幸いなるアッカーマンよ、汝は自由である   作:ヤン・デ・レェ

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意訳:そして壁の中へ


Et in Murus

エルディア帝国の滅亡の直接的原因となった巨人大戦が勃発したのは738年頃のことであったとされる。

 

きっかけは第145代皇帝カール・フリッツによる始祖の巨人の継承に際して、当時、既に慣習化されていた巨人の保有期間を13年に制限する法律の撤廃を一方的に宣言したことだった。

 

この時からおよそ100年ほど前の時代には、既に有力諸侯が帝国内部で成長しており、彼らはフリッツ家の血縁者が多かったが、それは始祖の巨人を含めた九つの巨人の継承権候補であることを意味した。

 

絶大な力の化身である巨人の力は帝国における権力の象徴であり、必然、九つの巨人を世襲することを許された貴族家が帝国の政治を牛耳っていた。

 

しかし、これらの有力諸侯間の連帯が、血縁関係による団結も含めて退廃していくにつれて、彼らは他の家よりも強くなることを望む様になっていき、その中には始祖の巨人の世襲家であったフリッツ一族の嫡流も含まれていた。

 

結果、有力諸侯家は今一度連帯して、歴代の皇帝を輩出してきたフリッツの嫡流家に対して様々な手法を用いて、その権威の弱体化が図られたのである。

 

大陸の大半を支配する帝国には、最早、致命的な緊張状態を国内に強いる外的要因は存在しなかった。天敵の存在しない状況は、長い平和と安定期を齎したが、同時に内輪揉めをする時間をも提供することになった。

 

世界の実質的な支配者となった帝国、この中での地位がそのまま世界の中の自身の地位に直結したのだから、有力諸侯たちは果てが見えた頂点に向かって獰猛に駆け出したのである。権力も富も、あらゆるものを手中に収めた彼らをして手に入れられないものは最早、始祖の巨人をおいて他にはなかったのである。

 

長い内部闘争の末に、フリッツ本家は始祖の巨人を守り抜いたが、その前途は安泰とは言えなかった。

 

巨人の保有期間はこれまでの終身制から13年と定められた。これはマーレを滅ぼした名君とされている古代のフリッツ王の在位期間に肖ったものだった。

 

果たして、始祖の巨人を含めた九つの巨人の保有は13年間毎に更新され、それに伴い、始祖の巨人を継承する人物もまた、この時に成立した九つの選帝侯による選挙制によって選出されることとなった。

 

始祖の巨人の保有は、選帝侯の過半による賛同ないし承認が得られることでフリッツ本家の元、その後も世襲されていくこととなった。だが、それは逆も然りだという事を意味した。

 

だが奇跡的な事に、その後の百年間においてフリッツ本家から始祖の巨人の管理権が移動することはなかった。背景には、有力貴族の足並みが、軒並み揃わなかったという事情があるが、結局のところ、誰もが自分以外の特定の誰かが強い力を持つことを許容できなかったのである。始祖の巨人を巡る議論以外では選挙制も十分に機能していたが、始祖の巨人の継承…すなわち皇帝権の獲得…に懸かる議論においては、誰一人の例外も無く自己以外に対して票を投じなかったのである。議論は自己推薦に終始したため、最終的にはフリッツ本家の続投、つまりは現状維持が承認された。ここでもまた彼らは変化を拒んだ。

 

斯くして、時代は移ろい巨人大戦が始まる直前へと進む。

 

 

 

 

巨人の保有期間制限は能力を行使できないような極端な老人や病人が、貴重な軍事資源でもある巨人の力を保有することで、抑止力が機能しない空白期間を生まない為に、という実務的な必要に依拠した側面も持ち合わせていた。

 

その為、始点こそ権力闘争にあったこの法案は、その現実的な利点が見いだされたことで好意的な追認を受けていたのである。故に、百年続いた慣習の撤廃は有力諸侯、殊に選帝侯家による大きな反発を招くことになった。

