〜第三視点〜
それは、期末テストが終わり少し経った日のことである。狡噛は、学校から伝えられた2週間のクルージングの為に荷物を纏めている最中だった。この時はまだ、無人島でサバイバルなど想像してはいなかった狡噛だが、彼の胸の内には何かが起こるという予感はしていた。
ピンポーン
インターホンが鳴る。狡噛は手を止めて、テーブルに置かれた卓上の時計を見る。
(こんな時間から、一体誰だ…………?)
時刻は既に午後7時を過ぎている。学生寮の門限には後少し時間は残っているが、それでもこの時間から訪ねてくる人間は今までない。狡噛は扉を開ける前に、扉越しで相手に話しかけた。
「誰だ?」
「私だ」
それは、2年B組の鬼龍院楓花の声だった。
「何のようだ?」
「その前にまずは開けてくれないか? このままでは、私は扉に話す変な人間だと思われてしまう」
お前はとっくに変な人間だ、そう狡噛は心の中で思った。扉を開けていいものか迷っていた狡噛だが、仕方なくロックを外し、ドアノブに手を掛け扉を開けた。
「遅いぞ。何をもたついていた?」
「別に……それで、何しに来た?」
「しばらく君と会えないと思って顔を見に来た」
「ならもう十分だろ」
そう言って狡噛は扉を閉めようとする。しかし、
鬼龍院が自分の足を隙間に差し入れ、閉まるのを食い止めた。
「そう邪険にしてくれるな。流石の私も傷付くぞ。
立ち話もなんだ。中に入れてはもらえないか?」
「門限が近い」
この時間、女子生徒が男子寮にいること自体が良くないのに、鬼龍院は飄々としていた。
「真面目だな。私は君よりも一年長くこの学校にいるんだ。規則は分かっているとも。大丈夫だ、長居はせんよ」
「……………」
狡噛はため息を吐いて諦めたように扉を開ける。そして、鬼龍院は満足した笑みを浮かべて「邪魔する」と玄関に足を踏み入れた。
「お茶でいいか?」
「それには及ばんさ。言ったろ、長居はしないと」
部屋に入った鬼龍院は狡噛のベッドの上に座る。
一方の狡噛は、荷物纏めを再開する。自分に目もくれず他ごとをする狡噛にすこしムッとした顔をする鬼龍院。狡噛の背中に話し掛ける。
「聞いたぞ。南雲から生徒会に誘われたそうだな」
「一体誰から聞いたんだ?」
友人と呼べる人間は居なさそうなのに、と狡噛は心の中で吐露する。あの日以降、鬼龍院は何度か狡噛の部屋に押し入っては夕飯を共にしていた。狡噛自身はそれを迷惑している。そして友人関係やクラスでの立ち位置を聞いた。早い話、鬼龍院は常にボッチである。
「本人からだ。あの男、珍しく話し掛けてきたかと思えば、君のことについて色々と聞かれたよ。"お前は狡噛慎也のどこに興味を持ったんだ?" とな」
「それで、アンタはなんて答えたんだ?」
「それで私はこう言った。"奴は獰猛な獣だ" とな」
そう言われて、狡噛は手を止め鬼龍院の方を向く。
狡噛は無意識のうちに目に鋭さを宿していた。
「アンタ、初めて会った時も似たようなことを俺に言ったな。そう思い至った根拠はなんだ?」
「勘だよ。君は普通の学生ではないと、私の勘がそう告げているんだ。まぁ、私がそう言ったら南雲は鼻で笑ってたがな」
それは、ただの勘にしては冴え過ぎていた。鬼龍院の類稀なる直感は、狡噛慎也という人間の本性をほぼ見抜いていると言っていいほどだった。
「!?」
狡噛の纏う雰囲気が一変した。そのせいで部屋の空気が嫌に重たくなる。狡噛の鋭くも冷たく感じる瞳に睨まれた鬼龍院は、まるで鋭利な刃物に刺されたような錯覚を覚えた。
「俺が獰猛な獣だとしたら、アンタはその住処に堂々と、そして無防備に足を踏み入れたことになるな」
一歩近づく。
「………ほぅ、まさか私を襲うつもりなのか? 私の身体に欲情するのは仕方ないとしても、南雲には訂正しておかねばなるまいな。本当は
「顔が強張っているぞ。
それで隠しているつもりか?
