無限列車編のその先に。
※本作は『鬼滅の刃』の世界をベースにした二次創作です。
※キャラクターには独自解釈・改変を含みます。
※原作をご覧のうえでの閲覧をおすすめします。
◆ヒロインは名前固定&設定強めのオリジナルキャラクターです(夢主=“あなた”形式ではありません)。
◆「夢小説」タグは広義の意味で使用しています。不快に感じる方はご注意ください。
●7
翌日の駅のホーム。
村人が昨日の祭りについて話しをしている。
「なぁ聞いたか? 昨日神楽を舞ってくれた巫女さんがたいそう別嬪で、隣山の赤龍様が嫁にって言ったらよ。その巫女さんはお不動様のお手付きだったらしくて、ひどい目にあったんだと」
「はぁ? お不動様の?」
「そうそう、赤龍様のとこの茂坊が見たんだとさ。
燃えるような髪で炎刀を持ったお不動様が、赤龍様の御神体も御神木も何もかもことごとく斬り捨てていったらしいぞ」
「そりゃあ、おっかねぇなぁ」
○ ○ ○
「杏寿郎、昨日はちゃんと見てくれていた?」
覗き込むようにしてユリは聞いてきた。
「……」
「何か言ってよ」
「ユリ、それは置いていけ」
彼女の胸元近くにいる赤い蜥蜴を指差して。蜥蜴は俺を威嚇するように唸っている。かなり怒っているようだ。
「可哀想じゃない。こんなに小さいのに」
蜥蜴はユリの指にすりすりと頭を寄せている。
「きっと面倒なことになるぞ」
「……お不動様がついてきてくれてるみたいなので、大丈夫でしょ」
ホームに入ってきた列車に、ユリは勝手に1人で乗り込んでしまった。
「ユリ!」
慌てて後を追う。まったく。どうして彼女は俺の意見を聞いてくれないのだろうか?
連日の神楽の練習で疲れていたのか、ユリは列車に乗り込むとうとうとと居眠りをしはじめた。自分に寄りかからせるようにして、今は彼女の静かな寝息を聞いていると、
『この罰当たりが』
蜥蜴が俺に悪態をついてきた。
『神の社に火を放つとは何事ぞ? 人の身の分際で』
「火をつけたりはしてない。斬ったら勝手に燃えただけだ」
小声で言葉を返す。
『余はお前を決して許さぬ』
「……許さぬというなら、どうするというんだ」
『お前からこの娘を取り上げてやろう』
ユリの身体に貼り付いた蜥蜴の身体を片手で捉え、渾身の力で握りしめる。ぐぇという音と手の中で潰れた感触があった。
しばらくの間、静かになったかと思うと。どこからともなくシクシクと泣く声がする。
『ユリ、ユリや。余を助けておくれ……』
赤い蜥蜴はまた彼女の胸元あたりに現れていた。
『残念だったなぁ。この娘は既に余と契約済み。余の力が戻るまでは助けてくれるそうじゃ。なんと優しい娘だろう』
蜥蜴はちろちろとユリの唇に舌で触れる。再び蜥蜴を握り殺そうとするが、今度はするりと逃げられた。
『なにやら複雑な背景があるようだが。なに、余は神であるがゆえ全てを受け入れよう。一時の懸想も余にしてみれば戯れよ。罰当たりが死んでから、余と永遠を生きような』
「お前は自分を神だ神だと言うが、ユリから聞いたぞ。ただの異邦者だそうじゃないか」
『この世の理から外れたことが出来る者を、お前たちは神と呼ぶではないか。そういうことであれば余は間違いなく神である!』
寝ているユリを起こさないように気をつけながら、俺と蜥蜴の攻防は続いた。
『お前! 余を殺せば殺すだけユリが疲弊するのだぞ!』
「うるさい! お前──」
蜥蜴を握り潰す勢いで、ガッとユリの胸を掴んでしまった。
「!!!」
ユリが驚いて目を覚ます。
そして俺が彼女の胸を鷲掴んでいることに気付くと、片手を握りしめて俺の顔面に拳をめり込ませた。
●8
わたくしは、ずっとずっと貴方様をお慕いしておりました。
いつか貴方が責務を終えて、わたくしを妻と認めていただけるように。
わたくしは努力して努力して努力し続けて、この身を研磨し続けていたのに。
なぜですか? 杏寿郎様。
頑なに婚約を、許嫁という立場をわたくしにいただけなかったのでしょうか?