 

彼らの多くは始祖の巨人を内心では欲しつつも、他家との勢力均衡を曲がりなりにも優先してきた歴史があり、そのような彼らにとっては、事実上手に入らないものでも、可能性がない状況よりは遥かに抵抗感が薄く、これが要因となってフリッツ本家の始祖の巨人を黙認してきた、という認識であった。

 

カール・フリッツの宣言はこの百年の妥協に終止符を打ち、有力諸侯間の均衡に亀裂を入れたのである。

 

果たして、カール・フリッツを玉座から引きずり下ろすために、有力諸侯による連合が利用したのが民衆の存在であった。

 

彼らにとっては帝国に対して不満を抱く民衆を利用した結果、例え帝国を割ることになろうとも、カール・フリッツから延いてはフリッツ本家から始祖の巨人を取り上げることが第一優先事項だったのである。

 

だが、彼らユミルの民の多く、九つの巨人に限らず巨人化能力を有する者は始祖の巨人の統制下に置かれており、逆らうことは困難だった。試したことが無いというのも大きく、彼らは始祖の巨人という神話に対して絶対的な畏れと信仰を、未だ堅く持ち合わせていたのである。

 

そのため、彼らは他力本願染みた方法として、窮乏に喘ぐ無数の民衆に目を付けた。彼らを扇動し、その騒ぎが大きくなれば鎮圧する為に軍事力が用いられることは目に見えており、そのためには巨人の力が不可欠である。しかし、いくら始祖の巨人が強力であっても、どれだけ残りの八つの巨人に対して支配的な力を有していたとしても、その権能を振るうのは皇帝一人きりの人間性である。全てを思い通りにするためには頭脳も肉体も一つでは足りず、必ず破綻することは、始祖の巨人の強大さを以てしても覆せない現実であった。

 

よって、この危機的状況下にあって、カール・フリッツからの譲歩を引き出すことに期待をかけていたのである。

 

彼らの期待は暴論ではあったが、それでも道理の通る部分がなかったわけではなかった。しかし、結果として彼らは致命的な見落としをしていたと言える。

 

それは、彼らがカール・フリッツも自分たち同様に『帝国の破滅までは望んでいない』という先入観であった。

 

カール・フリッツは皇帝であり、そうなるべく育てられ、そうなるべくして始祖の巨人を継承した。

 

だが、彼には帝国に殉じる覚悟も無ければ、自民族を破滅に向かわせる覚悟も無かった。

 

結論として、彼は遠大なる問題の先延ばしを計ったに過ぎなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

有力諸侯の謀略の背を押したのは、タイバー家だった。

 

この家は戦槌の巨人の世襲家であり、選帝侯の一角を占めており、尚且つ皇帝に最も親しい家柄であった。

 

そのため、彼から提案された計画は大いに意外性を持ち、驚かれもしたが、同時に効果的に働くと思われたようで有力諸侯による賛成多数により採用された。

 

タイバー家が提案したのは『偽ヘーロス』を民衆の旗頭に据えることであった。

 

ヘーロスの存在、及びその末裔たるアッカーマン氏族のことは暗黙の了解として、帝国の不可触部であった。

 

ヘーロスは始祖ユミルの息子であり伴侶でもあり、三人の国母シーナ、ローゼ、マリアの父であり伴侶でもあった男でもあり、極めつけは現代まで続く九つの巨人を世襲してきた名族各家の家祖の父であり、つまりは大半の貴族家の系図を辿っていくと最終的には辿り着く始祖でもある。

 

正しく神聖不可侵の存在であり、度重なる顕彰事業によりその権威はユミルに勝るとも劣らない絶対的なものである。民間信仰ではユミル以上の人気があり、帝国の建国神話においても、歴史的に見ても、誤謬なく最高最大の大英雄である。その末裔のアッカーマン家が持つ影響力に関しては今更語るまでも無かった。

