ダンジョンはつらいよどこまでも   作:たっぷり

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 高評価や感想、ここすき、誤字報告、いつも感謝しております。

 遅くなりました。本当に。


・032 英雄(憧憬)

────

 

 

 

 

 

『────きみ(僕)が英雄を好きになったのって、いつだっけ?』

 

 

 激戦と呼ぶことが憚(はばか)られるほどの、一方的な蹂躙劇に挫け、立ち上がれないとベルの胸中が諦念で染まり、とうとう意識が闇の彼方へと落ちていく。

 

 その最中(さなか)、聞き慣れたようで聞き馴染みのない誰かの声が頭の中に響き、起こされた。瞼を開いた彼女────ベル・クラネルの瞳に飛び込んできたのは、14歳の彼女の中で最も思い出深い故郷の光景だった。

 

 ただ、それでもその場所が今とは違う景色であることだけは確かだ。

 

 なぜなら、時間が夕刻を示すような茜色だから。

 

 なぜなら、眼前に広がる麦畑は収穫時を示すように金色の波を作っているから。

 

 ……なぜなら、彼女の瞳が、小さな小さな、今よりとても小さな白い髪を持った幼い女の子を見つけたから。

 

 そして、女の子の眼前に佇む────背に竜種の翼(はね)を生やした獅子を見つけたから。

 

 

 ────

 ──

 

 

 ────それは、10年と少し前。

 

 一体の『白虎』がいた。本来であれば2M(メドル)近い体躯を持つモンスターとして産まれ落ちる筈のその個体は、しかし大きく潜在能力(ポテンシャル)を欠如した状態で大地に産まれ落ちていた。

 

 理由は単純、そこが地上だったから。

 

 その虎の親となる個体は遥か昔、その場よりずっと南に向かった先に出来た大地の大穴から這い出てきた個体の子孫である。

 

 本来ダンジョンから産まれ落ちるモンスターたちにとって、生殖能力は必要ない。なぜなら彼らモンスターの母たるダンジョンが、無限にも等しい数のモンスターを産み出せるから。死んでもすぐに代わりが産まれてくる。地上を、そこに生息する人類やそれ以外の、モンスター以外にカテゴライズされる全生命を根絶するために。

 

『私が死んでも代(か)わりはいるもの』────それを体現した生態構造。永らく人類はそれに苦しめられてきた。

 

 しかし古代、とある勇者によって開かれた大穴へ続く大峡谷を突破した人類により、反撃ののろしが上がる。それは結果としてダンジョンを塞ぐ蓋となる都市が築きあげられるに至った。

 

 古代に生きた英雄や英傑たちの尽力によって、モンスター達は地下と地上で分断されたのだ。

 

 地下にいるモンスターたちに別段問題は無い。今までと変わりなく、今度は侵入してきた人類と殺し合うだけだから。しかし地上にて分散したモンスター達はどうしようもない。人類が心臓を核として生存する生命体ならば、モンスターは魔石を核として生存しているだけの生命体。

 

 魔石を抜かれるまでは臓器も機能しているし、それらの活動を補助するための栄養素も必要となる。つまりは代謝が存在していることが証明されている。

 

 究極的に言えば、体組織が劣化していくこともあり、子孫を作る必要が出来た。

 

 想定されていたのか、モンスターたちの構造は地上の獣や魚などの生物と酷似しており、子孫を為すこと自体は可能だ。だが、生まれてくる個体は等しくモンスターに分類(カテゴライズ)されるがゆえに、体内に魔石を宿すことは必須事項。

 

 それが無ければ体組織を維持することが叶わず、即座に灰へと還るのみ。母なるダンジョンからの供給を受けられない地上のモンスターが選択したのは、己自身の魔石を継がせること。

 

 これにより、子孫繁栄を可能とした。

 

 だが、問題もある。モンスターにとって魔石とは核だ。命と言って差し支えの無いモノ。それが世代を重ねるごとに小さくなるということは、存在そのものが脆弱になっていくことと同義。

 

 その場に居た『白虎』はまさしくその弱体化を体現したかのように、1メドルもあれば十分だろうと言える程度の体躯となっていた。

 

 本来であれば2から3メドルはある、Lv.2にカテゴライズされるほどの強力なモンスター。上級冒険者が複数人で当たるようにと注意喚起されているようなモンスターでさえ、地上のモンスターであるがゆえの弱体化の流れには逆らえない。

 

