無限列車編のその先に。
※本作は『鬼滅の刃』の世界をベースにした二次創作です。
※キャラクターには独自解釈・改変を含みます。
※原作をご覧のうえでの閲覧をおすすめします。
◆ヒロインは名前固定&設定強めのオリジナルキャラクターです(夢主=“あなた”形式ではありません)。
◆「夢小説」タグは広義の意味で使用しています。不快に感じる方はご注意ください。
●16
事は少し前。蟲柱の胡蝶しのぶが珠世の研究室に出入りするようになった。そこにユリが手伝いたいと同席するようになり、来るべき時に向けた研究は難航する時はあれど順調に進んでいる。
しのぶさんが少し考えさせてくださいと席を外してから、私は彼女にすかさず声をかけた。
「どうしてあんなことを?」
彼らにとって柱になるということは特別なことだということを、鬼である私でも理解できる。
才能のある者であったとしても、楽になれるものではないはずだ。
「だからよ」
彼女もそれを理解していて、蟲柱を辞めることをすすめたということか。
「珠世は知っていた? しのぶはずっと藤の花の毒を飲み続けて、身体全体に藤の花の毒が行き渡っている。身体そのものを毒にかえるということは?」
「……自分の身を犠牲にということですか」
「そう。
珠世もしのぶも似たようなところがあるわね。あなただって出来上がった毒を自力で無惨に使おうとしていたようだし」
見透かされたように言われて口ごもる。
「もし私がいなかったら、そうするしか方法がないことでもあなた達には私がいるのだから、もっと頼ってくれていいのよ」
長く生きてきて、私は老人を前にしてさえ自分より年上の相手をしているとは思えなくなっていたけれど──彼女を前にすると少女だった頃に戻ったようだ。
「柱であることを辞めることをすすめて、仮にしのぶさんが受け入れた場合どういうことになるのですか?」
「そこまで説明が必要?」
「えぇ、納得できる理由がなければ承諾してもらえないでしょう?」
しのぶさんが退席した方向に視線を向ける。彼女だってまだ壁一枚隔てた向こう側にいることは気付いているはずだ。
「あなた達の作り出す毒をより強力なものにするの」
「それはどのように?」
「呪いよ」
「呪い、ですか?」
また彼女の印象からは、かけ離れた言葉が出てきた。
「何? 意外だった?」
「えぇ、少し」
「私にとって幸せを願うことも、不幸を望むことも同じことだから」
「そうなのですか?」
だいぶかけ離れたもののように感じるが、彼女にとってはそうではないらしい。
「どう影響を与えたいか、という違いなだけだからよ。
蟲柱を辞めるということは、命を犠牲にする以上の呪いにすることが出来るわ。
辞めることの悔しさや、鬼に対する憎しみを持ったままのしのぶが生きて存在し続けることが重要なの。
──ただ蟲柱を辞めることを了承してもらうだけでは足りないから。肺の細胞を使わせてもらって、物理的に呼吸が使えないことになるわね」
そう言う彼女の横顔がひどく美しく、残忍な様子で私は思わず息をのんだ。
「私が恐ろしい?」
「いいえ、まさか」
「私たちは本来もっと恐れられる存在だったのに。
まったくあの人は──」
この場所にいないあの人のことを思っているのか、彼女が顔を綻ばせる。その表情だけは彼女の年若い容姿相応のものに見えた。
○ ○ ○
蝶屋敷への帰り道。ユリさんと珠世さんが話していたことを繰り返し思い出していた。
私が蟲柱であることを辞めれば更に毒が強化できる……自分の意思で柱を辞める事など考えたこともなかったから、色々な感情が渦巻いて足取りが重くなる。
「胡蝶」
「──冨岡さん」
「帰りか? 送ろう」
「あら、お優しいんですね。ですが、結構です」
ぐいと腕を掴まれて横並びに歩きはじめることになった。
「聞こえました? 結構ですと、私はお断りしたんですよ」
「……先ほどからずっと声をかけていた男が、無視されて続けて苛立ってきているようだったから」
