勢いだけで書きました(いつもの)。

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OVER

 遠い昔。

 人間たちの世界には、神様がいた。

 神々は退屈な天界に嫌気が刺し、刺激を求めて下界に降りて来た。

 神の力を封じ、神の子供たる下界の民たちと共に、永遠に下界で生きていこうと決めた。

 神々は子供たちに、今を生き抜く力を。知恵を授けた。

 その力と知恵を得た子供たちは、勇敢に下界の未来を切り開いてみせた。

 数多の武器を手に取り。風よりも速く駆け。巨大な木々を軽々飛び越え。岩をも拳一つで砕いてみせて。神秘の象徴たる魔法を操り。

 下界に蔓延る怪物たち。そしてその怪物たちの王とも呼べるような存在。

 隻眼の黒竜を、討伐した。

 怪物たちが繰り返し産まれ落ちる謎の秘境。

 ダンジョンと呼ばれた未知の世界さえ下界の子供たちの手で踏破し、ダンジョンから怪物が生まれることはなくなったのだと言う。

 怪物の脅威は、永久に去った。

 人々は歓喜した。

 ようやく解放された。

 ようやく、平和に手が届いたのだと。

 武器など不要な世界となった下界でこれからどうしていくべきなのかと、何代にも渡って子供たちが模索していく日々の中。

 ある日、神様たちは。

 天界に帰ってしまったのだと言う。

 もう、私たちの力は必要ない。

 恩恵などなくたって、望んだ未来を選べる。

 貴方たちが作った平和なのだから。

 そう言って、笑って天界へと帰って行った。

 神様のいなくなった下界に残された子供たちは、別れを悔やんでいる暇などなかった。

 神々から授けられた力を失って、それでも生きていかねばならないから。

 手にした平和を恒久的なものにするべく。

 守り、守り抜き、守り続ける戦いが、子供たちの前に広がっていた。

 戦って。戦い抜いて。

 とうとう人類は、悲願を果たした。

 平和を、未来にまで届けることが出来た。

「平和かあ……」

 それが、今から一万年以上も前の、僕たちの遥か御先祖様のお話らしいよ。

 僕が小さかった頃にお祖父ちゃんが読んでくれた本には、そんなことが書かれていた。

 その本を読み聞かせてもらって、遠き日の僕はぼんやりと思った。

 もしかしたらだけどこの本って、何処かの神様が書いてくれた本なのかも。

 それか、神様たちにすっごい近くにいた子供が書いたとかじゃないかって。

 答えは一万年の歴史、その行間の何処かにふわふわと浮かんでいるみたい。

 それを僕が確かめる術はない。その時代にはパソコンもスマホもなかったからね。

 けれども。

 いや、だからこそなのかな。

 記されていることが真実かどうかは定かじゃないけれど。

 この世界のことを。今、この世界に生きる僕たちにまで、古代の人々が懸命に生きた日々を伝えてくれるその本が、好きだった。

「なんだ、またその本読んでんのか」

「腹減ったー! メシ行こメシーっ!」

「そーいやポテナゲ半額になるクーポン当たったんだったわ」

「一つのクーポンで二人までしか使えねーヤツだろそれ」

「うだうだうるせーからお前にはぜってー使わせねー」

「怒んなよー」

「とにかく行こうぜー!」

 少し訂正。

 日焼けもした。色褪せもした。装丁なんてボロボロだ。

 それでも、お祖父ちゃんがくれたその本は。

 今でも大切で、大好きな本。

 僕の、宝物なんだ。

「今行くー!」

 スクールバッグに宝物を押し込んで、何の変哲もない青春を僕と共に作ってくれる友人たちに追い付くべく、僕は駆け出した。

 

* * *

 

 気が付けば、そこに立っていた。

「…………」

 風と木々の舞踊。鳥の囀り。川のせせらぎ。靴裏に返ってくる土と草の感触。

 なるほど。自分はどうやら、自然の真ん中に立っているらしい。

 置かれた状況は理解した。

 がしかし。

「私は……何を……」

 ここにいる理由が。

 何よりも。

「誰だ……私は……」

 私は、私がわからなかった。

 何もわからずともわかる。

 大切な何かが欠落している。

 私は、不完全な存在だ。

 故に、これからどうしたものかなど、何もわからない。

「…………何だ……?」

 けれど、感じる。

 何かに引っ張られている。

 何かが、私を呼んでいる。

 違う。

「この……思いは……」

 私自身が、何かを呼んでいる。

 会いたいと。

 私の心が叫んでいる。

「誰だ……?」

 私の心を揺らすのは。

「いる……近くに……」

 私の心が求める唯一人は。

「……会いたい……」

 心が望み、求めている。

 引き寄せられている。

 わかるんだ。

 この身この心が、その誰かに引き寄せられていることが、わかるのだ。

「会いに行こう」

 ならば行こう。

 きっと、その為に私はここにいるのだから。

「待っていてくれ」

 名も知らぬ誰かに届かないと知りながら、それでもそう告げた一人の女を、煌々と照るオリオン座が愛おしそうに見下ろしていた。

 

* * *

 

 成績は中の上くらい。

 運動もそんなに得意じゃないって言っているんだけど。

「お前の足の速さで運動不得意はもはや煽りなのよ」

 友人たちからは軒並み不興を買っている。球技とか全然得意じゃないからトントンくらいじゃないかなって思ってるんだけどご納得頂けないらしい。厳しくない?

 他に特徴は……なんだろう。生まれ付いての髪色とか、瞳の色とか? でもこれって両親が与えてくれたものだから、自分だけの特徴にするのはなんか違うかも?

 まあ、詰まるところ。アレ。

 平凡なんだと自認しています。

 いやいけないダメだ。自称平凡は三次元でも二次元でも心象悪いんだって聞いたことがある。

「よくないよくない……」

「ご飯中にブツブツ言うのお行儀悪いぞー」

「って言いながら僕より口数の多いお母さんの方がいだだだだだっ!」

「ねーねーおとーさんおとーさーん。可愛い息子が可愛くない屁理屈言うー」

「どっちもお行儀悪いでしょどっちも。ガキんちょは生意気だしお母さんは食事中に息子の腕抓る悪い子だし。反省しなさい反省を」

「とか言いながら食事中にスマホ触ってるのギルティだよね」

「お父さんだけ今夜は晩酌禁止ねー」

「な、なんだとぉー!?」

「代わりにこの子と飲むもーん」

「十四歳とお酒飲もうとするんじゃありません。お父さんも、スマホは後にしなきゃダメだよ」

「言われちったー」

「怒られちったー」

「まったく……」

 夕方にマックで奮発した為そんなにお腹の虫が騒ぎ立てて来ない所為で、僕のフォークの歩みだけとっても鈍重な家族三人揃っての晩御飯。

 特別裕福じゃないけれど、特別貧乏ってわけでもない、普通の家庭の風景。

 少し普通じゃないことがあるのだとしたら、両親がいつまでも仲良し過ぎることくらいかな。

 この二人、休日に二人きりで手を繋いでデートとか平気でやるんだもん。で、夜だけ僕を呼び出してみんなでご飯とか、私の代わりにご飯作っといてとか言い出すの。若々しくて自由でいいですねー。振り回されるのは慣れたし楽しいからいいんだけど、それはそれとしてもう少しお小遣いを上げてくれると息子が喜びます。その間の家事とか結構頑張っているので! そこの所考慮の上どうかよろしく!

「あーそうそう。お前に伝言あるんだった。忘れるとこだった」

「伝言?」

「お前が帰って来る前にじーさんがこっちに顔出してな」

「明日お店の手伝いよろしく?」

「それ」

「直接連絡してくればいいのに……ラインの使い方教えてあげたんだし……」

「チョロチョロと落ち着きなく歩き回るのが好きなんだよ、あのじーさんは」

「自分の歳くらい考えて欲しいけどね。じゃあ行くかあ。お祖父ちゃんには連絡しとく」

「ちゃんとバイト代請求するのよー? 身内の頼みだからってタダ働きなんてダメ、ゼッタイ」

「とか言いながら、僕からお小遣いの値上げをせがまれるのが嫌なだけのお母さんなのでした」

「ねえお父さん聞いた!? 私たちの子、人の心が読める力身に付けてるんだけど!」

「超能力じゃんテレビ出れるじゃんバズるヤツじゃん金の匂いがするわー!」

「しないから!」

 ああ、平和なんだなあと思う。

 この居心地の良さを齎す土台を作ってくれたのが本当に僕たちの御先祖様なら、僕たちは改めて感謝を述べなければならないな。

 けれど。

 正直に言うけれど。

 平和を作り上げてくれた人たちが聞いたらすっごく怒ってしまうかもしれないけれど。

「平和って……退屈だなあ……」

 本当に僕を出汁にしてお金を稼ぐプランを検討し始めた両親に聞こえない独り言を。

「今日は……月が綺麗だ……」

 ぼんやりと窓の外に見えた三日月は、僕に何も答えることなく。勝手なことを言っている僕を静かに見下ろしていた。

 

* * *

 

「お、っと……」

「あー危ない危ない! 無理しちゃダメだよ! 僕がやるから! よいしょっ……!」

「すまんのぅ」

 お祖父ちゃんが持つには重たいダンボール箱を床に下ろして開封。

「またよくわかんない商品ばっか入れてる……」

「儂の趣味じゃ!」

「わかってるよ。あと肩に顎乗せないで」

「ふえぇ……儂の孫が冷たいぃぃ……」

「皺々のお祖父ちゃんがふえぇとか言ってるの軽く地獄だよ本当にやめてお祖父ちゃん」

「てへっ☆」

 あー危ない危ない。お祖母ちゃん流お祖父ちゃん制裁術の七の形。往復張り手をぶちかましそうになってしまった。堪えろ僕ーっ。

「お前の言うよくわからん商品だってちゃんと需要がある。そのシリーズの在庫、全然残っとらんじゃろ?」

「そうなんだけどさあ……」

 固定客の方が都度買っていってくれているみたいだけど……うーんだよなあ。

「いいからさっさと並べとくれ。バイト終わったらすき焼きに連れてってやるから」

「まっっっかせてお祖父ちゃん大好きっ! 僕スイッチ2が欲しいな!」

「現金に育ちおって……がはは……!」

 お祖父ちゃんの皺々な笑顔に親指をグッとしてから、開いたばかりのダンボールの中から、届いたばかりの新書を陳列する作業に戻った。

 僕のお祖父ちゃん。

 お父さんのお父さんにあたるこの人は、実に磊落な人というか。

 いくつになっても奔放で。いくつになっても女の子に目がないスケベジジイ。

「世の中のめんこい娘たちとキャッキャウフフなあばんちゅーるをしてみたいから、らいんとやらの使い方が知りたいんじゃ」

 なんて、お祖父ちゃんを置いて天に還ってしまったお祖母ちゃんが聞いたら包丁を投げ付けてきそうな不純な動機でラインを使い始めた、パンチのある人なのだ。

「お前は儂に似とるよ。いやマジで。自慢の孫じゃよ」

 らしい。不服。似ててたまるか。その角度からの自慢は何の自慢にならないから。あとご近所さんたちにあることないこと吹き込むのやめれ。

 とはいえ。お祖父ちゃんには特別感謝していることが多いというか。

「男に生まれたのだから、女のケツを追い回すハイエナになれ。しかし女の子の尊厳を大切に。それと、ヤンデレ成分は二次元で摂取するようにしとけ?」

 僕が今よりずっとずっと小さかった頃から貰い続けたお祖父ちゃんの言葉が、僕の中で妙に大きくなっている自覚がある。

「何せお前は、素敵な女子(おなご)との胸躍る出会いに恵まれるんだから。これは絶対だ。だから、いざ出会った時に後悔しないような。その子の手を掴んで離さないような。惚れた女を守れるような。そんな男になれ。お前ならきっとなれる」

 いつだって笑顔で。大きな手で僕の頭を撫でながら。何を吹き込んでんだとお父さんとお母さんに笑われながら。

 それでもお祖父ちゃんは、僕には素敵な出会いが待っているからと。その出会いを大切に出来る男になれと、言い続けてくれた。

 その、不思議と心身に強く焼き付いた言葉は、僕の基盤と言えるくらい僕の内側の深い所に宿った、大切な言葉たちだ。

 悲しいかな、そんな出会いにはまだ恵まれていないっぽいけれどね。まあ追々でしょ。多分。

 そんなお祖父ちゃんは、地元で本屋さんを営業している。

 お祖父ちゃんの趣味趣向が大いに反映されているこの書店には、資格本とか参考書とかは全然置いてなくて、代わりに揃えられているのが、女優さんやアイドルさんたちの写真集。

 本だって電子の時代になったのに需要あるのかなあと訝しんだことがあるけれど、足繁くここに来てくれる大人のお兄さんたちが相当数いる事実が、紙媒体はまだまだ現役なのだと知らしめしてくれた。

 こっちもお祖父ちゃんの趣味なのか。古代史とか、その時代に生きた英傑たちの冒険譚とか、本当に何処のお店でも見たことのないような書物がとっても多い。

 メーカー名をネットで調べても、一応名前は出てくるけどネットで宣伝をして回っていたりも特にはしていない、本当に小さなメーカーさんみたい。

 翼の付いた鍔広帽と(サンダル)のロゴが妙に印象的なのもあってか、僕もここの本を昔から愛読している一人だ。何だか妙に情報がリアルな感じがして、不思議な没入感があるんだよね。なんなんだろ。

 他にもマンガとか、ラノベとか、絵本とか。駄菓子やトレカも置いているこの店は、大人じゃなく子供たちをターゲットにした本ばかりが並んでいる。

 決して広いとは言えないボロっちい書店だけど、それでも近隣の方々には長く愛されていて、どうにか今日まで営業して来れている。皆様のお陰ですありがとうございますありがとうございます。

「っていうか今日の納品、やたらとアイドルの写真集多いけど?」

「儂好みの子の新作が多かった!」

「だったら納品するんじゃなくて自分で買ったらいいのに。売れなかったらどうするの」

「在庫が捌けなきゃ自腹を切る。売り上げにも貢献出来て一石二鳥ー!」

 両手で作ったピースをチョキチョキしながら、いつも通りの笑顔でいつも通りの適当なことを言いながら店の裏に引っ込んで行く。陳列もレジも全部僕一人に任せるつもりらしい。

「ほんとにブレないなあの人……いらっしゃいませー!」

 文句みたいな何かを口にしていると、ガタガタと音を立てて自動ドアが開いた。古くなってしまった所為か、やたらと開閉音がうるさくて嫌になる。

「……ぁ……」

 日の光を背負って現れたそのお客さんの姿を一目見た瞬間。

 呼吸が浅くなった。

 女性だった。

 背丈は僕より少し小さいか同じくらい。

 人のことをあまり言えたものではないけれど、物珍しい蒼色の長く伸びた髪を、背中で一つに結っている。

 服装も奇抜というか……間違いなく何かのコスプレなんだろう。妙にディティールが凝ってるし。造り込み凄いな。

 それはいいんだけど。

「綺麗……だ……」

 自分の口じゃないみたいに、勝手に本音が零れ落ちていた。

 テレビを見ていても。ネットを眺めていても。

 こんなにも美しい人を、見たことがない。

「あの」

「…………」

「あの、すまない」

「……あ! は、はいっ!? 何かお探しでしょうか!?」

 その立ち姿に見惚れていた僕の反応は鈍かった。

「探している? 探しているものと言えば……貴方だ」

「へ?」

 突飛なことを言われて固まる僕。そんな僕に向けて、どうしてか膝辺りまで泥が付着しまくっているブーツをコツコツと鳴らしながら歩いてくる超絶美人さん。

「私が探していたのは……貴方みたいだ」

 ドギマギしている間に。

「はえっ!?」

 美人さんに、左手を握られた。

「あああのあのぁっあのあああっとあの!?」

「やはり間違いない。私を引き寄せていたのは、貴方だ」

「ひっ、引き寄せっ!? それってどういう意味でって顔近いぃ……!」

 近くで見ると余計に美人というか多分この世界にあるどんな賛美の言葉でもこの人の美しさを表現することは出来そうにないとかああもう何考えてるの僕っ!?

「あ」

 でも。なんだろう。

 僕の手を掴むこの温もりに覚えがある。

 そんな、不思議な既視感を抱いた。

 そして、彼女は彼女で。

「手を……握る……握れた……?」

 僕の手を握った自分に驚いているのかと思うような独り言を発しながら、僕の左手を何度も握り直していた。

「……一つ聞きたい」

「は、はひっ!?」

「貴方が掴んでいるこれはなんだろうか」

「僕が掴んで…………あっっっ!?」

 右手が掴んでいる物をチェック。

 真っ白なビーチが背景。

 弾ける笑顔と強調された胸元と黄色いビキニが眩しい表紙。

 91センチFカップ。

 バラエティ多数出演中!

 SNS総フォロワー数十万人を突破!

 などなどらしい、グラビアアイドルさんの写真集に視線を落としながら、その人は呟いていた。

「ち! ちが! ちがう! ちがうくて!」

「貴方はこういった女性が好みなのか」

「ちちちがいますちがいますっ! 本当に違うんですぅ! これは商品です商品!」

「売っているのか、この女を」

「人身売買みたいな話になっちゃった!? そうじゃなくてこの本! 写真集です! ここ本屋さん! この本は商品! 僕は仕事中! もっと言えばこのアイドルさんは僕のお祖父ちゃんの趣味ですので!」

「なるほど。何もわからない」

「わかって!? えと、失礼しますっ!」

「あ……」

 美人さんの手を振り解き、91センチFカップさんの写真集を急ぎ陳列し、危険物しか収まっていないダンボールを店の隅に押し除けた。

「常連さんいらしてなくてよかったっ……!」

「何か言ったか?」

「い、いえっ! 何も!」

 ブンブンと首を横に振って、じっくりと見られても問題なさそうな本の陳列に移る。じっとしているとなんか落ち着かないから。

「…………」

 いやーいきなりのことで驚いちゃったなー!

「…………」

 けれどもう大丈夫! 僕平常心! マジ平常心しかないから! さっきの既視感も気の所為気の所為! だってこんなに綺麗な人とお知り合いになったら忘れるわけないもん! さあさあ仕事仕事!

「…………」

 意識を切り替えたらほぉら! こうして仕事も順調にこなして……!

「……あの」

「なんだ?」

「えっ、と……ですね……一応営業中なので……ずっとそこに立っていられると……」

 無理無理いや無理だって。

 コスプレ美女さんが。店内ど真ん中に立っていて。ずーっと視線だけで僕を追い掛けて来るんだもの! もうなーんも手に付かないよ!

