+
第1次満州事変。
その最初の戦闘は、ある意味で歴史的な場所となった。
所謂万里の長城、その東端であった。
蒋介石が出陣を命じた
食料や物資の搬送その他。
30万を号する大軍勢を移動させるというのは難事であるからだ。
だからこそ、本隊とは別に連隊規模の部隊が偵察と鉄道の確保を図って先行していた。
対して
こちらも、事実上の国境線を横断する鉄道を軸に旅団規模の部隊を守備隊として派遣していた。
共に移動速度を優先して自動車や馬を使って移動しおり、戦車や野砲と言った重装備を伴っていなかった。
中華民国の主力戦車であるCTK-1は10tを切る軽量な軽戦車の分類ではあったのだが、エンジン出力の問題やインフラの整備が不十分である事も相まって、設計上の最大速度は41㎞/hであるにも関らず実際に発揮出来るのは35㎞/hと言う体たらくであったのだ。
野砲に関しては言うまでもない。
馬による牽引である為、高速の発揮など期待できる筈も無かった。
この中華民国の状況は
否。
より悪いと言える。
野砲に関しては同等であるのだが、問題は戦車であった。
主力とするM1917戦車は、最大速度が10㎞/hにも届いていないのだ。*1
これでは勝負になる以前の問題であった。
アメリカは、これを
トラックの類は、先ず歩兵部隊の足として使われているのだから。
とは言え、中華民国軍のCTK-1も最大速度40㎞/hが出せるとは言え、出し続けられる訳では無い。
その意味で
だが、だからと言って歩兵だけでの殴り合いになった訳では無かった。
何故なら中華民国軍は、戦車が随伴出来ない問題に対応する為に短砲身75mm砲を搭載した6輪型の装輪装甲車輛を用意していたからだ。
CCW611だ。*2
CCW611が搭載している24口径75mm砲や7.92mm機関銃によって歩兵のみで構成されていた
中華民国軍と
それを、近場の高所から見ている集団が居た。
第1装甲連隊の自動車化偵察隊だ。
「コリャ酷い。一方的に叩かれてますな」
細身で、タレ目気味な顔立ちが、斜に構えた様な物言いに良く合っていた。
「仕方あるまい。平地で、それも大口径砲で一方的に叩かれては、
隣で双眼鏡で戦場を見ている日本陸軍将校がフォローする様に言う。
此方は筋骨隆々、巌の如きと言う表現が似つかわしい風貌である。
が、手元の手帳に偵察している情報を子細に書き込んでいく辺り、外見に似合わぬ緻密さがあった。
「50mmヨリBig Gunデスネ」
3人目の男。
やや癖の強いイントネーションで合いの手を入れたのは、日本陸軍の軍服を
星条旗が縫い付けられている。
アメリカ陸軍から第1装甲連隊に派遣されて来ていた連絡将校だ。
自動車化偵察隊が偵察を出す際、それを聞いてに便乗してきたのだ。
日本とアメリカの蜜月っぷりを象徴する様な将校であった。
「そういう意味では厄介極まりないですナ、あの車輛」
「
純然たる好奇心で言うアメリカ軍将校、騎兵将校上がりで戦車の性能を把握できていないが故の無邪気さとも言えた。
だからこそ、
「ウチのもだし、
「おい!」
細身の将校の、あんまりと言えばあんまりなザックバランな物言いに、流石に声を上げる厳つい将校。
だが、アメリカ将校は意に介する事無く更なる疑問を口にする。
「デハ危ナイデスカ?」
「……どうかな? 余裕で勝つデショ」
「Gunガ強力ナノニ?」
「あの大砲。砲塔じゃなくて車体に、それも半固定式に取り付けられている。しかも車体は恐らくトラックベースだろ? 固定目標や歩兵相手なら兎も角、動く戦車に当てるのは__ 」
「
「
呑気な会話をする2人。
だが、余裕があったのもここ迄であった。
「連中、コッチに気付いたな」
厳つい将校が漏らした緊張に満ちた声に、慌てて双眼鏡を中華民国軍の軍勢に向けた。
CCW611も向きを変えようと動いていた。
その
「撤収!!」
簡単に直撃する様な場所じゃないのだが、かと言え無駄に危険を味わいたくないというのも人の素直な本音であった。
車に飛び乗り、バイクに跨り、エンジンを掛ける。
「とあっとっと!?」
煙管でタバコを吸ってた満州人も慌てて車の荷台に乗り込む。
張作霖率いる軍閥が居を構えている大都市、それが奉天。
アメリカの支援も受けて立派なコンクリート造のビルが乱立し、人が歩き、車が走っている。
勿論、道路は舗装されている。
近代的な都市がそこにはあった。
欧米列強に日本も関わり発展している
それが奉天市であるのだ。
近代的な都市である奉天市。
中心部にそびえ立つ摩天楼。
その中でもひと際大規模な建物が、張作霖の政府庁舎であった。
「馬鹿かっ貴様らは!」
政府庁舎地下に設けられた巨大な
張作霖だ。
怒鳴った相手は、
提出された中華民国軍による東伐部隊への対応作戦に対する怒りだ。
元より、