言われてみると、確かに誰かに声をかけられていたような。
先ほどまで自分たちがいたところに素行が悪そうな男がいて、こちらに向かって何かを言っていた。
しかし、無意識とはいえあの程度の男ならあしらえたはずだが。
「余計なお世話です」
「そうか」
掴んでいた腕を離して、冨岡さんは背を向けて歩いていってしまう。
「冨岡さん?」
「余計な世話だと言われた。ならばこれ以上は関わるまい」
と、真顔でそのように言うのだ。
「はぁ、食事に誘いたかったのなら最初からそう言えば良かったのではないですか?」
冨岡さんが任務帰りにたまたま私を見かけて、食事に誘いたかったとそういうことにして私は冨岡さんと並んで歩いている。冨岡さんは無表情のままだ。
「──冨岡さんは、私が柱であることを辞めるといったらどうしますか?」
表情はかわらない。しかし、僅かに驚いたような雰囲気が伝わってくる。
「どうもしない」
「それはそうでしょうけれども。
では、どう思いますか?」
「悪いことではないと思う」
「それはなぜですか?」
「俺とは違うからだ」
「は?」
またこの人は言わなければならないことが言葉になっていない。
「冨岡さん、ちゃんと気付いてます? また言葉が足りてませんよ」
「……」
しばらくの沈黙の後に、
「俺は戦うことでしか人の力になれない。しかし、戦うことすらまだ人より優れていると思うことが出来ないでいる。
胡蝶は俺とは違う。柱として戦う意外にも人の力になることが出来る。それは胡蝶にしか出来ないことだ」
じっと顔を覗き込むように言われて、
「な、なにを言い出すんですか冨岡さんのくせに」
気まずくなり視線を外す。
「理由もなく胡蝶が柱を辞めることなどないだろう。辞めるというのなら、よく考えて、納得して口にするのだろうから俺が否と言うはずがない」
冨岡さんのくせに。
私の何を知っているというのか。
それでも私は冨岡さんが口にしてくれた言葉が、とてもあたたかく感じたのだ。
「今日は私が奢ってあげましょう」
「必要ない」
「あらあら、どうぞ遠慮なさらず。いつもお世話になっていますからね。ほんのお礼の気持ちですよ」
「──なら」
蝶屋敷に戻って鮭大根を作ることに。
綺麗に平らげられた皿を片付けながら、ふと珠世さんの研究室を後にしてからのもやもやがなくなっていることに気付いて小さく笑った。
●17
ユリが炭治郎と義勇で猗窩座を迎え討てと言われた時に、炭治郎は狛治の方を見て驚くと同時に動揺もしていた。
彼は既に狛治の過去を聞いており、その時に涙を流して共感していたから。
「炭治郎、よく考えなさい。
あなたは狛治と会うことになったから過去を知ることが出来た。
──けれど、普通ならあなたはここで初めて杏寿郎を亡き者にした鬼と再戦するのよ」
ユリにそう言われて表情が引き締まる。
「彼女の言う通り、これから戦う相手は俺ではない。強者と戦うことでしか存在し続けられなかった鬼だ。
あの夜明け前に、日輪刀を投擲し逃げるなと言った時の気持ちを思い出してくれ」
狛治にまでそう言われて、炭治郎は笑った。
「はい! 俺は勝ちます! 煉獄さんのためにも、狛治さんのためにも」
「……あなた1人で戦えというわけではないから、あまり気負わないで。冨岡さんもいるし、狛治だって自身と戦いたい気持ちはあるわよね?」
狛治が頷く。
「なら俺はここで足止めをします!」
鼻息荒く炭治郎が言う。
「そこまでせずとも、勝てるなら勝ってしまっても構わないだろう?」
そんな炭治郎の頭に手を置いて俺は言った。
「あぁ、構わない」
狛治は穏やかに笑って言う。
もう彼は鬼であった頃の自分に執着するような感情を持ち合わせてはいないからだ。
○ ○ ○
「いーやーーー!? なんなのここ!? どこもかしこも鬼ばっかりーーー!?」
善逸と落ちた先は、まさに複数の鬼に囲まれた場所だった。
背中合わせに戦うことも考えたが、なにしろ数が多く場所を移そうと移動する先に必ず何らかの鬼がいて、追いかけられる鬼の数がどんどん増えていく。