「ここにいてはいけないのか、私は」

「いけないと言いますか……営業に支障が出るのは困ると言いますか……」

「そうか……」

 わかっているのかわかっていないか怪しいけれど、何だかこっちが申し訳なくなるくらいにシュンとされてしまった。もっと違う言葉を選んだ方が良かったかな。

「ならば、私は何処にいたらいい?」

「あの、仰る意味が」

「ここにいるのは困ると言うのなら、ここにいなければいい。そういうことか?」

「え? えと……まあ、一応?」

「わかった。ではそうしよう」

 こくりと頷いたその人はくるりと反転。蒼い髪を揺らしながら店の外に出ようとして。

「痛っ」

 動きの緩慢なガラス製の自動ドアに、鼻先をぶつけていた。

「くぅ…………はっ! し、失礼する……!」

 痛む鼻先を摩りながら、その人は店の外へと消えていってしまった。

「な、なんだったの……?」

「ドチャクソ美人じゃったのぉ」

「うわぁ!?」

 直ぐ後ろから聞こえた声に飛び跳ねてしまった。

「お、お祖父ちゃんっ! 見てたのっ!?」

「お前が写真集の表紙の娘とあのコスプレ女の乳を比べていた辺りから」

 横ピースをしているお祖父ちゃんが、ニコニコ笑顔で立っていた。

「だいたい全部じゃん!」

「流石に90はなさそうじゃったが脱いだら凄いぱてぃーんじゃろうな。儂にはわかる」

「何言ってんの!? っていうか比べてないからね! ほんとにっ!」

「照れなくてもよいよいー」

「そんなんじゃないのに……っていうか何だったのかなあの人。凄く変な人だったけど……」

「確かに、あんなコスプレ見たことなかったのぅ。気になるからエロコスプレイヤーのインスタ漁ってみるとするかぁ」

「するかぁ、じゃないでしょおじーちゃん。っていうかいつの間にインスタのアカウント作ったの!?」

「ナイショー」

「うっざ」

「様子を見るに、記憶やら何やらに障害があるような感じかのぅ。色々と欠落しているような印象があった」

「話聞いてないし……確かにそうだね……」

「本当にそうだとしたら、外に追い出したのは失策だったんじゃないか?」

「どうして?」

「正しい一般常識が頭に残っているかも怪しいエロコスプレお姉ちゃんが一人でそこらをウロウロしていたら目を付ける輩などいくらでも」

「っ……!」

 弾かれたように僕は駆け出していた。

 誰かみたいに鼻をぶつけることはないけれど、緩慢に開くことしか出来ない自動ドアが酷くもどかしい。

 そうだ。そうだよ。

 言っている意味はわからなかったけれど、困っている様子だった女性を放り出すなんて……!

「最低だ僕……!」

「そうなのか?」

「どわぁっ!?」

 店を飛び出した瞬間。記憶に新しい声が、僕の耳を撫でた。

「何を驚いている?」

「お、驚きますよ……驚くに決まっているじゃないですか……!」

 さっきのコスプレお姉さんが、きょとんと首を傾げていたから。

「え、えっと……ここにいたんですか?」

「中にいられたら困ると言うから、外にいさせてもらった。ここでも困るのか?」

「困るというか……どうしてここに……?」

「貴方を待っている」

「ぼ、僕?」

「貴方は仕事中だと言っていた。中にいられるのも困ると。だからここで、貴方の仕事が終わるのを待たせてもらっている」

 初対面の美人さんが僕に会いに来て、僕に会う為だけに僕のバイトが終わるのを待っている。

 なるほど。意味がわからない。

「私は貴方に引かれてここにやって来た。貴方はそうではないのか?」

「い、言っている意味がわかりません……とりあえず中に入りましょう……!」

「いいのか? 先程は困ると」

「もう困りませんので! どうぞ!」

 会話があまり成立しないお姉さんの手に勝手に触れ、店内に戻った。道行く人々からの視線を感じたので。

「おおー近くで見るとより別嬪さんじゃあ。いやー眼福眼福ー」

 中で待っていたお祖父ちゃんがにへらーっと笑いながら声を掛けると。

「寄るな」

 鋭い語気が、お祖父ちゃんの足を止めさせた。

「おん?」

「貴方からは下衆の匂いがする。寄るな」

「ねえねえ我が孫よ。儂、あの娘怖い。でもでももうちょっと詰って欲しいかもー」

「そういうところを嗅ぎ分けられてるんじゃないかな……」

「すまないが私の話をさせて欲しい。どうやらこの身は、何かが欠落しているらしい。この身がどういった存在であるかは朧気に理解しているのだが……」

「そういう設定か知らんが、パロディアカウントを三次元に持ち込んで平常運転しようとしているみたいな痛々しさがあるのぅ」

「言い方悪いにも程があるよっ……!」

「ぱろでぃ、なんと?」

「な、なんでもありませんっ! その……ご自分のお名前とかは……?」

「わからない……何もわからない……」

「ああ……」

 この方、ホンモノさんだ。

 ドラマや小説の世界以外で、本当にこんなことがあるんだなあ。

「何にしても……僕たちが病院とか連れて行った方がいいよね……」

「じゃなあ……」

「病院とはなんだ?」

「その……貴方を助けてくれるかもしれない施設と言いますか……とりあえずそこで貴方を保護? いや違うな……とにかくそこで今夜は過ごしてもらって」

「嫌だ」

「へ?」

「貴方と離れたくない」

「あっ」

 あー危ない危ない今のは危なかった! すっごく危なかった! え? 何が? あーもうわかんない! わかんないけどこの人がそんなことしてる場合じゃないのは間違いないんだからそういうのは今じゃないんだ! そう! そゆことっ!

「私は何も知らない。何もわからない。けれど、貴方の近くにいたい。それだけはわかるのだ」

「そんなこと言われても……」

「貴方こそどうだ? 私を見て、何か感じることはないだろうか?」

「えっ、と……」

 困ったように眉をハの字にしている美人さんの瞳を見つめ返して、この十四年で得た記憶の中を探してみる。

「あ……!」

 するとどうしたことだろう。

 彼女に纏わる何かを見付けた。

 そんな気がした。

 それは、僕の記憶から抽出されたものではないように思えた。

 所在不明の記憶。

 何もわからない。

 わからないんだけど。

 何だか、不思議な感覚がした。

 知らないことを知っているような。

 知らない筈のこの人を、知っているような。

「な……んだ……ろう……」

「大丈夫か?」

「え?」

 いつの間にか美女さんが鼻先にいて、僕の肩に手を添えてくれていた。

「あっ……! だ、大丈夫ですっ! それで……ごめんなさい……貴方のことは何も……」

「そうか……」

「寂しそうにしゅーんとしてる顔も儚げで唆るのぅ」

「…………」

「ちょっと待ってちょっと待ってください! どうして無言でお祖父ちゃんに握り拳を向けているのですか!?」

「成敗しなければと思ってな」

「成敗しないでください! それは僕がやっておきますから!」

「そうか。厳に頼む」

「厳に頼まないでください……って、さっきからスマホで何してるのお祖父ちゃん?」

「いや何、お前さんらのガキが、コスプレエロお姉ちゃん連れて行くからよろシコ。ってラインをだな」

「したの!? お父さんとお母さんに!?」

「てへぺろ☆」

「このジジイほんま……!」

 舌を出して額にグーをぶつける仕草に本気で腹が立ってしまった十四歳僕。

「やはり殺すか」

「今殺すって言った!? 成敗じゃなくて殺すって言いましたよね!?」

「なんか腹が立ったから」

「ダメですダメですっ! とにかく……ええもうどうしよう……!」

「言い方はアレになるが、お前さんには懐いとる。一緒にいてやれ」

「って言われても」

「今は平気かもしれなくとも、一人になれば不安に襲われることもある」

「それは……」

「だからこれは、お前にしか出来ないことだ」

「…………」

「出来る限りのことをしてやるといい」

「…………そう……だよね……」

 やっぱりと言うか。

 お祖父ちゃんは、僕をノせるのが上手だ。

「困っている女の子を放っておけないもんね」

「そうそう。あ、エロい見返りを望むなら今のうちに恩の押し売りをだな」

「そういうのいいから! えっと……とりあえず行きましょう!」

「何処へ?」

「病院に付き添うにしてもその服装だと何処に行っても目立ちますし……一度僕の家へ行って着替えましょう。それからのことはまた考えますので」

「よくわからないが、よろしく頼む」

「はいっ!」

「一つ聞かせて欲しい」

「なんでしょう?」

「貴方の名前を教えて欲しい」

 ふらふらと揺れた彼女の指先が、僕の着ているパーカーの袖を掴んでいた。

「……ベル」

「ベル?」

「ベル・クラネル、と言います」

 緊張を纏った自己紹介を終えると。

「いい名だ。耳に……心に馴染む」

 今日初めて、笑顔を見せてくれた。

 

 * * *

 

「やれやれ」

 誰かの声が、一人きりになった店内に響く。

「何がどうしてこんなことになっているは知らないが……行くがいい」

 顎に蓄えた白い髭を撫で付けながら。

「約束は……果たされて初めて、約束と呼べるんじゃから」

 お祖父ちゃんには無理だって。

 先ほどそう言われたばかりの老人は、さっきまで孫が開けていたダンボールを底に回した右手一つで軽々と持ち上げながら、穏やかに微笑んでいた。

 

* * *

 

「いただきまーす」

「いただきまー」

「いただきます……」

「いただきます」

 四つのいただきますが重なる。

 繰り返す。

 四つの、いただきますである。

「いやー些細な所作が本当に綺麗ねーあーちゃんは!」

「あーちゃん?」

「髪が青いからあーちゃん! わかりやすくない?」

「それだったらあおちゃんで良くないか?」

「安直過ぎてつまんないじゃない!」

「どの口が言ってるのそれ」

「三人共、行儀が悪い。食事中は静かに」

「「「ごめんなさい」」」

 今晩限り……かどうかはわからないけれど、我が家に初めて足を踏み入れたゲストさんに怒られ背中を丸めるクラネル家の図。

 お祖父ちゃんの所のお手伝いを早々に切り上げた僕は、謎の記憶喪失お姉さんの手を引いて、急ぎ足で我が家に駆け込んだ。

「本当にエロコスプレお姉さん連れて来た……」

「耄碌ジジイが寝惚けて連絡寄越したもんだとばっかり」

 土日はしっかりお休みが取れている共働きの両親は目も口も大きく開けて、僕の手を掴んで離さない人だけを見つめていた。

「あの子すごいわよ! 身体のラインすっごく綺麗なの! 引き締まってるし出るとこ出てるし! 本当に何処で掴まえたの!? やるようになったじゃない我が息子ぉ!」

 キャラ崩壊ってレベルで上機嫌なお母さんが、あのお姉さんと一緒にお風呂に入った際の感想をノリノリで僕に伝えてくれた。思春期男子にそういうのよくないと思うよ?

 今日、本屋に来る前は何をしていたんですかと尋ねると。

「昨夜。気が付いたら私は山の中にいた。そこから、貴方がいたあの本屋と言う場所まで歩いた」

 頭が痛かった。ブーツが泥だらけだった理由も判明した。

 一睡もせず夜通し歩いて山を森を越えて僕に会いに来たなんて、サスペンスドラマに出て来る絶賛逃亡中の指名手配犯みたいなことしてるんだもの。それだと僕死んじゃうじゃん。ちーん。

「お前が産まれる前も産まれてからも、こんなに綺麗なお嬢さんとの縁はないな」

「私の記憶にもないわね……」

 両親は、僕と彼女に縁などないと断じた。

 僕は僕で懸命になって記憶をほじくり返してみたけれど、やっぱり何も出て来なかった。

 自分の名前。家族のこと。なんでもいい。どんな些細なことでもいいから教えて欲しい。

 真面目な顔を見せたお父さんが尋ねると。

「何もわからない……悔しいくらいに何もわからない……本当にすまない……けれどただ一つ。私が持っているものは、貴方に会いたかったというこの思いだけなのだ」

 一見すると惚気話みたいに聞こえるけれど、僕たち家族の表情は浮かないものだった。

 何もわからないが僕に会いたかったというわけのわからなさと。

「私には……他のものなど何も……」

 必死にさえ見えたその姿を笑うことなんて、僕たち家族には出来なかった。

「事情は飲み込めないけれど、こんなに可愛い子に野宿をさせるわけにもいかない。貴方、今日からうちに泊まりなさい」

「んーまあこれが丸いか。ベルにも懐いてるみたいだしな」

「うん……そうしようか……」

 僕だって、彼女を見捨てるような真似なんて出来なくなっていた。

 下着とか必要だろうと、お母さんが彼女の為の買い物をしたり、散らかっててごめんねとお父さんが掃除を始めたり、僕は僕で一応は部屋の掃除をしておくべきかなと、ちょっとだけドタバタしたりして。

 そんなこんなを経て、四人で晩御飯と相成っている次第。

 んで。

 これは何だこれはどう使うのだと、終始僕の隣できょろきょろしていたお姉さんに四苦八苦しながら食事を終えたリビングで。

「ねえベル。お小遣いあげるから、明日はあーちゃんと遊んで来なさいよ」

 洗い物をしながら、お母さんがそんなことを言い出した。

「いやいやいやいや! お小遣いは嬉しいけど先ずは病院とか」

「明日、何曜日?」

「あーそうでしたぁ……」

 今日が土曜。明日は日曜。つまりそゆこと。

「いいんじゃんか。あちこち歩き回って記憶に引っ掛かる何かを探すのは記憶喪失ものの鉄板だろ」

「ドラマじゃないんだから……」

 テレビとスマホを同時に見ながらのほほんと笑うお父さん自由過ぎる。

「あおちゃんは」

「あーちゃんね」

「どっちでもいいよぉ。なあ、君はどうだ? ベルと二人で行動すること、どう思う?」

「寧ろこちらから提案しようと思っていたくらいだ。ご両親の賛同を得られたのなら話は早い。ベル」

「は、はい……」

「明日一日、私に付き合ってもらえないだろうか?」

 お風呂を終えた彼女は、初見の印象よりずっと長い髪を無造作に下していて、とりあえずとお母さんが用意した寝巻きに身を包んでいるのだけど、どうにも全体的に窮屈そうで……その……凄くですね……。

「エロガキ」

「お父さんうるさいっ……! ぼ、僕で良ければ喜んで……!」

「ありがとうベル……!」

 願った通りの展開になったことが余程嬉しかったのか、両目を弓形にして、彼女は笑っていた。

「あぅ……!」

「超エロガキー」

「だからさっきからうるさいのお父さんは!」

「はい、洗い物お終いっ。色々聞いてみたいことはあるけれど……今朝までずっと山道歩いてたって言うし、早めに休んだ方がいいわね。ってことであーちゃんあーちゃん。あーちゃんの寝る所を用意するから手伝ってくれるかしら?」

「もちろん。指示さえ頂ければ全て私が務めあげる。どうかよろしく頼む」

「頼もしーっ。じゃあ行きましょ行きましょ」

「ああ」

 お母さんに背中を押され、リビングを出ていく後ろ姿を黙って見送っていると。

「ケツもすげーな彼女」

「あのさあ!」

「デカい声出すなよエロガキー」

「だからっ……もういい……!」

「怒るなって。改めて不思議な子だよな、あの子」

「記憶喪失のコスプレイヤーさんなんて不思議に決まってるでしょ……」

「じゃなくてさ。飼い犬に尻尾を振る犬みたいじゃんか。俺たちにはそこそこで、お前にだけはブンブン尻尾振ってるみたいなさ」

「そういう言い方もよくないよ」

「お前だって満更でもないくせにー」

「何を言って」

「いや揶揄ってるとかじゃなくて」

「じゃなくて?」

「なんつーのかなー」

 ふざけて倒しているようで、SNSを駆使して謎のコスプレイヤーさんの情報を集める為にフル稼働させていたスマホをテーブルに置いて、お父さんは真っ白な天井を見上げた。

「ベルとあの子が隣同士でいることが、凄く自然なことだって思えるんだよなー。なんか知らんけど」

「何それ?」

「何それって、お前だってそう思ってるんじゃねーの?」

 天井と睨めっこしていたお父さんの紅い目が、今度は僕の瞳を捕まえた。

「……わかんないよ……そんなの……」

 僕もそんな気がしているよ。

 けれど。

 何も感じていないフリをしていた方が、苦しくないから。

 なんて言えない僕には、曖昧に答えることしか出来なかった。

 んでんで。

 なんだか疲れたし、今日は早めに寝るかと部屋に入ったら。

「これがね、小学校の運動会の時のベル。毎年かけっこだけは一番だったのよー」

「女児かと見紛うような可愛らしい少年だな」

 僕の勉強机の周囲で女子トーク始まってて腰抜かしそうになった。

「な、何やってるの二人は……」

「あーちゃんがベルのいろんな姿を見てみたいって言うからついつい。てへへ」

「てへへじゃないよ。それで……このお布団は何?」

「あーちゃん用!」

「それはわかるんだけどさ」

「じゃあ聞かないでよー」

「どして僕の部屋にご用意されているの?」

「だってあーちゃんがそうしたいって言うんだもの」

「うむ」

「そこは止めてよお母さん……!」

 何がどうして、十四歳のお子様と綺麗なお姉さんが同じ部屋で眠ることを許しているのかこの母親は。

 っていうか当たり前に中学生男子の部屋に勝手に入ってるし!

「いやでもそれはよくないですよ本当に……」

「よくないのか?」

「ええ」

「どうして?」

「そ、そんなの、僕が男で……貴方が……お、女の子だから……」

「……女の子か、私は」

「ほ、他の何だって言うんですか……」

「そうか……ふふ……」

 なんだか……嬉しそう? 何故に?

「大丈夫。貴方は合意なく不埒な行いをするなど出来る人物ではない」

「自分で言うのもなんですが、今日出会ったばかりで何も知らない僕のことを軽々しく信頼するのはどうかと……」

「ああ、その通りだ。私は貴方を知らない。知らないが、わかる」

「わかるって……」

「私は貴方に心を許している。だから、信じたいだけなのかもしれないな……しかし安心しろ。貴方が私に何かしようとしたら、その時は私自ら成敗する。どうやら体術にはなかなかの自信があるらしいぞ、私は」

「どうして他人事なんですか……」

「さあ、何故だろうな」

 口元に手を当てて、愉快そうに笑っている。

「本当に……不思議な人だなあ……」

 僕も、そんな彼女の姿を見て、笑っていた。

「間に私がいるのに二人だけの雰囲気作り上げるなんて、ベルもやるようになったじゃないー」

「お母さんが勝手に置いてけぼりされてただけでしょ」

「酷い! でもお母さんは理解のあるお母さんだからさっさと退場してあげることにする! じゃあごゆっくり! あ! ちゃんと避妊は」

「怒るよ?」

「怒った我が子も可愛いー! おやすみーっ!」

 きゃーきゃー言いながら去っていくマイマザー。今日めっちゃテンション高いなあの人。

「えっと……騒がしくてごめんなさい」

「素敵なご両親ではないか。父君の方は昼間のご老人と似た雰囲気を纏っているもので警戒心が拭えないが」

「あ、あはは……」

「それに謝ることなどない。不審にも程がある私にこうも甲斐甲斐しく接してくれること、深く感謝している。いつか何らかの形で礼をする。約束する」

「程々で大丈夫ですよ。じゃあ……えっと……」

「うん?」

 自分の部屋に女の子がいる。しかも、浮世離れしているって言いたくなるくらいの、飛び切りの美人さんが。

「も、もう寝ましょうか! そうしましょう! 僕のベッドの方が広いのでそちらを使ってもらっても大丈夫ですよ!」

 異性と二人きりという、学校でもあんまりないシチュエーションにテンパりまくっている所為か、急かすような形になってしまった。どちらにしろ早く眠る方がいい。

「母君の厚意を無碍になど出来ない。私はそちらで眠らせてもらおう」

「わ、わかりました。じゃあ、おやすみなさいということで……」

「ああ。おやすみ」

 彼女がお客様用の布団に入るのを見届けるより先にそそくさとベッドに入る僕。電気は真っ暗にしない方がいい気がしたから豆球で。

 豆球色の橙とカーテンの向こうから差し込む月明かりにコーディネートされた室内に、誰かと誰かの吐息がすれ違うように響く。

「あ」

 そうだ。今日全然ライン返したりしてなかった。ソシャゲもログインしただけでスタミナ溢れちゃってるや。

「よいしょ……!」

 ソシャゲはいいけど友達にライン返してないのはよくないと思い、掛け布団を頭から被ってスマホを掴む。見えなくならない程度に画面の明るさを絞り、簡素な返信をするように努めた。記憶喪失のコスプレイヤーさんを部屋に泊めることになったーなんてそのまんまを伝えたら絶対ライン連打されて眠らせてもらえなくなるから。

「……ん?」

 違和感。僕、違和感です。

 自分じゃない誰かの呼吸音が、妙に鮮明に聞こえた。

 まさかと思い、すすすっと掛け布団から目だけ出してみる。

「んーっ!?」

 大声を出しそうになってしまったから慌てて口を塞いだ。グッジョブ僕っ。

「どうかしたか?」

「ど、どうかしますよ……! 僕の枕元で何をやっているんですか……!?」

 存在を友達みんなに伝えたら絶対大騒ぎになるだろうド級の美人コスプレお姉さんの尊顔が薄闇の中、直ぐ近くに浮かんでいた。

「少々気になることがあってな」

「き、気になること……?」

「その板だ」

「板って……こ、これ?」

「うむ」

 僕の右手の中で薄明かりを放っているスマホのことを言っているらしい。板って。

「貴方も貴方のご両親も、道行く人々も同じような板を持っていた。故に気になってな」

「な、なるほど……」

 そうか。スマホも忘れちゃってるのか。記憶喪失ってすごいんだな。すごい怖い的な意味で。

「え、えっと……ちょっと触ってみます?」

「いいのか?」

「はい」

「ありがとう」

「はうっ……!」

 身を起こしてベッドに腰掛けると、感謝の言葉を告げながら、直ぐ隣に彼女も腰を下ろした。電気……今はいいか。

「えっと……何から説明したらいいかな……」

「貴方たちが何度も口にしていた、らいんと言うものが気になる」

「ラインですね。えっと……」

 画面を明るくして、彼女にラインの画面を見てもらいながら概要を伝えると、彼女はいたく感動した様子だった。

「こんな技術があるだなんて……しかも声と声での会話も出来る? 凄まじいものだな、すまほとやら……」

「貴方も使っていたはずなんですけどね……」

 ジオンの軍人さんみたいな言い回しに苦笑いしながら、たくさんの機能に触れてもらった。

「な、なんだ!? 演奏隊がこの中に……!?」

 スマホから音楽が流れ始めた途端にビクッと背中を跳ねさせたり。

「すまほの中に人が囚われているのか!?」

 写真を見せたら立ち上がってすごい剣幕でスマホを睨んでいた。

「な、なんだこれは……くっ……この私を愚弄しようと言うのか……!」

 簡単な落ちものパズルゲームに触れてもらったら意識高めというか、推しにのめり込んでいるコスプレイヤーさんの鑑みたいなちょっと浮いた言葉で上手くいかないイライラを表現していた。

 この私って、どの私さんなんですか?