 深い森の中で人を襲うことも無く過ごしていた。時が経てば、その虎も親と同じように同種か同系統の動物と交わり子を成すだろう個体だった……目の前に、瀕死のワイバーンが降ってこなければ。

 

 それは北の最果てに眠る黒き厄災が起こした鼾にて風の檻から外界へ出ることが叶った個体。だが、そんな厄災を放置していられるほど人類も余裕は無く、その場には英雄足り得る覇者が2人、対処を行うべく待機していた。

 

 そのワイバーンは運が良かった。同じタイミングで飛び出した竜達の中に、その2人をして顔を顰めさせ舌打ちせざるを得ない程に強力な個体が混じっていたからだ。風印(ふういん)内部で現代まで生きてきたソレを……、ダンジョン内で生まれる原種と近い脅威度を持つワイバーンを木っ端と判断し、後回しにせざるを得ない状況に苛立ちつつも、戦士と魔女は周囲に飛び交う雑多な竜種たちを巻き込むように最大限余波を広げながらの戦闘を行うことで、人類圏への二次被害を抑えに掛かった。

 

 かくしてそれは成功に終わる。最も遠くまで逃げ出せた当のワイバーンも、最早飛ぶ以外の行為は出来ず、数刻と経たずして鬱葱と茂った森の中へと墜落したのだから。

 

 そこに、モンスターが居なければ、灰となって終わっていただろう。

 

 世代交代によって弱体化した虎と、封印の中で生存競争を繰り返してきた原種に近い竜種。どちらが強いかなど明白だが、現実とは最終的に生き残った者こそが強いのだ。

 

 それはモンスターも変わらず。

 

『白虎』は大口を開け、最早呼吸もままならないワイバーンの肉を噛み千切り、臓物を喰らい、血を啜る。────そして、胸部中央に鎮座していた柴紺色の魔石を、喰らった。

 

 本来は同じ中層域のモンスター。ダンジョン内ではそう定義されているが、その場に居る2体には大きな実力差が存在していたがゆえに、その魔石1つで虎は、変異した。強化種へと。

 

 最悪なのはその虎に竜の翼が生えたことだろうか。

 

 永(なが)らく得られなかった力の源流に触れた『虎』はモンスターとしての在(あ)り方を取り戻す。それは殺戮衝動。モンスターが生来持ち合わせている本能に従い、人を殺すべく行動するようになった。

 

 必要なのは『力』(ちから)。そしてそれを得られる方法は今、知った。

 

『強化種』となったモンスターが等しく取る行動、同族殺し。

 

 モンスターが内包する力の根源である魔石を食い漁り、より強く、より凶悪になるためにと多くのモンスターを喰らった結果、『虎』であったモンスターは、元の風体を残しつつも、注視しなくては原種が分からない程度には変異していた。

 

 まさしく『異質同体』(キメラ)。そう呼ぶにふさわしい怪物へと進化を遂げたのだ。

 

 元は『ライガーファング』と呼ばれる獅子の鬣(たてがみ)を持った虎のようなモンスターだったが、既に肉体の大半が変異したことで、残っているのが鬣と四足歩行のモンスターであるという事実のみ。かつて1メドルに満たない程度の体躯だったのが嘘のように巨大化し、5メドル近い全長とその重量を浮かせる翼を得るに至った。

 

 最早敵は居ないとばかりにモンスター本来の本能である殺人衝動に身を委ね、近くの村を襲う。力と同様に得た確かな理知。悪意と殺意に染まった真っ黒な思考回路で弾き出した襲撃方法は、所謂『怪物進呈』(パスパレード)に類似していた。

 

 村の一(いち)方面から、追い立てたモンスターや血に飢えた野生動物を襲わせ、自身は反対方面へ回り込み村の戦力が襲撃に対応している間に内部から喰い散らかしてやろうと画策したのだ。

 

 知恵の回るようになった強化種はダンジョンでは稀ではあるが見かける類い。しかし地上でソレが産まれるのはどれほどの確率だろうか。少なくとも不運が幾つも重ならなければ決して存在し得ないような怪物が、そこにはいた。

 

 そうしてキメラの予定通り、戦える村人の出払った村は最早怪物を傷付けることすら能(あた)わない弱者たちの住処へと変わり、もはや蹂躙を待つほかに無い。

 

 今の地上ではよく起きる出来事だ。モンスターによる被害。それだけは、どうしても防ぎ切れない。地上に這い出たモンスターの全てを駆逐できてない時点で。

 