女性に興味がないのではないか。
そんな風に噂されているとも耳にしました。
わたくしはただ杏寿郎様と添い遂げられれば、それだけで良かったのに。形だけの妻でも良かったのに。
無限列車の任務から帰られてから、急にある女を婚約者だと紹介するようになったそうですね……。
どうしてですか? 杏寿郎様。
わたくしは貴方様をお慕いしております。
お会いしてお話ししたいと申し出ても、決して受けてはくださらなかった。
何通も送った恋文も、婚約や許嫁を断る形式だけの返信ばかり。
杏寿郎様、その女はただの色香で貴方を惑わせているだけなのです。
その女より優れたわたくしを一目見ていただきたいのです。
杏寿郎様、わたくしは貴方をずっと昔から知っているのです。若くして母を亡くし、炎柱にまで努力してなった貴方様には最も努力したわたくしこそが妻として相応しいのですから──。
○ ○ ○
諦めることなど出来るわけがない。諦めることなど許されない。わたくしは教生院夏火。杏寿郎様の妻となるべくして生まれたのです。
「夏火様、杏寿郎様が到着されました」
壁に飾られた親族の油絵を見ながら物思いに耽っていると、使用人が声をかけてきた。
「そう、手筈通りお一人でいらしていますね?」
「はい。お一人です」
笑みが溢れる。ようやく久方振りに杏寿郎様にお会いできるのだ。ご母堂のお通夜以来、一度も顔を見ることの出来ていなかったあの人に。
「杏寿郎様!」
扉を開けてとびきりの笑顔を作った。杏寿郎様はお茶の置かれた席にはついておらず、窓から正門の方を見ていたようだった。
こちらを一瞥し、形式上の礼を返してくれる。
「ご壮健で何よりですわ。
炎柱としてのご活躍も耳に届いております」
笑顔を作りながら近づくが、杏寿郎様の表情はかたい。それにしても聞いていたよりずっと立派な殿方になられていて……胸の鼓動が煩いぐらいに高鳴っている。
「君も元気そうで何よりだ。
ところで例の話については既に決着がついているとは思うが──」
「はい。杏寿郎様がこの人という方と出会われたという話しはわたくしも聞いております。
けれど、杏寿郎様? 約束の時間を前に、1人で会いに来ていただけるなんて、わたくしとても嬉しいのです」
「すまないが、君を喜ばせるためにしたことではない。重い荷物を持ったご老体の家が、偶然この屋敷の近くで、偶然君の家の使用人に声をかけられてしまったから仕方なくこの場にいるだけだ」
「えぇ、ただの偶然だったとしても。わたくしは嬉しかったのですわ」
遠くで門の開く音がした。杏寿郎様の視線はわたくしから窓の方へと向けられる。
こちらへ近づいてくる馬車の中に、そんな顔をさせる人が乗っていらっしゃるのですね──。
「話しは後にしてくれ。迎えに行かねば」
こちらを見ないまま、杏寿郎様はそう声を発すると窓をあけて階下に飛び降りた。
●9
「と、いうわけで今向かっているところは煉獄家を支える御三家の一角を担う教生院家というお屋敷でして」
教生院という屋敷へ向かう馬車の中で、千寿郎とお父様から煉獄家に関する説明を話してもらっていた。
「教生院家以外はなんとか話しをつけて許してもらえたんだが、教生院だけは条件をつけてきてな」
「父上、どういう条件だったんですか?」
「ユリさんと一度お会いしたいということだったんだが……おそらく会うだけでは終わらん。相手は煉獄杏寿郎の妻には自分が相応しいと思うように育てられた女だ。なんだかんだ難癖をつけてユリさん自身に婚約を破棄させようとするかもしれん」
「えぇぇぇぇ!? ……姉上、冷静ですね」
私の隣で千寿郎が驚きの声を上げるが、私がただ話しを聞いているだけなので顔を赤くしている。
「もしくは相応しくない女を妻としたとして、杏寿郎を貶めるかもしれないな。とにかく、これから行く場所には自尊心の強い女がいると思ってくれ」
「姉上、僕も父上も勿論兄上も姉上の味方ですからね。僕ら4人で頑張りましょう!」
千寿郎に両手を握られ、頑張りましょう! と念を押された。
○ ○ ○
この先に煉獄家の皆様と、例の女がいる。
そう思うとドアを開けるのを思いとどまってしまった。わたくしが今感じている気持ちは何なのだろうか、躊躇うのは杏寿郎様のあの横顔をみてしまったからだろうか? ……わたくしは何を弱気になっているの?
