運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく 作:シドロンモドロン
素材組合の朝は、入口に近づく前から騒がしい。
開いた扉から声が溢れ、硬い床を靴が叩いている。
誰かが背負い袋を落としたらしく、床を転がる牙を三人がかりで追いかけていた。
受付の脇では、大きな角を持つ男が報酬の数え直しを求めている。
その後ろでは、片耳の垂れた若い潜り手が、泥まみれの長靴を脱ぐ場所を探していた。
焼いた根菜の匂いもする。
組合の向かいにある屋台が、朝から油を使っているらしい。
カレナは一度だけ扉の外を振り返った。
「依頼札は中だよぉ」
ネフィラが後ろから言った。
「分かってるよ」
「屋台は外だねぇ」
「それも分かってる」
カレナは腹を押さえて素材組合へ入った。
受付の横には大きな掲示板が置かれている。
新しい札は上へ。
期限の近い札は中央へ。
泥や油で汚れた札ほど何度も誰かの手に取られている証拠だ。
今朝も掲示板の前には、潜り手や荷運び人が集まっていた。
太い尾を持つ男が前を塞いでいる。
カレナは体を横へ傾け、男の肩越しに札を読んだ。
ゴブリンの牙と刃物片。
コボルト革と冬毛。
傷の少ないスライム膜。
どれも市場で毎日のように売られている素材だった。
朝になれば、たいてい同じ札が並んでいる。
ゴブリンの牙は、細かく砕いて研磨剤へ回す。
形の良いものは針や飾りにも使われる。
コボルト革は丈夫で潜り手の胸当てや靴になる。
冬毛は寝具屋がまとめて買い取っていた。
スライム膜の札には薬師から細かな注文がついている。
穴のないもの。
薄く伸ばせるもの。
薬草の汁を通しにくいもの。
酸を浴びた袖には、洗っても薄い染みが残った。
あれはもう勘弁してほしい。
札の端には、小さな字で報酬の上乗せまで書かれていた。
「これ、ネフィなら全部読める?」
カレナが指を差す。
ネフィラは前の男の尾を避けながら、掲示板へ顔を寄せた。
「読めるよぉ」
「薬師って細かいよね」
「傷へ当てるものだからねぇ」
「少しくらい穴があっても、重ねればいいのに」
「ふふ、直接薬師の前で言っておいでぇ」
「うん、今日はやめとく」
隣には鉄節虫の部品を求める札が並んでいた。
鋲や留め具。
ばねに細い軸。
歯が欠けていない小さな歯車。
井戸職人と錠前師の印が、同じ札の下へ押されている。
形の揃った部品は値段が高い。
潰れた部品も、炉で溶かすために重さで買い取る。
その下には樹脂獣から採れる硬化樹脂。
革具の補修。
結晶灯の隙間塞ぎ。
東門脇の共同井戸。
用途ごとに小さな木札がぶら下がり、必要な量が書かれていた。
共同井戸の札だけ、残量を示す線が一番下まで下がっている。
「昨日持って帰ったのに、まだ足りないんだ」
「石の継ぎ目が広かったからねぇ」
「井戸って、たくさん食べるね」
「食べた分だけ水を出してくれるよぉ」
「じゃあ仕方ないか」
硝子羽の翼板には窓職人と薬瓶職人から依頼が出ていた。
大きく透き通った板は窓へ。
小さな欠片は結晶灯の覆いへ。
曇りのあるものも、薬瓶の小窓や飾りへ回される。
掲示板の端では結晶片の札が重なっていた。
灯り用。
炉用。
神殿用。
色、濁り、大きさ。
条件が多く、札の下まで文字が詰まっている。
カレナが視線を隣へ移すと、そこにはオルマと関係のない仕事が並んでいた。
東区画の溝さらい。
長靴と道具は貸し出し。
昼まで働けば、温かい汁物がつく。
最初のころは、この依頼でよく凌いだのを思い出す。
西農園の根菜掘り。
掘った根菜を一袋持ち帰ってよい。
しばらく夕飯が一品増えるのは、純粋に嬉しかった。
若い潜り手に人気の依頼のひとつだ。
北門から隣村まで、商人の荷車を護衛。