 

貴族は疎か皇帝の権威の根源とも呼ぶべき存在を詐称する人間を仕立て上げる、とタイバー家は提案したのである。

 

これが三百年前であれば、恐らくはタイバー家は存続すら危ぶまれたであろうが、今の退廃した帝国に当時と同等の倫理観も、敬虔さも期待することはできなかった。

 

果たしてタイバー家の提案が採用され、大した時間も掛からずに『偽ヘーロス』が仕立て上げられた。

 

彼は生まれも育ちも非エルディア帝国かつ、三代前まで遡っても非エルディア人である、生粋の非エルディア人だった。

 

彼は帝国の遠方から招かれ、莫大な報酬と引き換えに英雄の役を演じることを請け負った人物であった。彼にはエルディア帝国に対する愛国心など微塵も無く、しかし金額に見合った仕事をした人物だった。

 

有力諸侯の連合体により、皇帝の所領の内部に突如として表れた彼は、自らが生粋のエルディア人であると嘯くと、にもかかわらず巨人化薬を摂取しても巨人化しないことを提示し、これを根拠に自身はヘーロスの生まれ変わりであると叫んだ。

 

ヘーロスの英雄譚は人口に膾炙しており、怪力さも頑丈さも示さずに信用を得られるはずがなかったが、そのようなことは有力諸侯たちが最も理解している所であり、当然ながら金で雇った貧民を用いてこの英雄の凱旋を広く喧伝させた。

 

真偽はともかくとして暗澹たる帝国において、大英雄の帰還という噂は過剰に過ぎた劇物であり、暗がりの中に突如として生まれた希望の光に、今日食べる物にさえ窮した民衆は考えるより先に飛びついたのである。

 

偽ヘーロスは貴族たちの、就中タイバー家の書いた脚本通りに大声を張り上げて帝国を批判した。彼のまるで何も恐れることなどないかのような、堂々たる体制への批判に対して民衆は喝采を上げた。それは鬱屈を溜め込んできた人々に清涼感を齎したのであり、それは考えるよりも早く感じられる明確な正しさであるかのように思われたのだ。人々は彼の言説に感動し、遂には泣き出すものまで現れた。人々はヘーロスの復活を大々的に寿き、このことは貴族たちの手回しにより、本来の噂の伝達よりも遥かに早く、遥かに広く、遥かに猛々しく伝達されたのである。

 

ヘーロス復活の噂は帝国中を駆け巡り、それは瞬く間に人々を反帝国へと駆り立てたのである。燎原の火の如く広がる反帝国の動きは、貴族のわざとらしい挑発行為と、何らの抑制力も伴わない中身のない弾圧行為によって、更に更に高まり続けた。

 

反帝国は反エルディア人、反巨人へと敷衍されていき、このような批判対象の拡大の背後にも貴族たちの影が認められた。

 

だたし、この時の貴族たちは最後の一線を引くべく、敢えてこのような言説を展開したのである。

 

しかし、現実には帝国で多数派を占めるエルディア系の人々の中にも様々なアイデンティティがあることを、彼らはどこかで忘れていたのかもしれない。

 

貴族を含めて、エルディア帝国のエルディア人とは純血のエルディア人のみを指す言葉ではなかった。エルディア帝国に住まい、この国の市民権を有する人間は全てがエルディア人であり、彼らはエルディア系もおり、マーレ系もおり、リベラト系もおり、その他にも複数の民族アイデンティティをルーツとしていたが、最大多数はエルディア系とマーレ系であり、彼らでさえ大半は長い帝国支配を通じて、至極自然な成り行きで混血化した人々であり、その民族アイデンティティは自認以上のものではなかったのである。一方、市民を中枢として、それに対置される帝国の周縁部に位置付けられた非市民の、多くは帝国支配の歴史が短い属領の現地民たちは、強烈な民族的アイデンティティの自認の下で暮らしていたのである。

 