わたくしは強い女、煉獄家に嫁ぐために生まれた女、色香で杏寿郎様を惑わす悪女に裁きを与えねばならないのだから!
思い切ってドアを開けた。
槇寿郎様、千寿郎様、そして杏寿郎様が2人?
一瞬、目を疑った。
数回瞬きをしてみると、自分の見間違いであったことに気付く。杏寿郎様の横に立つ女を杏寿郎様と一瞬でも見間違えた自分が恥ずかしい。わたくしはその女を鋭い目で見据え、一歩一歩と近づいていった。
線の細い女だった。それなのに女としての肉づきは良い。その身体で杏寿郎様を誑かしたのだと思うと嫌悪すらしてしまう。
杏寿郎様がわたくしを女に紹介している。
女がこちらに視線を向け、優しげな微笑みを浮かべた。
「な……」
その目には憎しみも憐みもなく、感じるのはただ惹きつけられるような優しい光しかなかった。
微笑んで自身を紹介し、ごく自然にわたくしを褒めこの屋敷を褒め宜しくお願いしますねと言葉を続けた彼女は、
ただひたすらに美しい人であったと表現するしかない。
野山に咲く可憐な花のように、当人が意図して見せているわけではない美しさがそこに完成しているのだ。
……わたくしにとって、最も相手にしてはいけない相手が恋敵なのだと。この出会いで思い知った。
自分がこの日のために考えて計画してきたことが、彼女を見ただけで愚かだと思ってしまうほどに。
同じぐらいの年頃であるはずの彼女と、わたくしの次元は既に遠く違うところにあるように感じている。圧倒的に彼女は強者なのだ。しかも、彼女自身がそれを決して鼻にかけたりせず絵に描いたような清楚な女性といった印象しか抱けないのだから。
それに彼女が口にした橘という家名には聞き覚えがあった。最近、藤の家に名を連ねたかなりの富豪の家だったはず。
彼女から杏寿郎様を取り上げたら、一体どんなことになるのか……あの顔を歪ませてわたくしに恨みごとを言うのだろうか。わたくしは今まで感じたことのない迷いに戸惑っていた。
○ ○ ○
「ご挨拶は上手くいったみたいですね」
流石は姉上ですと千寿郎はユリの横で嬉しそうにしている。
「しかし、直接的な言い方はしてこなかったが今日と明日で花嫁対決のようなことをすることになってしまったぞ。今日はこれから茶道、華道、調理の腕を見せ合うようだからな……調理の腕は確かとして残りの2つは大丈夫なのか?」
父はユリの様子を伺いながらそう言うが。
「茶道に関してはこれから開始時間までに俺が教えます。華道も天人地といった基礎知識さえあれば、ひとまず恥はかかずに済むでしょう」
時間までの休憩と、今日の夜から休む部屋として父と千寿郎に一室。俺とユリに一室ずつあてがわれた。
俺とユリの部屋が遠いのは単純に嫌がらせだろう。
「ともすれば時間が惜しいので」
失礼しますと父と千寿郎に言い、ユリの手を引いて俺の部屋に入った。
「ユリ」
名前を呼んで抱き寄せる。
「口にして教えるには時間が足らん。略式でいくぞ」
こくりとうなづいてユリは目を閉じた。
●10
御三家の見届け人が揃ったということで、茶室に案内された。俺は隊服でも良いとは言われたが、ユリの服装に合わせて和装に着替えている。
「どうだ? なんとかなりそうか?」
父に耳打ちされた。
「俺の知っていることは全て伝えました」
しかし、俺は茶道など鬼殺隊に入ってからは年に一回機会があるかないかといった程度のものだ。夏火のように月に何回も機会があるような者と対等に渡り合えるものではない。本来ただの顔合わせであるはずのこの茶室には、ただの顔合わせとは思えないほどの張り詰めた空気が満ちていた。
結果的に、茶道においてユリは健闘した。
夏火は茶道の流派を普段とはあえてかえてくるという、本来近しい者の集まりではありえないことをしてきたが、近くにいた夏火の心をよんで多少動作の遅さはあったもののそれらしく振る舞っていた。