 そう聞いてしまいたい衝動を結構頑張って抑えたのはナイショ。

 あんな機能もこんな機能も見てもらい、その都度説明をして。

「なるほど……おお……!」

 お隣さんは、終始楽しそうだった。

 スマホのご紹介も一段落すると、彼女は写真に強い興味を示した。

 彼女に見られたらマズイ代物の有無を確かめてからスマホを手渡し、僕の思い出フォルダを好きに弄ってもらっていると。

「楽しそうだ」

「え?」

「すまほの中にいる貴方は、いつだって楽しそうに笑っている」

 自撮りとかしたことない。

 僕のスマホの中にいる僕の写真は、家族や友人たちが撮ってくれたものばかり。

 だからだろう。確かに僕の目から見ても、スマホの中の僕は笑ってばかりだった。

「幸せなのだな、今が」

「そう……ですね。そうなんだと思います」

「何よりだ」

 スマホの中でお祖父ちゃんと笑っている僕の顔をツンツンと突いては拡大縮小を繰り返す僕の姿を見る彼女は、柔らかく微笑んでいた。

「……ちょっと失礼します」

「うん?」

 彼女の手からスマホを拝借して部屋の明かりを付けた。

「スマホと睨めっこです」

「睨めっこ?」

「笑うと負けです。笑ったらダメです」

「それはどういう」

「よーいどん!」

「先ず説明を…………」

 と言いながらも、僕が無遠慮に向けたスマホのレンズと睨めっこするお姉さん。殆ど無表情というか、笑顔でないことが残念な気がするけれど。

「かしゃ?」

 無防備な瞬間を、切り取らせていただいた。

「はい睨めっこ終わりです。これ、見てください」

「先から何を……なっ!? わ、私がすまほの中に!? 私はここにいる! 一体どういうカラクリだ!?」

 フォルダに加入したてほやほやの一枚を見やり、スマホに向けて吠えるお姉さん。

「くっ……ふはっ……!」

 本当に混乱しているらしく、自分が存在していることを確かめるように自分とスマホをペタペタと触っている姿があんまりにも面白くて、堪え切れずに吹き出してしまっていた。

「無学を笑ってくれるな……」

「だ、だって……いやいやごめんなさいごめんなさい。僕も無遠慮でしたね」

「いい。それに、これで貴方の手元に残り続けるのだろう、今の私が」

「え?」

「消えないのか? その中の私はずっと」

「永遠になのかとか言われたらわかりませんけど、自分からデータを消去するような真似をしなければ、少なくとも何十年かはスマホの中に残り続ける……はず……」

 技術的なことなどよくわからない僕には、曖昧に濁すことを出来なかった。

「……私も……すまほを手にしてみたいものだ」

「どうして?」

「すまほさえあれば……ずっと、貴方を忘れないでいられるのだろう?」

「っ……!」

「それは……とても素敵なことだ」

 どんな言葉を選べばいいのかわからない。

 小首を傾げて微笑む彼女の姿に。

 何処か儚げにも見えるその姿に。

 言葉に出来ない何かを抱いた自分を、認めることが出来た。

「……失礼します……!」

 気付けば、身体が勝手に動いていた。

「え? いきなりどうし……!?」

 肩と肩が触れ合う距離にいきなり座った僕の横顔に突き刺さる困惑に満ちた視線を頑張ってスルーしながらカメラを起動。

「あまり動かないでください」

「動くなと言われても」

「もう一度スマホと睨めっこです。負けたら僕も貴方も明日の朝ご飯抜きです」

「それは困る……!」

 負けず嫌いな性格らしく、あっさりと乗ってくれた。

 二人の間、僕たちの目線より上からスマホに見下ろしてもらって睨めっこ。

「インカメラなんて初めて使うかも……!」

 こういう感じでいいのかなと訝しみながら角度の調節をしていると。

「いんかめら?」

 彼女が、きょとんとした顔になった瞬間があった。

「よし……!」

 弾かれたようにシャッターを切っていた。

「もういいですよ」

「睨めっことやらはもうお終いか? 気の所為でなければ、スマホの顔の向きがさっきと逆ではなかったか? しかも、すまほの中に私たちがいたような気がしたが……」

「気の所為じゃないですよ。ほら」

「これ……は……?」

「僕と貴方です」

 初めてのことに緊張し倒している、情けない表情の僕。

 いんかめらなる謎の存在に興味を煽られ、首を傾げている彼女。

 撮りたてほやほやの一枚は、どうにも締まりの悪い一枚となってしまっていた。

「その……貴方が記憶を取り戻せても取り戻せなくても、貴方の手元にスマホがやって来た時にこの写真を送ります。そうしたら僕たちはもう、互いのことを忘れたりなんかしませんよ。互いのスマホの中に、今日の僕たちがいるんですから」

 背伸びをした。

 格好付けた。

 こんなことしか出来なかった。

 けれど、今。

 ほんの少しでもいいから、元気になって欲しかった。

 絵にはなるし、美しいって素直に思っちゃったけど。

 あんな、何処か悲しそうにも見える顔をしていて欲しくないもの。

「……優しいな……貴方は」

「い、いえいえ! 僕は別に」

「ベル」

 二人の間のスマホに目を向けていた彼女が顔を上げて、真っ直ぐに僕を見た。

「ありがとう」

「ど……いたしま……して……」

 カタコトになってしまった。

 だって、距離はそのままに彼女がこっちを向いたから。

 彼女の綺麗な顔しか、僕の瞳に映っていなかったから。

「どうかしたか?」

「……ち」

「ち?」

「近い……ですね……」

「近いとは……あ……!」

 ババっと! 二人同時にそっぽを向いた。

「す、すまない……!」

「いえいえ……全然……も、もう寝ましょうか!」

「あ、ああ……そうするとしよう……!」

「電気消しちゃいますね!」

「頼む……!」

 今度は豆球さんもお休みで、部屋の明かりを全て落とした。ゴソゴソした音が聞こえた。今度こそ彼女はちゃんと布団に入ったのだろう。僕も続かねばと、何年も僕の安眠を支えてくれているベッドに身を隠した。

「眠る前に、一つだけいいだろうか?」

 暗闇の中から、彼女の声が聞こえた。

「はい」

「当たり前に貴方をベルと呼んでいるが、それで構わないか? これからも貴方を、ベルと呼んでいいだろうか?」

「勿論です」

「ありがとう」

「でしたら僕は、貴方をなんと呼んだらいいですか?」

「貴方のご両親と同じく、好きなように」

「わかりまし」

「待ってくれ」

「た……?」

「呼ばないでくれ」

「え?」

「やっぱり……私の名前以外で、私を呼ばないでくれ」

「……どうしてです?」

「貴方にだけは、私の名を呼んで欲しいんだ」

「…………」

「だから……必ず思い出す」

「……わかりました」

「すまない」

「いいんです」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 夜闇に紛れたナイショ話はお終い。

 その日は夜が長く、やけに朝が遠かった。

 

* * *

 

 今朝。

 朝食を済ませ、じゃあお出掛けしましょうかとそれぞれに支度を済ませている最中。

「お母さんの服着てもらうのもいいけど、あーちゃんに着せるには華やかさに欠ける物ばっかりだし……そうだ! いーこと思い付いたっ!」

 朝からハイテンションなお母さんがコスプレお姉さんを引き摺ったと思ったら。

「じゃーん! 私が学生時代に着てた制服! 綺麗に保存しておいたのー!」

 コスプレお姉さんの本領発揮と言わんばかり。

 確かに綺麗に保存されていたらしい学生服を纏って、彼女が現れた。

「スカートは……落ち着かないな……」

「どうしようベル。お前の女エロい」

「僕の女じゃないし。しっかりセクハラだからねお父さん」

 父親にツッコミを入れながら、僕だってドキドキしていた。

 ブレザースカート共にグレーが基調で、スカートの方はチェック柄。中には白のブラウスで、ネクタイをしっかりと結んでいる。紺色のニーハイソックスも装備。

 いやはや、似合っているにも程がある。綺麗な人は何を着ても似合うなんて言うけれど本当なんだなあって。

 そうか! だからコスプレしているのかこのお姉さんは! ホンマか?

「何故制服?」

「私が見たかったから!」

「おいこら」

「昨日の格好だと目立つのは間違いないし、この格好の方が面倒事を回避出来るでしょ」

「やるじゃんお母さんぐーっどあいであー」

「でっしょー?」

 親指を立ててニコニコ笑い合う夫婦の仲睦まじさに変な笑いが溢れちゃった。

「ま、まあいいや……じゃあ出掛けま」

「ちょい待ち」

「何?」

「お前も制服だろそこは」

 ですよね。言われると思ってました。

 ということで、実は結構気合を入れて僕に出来る精一杯のオシャレをしたもので名残惜しくもあるのだが、すぱっと制服に変身。

 んで。

「私が立っていた山中に行きたい。あそこに行けば何かを思い出せるかもしれない」

 と、制服コスのお姉さんに言われた。

 彼女の記憶、歩いたルートを可能な限り聞き出し、スマホの地図を駆使して目的地を探した結果、電車ならば一時間も掛からずに大体の目的地の最寄りにまで行けると判明。両親から多めにお小遣いをもらって電車移動をすることにした。したんだけど。

「それはそれとして、少しはデートらしいことをしてきなさいよ」

「何がフックになるかわからんのだから、あちこちで色々な経験をしてみるといい」

 半ば楽しんでいる両親に、そんなことを言われた。

 最寄駅から結構歩くみたいだし夜の山に入るのは怖いし危ないし、あんまり遊んでばかりもいられないっぽいんだけどなー。

「それであれば、貴方が通っている学校とやらに行ってみたい。どうだろうか?」

「いいじゃない!」

「行ってこい行ってこーい」

「僕の意見……けどまあ、それくらいなら……」

 そういうことになった。

 んでんで。

「ここが僕の通っている学校です」

「これが……貴方の学校……!」

 通い慣れた僕からしたら何がどうしてそんなにも? と言いたくなるくらいに、制服コスのお姉さんは瞳を輝かせていた。

 日曜の今日は校内外で部活動が盛んに行われているらしく、校庭や体育館の方からは熱気を帯びた掛け声が聞こえ、校内からは吹奏楽部の奏でる音色が僕たちの耳を揺らしていた。

「中に入ってもいいものだろうか?」

「在校生の僕と一緒なら平気でしょう」

「では行こう!」

「はわっ!?」

 眩しい笑顔のお姉さんに、左手を掴まれた。

「案内は任せたぞ!」

「わ、わかりましたけどっ!? ちょ、ちょっと落ち着いて……!」

 部外者を連れ込んだことを怒られたらその時はその時だと開き直りながら、案内するはずの僕が引き摺られながら校内に突入。

 彼女が最初に見たがったのは、僕のクラスの教室。

「ここが貴方の……」

「はい。週の半分以上はここで勉強をしたり、友達と遊んだりしています」

「そうか……そうなのか……!」

 本当、何にこんなに感動しているんだろうね、この制服コスのお姉さんは。

「貴方の席は何処だろう?」

「一番奥。窓際の、後ろから二番目の席です」

「窓際……後ろから二番目……ここだな!?」

「そうです」

 僕の席を指差して笑う彼女に頷きを返すと、おおー! と謎の感嘆が溢れて出ていた。いやー僕との温度差すごいな。

「座ってみてもいいだろうか!?」

「どうぞ」

「ありがとう!」

 よし! と言われた飼い犬のように飛び出して僕の席に腰を下ろすお姉さん。何から何までまで勢いが強過ぎて、僕は苦笑いするばかりだった。

「ここで毎日……」

「勉強したり友達と話したりと……まあ、普通のことをしていますね」

「そうか……」

 キョロキョロと落ち着きなく周囲を観察していた彼女が。

「それは……素敵なことだ……」

 目を細め、机に肘を付いて、頬杖をした。

「…………」

 似合わないと思った。

 机に肘を付く。

 頬杖をする。

 そのどちらも。

 けれど。

 異様なまでに、絵になっていた。

「むっ?」

 あ、ヤバ。即バレた。

「今のは……すまほの音ではないか?」

「ぼ、僕じゃない他の生徒のスマホの音じゃないですかね?」

「はぐらかすな。今の音、かめらという物が発した音だな?」

「わ、わかりませーん……!」

「その顔は嘘を吐いている顔だ。すまほを私に見せてみろ」

「じゃあ次行きましょうか!」

「こら待て! 話はまだ終わっていないぞ!」

 慌てて逃げる僕を慌てて追い掛けてくる彼女の追求を躱しきれず、盗撮犯扱いされても止む無しな写真を見られてしまった。

「まあ……好きにするといい……」

 完全に消去することも出来ますけどと伝えたら、少し照れた様子で、そう言ってくれた。

「ふぅ」

 お許しもらえてよかったと息を吐く。

 僕が写真家だとしたら、生涯塗り替えられないようなベストショットだって、胸を張れるような一枚になったから。

 あとでお父さんとお母さんにも見せてあげよっかな。

 食堂。バレー部とバドミントン部が練習中だった体育館。野球部と陸上部が使用している校庭など、とにかくあちこちを見てもらった。

「素晴らしい……これほど充実した教育機関があるとは……!」

 大袈裟だなあと思いながら、それでも僕が生きる世界をベタ褒めされた嬉しさに頬を緩めながら学校を後にした。友達や先生たちに彼女の姿を見られたらトラブルに発展するかもしれないからね。

「あれは何だろうか」

 ご機嫌な調子でローファーを鳴らして歩く彼女が、小さな子供たちがわいわいと騒いでる輪を見つけた。

「ああ、ジャガ丸くんか」

「じゃがまるくん?」

「人類のソウルフード! なんて言われてたりする、世界中で愛されてる食べ物です」

「そ、そうるふーど?」

「とっても美味しいってことです」

 困惑している彼女が次の行動に移りやすいように、子供たちが作る列に並ぶこと暫し。

「はーい次のお客さんどうぞー!」

「どうぞー」

「あ、あれ?」

 この店舗は、学校帰りに何かと利用させてもらっている店舗だ。いつも元気なおじちゃんおばちゃん夫婦が店先にいるんだけど。

「やー素敵なカップルさんだなあ! でもそこの白い髪の子はボクとお付き合いをする方が」

「はいはいうるさいですよー。と言うかそこの彼は私の伴侶(オーズ)になるべき人で」

「うるさいのはそっちの方だろ! シっ……な、謎の何某ぃ!」

「うるさいのはそっちじゃないですかー。そもそも謎の何某って誰のことですかー?」

 すっごく綺麗な女性二人が、押し合い圧し合いをしながら営業していた。

 一人は長い黒髪を二房に結っている、背の低いお姉さ……女の子? とっても可愛らしい人なんだけど、ぐいーっとエプロンを押し上げているお胸の量感は可愛らしいどころか凶悪にも程があるご様子。眼福。ありがとう。

 もう一人のお姉さんもとっても綺麗な人なんだけど、綺麗と可愛いのハイブリッドを突き詰めたらこんな感じ! ってくらいの美人さんだった。薄鈍色のかみを揺らしながらニコニコ笑っているけれど。

「ひえっ」

 僕を見る目に、謎の恐怖を感じた。

 それと、謎の既視感も。

 あの人と初めて目が合った時にも似た、あの既視感だ。

 僕はこの二人を知っている……?

「どうかされましたかー?」

「い、いえいえっ!」

 何処かのコスプレお姉さんじゃあるまいしないないと首を振って意識を切り替える。

「えっと……いつものおじちゃんとおばちゃんは……?」

「あの子たっ……じゃなかった! おじちゃんとおばちゃんは二人揃って腰を痛めてしまってね! 臨時でボクたちがバイトに駆り出されているってわけさ!」

「な、なるほど……」

 おじちゃんとおばちゃんの具合が心配なんだけど……ボク? あれ? ボクっ娘、ってヤツ? 本当にいるんだ……この人も二次元意識のコスプレイヤーさんとかなのかな?

「ご注文はどうされますかー?」

「じゃあ……レギュラー二つでお願いします」

「はーい!」

「任せておくれよ!」

「あ、支払いはペイペイで」

「ぺいぺい?」

「それは何だい?」

「え?」

「え?」

「え?」

 首を傾げる僕と二人の臨時バイトさん。

「えと、ペイペイです。いつもここ、ペイペイで払ってるんですけど……」

「んー?」

「はて……?」

「…………」

 ちらりと、僕の隣でキョロキョロしている制服コスのお姉さんを盗み見る。

「どうかしたか?」

 即座にバれた。

「いえ……」

「?」

 この人がわからないのはまだわかるとして。

「なんだったかなあ……」

「謎の単語が出て来ましたね……」

「……天然記念物」

「何か?」

「言いましたー?」

「なんでもありませんっ! やっぱ忘れてくだい! 現金で払います!」

「はーい!」

 思わず口走ってしまった言葉がある種の罵倒みたいになっていたことを反省しながらお会計。なんだか不安だったのでお釣りが出ないようピッタリ支払った。

 僕のお隣さんみたいな人がいるんだ。客商売を任された身でありながらペイペイを知らない人くらいいるだろう。そういうことにしておこうよ。ねっ!?