だが、市民と非市民にも共通項が無かったわけではなく、それは多くの場合は信仰であった。体系化された宗教は比較的新しいものであり、中でも世界で最も説得力のある宗派がユミル信仰とヘーロス信仰であった。ユミルは元来が豊穣と牧畜の女神であり、その存在は現存する巨人の力により実在を肯定されていた。同様に、ヘーロスもまた怪力と頑丈を誇った英雄であり、彼は健康長寿や無病息災を司る神として、また狩猟や漁獲に影響を与える守護神であるともされてきており、アッカーマン氏族が現代まで強大な勢力を維持してきたこともあり、彼らの存在こそがヘーロスの実在を証明するものだった。

 

両者は帝国の最高神として千年以上に亘り崇め奉られてきたが、紀元後のユミルの巨人の力が世界各地の征服、弾圧、懲罰に対して主に用いられ悪しき印象を持つのに対して、ヘーロスの英雄の力を継承したとされているアッカーマン氏族は非帝国の勢力として帝国の利益に反する事でも平然とやってのける集団であり、独自の倫理観に基づき何れの勢力にも属さない公正さを持つと評価されていたこともあり、その評価は帝国の外では明確に異なるものであった。

 

ユミルが大地の悪魔との契約者として、その末裔であるエルディア人と共に畏怖と嫌悪の対象だったのとは対照的に、ヘーロスとアッカーマン氏族はユミルを掣肘し、人民の守護と自由を象徴する非帝国の善玉勢力として賞賛と敬服の対象であった。この評価には少なからず帝国によるヘーロス顕彰の影響が見られており、ヘーロスに与えられた護民官の地位と、国境にも法律にも縛られずに自由を信奉してきたアッカーマン氏族の実績が評価された結果だと言えた。

 

このような歴史的な評価により、エルディア人も非エルディア人も、同じ神を信仰しつつも、その神に対する認識には隔絶したものがあったのである。

 

果たして、反帝国、反エルディア人、反巨人を掲げる群衆の声は更に拡大する過程でヘーロス信仰による強力な追い風を獲得したのである。

 

ヘーロス信仰の追い風は自由の希求という漠然とした言説へと自然的に発展し、この頃から貴族の思惑を逸脱し始めたのである。

 

帝国に対して改善を要求するものから、帝国以前への復帰へと、運動の主張は根本から変わりつつあったのだ。

 

皇帝が困って懇願してくるまでは様子見を決め込むつもりだった貴族たちだったが、市民が非市民に、エルディア系市民が非エルディア系市民に襲われる様になると話が違うことに、今更ながら気が付いた。

 

人為的な運動は既に制御可能な範疇を超えており、偽ヘーロスの周囲には群衆が常に張り付き、外部との連絡通路すら遮断されたことで運動の収拾はより困難なものへと変わった。

 

偽ヘーロスは演技を止めることが出来なくなり、貴族も様子見に徹することが難しくなっていた。

 

チキンレースが開始されたかに思われた矢先のことだった。

 

邸宅に押し掛けた群衆に対して貴族が巨人の力を行使したのである。

 

 

 

 

 

 

反応は劇的だった。

 

人々は忘れていた巨人の恐怖を思い出したようだが、それは人々を逃走ではなく闘争へと駆り立てる結果を招いた。

 

貴族は暴徒化した群衆に邸宅を荒らされたことで怒り狂い、彼らを一網打尽にする計画を立てると、他の貴族との協議を挟むことなく、罪人に脊髄液を投与して無垢の巨人に変えて、これを群衆に向けて差し向けたようだった。

 

結果、不用意な想定が祟って二次災害が続出し、無垢の巨人が街中を駆け回り、人々を捕食する事態を招いたようである。

 

この無思慮な、名も残されていない一人の行動が、結果的には帝国に致命傷を与えることとなった。

 