座ったままで俺を止められると思っているのか?
悪いが、俺は女だろうと容赦しない」
「私が無抵抗にやられるとでも? この身に触れようものなら、君の股の下にぶら下がっているモノを、二度と使えないよう潰すことになるが」
睨み合う両者。狡噛はさらに一歩近づいた。
その時だった。鬼龍院が勢いよくベッドから腰を浮かせ飛び掛かってきた。予告の通り睾丸を狙いとする鋭い蹴り。その動きは狡噛に読まれて容易く防がれた。だがこれで終わりではなかった。続くニ撃目として鬼龍院は左手でチョキの形をつくり、狡噛の目を潰しにかかった。だがそれも、狡噛の前では無力なものだった。
「容赦ないな、アンタ」
狡噛は鬼龍院の手首を掴んだ。それによって勢いは止まり、鬼龍院の伸びた指は狡噛の目から数cmの距離で止まった。まさに貫かれる寸前だった。
「………見事な反射神経だ。余裕で止められてしまったかな。なぁ、君に捕まった私は、これから何をされるんだろうか?」
なんて言葉を吐く鬼龍院だが、狡噛に掴まれた腕の力を弱めようとはしなかった。狡噛が弱めた瞬間に襲い掛かってくることは明白だった。
「何もしないよ」
狡噛の穏やかな言葉と共に空気が軽くなる。
「私の身体には興味が無いと? こと容姿に関しては他者よりも優れていると自信があったんだが」
「悪ふざけはその辺でいいだろ。ったく、あまり部屋の中で暴れるな。ホコリがたつだろ」
「焚き付けたのは君の方ではないか」
冗談であったと分かってはいるものの、狡噛が何か思いつめたような表情を浮かべているのを鬼龍院は横目に見て、
「君の触れてはならない部分に触れてしまったかな」
「いや………なんでもない」
「そんな顔されて言われてもな」
自分では珍しく反省する鬼龍院。
話題を変えようとコホンッと咳払いを一つする。
「それで、生徒会には入るのか?」
「保留中だ」
「南雲には気を付けろ。あの男は、自分のクラスだけでなく他クラスも掌握しつつある。現に2年Dクラスは南雲の手に堕ちた。この後も勢力を拡大していくだろう。2年全体を手中に収める日も近い」
「それは凄いな」
あの副会長にそこまでの手腕があったとは。
狡噛は素直に褒める。
「君は南雲に目をつけられた。生徒会に入ろうが入るまいがこれから大変だぞ。覚悟しておくんだな。狡噛」
「忠告どうも」
ちゃんと理解しているのか判断が付かない返事に、鬼龍院は少しため息を吐いた。
「………こんな時間に悪かったよ。さて、君が学校に帰って来るまで夕飯はどうしようか?」
「自分で作ればいいだろ」
「それは無理だな。帰ったら連絡してくれ。その日は外で夕飯を共にしようじゃないか」
「おう」
狡噛に見送られて部屋から出て行った鬼龍院。彼女は歩こうとはせず扉の前で佇んでいた。そして左腕を自分の正面に持って来る。狡噛に掴まれた手首には跡が残っていた。まだヒリヒリと痛みを感じる。
「加減を知らんのかアイツは………」
〜神室真澄の視点〜
1回目のグループディスカッションが終わった後、次の指定時間になるまでそれぞれが部屋で休むことにした。今度は呼びに行くと狡噛から言われたので、それまではダラダラと携帯をイジって待つ事にしよう。
「お帰りなさい、真澄さん」
部屋に入って来た私に声を掛けてきたのは、ルームメイトの坂柳。彼女との出会いは最悪で、入学当初に私がコンビニで万引きをしている一部始終を見られ、それが妙に気に入られてしまったのが運の尽き。彼女の手足として情報集めに駆り出されたり、身の回りのお世話したりとこき使われている。
「アンタ何してるの?」
「狡噛君との対決を振り返っていたんです」
チェスの盤に置かれた駒を一つ掴むと、手の中で遊び始めた。
「随分と楽しそうだったわね」
「えぇ。あれほど心躍ったのは、一体いつ以来でしょうか」
「良かったわね」
「はい」
こっちに見向きもしないでチェスに夢中になってる。言っちゃ悪いけど、まるで子供みたいね。彼女にあんな一面があったなんて意外だわ。それにふと、変な考えが私の頭をよぎった。