「出来たっ! 冷める前に食べておくれよ!」

「ありがとうございます! はいこれ!」

 ロリ巨乳系コスプレイヤーさん? から受け取った包装紙を彼女に手渡すと、中に収まっている茶色い物体を眺めながら首を傾げ始めた。

「これを食べるのか?」

「はい」

「このまま?」

「そうです。いただきます……はむっ……!」

 どうしていいのかわからないように見える彼女の手本になるよう、勢いよく齧り付いた。

「んー! 美味しいっ!」

 え? 本当に美味しい。なんならいつものおじちゃんおばちゃんが揚げてくれるものより美味しいかも!?

「そりゃそうさ! なんて言ったって年季が違うからね! 年季が!」

「そうなんですね!」

 勢いで答えたけど……あれ? まるで心を読まれたかのようなタイミングの良さじゃなかった? 

 しかも、年季? どんなに頑張って見積もっても僕より少しだけ歳上だよなあって感じのお姿なんだけど? 謎だあ。

「わ、私も……いただきます……」

 僕のリアクションを見てや、少しは警戒心が薄れたらしい彼女が動く。

「むっ!?」

 それでも恐る恐るとジャガ丸くんを一口齧った彼女の瞳が、感動に揺れた瞬間を見た。

「おい……しい……」

「でしょう!?」

「ああ……本当に美味しい……!」

 躊躇いなど消え失せたのか、勢いよくガッといっておきながら、一口一口じっくりと味わうよう食べる様が可愛らしくて、失礼に当たるのかもしれないけどくすくすと笑ってしまっていた。

「ふむ……」

「どうかしました?」

 半分くらい残っているジャガ丸くん。そして僕。この二点間で彼女の視点の反復横跳びが始まった。何事?

「……昨日より……やってみたかったことがあるのだが……」

「やってみたかったこと?」

「……あーん」

「あーん?」

 いきなりあーんと言い出した彼女を訝しんでいると。

 彼女の両手の中にある包装紙が、僕の口元に向けて突き出されていた。

「へ? え? ええっ!?」

 驚く僕!

「ぐぬぬーっ!」

「むーっ」

 何故か怒っている様子のお姉さんズ!

「昨日はご両親の手前叶わなかったが……こうしてみたいと思っていたのだ」

「い、いやいやいやいや! いきなりこんなのハードル高いですって……!」

「こんなのとはつまり、いけないことなのか?」

「いえ、いけなくはないんですけど」

「では貴方が拒んでいるのは、私がこうすることが不快であるからか?」

「それはないですけど」

「では何故?」

 やめてくれコスプレお姉さん。その真っ直ぐな質問攻めは僕に効く。

「何故って……」

 だってほら。ウダウダ言って引け腰になってる僕が悪いみたいな雰囲気になっちゃってるもの。

「ゆ、揺れてる? 揺れてる!? ボクが頼んでもしてくれなかったくせにいぃ!?」

「ズルいなあズルいなあ。気に食わないから魅了しちゃおっかなー」

「よぉぉし黙れ魔女何某ぃ!」

 訂正。そうでもないかも。なんで怒ってるのかは全然わかんないままだけど。

「それに……こんなことが、以前にも合ったような気がするのだ……」

「僕に同じことをした、とか?」

「そうなるのだろうか……わからないが……それでも……」

「……わかりました」

「「なっ!?」」

「いいのか?」

「「ふんふん!」」

「はい。あーんくらいで大騒ぎする方がみっともないですし」

「「あーんくらい!?」」

 やたらと前に出てくる店員さんたちが気になるけど、別にこれくらい全然。

 って。そんな訳ないでしょ。

 友達の弁当を勝手に食べたり食べられたりするのとは全然違う。

 女の子にあーんをしてもらったことなんて今日までない。照れ臭くて恥ずかしくて仕方がない。もうドッキドキですよこちとら。

 でも。頷いたのは、流されたからってだけじゃない。

 僕も思ったんだ。

 そんなことがあったような気がするって。

 そんな絵が見えたんだ。

 思考にノイズが走るようになったというか。

 見たことのない何かが見えたみたいな、そんな感覚がある。

 それと。なんだろう。

 ほんの一瞬だけど。

 背中に違和感を感じた。

 もう少し言葉を突き詰めるのなら。

 背中に、熱を感じた。

「なんなんだ……」

 明確なきっかけがあった。

「あーんってそんな程度のものなのか……!?」

「人が変わったかのようないやいや別人ですものねそうですよねぐぬぬ……!」

 全て、あの店員さんたちの姿を見てからだ。

 これは、なんだ?

「どうかしたか?」

「え?」

「何か考え込んでいる様子だが……」

 自分自身の身体のあちこちに意識を向けている間に、心配そうに眉を曲げている彼女との距離が縮まっていた。

「そんなに嫌ならば」

「違います違います! そういうことではないので! じゃあ……折角だし、こっちもあーん」

「え?」

「「あーっ!」」

「交換しましょう。味は同じですけどね」

 叫ぶお姉さん二人の声をスルー。しっかり緊張に飲まれてしまっているけれど、なるべく表に出さないように努めながらジャガ丸くんを差し出した。

「じゃあいきますよ」

「あ、ああ」

「せーの、あーん」

「あーん」

 お互いおっかなびっくりで。一口と一口を、交換し合った。

「美味しい……それに……とてもいいものだな……」

「そ、そうですか……何よりです……」

 味の感想なんて言えなかった。ドキドキし過ぎてそれどころじゃなかったから。

「はー! やってらんないなーもー!」

「なーんかいろんなことが馬鹿馬鹿しくなっちゃいましたー」

 ギャラリーが怖過ぎる。なんなの本当にこの人たち。

「しかもアレ! 間接ほにゃららじゃないか!?」

「もう要らなくないですか、世界って」

 じーっとこっち見てるのなんなの!? なんか実況されてるし! マジで怖いのですが!?

「い、行きましょうか!」

「行くって」

「他のお客さんのご迷惑になりますから! さあ!」

「あ!」

 謎にも程がある猛烈な圧を背中に感じながら彼女の手を取り歩き出す。長居は無用! 怖いので!

「ごちそうさまでした!」

「ご、ごちそうさま……も、もう少しゆっくり歩いてくれ……!」

 何処か超然としていて、いつだって毅然とした佇まいの彼女があわわあわわと慌て倒す様が見れたことが嬉しかったのか。

 彼女の懇願をスルーしてスタスタと歩き続ける僕の頬は、自分でわかる程度には緩んでいた。

 

* * *

 

「いやー嫉妬で狂うかと思ったー」

「彼女の首に手を伸ばしそうになりました」

 往来であーんを交換し合うという、仲睦まじいにも程がある浮かれポンチアオハル学生服コンビを見送って、謎の女従業員二人は大きく息を吐いた。

「君が言うと冗談に聞こえないんだよ……それはそれとして。あのエロボケジジイの言っていたことは本当だったみたいだ」

「ですねー。あの感じ、いきなりこちらに現れたことによる弊害かと」

「時代が移ろいすぎて、認識の齟齬がエラーを吐かせた。みたいな?」

「でしょうね。兆しはあるみたいですけど随分と緩慢。私たちの姿を見たら少しくらいはと思いましたけど、気付きを得ていたのは寧ろ彼の方でしたね」

「だね。いやはや思ったよりも重症だなあ。ボクたちが目の前に現れるだけで充分な『調整』になると思ったんだけどなー」

「もう少しお節介をと思いましたけど……その必要はないみたい……いえ。寧ろ逆に、私たちがもう一肌脱がなければならないかも?」

「なんだいそれ?」

「飄々とした風でいて、彼女と彼の『再会』に誰よりも心を砕いているあの方が、一石を投じるべく動き始めたみたいですから」

「あー誰かわかっちゃった……っていうかそれ、絶対荒療治になるだろ……ヒロイックにうんたらー! とか言ってさ!」

「でしょうねー」

「なんでちょっと嬉しそうなんだ君は……」

「彼が秘めた、彼の魂だけに依らない、彼だけの輝きが見られるかもー? なんて期待をしちゃってまーす」

「まーすじゃないよ……どうなっても知らないぞボクは……」

「で、どうされます?」

「もちろん、追うに決まってるだろっ」

「ですよねー」

 一人の幼女がツインテールをブンブン揺らし、一人と少女がうんうん頷くと。

「あの……ジャガ丸くんの小豆クリーム味を……誰もいない……?」

 神隠しにでもあったかのよう。

 二人の従業員は、姿を消していた。

 

* * *

 

「ま、待て!? これは彼が託してくれたお金なのだ! 吐き出せ! 貴様が食べてしまったお金を吐き出すのだ!」

 券売機で特急券を買う所から始まって、もう何から何までとにかく苦労した。

「速い、速いな……! お、おお……おお……!」

 電車に乗り込んだコスプレお姉さんは、硝子窓に頬を張り付ける子供みたいな勢いで、全方位から興味を引っ張られていた。

「これは知っている。じどうどあ、というヤツだ」

 到着駅で開閉する扉を見てや披露されたドヤ顔はとっても可愛かった。

「これはどうやって食べ……な、中身が飛び出した!? トラップか!?」

 駅前が思ったより寂れていて、腹拵え出来そうな所はここしかないかと入ったマックで、ハンバーガーさんをトラップ呼ばわりして投げ捨てようともしていた。その後美味しくいただかれておりました。また来たいとのこと。何よりです。

「これはどうやって飲めば……くっ……このっ……すまないが、刃物を貸してくれないか?」

 長く歩くことになりそうだからと購入したペットボトルの開け方がわからんと刃物で口の部分を切り飛ばそうとしていた。

 正直に言えば、斜め上を突き進みまくるコスプレお姉さんのリアクションを楽しんでいたと言うのはあるんだけど。

「つ、疲れた……」

「軟弱な。まだ山にさえ入っていないではないか」

 イラッときた。自業自得の結果のイラッなので何も言えない。

「と、とにかくですねっ。この道を」

「ここから先は覚えがある。私が案内する。行こう」

「は、はぁい……」

 先導する気満々だったのに、スタスタと歩き出すコスプレお姉さんの蒼い髪を追い掛ける。

 まだ太陽は高く、時計を見ればおやつの時間の背中が見えたくらいだが、比較的過ごし易いとはいえ夜空に冬の大三角が浮かんで見えるような季節だ。さっさと下山しないと真っ暗闇の中を歩くことになる。そんなの御免です。

 っていうか、制服の僕はまだしも、履き慣れていないローファーで。しかもスカートで、コスプレお姉さんは山道を歩くの? 大丈夫かなあ。

「遅いぞ。急かすような真似は本来したくないのだが、日が落ちてから山中を歩くのは危険だ。もう少し進軍を早めねば」

 杞憂だった。息切らしてる僕とは違って全然疲れてないみたいよあのお姉さん。というか進軍って。

 ズンズン進軍していくお姉さんの御御足を眺めながらトロトロと後に続く。続いて続いて続いて続きまくって。

「ここだ」

「だっ、はぁ……!」

 予想以上に遠かった冒険の行き止まりに辿り着く頃には、空はオレンジを纏っていた。

「一昨日。私は、ここで目を覚ました」

「こっ、こ……ですか……」

 荒い呼吸を懸命に整えながら周囲を見渡す。

 雄大な山中に於いて、比較的開けている以外に特別な何かがあるでもない。山道からも外れているし、手入れなど微塵もされていないような場所だ。敢えて挙げるならば、池だなんてとても言えないけれど、少し大きめな水溜りが出来ていることくらいだろうか。

「つまり……ここで眠っていたってことですよね……?」

「いや。立っていた」

「立っていた?」

「そうだ」

「ソ、ソウデスカ……」

 想像よりずっとワイルドなエピソードが飛んで来て口あんぐり。寝相が悪いなんてもんじゃない……ってそういう話じゃないんだよね。じゃあどういう話なんだ一体。

「その……どうですか? 何か思い出したりとか……気になることとか……?」

 額の汗を拭いながら問い掛ける最中。

 彼女の視線が件の水溜りに向いて固まっていることに気が付いた。

「何か思い出せましたか……!?」

 何かしらありそうな様子に少しばかり浮き足立った勢いそのままに、彼女の隣に並んだ。

「……頼みがある」

「なんでも言ってください!」

「踊ってくれないか?」

「はい! ん? は、はい?」

「私と踊って欲しい」

 勢いで答え、聞き間違いだよねと首を傾げ、それが聞き間違いでないと証明されるまで五秒程度。落差と温度差で自律神経おかしくされそう。

「曖昧な文言ばかりで申し訳ない限りだが……貴方なのか、貴方に似た誰かなのか。正直わからない。わからないが……」

「そんなことをした経験があるような気がする?」

 彼女は静かに頷くだけだった。

「……はっきり言っておきます。だったらそれ、僕じゃないですよ。体育の授業と運動会以外で踊ったことなんてありませんから」

 曖昧な言葉を曖昧にし続けるから何処にも進めないんだと思ったから、断言をすることにした。

 正直に言えば気不味いし、罪悪感もある。

「そうか……」

 俯き、目を伏せてしまう彼女の姿を見てしまったから、尚更に。

「……すまない」

「え?」

「私は何をしているのだろうな……」

「何をって」

「貴方との繋がりを感じるからと一方的に貴方を巻き込んで……結果何も得られていない」

 少し身体が冷えたのか。それとも、そうでもしていないと身体がフラついてしまうのか。

「ここまで何の成果もないのでは、私が感じていたもの全てが思い違いか何かなのだと思ってしまうな……」

 彼女の左腕が、己の身体を抱いていた。

「ここまで付き合わせておいて自虐など気分を害するだけか。すまなかったな。今ならまだ日が沈む前に下山出来そうだ。では行くと……」

 動きがピタリと止まった彼女が、僕の瞳を覗き込んでいた。

「あ……っと……」

 僕の隣をするりと抜けていこうとする彼女の右手を、僕の右手が掴んだから。

「いきなりどうした……?」

「ヘタクソなのは大目に見てくださいね!」

「え? ちょ! っと……!?」

 繋いだ右手をぐいっと引き寄せて、バランスを崩した彼女の両肩に手を置いた。

「お手を拝借!」

 言葉の使い方を間違えている気がするけれど、絶賛テンパり中なんだ、許して欲しい。

 正対した彼女の両手を掴み、何となしに左右に動いてみる。僕なりに、ダンスってこんな感じだよね? のステップになるように。

「ってしまった。一曲踊っていただけますか的なこと言うのを忘れちゃった……」

「あの、ベル? これは」

「いいから踊りましょう! 物は試しです!」

「ちょっと……!」

 慌てる彼女を待たずに引き寄せた。

 というか、待てなかった。

 こんなに綺麗な人の顔が直ぐ近くにあって、そんな人の手を握っているんだから。余裕なんてないんだから僕だっていっぱいいっぱいなんだよわかってよ。

「貴方の身体は覚えていそうですか!?」

「何をだ!?」

「ダンス!」

「わ、わかるものか!」

「だったらピンと来るまで試してみましょう!」

「何を言ってっ……!?」

「あ! ごめんなさい! 強く引っ張り過ぎちゃいました!」

「痛いぞ……せめて優しく女性をリードしようという考えはないのか!?」

「本当に初めてなんですってー!」

「知るものか! 私の手を取ったのだ! せめてそれらしくなるように今成長しろ!」

「無茶苦茶だー!?」

 ぎゃいぎゃい言い合いながらダンスみたいな何かに興じる僕と彼女。

 きっと誰にも見られていない夕方の山中。ただ少し大きめな水溜まりが僕たちを見ているだけ。綺麗な蛍が飛んでいるとか、そういう自然の演出があるわけじゃない。小鳥の囀りよりもカラスの合唱の方が耳に迫ってくるくらいだし、ライティングもイマイチ。何より寒い。風が強くなってきたみたいで草木が揺れる音ばかりがうるさくて、ショーの環境としては最低だと言わざるを得ない。

「もう少し私に合わせる努力をしてくれ!」

「そっちだって先から僕の足何度も踏んでるじゃないですか!」

「貴方の足捌きがめちゃくちゃなのだ!」

「どの口が言うんですか!?」

 こんなの、児童のケンカと変わらない。絶対にダンスじゃない。ダンスみたいな何かにすらなっていない。

 協調性を発揮しようとした結果ただの独り善がりになっていて。文字通りに互いの足を引っ張りあう。それをひたすら繰り返す。

「何なのだまったく……!」

「怪我だけしないように気を付けましょうね!」

 それでも。

「……ふっ……はは……!」

 彼女は、笑ってくれた。

「あはは……!」

 僕も彼女に、笑顔にしてもらった。

 そのままペースを落として適当にくるくる回ったりし続ける。なかなかに楽しい。

「ダメだ……貴方とじゃ、何万年掛かっても上手く踊れる気がしないぞ……」

「逆に言えば、何万年も時間を掛ければ踊れるようになるってことじゃないですか!」

「前向きだな、貴方は」

「前に目の付いている人間ですから!」

「それは、すまほで知った言葉か?」

「な、なんでわかったんですか!?」

「なんとなくだ」

 いつの間にか僕の胸に身体をぴたりと寄せていた彼女がくつくつと笑っていた。その可憐な姿にハッとさせられて、けれどそれを悟られるのは格好が悪い気がしたから、ずっと頭の中にあった単語たちを文章に組み立てて、口から出すことにした。

「……得られたものがありましたよ、僕は」

「え?」

「今日……いやあ昨日からか。貴方の言いたいこと、言っていること。そのほとんどがわけがわからなくて……けれど僕自身も、貴方との縁というか……不思議な何かを感じていて……でも答えには遠い気がして……結局答えは出なくて……手応えも全然で……」

「……そうだな……私たちは何も」

 彼女が僕の腕の中で俯く。

「それでも、楽しかったです」

 しかしそれも一瞬だった。

「貴方はどうです? もしかして、ずっと退屈でした?」

「そ、そんなことはない!」

「楽しかったですか?」

「…………楽し……かった……ああ。楽しかった。嘘偽りのない、素直な思いだ」

「だったら。得られたもの、あるじゃないですか」

「!」

「何も思い出せない貴方でも、思い出が増えた。僕も同じです。だから何も得られなかったなんて、僕は微塵も思いません」

「……すまなかった」

「謝ることじゃないです。貴方の立場なら僕だって下向きになっていたことでしょうし。ただ、何も持っていないだなんて、もう言えなくなっちゃいましたよね?」

「ああ。たとえこの身が何も思い出せなかったとしても、今の私には貴方との思い出がある。それが私を支えてくれる。何より……それが嬉しい……」

 ぐっと距離を詰めた彼女が、僕の胸板に額を押し付けた。

「っ……ととと……!」

 死ぬほど照れています。死にます死ぬますマジで恥ずか死及び照れ死をしますヤバいです。

「ベル」

「は、ひ?」

 動揺し過ぎて二文字さえスムーズに紡げない。誰か僕の舌を取り替えてくれ嘘死んじゃうやめて。

「ありがとう」

 顔を上げた彼女の両頬は真っ赤に染まっていて、夕闇によく映えた。

「……どういたしまして」

 めちゃくちゃに背伸びして、無様なりに格好付けた甲斐はあったみたいだと、その愛らしい笑顔は僕に思わせてくれた。

 

* * *

 

 オレンジが溶けて行く夕空。その中に。

「仲睦まじいご様子で何よりだ」

 人のような何かが、浮かんでいた。

「今の君たちを眺めているのも愉快だが、それだけでは満足出来ないんだなーこれが。この瞬間を心待ちにしていた者してはね」

 夕焼けの色に似た橙黄色の髪を夕風に靡かせするその何かは、独創的な舞踊を心底楽しんでいた少年たちを見下ろしていた。

「こんな展開を望んでいたわけでも意地悪をしたいわけでもないんだが、久し振りなんだ。だからいいだろう? 最前列で歌劇に酔い痴れるって言うのも。このオレはそれくらいの権利を持っていると思うんだが、どうかな。お歴々?」

 明確に誰かへ向けての文言であったが、答える者は誰もいない。

「まあいいさ。すまないが、君たちの魂をノックさせてもらうぜ」

 髪の色に近い色の二つの瞳が、怪しい光を放った。

「人生を変えるような出会いにも、運命的な再会にも、華飾されたドラマが必要だ」

 途端。遠くの空が、闇に堕ちた。

「そうだろう? 麗しの君?」

 闇夜に浮かぶ瞳は、無垢な笑顔を少年にだけ向けている制服姿の少女を見下ろしていた。

 

* * *

 

「うん、身体も温まった! いい運動になりましたね!」

「そうだな」

 ダンスみたいな何かの時間はそこそこの笑顔で終幕。すっかり身体はポカポカだ。遠くの空も暗くなってきたしそろそろ……ん?

