この深い森の小道を越えて行けば、その先はどうなっているのだろう。
小さな魔女見習いのリリナ・フォレストは、いつからかそんな思いを抱くようになっていた。
森の栗鼠さんたちから聞いた噂によると、人間さんの村があるらしい。
人間さんは、魔女によく似た容姿をしているけれど、魔法は使えないし、とても暴力的で、戦争というのをしてばかりだという。
なんだか怖いな。
でも、そんなのただの噂かもしれないし。
12歳になった誕生日の翌日、リリナは旅に出る決意をした。
もう魔法だって使えるし(少しだけど)、お母さんも12歳の時に初めての旅をしたって言っていたし。
まぁ,旅が好きすぎてほとんど森に帰ってこないのはどうかと思うけど。
私だって、旅に出てみたい!
リリナは、お気に入りの深い緑のローブを着こみ、お母さんから譲り受けた大きな魔法使いの帽子をかぶる。
森に生えている糸センマイの茎を編んで作った特製の布袋に、冬に湖畔で取れる湖畔水亀の甲羅を使った鼈甲の首飾り(それはくすんだ美しい紫の色をしている)、そして代々伝わるオーブのかけらを埋め込んだ木の杖。
「これで完璧ね! どこからどう見ても、立派なお姉さんの魔法使いだわ!」
小柄な身体を大きく見せる仕草をして鏡の前でポージング。
意気揚々と、森の小道を歩みだした。
「やぁ、リリナ、どこへ行くの?」
ムクドリのヤンが声をかけてくる。
「はじめての冒険よ。人間さんの村へ行くの」
「えぇ、あんなところへ? 危ないっていうぜ」
「あら、ヤンは行ったことがあるの?」
「いや、ただの噂だけど」
「噂を信じちゃうのは良くないわ」
リリナはすました顔でそう言ってずんずんと森の小道を歩んでいく。
「リリナ、なにかご飯はない?」
今度は足元に、森の野生ネコのフーがすり寄ってきた。
「ごめんなさい。今日は何も持ってないの」
「嘘、腰の布袋からお菓子の甘い匂いがしてるのに」
「これは今日のお昼に食べる予定なの。だからあげられないわ」
「どこかへ行くの?」
「うん。人間さんの村へ」
「へぇ。人間の村って、おいしいご飯があるらしいよ。なんかお土産買ってきて」
「いいわよ」
フーはとても食いしん坊なのだ。
くすくす笑いながらリリナは森の小道を進む。
やがて、2時間ほど歩いていると、大きな椎の木が重なり合って生えている分岐路にたどり着いた。
この椎の木は、およそ600年前からここに生えていて、特殊な結界の役目をしているのだ。
「普段は結界があるから、人間さんは入ってこれないっていうのよね」
リリナはつぶやく。
勇気を出すように、小さなこぶしをぎゅっと握りしめた。
「えいっ」
掛け声とともに、結界の外へ足を踏み込んだ。
するとそこは――見たこともないような鉄とコンクリートで覆われた大都会だった。
「え、え、え? なにこれ?」
魔女の森とのあまりの違いに驚くリリナ。
静かな森では聞いたこともない、音の洪水。
そして、ネオンサインのきらめきと、デジタルサイネージの電子的な輝き。
情報量が多すぎて、めまいがしちゃう!
くらくらとふらついているリリナに、道行く人が怒鳴った。
「こら、何道の真ん中につったんでよ、ぶつかるだろ!」
「ご、ごめんなさい!」
粗野な男性の声で怒鳴られたことなどないリリナはあたふたと謝り、何とか人気の少ない路地へと逃げ込む。
「いったいどういうこと? 人間さんて魔法は使えないんじゃないの?」
リリナから見ると、自動で動く車や電子公告すべてが魔法に見えるのだ。
もっと小さなときに絵本で読んだ人間さんの村は、ならされたあぜ道と木の家と畑があるだけだったのに。
あの絵本って、いつ描かれたものだっけ。
100年ぐらい前?
その間に、こうなっちゃったの?
