歩くと面倒、自転車だと都合がよく、駐車場が無いので車では行きたくない。
未就学児から中学生ぐらいまで、良く遊びに通ってた公園があった。
少し離れたところには園児達を預かる施設もあり、道中は車の通りも少ないので、散歩先によく選ばれる公園だった。
私がその公園をなぜ知っているかと言えば、私がその施設に通っていたからだ。
遊具は少ないがそこそこ広く、鬼ごっこやかくれんぼするには十分な広さで。
休息用のスペースが二ヶ所あり、よくカードゲームや携帯機を持ち寄って遊んでいた。
さて、そんな日常に溶け込み過ぎて思い出の少ない公園ではなく。
私が話したいのは、その公園の隣にあった建物だ。
鬱蒼とした木々に囲まれた建物で、土地の入り口から玄関までそこそこ離れていて、それでいて木に隠れているので玄関までは見えない。
庭は広く、花よりも屋根付きのベンチや、トーテムポールのようなよくわからない置物等が目立つ庭だった。
初めて見たのは私が園児の頃。
お散歩で公園に向かう道中、必ずと言って良いほどその家の前を通った。
木々の隙間から見える物は、公園の遊具よりも魅力的に見え。
しかし、当然な話だが散歩の途中で一人はぐれるなんてこともできず、ましてや人様の土地に無断で侵入するなんて許されるわけもなく。
園児だった頃の私は、眺めることしかできなかった。
ある日のこと。
その家の庭のベンチに人が座るようになった。
居ない日もあったが、何時も同じ服装で、何時も黒い帽子を被っていた。
遠目で見ていたからか、ただ子供だったからだろうか、私はこの家の人だろうかと最初は考えていたのだ。
その人が人形ではないかと思ったのは小学生になってからだった。
補助輪付きだが自転車に乗れるようになり、一人で公園に行くことができるようになった頃なので、もしかしたら私が小学二年生ぐらいになってからかもしれない。
何時も同じ服装で、何時も同じ場所で、身動きしない。
子供心ながらワンチャン死体だったりしないかなと想像も膨らませたが、人形だとわかるとそれ以上のことを知ろうとすることもなかった。
私がその人形を近くで見たいと思ったのは、ほんの出来心だった。
中学生になり、そこそこ体力も付き、歩幅も広くなった私はその頃、お散歩が趣味になっていた。
そしてふと、その建物近くを通ったとき、木々の隙間から見える人形を見て、どんな顔をしているか気になった。
出来心だった。
他人の土地に入るのは不法侵入。
そんなことはわかっていたが、地主に見つかっても言い訳できる自信があったし、未成年だから見逃してもらえると思ったのだ。
少し周囲を見渡して、人がいないことを確認してから土地に入る。
昔よりも鬱蒼とした木々は手入れしてる気もするが、全体の量を考えると放置していると納得できてしまうような状態だった。
ベンチに回り込み、顔を覗く。
これで人間だったらどうしようとワクワクしていたが。
案の定、座っていたのは人形だった。
素材はわからない。
陶器かもしれないが、長い年月の間、ずっと外に放置されていたそれを直接さわってみようとは思わなかった。
人形の手足に球体間接のような物はなく、体勢は変えられず動かせないように服や帽子、ベンチが全て一体になっていた。
私はベンチの影に隠れながら恐る恐る視線を上げる。
窓から住人が覗いてたらどうしようと思ったからだ。
結果としては、それは杞憂だった。
建物の壁も窓も扉も泥だらけ。
窓越しに中の物が積まれてるのが見えて、ようやく私は、この建物が倉庫なのだと気がついたのだ。
一見、二階建ての建物だがよく見ると、天井の高いちょっとオシャレに見える一階建ての倉庫だった。
地主はいるかもしれないが、住人は最初から居なかったのだ。
ずいぶんと長いこと使われていないのだろう。
それでも割れている窓は一つもなかった。
満足した私は腰を低くしながらこっそりと土地を出る。
木々に囲まれているとは言え、庭は土地の外から見えていたから。
それ以降、私はその家のことを何年も忘れていた。
思い返してみれば、奇妙なことが幾つかあったのに。
今となっては、もはや公園にすら近づくことも無く、その後、その建物がどうなったかもわからない。
私がそれを確かめに行くことは今後一切ないだろう。
法律云々とは関係のない。
だって、そこまで行くのが面倒になってしまったのだ。