人々は怒り狂い、体制への攻撃を開始した。攻撃の対象には巨人化することができる者も含まれ、それは範囲を徐々に拡大していき、遂にはエルディア人全体がその範疇に収まった。

 

手が付けられない暴動は帝国全土へと拡大し、有力諸侯は顔色を失って対応に奔走したが、事態は一向に収まる気配を見せなかった。

 

どれだけ巨人の力を使っても、時間を掛ければ不可能ではないものの、反抗的な民衆だけを食いつくすことは難しい話だったし、そもそも人口が激減すれば国家の崩壊は秒読みであるから、国家の維持という最低限度の理性だけは持ち合わせていた貴族たちは頭が冷えるに従って打てる手が無くなっていった。

 

進退窮まった彼らは、遂には皇帝の出馬を要請したのである。

 

皇帝は重い腰を上げ、これに応じることを約束したが、同時に一度、一堂に会することを九つの巨人を世襲してきた全選帝侯に要請し、彼らはこれに応じたのである。

 

集められた彼らは皇帝に従いある場所に向かった。皇帝曰く、そこには問題を解決する最終手段が封じられているとのことだった。貴族たちはそんな話は聞いたことが無く、半信半疑であった。

 

だが、他に術がなかったが故に、皇帝の後に続いてアッカーマン氏族の領域に向かい、そこで巨大な始祖の陵墓へと足を踏み入れたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始祖の陵墓から戻ったのは皇帝とタイバー家の当主だけであった。

 

陵墓の中で何があったのかは定かではなく、カール・フリッツとタイバー家当主は何も語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の世界は怒涛の展開を辿った。

 

突如として退位を宣言した元皇帝カール・フリッツは大陸から離れた小大陸パラディ島への移住を公表し、始祖の巨人を除いたすべての巨人の放棄を宣言した。

 

これに対して、エルディア帝国は真っ二つに割れた。世界を帝国以前に揺り戻そうとする勢力と、旧来の帝国の秩序を維持しようとする勢力がそれぞれ台頭したのである。

 

前者は旧世界を象徴する大国マーレの名を持ち出し、後者は新エルディア帝国またはエルディア復権派を名乗った。

 

両者の構成員の違いは自認以外にほとんど見られなかった。前者には属領などの市民権を持たずに抑圧されてきた非市民=広義の意味での非エルディア人が支持者として集ったが、それとて全体の総意だとは言えなかった。なぜならば、少なくとも属領民には市民権も無いが兵役などの大きな責任も無かったからである。大きな税負担は苦しいものの、新たな動乱よりも旧来の現状維持を好む者も少なくなかった。

 

また、どちらの支持者にも言えることだったが、これらの人々の多くにはエルディア帝国によって市民と非市民との中間地点に保留され、両者から敵意を受け続けてきた人々や、逆に両者から利益を受け取ってきた人々なども含まれていたのである。彼らは変化を望む者と変化を望まぬ者とで分かれ、或いは無関心に身を委ねて新しい闘争に参加した。

 

マーレの名を掲げるエルディア人および非エルディア人と、エルディアの名を掲げるエルディア人および非エルディア人によって、真の内戦が始まったのである。

 

内戦は数年にわたって続き、この戦いは743年に終結した。

 

そして、夥しい血を流して生まれた新しい国家はマーレを名乗った。

 

新国家の構成員は二分され、勝者は自身たちをマーレ人であると定義し、敗者を総称してエルディア人として定義した。

 

交渉可能な政権の登場を見届けたカール・フリッツは、マーレ政府に対して帝国の遺詔あるいは警句ともとれる言葉と共に、七つの巨人の引き渡しを行った。

 

カール・フリッツはパラディ島への移住を決めた人々を、エルディア人か非エルディア人かの区別なく船に乗せた。彼らの多くは内戦の敗者たちであり、紛れもなく亡命者であった。

 