「アンタってさ……」
「何でしょう?」
「狡噛のこと好きなの?」
馬鹿げたことだと自分でも思った。けどちょっぴり気になってしまった。夢中になってるのはチェスなのか、はたまた狡噛なのか。
「それは、狡噛君を一人の男性として好きかという質問ですか? それなら答えはNoです」
キッパリとした答えが返ってきた。
「でも、アンタが狡噛と接する時とクラスの男子と接する時とでは、結構違うように見えるんだけど。それにほら、部屋に入ることを許してるし」
「彼は私と同じ目線で物事を語ることができる数少ない生徒。特別視するのは当然でしょう?」
私も橋本も鬼頭も葛城でさえも、クラスメイトを駒と見ているのは知っていたけど、狡噛だけは違うってことね。けど狡噛は、坂柳の伝言を命令と受け取っていたようだけど。
「2学期になったら、狡噛君にはより一層働いてもらいます。真澄さん。仲良くして下さいね」
「はいはい」
使い潰す気満々じゃない………
〜狡噛慎也の視点〜
本日2度目の話し合い、その指定時間の10分前となったので、約束通り俺は橋本を連れて神室の部屋をノックし迎えに来た。
「どうも」
扉を開けたのは神室。その隙間から坂柳がコチラに手を振っていたので俺も軽く手を上げる。扉が閉じるまで俺と坂柳は互いに目を合わせていた。
「アンタら仲良いわね」
「普通だ」
「そんなわけないでしょ」
「狡噛は姫さんのお気に入りだからな」
俺はくだらない話を聞き流して指定部屋に向かって歩いていく。追いかけてきた橋本が横に並んで歩き、神室が俺達の後ろを付いてくる。この配置がパターン化されていた。それからは特に会話をすることなく無言で歩く時間が続いていたのだが、
「なんか、集まるの面倒くさいわね」
突然、神室がボソッと言い放ったのが再び会話の始まりだった。
「もうかよ。ちょっと早くねぇか?」
少し呆れ気味で後ろを振り返る橋本。
「1時間だけってのも、ちょっと面倒臭さを助長させてるかも」
まぁ、それは神室と同意見だ。
「そうは言うけどよ…………まぁ、進行役の俺としても喋り過ぎて喉が痛くなってきたところではある」
「それはアンタが無駄に喋ってるからでしょ」
「ヒデェ」
神室と橋本の仲睦まじい会話(言ったら神室が怒る)を耳にした俺は足を止める。
「なら、もう終わらせるか」
「「えっ?」」
二人から抜けた声が漏れ、目が点になった。それが少し可笑しくて俺は口角がうっすらと上がった。
「出来るのかよ狡噛」
「それは橋本、お前の頑張り次第だな」
「俺の?」
「よく分からないけど頑張りなさい」
とりあえず面倒なことを押し付ける神室に、橋本は「参ったなぁ……」と首に手を当てる。
「正直、俺も神室の言う通り面倒だと思っていたところだ。お前もそうだろ?」
「……まぁ、早く終わって楽できるのはそうなんだが、肝心な優待者がまだ見つかってねぇだろ。
つーか、まだ1回しかやってないのに」
「それを今回で見つけるんだ。心配するな。必ず見つけ出すさ」
「言質取ったぜ狡噛」
「任せろ」
〜綾小路清隆の視点〜
午後から再び始まったグループディスカッション。Aクラスは二度の集まりでも話し合いに参加しようとはせず黙り込んでいた。一クラス欠けた状況では満足な話も出来ないため、ただ時間だけが過ぎていった。
停滞した状況。しかしここで、思いもよらない一通の通知がこの場にいる生徒全員の携帯に届けられた。
『戌グループの試験が終了いたしました。戌グループの方は以後試験へ参加する必要がありません。他の生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動して下さい』
『戌』グループの試験終了の通知である。まだ特別試験が始まって1日目だというのに、もう試験を終えたグループが出て来たことに、皆が一様に驚愕の顔を浮かべる。
「『戌』……麻子ちゃん達がいるグループだよね?」