心がよめるというのも微妙に違うものらしいが、正直な人ほど何を考えているのかがわかりやすいのだとユリは言っていたことがある。その時に俺はどうなんだと聞いたら、ヒミツだと教えてもらえなかったが。
ユリを初めて見た時の見届け人たちの反応もとても良く、茶道の時間が終わってからは囲まれてしばらく楽しそうに話しをしていたようで良かった。
○ ○ ○
華道、今回これが一番ユリと相性が悪かった。
部屋に入って目に入ったのが今朝切られたばかりの花々が並べられているところだったわけだが。
ユリの目から大粒の涙がぼろぼろと出てしまい、咄嗟に手を引いて退場した。
理由は茶道の時間から周囲の声を聞くために限界ぎりぎりまで心をよむ感度を上げていた為に、切られた草花の声を何の準備もなく大量に浴びせられて涙が出てしまったのだという。
俺が状況を予想してユリに伝えていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないが。
突然泣き出したユリを見て、どう思われただろうか……こちらを窺っている気配と視線を感じる。ここは不安になって泣き出したということにしておこうと、
「ユリ、大丈夫だ。俺がついてる」
言いながら身体を抱きしめた。
使った花はそれぞれの部屋に飾っておくということになり、夏火とユリでふたつの生け花が完成した。
夏火は王道の仕上がりで、ユリは基本はおさえてはいたものの普通そうはしないだろうという仕上がりとなっていた。
終わってからどうしてそうしたのか聞いたら、草花の意見を尊重したのだと言っていた。
○ ○ ○
調理対決。2人が作ってきた料理を俺が食べることになった。
夏火が作っものを先に食べることになったこと、後からユリの料理を食べようとしたところ。
『お前』
懐から声がした。例の蜥蜴である。
『ユリの作ったものに吐き気を催す毒物が混入されてしまっているらしい。余はお前がここで吐こうが料理が食えまいがどうでも良かったのだが。ユリに頼まれてな。仕方なくじゃ。仕方なくユリの力を中継してやる。ありがたく思えよ』
ユリの力で毒が無効化される。
夏火が作ったものもうまいと言えばうまかった。
だが、ユリが作ったものの方が煉獄家の味だった。それはそうだ。ユリはまだ母が生きていて調理していた頃の記憶を俺とユニゾンしている時にみているのだから。
「どちらもうまい! だが家の味はユリの料理だ」
俺がそう言うと、夏火は悔しそうに表情を歪めた。
ただの顔合わせということで、承諾したがやはり夏火はユリの足を引っ張りにきている。それがどうしても気にいらない。
「夏火、良ければ君もユリの作ったものを食べてみたらどうだ?」
と、つい口に出して言ってしまった。
俺が平気な顔で食べているので、毒物の混入は失敗したのだろうと判断したのか夏火は言われるままにユリの作った料理を口にした。
当然、解毒もできない者がそれを口にすれば……それではと見届け人たちが今日の締めの挨拶をし始めたと同時に、夏火は口元をおさえて足早に会場を後にしていた。
●11
夏火の自室にて。
「一体どういうことですの!」
世話係の侍女を怒鳴りつける。
彼女の作ったものには明らかに毒物が盛られていて、一口食べただけでわたくしは強烈な吐き気をもようした。
退席した後に解毒薬がすぐに渡されて、今はもうなんともないが。あんな吐き気を微塵も感じさせず杏寿郎様はよく食べていたと本当に感心してしまう。
「申し訳ごさいません! 奥様からのご命令で、私たちも仕方なく行ったことでして」
「茶道の流派を突然かえたのも母の命令だとでも?」
「その通りでございます……」
「危うくわたくしも失態を見せるところでしたわ」
「いえ、お嬢様はよく出来ていらっしゃいました」
「本心からそう言える? 彼女の所作の方が優雅で気品があったでしょう?」
「……」