「なんだか急に暗くなりましたね……?」

 山の天気は変わりやすいって言葉を聞いたことがあるけれど、それにしたって一瞬の間に空が暗くなったように感じる。そんなに長いことダンスごっこしてたかなあ?

「大方、雲が出て光が…………ベルっ!」

「え?」

 あちこちに視線を飛ばしていた僕に突き刺さる鋭い声。首だけで彼女の様子を窺うと、彼女の視線は僕じゃなく、僕の目の高さよりも上を。僕の背後を見て固まっていた。僕も振り返ってみる。

 思考が停止した。

 頭が回らなくて。

 自分の瞳に映るモノが理解が出来なくて。

 まるで、ずっと前からここにいたみたいに極めて自然に。しかし異様に不自然なそれを見たら。

「へ?」

 抑揚のない、間抜けな声が出た。

「ベル! 動けっ!」

「っ!? あぁぁ……!」

 無様な置き物に成り下がりそうだった僕を彼女の声が動かしてくれた。慌てて急発進。

「痛っ……!」

「走って!」

 すれ違うように彼女の手を掴んでその場から可能な限り離れようとする。痛い思いをさせてしまって申し訳ないけれど、今は何より……。

「ぐあぁっ!?」

「くっ……!」

 ここから離れたい一心だったのに、突然鳴り響いた大音声に足を止められた。咄嗟に両手で耳を守った。

 大音声? 違う。そういうのじゃない。

『オオオオオオオオォォオッッ……!』

 これは、咆哮だ。

「な、んなんだ……!」

 フラつく身体でフラつく彼女を支えながら振り返る。

「なんだよこいつ……!」

 友達の家で見たゲーミングPCを思い出した。

 ホログラムとか、ARだかVRだがそういう類の何かなのかとも思った。

 けれど違うっぽい。

 それは、透明だった。

 いや。輪郭はある。

 代わる代わる色を変え、宛ら虹色に見える薄い光が綺麗なカーブを描き、僕たちの目の前に存在している何かが野放図に空中に浮かんでいるだけのモノでないと証明している。

 こうして少し距離を取ったからわかった。

 その輪郭は、生物の型を成していた。

 世界で一番大きな動物最新ランキングを作ったとしたら間違いなくこいつがナンバーワンだと断言出来るほどに巨大。

 一目で本数を正しく数え上げるのには難儀する多腕多足。

 先端が分かれ、禍々しく発達した巨大で長大な尻尾。

 威圧感のある二本一対の巨大な鋏。

 胴体と思しき箇所からは上半身とでも呼ぶべき部位が形成されていて、その中に一部だけ歪な形に隆起している箇所がある。

 透明な上に輪郭が描かれているから判別し辛いが、頭部に相当するだろう部位には、巨大な単眼。

 存在そのものがあやふやに見えるのに周囲の木々は押し潰され、そいつを支える地面は沈み込んでいる。

 常識の範囲外。理解の外。圧倒的に規格外。

 それでも確かにここいるらしいその輪郭は。

「さ、蠍……?」

 僕が知っている生物で言うのならば、一番類似したシルエットを有しているのは、蠍だった。

「蠍のバケモノ……!」

 蠍の怪物の単眼がギロリとこちらを見た。

 僕と視線が重なる。

「ぁ……!」

 身体が震えた。

 一度大きくぶるりと震え、その衝動を忘れさせることを許さぬよう、小刻みに震え続けている。

「……なんだ……」

 わけがわからない。

 ここは、本の中の世界じゃない。

 映画の中でもない。アニメの中でもない。ラノベの中でもない。特撮の中でもない。二次元の中でもない。

 本やネットに記されている、今日まで語り継がれてきたこの世界の歴史が正しいのか正しくないのかはわからないけれど、少なくとも。

 僕の目の前に広がっている世界は、僕が大切にしている本に書いてあるような。怪物が当たり前にのさばっていた古代じゃない。

 僕が生きている現代。三次元だ。

 だから。

「お、お前みたいな怪物がいるはずないっ!」

 恐怖に竦んで動けない僕は、余りある恐怖の一部を苛立ちに変えて叫んだ。

「くそっ……!」

 どうする? どうしよう!?

 戦う? 無理だ。

 僕にはそんな力ない! あるわけない!

 逃げるしかない!

「そ、そうだ! 警察に……!」

 小刻みに震える手でお手玉しながら取り出したスマホはアンテナが不在。圏外だった。

「なんで!?」

 弱々しくはあったけどさっきまで電波入ってたのに!? 何処でもいいから通報なりなんなりをして避難の段取りとかしてもらわないといけないのに!

「お前……は……」

「な、何か知っているんですか!? ってそんな場合じゃない! んっ!」

 震える膝を震える手で殴り付けて喝を入れる。少しは言うことを聞いてくれるようになった右手で彼女の手を掴み、怪物に背を向けて山を降り始めた。

「な! 何をやっている!?」

「走りますよ!」

「話を聞け! 何処へ行こうと言うのだ!?

「知りません! とにかく逃げるんですよ!」

「逃げるだと!?」

「当たり前でしょう! 他に何があるんですか!?」

「ダメだ!」

「はあ!?」

「私は! アレに用事があるらしい!」

 ぶんっと、繋いだ手を振り解かれた。

「な、何言ってるんですか!?」

「すまない! けれどどうしてもアレを無視することが私には出来ない! 被害が広がる前にここで止める!」

「止めるって!? まさか戦うとか言いませんよね!?」

「戦う!」

 何を言っているんだこの人。

 自分が記憶喪失で、制服姿のコスプレをしているただのお姉さんだってまだわかんないのかな。

 周囲に被害が広がるのは僕も嫌だ。出来ることならどうにかして解決したい。

 したいけどさ。

「ふざけたこと言ってないで行きますよ!」

「行かないと言っている!」

「格好付けてる場合ですか!」

「そうじゃなくて私は」

「僕たちは! 英雄なんかじゃないんだから!」

 僕はただの子供で。

 お姉さんはただの……って言うには謎だらけだけど。

 少なくとも僕の目には、一風変わった綺麗なお姉さんにしか見えていない。

 武器も、戦う力も。

 僕たちには、何もない。

 だから、しょうがないじゃないか。

「ならば君だけでいい! 逃げろ!」

「冗談言わないでください!」

「真剣に言っている! 山を降りて助けを呼んで来るんだ!」

「だったら一緒に」

「誰かが足止めをしなければどうしようもないだろう!」

「それなら僕が」

「ここで別れよう!」

「話を聞いてください!」

「すまない! 君にはたくさん迷惑を掛けてしまった!」

「聞けって言ってるだろ!」

「ありがとう!」

「だから僕の話を」

「貴方に会えてよかった!」

「っ……!」

 ガリッ。

 口の中で嫌な音が鳴った。

 全力で歯を食い縛るとこんな音が鳴るのか。初めて知った。

「なんなんだ……!」

 死亡フラグみたいなことばっか言って、本当に怪物目掛けて飛び出していくあの人は。

 いきなり現れて勝手なことばかり言ってさ。

 僕の週末全部掻っ攫って行ったくせに。

 挙げ句の果てには、自分から死にに行くような真似をしている。

 どうしてだ。

 どうして、楽しい思い出にしてくれない?

 このままじゃ今日の思い出の全てが、思い出にすらなれない何かになる。

 それはきっと、哀しみの色を纏っている。

「行ってくれ! どうか無事で!」

 怪物目掛けて駆け出した背中から聞こえた声が、僕の目元を熱く染めた。

「……ふっざけんなっ……!」

 燃料は、それだけで事足りた。

 走るのに適していないローファーで、僕に出せる全速力で録に開発されていない山中を駆け上がるには。

「ううううああああ!」

 走りながら拾った大きめの石を、単眼の輪郭目掛けて投げた。しっかり直撃したらしく、怪物の足元をちょろちょろし始めた彼女から、僕に視線が向いた。

「どうして言うことを聞かなかった!?」

 それに気付いた彼女は心底驚いた様子で、隣に並んだ僕を睨んでいた。

「こっちのセリフですよ! なんで正面に飛び出してるんですか!? バカなんですか!?」

「なっ!? バカとはなんだバカとは!」

「バカはバカでしょう! バカなりに何か具体的な策があって簡単に薙ぎ払われておかしくないド正面に立っているんですよね!?」

「何もないがなんとかするしかないだろう!」

「ほら何もないんじゃないですか! やっぱりバカだ!」

「バカバカうるさいぞ!」

「こいつに用事があるって言ってましたけどお友達にはなってくれそうにないですね! どんなご用事が!?」

「私はこいつを越えなければならない!」

「気がする!?」

「そうだ!」

「だったら!?」

「ここで倒す!」

「バカにも程がある!」

「うるさいぞ! だったら貴方にはここから生き延びる策があると言うのか!?」

「当然無策ですよ!」

「ならばどうして私の隣に立っている!? 何の理由もないのに」

「あるに決まってるでしょ理由くらい! じゃなきゃこんな怖い所に飛び込んで来るもんか!」

「それは!?」

「貴方が女の子だから!」

「はあ!?」

「僕が! 貴方を守らなきゃいけないでしょう!」

「どうして!?」

「貴方が女の子で! 僕が男だからに決まってるでしょ!」

 お祖父ちゃんが種を植え、僕の中で健やかに育ってくれた、僕が僕たる理由。

 僕の根幹に自分で触れながら、思うままを叫んだ。

「か、格好付けているのは貴方の方だろう!」

「女の子の前で格好付けるなんて男に生まれたら当たり前で……しょっ!」

 さっき投げた物と同程度のサイズの石を投げ、上半身の一部だけ隆起している箇所にぶつけると、怪物がこっちを見た。単眼だけでなく、全身で向き直って。

「よし……!」

 そのまま走り出し、呆けた表情を見せている彼女から離れるように木々が乱雑に立ち並ぶ中へと飛び込んだ。

「ど、どうするつもりだ!?」

「少しでも街から離します! それからのことはノープランです!」

「のーぷらんとはなんだ!?」

「何も考えずに暴れるって意味!」

「理解した! この大バカ者!」

 軽口を叩き合いながら僕とは反対に駆け出して、ここより上を目指し始める蒼い髪。本当に理解してくれているらしくて助かる。

 巨大な見た目通りと言うか。どうやら僕に釣られてくれたらしい怪物の動きは然程早くないみたい。この調子なら、逃げるだけなら僕でもなんとか。

「不味い! 避けろ!」

 怪物が大地を削る音の向こうから、彼女の叫ぶ声が聞こえた。

「え?」

 景色がスローモーになっていくような気がする世界の中。あっさりと僕は理解した。

 思い違いをした。

 怪物は僕に釣られてこちらを向いたのではなくて。

 その場でくるりと一回転をしただけ。

 それともう一つ。

 僕でも逃げ切れる。

 僕みたいな一般人でもなんとかなる。

 そんな、致命的な思い違いを僕はしてしまったみたいだ。

 ゲームだったら、これは当たり前に避けられなきゃダメでしょ、みたいな技。いやあ、技ですらないか。

「ぁ」

 木々を薙ぎ倒しながらぐるりと回った蠍の怪物の胴体から遅れてやって来た、たっぷりと遠心力が掛かった尻尾が、全力で走る僕の腹部に直撃した。

「っは……!」

 ベルと、彼女が僕の名を叫んでいた気がした。自信がない。

「かは……ぁ、ぇ……?」

 そう長い時間ではなさそうだけれど、僕は意識を飛ばしていたのだろう。

 今日まで経験したことのない衝撃を受けた僕の身体は大地を離れた気がしたのに、今の僕ときたら大木に背中を預けて項垂れているらしいから。

「こほっ、ぁ……!」

 軽く咳き込んだら血が飛び出した。

 しっかり開いてくれない両目が見つけた僕の両手は泥と血に塗れていた。

 血塗れ泥塗れは当たり前になっているワイシャツは、腹部の部分がほとんど消失していた。剥き出しのお腹は歪な形に歪んでいて、我が身体の一部ながら気味が悪かった。

 木が支えてくれている後頭部にも謎の湿り気。それが自分の血だってことには直ぐに気付けなかった。

 全身のバランスがおかしい気がする。あるべきものがないというか、正しい配置でなくなっているっていうか。主に上半身。多分だけど、骨が折れたり弾けたりしてるっぽい。

「あぁ……」

 死ぬ。死にそう。もう死んじゃってる可能性も捨てきれない。

「しっかりしろ!」

 もう何もわからない。

「立て!」

 わけがわからない。

「立ってくれ!」

 苦しい。

「私が時間を稼ぐ!」

 寒い。

「お願いだ!」

「ぇ……」

 誰かの声が聞こえた気がした。

 でも、それが誰の声かわからない。

 女の子の声だってことはなんとなくわかったんだけど。そこは流石、あのお祖父ちゃんの孫ってところかな。

 それにしても、どうしてそんなにも逼迫した声なんだろ。

 何か大変な目に遭っているのかな。

 だったら助けてあげたいな。

 うん。助けてあげたい。

 でも僕、何も持っていないや。

 困ったな。

 今よりずっと子供の頃なんて、装備を集めるのは楽だったのになあ。

 道端で拾ったいい感じの木の棒は、勇者の剣だった。

 ボロボロだろうと、一度開けば不恰好な傘は勇者の盾として蘇った。

 ランドセルを前に持ってくれば勇者の鎧に早変わり。

 でもそれは、無垢な子供だけが手に出来た優しい幻想。

 今の僕は、勇者になれる装備も。勇者になれるだけの心身の強さも。何も持っていない。

 そして気付く。

 死ぬにはまだ損傷が足りていなさそうだけど、心の方が生きることを諦めているみたいなんだって。

「ぼ……く、は……なんで……なに……」

 そんな弱虫な僕だから。

「ベルっ!」

「ぁぁぁっ……!」

 その声で、その名を呼んでくれたことがありがたかった。

 一人じゃ立てない僕が、一人じゃないってことを教えてくれたから。

 あの人だ。あの人が、僕の名前を呼んでくれた。

 やっぱり大して時間経っていない。あの人がまだ、ここにいるんだから。

 だったら立たないと。

「ぐぅ……ぁ……!」

 生きる力的な何かはたったの一撃で全部持っていかれた感があるから、気合い一つで両目をかっ開いた。それだけで全身が軋んで痛みを訴えてくる。

「くっそ……!」

 当たり前のことなんだろうけど、人間は気合いだけじゃ立てないと知る。

 全然身体が反応してくれない。

 それは困る。今直ぐなんとかしないと。

「た、て……」

 立って、やらなくちゃいけないことがある。

「ぼくっ、が……」

 やるんだ。成し遂げるんだ。

 まだ、あの人の名前も知らないのに。

「守るんだからっ……!」

 こんな所で寝ていられるか……!

「よく言った!」

 何処からか、声が聞こえた。女の子の声だ。

 同時に気付く。

「……な、なんだ……?」

 僕から見える世界が、真っ白になっていた。

 

* * *

 

 真っ白じゃないのはボロ雑巾みたいな僕と、本当に決死の時間稼ぎを敢行中らしいあの人と、あの人に時間を稼がれているらしい蠍のオバケ。

 彼女たちの姿は見えているんだけど。

「動いていない……!?」

 彼女と怪物は、ぴたりと動きを止めていた。

 まるで、世界の時が止まっているみたいだ。

「動かないで」

「え?」

「おっと、振り返ってはいけないよ」

 おかしい。さっきまで僕が背中を預けていたのは大木だったのに。今、僕の背中に触れているのは、手。

 誰かの手が、僕を支えてくれている。

「そのまま、あの子から目を逸らさないでいなさい」

 違う声がした。さっき聞こえた声よりも艶があるというか、大人っぽい感じがした。

 僕の背中を支えている手は一つだけれど、僕の背後には二人の女性がいるらしい。

「痛い思いをさせてすまないね、少年。言い訳にしかならないだろうが、こんな予定ではなかったんだ。いつもやり過ぎなんだよなーほんと」

「貴方にこんな辛い思いをさせた悪い人には、私たちが後でお説教をしておくわ」

「あ、の……」

 さっきよりクリアになっている頭は、背後の二人の会話の内容を理解した。いつの間にか僕の口はカタコト喋りを脱しているし。

「ボクたちは一夜の幻。それ以外の何でもない」

「そうよ。けれどね、貴方を守る為に必死に跳ね回っているあの子だけは、幻じゃない」

 そんなの知ってる。僕の目が耳が鼻が口が手がとにかく全てが、彼女の存在を記憶しているんだから。幻のわけがない。

「だからね、あの子を守ってあげて欲しいんだ」

「勝手でごめんなさい。けれど、貴方にしか出来ないことなの」

「そう。君でなければダメなんだ」

 言われるまでもない。僕は、あの人を守る。

 だがちょっと待て。

「……な……」

「うん?」

「いきなり出て来て、勝手なことを言うな!」

 叫んだ。

 気に食わなかったから。

 気に食わないと感じだものを、とにかく叫んだ。

「なんなんだ! こんな予定じゃなかったとか! 痛い思いをさせるつもりはなかったとか! 僕じゃなきゃどうたらとか! そんなの知らない! 誰かの自分勝手で僕を振り回すな! 誰かの事情で! 誰かの都合で! 僕の生き方を弄ぼうとするな!」

「……怖いんだね?」

「怖い! 怖いですよ! 怖いのも嫌だ! 痛いのも嫌だ! 当たり前じゃないですか!」

「そうね。そうでしょうね」

「ええそうですよ僕は怖がりですよ臆病ですよ! 僕は普通の子供なんですよ! 僕の人生は退屈ですよ! でも退屈でいいから平和に生きていたいと思っちゃいけないですか!?」