「えぇそうです。まさか………」
皆が携帯を片手にメールを見ていたが、オレだけは違う場所を見ていた。一之瀬と浜口である。二人は互いに顔を見合わせながら、浮かない表情をしていた。
「なぁ綾小路、うちのクラスで『戌』グループって誰がいた?」
隣に座る幸村が話し掛けてきた。
「いや、分からない」
友好関係が狭いオレでは、誰が何処のグループに所属しているのかなど知る由もない。
『戌』グループの結果が一体どれになったのか。Aクラスが話し合いに参加しない以上、結果1・結果2は限りなく低い。ならば結果3・結果4。優待者を特定出来たのか、それとも誤った人物を選んでしまったのか。
「あっ、今ね、『戌』グループのクラスメイトから連絡が来たんだけど、どうやら試験を終わらせたのは、狡噛君みたいだよ」
狡噛が?
「アイツ、勝手なことをしてやがって。葛城さんの指示を無視したのか………!」
町田は拳を握って震えていた。葛城は無人島特別試験で信用を落として失脚したようだが、町田はまだ支持しているようで、その葛城の命令を無視したことに腹を立てていた。
「なぁ町田、『戌』グループって確か狡噛の他に橋本と神室がいたぜ」
「クソッ! 坂柳の犬どもめ……!」
その犬は『戌』グループと掛けているのだろうか。なんてくだらいことを考えてしまったオレ。
「ん、狡噛君って無派閥じゃなかったっけ?」
そうポツリと呟いた一之瀬。
「狡噛ってさ、妙に坂柳と親しかったよな。坂柳の派閥に入ったんじゃないか?」
Aクラスの竹本が町田にそう言う。
「…………………」
狡噛が特別試験で動いた。オレは、狡噛に何かがあったことを察知した。狡噛はオレとは違い、こと勿かれ主義ではない。自ら争いごとに首を突っ込むところがある。
今回の狡噛の行動はなんだろうか。主体的なのか、それとも受動的なのか。もし後者だとしたら、狡噛にもあの男から何らかのメッセージが来たのだろうか。
それともまさか、新たな飼い主ができたのか。一度は首輪が外れた『猟犬』だったが、またすぐに繋がれるハメになった………あの狡噛を飼い慣らす者がAクラスの中にいるのか? 坂柳、さっき町田達が言っていた人物の名前。まさかソイツが狡噛を…………。
「どんな結果になったんだろうな、綾小路…………綾小路?」
「……………」
もし仮に、あの男とは関係なく、尚且つ狡噛が強制ではなく自らの意思で首輪を繋がれにいったのだとしたら、会ってみたい、その主人に。今はそれが気になって仕方がない。
〜狡噛慎也の視点〜
そろそろ2回目のグループディスカッションが終わろうとしている。今度も橋本が進行役を務めて上手く会話を回してくれている。一方の俺は、1回目とは違い会話に最低限参加するだけで積極的ではなかった。
『なぁ、一体何やるんだ?』
『悪いが秘密だ。お前には1回目よりも働いてもらう。口数が少ない奴にも、適当に話題を振って喋らせろ』
『はいはい分かったよ。
だがその代わり、ちゃんと結果は残しくれよな』
『あぁ』
『ねぇ、私は?』
『無い。いつも通り不機嫌な顔でもしてろ』
『……………』
前提条件として、全グループ均等に優待者が振り分けられているのなら、俺・橋本・神室を除いた11人の生徒の中に優待者は必ずいる筈。前回のグループディスカッションでは優待者と思われる人物は7人にまで絞り込めた。
しかし、俺はまだ確実な尻尾を掴めずにいる。もし仮に、運に任せて7人のうち誰か1人を選んだ場合の優待者である確率は約14%。そんな低い数字に賭けるほど俺は馬鹿じゃない。
試験も10分を切った俺達『戌』グループ。
進行役の橋本の口が段々と回らなくなってきた。そろそろ喋り疲れた頃だろう。なら俺は本腰を入れるとしようか。優待者を探しに。
俺は一度、この部屋にいるメンバー全員の顔をぐるりと見渡した。目と耳を働かせ、彼らの表情・声色を分析し情報を処理する。
(……………………)