侍女は気まずそうに俯く。
「他に母から何を言われているの? 今ここで全て話しなさい」
「実は……これからそれとなくお嬢様を杏寿郎様のお部屋に誘導して──」
既成事実を作るべく杏寿郎様に強力な媚薬を盛ったと、侍女が口にした時は目眩がした。
そして母がわたくしをまったく信用せず、ただ杏寿郎様の妻に収まればいいと画策していることが腹立たしくて仕方なかった。
侍女に解毒薬を持ってくるように命じて、部屋で待っていると庭師の正二が珍しくわたくしの部屋までやってきたことを使用人が伝えてきた。
今はもう夜遅い時間だ。庭師がわたくしの部屋に来るような時間ではない。明日にするように言ったが、どうしてもというので使用人と一緒に話しを聞くことにした。
「どうしたの? あまりゆっくりしていられないの。手短にして」
「へ、へぇ。あの……ユリ様のことで、何かあったら報告するよう言われてましたので」
正二は彼女のことで何か話しがあるらしい。少し興味を持った。
「彼女がどうしたの?」
「朝、今日使うって言われてオラが用意した庭の花を持ってきまして。どこに咲いていたのか教えてほしいといわれたのす」
「華道用に用意した花のことかしら? それで?」
「それぞれ植わってたところをお教えしていったんですが、ユリ様は持ってきた花をそれぞれ植えていきましてね。そんなことしてももう元には戻らねぇよってオラは言うたんですが。しばらくそのままにしてくれっていうんで」
「はぁ? それで?」
「一通り案内して、最後にユリ様はここの草花はみんなオラに感謝してますねって。ありがとうと言ってますよとおっしゃって戻られたんですが──」
正二は何が言いたいのだろう? 彼女が変な言動をしていたとわたくしに報告したかったんだろうか。
「そんで、オラはユリ様の植えてったやつを回収しようと思って庭に戻ったんす。どうせそのままにしても枯れるだけなんで。そしたらお嬢様、ユリ様の植えた切り花は全部根っこをはやしてまして。
ユリ様は一体何者なんですか? オラに話しかけるにしても、嫌な顔ひとつせずちゃんと目をみて話してくれました。草花がありがとうって言ってたってのも、本当のことなんじゃねかなってオラ思ったんです。お嬢様、あのお方が何者なのかオラに教えてくれませんか?」
「そんなこと、こっちが聞きたいですわ!!!」
思わず正二にも声を荒げてしまう。
すみませんすみませんと謝る正二に声をかけようとしたところで、
「お嬢様! お持ちしました!」
侍女が解毒薬を持ってやってきた。
「正二、わたくしも彼女については杏寿郎様が心に決めた人だということしか知らないのです。怒鳴ってしまって悪かったですわね。今日のところはもう部屋に戻って休みなさい」
わたくしは侍女の差し出した解毒薬を手にすると、杏寿郎様がお休みになられている部屋へと走った。
●12
夜、杏寿郎にあてがわれた客室にて。
「そこで何をしている」
気配を感じて暗闇に声をかける。寝汗がひどく、身体が興奮状態にあることがわかった。
「お声をおかけしても、お返事がなかったので……」
返ってきたのは夏火の声だ。
「こんな夜更けに男の寝所を訪問するなんてどうかしている……夕食にまで何か盛ったのか?」
「いえそんな──わたくしではありません」
「使用人がしたことだって、命じたのが君なら君のしたことだぞ」
「わたくしの母が、わたくしを思ってしてしまったことではあります。だからここに解毒薬をお持ちしました。受け取っていただけますか?」
夏火の声が近づいてくる。ベッドの脇にしゃがんで小さな小瓶を両手で捧げるように渡そうとするが。
「不要だ」
「え?」
「君は一体何を考えている?」
どうしても夏火の言うことが信じられなくなっていた。
「わたくしはいつも貴方の……杏寿郎様のことを考えています」
「本当に……そうだろうか?