 キメラの様相と化した怪物もまた、その被害を一つ増やさんとばかりに村へと踏み込み、数歩と歩かず見つけた白髪の只人(ヒューマン)。未だ幼い少女を最初の被害者とするべく、その大きな前脚を少女目掛けて振り降ろす。

 

 ────だが、地面に広がり始めた赤い血だまり(シミ)は、キメラの鮮血だけで構成されるのだった。

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

 少女にとって聞き馴染みのない村全体に広がった警鐘の音色。とある理由によってここ2年近く使われることの無くなっていたソレだが、今回ばかりは使う他なかった。物見やぐらにて接近してくるモンスターの大群に対処すべく、村に住まう者の中で戦える者たちは即座に準備を終えて出張っていった。それは彼女の祖父も代わりなく。彼もまた、いや……その正体を知ればこの村に住まう大人たちの誰よりも強いことが確かゆえに、駆り出されることは間違いないのだが。

 

 それはそれとして、少女の自己意識がハッキリしてからの数年。使用されなかったがゆえに彼女にとって未知の警鐘。1人で遊んでいた少女が、齢にして5つにも満たない童女が的確な行動を取れる筈もなく、村の中ならば安全だろうという考えを────眼前に現れた怪物が、破壊した。

 

 獅子の顔。虎の体。竜の翼。他にも多種多様なモンスターの痕跡を持った体表を見せるキメラ。

 

 周辺の気温よりも高いことを示す粘着質な白い息。ゆっくりと滴り落ちる涎。覗かせるは鋭い歯。瞳には殺意と悪意だけが宿っており、未知の恐怖に遭遇して微動だに出来ない少女を、今まさに振り上げた筋肉質な前脚で踏み潰さんとしていた。

 

 当然、少女が動けるはずもなく……死を受け入れる準備も出来ぬまま命を散らす────瞬間、少女の背後より駆け抜けた漆黒髪の小さな影が、その『死』を貫く。

 

 

 ────

 ──

 

 

「………………そうだ、僕は……あの人を知っていたんだ」

 

 ふと、そんな言葉が漏れる。視界に映るは今まさに少女────過去のベル・クラネル(僕)を踏み潰そうとしていたキメラのようなモンスターと、そのキメラが振り降ろそうとしていた前脚を風よりも早く駆け抜けては貫いている漆黒髪の男児が、映っていた。

 

 右手に握るのは木製の槍。おそらく自作したのだろうソレを、キメラの前脚に突き刺していたのだ。幼いベルへ届かぬように。それ以上前進出来ないよう縫い付けるために。

 

 瞬時、惜しくもなさそうに地面へ縫い付けた方を手放す。と同時にもう一本。左手に握っていた同様の槍を、驚愕の表情を浮かべて硬直していた怪物の下部へ潜り込み、首元目掛けて槍先を突き刺そうとする。

 

 けれど、モンスターも呆(ほう)けてばかりじゃない。動かない右前脚を出血も無視して動かし、巨体に見合わない俊敏さで回避した。そして自由な左前脚を牽制として乱雑に振るって男児を遠ざけ、出来た僅かな時間で右前脚を完全に自由にする。

 

 それぐらい簡単だろう。なにせ見るからにLv.3は有るであろう(普通ではない)怪物だ。そこらの木で作られた槍程度、容易く破壊できて然(しか)るべき。

 

 そして両者は相対した。

 

『凄いよね』

 

 絶対に敵(かな)いっこない。そう思えてしかたない光景を前に、そんな声が聞こえてきた。女の子の声────いや、僕の声だった。

 

『だって、この時の僕って……4歳だよ? だったらこのときって……5歳…………。

 なのに、僕が震えることしか出来なかったモンスター相手に、当然のように立ち向かってる』

 

 となりには、少し前に夢で見た……魔導書(グリモア)を読んだ際に僕に問い掛けてきた『僕』が……いた。

 

 ここは夢の中。年月(としつき)によって沈殿していた記憶の中。出来ることは見ているだけで、手出しなど出来ない事実に苦しむように悔しげに顔を歪めている。

 

『人伝(ひとづて)に聞いたら、絶対に信じられない。だって5歳だよ、5歳。身長だって、今(・)の僕よりずっと低くって、なのに────────』

 