こういうのには嗅覚が必要だ。この部屋の中でたった一人、自分だけ役を与えられ周囲との見え方が違っている。仲間に優待者だと打ち明けていたとしても、その孤立感は否めないだろう。疑われてはいけない。バレてはいけない。そういった思い込み、強迫観念が本人の意思とは関係なく働くことで表情として現れる、その一瞬を嗅ぎ分ける。
さて勝負は一度きりだ。これを逃したら次はない。
この一回でケリをつける必要がある。なぁに、相手は表情筋が機能していない誰かとは違うんだ。すぐにわかるさ。
俺は目を閉じ深く息を吸って吐いた。
そして、誰もが思いがけない行動に出る。
「あっはっはっはっはっはっ!!」
俺は高らかに笑い出した。部屋中に響き渡る俺の笑い声に、皆がギョッとして俺の方へ一斉に振り向いた。
「ど、どうした? 狡噛?」
橋本含め全員が困惑した表情を浮かべている中、俺は一人、以前廊下ですれ違った金髪生徒の笑い方を思い出しながら笑ってみた。多分似てないなと自分で思いながらも。
「こ、狡噛君? どうしちゃったの?」
突如おかしくなった俺の頭を心配する網倉。
「あぁ、そうか。やっと分かったよ」
ニヤリと笑みを浮かべ、独り言のように喋る。
「な、何が分かったの?」
恐る恐る聞く網倉に対し、俺はこう言い放った。
「俺達の中にいる、優待者をな」
『!?』
驚く『戌』グループ一同。だがその中に一人だけ、驚きと同時にほんの僅かな焦りを見せたものがいたことを、俺は見逃さなかった。そしてもう一人のアクション。それが決定打となった。
「ウソだろ狡噛!?」
「それホントなの狡噛君!?」
「あぁ嘘だ」
「「はぁ?」」
網倉と橋本の声がハモった。
「だが、マヌケは見つかったな」
俺はポケットから携帯を取り出して、ある生徒の名前を打ち込んで学校側に送信する。そして、皆の携帯から着信音が鳴り響いた。
『戌グループの試験が終了いたしました。戌グループの方は以後試験へ参加する必要がありません。他の生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動して下さい』
「え? 終わった………?」
そう誰かが声を漏らした。俺を見ている者、携帯を見ている者と様々だが、皆一様に突然試験が終了したことへの衝撃と困惑から戻ってこれていない様子だ。
ガタッと俺は最初に椅子を引き席から立った。もうここにいる意味はなくなったと、この場にいる誰よりも早く理解している。
「行くぞ」
扉のドアノブに触れる前に後ろを振り返り、橋本と神室にそう伝える。
「お、おう……」
「………………」
橋本と神室は若干の戸惑いを感じつつも、ゆっくりと立ち上がり後を追いかけてきた。こうして『戌』グループの試験は幕を閉じた。それにしても、何てことなかったな。
〜橋本正義の視点〜
試験が終了した俺は、狡噛に何が起こったか説明してもらう為、船の甲板にあるカフェ『ブルーオーシャン』へと足を運んだ。
「「ノンバーバルコミュニケーション?」」
「そうだ。人間は無意識のうちに、言語以外にも様々
なサインを発している。
それが、ノンバーバルコミュニケーション」
狡噛は、コーヒーを口にして一拍置いた後に俺と神室にそう語った。そして続けてこう説明した。
「表情や視線の動き、声のトーンなんかで相手の心の内を解き明かす。怒っているのか喜んでいるのか、冷静なのか焦っているのか。相手を観察することで、言葉以上に相手を理解することが出来る」
「……それで優待者をみつけたのか?」
「あぁ」
「ねぇ誰だったわけ?」
「優待者はBクラスの時任克己だった」
「時任が?」
俺からじゃあ全員が怪しく見えていたのに。
「俺は1回目の話し合いが終わった時点で、優待者と思われる人物を7人にまで絞っていた」
7人? 『戌』グループの構成人数が14人だから俺たちAクラスの人数を差し引いて11人だよな。
「ねぇ、その4人って誰のこと?」
「DクラスとCクラスの石崎だ」
Dクラスと石崎?
