゥラちゃんが今月でいなくなっちゃうのは寂しいけど……トレセン学園とウマ娘の未来のために、あたしにできることをする!」
キタサン世代の中で最強の呼び声名高いドゥラメンテはアスリートの一族だ。己の一族のために、新しい家族のために少し早めに後任育成を終えることになったらしい。
タクトは少し恥ずかしそうに、キタサンの耳元でお願いする。
「これは約束ではなく、もしいつかご縁があったらということになりますが……もしもキタ先輩と一緒に後任を育成できたら楽しいだろうな、と思っております。私もティアラウマ娘ですから」
「………………」
キタサンがビックリして黙った。照れ臭そうに頬をかく。
「タ、タクトちゃんももう子供じゃないってことだね……」
「ふふふ、まだまだ未熟者ですが……あ、アイ先輩にはナイショですよ? きっと、嫉妬されてしまうと思いますから……」
「……そうだね! 2人だけのヒミツにしておこう!」
キタサンもゆっくり温泉に浸かって、ちょっと元気が出たようだ。
2人で温泉から上がって、動きやすい浴衣に着替える。
「あれ、タクトちゃんさっきの着物は?」
「これはお出迎え用に女将さんが誂えてくれたものでして……着ている時間は短いんですが、気に入ってるんです」
「うんうん、すっごく似合ってたよ! いつかみんなにも見せてあげよう!」
「ええ、そのつもりです。今日はトレセン学園のお話をのんびり聞かせてください」
トレーニングに明け暮れた日々と違い、今のタクトとキタサンには良くも悪くも時間がのんびりたっぷりとある。
まだ見ぬトレセンの未来の話を、2人は約束ともしかしたらのご縁を胸にゆっくり話していくのだった。
ゆこまロマン純情派のデアリングタクトの歌唱がすごく良かったので勢いで書きました。ゆびきりするのかわいい。
自作のデアリングタクトは一狩りしたいの後の話という体ではありますが、この作品単体でもまとまるようにと思って書きました。
リアルではデアリングタクトとイクイノックスの子供が無事生まれることをまずはお祈りしております。
フォーエバーヤングもウマ娘に来るらしいですし、イクイノックスやタクトより後輩世代のウマ娘の物語が紡がれるのが楽しみです。