一泊二日。
三等札以上を二名。
南倉庫の穀物袋積み替え。
力自慢歓迎。
途中で腰を痛めても追加報酬は出ない。
北林で食用獣の狩猟。
肉と皮は依頼主へ。
角や爪は狩人の取り分。
街道沿いで逃げた荷運び獣の捜索。
生け捕り。
噛まれても泣かない者。
最後の一文だけ、依頼主の字が大きかった。
「これにしようかな」
カレナが荷運び獣の札へ手を伸ばすが、ネフィラが先に札の端を押さえた。
「探すだけなら鼻しか使わないから大丈夫だよ」
「見つけた後はぁ?」
「気合」
「噛まれても泣かないって書いてあるねぇ」
「泣かないよ」
「前に小さな羽虫が耳へ入った時は泣いてたよぉ」
「あれは耳の奥で羽ばたいたからだよ…」
カレナが札を引く。
ネフィラも手を離さない。
二人で札を挟んだまま、しばらく見つめ合った。
「じゃあ、根菜掘り」
「肩を使うねぇ」
「ど、溝さらい」
「もっと使うよぉ」
「…荷車の護衛」
「だからぁ、肩はぁ?」
「荷車には乗れるでしょ」
ネフィラが笑うのを堪えるように肩を揺らす。
カレナは荷運び獣の札から手を離した。
「もー。選ぶ気がないなら、聞かないでよ」
「選ぶ気はあるよぉ」
「え?どれ?」
「今日は講習だねぇ」
愚痴りながら目を上げると、カレナの手が止まる。
掲示板の最上段には一本だけ赤い紐が垂れていた。
紐の先に小さな買い取り札がついている。
第二の大変動以前の青色治療板。
欠片でも可。
由来の分かる品を優先。
神殿の立ち会いにより鑑定する。
書かれた金額はほかの札より一桁多い。
カレナは指を使って数え直した。
「これ、本当にこの値段?」
「状態が良ければ、もっと上がるよぉ」
「一枚見つけたら、しばらく働かなくていいね」
「残ってたらねぇ。第二の大変動なんて、ずっと昔でしょぉ?」
今のオルマには青色治療板を残す生物がいない。
第二の大変動を境に、その姿はオルマから消えた。
だから今は、古い治療所の倉や使われなくなった神殿の物置。
大きな家に伝わる治療具。
残っているとすれば、そんな場所だけだった。
「これ、去年も掛かってたよね」
「一昨年もあったよぉ」
「誰も持ってこないの?」
「小さな欠片が一つ出たって聞いたねぇ」
「どこから?」
「古い屋敷の戸棚だったかなぁ」
「戸棚を探す依頼なら受けたいな」
「人の家の戸棚を勝手に開けたら怒られるよぉ」
カレナは赤い紐を指先で弾いた。
軽い音がして、札が掲示板へ当たる。
なかなか手に入らないから高い。
当然の話だった。
カレナはもう一度、今日受けられそうな札を探した。
東浅口の標識確認。
鉄節虫の部品回収。
北林の狩猟。
肩をゆっくり動かす。
昨日より軽い。
腕も上がる。
どれか一つくらいなら、オルネッサも許すだろう。
「カレナ」
背後から名前を呼ばれた。
黒い耳の組合員が腕を組んで立っている。
オルネッサの手には依頼札より小さな木札があった。
札には素材組合の印と、二階の講堂を示す絵が焼きつけられている。
カレナは掲示板へ伸ばしていた手を急いで引っ込めた。
「肩なら平気!なんともない!」
「私はまだ、肩の話をしていないよ」
「……やっぱり、安全再確認講習?」
「半年で三回目だからね」
「今回のは、後ろに怪我人がいたからだよ」
「前の二回にも、それぞれ立派な理由があったね」
「覚えてるんだ……」
「記録するのが仕事だからね」
ネフィラが隣で小さく頷いた。
「残念だけど、三回目で安全再確認講習だよぉ」
「ネフィまで組合側なんだ」
「カレナが四回目にならない側だねぇ」
カレナはしぶしぶ木札を受け取った。
薄い板が、朝から持つには妙に重い。
素材組合の二階には小さな講堂がある。
安全再確認講習には、負傷を重ねた潜り手だけでなく固定組の相棒も同席する。
