学園を卒業し、煉獄杏寿郎を探す旅路の途中で。
※本作は『鬼滅の刃』の世界をベースにした二次創作です。
※キャラクターには独自解釈・改変を含みます。
※原作をご覧のうえでの閲覧をおすすめします。
◆ヒロインは名前固定&設定強めのオリジナルキャラクターです(夢主=“あなた”形式ではありません)。
◆「夢小説」タグは広義の意味で使用しています。不快に感じる方はご注意ください。
●6
力が足りない。速さが足りない。刀を振ることが出来ても、相手を弱らせるほど連撃が出来なければ意味がない。
初めての強い鬼との戦いは、自分の非力さを痛感していた。じわじわといたぶるように手鬼は無数の腕により攻撃を続けてくる。
全てを防いだつもりでもわずかに注意がそれてしまった攻撃に反応が遅れ、自分の身体がそうした攻撃を受けて弱りつつあることがわかった。
「なんだなんだ? 思ったよりもお前、弱いじゃないか。その娘と一緒に手足を俺に千切られるのも時間の問題だな」
手鬼は笑う。
父からは3年後にこの最終選別に挑戦するといいと言われていた。
先祖が遺した刀が、きっとお前を守ってくれると旅立つ時に刀を渡された。炎のような赤い刃紋の浮かぶ古い刀だ。父が手入れをしてくれていたから、今も使えるし俺も手入れの仕方を教えてもらって──。
この藤襲山の試練を終えて、自分の日輪刀を手にすることが目標だった。
「危ない!」
先ほど助けた狐面の少女が声を上げる。その声に現実に引き戻され、咄嗟に身をかわして手鬼の攻撃から逃れた。
「逃げてるだけじゃ、俺を倒せないぜ」
その通りだ。呼吸を整え、手鬼の攻撃の隙を狙う。それが俺に出来る唯一の一手だろう。
「もういいから! あなただけでも逃げて!」
狐面の少女は言った。そんなことは出来ない。救える命があるならこの身を犠牲にしても助けなければ、それが強く生まれた者の使命だからだ──。
○ ○ ○
「──上手いやり方だと思うわ」
はぁとため息をつきながら、俺に向かって振り上げられた手鬼の、一際大きなこぶしの上に見覚えのある白い服を着た人の姿があった。
勢いよく振り下ろされるはずだった腕の動きが止まっている。
「最終日にしか姿を見せず、勝てる相手としか戦わないのだもの。そりゃあ何十年もこの山で生き続けられるわけね。
こんなことになるなら炭十郎をけしかけて倒してしまっておくべきだった」
「ユリ──」
まさか先ほどからずっと見ていたのだろうか。
「あー。えぇと……うん。杏寿郎、良い夜ね。
別になんでもないのよ。ただ偶然に通りかかっただけで──」
ユリ自身、白い頭巾を目深にかぶり言葉の後半は小さく聞き取りづらかった。
「………」
「あぁもう! だから嫌なのよ! 人と関わるのは! 杏寿郎! 反省なさい! 誰が藤襲山で一番強い鬼を倒してくるって!?」
頭巾を外して大声で言った。取り繕うのはやめたらしい。ユリが音もなく瞬きをする間に俺の前に移動してきた。
しゃがんで俺と目線を合わせ、
「私と関わりさえしなければ、あなたはこんなところでこんなに身体を痛めつけられることもなかったのよ?」
かなしそうにそう言った。
「違う! これは俺が望んだことだ! だから君がどうこう思うことじゃ──」
ユリが俺の両頬を掴んで横に引き伸ばす。
「違わないの。あなたは私がいなければ父親の教え通り、3年後にここに来ていたはず。そうしてその頃にはこの鬼に楽に勝てるぐらいになってるから、最終日に遭遇することもなく選別を終えていたでしょう」
「ふぉんなふぉふぉをいっへも──」
大きなため息。彼女に落胆され、俺もかなり気まずい。
「そこのあなた」
「はい!」
先ほど助けた狐面の少女が背筋をのばして返事をする。
「命を失わなくて良かったわね。
といっても、この杏寿郎と一緒に戦えても結果はわかっていると思うけど。
あなたは分析が得意で、家族想いよね。感情的になるところが弱点といったところかしら? あの鬼に家族同然に育ってきた兄弟子たちが喰われていると聞いて冷静でいられなくなった。
もう少し実戦を積めば立派に戦えるでしょう。
今は立ち上がりなさい。怒るのも悲しむのも今ではないわ。立ち上がって刀を持ちなさい」
「でも私は──」