「どうしよう、これはフーにおやつを買って帰るなんて場合じゃないよ……」
とはいえ、せっかくここまで来たのに、何もせずに帰るのは少しもったいない。
せっかくだし、少しだけ見て回ろうかな。
ぶかぶかのローブを少し引きずりながら歩くリリナを見て、周囲の人がくすくすと笑う。
「見て、あの子。可愛い。ハロウィン衣装かな」
「見た感じ外国人かハーフ? 肌真っ白。 漫画やアニメの魔法使いみたいだね」
うーん、なんだか変な目で見られているような……。
視線にいぶかしむリリナ。
しかし、いったい自分の何がおかしいのか気づく余地はない。
魔女の森ではこれが正装なのだ。
「いったい何が変なの?」
ショーウィンドーのガラスに映った自分を見つめる。
そんな時、通りがかった男の子がリリナを笑った。
「なんだよそのカッコ」
思わず振り返るリリナ。
いたずらそうな、リリナと変わらない歳ぐらいの少年がいた。
「そんなに変なの?」
「どう考えても変だろ」
少年特有の残酷さで、ズバッと言われる。
「へ、変じゃないわ。これは由緒正しい服装なのよ」
言い返すも、少年は早口にまくしたてた。
「そんなわけあるかよ。どうみてもドラクエとかのパクリじゃん。それになんだか薄汚れてるし」
ドラクエの意味は分からなかったが、バカにされているのはわかる。
「そんな色の服見たことねぇや」
その言葉にカチンときた。
「この深い緑は、森の聖なるもみの木と同じ色なの! とても素敵な色なのよ!」
「もみの木? クリスマスかよ、バカじゃねーの」
「このっ」
思わず、魔女の棒を振りかざして魔法を遣おうとするリリナ。
でも、踏みとどまった。
ダメだわ、こんなところで魔法を遣っちゃダメ。
人間さんは、たぶんだけど、魔法を遣えないはずだもん。
フェアじゃないわ。
「なんだよ、ポーズだけかよ、だっせぇ」
男の子は、アカンベーをして去っていった。
そのあとも、歩く先々で好奇の目にさらされ、お店にも入れない。
1時間ほど歩き回り、体力というよりも精神的に疲れ果て、リリナはため息をついた.
「こんなところ、来るべきじゃなかったわ」
ギラギラしていて、うるさくて、せわしなくて。
座る場所すら見つからない。
もう、帰ろうかな……。
と、その時、路地裏から音楽が聞こえてきた。
アンプにつながれたギターの音は、電子的なひずみを持ってはいるが、その奥底にはとても純粋な気持ちが脈打っている。
リリナには、そう感じられた。
森にはこういう音楽はないけれど、ギターに似た弦楽器はある。
リュートのような。
どこか懐かしい気持ちになった。
しばし耳を澄ませる。
やがて、ロック的なハスキーさを持ちつつもどこか優しい男性の歌声がメロディを歌いだす。
その旋律は、静かにリリナの胸を打った。
「いい歌」
無意識につぶやく。
もう帰るつもりが、いつの間にか一曲聴き終えていた。
どんな人が歌っているんだろう……。
ふと気になった。
帰る前に最後に、チラッとだけ。
そう思って、路地裏に足を向ける。
「あの人だ」
そこにいたのは、年上の若い男性だった。
青年といった方がいいだろうか。
ラフなTシャツとジーンズを着ているが、どこか清潔感があり、何よりも優しそうな瞳をしている。
思わずリリナは見とれてしまった。
「ん?」
男性がこちらを向いた。
「あれ、ずいぶんと小さなお客さんだね」
そう言って、軽く手を振ってくる。
「え、あ、えと」
まさか話しかけられるとは思っていなかったのでリリナはしどろもどろ。
するとお兄さんは、申し訳なさそうに言った。
「あ、ごめん、違ったか。もしかしてここを通りたかっただけなのかな? でも、この路地は薄暗いよ?」
「え、えと、その、ち、違います」
リリナは、首を振る。
「違う?」
「う、歌」
ようやくその単語を口に出すことができた。
「歌が、聞こえたから」
「ありがとう」
お兄さんが微笑んだ。
「歌を聞いて見に来てくれたんだね」
「え、えぇ」
赤くなりながら、リリナはこくこくとうなづく。
年上のお兄さんと話すのなんてほとんど初めてだから、緊張してしまったのだ。
たぶんそれだけだ、と思う。
「じゃあ、今日はほかにお客さんもいないし、小さな女の子でも楽しめそうな曲を歌おうかな」
そう言ってお兄さんは、ギターをつま弾き、どこかノスタルジックな甘い歌を歌った。
聴き終えると、リリナは拍手していた。
「気に入ってくれたみたいだね」
お兄さんが微笑みかける。
「ま、まぁね」
リリナはなぜか恥ずかしくなって、そっぽを向いてしまった。
本当はすごく気に入ったのに。
上手くそう言うことができない。
「さてと、それじゃ今日はここまでにしようかな」
お兄さんがギターストラップを肩から外す。
「もう終わりなの?」
「お客さん、ほとんどいなかったからね」
お兄さんが苦笑する。
そうか、考えてみたら、聞いていたのは私一人だ。
「どうして? すごく上手なのに」
素朴な疑問に、お兄さんが答えた。
「まぁ、俺が上手いかどうかはアレだけど。これだけ人が多いと、目立つ場所が取れなかったらそもそもね」
目にも留めてもらえないさ。
少し自嘲気味にそう呟く。
「そういうものなのかしら」
リリナは、路地裏から通りを見た。
行き交う人々、車、バス。
確かに、あれだけの喧騒だと、歌声なんて誰にも届かないのかもしれない。
「私にはちゃんと聞こえたけどな……」
ぽそりとつぶやく。
「ん?」
「なんでもないの///」
リリナは、ふと思い出したようにポケットを探った。
「そうだ、あんなに素敵な歌を聞かせてもらったんだもの。何かお礼がしたいわ」
でも、何か渡せるようなものあるかな?