これは満州の地がワシントン体制 ―― 9ヵ国条約によって決められた
蒋介石と対立しているという自覚は張作霖も持っていたが、流石に列強の枷を怖そうと動く事は無い ―― 当座は中華民国/蒋介石との衝突は無いと踏んでいたのだ。
であれば中華民国は勿論ながらも日本やアメリカ、中華権益に関わっている列強を刺激しかねない戦争計画を立てる必要は無い。
少なくとも当座の話であれば。
そういう認識であった。
明白な油断であった。
政争で敗れた事が張作霖の意識の活性を下げた部分もあれば、後継者である張学良が対中華民国
だが、それが今の
総兵力で20万と号する
真っ当な軍である中華民国軍と正面から殴り合うのは余りにも困難と言えた。
だからこそ、
籠城。
奉天市に立て籠り抵抗しようと考えていたのだ。
それに張作霖は激怒したのだ。
豊かな奉天市は
「ですが、敵軍は動きが速いです。このままでは__ 」
「最悪の事態として奉天市で戦うのは仕方が無い。だが、市の外で戦う事を捨てるのは認められん。抵抗せよ!!」
吠えた。
軍閥の長として現場経験も豊富な張作霖は、腰の引けた戦いが軍の戦意に悪い影響を与える事を良く理解していたが故の事であった。
「先ずは敵軍の先鋒を叩け。彼奴らも戦車は無い。そうだな?」
「はい。自動車が主体となって居る事は確認しております!」
「であれば、此方は奉天市から近い利点がある。戦車は砲を展開させよ」
地図を指さしながら張作霖が命令を出す。
指さしたのは、現時点で
「命令は1つ。敵軍を足止めさせるのだ。その稼いだ時間を以って奉天市前面、20㎞に塹壕、陣地を構築するのだ」
判りやすい命令は、慌て、混乱していた参謀団の背筋に1本の柱を与えるモノであった。
だが、と口答えをする者も居た。
戦車に精通した参謀である。
「わが軍の戦車は精々が10
砲、野砲の類はトラックなどでけん引する事が出来るのだが流石に戦車 ―― M1917中戦車は難しかった。
その名の通りに1917年、
勿論、その点を張作霖や
「忘れたか? 我らには友軍が居るのだぞ」
笑う張作霖。
日本とアメリカと結ばれていた相互防衛協定/条約は、両国の自動的、かつ本格的参戦を強いる事は難しい。
だが、満州の権益を守る為であれば満州在留の部隊を動かす事は可能であるのだ。
「協力して貰おうではないか」
かくして日本軍関東軍およびアメリカ軍在満軍は最前線へと向かう事となる。
1920年代に入って以降に加速した欧州と日本での新戦車開発を把握していたアメリカ陸軍は、自軍の主力戦車たるM1917戦車が時代遅れになっていく事を自覚はしていた。
何といってもM1917、
性能もだが、愛国心的な意味合いからも
とは言え開発速度は高くは無かった。
国際情勢がひっ迫していない為、軍事予算の拡大をアメリカ有権者と、有権者の意を受けたアメリカ政府が認めなかったが為であった。
又、1929年に発生した世界恐慌の影響があった。
アメリカ陸軍が他国と接触する可能性があるのは満州のみ ――
1つは支援を行っている相手、国家と呼ぶには微妙な部分もある軍閥の
1つは準同盟国 ―― 満州に於ける相互権益の保障と協力関係のある日本。
そして最後、直接的な友好関係に無い中華民国であるが、此方は
であれば、アメリカが緩んでいるのも当然の話と言えた。
一応は戦車の開発と配備を幾度となく計画し実行しようとしたのだが、性能不十分であったりアメリカ陸軍が性能に不満足であったりして、戦車部隊の装備を更新される事は無かった。
その風向きが変わったのは1920年代終盤であった。
中国国内でM1917戦車では対抗できない戦車の開発が行われ、又、日本も近代的な戦車 ―― 後の89式中戦車の開発に取り掛かったのだ。
アメリカも本気で新型戦車の開発に取り掛かった。
紆余曲折の果てにM1Christie中戦車が採用される事となる。
尤も第1次満州事変勃発の現時点ではアメリカ本土の部隊で配備が始まったばかりであり、満州には12両と、ごく少数が試験用として配備されただけであった。
CCW611 ――
中華民国軍としては戦車を欲したが、ドイツからの技術者たちは冷静に中国の工業力の限界を認識し不可能と判断し、その代替としての装輪装甲車輛を提案したのだった。
6輪トラックのフレームを流用し、車体の全周を装甲化し、そして軽量な戦車砲を搭載した車輛であった。
ドイツ人たちは中華民国の金と責任で自由に兵器開発出来る事に喜び、ドイツ本国でも採用されていない新技術などを投入し、このCCW611を完成させたのであった。
特に戦車砲は24口径75mm砲が、新規に開発され、搭載されている。
24口径75mm砲は、ドイツ本国で開発中であったモノをベースに、更なる軽量化とコンパクト化が図られたモノであった。
対戦車のみならず歩兵支援も可能としており、中華民国軍は高い評価を与えていた。