狐面の少女は自分の手足に視線を落とす。
「あなたは生きて帰らないといけない。そうしなければ、あなたの育手も弟弟子たちも悲しむでしょう」
「え? 嘘──」
ぴょんと立ち上がってその場で2回飛び跳ねた。
「少し落ち着いて痛みも引いたんじゃない?」
そう言ってユリは口の端を上げてわずかに笑ってみせる。
「ユリ! 俺も怪我を治してくれれば!」
いつの間にか頬から手が離れていたので普通に話せた。
「無理よ。それだけでは足りないの。
──皮肉なものね。
あなたは私の杏寿郎とは違う。そう思ったから関わらないでいようと思っていたのに──」
彼女の言っていることが理解できないでいる。
でも、その言葉はとてもかなしみを含んでいるように聞こえた。
「ここに来る迄に得るはずだったものを一時的に与えましょう。私の全てを貸すから、あなたがあの鬼を倒すのよ」
わかった? と勢いに負けてこくこくと頷く。
「目を閉じて呼吸と鼓動を私に合わせなさい」
ユリに前から抱きすくめられて、俺の鼓動は一気に早くなった。
「はいはい。そういう反応よね」
目を閉じた俺の唇に柔らかいものが触れる。ユリの香りが鼻の中いっぱいに広がった。
──胸の奥が熱い。
身体全体が燃えているようだった。
●7
気が付くと、空を飛んでいた。
青い空と沢山の木々、夢に見たことのある西洋の建物が見える。
ここはいつか夢に見た、ユリの暮らした世界のようだ。
円形の建物の方から歓声が上がった。
なんだろう?
気にすると身体がそちらに引っ張られる。
そこには炎の羽織を肩にかけ、鬼殺隊の服を着た大人がいた。
一瞬、父上かと思ったが違う。
あれは未来の俺の姿だと理解することが出来た。
「ちょっと! 勝手に行動しないの!」
頭上から声がした。声のした方を見ると、
「うわわわ──」
慌てて両手で目を覆う。
「どうしたのよ?」
「だって君、裸じゃないか!?」
「はぁ? 裸じゃない! ちゃんと見て!」
おそるおそる指の間からユリを見ると、確かに彼女は裸ではなかった。身体の線がはっきりわかるようなそういう服だ。
「ほら、手を繋いで。
今のあなたの3年後に会いにいきましょう」
彼女が手を伸ばしてきてくれて、俺はしっかりとその手を握り返した。
寒い雪の日、家の庭で1人で木刀を振り鍛錬をしている自分の姿があった。
「私が知っているのは、正確にはあなたの未来の姿ではないわ。別の世界のあなた。
この世界のあなたは、母親の死後1人で研鑽を積んだのよ──」
「父上は?」
「私が話すより直接みてみればいい」
そう言って繋いだ手を引いて鍛錬中の俺に手を触れさせる。
たったそれだけのことで俺はこの世界の自分のことが全てわかった。母の死後、しばらくして父は俺たち兄弟に関わろうとしなくなったこと。そんな父を隊士になれば柱になれば喜ばせることが出来るのではないかと思っていること。
そうして自らを鍛え上げて、父が昔示してくれた時期の最終選別に挑もうとしているのだ。
「今のあなたと身体がどう変化しているか、よく意識して」
ユリの声が聞こえる。彼女と繋いだ手からだけ、温もりを感じることが出来た。
○ ○ ○
記憶と共に感情が溢れ、雄叫びを上げる。
──日輪刀を構え直した。
止まっていた時が再び動き出す。
身体が淡く発光し、力に満ちていた。
胸を燃やすような熱がユリなのだと理解できる。ひとつとなり満たされた状態が心地良い。
「私が隙を作るわ!」
狐面の少女が野山を走る兎のような足捌きで、手鬼に向かっていく。
「なぜ動ける!?」
手鬼は一瞬狼狽たが、
「お前の動きは既に見切っているからな! 何度向かってこようと同じことだ!」
「馬鹿にしないで! 私はもう迷わない!」
水の呼吸 弐ノ型 水車
身体を回転させ、捕らえようとした手鬼の腕を水流を纏った刃が切り落とす。
「今更動きがかわったところで、お前の細腕では俺の首は落とせまいよ!」
言って手鬼は笑っている。
炎の呼吸 伍ノ型 炎虎
呼吸を整え、手鬼の一番自重のかかっている場所に渾身の一撃を放った。
「何!?」
手鬼の身体が傾く。
「そうね。私一人だったら勝てなかったかもしれない。
──でも、今の私は一人じゃないもの!