ほかにも昇級前の見習いや、長い休みから戻った者が同じ講堂へ集められていた。
カレナも以前、この部屋で別の講習を受けたことがある。
尾を通しやすい席は覚えていた。
神官は毎回同じだった。
白髪の神官が前の台で名簿を整えている。
神殿から素材組合へ派遣された記録官で、見習い院でも歴史を教えていた。
カレナが席へ座ると神官が顔を上げる。
「また会いましたね」
「久しぶりだね」
「半年ぶりですね」
「半年も会わなかったなら久しぶりだよ」
「次は一年を目指してください」
「できれば、もう会わない方向で」
「ええ、それが一番ですね」
講堂の後ろで笑い声が起きた。
今日はカレナとネフィラのほかに六人が座っている。
腕を布で吊った猪鼻の男。
額へ包帯を巻いた長耳の女。
見習札を首から下げた三人組。
一番端には、溝さらいの長靴を履いたまま座っている老人もいた。
老人の足元から、乾きかけた泥が少しずつ落ちている。
神官は名簿へ目を落とした。
「カレナ。二等札。前衛、索敵、進路判断、素材回収」
「はい」
「ネフィラ。二等札。記録、時間管理、回収物確認、応急手当」
「はいだよぉ」
壁には四枚の札が掛けられている。
見習札。
三等札。
二等札。
一等札。
見習札は白く、角も丸い。
一等札には濃い染料が染み込み、遠くからでもよく見えた。
「ご存じの通り、札の等級が上がれば受けられる依頼が増えます」
神官が一等札を指す。
「深い場所へ入る資格も得ます。隊を率いる仕事も増えるでしょう」
見習い三人組の耳が揃って前を向いた。
「ただし、強い生物を倒した数だけで札は上がりません」
三人の耳が少し下がる。
「素材を持ち帰る。依頼の範囲を守る。仲間を連れて戻る。見たものを記録へ残す。
その積み重ねが次の札へ繋がります」
神官は名簿を閉じた。
「二等札が二人で受けられる依頼は?」
カレナは知っている。
何度も聞いた。
早く答えれば、早く終わるかもしれない。
「確認済みの浅口。短い回収と標識の確認。小型種の討伐」
「それから?」
「古い石柱より奥へ行かない」
「それは昨日の条件です」
後ろの席で猪鼻の男が吹き出した。
カレナは振り返る。
男は笑いを咳に変え、窓の外へ顔を向けた。
ネフィラが手を挙げる。
「互いの役割を補える固定組なら、組合が指定した浅口の依頼を二人で受けられますよぉ。
未確認区域と深い場所は一等札の指揮役を含めた五人以上だねぇ」
「その通りです」
神官がカレナを見る。
「あなたの役割は?」
「前を見て、危険を探す。匂いと音で進む方向を決める」
「入口の方向も分かりますか」
「分かるよ」
カレナは少し胸を張った。
オルマの中にも風は流れている。
外から入り込む草と土の匂い。
人が何度も通った石床の匂い。
奥へ進むほど薄くなる、街の煙と食べ物の気配。
浅口なら、入口がある方向を嗅ぎ取れる。
「では、ネフィラの役割は?」
カレナは隣を見る。
ネフィラは木炭筆を動かしている。
神官が話した言葉だけでなく、窓から聞こえた鐘の時間まで記録板の隅へ書いていた。
「私が選んだ道を、記録と照らし合わせる」
「続けてください」
カレナはネフィラを見る。
ネフィラもこちらを見る。
細い目が、もう少し考えて、と告げていた。
「通路の幅」
「うん」
「段差」
「うん」
「歩いた時間と、残っている水」
「それからぁ?」
「…回収物の重さ」
ネフィラの尾が一度だけ床を撫でた。
「怪我人がいる時は、その人が通れる道かも確かめますよぉ」
神官が頷く。
「カレナは入口へ近づく道を選ぶのが役割。ネフィラは、その道を全員が帰路として使えるか確かめるのが役割ですね」
「私一人なら、そのまま帰れるよ」