 僕たちが見つめる先では、1人の幼児が懸命に戦っている。5メドル近い体長を持つモンスターを、翼をもつモンスターを飛ばさないように、未だ動けず呆然とするしかない幼いベル・クラネル(僕)を守るように。

 

 槍を何度も振るう。モンスターの体表に傷が付く。だけどそれは小さく、浅く。厚い体毛に隠れてしまう程度には弱弱しい。

 

『だけど──────』

 

 鮮血で地面が赤く染まっていく。男児のモノと、モンスターのモノ。混ざりあって、境界線は存在しない。

 

 鋭い鉤爪を避けるために敢えて前方に出て、裂傷を防ぐ。吹き飛ばされても地面に足を着け、地面に槍を刺して停止を図れば、一気に加速、接近、そして戦闘再開。

 

 オラリオに来てからの戦い方とは、まるで違う。闘争本能を全開にしたような荒々しさが、そこにある。

 

『お爺ちゃんが言ってた英雄みたい』

 

「…………僕も、そう思う」

 

 守りたいモノを守るために。その為だけに、己の全てを懸けて……戦う。傷付くことさえ顧みず。

 

 何度吹き飛ばされても、何度地面に打ち付けられても、年齢も武器の質も意に介さず、戦い続けた。

 

 槍が折れれば、木製の棍(こん)として。

 

 棍(こん)として使えないほど砕けたならば、そこらの石を拾って殴り掛かる。

 

 果てにはモンスターの爪を抉り、ナイフのように振るう。

 

 幾度となく武器を失いつつ、決して折れぬ意志と覚悟で戦い続け、最終的に最初に使っていた残骸と化していた槍の穂先をキメラの胸部に開いた傷跡に打ち込み、体内の奥深くに鎮座していた魔石を砕き……勝利を掴んだ。

 

 純粋なモンスターではないため、そのキメラは魔石を砕いても灰へ還ることはない。その様子を……いつの間にか僕はずっと近くで見つめていた。

 

 視点が変わったのだ。先程の戦いを遠巻きに見るだけだった場所から、この時(とき)、この場所で、呆ける事しか出来なかった小さな僕の視点へ。

 

 次いで思い出したのは、この時の(最悪な)記憶。だから覚めるなら覚めて欲しいと、切に願う。やめて、と自分自身へ。だけどそんな願いは叶わなくて。

 

「────大丈夫か? ……怪我はないか?」

 

 そんな僕の心境も無視して夢は続く。

 

 巨大なモンスターを小さな身なりで倒し切った英雄のような、男の子。

 

 相手は強大なモンスター。一目見ただけで分かるはずなのに、逃げることすらできなかった僕なんかを守るために、何度も攻撃を受けてた。全身至る所から出血して、果てにはあれだけ強大なモンスターを討伐したばかりであるというのにも拘らず、自分のことを後回しに僕の心配をしてくれた。

 

 そんな人に対して、僕は────

 

「…………ッ!?」

 

 僅かに、後退(あとずさ)った。

 

 怖がってしまったのだ。僕は。

 

 助けてくれたのに。

 

 心配してくれたのに。

 

 なのに……、なのに…………そんな僕に対して、目の前の少年は腹を立てるようなことも無く、

 

「…………? ────ッ! あ~……そっか、そうだよな…………、血塗(ちまみ)れはー……怖(・)い(・)よ(・)な(・)」

 

 なんて、寂しそうに自嘲する。

 

 どう考えてもこの人に落ち度なんて無いのに。1人でこんな村はずれにやって来た僕が、逃げることすらできずに震えていた僕が悪いのに……。

 

 突如として起きた怪物の発生と、そんな凶悪な存在をたった1人で倒してしまう光景を見せられ、臆病な僕の心は未だ震えを止められず、顔は強張ったまま、動けない。

 

 謝りたい。今更になるけれど、何もしないなんて、僕自身が許せなくて。

 

 だけど体は言うことを聞いてくれない。当然だ。これは夢の中。あの日、起こったことを思い返しているだけなのだから。

 

 だけど、僕は忘れてしまっていた。この日のことを。

 

『衝撃的なことが起こりすぎたからだろうね……。受け止めきれなかったんだよ、僕は』

 

 夢の中にいる、鏡越しの僕がそんなことを言う。でも、きっと事実だ。

 

 客観的に見れば確かに怖いことの連続で、幼い時に経験すればトラウマ間違いなしの……そんな、恥ずかしい話……。

 

 自分を納得させるための言葉に、胸がキュッと締め付けられるように苦しくなる。

 