「ううん」

「いいえ」

「だったらどうして僕の目の前に……! ああもうっ……!」

「単刀直入に聞くよ。君は今、どうしたい?」

 僕がしたいこと? また言わせるのか? ならば言ってやる。

「あの人を守る! 貴方たちの意思や誰かの思惑なんて知ったこっちゃない! 僕が僕の意思で! あの人を守りたいんだ!」

「君のことを好き放題に振り回していたのに?」

「そうだけど! でも仕方ないでしょ!」

「仕方ないの?」

「そうですよ!」

「どうして?」

「一目惚れしちゃったんだから、仕方ないでしょーが!」

 初めて彼女が僕の瞳に映った瞬間。

 我ながらみっともなかったなと思ってしまうくらいに、心が舞い上がった。

 素敵だ。綺麗だ。可愛い。

 好きになった。

 出会えたんだと思ったんだ。

 お祖父ちゃんが言っていた女の子に。

 きっと、僕が出会うべきはこの人だったんだって。

 お祖父ちゃんが繰り返し僕の中に詰め込んでくれた言葉たちは、全てこの時の為だけにあった言葉なんだって。

 痛々しくて重苦しくて気持ち悪いかもしれないけれど、そう思っちゃったんだから。

「だから僕が守る! この役目は、他の誰にも絶対に譲らない!」

 今はそれだけでいい。

 それが果たせたら、伝えたいことを伝える。

「だから……戦うんだ……!」

 何も出来ないのはわかってるけど。何も出来ないからって何もしないんじゃ、生涯癒えない後悔と共に生きることになる。そんなの真っ平ごめんだ。

「あーあ。まーた一番にはなれずかあ」

「惚れっぽいのは器由来かしらね。」

「けど今日まで散々いい思いをさせてもらったし、我慢するかあ」

「貴方も私も程々につまみ食いをしてきたものね」

「ボクは食べてなんかいないやい! ボクの肩書き知ってるだろー!?」

 っていうかさっきからうるさいな背中の二人。何の話をしてるのかもさっぱりだ。

「まあいいや! 君の気持ちはわかった! 君のやりたいことも! だから、ボクたちが君を勝たせてやる!」

「は?」

「少しだけ、君の魂に触れさせてもらうよ」

「何を言っ……!」

 心臓が止まった。違う。

 僕の全身が刻んでいる時が止まった。

 静止した真っ白な世界の中に、たくさんの何かが浮かんで見えた。

 真っ白なスクリーンにプロジェクターで投影をしているみたいな光景だ。

 解像度が低めな無数の光景が僕の瞳に心に容赦なく焼き付いて、僕の理解を待つより早く次の映像に切り替わっていく。

 共通しているのは、見えるもの全てが、僕が知らないものだった。

「貴方が見ているものは、貴方の魂に刻まれている景色」

「君の魂には、『君たち』が懸命に生きた証が。ボクたちと生きた証が刻まれている」

「今から、その一部を貴方の身体に降ろす」

「君に手を貸したくて仕方がない一匹の『白兎』が早く早くと急かしているみたいでね」

 言いたいことがたくさんあるのに口が動かない。無限にも思えるくらいに広がっていく知らない光景を処理する機能と最低限の思考だけが動いているようで気持ちが悪い。

「きっと、下界の歴史で最後になるわね」

「だね。ボクたちに見せてくれ。『君たち』が授かった恩恵の、最後の輝きを」

 無限の景色を見せていた無数のスクリーンが、全て消え失せた。

 誰かの指先が、僕の背中を滑る。

「あ……!」

 背中に、熱いのに苦しくも痛くもない、不思議な熱が宿った。

 彼女とジャガ丸くんを食べていた時に感じたものとは比較にならないほどの熱が。

「こっちはボクと『あの子』からのサービスだ」

 僕の視界に、白いアームカバーに包まれた華奢な右腕が現れた。それは僕の背後から伸びているみたい。

 その右手には、黒いナイフが握られていた。

 上から下までとことん真っ黒で、古代文字的な何かが刀身に刻まれている、不思議なナイフが。

「さあ、このナイフを持って」

 こんなの渡されても使い方なんて知らない。

「知っているよ」

 言葉にならない思考に答えが返って来た。

「君が知らなくとも、この子が知っている」

 動かない僕の右手の中に黒いナイフを滑り込ませる白い手。

「その子も、『貴方』にまた会えたことを喜んでいるみたいね」

 また? またってどういうことですか?

「わからなくていいのよ。その方がいい」

「そうさ。今はただ」

 真っ白な世界に罅が走った。

 ペリペリと皮が剥がれるみたいに白の世界が剥がれ落ち、その向こうから見覚えのある夜の景色が顔を出す。

「魂が叫ぶまま、暴れておいで!」

 とんっと、背中が押された。

 パリンと、白くて退屈な永遠の世界が砕ける音がした。

「う、わっ!?」

 思いっきり前方へつんのめった。転ばなかったのはただのラッキー。

 つんのめった姿勢のまま顔を上げる。

 真っ白な世界はそこにない。

「くっ……!」

 凶暴な鋏に彼女は狙われていて。しかもそれを目を見張るほどに軽やかな体捌きで回避をしていて。

 凶暴な鋏を振り回す透明な怪物は依然としてそこにいて。

 背中には不思議な熱を感じていて、右手の中には不思議な黒いナイフ。

 人としての機能は壊滅状態になったと思ったのに、痛みがほとんど消えている。

 身体が軽く感じる。

 もう動ける。

 これは奇跡?

 それとも誰かの力?

「……よくわかんないけどっ!」

 今はどうでもいい。

 僕はまだ死ねない。死にたくない。

『私には何もない。貴方への思い以外、何も持っていない』

 こんな僕が今の自分の全てだなんて言ってくれた女の子を守れない野郎のまま死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 だから。

「君の力を貸して!」

 右手のナイフに叫んだ。

「あの人を守りたいんだ!」

 僕の背中で燃え上がる時を待っているかのように、静かに燻っている不思議な熱に訴えた。

「お願いだ!」

 しょうがないなあって。僕の情けない懇願にこたえるみたいに。

 いや。

 この瞬間を喜んでいるみたいに。

 剣に刻まれた古代文字みたいな何かが、紫紺の輝きを放った。

 同時に。

 僕の背中に、炎が宿った。

「よし……じゃあ、一緒に行こう!」

 走って、跳んだ。

 彼女の元へと駆け付けるべく思いっきり。

「跳んでええぁぇぇえぇぇあぇ!?」

 身体が軽く感じるなぁとは思ったけどさ。

「何これえええぇええぇぇ!?」

 蠍の怪物を軽々飛び越えられるほどジャンプ出来るなんて思わないじゃん!

「なっ!?」

 軽いにも程がある自分の身体に驚いていると、どうやら僕の目も機能が急上昇しているらしく、僕を見上げて驚いている彼女の表情がしっかりと捉えられた。

「何が何だかわかんないけど……!」

 怪物は僕の動きを追い切れていないみたい。つまりはチャンスだ。武器もある。攻めなきゃ。

 だとして何処を狙おうかと考えてる間に自由落下が始まった。

 こんな時は……そうだ! ゲームだ! ゲームを参考にしよう!

 お父さんや友達たちと散々一緒に遊んだゲームがある。モンスターをハントする、世界的ビッグタイトルのゲームだ。

 僕は大して上手くもないんだけど、仲間内にプロパンプロハン言われている友達がいて、そのゲームの基礎的なことから応用まで本当にたくさんのことを教えてくれた。

 その内の一つを。

「部位破壊を狙うのは……」

 三次元に引っ張り出せ……!

「基本中の基本っ!」

 報酬も美味しくなるからね!

「はあっ!」

 落下する勢いそのままナイフを一閃。抜群の手応えが僕の手に返ってくる。

「おおー!」

 自分でもびっくりするくらい見事に。しかもワンバンで。左前腕に備わっている巨大な鋏を斬り落として。

「ええええ!?」

 次の瞬間には対となる右前腕の鋏が地に落ちていた。

「す、すごいっ! 君が僕を引っ張ってくれているんだね! わかるよ!」

 直ぐ側で悲鳴のような怪物の咆哮が聞こえるけど完全スルーで右手の中で鈍く輝くナイフに話し掛けるちょっとした興奮状態の僕。

 実は僕が神掛かり的な戦闘センスの持ち主でした! なんてことは当然なくて。

 こう動けばいいんだって、この子が僕を動かしてくれているのがわかる。

 この子自身の経験が、僕の全身をリードしてくれているんだ。

 っていうか切れ味とんでもないな!? この子に掛かれば世の中の金属全てが豆腐みたいにスパスパーなんじゃないの!?

「よし! 次はあの目を……はあ!?」

 怪物の周りを駆け回りながら仕掛ける体勢を整えていると、とんでもない情報を知ってしまった。

 怪物の足元に落ちた二本の鋏と千切れた胴体とがうねうねーっとした何かと何かで繋がり合い、終いにはピタリとくっ付いてしまった。

「さ、再生した!?」

 何それ! めちゃくちゃだ! 戦闘中にHP全回復するラスボスなんて淘汰されて然るべきだよふざけんな!

「うん! わかるよ! あいつのド真ん中! あそこがコアっぽいよね!」

 いいから切り替えろ。狙う場所はわかるだろうと、右手の中から問い掛けてくる。

「再生するなら再生される前に一撃で……!」

 両脚に力を溜めて、全力ダッシュからの全力走り幅跳び。世界に数多あるスポーツ大会全てで表彰台の頂上を独占間違いなしの身体能力を駆使し、音よりも早い弾丸と化して。

「くらえええええっ!」

 蠍の上半身に風穴を開けた。

「どうだ……って再生早っ!?」

 抜群の手応えの余韻を台無しにする復活劇にノリツッコミっぽいのが出ちゃった。

 しかし参った。あの箇所を潰しても復活されちゃうんじゃどうしたらいいのさ。

「えいや! ほいっ! ほっ! とうっ! おりゃ!」

 考えながらとにかく蠍の全身を斬りまくるけどやっぱり回復が早い。というか早過ぎる。残り体力が一定値を下回ると脈絡なく完全回復するイベントバトルみたいになってる。

「どうしたら……あ!」

 ビュンビュン飛び回る最中。僕の目は、危険を察知した。

 蠍が暴れて薙ぎ倒された木々が出鱈目な軌道で山の斜面を転がり落ち、棒立ちしている彼女に殺到する光景が。

「ヤバい!」

 でも、今の僕たちなら絶対に間に合う。

「きゃあ!?」

「しっかり掴まって!」

 案の定、割と楽々で間に合った。彼女の身体を両手で受け止めながら跳躍し、おもいっきり蠍から距離を取り、彼女の両足を地に下ろした。

「ここで見ていてください! アレ、僕がなんとかして来ますから!」

「ま、待て! 貴方のその力とナイフは一体」

「僕にもわかりませんけど、何処かのお人好しさんたちが借してくれているっぽいです!」

「お、おい!」

 もっと触れていたいし話していたいけれど彼女に怪物の攻撃が飛んでは困ると、怪物目掛けて再び大跳躍。

「お前のルールを理解するまで、とにかく徹底的に斬り落としてやる!」

 誰かの無策を笑えない無策で突っ込む僕。

「ベル……」

 その背中に注がれる視線に、僕は気が付けないでいた。

 

* * *

 

「ベル……」

 声が掠れて震える。

 彼の劇的な変化に驚きながらしかし。

「知っている……!」

 黒いナイフを携え、戦場を跳ね回る彼の姿を、この身の何処かが覚えている。

 けれどきっと。

 私が覚えている彼は、彼ではないのだろう。

 ずっとそうだったんだ。

 山中で目覚めた私を引き寄せていたのは、彼ではない『彼』。

 彼に私との繋がりを認識させたのも、彼ではない『彼』。

 彼と私が見たような。聞いたような。共に触れたような数々の景色とその共有。その全てがやはり、彼ではない『彼』とのもの。

「……わからない……」

 ならば『彼』とは誰だ。

「思い出せない……!」

『彼』のことを。

 私自身のことも。

「いい加減に見ていられないよ!」

「本当にね」

「え?」

 背後から二つの声が聞こえた。弾かれたように振り返ると。

「貴方は……じゃがまるくんを売っていた……」

 背の低い黒い髪の少女と、背の高い銀色の髪の女性が立っていた。

 二人のうち一人の姿には見覚えがあった。黒い髪を二房に結っている彼女だ。

 しかし違う。

 昼間の彼女と同じ存在なのだ。それはわかるのだけれど、今の彼女はあの時と、存在の厚みが違う。まるで、自分を偽るヴェールを脱ぎ捨てたかのような。

 二人共、間違いなく普通の人ではない。

 そして、この気持ちはなんだ。

 どうしてこんなにも、彼女にまた会えたことが嬉しいのか。

「また……会え……」

 何故、私の目頭は熱くなっているのか。

「なるほど。蓋は開きかけているみたいね」

「そうみたいだ……」

「ならば伝えましょう。あの怪物は、貴方の過ち。貴方の罪の顕在」

「私の罪……?」

「そして、君とあの子の二人で越えなければならない、君たちだけの試練だ」

「ま、待ってくれ。貴方たちの言葉が理解出来ない……」

「君は、以前にもあの怪物と対峙したことがある。一万年ほど前にね」

「一万年? そんなバカな話が……!?」

 一万年。

 その途方もない年月を言葉にすると。

 綺麗な湖が、脳裏に広がった。

 そこに私か、私みたいな誰かがいる。

 そこに彼か、彼みたいな誰かがいる。

 二人共、泣いている。

 泣きながら、何か約束を交わしている。

 残念ながら、その内容まではわからない。

「そ、うか……」

 彼と山を登り、辿り着いた場所にあった水溜りを見た時に去来した情景はこれか。

「貴方がここにいるのは、罪の清算と贖罪。何よりも、『あの子』の心に応えるため」

「この時を待ち続けていたのは君だけじゃない。ボクたちだけでもない。姿形を失っていようとも待っていたんだ。『あの子』もずっとね」

「さっさとあの怪物を葬って物語を進めなさい。これ以上『あの子』を待たせるつもりなの?」

「葬ると言っても……どうすれば……」

「それなんだよなあ……あいつの中に、あいつを神々の冒涜者に変貌させた存在はいない……だから単に強いだけの怪物の筈なんだけど……」

「それでも手詰まりなのは、結論を等しくさせろって意思表示かしら」

「あーそゆことかー。納得」

「本当に劇場型進行が好きね、あの軟派な男は」

「意味がわからない……」

「あの子だけでは勝てないから、貴方の力が必要ってことよ」

「!?」

 静かに語っていた銀色の髪の女の姿が消え失せて、しかし鼻先に姿を現した。

「いい加減焦ったいにも程があるから、少しだけお節介をさせてもらうわ」

 銀色の髪の女の人差し指が、その場から動けずにいる私の額に触れた。

「ぁ……!」

 途端に、情報の濁流が私を飲み込んだ。

「わ……たし……は……!」

 上手く息が出来ない。

「安心なさい。目覚めてからの貴方の情報を押し流すような真似はしない。それじゃああの子が傷付いてしまうもの。私は、貴方の中で開花の時を待っているものに水を与えるだけ。もちろん、単なる水ではないけれど」

 劇的な変化だった。

 流れ込んできた情報全てがこの身に定着し、正しく処理が出来た。

 見えなかったものが見えるようになった。

 色を失くしていたものが鮮明になった。

 彼を襲っている存在が何であるかも。

 彼の身に起きている事態も。

「そ、うか……私は……」

 私は、彼とは違う。

 私は、人間ではない。

 それが理解出来た。

「貴方たちより不完全だが……貴方たちと変わらぬ存在なのだな……」

 私の身体が光り輝いた。その輝きが消え失せると、彼の母親が私に貸し与えてくれた制服とやらではない格好に。

 実に私らしい姿を、私は取り戻していた。

「制服、似合っていたのに。勿体無いわね。何れにしても、ようやくお目覚めね」

「お寝坊さんにも程があるぜー?」

「すまなかった」

 振り返る。まだ、彼が戦っている。

 私の代わりに、私の目的を果たす為に。

「ベル……」

 私を守る為に。

「……貴方たちに聞きたい」

「何だい?」

「どうして彼といると、私の呼吸は浅くなる?」

 我知らず、己の胸を押さえていた。

「貴方……」

「私は人ではない。彼とは違う存在だ。故に、こんな思いを抱くことは何処かおかしい」

 今も見える彼の必死な横顔から目が離せないことも、やはりおかしい。

「貴方たちと私が同じなら、どうして私はこうなのだ……」

 たった一人の子供に。

 たった一人の男の子に。

 どうしてこんなにも、心惹かれるのだろう。

「そうなれるのよ。私たちのような存在でも」

「そーそー! なーんにも難しい話じゃないんだぜ? 何せ、ボクは誰よりも先に『あの子』のことを大好きになったもんね!」

「私もそう。『あの子』に出会って、愛以外の何かを知ることが出来た。その時はこの子と一緒に負け犬になってしまったけれど」

「一緒にするなーっ! ボクは『あの子』の生涯に寄り添ったもんね!」

「それを言うなら私もそうでしょう」

「君は寄り添ったんじゃなくて勝手に付いて来たんだろーがっ!」

「負け犬の遠吠えは見苦しいわよ?」

「何処から目線なんだ君はぁ!?」

「そんな話は置いておいて」

「切り替え早っ!」

「人か人でないか。そんな程度の壁、貴方たちは既に越えている」

「彼女の言う通り。君は、君の胸中にある想いの名前を知っている」

「そうなのだろうか……」

 確かめるように胸に置いたままの手に意識を集中するも、返って来るのは静かな鼓動だけ。

「まだ覚醒の途上にいる貴方だから、戸惑うことばかりでしょう」

「けれどそれでいい。怯えたって、迷ったっていいんだよ。それでも、進み続ければいい」

「かつて貴方を救った『あの子』は、いつだってそうしていたわ」

「君のことを救った時もそうだったなあ」

「その時のこと、まだ思い出せない?」

「……判然としない……」

「マジかあ」

「とはいえ、これ以上梃入れを施すのは考えものね。妬けてしまうし」

「だなあ。とにかくさっさと思い出すことだね。あんまり焦ったいとボクがあの子を攫って行っちゃうぞ!」

「何を言っているのかしら。貴方は何代に亘っておいしい思いをしたのだから、今代は私があの子と添い遂げるわ」

「添い遂げるなっ!」

「今の私ならあの子の子を授かることも」

「出来るわけないだろーっ!」

「ふ、二人共待て!」

「ん?」

「何?」

「そういうのは……よくない……」

「よくない?」

「どうして?」

「そういうのは……わ、私が!」

 振り返って思うままを言葉にしたら、二人の表情が固まった。

「私もよくないと思う……この身がそのようなことに現を抜かすだなどと……けれど……もしも私がそのようなことに夢中になれるのなら……」

「うんうん」

「……彼とが……いい……」

 顔が熱い。鼓動が加速した事実が押さえたままの胸から右手へと駆け抜ける。

「それでいいのよ」

「それが全てだよ!」

「だから……ここで彼を失いたくない。私は、彼を救いたい。守られるばかりじゃなく、共に戦いたい……!」

「だったら戦えばいい」

「今の私にそんな力など……」

「だから私たちを頼ろうと?」

「面目次第もない話だが……」

「何を言っているんだい? ボクたちが君に力を貸す必要などないじゃないか」

「どうして……?」

「あの子を助けられる唯一の力が、貴方の手の中にはもうあるじゃない」

「え?」

 銀色の女が指差す先で。私の胸元で。

 私の右手の中から、眩い光が溢れ出していた。

「もう理解しているでしょうけれど、あの怪物の名は、アンタレス」

「あのアンタレスは特別性でね、討つ為に必須な装備があるんだ。君由来の特注品がね」

「それは……語るまでもなさそうね」

「ああ」

 私由来の装備品だと言うのなら。

 自分が何者かを思い出せた今ならば。

「形に出来る……!」

 右手の中で細く長く伸びながら輝きを増していく光。

 それはやがて槍のような、一本の矢となった。

「それだよそれ!」

「まだ本領発揮とは言えなさそうだけれど、それでも素敵ね」

「これなら貫ける……!」

「もう行くんだね」

「ああ。これ以上、彼の側を離れていたくない」

「近くにいてやりたいとかだろうそこは……」

「貴方も立派ななんちゃらモンスターね」

「君が言うと説得力が違うぜぇー」

「うるさいわよ。言っておくけれど、あの子は私が見初めた存在なの。そんな子の隣を独り占めしようだなんて言うのなら、本気でやりなさい。中途半端は私が許さない」

「ボクもね! あんまりにも進展がないようならボクたちだって大人しくしていないからね!」

「わかっている」

 振り返り、思い通りの展開にならず怒りの咆哮を上げている怪物を睨む。

「ほら。早く行ってあげなさい」

 蠱惑的で傲慢さの一端が滲み出でていて。それでもこの身を慮ってくれていると伝わる笑顔で、銀の女が囁く。

「しっかりやるんだよ! ボクの神友っ!」

 朗らかに、ひたすらに明るい笑顔と慈愛に満ちた眼差しの幼女が、この身を神友だと言って背中を押してくれる。

「二人共……ありがとう!」

 彼の隣に並ぶべく走り出す。

「あの子のこと、よろしくね」

「頼んだよ! アルテミスっ!」

 神聖な気配が背後から消えていくのを感じながら、私は空を舞った。

 

* * *

 

「あーもう! 攻めきれない!」

 もう何度目かもわからない再生劇に辟易しながら距離を取った。

 何度斬り裂いても何度貫いても即座に回復されてしまい決定打にならない。その繰り返し。

 僕に力を貸してくれているナイフと背中の炎のお陰で被弾はしていないし体力にもまだ余裕があるけれど、こうも成果が得られないんじゃ流石に焦る。

 どーすんのこれ。なんて右手のナイフも投げ槍気味。ほんとどーしようね。

「待たせた!」

「へ?」

 顎を伝う汗を拭って息を整えていると、僕の隣に彼女が飛び込んで……えぇ!?