「おい! いい加減、その大声をやめろ! 鬼がこうして集まってくるのも、その声のせいじゃないのか?」
「そ、そんなことないし!」
鎹鴉がこの床も壁も天井も全てがでたらめなこの場所を飛び回り、鬼を倒せと声を上げていた。
「──覚悟は、まだ出来ていないのか」
「覚悟って!?」
「鬼と戦う覚悟だ」
あの夜、お前はどこからともなく現れて俺を助ける為に刀を振った。泣き虫だったお前が、泣き言を口にすることもなく──。
「覚悟なら、もうとっくにしてるさ」
俺はただ逃げ回っていたわけではない。
──俺たちにとって都合の良い場所を探していた。
何処までも続く直接の道、追いかけてきた鬼たちは列をなして。振り返り様、善逸は身構えて踏み込んだ。
雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃
一閃を受けず生きながらえた鬼に追い討ちをかける。
雷の呼吸 弐ノ型 稲魂
善逸を追いかけようと背を向けた鬼の首を狙うことは容易かった。
「壱ノ型しか使えない単純な奴」
「壱ノ型も使えないのは基本がなってないからだろ」
まだ鬼の数は多かったが、再び霹靂一閃で戻ってきた善逸と憎まれ口を言い合う。軽く拳を合わせて。
「気付いているか?」
遠く助けを呼ぶ声、微かに血のにおいもする。
「あぁ」
同じようにこの場所に連れて来られて、鬼にいいようにやられている奴がいるらしい。
「先に行け」
「なんで!?」
「ここにいる鬼たちをそのまま連れて行くわけにはいかないだろう。
それに早く走ることならお前の方が向いてるからな……もし倒せないような鬼が相手だったら、その足で逃げ回っていればいい」
「はぁん!? 倒せます! 俺だって煉獄さんや狛治さんに稽古つけてもらったんだからな!」
周囲を囲む鬼が、一斉に飛びかかる機会を待っているようだ。
「行け!」
俺が善逸の足場になった。踏み込む瞬間に全身を使って善逸を上に飛ばす。
三階ほどの高さのある上階まで手が届いた。
「獪岳! 死ぬなよ!」
善逸は無事に上の階に移動出来た。
姿が見えなくなる。
「──さて、これでようやく本気が出せる」
雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟
広範囲の斬撃で、周囲にいた鬼を蹴散らした。
粗方周囲の鬼を切り倒した後に、一匹の生き残った鬼の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「おい、お前──上弦の壱がいるところまで俺を案内しろ」
●18
「よく生きていたものだ。お前のような弱者が」
炭治郎の名を口にしながら猗窩座が突進してくる。初撃は炭治郎。勢いよく突き出してきた猗窩座の右の拳を火車という技を繰り出す動きで躱し、背後に回り込む勢いで猗窩座の左腕を付け根から斬り落とした。
振り返り様に頭を狙った攻撃を幻日虹で避ける。
──強くなった。
冨岡も炭治郎の戦いぶりをみて、思うところがあるようだ。
術式展開──。
「さぁ、始めようか。宴の時間だ」
猗窩座の足元に雪の結晶を模した術式が広がる。
ある日の鍛錬の終わりに、狛治と会話したことを思い出す。
「君の技の造形は、なんというかとても繊細なところがあるな」
「?」
「雪の結晶といい、花火といい」
狛治は黙り込んで俺に背を向けた。
「それはそうよ。
だって狛治の技はこ──」
「ユリ!」
様子を見に来たユリがにこやかに何か伝えようとしたところ、狛治が慌てたように言葉を遮る。
「別に隠しても仕方がないじゃない。
本当の理由以上に、納得できる言い訳が出来るのなら話してみて」
「……」
狛治は困ったように視線を彷徨わせると、音もなく姿を消した。
「何か知られたくないような内容なのか?」
「そうね。どちらかといえば恥ずかしいことなのかもしれないわ。でも狛治の過去については、あなたも既に知っていることだし理由を知るのも時間の問題と思っていたけれど」