「潜り手の仕事は、依頼と仲間を持ち帰るところまでです」
カレナは口を閉じた。
一人なら走れる場所でも、脚を傷めた者がいれば歩幅が変わる。
体を横へ向ければ抜けられる隙間も、誰かへ肩を貸しながらでは使いにくい。
入口の匂いが分かることと、全員を連れて帰ることは別だった。
「二等札は中堅です」
神官が壁の札へ手を向ける。
「見習いを導く経験があり、浅口では自分たちで判断できる。
自分の得意を知り、足りない部分を相棒へ預けられる。
それも二等札に必要な力です」
カレナは机へ頬杖をつきかけた。
横からネフィラの視線が刺さる。
カレナは慌てて手を膝へ戻して前を向く。
前の席に座る見習いの尾が、小さく揺れている。
どうやら講習を楽しんでいるらしい。
カレナには、まだ先が長く感じられた。
神官は名簿を脇へ置く。
「次は、潜り手が持ち帰る素材について確認します」
カレナは小さく息を吐く。
こちらも見習い院で何度も聞いた話だった。
神官は台の上へ古い結晶灯を置く。
小さな卓上灯だった。
半透明の覆いには細かな傷があり、長い年月を経て薄く黄色へ変わっている。
留め具は黒ずみ、台座との隙間には硬化樹脂が詰められていた。
「この結晶灯に使われているもののうち
オルマの外で手に入るものはいくつありますか」
見習いの一人が答えた。
「木の台座です!」
「ほかには?」
「…え?」
言葉に詰まる見習いを見て、今度はカレナが答える。
「結晶片を包んでる布」
「そう、その二つです」
続けたカレナの回答に、見習いが悔しそうに耳を伏せる。
神官が結晶灯の覆いを指で叩いた。
「光は結晶片。覆いは硝子羽の翼板。
留め具と軸は鉄節虫の部品。隙間を塞ぐ樹脂は樹脂獣から得ています」
講堂の天井にも、同じ形の結晶灯が吊られている。
壁の小窓には硝子羽の翼板。
扉の蝶番には鉄節虫の部品。
神官の記録帳には、紙を湿気から守るスライム膜。
カレナの胸当てにも、コボルト革が使われている。
見回すほど、オルマの素材が目へ入った。
「我々の国がオルマと繋がって、千年以上になります」
神官の声に合わせ、見習いたちが記録板へ筆を走らせる。
カレナも筆を持つふりをしてネフィラの板を覗いた。
「その間に、大変動は三度。
オルマで出会う生物と、持ち帰れる素材はその都度大きく入れ替わりました」
神官は棚から一本の古い治療具を取り出した。
細い杖の先に青い板がはめ込まれている。
朝の掲示板で揺れていた赤い紐を、カレナは思い出した。
「青色治療板だ」
「よく分かりましたね」
「今朝、買い取り札を見たから」
「講習前に依頼札を読む余裕はあったようですね」
「仕事を探してたんだよ」
「怪我をしたままですか?」
「溝さらいならできると思った」
「無理は禁物ですよ」
「みんな同じことを言うね」
講堂のあちこちから笑い声が上がった。
神官は治療具を窓の光へ向けた。
青い板の奥に、細い筋が幾重にも浮かんでいる。
水の中へ糸を沈めたように、光を受けてゆっくり揺らいだ。
「第二の大変動より前に使われていた品です。
今のオルマには、この板を残す生物がいません」
「だから欠片でも高いんだ」
「古い治療具の修復や、神殿での研究に使います」
見習いの一人が身を乗り出す。
「売ったら、どれくらい休めますか?」
「暮らし方によります」
「毎日肉を食べても?」
「量によります」
「お腹いっぱいなら?」
「働いた方が早そうですね」
神官の答えに、見習いの耳が垂れた。
カレナは少しだけ親近感を覚えた。
「最初の大変動で姿を消した素材があります。
二度目にも、三度目にもありました。
そのたびに職人は代わりの素材を探し、神殿と組合は新しい使い方を記録しました」
「なくなったら、違うもので作るんでしょ」