ユリは俺が妾になれと言えば従ってくれるだろう」
以前、夏火の母親からの手紙に書かれていたことを思い出す。手紙には正妻に夏火を選んでくれれば、妾は好きにしてくれて構わないと書かれていた。
「!?」
「しかし、そのように彼女が従ってくれる理由を、君はわかるのか?」
「……」
「彼女は何より俺を想ってくれている。自分がどのように扱われても、俺が幸せならばそれでいいと思ってくれているんだ。
そんな彼女だからこそ、俺は共にいたいと思えた」
俺は夏火のいない方からベッドを降りると、窓を開けて窓枠に足をかける。
「夏火、君とは夫婦にはなれずとも友にはなれるのではないかと思っていたが……俺の勘違いだったようだな」
○ ○ ○
早くユリに会いたい。
その一心で窓から木に、木から木に飛び移り彼女の部屋を目指した。
窓際にユリの姿を見つけて、窓枠に飛び移る。
その音でユリも気付いてくれて、気を使いながら窓を開けてくれた。
「大丈夫? 驚いた。ちょうど杏寿郎のことを思っていたの」
ユリは俺をみて少し照れたように微笑む。窓枠を乗り越えて彼女の部屋に入る。
……先ほど夏火に同じことを言われたのに、なぜこれほどまで込み上げる気持ちが違うのだろう。
「俺もだ。俺もユリのことを考えていた」
足早に近づいて抱き締めた。
「どうしたの? 身体が熱いよ? また変なも──」
彼女の唇を自分の唇で塞ぐ。突然のことで、ユリは身体を強張らせる。
「むっ!? な、なに? どう──」
背けた顔を顎を引いてこちらを向かせ再び唇を重ねた。そして離れようとするユリの身体を抱きすくめるようにして抱き上げ、ベッドの上に押し倒す。貪るように唇を重ね続け、彼女の服の下に手を入れ──
「解毒っ」
俺に手をかざし、癒しの力を行使しようとする彼女の手首を掴んでベッドに押し付けた。
「このままでいい」
顔を紅潮させたユリはなぜ? と表情で問うてくる。
「薬のせいか、いつもより具合がいいんだ。
これなら、あの頃とまでいかなくとも……君をより近くに感じられる気がする──」
肌を触れ合わせるだけで、痺れるような心地良さを感じた。
「杏寿郎はどうしてあの頃にこだわるの? そんなに今が不安なの?」
「……」
「いいよ。杏寿郎の好きにしていい。それであなたの心が少しでも晴れるなら、私は嬉しいもの」
ユリは俺に微笑みかけてくれる。
そうして俺は、今日も彼女の優しさに縋るのだ。
心地良いぬくもりに身を任せ、それでも満たしきれない虚を感じながら──。
【暗転】
事を終えて、ユリを向かい合うように抱きしめながら横になっていた。
「ユリ、起きているか?」
腕の中のユリが顔を上げてこちらを見る。
「君と共にいて、わかったことがある」
「?」
「ユリは俺が君を思うように、俺を思ってはくれていないということだ」
「どういうこと?」
「俺は君が他の誰かのものになってしまったら耐えられない。しかし、君は俺が幸せであればと諦めてしまえるだろう?」
「……」
「以前、ただ一人と言ってくれたことは嬉しかったし。その言葉を疑ったりしているわけではない。
けれど諦められないか諦めてしまえるかでは、やはり違うと思うんだ──」
ユリの身体を強く抱きしめ、彼女の耳元に口を寄せる。
「今から君に言うことをどうか許して欲しい。
思っていれば君には悟られてしまう。だとしたらまだ口にする方が誠実だと思って言う。
明日の夏火との勝負、俺のために勝ってほしい」