だが、亡命者とは言えない、純粋な移住者も中にはおり、それがアッカーマン氏族の一団であった。彼らは事が起こった後で、何事も無かった様に陵墓を清掃し、ここから慎重に二つの石棺を移動させると、一族と共に自前で用意したパラディ島行きの船に積み込んだ。後には空の陵墓のみが残され、この管理をする為に本家の内の一家が残った。

 

カール・フリッツには彼らの意図など理解できなかったが、帝国の幕引きを果たした彼には最早、何らの覇気も湧かず、彼らの選択をただ受け入れた。

 

大陸から退去するに際して、カール・フリッツはパラディ島に対する不干渉をマーレ側に要請し、この要請に背いた場合は世界を破滅させる旨を告げた。

 

そして船は出港し、水平線の先にある島に向かい消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移住者と亡命者が居なくなった後で残されたのは、去る必要のない者と、去ることを望まない者と、他に行き場所の無い者だった。

 

多くは一つ目に属する勝者であったが、大陸に残留したアッカーマン氏族もここに属していた。

 

新政権は内戦で功績があったとされているタイバー家と、偽ヘーロスと、それから新たに定義されたマーレ人によって運営されることになった。

 

運営の初期はカール・フリッツが大陸に捨てた巨人を巡る、新政府と敗北を受け入れられない復権派との戦いに費やされた。

 

この戦いで無主の七つの巨人は一つを除いてマーレの管理下に置かれ、復権派は地下活動へと移行した。

 

反政府勢力は弾圧の対象となり、また潜在的に巨人化する力を持つ人々は、そうではない政治犯や少数派と併せて一緒くたにされ、レベリオと呼ばれる荒涼とした収容区画に押し込められた。奇しくもこの地こそがアッカーマン一族の陵墓のある場所であり、この収容区画は陵墓の周縁に建設されることになった。

 

当初は異なる場所に建設されるはずだったこれらの収容区がなぜ残留したアッカーマン氏族のお膝元に建設されたのか、これには当時の政治状況が大きく影響していた。

 

だがこれは、それまで完全に政治への干渉を拒絶してきた彼らが今更になって強引に割り込む様に政治参画を始めたと言うわけではなく、ある問題をアッカーマン氏族との間に抱えたマーレ政府が苦慮した結果そのような所に落ち着いたのである。

 

この事件の発端は、へーロスがアッカーマンの姓を勝手に名乗ったことを氏族が問題視したことだった。

 

アッカーマン氏族は偽ヘーロスがヘーロスと名乗ったことには抗議しなかったが、それは個人名としてヘーロスに肖ったものは珍しいものではないからだった。それは問題とはされなかった。

 

一方、アッカーマンは氏族名であり、尚且つこの時に偽ヘーロスが名乗ったのは単独の『アッカーマン』であった。これはアッカーマン氏族の中でも特に直系の、中でも極一部の名家にしか名乗ることが許されないものであり、四大宗家以外の人物が名乗ることを許されるのは、当主直々に認可された場合と『へーロスから直々に下賜された場合のみ』であると定められていた。

 

加えて、へーロスの姓はアッカーマン『ではなく』、正確にはアクアヴィルであり、そのことを本人が間違えることなど当然ながら起こり得ないはずである。無論、アッカーマンはアクアヴィルが変形した言葉だから間違いではないが、厳密な用法には明確な違いがある。氏族には称号を除く三つの名前があり、一つは氏族名、一つは家族名、一つは祝福名である。アッカーマンは家名として使用され、アクアヴィルは姓である。つまり、本物のへーロスが現代において名乗る場合は、へーロス・アクアヴィル・アッカーマンとなるのである。

 

アッカーマン氏族はへーロスの扱いに関してだけは過敏な点があり、アッカーマン氏族内部では非常にストイックであった一方で、その外側、世俗においての扱いに関しては、それが如何なるものであれ努めて無頓着を装ったが、実情は非常に神経を使う問題だった。

 