 笑い飛ばしたくなんて無い……ナインさんに助けられた事実を、トラウマなんてものには……────、

 

「『ほら、笑おう。唇を曲げるんだ。

 花のようなお前には、涙なんて似合わない』」

 

 そんな時、声変わりの終えてないナインさんの高めの声が、僕の耳に入ってきた。

 

「『僕は笑うよ。

 どんなに馬鹿にされたって、どんなに笑われたって……どんなに絶望したって、唇を曲げてやるんだ』」

 

 それは、時折りお祖父ちゃんが読んでくれるとある英雄譚に出てくる代名詞(フレーズ)。

 

「『じゃなきゃ精霊だって、運命の女神様だって、微笑んじゃくれないよ』」

 

 優しく、ゆっくりと、聞き取りやすい口調で語り掛けられたその言葉に、幼い僕の体はいつの間にか震えることを止め、顔はまるで魔法に掛けられたように頑張って作りましたと言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 

「……! 『──ああ、素敵な笑顔。ずっとそれが見たかった。やっと私は貴女を笑顔に出来た』。

 …………うん、そっちの方が……き(・)っ(・)と(・)可愛い」

 

 そして、そんな未だ硬さの取れない僕の笑顔に対しても、優しく微笑んでくれるのだ。

 

 先程まで締め付けられて苦しいだけだった心が、いつの間にやらポカポカとしたモノへと変わっていた。

 

 今なら分かる……これが、────

 

 ……

 …………

 ………………

 

 その感情の名前に僕が気付くより先に、後方から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

 

 お祖父ちゃんだ。

 

 振り返れば予想通り、僕たち目掛けて全速力で走るお祖父ちゃんの姿が映る。どうしたらそんな速さが出せるのかと思うほどの速度を維持した前傾姿勢で、「ヌオォォォ!」と叫び砂をまき上げながら走っていた。

 

 それがどこかおかしくて、また笑みが溢れ出す。

 

 いつの間にやら体の震えはどこかへ行き、改めて感謝を伝えようと振り返る。

 

 けれど、そこに人影は存在しなかった。モンスターの死骸が転がるだけで、幼い少年の姿はどこにもない。

 

 キョロキョロと見渡しても見つからず、結局お祖父ちゃんが来るまで周りを見渡すことしか出来なかった。

 

 

 ────

 ──

 

 

 結局その後、僕は非常時に家の外に出ていたことを沢山怒られて、挙句熱まで出してしまうことに。

 

 巨大なモンスターに襲われたことで極度のストレスを感じ、精神的に参ったのだろう。当時の僕はそう説明されてもちんぷんかんぷん。

 

 けれど、その間ずっと一緒に居てくれたお祖父ちゃんに、あの人が僕に言ってくれた言葉を言ってみると────

 

「ほお……っ! それは『アルゴノゥト』じゃな。

 儂イチ押しの、人を笑顔にしてくれる──『喜劇の英雄』じゃ」

 

 正直に言うと、それまでの僕は『英雄譚』がそこまで好きじゃなかった。

 

 だって、いつもお祖父ちゃんの『好き』を持って行(い)ってしまうから。

 

『あの英雄がこんな怪物を倒した』

 

『この英雄が攫われし姫を救い出した』

 

 お祖父ちゃんが見ているのは、いつだって本(・)の(・)中(・)に(・)い(・)る(・)『英雄』なんじゃないかって、心のどこかでそう思っていたんだ。

 

 だけど、そうじゃなかった。

 

 お祖父ちゃんなりに僕のことを気に掛けてくれていたんだ。実の両親の顔さえ、名前さえ知らない僕に、笑っていて欲しかっただけなんだって。

 

 笑顔にしてくれるお祖父ちゃんが好きだ。

 

 お祖父ちゃんが読んでくれる英雄譚が好きになった。

 

 そして、それに気付かせてくれたあの人が────

 

『僕は、あの人(英雄)を好きになりました』

 

 鏡に映る小さな僕は、花のような笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

『ねぇ、僕(キミ)はまだ、英雄のこと────好き?』

 

 鏡の中の僕が、話しかけてくる。

 

 答えるまでもない。だってそんなの決まり切っているから。

 

『因みにキミ(僕)は、だーいすき!』

 

 当たり前の答えが返ってきた。

 

 英雄は、好き。祖父に、色んな英雄譚を読んでもらってきた。

 