「奴らを見ただろ。仲間内でろくに段取りも決めずに集合したって感じだ。その点、BクラスやCクラスはスムーズだった。だからDクラスを狙った。何かボロが出るんじゃないかってな」
「Dクラス………小野寺とか酷く動揺してて怪しく見えたけど」
確かにその通りだ。狡噛が質問してた時の小野寺の慌てようは疑うのに十分だった。
「神室、お前の言う通り小野寺は俺に疑いを掛けられて動揺していたのは事実だ。だがな、俺が見るに小野寺は真面目な性格だ。褒められたら素直に嬉しがるし、疑いを掛けられたら変に動揺して晴らそうとするのは人間としてはよくあることだ。後の王と前園だが、王は見るからに気弱な奴だ。話し合い中も誰かに声をかけられる度に狼狽えていたことから、相手を騙すことは到底出来ない。前園は、拘束されている現状が嫌で早く終わって欲しいという空気が感じられた。それは誰かさんと同じだな」
そう言って狡噛は神室を見る。
「一緒にしないでくれる」
同類にされたことで露骨に顔を顰める神室を横目に俺は後1人について聞く。
「じゃあ石崎は?」
「あれはただの馬鹿だ。疑うまでもない」
「……なるほど」
ズバッと切り捨てたな。
まぁそれには俺も同意見だけどよ。
「残るはBクラスと石崎以外のCクラス。手早く終わらせる為に、俺は一芝居打つことにした。突拍子もないことで相手の動揺を誘い、その無意識のサインを読み取り優待者を見つけることにした」
確かに、いきなり大声で笑うもんだから流石にビックリしたぜ。普段の狡噛からは考えられなかったしよ。
「それで時任のサインを見抜いたってことか?」
「俺が優待者を見つけたと豪語した時、時任の表情が焦りへと変わった。俺にとってはそれで優待者だと決めつけるのに十分な根拠だったが、さらに確実なものとなったのは、時任の隣に座る白波の視線の動きだ」
「白波?」
「皆が俺に目を向ける中、彼女ただ一人が時任を見ていた。いや、見てしまったというのか正しいか。自分でもマズいと思ったんだろう。直ぐに視線を切って俺を見たがもう遅い。ありがたい事に、奴は優待者が誰か教えてくれた。感謝しなきゃな。以上だ」
話し終えた狡噛は、カップを手に取り中のコーヒーを飲み干した。
「…………………」
俺は、目の前に座る男、狡噛慎也のことを甘く見ていたのかも知れない。狡噛の頭が良いのは前から分かっている。授業中にペンを走らせているところは見たことないがテストはいつも満点。先生が部活に入ることを勧めるぐらいに体育の成績はトップだ。それに狡噛は坂柳から一目置かれている。だから只者じゃないと思ってはいたが、積極的に特別試験に取り組む姿勢を見せてこなかっただけに、俺は狡噛を何処かで過小評価していた。
だが、こうして実力を見せつけられて思い知らされた。狡噛は坂柳と共にAクラスを引っ張ってくれる存在だと確信した。間違いない。Aクラスで卒業するのはこのクラスだ。
「それで外したら恥ずかしいわね」
「その時は盛大に笑ってくれ」