つまりは、アッカーマン氏族内部の秩序に照らして、例え血が繋がっていても直系の極一部の者にしか許されない姓を、剰え血の繋がりすらない余所者が僭称したのである。しかも確認をとることさえされなかった訳である。

 

アッカーマン氏族は自由を信奉するが、それはアッカーマン氏族が無秩序の中で生きているということを意味するものではなかった。寧ろ逆である。彼らには厳格な秩序を遵守する、極めて高い倫理観と道徳心が備わっており、そのことにも誇りを抱いているのだ。

 

彼らはアッカーマン以外がアッカーマンを名乗ることは問題視しないが、詐称であろうともアッカーマンの血縁者を自覚する者が内部の秩序を無視して相応しからざる姓を用いることを批判したのである。ましてや偽へーロスは血縁者ですらなく、また遺詔における政治や国家に近づきすぎないという項目にも激しく違反しており、様々な点で火種を抱えていたのである。

 

要するに、偽ヘーロスの行動は完全に虎の尾を踏む行為であり、アッカーマン氏族の対応は穏当なものだった。むしろ、ここまで口を出さなかったことを、よくぞ、と評価して然るべきであった。

 

自由を信奉すればこそ、内外に対してストイックなアッカーマン氏族の逆鱗に触れたのだからその怒りは甚だ激しかったが、彼らは暴れたりはせず、また何らの政治的主張も成さなかった。

 

偽ヘーロスを本物のヘーロスだと考えていた人々の反応は困惑や疑問も多かったが、一方で偽ヘーロスを支持しないアッカーマン氏族こそが不信人ものなのだと考える人々も中には居た。しかし、それは極一部の少数派に限られ、結果として民衆の心は俄かに偽ヘーロスから剝がれていった。

 

この流れを敏感に察知したマーレ政府の対応は迅速だった、そもそもアッカーマン氏族との敵対など、巨人の力があるとは言え弱体には代わりなく、また社会の維持に不可欠な分野において大きな役割を担いながらも、その実、政治的に不干渉である点を除けば、政府が労力を割かずとも社会全体に無害どころか有益な集団であることは歴史が示す通りであり、その隠然たる力も合わさり、敵対することなど論外であった。

 

故に新政府は旧帝国がそうであった様に、アッカーマン氏族に対する治外法権を公的に認めると共に、一方的な贈与としてレベリオ他の複数の土地の領有を提示したのだ。

 

また、偽へーロスが偽物であることを曖昧なままに、見事に演じ切った役者をほとぼりが冷めた頃に呼び出すと、不要な枝葉を払うが如く暗殺し、彼が内戦中に巨人との死闘で重傷を負っていたこと、それが原因で急死したことを発表して事態の収拾を図ったのである。

 

アッカーマン氏族は偽へーロスの死に関しては無関心を示し、否定も肯定も表さなかったが、世論はそうもいかず、へーロスが偽物でなければ成立しない苦しい言い訳に当時の言論は激しく紛糾したが、それも長くは続かなかった。

 

何故ならば、意図してか否かはさておきアッカーマン氏族がマーレに対して天文学的な額の投資を提案したのである。

 

その規模は実に当時の国家予算の十年分に相当し、用途の指定もなく、無条件で譲渡されるものだった。彼らが政治に積極的な干渉をすることは考えられず、それが純粋な返礼であることなど、氏族の性質を考慮すれば容易に想像がつく話である。また、その理由が何処にあるかなど、何の法的な保護も保障も施されていない状態でレベリオの実効支配の機会だけを受け取り、残りの土地の領有権を全て放棄したことからも明らかであった。

 

だが、当時のマーレにも、マーレ人にもそのような余裕はなかった。ただ、レベリオという野放しにすることは危険だが管理するのも難しい、そんな非常に厄介な鳥籠を、味方にはならないが敵にもならない事が信用できる勢力に押し付けられ、剰えこれと引き換えに莫大な予算が手に入るという、この頓に降って湧いた幸運にありつけたことは望外の幸運以外の何物でも無かったのである。