食らいなさい! 鱗滝さん直伝!」
水の呼吸 参ノ型 流流舞
狐面の少女が、手鬼の首回りの腕を次々に斬り落としていっていた。
「今よ!!!」
手鬼の身体を駆け上がり、飛び上がって日輪刀を振りかぶる。
この世界の俺だから出来る事、自身の吐く息に炎が見え──。
ヒノカミ神楽 碧羅の天
炎を纏った刀身が、守るように回されていた太い腕ごと手鬼の首を斬り落とした。
藤襲山でやるべきことを全て終えて、狐面の少女と別れの言葉を交わしている。
「本当にありがとうね。あなたがいたから私は今ここにいられるんだと思う。
そういえば、まだ名前も言ってなかった。
私は真菰、あなたはきょうじゅろうだっけ?」
「俺は煉獄杏寿郎だ!」
「うん。またどこかで会ったら仲良くしてね」
真菰は俺に抱きつくような勢いで近づいてきたが、嗅ぎ慣れた香りが強くなった。同時に後ろから腕を回され、頭の上に2つの柔らかい膨らみがのせられている。
「!?」
真菰は立ち止まり、俺たちの姿を見ると自身の口元に指先をあてて小さく笑う。
「あなたは大変ね。彼女に見合う男にならないといけないなんて」
またねと大きく手を振って、真菰は走って帰っていった。
「い、いつまでこうしているんだ?」
ユリが動こうとしないので、俺も身動きが取れない。こんなに身体を密着されるのは、初めてのことで自分の胸の鼓動が煩いぐらいに聞こえる。
「私はね。すごーく疲れているの。まだ力の半分はあなたに貸したままだしね。こうして身体をくっつけて力を回収しているんだから、もう少しだけ我慢なさい」
「でもこれじゃあ動けないじゃないか」
渋々といった雰囲気でユリが俺から離れた。
「よし! ならばユリを俺が運ぼう!」
「は?」
「俺がユリを運ぶ!」
「いやいやいや、体格差が──」
無理矢理右腕にユリを乗せて、彼女の腕が頭に回される。
「あわわわ、気をつけて!」
彼女の胸が顔にあたるが、それは仕方がない。
炭十郎殿のところまでユリを抱き上げて運んだ。
●8
藤の家で一息ついていると、風呂に入っていたはずの杏寿郎が浴衣も満足に着ていない状態で部屋に走り戻ってきた。
「どうした?」
杏寿郎は視線を彷徨わせ、部屋の隅に畳まれて置かれた布団に飛び込んで身を隠す。浴衣の裾がはみ出ていたので差し込んで隠してやった。
もとの位置に座ると、今度はユリが部屋に戻ってくるなり言う
「杏寿郎は?」
「さぁ、風呂上がりに散歩でもしているんじゃないか?」
頭の中で1人将棋をさす。そのことだけに集中し、他は考えない。
「散歩だなんて。さっきお風呂に入っていたら鼻血を出して倒れたのよ? 安静にしていた方がいいのに──」
「なんだって鼻血を出して倒れることになったんだ?」
「さぁ? 私の裸は見られないというから目隠しをさせていたんだけど、身体を洗ってあげるのに手で洗ってたら時間がかかると思ったから、私も身体が洗えるし身体で洗ってあげたらもう意識を失っていたわ」
「なんという役得──いや、あの年頃の男子にそれは酷というものだろ」
「は? ただ一緒にお風呂に入っただけなのに? 母親と一緒に入っているようなものでしょう?」
「んん、それは大いに違うと思うが」
「今はそんなこと話している場合じゃないの! 具合が悪いならちゃんとみてあげないと」
ユリは杏寿郎の名を呼びながら部屋を出ていった。もう少し冷静でいたならこの部屋に杏寿郎が隠れていることに気付けただろうが。それだけ慌てているということか。
「……行ったぞ」
息も止めていたのか顔を出して空気を吸い込んでいる。