カレナが言う。
「そうです」
「じゃあ大丈夫だね」
「そのために学びます」
「知ってるよ」
「知っているつもりで手順を飛ばす者が、一番よく怪我をします」
「それ、私に言ってる?」
「この講堂にいる全員へ言っています」
神官は講堂の隅に置かれた井戸の模型を運んできた。
取っ手。
鉄節虫の金属を鋳直した軸。
水を汲み上げる木桶。
桶を吊るす縄。
石の継ぎ目を塞ぐ樹脂。
小さな模型なのに、動かすと本物と同じように木が軋んだ。
「オルマから運ぶ素材が減れば、結晶灯の数を減らします。
炉の火を使う時間も短くなる。
井戸の修理が遅れ、薬や革具の材料も足りなくなります」
「でも、また採りに行けばいいんですよね」
見習いが尋ねる。
「そうですね。そのために潜り手がいます」
神官が穏やかに答えた。
昨日も入口は開いていた。
今朝も多くの潜り手が入っている。
使った分を持ち帰り、足りなくなれば依頼札が増える。
長く続いてきたいつもの暮らしだった。
神官は記録表を見ながらカレナへ目を向けた。
「石柱の先へ進まず、負傷者を連れて戻った判断は適切でした」
「そこは褒めてくれるんだ」
「投石を肩で受けた理由は?」
「避けたら治療中の二人へ飛んでたから」
「その判断も報告へ残してくださいね」
ネフィラの木炭筆が動く。
カレナが覗くと、投石の方向と立ち位置まで簡単な絵になっていた。
「ネフィが全部書いてくれるよ」
「あなたが嗅いだ匂いと、聞いた音は?」
「私が話す」
「はい、それで結構です」
「…講習って長いね」
「千年分ありますからね」
講堂に笑い声が広がった。
カレナだけは、聞き覚えのある言葉に苦笑しながら神官を見つめた。
神官はきっと次に会った時も同じことを言うだろう。
カレナは次こそ一年以上会わないと決めた。
講習が終わる頃には、昼の鐘が鳴っていた。
神殿の診察までは少し時間がある。
カレナとネフィラは、組合の向かいにある屋台へ寄った。
揚げた根菜を紙へ包んでもらう。
塩と乾燥香草が振られ、熱い油の匂いが鼻へ届いた。
「講習を受けてきたんだろ?一つ多くしておくよ!」
「やった!ありがと、おかみさん!」
紙包みから一つ取り、口へ入れる。
外は硬く、中は柔らかい。
熱さに耳を揺らすと、ネフィラが笑った。
「急いで食べるからだよぉ」
「あっつぅ!でも冷める前に食べたいんだよ。診察の時間もあるし」
「まだ余裕があるから、大丈夫だよぉ」
「講習、知ってる話ばっかりだったね」
カレナは揚げ根菜を噛みながら言った。
「知ってることを確かめる講習だからねぇ」
「千年も同じ話をしてるのかな」
「少しずつ内容は変わってると思うよぉ」
「どこが?」
「昔は、その井戸も別の形だっただろうからねぇ」
ネフィラが東門脇を指した。
井戸番が取っ手を動かす。
鉄節虫の金属を鋳直した軸が回り、吊り下げられた木桶が井戸の底から上がってくる。
井戸番が木桶を傾けると、水が石槽へ勢いよく流れ落ちた。
桶を持った者たちが順番を待ち、最後尾では小さな子どもが自分の尾を追いかけて回っていた。
母親が首根っこを掴んで列へ戻す。
子どもは少しだけ大人しくなり、今度は前に並ぶ者の尾へ手を伸ばして叱られていた。
「平和だね」
カレナが言った。
「そうだねぇ」
ネフィラが紙包みへ手を伸ばす。
カレナはすぐに胸元へ引き寄せた。
「自分の分は食べたでしょ」
「小さい欠片を一つだけぇ」
「これ、最後の一つだよ」
「講習の記録代だねぇ」
「私、そんな依頼は出してないよ?」
カレナは最後の揚げ根菜を半分に割った。
少し大きい方を自分の口へ入れ、小さい方をネフィラへ渡す。
ネフィラは大きさを見比べたが、何も言わずに受け取った。
街には、いつも通りの昼が流れていた。