『────そうだね、今日までいろんなモノを貰って来た。

 そうして今日も、助けて貰(・)う(・)だ(・)け(・)。それで本当に、良いの?』

 

 いつの間にか声は鏡の向こう側じゃなく、僕の隣から。

 

 違う。僕が鏡越しという観客席に移動しただけだ。

 

 鏡の向こう、そこには3つの影があった。

 

 1つは猛牛。先程まで戦っていた相手。いや、戦いにすらなっていなかった存在がいる。

 

 対するは2つの影。ベートさんと、アイズさん。2人が、僕を庇うようにミノタウロスと対峙していた。

 

 頭が混乱する。状況に理解が追い付かない。

 

 2人は武器を構えることすらせず、じっとミノタウロスを睨み続ける。たとえミノタウロスの殺気が飛んでこようとも、微塵も怯まない。むしろ、ただ立っているだけの2人から発せられる威圧感に1歩後退(あとずさ)ったようにも見える。

 

 呆然としながら、2人の背を眺めていた。

 

「蹴り殺してやるよ」

 

「今、助けるから」

 

 その言葉に歯がギシリと鳴った。頭に火が付き、それまで感じていた弱気な感情が一掃される。

 

 激情が全身に走っていた激痛のルートを奪い取って支配していくの感じた。背中に刻まれた恩恵が燃えるように熱を持つ。

 

 一途な気炎が全身を支配した時、恐怖をどうしようもなくちっぽけなモノのように感じた。

 

 惨めであろうと強(つよ)がって、とどまることを知らない想いの丈で無様な体たらくを粉砕していく。

 

(────立て。

 立てっ。

 立てよッ! 

 いつまで寝てれば、気が済むのッ!? 

 同じ時(ぶざま)を繰り返すのは、もう御免だ! 

 助けられるだけの弱い自分なんて、絶対にッ!!)

 

 立ち上がった僕の両脚が地面を強く蹴り付けて前へ押し出してくれる。

 

 鏡という名の境界線だったソコを、だれかを守る英雄と、守られるだけの弱(よわ)っちぃ僕(げんじつ)と理想を隔てる境界を、超えるために。

 

 竦む体に活を入れ、震えも怯えもひっくるめて覚悟を決める。

 

 望遠鏡のようなこのガラス越しは、今日限りで卒業するんだ。

 

『強くなりたいです』

 

 慈愛の女神に誓ったあの言葉を守りたい。

 

『ずっと、一緒だよ』

 

 小人の少女と交わした約束を守りたい。

 

『貴方の隣を、歩みたい』

 

 憧れのあの人へ抱いたこの想いを、叶えたい。

 

 目の前で背を見せる英雄候補。そんな彼らさえ追い付かぬ速度で駆けているであろうあの憧憬の人に追い付きたいのなら、こんなところで寝ていられない。

 

 ここで倒れ伏すだけの僕であっても、きっとあの人は優しく迎え入れてくれるだろう。

 

(けれどッ! そんな軟弱をッ! 僕自身が耐えられないッッ!! 

 だから立てッ! 立てよッ!! 

 ここで立ち上がらなくて、いつ立ち上がるっていうんだ! 

 ────ここで『高み』に手を伸ばさないで、いつ、届くっていうんだっ!!)

 

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

 少女のパーティメンバーであり、ベート・ローガの知り合いでもあるという小人族(パルゥム)に教えられた広間に飛び込んだ2人は、上層では決して目にしないだろう怪物を目撃した。

 

 巨体を誇るミノタウロスよりも更に巨大な牛頭人身。その手には2メドル近い無数に傷の入った大剣を持ち、頭部の片角は歪に捻じ曲がっている。だが、なにより気掛かりなのはその肉体。

 

 尋常ではない程に隆起した筋肉は並の人間がどれだけの歳月を鍛錬に捧げる必要があるだろうか。全身を覆う筋肉は金属鎧のようであり、四肢は鉄塊の如く。

 

 明らかに通常種からかけ離れたミノタウロスの前にうつ伏せに倒れている白髪の少女────ベル・クラネル。

 

 微かに開かれた瞼より覗ける瞳に生気は薄く、空気を求めて鳴る枯れた呼吸音だけが彼女の生存を担保していた。今際の際。その言葉が正しく適用されるだろう状況に、元凶たる鉄製の大剣を装備したミノタウロスへと敵意を向ける。

 