「ふむ」
顎に手をやり考える。狛治の想い人の名はなんと言ったか──。
「恋雪」
そう。恋雪、自分の中にある監視者の力の中から過去の世界の記録を探っていく。ユリから指導を受けていたので、幾分楽に内容を確認することが出来た。
狛治についても過去を生きた人としての記録が残っている。
分厚い本の中から、彼にまつわる情報を集めた。
「そうか。彼の技の由来はここか」
彼女の髪には雪の結晶の髪飾りがついている。
そして、彼女と花火を見上げている2人の姿が──。
「……技を完成させたのは鬼になってからなんでしょうけれど。当時は失われていた記憶が影響したようね」
いつの間にかユリはすぐ側まで近付いてきていて、腕をまわして抱きついてきた。
「まだ汗も流していないのに。汚れてしまうぞ」
「私は気にしないわ」
「……」
抱きしめ返すと嬉しそうにしている。
「たとえ記憶を無くしても、そういうこともあるのだな」
「記憶がなくなることはないわ。何かの理由で忘れていてもずっと残るものだから──」
「杏寿郎は、あの夜死んで良かった」
不意に自分の名を呼ばれ意識を向ける。猗窩座は炭治郎に向かってにこやかに言葉を続けていた。
炭治郎が怒りを露わにする。
「炭治郎、言わせておけばいい」
信じられないという表情でこちらを凝視した猗窩座が、
「杏寿郎!? 生きていたのか!? あの負傷で生きながらえることが出来るとは、やはりお前は鬼に──」
「ならない。それに君は先ほど俺が死んで良かったと言っていたではないか」
「あの夜に死ぬような者であれば死んで良かったということだ。実際お前は死んでいない。ならば話しは別だ。
そこの炭治郎と同じくお前も目を見張るほどの成長を遂げている。一体どんな鍛錬をした! 教えてくれ杏寿郎!」
○ ○ ○
あの夜と同じように拳を強く握りこみ、地面を蹴って距離を詰める。
杏寿郎がこちらを一瞥するのと同時に、全身を切り刻まれるような感覚を受け両手で首を押さえて後ろに距離を取った。
何が起きたのか理解が追いつかない。
杏寿郎は刀を抜いてすらいないのに──。
「どんな鍛錬をしたのか、聞いたな。ならばこたえよう。俺はある男に出会った。君のように拳で戦う道を選んだ男だ。はじめは彼を受け入れられなかったが、彼の過去を知り今は共に歩み寄ることが出来たと俺は思っている」
その男とお前は高みを目指したのか! 歯を食いしばり自分が狂おしいほどに嫉妬の感情を抱いていることに気付く。
「限られた人としての生涯の中で、そんな相手と知り合えたとは幸運なことだな」
「あぁ、普通なら叶わないことだろう。
猗窩座」
改まって杏寿郎が俺の名を呼ぶ。
「なんだ?」
僅かに目を細め、低くよく通る声で。
「君の死が、ここに来るぞ」
●19
鎹鴉に呼ばれ、産屋敷の別邸にやってきていた。
杏寿郎に産屋敷邸襲撃の報が入るのとほぼ同時であったことから、こうなることは既に決まっていたことのようだ。
「元鳴柱殿、ご壮健で何よりです」
元鳴柱、桑島慈悟郎殿の姿を見かけて深々と頭下げる。輝利哉様の護衛を俺と慈悟郎殿で担当することになっていた。
「堅苦しいのは無しにしようや。同じ柱として共に戦った仲だろう」
「はい」
慈悟郎殿は俺が鬼殺隊に入隊した頃に柱となった人で、同じ柱になった時も柱の中核を担っていた為に昔も今も雲の上の人という印象が消えずにいる。
「それに片足もない老い先短い爺に、壮健という言葉は皮肉にも聞こえるな」
「いえ、そんなつもりは──」
「……冗談だ」
縁側で2人距離を置いて座っている。
「こんな紙きれ一枚で戦況がわかるとは、戦い方もかわったものだ」
鬼の作った札を手渡されていた。慈悟郎殿は珍しそうにその札をかざして見ている。
「はい」
「なんじゃ、堅苦しい。わかったわかった。では儂も昔のように話すのはもうやめておこう」
「はぁ」
「お前さんとは御令室の葬式以来か。ご子息の結婚祝いには顔も出せずに申し訳なかった。この歳になると祝い事の席はつい足が遠のいてしまってな」