「炭十郎殿、ユリをなんとかしてください」
布団の間から身体を出しながら言う。
「なんとかしろと言われてもな」
「俺のことを子供扱いして──どうすれば異性として意識してもらえるのか」
「あぁ、そっちか。
そう言われてもな。杏寿郎はまだ実際幼いわけだし──」
「やっぱりここにいたんじゃない」
「!?」
背後から声がかかった。
「杏寿郎、まだ顔が赤いけど熱でもあるんじゃないの?」
額を杏寿郎の額と合わせてユリが熱をはかっている。
「んー。熱はないみたいだけど、さっき鼻血を出して倒れたのは事実なのだし。今日は早く休みましょう」
ユリは杏寿郎の乱れた浴衣を手慣れた手付きで直した。そして彼女に手を引かれてユリの布団が敷かれている場所に連れて行かれようとしている杏寿郎が、助けを求めるような視線を向けてくる。
「杏寿郎! 全集中常中を取得する良い機会だ! 何事も平常心! 頑張れ!」
杏寿郎は驚いた顔をして、ユリは何を言っているんだ? という視線をこちらに向けて2人は俺の部屋を後にした。
○ ○ ○
布団の上に仰向けに寝かされた。
「まだ顔が赤いけど、今日はどうしたの?」
再び額同士を重ねられ やっぱり熱はないみたいね と、囁くような小さな声が聞こえる距離だ。
「どこか普段と違うところはわかる?」
「わかる、けど」
自分の下半身を見下ろして。
「? どこ? 見せてみて?」
「み!? 見せられない!!」
「なんでよ」
見せられない! 見せなさい! 見せられない! 見せなさい! とやり取りする内に、力比べのようになり今度は俺がユリを布団の上に押し倒して、そのままの勢いで彼女の胸に顔から突っ込む形となった。
柔らかな胸に顔を埋めてしまい思考停止する。
「いたたた。大丈夫? また鼻血が出ているじゃない。今日はどうしたの?」
ユリが優しく鼻をおさえてくれた。再び鼻血を止めてくれたようだ。
「ユリはもう少し身の危険を感じた方がいい!」
「?」
必死に訴えたつもりだが、ユリはきょとんとした表情のままだ。
こうなったらと彼女の胸を浴衣越しに鷲掴むつもりで手を動かしたが、鷲掴みにするほど手が大きくなく──。
「やっぱり母親が恋しいの?」
そんなことを言われる始末だった。どうすればもっと彼女に意識してもらえるのか。
「目を閉じてくれ」
言われるままにユリは眼を閉じてくれた。
以前、父母が唇を触れ合わせているところを見たことがある。何をしていたのか聞くと、好き合う者同士ですることだと教えてもらった。
俺は今からユリと唇を触れ合わせようとしている。好き合う者同士ですることを、俺の判断で勝手にしていいものなのかと自問自答しているとなんだか苦しくなってきた──本当に苦しい。
──ハッと意識が戻った。
薄暗い部屋の布団の中、俺は柔らかなユリの胸に顔を埋め抱きつかれるような状態で寝ていたらしい。
そういえば先ほどまでのユリとのやり取りでは香りを一切感じなかった。
なんだ夢だったのかと思ったが、先ほどの夢と然程変わっていないのである。いや、状況は更に悪化している気がした。
彼女の足も俺の足に絡まっており、ユリの太ももが俺の股間に密着している。
そして呼吸をしようとすると彼女の香りを吸い込むことになり、それがまた本当に良い香りで困った。
このままでは窒息してしまうとじたばたもがいていると、布団の中が暑くなりユリが寝返りをうってくれた。その隙に彼女の腕から逃れて布団の外に出ると全身で呼吸をする。それほど苦しかった。ある意味これほどなく幸せなことだったのだが。
ユリはスヤスヤと寝息を立てている。