「ま、またコスプレ姿に!? どうやって衣装を持ち込んでいたんですか!?」

 どうしてここに!? とか聞くべきだった場面なのに、初めて出会った時と同じ服装でやって来たインパクトが強過ぎて全部そっちに意識が持ってかれちゃったよ!

「こすぷれではない! そもそもこすぷれとはなんだ!?」

「あ、そこから!?」

「細かいことはいい!」

「よくないですよ! お母さんの思い出がたっぷり詰まった制服は何処に!?」

「……あ」

「バカぁ!」

「バカと言うな! な、なんとかする!」

「それならいいんですけど! それよりどうしてここへ!?」

「これを貴方に!」

 回復途中の怪物の姿を見据えたまま、僕に向けて右手を突き出した。その手の中に、槍が収まっていた。

「こ、この槍は?」

「槍ではない。矢だ」

「あ、矢なんだこれ」

 ナイフを左手に持ち替え、受け取った槍みたいな矢を右手で握る。こうして見ると槍と言うには貧弱な気がするし、矢と言うには洗練され過ぎているというか。

 兎にも角にも、神聖な雰囲気みたいなのを纏ってる。そんな感じがした。

「これなら刺さる。ヤツを……アンタレスを討てる!」

「アンタレスって、あいつの名前?」

「そうだ」

「思い出せたってことですか?」

「ああ。しかし話は後だ。今は」

「後じゃない!」

「何?」

「今! 貴方の名前が知りたい!」

「ベル……」

「教えてください!」

「……待て!」

「っ!?」

 再生を終えたらしいアンタレスの咆哮が僕たちの邪魔をする。しかもそれだけに留まらない。

「コアっぽい部分が開いた……!?」

 単眼の下方。暫定的に上半身と呼んでいる部位。僕とナイフくんがここがコアだと断言したその場所がぷくりと膨らみ、果実の皮を捲るように開いた……ように見えた。

 そして、その部位が青く輝き始めた。

 こんな行動、ここまで一度も見せてこなかった。

「なんかヤバそう……!」

「私より前に出るな!」

「え?」

 彼女が飛び出して、僕の前に立った。

「来るぞ!」

「来るって何が!?」

 派手に暴れる彼女の蒼い髪の向こうで、その疑問の回答が閃いた。

「ぐうっ!?」

 凄まじい衝撃が僕を殴り付けた。

 周囲の木々は根こそぎ吹き飛ばされ、僕たちが立つ場所はいよいよ決戦場染みてきた。

「な! なんだこれ!?」

 バランスを崩され低姿勢になった僕の目は見た。

 怪物のコアっぽい部分から、青い光線が発射されている。

 しかも。その光線を、彼女が受け止めていた。

「な、に……何やってるんですか貴方は!?」

 武器も何もない状態で両手を前に突き出して光線を逸らし、僕に当たらないようにしているんだ。

「力は使えずとも……今の私は残り滓ではない……」

 彼女のブーツは、掴んだ土を離さない。

「今度は! 簡単に押し負けるものか!」

 迸った裂帛の気合いにアンタレスが怯んだように見えたが、それでもアンタレスは光線を放ち続けている。

「力を溜めろ!」

「た、溜めるって!?」

「貴方の背中を間借りしている者が教えてくれる!」

「はあ!?」

「聞こえているな!?」

 彼女が叫ぶ。

「そこにいるんだろう!?」

 僕を通して。

「彼に力を!」

 僕ではない誰かに向けて。

「私は! 『貴方』に会う為にもう一度生まれたんだ!」

「っ!」

 背中が燃えた。単なる炎じゃなくて、もっと神聖な炎が燃え盛っている。

 それはまるで、彼女に声を掛けられたことを喜んているみたいだった。

「見せ付けてくれちゃってさあ……!」

 ちょっとだけ……いや。

 かなり、腹が立ってしまった。

「ふぅ……!」

 その苛立ちの全てを二酸化炭素にして吐き出しながら立ち上がり、背筋を伸ばす。

「……あんたは誰っ……ぁ……!?」

 その問い掛けに、僕の背中が答えてくれた。

 脳裏に浮かんだんだ。

 僕の左手の中で、この瞬間を待っていたかのように紫紺の輝きを明滅させているナイフ。

 この子を手にして戦う、誰かの背中が。

 一瞬のうちに僕に叩き込まれる知らない世界と知らない戦いが、僕に力を貸してくれている誰かが何者かを理解させてくれた。

 このナイフとこの記憶の持ち主は、へなちょこだった。

 弱虫で泣き虫で臆病で内気で人見知りで世間知らず。

 そんなへなちょこなのに、なんか知らないけど戦えちゃって。

 けれど彼は、何度も傷付いて。何度も苦しんで。何度も悲しい思いをして。何度も泣いた。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。転んでいた。

 けれどその背中は。

 その度に何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。立ち上がった。

 誰もが諦めたくなるような戦いでも、その背中だけは、いっそ愚かと言えるくらいに、諦めることをしなかった。

 ああ、そうか。

 理解した。

 彼みたいな人を、きっと英雄と言うんだ。

 お伽話として僕たちの時代にまで語り継がれる英雄の物語は過飾されるものだ。

 本当はそうじゃない。華やかさなんて何処にもなくて、痛み苦しみ絶望とか、そんなものばかりを積み重ねたその果てに、彼は英雄と呼ばれる資格を得たのだろう。

「すごいんだな……」

 ああ。白い背中が見える。

 あの背中に追い付きたいな。

 いや。違う。

 追い付くだけじゃダメなんだ。

 それだと、結末は変わらない。

 だって、僕は見落とさなかった。

 僕が見たいくつもの光景の中に、あの怪物。アンタレスの姿があった。

 怪物のコア部分には、彼女が取り込まれていた。

 そんな彼女ごと、見覚えのある矢で貫く姿も、ちゃんと見えていた。

 彼女を葬ることでしか、彼女を救えなかった。

 それに胸を痛め合い、涙を流し合い、遥か未来の約束を交わした。

 そうなんだろう?

 真実なんか知らなくてもわかっていた。

 共鳴し合えたのは彼女と僕じゃない。

 彼女と『彼』だ。

 だから、僕はただの器。

 言っちゃえば、お邪魔虫だ。

「……そんなもん知るか……!」

 知らん。そんなの全部どうでもいい。

「聞こえるか。英雄さん」

 リンリンと、チャイムのような音が聞こえた。

「僕は、あんたみたいな英雄にはなれない。生涯小市民として、何処にも名前の残らないような退屈な人生を過ごすよ、多分ね」

 僕の全身が光り始めた。

「でも、今だけ贅沢を言う。本当に今だけでいいんだ」

 僕はテレビスターになれないし、スポーツのヒーローも無理だし、勇者に就職する予定も英雄の資格を得る予定もなんにもない、ただの子供だ。

 それでも。今だけでいいから。

「あの人の英雄になりたい」

 チャイムの音色が、何処かご立派な教会に備えられているような、荘厳な大鐘楼の音色に変貌した。

「あんたみたいに……あの人を救えるような英雄になりたいんだ……!」

 鐘の音が。僕を包む輝きが。どんどん大きくなっていく。

「力を貸してくれ……!」

 わかった。

 この力は、こう使うんだよ。

 知らない声が脳内に響いた。その言葉に逆らうでもなく右手に力を込めると、僕の全身を包んでいた輝きが彼女が託してくれた矢に収斂し、更に輝きを増した。

「アドバイスありがとう。助かる。けれど……ちゃんと言っておくよ」

 僕の中で、僕に白い背中を向けている誰かが小首を傾げた。

「あんたが誰だか知らないけど……僕は! あんたみたいな泣き虫が嫌いなんだ!」

 思ったまま叫ぶと、白い背中が困ったように自分の後頭部に手を添えているのが見えた。

「僕の方が我慢強い!」

「僕の方が根性ある!」

「僕の方が意地汚い!」

「僕の方が生き汚い!」

「僕の方が欲張りだ!」

「僕はあんたとは違う!」

「あんたみたいな泣き虫に、何か一つだって負けてなるものか!」

 僕が叫び声を上げる度に居心地悪そうにモジモジする白い背中。

 腹が立つ。

 まるで僕自身を見ているみたいで、本当に腹が立つ……!

「だから! あんたがこの時代にまで残した因果も! あんな幻も!」

 怪物の咆哮が聞こえる。

「全てを越えてやる!」

 全力で握り込んだ右手を額の前に掲げる。

「あの人を失わない! 泣かせない! 絶対に守ってみせる!」

「くっ……あぁ……!」

 彼女の苦悶の声が聞こえた。

「かつてあの人を救ったのがあんただろうと!」

 右手の光が成長を止め、臨界点を迎えたことを知らしめす。

「これからのあの人を守り続けるのは、この僕なんだ!」

 矢を構える。

「でも今日だけは特別だ!」

 使い方は、自分勝手に叫ぶ僕に困り果てている英雄の記憶が教えてくれた。

「彼女を守る! その片棒を担がせてやる!」

 鐘の音色は最高潮。

「ありがたく僕に付いて来い! 古代の英雄!」

 ありがとう!

 幼い笑い声が、聞こえた気がした。

 

 * * *

 

「コスプレお姉さん! 行きます!」

「行け! それと私はこすぷれお姉さんなどではない!」

「コスプレの意味も知らないのに何言ってるんだか!」

 迷いはない。躊躇もない。

 覚悟と自信はある。

 何故なら僕には、頼りになる不思議なナイフと英雄さんと、彼女が託してくれた矢が付いているんだから。

「っ!」

 ゆっくりと走り出して少しずつ速度を上げる。

 イメージは、体育の授業で数回だけやったことがある、槍投げ。槍投げと言うより、ジャベリックスローか。

 安全性を考慮してか、プラスチックで作られた物を投げるだけ。正直、楽しかった思い出はないけれど。

「経験しておいてよかったっ……!」

 素人の僕でもイメージで見た英雄さんのフォームがめちゃくちゃなものだとわかったから、授業で教わったものを最大限に引っ張り出す。

「よく見とけ英雄さん! 槍投げって言うのは」

「それは槍ではなく矢だと言ったろう!」

「いいから前向いててコスプレお姉さん!」

 腰を折られちゃった。締まらないなー。

 でもまあ、僕らしいか。

「いくぞ……!」

 うんと、背中から。

 行こうと、左手から。

 合意も得た。

 鐘の音と輝きでもって、右手が急かしてくる。

 わかってるよ。だから、ここで決めよう……!

「くらええええええええ!」

 僕に出せる全力で、矢を放った。

「いけっ!」

 彼女の頭上を通過した矢は、尚も光線を放ち続けているコアへと一直線。

『オオオオオオオオオオッ!』

 迫り来る光と音の塊を脅威と認めたのか、光線の矛先は彼女から槍へと向いた。

 正面衝突。

「ああっ!?」

「危ない!」

 発生した衝撃に吹き飛ばされた彼女の身体を抱き締める。

「矢は!?」

「まだ根比べ中!」

 僕が放った銀の光と怪物が放つ殺戮の絶技は押し合い圧し合いの真っ最中。

「……いけ……!」

 その光景を眺める彼女の口が動く。

「いけっ!」

 僕の腕をギュッと握りながら、彼女が叫ぶ。

「オリオンっ!」

 それは、その矢の真名。

『オオオオオオオッ!?』』

 真の名前が解放された矢の表面が銀色の殻を破り、目も眩むような黄金に色を変えた途端。拮抗は崩れた。

「貫けっ!」

「いけええええっ!」

 僕たちの叫び声に押し出されたように急加速するオリオンの矢が。

 とうとうアンタレスのコアを貫いた。

 そのまま闇の世界の中に真っ白な轍を描き、オリオンの矢の姿は見えなくなってしまった。

「どうだ……!?」

 巻き上がった土煙の向こうから、アンタレスが姿を見せた。どうやらまだ息はあるらしい。しかし。

「再生が始まっていない……!」

 部位破壊されたら即座に回復がお家芸だったヤツがそれをやって来ない。見れば、多くの手脚も吹き飛ばされていて、コアを覆っていた外殻も剥がれている様子だった。変わらず輪郭ばかりが強調されている透明な体躯だから状況がわかり辛いけれど。

「来たぞ千載一遇!」

 決めるならここしかない。

「私も行く! 異論は」

「最初からないですよそんなもの!」

「それでいい!」

 二人並んで駆け出す。狙いは言わずもがな。

「ふっ!」

「はっ!」

 息を合わせて大跳躍。

「こっち!」

「ああ!」

 空中で彼女と手を重ねる。

 僕の左手と彼女の右手の中には、美味しい所を新参の矢に持ってかれてご立腹らしい、漆黒のナイフ。

 ごめんて。でも美味しい所は君に任せるから。許してよ。

 なんて勝手なことを念じながら。

「「はあああああああっ!」」

 手を、息を、心を重ねて。

 アンタレスのコアを、今度こそ貫いた。

『ゴ、ッ……オオオオオォ……!』

 アンタレスの咆哮が、悲鳴へと変わる。

「っ!」

 彼女の身体を抱いてエスケープ。着地と同時に顔を上げる。

「消えていく……」

 虹色の輪郭が。透明な身体が。

 アンタレスという存在を形作っていた歪な虹色が全て消えると、何事もなかったかのように、夜と星空が僕らの頭上に帰ってきた。

「……はあ……お、わったぁ……!」

 アンタレスが完全に消え去るのを見届けると、ここまでの苦労や疲労やダメージの全てを思い出したかのように、背中から地面に倒れ込んでしまった。

「ちょ、ちょっと……!」

 もちろん、僕に抱かれている彼女も一緒に。

「あーもう動けない……制服もボロボロだ……お父さんとお母さんに怒られちゃう……」

「ま、待て……べ、ベルっ! こんな……無茶をして……!」

 僕の腕の抱かれたままの彼女は、頬が真っ赤に染まっていた。可愛い。

「先に無茶をしたのは貴方でしょう……!」

「そ、それはそうだが……お、おい! あのナイフを見ろ!」

「え?」

 しれっと僕の腕から逃げようとする彼女を抱き寄せながら、倒れ込む勢いで放り出してしまったナイフを見ると、さっきまで輝いていた刀身から、紫紺の輝きが見えなくなっていた。

「……ここまでなんだね」

 返事はない。

「ありがとう」

 頭の中にも返事が返って来ない。

「君のお陰で泣かないで戦えた……君と……僕の背中にいる『君』のお陰でね……」

 僕の背中に宿っていた熱が遠退いていく。

「本当にありがとう……名前も知らないナイフくんと……名前も知らない英雄さん……ぁ……」

「ベル!?」

 全身から力が抜けて、目も開けていられなくなった。途端に聞こえた彼女の叫び声。

「目を開けろっ! ベル……っ……!」

 あ。嘘? マジ?