「いえ」
「にしても一時は酒に溺れ腐ったと聞いていたが、よく戻れたのう。四肢の欠損もなくまだ戦える余力を残して引退したのは育手になるためと思ったが──」
「……期待に添えず申し訳ない限りです」
「先ほどから辛気臭い顔をして。
絶望に打ちひしがれても、こうして戦いの場に出向く覚悟が今あるのなら何も問題ない。儂らはそうして戦ってきただろう」
「──はい」
「知っているだろうが、儂は引退後に育手になってな。何人も送り出しはしたが、今では弟子も2人にまで減ってしまった。
いや──2人でも生きていてくれているなら良い方か。
お主にな、会う機会があったら一度聞いてみたかったことがある」
「なんでしょうか?」
「手塩にかけて育てた実の息子が、柱になるというのはどんな気持ちだ?」
「……」
「……」
「──杏寿郎は、自らの努力で柱まで上り詰めました。
私がしたことなど、ほんの些細な事をまだあれが幼い頃に少し教えたぐらいで」
みっともない話だ。俯き両手の拳を握る。
「儂は子宝には恵まれなくてな、実の子供を育てたことがない。だからか知らんが、取った弟子は皆我が強くなる。
してやったと思えることは多くなく、時に情けなくもなるのだろうが──お主の生き様を見て影響は受けているだろうよ」
そう言って慈悟郎殿は笑ってみせた。
「今の炎柱は夫婦で柱をやっているとも聞いたな。
なんでも光の呼吸の使い手で格闘家と共に2人でひとつの柱だと聞いたが。
昔と今とでは変わるものだな。何が何やらじゃ。
──だが変化があって、今があるなら是非もない。
2人の弟子も最近ようやく打ち解けてな。憎まれ口を言い合いながらでも共に鍛錬しているらしい。もしもどこかの誰かが2人に変化を促してくれたのであれば、恩義には礼をもって返したいものじゃ」
変化を促したと聞いて、思い浮かんだのは微笑むユリの姿だった。いやまさかそんな。しかし、酒に溺れた自分がいつの間にか変わっていたのは彼女に会ってからだが。
「今は無事に帰ると信じよう。そして儂らには儂らがやらねばならぬことを成そう」
○ ○ ○
「君の死が、ここに来るぞ」
杏寿郎は確かにそう言った。
俺の死? 何を言っているのか──。
再び身構えて殴りかかろうと思った。
刀を抜かずにあれだけの殺気を放つことが出来るなら、あれほどの傷を負って回復するのなら、杏寿郎には今まで以上の期待が出来る。
その時、ドンと大地が揺れた。
土煙で僅かな間、視界が遮られる。
俺と杏寿郎の間に1人の男が降り立った。
その道着を着た男に何か奇妙な既視感と違和感を感じると同時に、心臓を直接掴まれたような胸の痛みを感じて急速に鼓動が速くなる。
腰に刀は見当たらない。
「刀を持たない鬼狩りか、何かこだわりがあるのか? なかなか面白そうだ」
笑みを浮かべて話しかけるが男の表情は変わらない。冷たくこちらを見据えている。
男の闘気は杏寿郎と似た印象を受けた。
この男が杏寿郎が共に高みを目指した男だと判断して間違いないようだ──。
「俺は猗窩座、お前の名は?」
その言葉に、男は微かに笑った。
「──俺の名をお前は知っているはずだ。
しっかりと思い出すといい」
術式展開 往相回向
杏寿郎の炎を思わせる色の術式が、男が踏み込んだ足下から広がっていく。
「俺の善行功徳を持って、お前を冥土に送ってやる」
●20
ある日の炎柱邸、中庭。
洗濯物を一通り干し終えて空を見上げる。
どこまでも続く青空に、あたたかな日差し。
目を閉じていると声がかかった。
「気持ち良さそうね」
目を開いて声のした方を見ると、椋寿郎を抱いたユリがいる。
「お疲れ様。手伝ってくれてありがとう」
「いえ」
不思議な人だ。彼女がいなければ俺はここに存在しない。
「どうしたの?」
「俺はあなたに救ってもらって、ちゃんと役割を果たしているでしょうか?」
ふふとユリは笑ってみせる。
「狛治にとって今の状況は救われているの?