問題は、フレーム強度が低く、車幅が狭いが為に全周への射撃可能な砲塔式を採用出来なかった事であろう。
又、装甲も小銃などからは防護できても、戦車砲に耐えるなど論外でしかない厚さであった。
ある意味で中華民国の工業力の限界が出た戦闘車輛と言えた。
だが、自動車に随伴できる機動力を持ち、どこまでも砲を届ける事が出来るという事が評価されて中華民国軍は自動車化歩兵部隊向けに量産する事となる。
又、24口径75mm砲を砲塔式に搭載は出来なかったが、代わりに機関銃を搭載した砲塔を持っており、事、対歩兵と言う意味では強力な火力を持つ事となる。
尚、CTK-1にせよ本CCW611にせよ、英語で番号が振られている理由はドイツ色を消す為であった。
ベルサイユ条約でドイツでは軍事技術の開発に関して制限されている為である。
この為、この24口径75mm砲の開発も、ドイツ人技術者が中国に個人として招聘されて1から開発したと言う事になっている。
この結果、24口径75mm砲のパテントは中華民国の企業が抱える事となり、その後、中国国産砲として量産され様々な車輛に搭載されていく事となる。
日本陸軍の足として使われる
日本帝國政府は日本全土、先ずは国道を舗装した複線化しようとしたのだ。
そして、整備した道路を使う自動車を手頃に作りだす為、日本政府の助言を基に日本帝國政府はアメリカの自動車企業に対して税制その他の優遇措置と、一定数の車輛を日本帝国が購入する事を確約して招聘したのだ。
この日本帝國の要請にフォード社が乗り、日本フォードが設立されたのだ。
尚、アメリカ企業の進出に関しては自動車のみならず、製鉄業や建築作業機械会社なども招聘される事となる。
日本帝國は先進国へと育つ為に、アメリカに協力を求めたのだ。
幸いにして日本帝國とアメリカの関係は日米満州共同開発条約締結による満州権益の共有化以降、極めて良好なモノとなっていた。
権益を得られたアメリカの国民世論は勿論、日本帝國の
これは、日本帝國情報庁による
とは言え、全てが順調であった訳では無い。
新聞社の中には、日本帝國の独占的権益であった満州権益をアメリカに開いた日本帝國政府への反発、或いは
だが、それらの出版を情報庁は防いでいた。
この情報庁の動きに対して一部新聞社や
日本とアメリカの関係を言えば、将来的にアメリカに浸食される危険性を説く事は国家の行く末を憂えばこそであると主張したのだ。
だが、日本帝國政府は批判に対して些かも揺るぐ事は無かった。
それどころか、憂慮と言う事に関して、関東大震災に於いて発生した流言飛語 ―― 朝鮮人が日本人に対して暴力的行動をしたとの話を新聞が報道したが為に発生した、日本人や
この日本帝國政府の動きを国民は支持した。
関東大震災の記憶がまだ真新しいこの時代、報道機関が行った
日米の、蜜月と言って良い関係は、アメリカで発生した世界大恐慌でアメリカ経済が下降化した際にあっても日本帝國政府がアメリカ企業を招聘し、その市場を開いていた事から更に硬い関係へとなっているのだった。
これらの政策を行うには莫大な予算を必要としていたが、
特効薬の売却に関する無差別さは、敵国であったドイツ帝国にすらも売却された所に表れていた。
勿論、友好国であり同盟国であるイギリスやフランスと比べると割高 ―― 単価設定が100倍を超えていた。
スペイン風邪特効薬の売却は、建前としては
口の悪い人間は、この
そして、この莫大な資金が日本帝國の近代化を推し進める原動力となっていたのだ。
軽野外機動車は、日本陸軍の要請を受けて日本フォードが開発製造した人員の移動や偵察に使われる自動車であった。
定員は2名。
そして車体後部の貨物スペースに追加で2名の搭乗、乃至は荷物の輸送が可能であった。
又、機関銃などを設置した、軽武装型も存在していた。
尚、この軽野外機動車を手本とした自動車を日本企業も開発し、製造していた。
小型機動車は、性能を言えば日本フォード製に比べれば非力であったり設計が甘い所があったが、日本陸軍と日本帝國政府は国内企業の涵養の為、問題の指摘や改善要求は出すものの辛抱強く一定数の購入を続けていた。
又、中国北部への進出を図っているイギリスも最新鋭と言って良い戦車であるヴィッカース中戦車MkⅢを提案していた。
機動性のM1Christie中戦車。
走攻防のバランスが良い89式中戦車。
各戦車を推す人間の主張は、それぞれに一定の合理性がある事も、責任者であった張学良を悩ませていた。
又、戦車は製造国のドクトリンに沿うモノである事も悩ませる事に繋がった。
今後の戦車整備、運用にも関わってくる問題だからである。
最終的には張作霖による一言、取り合えずは全てを買ってみてはどうかと言う乱暴な結論まで動く事は無かった。
コレも又、