春待鳥の落とした翅は大切な魔法の材料だし……。
「あはは、いいよそんな」
「あ、そうだ!」
リリナは腰にぶら下げた小さな布袋にお菓子を入れてきたのを思い出した。
「お兄さん、これを上げる」
森でとれた果物を煮込んで作ったジャムが塗られたクッキーを取り出す。
「いいの?」
「うん」
「ありがとう、それじゃいただくよ」
ひょいっとお兄さんがリリナの手からクッキーを受け取る。
そのしぐさが妙に子供っぽくてリリナはお兄さんのことがもっと気に入ってしまった。
「不思議な味がするクッキーだね、うん、すごく美味しい!」
「ほんと? もっとあるのよ」
喜んでくれたのがうれしくて、リリナは次の1枚を手渡す。
「でも、君の分がなくなっちゃうよ?」
「まだたくさんあるから大丈夫っ」
10枚持ってきたのだ。
「それじゃ、一緒に食べる? 俺、お茶持ってきてるよ」
リリナはうなづいた。
二人で路地裏の壁に背を当ててしゃがみ込む。
なんだかわくわくする。
こんな場所でお菓子を食べるなんて初めてだ。
「はい、どうぞ」
お兄さんが水筒のコップにお茶を注いでくれた。
「ありがとう……なにこれ、苦いわ」
思わず舌を出す。
緑茶を飲んだことがなかったのだ。
「え、ごめん、お茶嫌いだった?」
「嫌いじゃなしけど、お茶っていつも、たっぷりのお砂糖とクリームを入れて飲むの」
「あぁ、紅茶みたいな感じか」
「でも、慣れてくるとこれも嫌いじゃないわ」
苦みの中に少し爽快さがあって、飲めば飲むほど気に入っていく。
「それならよかった」
お兄さんはホッとした様子で、クッキーをかじった。
「このクッキー、おいしいけど、これこそ食べたことない味だよ」
「そう? この辺にはないのかしら。森でとれる果物のジャムとハーブを使ってるの」
「ねぇ、君ってさ、遠くの国から来たの?」
「あっ」
リリナは思わず口をつぐんだ。
さっき、街で変だと笑われたことを思い出す。
人間さんは、排他的なのかもしれない。
知らない場所から機体法人を嫌うのかも。
……お兄さんに嫌われちゃったらやだな。
そう思ったのもつかの間、お兄さんが言葉を続けた。
「なんか、憧れちゃうな。遠い国。ロマンがあるっていうかさ。あ、でも日本語ペラペラだよね。ずっとこっちに住んでるとか?」
憧れ。
その一言に、さっきまで否定されてきた自分が認められたような気分になる。
リリナは、子供らしい笑顔を取り戻して言った。
「そうね、ずっと遠い国から来たの。森の奥の内緒の国よ。言葉は……ふふっ。わからないわ」
「なんだよそれ」
互いに笑いあう。
「森の奥か。いいね。その服も、森みたいな深い色だね」
「!! わかってくれるの!?」
「も、もちろん」
興奮気味に身を乗り出すリリナに思わずたじろぐお兄さん。
リリナは、よほど根に持っていたのか、さっき見知らぬ少年に服の色を馬鹿にされたことを話した。
「はーっ、はーっ、すっきりしたっ」
一通り語り終え、息をつくリリナ。
「ははは、まぁ、君ぐらいの年の男の子なんてそんなもんさ」
「そうなのかなぁ」
「そうだよ、まだ子供だしね」
「子供……」
その一言にハッとした。
対等に話しているつもりだったけど、お兄さんは私のこと、子供の相手してあげてる気持ちなのかな。
なんだか少しもやもやする。
「ん? どうしたの?」
「な、なんでもないっ」
リリナはぷいと顔を背けてお茶の残りを飲み干した。
それから少し音楽の話(お兄さんの奏でる音楽はロックというらしい)をして、最後のクッキーを食べ終えると、お兄さんが立ち上がった。
「さて、そろそろお開きにしよっか」
「う、うん……」
この瞬間が終わってしまう。
名残惜しいな、と思っていると。
「俺、水曜日はしばらくここでやってるから。また聞きにおいでよ」
お兄さんがそう言った。
「あ、えっと」
もう、人間さんの街なんてこりごりだと思っていたけれど。
お兄さんの歌を聞くためなら、また来ても良いかもしれない。
「そ、そうね。少し、考えとくっ」
リリナは照れ隠しにそう言った。
お兄さんと別れ、魔女の森へのゲートが開く位置に立つ。
「すっかり遅くなっちゃった」
ゲートをまたぐ瞬間、振り向いて見た都市は、夜の輝きを放ち始めていた。
キラキラとして、得体の知れなさと美しさが同居していて。
「変なところ……だったな」
リリナはそう呟いて、街を後にした。
もしかしたら、続くかもしれません。