 担いでいた小人族(パルゥム)の少女と只人(ヒューマン)の青年を脇に置き、ベルとミノタウロスの間へ立ち塞がるベート・ローガと寸分早く辿り着いて牽制していたアイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「蹴り殺してやるよ」

 

「今、助けるから」

 

 ベート・ローガは漸(・)く(・)間に合う側に立てたことに安堵を覚え、それを一瞬で迸(ほとばし)る殺意へと変え、一歩踏み出そうと────

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは眼前のミノタウロス相手に仲間を守り、今この瞬間まで生き残っていたことに掛け値なしの称賛と労いの意を胸に秘めて、Lv.5とLv.6(第一級冒険者2名)から発される殺気に怯む猛牛の下へ向かうべく、足を踏み出そうと────

 

 ────した瞬間、ベート・ローガは自身の視界に映った者へ。アイズ・ヴァレンシュタインは自身の手首を掴まれた感触へ、目を見開いた。

 

「…………け、よっ」

 

 ボロボロの体にムチを打ちながら、立ち上がるベル・クラネルの姿があった。

 

「もう、誰かに助けられるだけの僕じゃ……いられないんだ…………」

 

 驚愕に目を見開く2人など気にも留めず、ベル・クラネルは己の武器を拾い、確りと握り締める。

 

「ここで逃げたら、きっと二度と立ち上がれなくなるっ」

 

 その手に握られているのは、短剣と、小剣。

 

「────あの人に追い付くんだ……」

 

 その姿はあまりにも痛々しく、しかし、それでも尚立ち向かう意志の強さが、そこにある。処女雪のように白い頭髪を赤く染めながらも、カーテンのように垂れた前髪から覗く深紅(ルベライト)の瞳には、折れない心を映していた。

 

「あの人の隣を歩むのは、僕だッ!」

 

 ベル・クラネルの宣誓に、1秒1秒、胸の内でそれぞれが抱いた感情が膨れ上がっていく。

 

 ベート・ローガも。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインも。

 

 そして、ミノタウロスも。

 

「【剣姫】も、【凶狼】(ヴァナルガンド)もっ! お呼びじゃないんだっ!! 

 だからどけよッ、【ロキ・ファミリア】ッッ!! 

 ────ここは、僕の道だッ!!!」

 

 決して冒険者としての器ではなかったはずの少女の宣言に、ベート・ローガもアイズ・ヴァレンシュタインも何も言えず、固まるばかり。

 

 ただ1(・)人(・)、ベート・ローガとアイズ・ヴァレンシュタインという圧倒的格上の圧に怯むだけであったはずの猛牛だけが、それを忘れ、焔のように猛(たけ)る少女の決意に対し、まるで唯一にして無二たる好敵手と相まみえたかのように、歓喜に満ちた雷鳴の如き雄叫びを上げる。

 

「────………………吠えるかよ、この状況で……。

 下がるぞ、アイズ」

 

「…………はい」

 

 ミノタウロスが発した落雷のような大気の震えで我に返った2人は、自分たちが部外者なのだと悟り、少女の脇を抜けて、戦場という舞台から降りていく。

 

 弱きを捨て去り、憧憬に並ぶため魂を賭ける。決意を持って殻を打ち破らんとしている冒険者の邪魔など、してはならない。

 

 だから見届けよう。

 

 たった1人の、英雄譚(アルゴノゥト)を。

 

「――――――ッ、勝負だッッ!!」

 

 

 

 

 


 

 ──────次回、『英雄軌道(ベル・クラネル)』

 




 ベルは結構口悪かったりする。Web版とか特に。あっちは瞳の色が青だったりするけど。

 死ぬほど遅れた理由につきましては以下の通り。

・ベル君TSさせたけど差異が特にないなぁ…、せやっ英雄に苦手意識持ってたってことにしよ。男女差はあるやろ。
・祖父のこと好きな人格なのは変わらんし、4歳っていやいや期真っ只中だよな?
・オリ主登場させるのは同じ村だから別段良いとして、劇的な登場させれば性癖捻じ曲がるやろ。
・ついでに伏線置いとくか。
・上記を綺麗に纏められるだけの文才が足りませんでした。

 因みになんですけど『黒髪の槍使い』という要素だけで言うと、こっちもこっちでフレイヤFに似たような人いるんですよね。あのファミリア、性癖のパレードかなにかか?

 なお【幸運】――「此の儂がおる。それに勝る警備は無い」
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