人の気も知らないで……俺ばかりが彼女を意識していることが気に入らない。そりゃ俺はまだ幼いし、彼女を守ることすら満足に出来ないけれど。
夢の中で彼女と唇を重ねようとした。
それは覚えている。ごくりと唾をのんだ。今寝ている彼女の唇を奪うぐらいは俺にだって出来る。
ほんの出来心だったかもしれない。
けれど、この時の俺はなぜかそうしなければならないとすら思っていた気がする。
ゆっくりと顔を近づけて、彼女との距離をはかっていると
「……」
寝息と共に彼女が何か言った。唇ではなく耳をユリの口元に近づけて耳をすます。
「──杏寿郎、どこにいるの」
そうしてユリは静かに涙を流している。もちろん彼女の口にする杏寿郎は俺のことではない。
ユリは長い旅を続けてなお、再会出来ずにいる杏寿郎を想って涙を流しているのだ。
──どうして、俺ではないのだろう。
どこにいるかもわからない俺を探し続けることが、彼女にとって幸せなんだろうか?
ユリの流す涙を指先で拭う。
呼吸を整えて再び布団の中に、彼女の横に寝転がった。せめて、自分と一緒に寝ている時は幸せな夢が見られるように。そう願ってユリの身体を抱きしめた。
●9
眠るのは嫌い。
みたくもない夢をみてしまうから。
それでも少しでも眠った方がいいと、私に眠ることをすすめたのは誰だったかしら。
自分が望むことが夢の中では叶うからいいのだという話も聞いたことがある。
夢の中で叶って、それになんの意味があるというのだろう──。
昔と同じ白黒の世界。
それでも思い出に残る彼の色を求めて、私は夢の中でも探している。
声が、姿が、面影が、雰囲気が、似ている人は沢山みてきたけど。誰も私の探している杏寿郎ではなかった。
特に同じ名前をもった人には近づかないようにしていた。近付かなくても別人とわかったし、何か情のようなものがわくとそれはとても厄介なものになるとわかっていたから。
──疲れた。
何もみたくない。
何も聞きたくない。
たった一人を見つけるなんて、途方のない話だよと管理人が言っていたことを思い出す。
その途方のないことを、私は都合良く捉えていた。
あの日、私が杏寿郎を召喚したように。
目に見えない何かの力が働いて私は再び彼と再会できると、愚かにもそう思ってしまっていた。
そんな生優しい話ではなかったのだ。
彼と過ごして蓄えた魔力が少しずつ失われていく。
いつ自分が消えるかもしれない。そんな恐怖を意識するようになってからは夢なんて──。
苦しみの具現化でしかなかった。
冷たい冬の海に溺れる私。呼吸も出来ない。
いっそ深い深い海の底で、何もかも諦めてしまった方が楽になれるのではないか。そんな風にも思っていた。
──誰かが私の身体を抱きしめてくれた。
胸の鼓動が聞こえる。
冷たくなった身体が、陽だまりの中にいるようにあたたかくなった。とても心地良い。
○ ○ ○
「待って」
薄暗い森の中、ユリの声で歩みをとめる。
「炭十郎がこちらに向かって追い込んできているみたい。西南の方向、3 2 1」
一直線にこちらに向かって鬼が走ってきているのが見えた。相手の勢いを利用して首を斬り落とす。
俺は飛んでいった方の首が消えるのを見届けて、
「怪我はないか?」
ユリのいる方へ駆け寄った。鬼の身体も消えかかっている。
「平気よ。さっきの刀を避ける時の様子が変だったから気になってね。この鬼は随分お腹が大きいけど、それだけ沢山人を食べたということなのかしら?」
「うーん。妊婦だったのかもしれないな」
言われてみればまるで腹を庇うような動きをしていた気が。
「妊婦?」