「越えられなかったかあ……」

「何? なんと言った!?」

「僕も結局……泣かせちゃっ……」

 きっと、今日のことを誰かが物語に起こしてくれるのなら、主役を名乗ってもいいかもしれない僕は、疲労感に屈して意識を手放してしまった。

 彼女の涙に、頬を洗われながら。

 

* * *

 

「ベル! しっかりしてくれ!」

「寝かせておいてあげなよ」

「『あの子たち』が力を貸してあげたとはいえ、圧倒的に乖離した能力を恩恵も何も備わっていない身体で行使したのだもの。しばらく休ませてあげなさい」

「貴方たちは……!」

「ボクたちは後始末をしに来ただけさ。このナイフはボクが持っていないとだからね」

「周囲への被害も何もかもを書き換えておく。本当はこんな真似したくないけれど、我々の総意により、今回限りの特例よ」

「我々……?」

 その言葉で気付きを得て、ようやく私は気が付けた。

 恐らく、アンタレスが現れる以前からずっと。私とベルの姿を見守っていたのだろう存在が、彼女たち二人以外にもいたことを。

「案ずるでない。其方の怪我も、その少年の怪我も、私が治しておこう」

「武の神としてはもう少し身体を鍛えてほしい。それとなく、俺の代わりに伝えておいてくれ」

「やっぱオモロい子はどんな姿になったってオモロいんやなー!」

「若人の勇ましい姿が見られて感動している俺が! ガネっ!?」

「うるさいんじゃボケぇ!」

「やっぱりベルきゅんは最高でふへぇ!?」

「お前もうるさいわ変態ぃ! っていうか何で来たんやマジで!」

「あのナイフに引っ張られていたとはいえ、大した技量だったわね。あの子になら特別に無償で武器を打ってあげてもいいかも」

「魂だけじゃない。子供たちの想いも、次代に続いていく。巡る正義のように」

「もしも下界に新たなる混沌が降り注いでも、彼ならばと思わせてくれますね。以前の『貴方』と学区にて出会った時もそうでした」

「我々は祈り続けよう。お前たち、下界の子供たちの安寧と発展。そして、冒険の日々に幸多からんことを」

「あいっかわらず堅苦しいんじゃ老神(ジジイ)ィ!」

 私と変わらぬ存在たちが、私たちを取り囲むよう、空に浮いていた。

「ボクたちはいつだって、この下界と共にある。前みたいにいつでもこっちにいるなんてことはないし、本当にただ見守るだけだけどね」

「私たちがこちらにいては、また争いの火種になりかねないもの」

「……ならば……私はどうしたらいい?」

「アルテミス……」

「貴方たちと共に、あるべき場所へと帰る。それが正しいのだろう。しかし……」

 それは嫌だ。我儘で、この身が背負っている役割にそぐうものではないと理解している。

 それでも私は。

「自分で決めなさい」

 決然とした眼差しで、銀色の女は言った。

「貴方自身のことでしょう。貴方が決めるのなんて当たり前でしょう。子供たちでも当たり前にやっていることよ」

「けれど」

「今更。我々の世界に一席空いていたとしても、誰も文句なんて言わないわよ」

「貴方……は……」

「そーそー! それで言ったらこの一万年ずーっと空白だったんだから! ここから数百年不在だからって何も困りやしないさ! 多分!」

「何れにしても、私たちは先に帰るわ」

「そうしよっか」

「ま、待て……私はまだ」

「アルテミス」

 銀の女が、私の名を呼んだ。

「後悔だけはしないようにね」

 じゃあ、また。

 そう言い残し、美しい笑みを湛え、天へと昇って行った。

「ボクも行かないと!」

「……そうか……」

「けれどその前に! とりゃーっ!」

「な……!?」

 二房に結われた黒髪を振り回し、私の神友を名乗ってくれた幼女が、私の胸に飛び込んで来た。

「また会えて嬉しいよ……!」

「……私もだ」

「だけど……またしばらくのお別れだ」

「…………」

「君だって、心は決まっているんだろう?」

「……何でもお見通しか」

「マブダチのことならなんでもお見通しさっ!」

「そうか……」

「名残惜しいけど、そろそろ行くとするよ!」

「ああ」

「あの子と『あの子たち』のこと、君に任せたからね!」

「任せろ」

「じゃあまたね!」

「待て!」

「うん?」

「……ずっと……ずっと待っていてくれてありがとう」

「…………」

「ヘスティア」

「……うん! どーいたしましてっ!」

 とびきりの笑顔と、慈愛に溢れた温もりを私の身体に残して。

 私の神友もまた、天へと昇って行った。

「……ありがとう……!」

 今日の私は、泣いてばっかりだ。

 

* * *

 

「待ち人は来たり、ってね。いやはや、とんだ無茶をさせてしまったね。すまなかった。しかし随分と待たせてくれた。そしておめでとう。道化(ストーリーテラー)として君たちの『約束の物語』に寄り添えたこと、誇りに思うよ。これからのことを覗くほど悪趣味にはなれそうもないし、君たちとはここでお別れだ。さようなら。どうかお幸せに」

 誰かと誰かのドラマを見守っていた超越存在(デウスデア)たちも姿を消した山の上に。晴れやかな笑みを浮かべる男が浮かんでいた。

「で? 貴方は、これで満足かい?」

「ふんっ」

 その男の隣には、一人の女がいた。

「見せ付けてくれちゃって。拗らせ過ぎると厄介極まりないわね本当に! 幼稚な惚れた腫れたに周囲を巻き込む! どっかの初恋モンスターとおんなじよおんなじ!」

 その女は、怒っていた。誰が見ても怒っているように見えていた。

「ったく……あんたは待たせ過ぎなのよ……!」

 私も。

 私たちも。

 あの子も。

 あんた自身のことも。

「バカ。本当にバカ。あの少年にバカバカ言われていたけれど仰る通りじゃない! 本当にあんたは子供! いつまで経っても幼いまま!」

 だから、放っておけなかった。

 何とかしてあげたいなんて、思ってしまったのだ。

 結局私に、それは出来なかった。

 しかもそれをやってのけたのが、私たちと違う存在。下界の子供。

大罪人(オリオン)』ともう一人の、何の変哲もない少年だった。

 それもいいだろう。溜飲が下がり切らない思いだけれど、それはそれだ。

 それに。

「……ちょっとは……いい顔するようになったじゃない……」

 倒れ伏している男の子の頬を撫でてやる姿が目に映る。

 ああ、なんてつまらない。

 なんて普通。

 あれではただの、女の子ではないか。

「じゃあね。しばらくこっちに帰って来るんじゃないわよ……っ……!」

「相変わらず泣き虫だな君は」

「だあああまらっしゃい!」

「痛ったぁ!?」

 尻を蹴飛ばされた誰かの悲鳴が空に響く。

「…………」

 そんな音。そんな声が聞こえた気がして空を見上げた、一人の女の子。

「ありがとうヘルメス」

 なるほど確かに。

「ありがとう……アフロディーテ……」

 その女の子は、いい笑顔を浮かべていた。

 

* * *

 

「んっ……ぅ……」

「目が覚めたか」

「……うああっ!?」

「あうっ!?」

 ごんっ!

 って鈍い音が鳴って。目の前に星が飛んだ。

「痛ったいぃぃ……!」

「こ、こちらのセリフだ……いきなり飛び起きる者があるか……!」

 額を抑えて蹲る僕と彼女。

 ん? というか、何故そうなる?

 えとえと。えとえとえーっと……これってつまり、アレ?

「し、質問……いいですか……?」

「なんだ……」

「もしかして……膝枕的なものを……されていたり……?」

「……枕がいると……そう思って……」

 えー? 何この人めっちゃ可愛いーっ。

「え、えと……ありがとうございます……」

「いい……気にするな……立てるか?」

「は、はい……」

 互いに手を取り合い二本の足で立つ。

「……あれ? 僕たちの周りが……」

 空は夜の色。遠くの空には冬の大三角。あれからそんなに時間は経ってないのかなと思いスマホを見る。

「そんなに経っていない……電波も復活してる……!」

 ラインの通知とソシャゲのスタミナ全快通知がドーンと溜まっていた。お父さんとお母さんからは何度も電話が来ているみたいだけど、ごめんね。もう少し連絡返すの待ってて。

「それより……周囲の木々が……」

 これでもかと薙ぎ倒されていたはずの木々が、何事もなかったかのように、全て元通りになっていた。

「なんで……!?」

「貴方に試練を与えた者が、最低限の保証をしてくれたのだろう」

「ほ、保証?」

 首を傾げざるを得ないが、彼女は穏やかに微笑むだけで、それ以上を語るつもりはないらしい。

 これは後日談になるんだけど。

 どれだけネットを漁っても蠍の怪物の姿が見えただの咆哮が聞こえただ鐘の音が聞こえただの天まで届くような光が見えただのなんだのかんだのといった情報は、何処にも見当たらなかった。何かが現れたような痕跡も。木々が薙ぎ倒された事実さえも。

 この日この時の出来事は、この場にいる者の記憶の中にしか存在していなかった。

 故に、お父さんやお母さんたちにもこの夜のことは何も伝えられなかった。帰りがすごく遅くなったことを咎められたので、山道で迷子になったと言った。即座に嘘だと見抜かれた上に、彼女と共に大人の階段を登ったのだと飛躍した話にもなってしまった。どうして。

 話を戻す。

「え、えと…………そうだ! 大切なこと! 貴方の……その……」

「名前だな」

「……はい」

「いいだろう。貴方に教えよう」

「……へ?」

 彼女の身体が、宙に浮いた。

「私は貞潔を司る者」

 夜空に浮かぶ三日月を背負って、彼女は告げる。

「我が名はアルテミス」

 知りたくて知りたくてどうしようもなかった名前を。

「貴方と出会う為に一万年の時を経て目覚めた、ただの女神だ」

 神々しい笑みと共に、僕に届けてくれた。

「め……がみ……アルテミス……さま?」

「嘘だと笑うか?」

「い、いえ!」

 変に賢いぶろうとする脳が、これまでの出来事に理屈を付けようとする。

 しかしそんな必要はない。

 今、僕の目が見ているものだけで充分に過ぎるほど伝わったのだから。

「私は一万年前、神の身でありながら死を迎えた。かつての『貴方』に救われて、私は死んだのだ」

「……つまり……貴方を引き寄せていたのは僕じゃなくて……」

「ああ。貴方の中の『貴方』だ」

「そう……ですよね…………うん。わかってました」

 まずい。強がって笑ってみせたら涙が溢れそうになった。あーでも今なら痛むおでこの所為に出来るからいいか。いやよくないわ。

「……なんかごめんなさい!」

「何故謝る?」

「貴方が探していた本人じゃなくて!」

「ベル……」

「僕も神様的なお姉さんたちのお節介で僕の魂の記憶? 的なヤツを見せてもらったんですけど、本当にすごかったんですね僕の前世って! 本当の英雄だったなんてビックリですよ!」

 彼女の目を見れなくて、月星が眩しい空を見上げながら適当に口を動かす。

「僕とは……全然違うや……」

 結果、嫌な形の自虐に着地してしまった。

「そうだな。貴方と『彼』は違うな」

「ですよね! なんだかなーもう……」

「『彼』は、私の英雄だった」

「でしょうね……」

「そして貴方も、私の英雄だ」

「……どうして?」

「私を守ってくれた」

「……その『英雄』さんの力を借りただけですよ」

「その『英雄』が認めた器ということではないか」

「それは」

「それに、貴方は言っていたではないか」

「……何をです?」

「私を救ったのが『彼』で、私を守るのは貴方なのだと」

「へ?」

 わかる、わかるよ。確かに言った。

 矢がぴかーんぴかーん光って鐘がごーんごーん鳴ってる時だったかな。確かに言った気がする。テンション高まり過ぎてついね、つい。てへへ。

「えと……聞こえていたんですか……?」

「ああ。聞こえていた」

「がはっ!」

 両脚ワンパン部位破壊級のダメージ! 崩れ落ちる僕! うわーひんやりちめたくて気持ちーね地面くん!

 考えてみればだよ! この人僕の直ぐ目の前で盾になっててくれたじゃん! そりゃ聞こえるじゃん! 僕バカじゃん!

「流石に気恥ずかしさが出てアンタレスの光線を抑え続けるのに難儀してしまった」

「ごほっ!」

 ダウン中に火力を集めるのは基本! 相手は死ぬ! 僕死にますっ! しかも彼女、頬赤くしてるじゃん可愛すぎる火力高過ぎるマジで死にまぁす!

「あばばばばばば」

「その言葉、嘘にするつもりか?」

「ばば……!」

「私は、貴方に守ってもらうつもり満々だ。何せ、神々の世界に私の席はないらしくてな」

「……つまり?」

「私はこの世界に留まる」

 地上に降りて来た彼女の手が、僕の手を掴んだ。

「この世界で。貴方の隣で生きていきたいと思っている」

 ゆっくりと僕の身体を起こし、全身に付いた砂を払ってくれた。そこでようやく、ボロボロだったはずの制服が復元していて、付着したばかりの土汚れしか付いていないことに気が付いた。神様パワーかな? やっぱ神様ってすげー。

「迷惑だったか?」

「そっ、れは……」

「私を一人にするつもりか?」

「くぅ……」

「『彼』の全てを越えるのだろう?」

「ぐうぅ……!」

「その過程の全てを、貴方の隣で見ていたい」

 あーもう。もうもうもうもうっ……!

「わっっっかりました! いいですよ乗せられてあげますよ!」

 もー知らん! なんもかんもそのうち考える! 大昔の『英雄』さんと比較してうんたらとかバカバカしく思えちゃったよもう!

 僕は僕! 僕の中の僕は僕の中の僕!

 どっちも僕なんでしょ!? 知らんけど!

「つまり、私は貴方の隣で生きていい、ということか?」

「そうですよ! そうでなくとも一人で電車にも乗れないようなポンコツなんですから! 誰かが面倒見ないわけにいかないでしょ!」

「そうだな。私は何かと至らない身だ。貴方がいなくては生きていけそうにない」

「じゃ、じゃあ仕方がない! 仕方がないので……一緒に……」

「ああ」

「ひっ……」

 彼女の両手が、僕の右手を包んだ。

「ありがとう……とても嬉しく思う……」

 そのまま自分の胸の前にまで持ち上げた。

「……さっ! 差し当たっての目標は! いつか、僕の中の『英雄』を貴方から忘れさせることですっ!」

 ドキドキして壊れそうになった僕は、彼女から視線を逸らしながら、生まれたてホヤホヤの目標を発表することにした。告げる内容も内容なもんで恥ずかしいに終わりが来ない。

「それと! 僕が死ぬまで……嘘! 死んでも直ぐに生まれ変わって、貴方を一人にしない!」

 そんな上手くいくものなのか知らないけれど。そうしたいと思ったんだから、そうなるよう願って生きるだけだ。

「……優しいな。貴方は」

「へ!? べっ、別に……」

「かつての私はこんな風に、異性の手を取るなど出来なかった」

「え?」

「そんな私を変えてくれたのが、貴方の中にいる『貴方』だ」

「…………」

「だから…………すまない……上手く言葉に出来ない……」

 そんなことがあるんだ。

 神様でも、言葉に詰まることがあるんだ。

 そんな、普通の女の子みたいなことが。

「……さっきの発言、少し訂正します」

「ん?」

「僕の中の『英雄』を忘れないでください。僕と貴方を出会わせてくれた大切な人です。絶対に忘れちゃいけなかった」

「そうだな……」

「ただ!」

「ただ?」

「僕は、僕の中の『英雄』の全てを越える。これは絶対に。そうして、僕の中の過去を探すよりも、僕との現在と未来を貴方に見つめてもらう」

 そんな男になりたいです。

 付け加えた言葉は、我ながら弱々しくて情けなかった。

「貴方の価値基準とか、線引きとかそういうの、僕には絶対理解出来ないです。でもそんなのどうでもいい」

「どうして?」

「いつか、貴方の一番になるから」

「そうか……」

「……アルテミス様」

「うん?」

「好きです。ずっと、僕の隣にいてください」

「…………わ」

「ごめんなさいちょっとタイム!」

「なっ!? 何故止めた!? これから貴方の言葉に」

「大切なことを聞くのを忘れていました!」

「大切なこと?」

「前の僕と貴方は、最後にどんな約束を?」

「…………耳を貸せ……」

 と女神様が仰るので耳を寄せた。

 するとどうしたことだろう。

 わーわー! ダメダメ待って待ってぇ!?

 僕の中で、誰かが叫んでいるような声が聞こえた気がした。

「…………なっ!?」

 その理由も理解出来てしまった。

「な、なんですかその小っ恥ずかしい約束! やっぱり貴方バカですよバカ!」

「なっ!? 神を愚弄するつもりか!」

「SNSとかにこんな約束したんだよーって呟いたら捏造乙とかボロカス言われる系のピュアっピュアキツイですって!」

「えすえぬえすとはなんだ!?」

「マジか! ここまでお花畑さんだったのかこの女神さん! 良くも悪くも引っ張られ過ぎだって僕の前世さん!」

「よ、よいではないか! 何かいけないことを言ったのか私は!?」

「いけなくないんですよ……あはは……!」

 いけなくないけど、眩し過ぎるってだけで。

 参った。早まったかも。

 今の僕じゃあこの人の思いの丈ってヤツを受け止めるには器が小さ過ぎる。やっぱすごいな古代の英雄さん! 尊敬するよマジで!

 そんな目で見るのやめてぇ!

 じゃないよ! 魂の叫びちゃんと聞こえてるよ! あんたマジすげーよ!

 でも。だったら。

 その眩しさに目が眩まないようになればいい。

 受け止められるだけの器になればいい。

 気の遠くなるような話だけどね。

「な、何がおかしい……うぅ……!」

 一万年単位の話をさらりとしちゃう人が相手なんだから、まあこんなもんでしょ。

「ごめんなさいごめんなさい……貴方たちの約束は理解しました。その上で言います」

「なんだ……?」

「その約束。『僕たち』が叶えます」

「!」

「僕、『貴方たち』に振り落とされないように走り続けます」

「…………」

「だから、ずっと一緒です」

「ぁ……!」

 わちゃわちゃしている間に離れ離れになっていた彼女の両手を僕から掴まえた。

「今度はちゃんと返事を聞きますから」

「……好きだ」

「それは僕? それとも」

「貴方たちが好きだ」

 頬を今日一真っ赤に染めて告げる様は、神様になんか見えやしなかった。

「私は『彼』が好きで、貴方が好きだ。軽薄と思われるかもしれないが、これが偽らざる私の思いだ。不服か?」

「いえ。まーったく!」

「ひゃあ!?」

 僕に手を引かれて胸元に抱き寄せられただけでこれだもん。神様だって言われて信じる方が無理だって。

 けれど……一万年かあ……凄い話になっちゃったな。

 だから、凄く頑張って、凄く楽しもう。

 うん。たったそれだけの話だ。

「色々話したいこともありますけど、差し当たっては……」

「差し当たっては?」

「お母さんの思い出が詰まった制服をどうするか、一緒に考えましょうか」

「……そうだな……あはは……!」

 可愛らしい笑声が僕の胸を打ち、魂にまで溶け込んでいき、『僕』を喜ばせる。

 一つ、チェックポイントだ。

 いや。分岐点か。

 今ではない、いつかの彼女が。

 今ではない、いつかの少年と。

 二人で結んだ約束がある。

 一万年の約束だ。

 そのスタートラインに立った。それが今日。

 で、早速分岐点だ。

 左に進めば僕は不在。

 右に進めば『僕』は不在。

 そのどっちも気に食わなかった。

 だから『僕たち』は、ど真ん中を選んで突き進むことにした。

 だからこれはもう、誰かと誰かだけの約束の物語なんかじゃない。

 これは、誰かと誰かが時代を越えた先で見つけた『僕』と彼女と僕の一万年の……違う。訂正。

 これは、一万年とそれからもずっと続いていく。

 僕たちの『約束の物語(ラブ・ストーリー)』。

 

 

 




小生意気にも、あとがきなんてものを少しだけ。

まず、すまねえのお気持ちの話なんですが。

同好の士たちとの話の流れで、お題箱を設置していたことを思い出しまして。

マジで存在を忘れていました。当然中を検めることもないわけで。

お題をもらえるのって嬉しいものなんですが、難しい部分もありまして。自分に刺さらないと書けないんですよ。当たり前かもですけど。その齟齬に歯噛みする機会が多かったので意識が離れたと言いますか。

俺は邦楽しか聞かん!って言ってるじーさんに洋楽勧めたって聞かないでしょう。それとおんなじ(?)。

今回のオーダーも合うか合わぬかで言えば合いませんでした。正直全く。けれど角度を変えて噛み砕いてみたら案外やれそうだと。

だもんで形にしてみました。オーダー主さんに刺さればそれでいい。刺さらなくても私の勝ち。私に刺さったから。

これからは時々ですがお題箱をチェックするようにします。最低でも月一くらいで。多分。頑張る。

今後どうなるでしょうね彼らは。

これからもずっとクラネル家に住み着いて、神様の力をゆるりと発揮して子供たちの在り方を変えない程度に認識書き換えみたいなこととかやっちゃって、ベルと同じ学校に通うとか。日常系ラブコメ全開なこっちがノーマルモード。

どっかのワイン神とかまだ知らないヤバめの神が現れてへへオルギアへへへオルギアァみたいな展開になってかつての英傑たちの生まれ変わりを神々が叩き起こして戦争じゃオラ、とか。こっちがハードモード。なんならインフェルノまである。

私としてはノーマルモードを推奨。ずっと仲良くしていてほしい。

何れにしても、何処ぞの神様たちが嫉妬に駆られてお邪魔虫をしちゃうくらい仲睦まじく同じ時を過ごしていくのでしょう。一万年待ったのだから、今生くらいは許してあげてよ女神様たち。

続編はあります。ここまで読んでいる貴方の頭の中に浮かんだ妄想がそのまま続編です。大切にしてあげてください。きっと素敵な物語になるでしょうね。文字に起こす勇気が出来たら投稿してください。世界はどうか知りませんけど、私が待っています。

プロットなんてなし。思いつくまま、マジでライブ感だけで駆け抜け終えた今、なかなかにテンションが高いので長々と語らせてもらいました。

長々失礼。お疲れ様でした。

楽しかったー!

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