 

内戦明けだったマーレ政府と民衆にとって、これ以上に有難い申し出はなく、この際、アッカーマン氏族の思惑などは考慮しないことに決め、マーレはこの提案を二つ返事で受け入れたのである。

 

やがて、アッカーマン氏族により契約は履行され、と同時にレベリオの自治権限はマーレから氏族へと完全に譲渡された。

 

この後、アッカーマン氏族は特段の変節もなく、ただへーロスの名に恥じぬ護民官ぶりをエルディア人と総称される人々に対して発揮していくこととなることを除けば、依然として凡ゆる分野において大きな影響力を持ちつつ、一方で政治に対して不干渉姿勢を崩さなかった。

 

マーレはこうしてアッカーマン氏族から得た豪勢な資金を起爆剤として、またエルディア帝国から継承した巨人の力を利用して、世界の新たなる一角を占める歴史を切り開いていくのである。

 

 

 

 

 

マーレが誕生して間も無く、アッカーマン氏族による異例の対応が物議を醸した頃と同時期に、パラディ島の三重の壁内においても異変が起こっていた。

 

それは新たに発足した王制において、レイス王と名を改めたカール・レイスの始祖の巨人による、壁内人類への記憶操作であった。

 

人々は完全に記憶を失ったわけでは無かったが、強い思い込みにより壁内人類を残して外の世界の人類は完全に絶滅したと認識する様になったのである。

 

だが、ここで不都合が生じる要因が二つ残されており、それが始祖の巨人の操作を受けないアッカーマン氏族と、彼らとは別に移住に同行した、百年来の同盟相手だったヒィズル国の東洋人達の存在だった。

 

レイス王は暗澹たる思いでこれらの二つの勢力の迫害を決断したが、危険を察知した東洋人たちがアッカーマン氏族の元に身を寄せるほうが早かった。

 

同様の異変を察知しつつも泰然とするアッカーマン氏族に対して、レイス家率いる王政側は武力による迫害ではなく、社会からの完全な剥離を試みた。

 

だが、結果は思い通りにいかず、そもそも始祖の巨人による記憶操作すらも、一部を除いて上首尾とは言えなかった。アッカーマンの血が、壁内の至る所に浸透していたのだ。薄くともアッカーマンの血を引く人々には、カール・レイスにより作られた世界の記憶と並んで、事実に基づいた壁の外の世界についての記憶も取り残されたのである。

 

カール・レイスはほどなく敗北を理解したが、アッカーマン氏族は何らの反応を見せず、迫害を受けたと言うことすら覚えていないのか、そもそも迫害として認識すらしていなかったのかは定かではないが、とにかく平静と変わらぬ生活を壁内でも営み始めた。

 

むしろ、彼らはこれ幸いにと東洋人との婚姻を積極的に結び、彼らの血を取り込むと共に、彼らを青い血の同胞に加えられることを寿いだほどであった。

 

彼らはどこまでも遺詔に忠実であったのだ。

 

 

 

あれから六十余年、壁内は停滞することなく時計の針を進めた。

 

アッカーマン氏族の血は壁内の隅々まで広がっていたが、彼らは壁内に擾乱を巻き起こすことはなく、混乱に陥れる様なことも無かった。

 

壁内は王制による統制と、その統制の外で自由を貫くアッカーマン氏族による二つの世界で占められていて、それらは交わることがなく、両者共にそのことを望んでいないことは明らかだった。

 

だが、その更に数十年後の783年に壁内は唐突な転機を迎えることとなる。

 

それは、アッカーマン一族の次期当主となる嫡子を身籠った女性が産気づくことで起き。

 

厳重な監視下にあった棺が一人でに開き、へーロスの遺体が消えたことで転じて。

 

そして、彼女が一人の健康な男の赤子を産んだことで結ばれるのである。

 

 

 

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