「お腹に赤ん坊がいるんだ」
「赤ん坊ねぇ」
ユリが座り込み、消えかかっている鬼の腹に手をあてていた。
「やめておいた方がいい。関わらない方が──」
暗い森の中、赤ん坊の泣き声が突然響く。
「なんだどうした!?」
炭十郎が帰ってきた。ユリの手には生まれたばかりの赤ん坊の姿が。
「なんと!? ──ユリ、杏寿郎、おめでとう」
「違います!!」
突然現れた赤ん坊を俺とユリの子供と勘違いした炭十郎殿の誤解を解いて。
今はこの赤ん坊をどうするかという話をしている。
もうすぐ夜明けだ。陽光を浴びればそのまま消滅してするのではないかという炭十郎殿の意見と。
角や牙が生え、明らかに鬼の容姿をしているのだから陽光を待たずとも即刻斬首という俺の意見とで割れている。
「ユリはどう思う?」
炭十郎殿がユリに問うと。
彼女は赤ん坊相手に指を使って遊んでやっているところだった。
「なによ」
「鬼だぞ?」
「でもまだ人は食べてないわ」
「鬼に情けは無用」
俺は日輪刀に手をかけて言う。炭十郎殿は顎に手をやりながら、ユリと俺をゆっくりと交互に見つつ
「その赤ん坊に興味があるのか? もとよりユリがいなければ母鬼と共に死んでいただろう赤ん坊だ。
ユリの好きにすればいいと俺は思う」
「俺は反対だ。いつ人の血と肉の味を覚えて牙を剥くか」
その時、朝日が差し込んだ。
俺と炭十郎殿はまだ木々の影の下。
一枚の絵画のように、ユリとその赤ん坊のところにだけ日が差した。赤ん坊は目を閉じて開いてして、大きく口を開けると閉じて再び眠りにつく。
「これはまた。日の光は特に苦しくはなさそうだな」
覗き込んで様子を窺ってから、ひとまず帰るかと炭十郎殿は言う。
「連れて帰るのですか!?」
「日の光を脅威としないのであれば、鬼ではないのだし。生存者ということになるのではないかな。
どうしてもこの赤ん坊の命をここで断たねばならない理由があるか?」
「……ありません」
「ならば引き続き見守るしかあるまいな。これにて話しはしまいだ。さぁ、帰ろう」
●10
夜、任務の帰り。
炭十郎殿も別の任務が入り今は別行動中だった。
珍しく複数の鬼の襲撃を受けている屋敷があるとユリが気付いた。既に別の隊士が任務に当たっているようだが、複数の相手に苦戦しているらしい。
「かーちゃ、あっちとあっち、鬼いる」
ユリの身体に自力で捕まり、鬼のいる方向を指差して示している。ほんの数日ほどで、角をはやした赤ん坊は弟の千寿郎と同じぐらいの大きさになった。
「ヒカルはちゃんとわかるのね。すごいわ」
ヒカルと呼ばれたその元赤ん坊は、へへへと嬉しそうに笑っている。
千寿郎は自力で人に捕まって行動したりもしないし、あんな風に会話をしたりもまだ出来ない。急激な成長には、やはりユリが関係しているのだろうか。
「杏寿郎、向こうでまだ交戦中みたい。必要なら手伝ってきなさい」
「わかった」
ユリとヒカルは血溜まりの中倒れている家人に近づけて状態を確認していた。ヒカルは血塗れの人を見ても理性を失って襲ったりもしないし、むしろ相手を心配するような表情をしている。
屋敷の一角で交戦中の隊士と合流した。
悲鳴嶼行冥という人で、俺よりも階級がずっと上の人だ。
「助太刀、感謝する。
まずは鬼共を殲滅してからとしよう」
「はい!」
行冥殿は盲目であるはずなのに感覚が鋭いのか暗闇でも躊躇なく行動している。斧と鎖のついた鉄球を使った戦い方は今まで見た事がなく学ぶことが多い。
「そうか、君は煉獄の炎柱様の御子息か」
「はい。訳あって今は家を出ていますが」
「ふむ」