だとしたら良かったけれど。私はあなたをただ利用しているだけなのだから、そこまでありがたいと思ってもらわなくてもいいのよ」
自分の存在がユリの一存でどうとでもなることは理解していた。
以前、ユリに確認させてもらったから。
俺の今の状況は鬼舞辻無惨の支配下を逃れた鬼で、珠世や愈史郎とは違って無惨が死ぬ時に共に死ぬことになるだろうと。そして日の光が弱点にならないのは、鬼としての核を人の肉体を再生させて覆っているからだとユリは言っていた。
だから勿論、血鬼術も使える。
ユリの魔術により形成されたこの身体のおかけで、彼女とは言葉を交わさずとも意志の疎通はある程度でき、その反面ユリから離れすぎると魔力の供給がなくなり行動不能になることがわかっていた。
「あなたがただ俺を手駒にしたかったとも、思えずにいるんです」
「それは、そうでしょうね。私は──」
少し考えこむようにして黙り込む。こんな時は彼女の内面を知ることは出来ない。あくまで自分がユリの配下であることがわかる。
「知りたいです」
真剣にユリを真っ直ぐに見据えて言葉をかけた。
「恋雪が、泣きながらあなたを止めようとしていたからよ」
「──そんな、まさか」
「霊魂というのか、なんなのかはわからないけれど。私はあなた達とは違う存在だから、そういうものが見えたりするのよね」
「今も近くにいますか?」
「今はいないわ」
周囲を見回して静かに言う。
「そうですか」
「あなたをその状態にして側に置くというのも、杏寿郎にはだいぶ反対されたけれど」
「……」
「私はやって良かったと思っているのよ」
「俺が憎くはないのですか?」
「どうして?」
「あなたの愛する人を殺そうとしました」
「死ななかったのだから、気にしていないわ。
──それとも私が間に合わず。あなたが本当に杏寿郎を殺していた場合に、どうなっていたかを知りたいの?」
思わず息をのむほどの冷ややかな声だった。咄嗟に跪いて頭を下げる。
「申し訳ございません!」
「大丈夫よ。気にしないで。
ほら椋寿郎も驚いているから」
優しく声がかかり、顔を上げて立ち上がった。
望むのなら無惨との死の呪縛もユリから離れて行動できるようにすることも出来ると彼女からは言われていたが、俺がそれらを望み頼むことはなかった。
限られた命で彼女の側にいる理由がある方が良いと俺は思ったから。
『ではそうしましょう。ついでにそう出来るというのも、私たちの内に秘めておきましょうか』
ユリがそう言うので、そのようになった。
○ ○ ○
「もしもーし、大丈夫ですか?」
無限城外壁の一角に背中を打ちつけて気を失っていたようだ。胡蝶の声が聞こえ目を開く。
「冨岡さん、困りますよ。
私の分まで頑張ると言ってくれたではないですか」
顔を覗き込みながらどこか戯けるような口調で言っているが、心配させてしまっているようだ。
「大事ない」
立ち上がると僅かに痛みが走ったが問題ない。まだ戦える。
「狛治さんとの戦いがもう始まっていますよ」
炭治郎か俺かどちらかが、あの猗窩座という鬼の首を斬り落とすことになっていた。
「頑張ってくださいね。私も折角なのでこの戦いは観戦しようと思っているんです。
狛治さんと冨岡さんの手合わせの時に、練習させてもらったあれを試しましょう」
そう言うと胡蝶はユリの元に軽い足取りで戻っていく。
「冨岡さんは思ったよりは軽症のようです」
「そう、良かった」
「良ければあれを試しませんか?」
「そうね。そうしましょう」
胡蝶とユリが片手同士を繋ぐ。ユリは額に例の札をあてた。
「さぁ、この場は私が見守りましょう。
冨岡さん、炭治郎くん、狛治さん、頑張ってくださいね」
胡蝶が微笑む。彼女がユリと手を繋ぐことで、蟲柱として培った視覚による情報をユリに伝えることが出来る。そうすることでユリはこの場以外のところに注意を向けられる利点があった。
「冨岡さん」
「すまない、遅れをとった」
心配したような表情を浮かべていた炭治郎が、すぅと息を吸い込み気合いを入れ直しているようだが。
「なんだか、俺たちがあの戦いに加わってしまったら2人の戦いに水をさしてしまうんじゃないかと思ってしまうんですが」
「気にするな! 相手は鬼だ! 一人と複数の戦いが卑怯などと、今更そんなことを気にする局面ではないだろう!」
腕を組んだ煉獄が俺たちに声をかけてくる。
炭治郎と顔を見合わせて、2人の戦いの中に加わった。