ドタドタと近づいてくる足音が聞こえきた。俺は身を低くして、行冥殿は物陰に身を潜める。
「待て待て待て!」
「待てと言われて待つわけないでしょ!」
男の鬼がユリとヒカルを追いかけてこちらに向かってきていた。
俺たちのいるあたりでユリがわざとらしく転ぶ。
「おやおや、転んでしまったようだなぁ。大人しくしていれば──」
一瞬にして行冥殿が、手斧を投げて鬼の首を斬り落とす。
「──お怪我はないですね?」
わざと転んだこともわかっているようだった。倒れているユリに手を差し伸べて、立ち上がるのを手伝ってくれている。
「ありがとう」
「いえ、礼を言うのはこちらの方です。貴女が鬼の気を引いてくれたおかげで早く終わらせることが出来ました。
貴女はもしや竈門殿と行動を共にしているという異国の術師殿ですか?」
「えぇそうよ。私も随分有名になったものね」
「まさかこのような場でお会いすることになるとは、御仏のお導きでしょうか。南無阿弥陀仏──」
「早く隠を呼んだ方がいいわ。せっかくまだ息のある人もいるのだし」
「本当ですか? では急がせましょう」
鎹鴉を呼んで行冥殿は隠たちを急がせることにしたようだ。
「杏寿郎、あなたは私と一緒にこっちに来て」
ユリに呼ばれてついて行くと、奥まったところにある衣装部屋へとたどり着いた。
「ヒカルをお願い」
俺にヒカルを渡す。
「かーちゃ」
ユリを求めて手を伸ばすが、頭を撫でられて受け入れてもらえず。渋々俺の身体に捕まってユリの方を見ることにしたようだ。
「鬼退治はもう終わったわ。まだそこにいたいならそれでもいいけど」
衣装部屋の奥に静かな口調で声をかけている。
小さく物音がした。
「こんなところで身を隠して怖かったでしょう」
本来服を入れるであろう木製の大きな箱の蓋が、内側からゆっくりと持ち上げられる。中にいる誰かが注意深く箱の外を窺っているようだ。
ユリに声をかけようと近づくと唇に指をあてられた。
「急ぐこともないわ」
小声でそう言うので、こくりと頷く。
それからしばらくの後に木箱の中から出てきたのは、見目麗しい姉妹だった。
姉と思われるユリより少し幼いぐらいの髪の長い女性はまだ落ち着いているようだが、俺より若そうな髪の短い少女はまだ怯えているようで震えている。
「しのぶ、大丈夫よ。
何かあったら必ず姉さんがあなたを守るから」
ね? と手をとってしのぶと呼んだ少女に髪の長い女性が目線を合わせ優しい声音で話しかけた。
立ち上がり俺たちのいる方を向いて、深々とお辞儀をし
「助けに来ていただいてありがとうございます。
私は胡蝶カナエ、この子は私の妹でしのぶと申します。家族の安否を確認したいのですが、ご案内いただけますか?」
はっきりとした口調でそう言った。
その後、ユリと共に行冥殿と隠がいる場所まで行くと彼女らの家族は瀕死ながらも生きていることがわかり2人共涙を流して喜んでいた。
ひとまず彼女らの家族は医療施設のある藤の家に匿われることになり、彼女らもまた家の修繕が終わるまではどこか藤の家に身を寄せることになるだろう。
「ユリは彼女らの家族を助けたのか?」
「ほんの少し傷を浅くしただけよ。死んでいたら見捨てようと思っていたけれどね」
運が良かったんじゃない? と少し離れたところで彼女らを見守りながら会話をしている。
「ここで家族を失うことで、あの姉妹は鬼殺隊に入るための行動するようになるのだけれど。この世界ではどうなるのか──」
ユリの表情は読み取れない。どこか遠くを見ているような様子だ。
「ま、私がこれ以上関与することではないわね」