ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん 作:幼馴染にされたネクパイ
「ううむ……」
秋も深まった時節。
麗かな陽の光を背に浴びながら、“彼”は一人、トレーナー室で唸っていた。
手元のタブレット端末には担当ウマ娘……アーモンドアイの情報が表示されている。
(タイムの縮み方が尋常じゃない。伸ばそうとすればするほど、その上を行く。とんでもないな)
データとしては単なる数字だが、それをグラフにするとしたら、かなり極端な成長曲線を描くことだろう。
元より中等部なのだから、成長期と考えれば、ある程度は自然に思えるけれど、アイのそれは……常軌を逸している。
極端な例になるが、フォームをほんの少し改善しただけで、その日のうちにタイムを0.2も縮めたことすらあった。
まだジュニア期で、この成長率。
未勝利戦も悠々と勝った事だし、年末のGⅠに出ても勝機がある……が、ここで色気を出しては、今後のローテーションに差し支えてしまう。
ひとまず、かつてジェンティルも通った道であるシンザン記念を目標として、粛々とトレーニングをこなさなければ。
「楽しそうだね、兄さん」
「ん? おお、来てたのか」
不意に声をかけられ、しかしその聞き馴染んだ響きに、表情が柔らかくなる。
机を挟んで立っていたのは、“彼”の妹であり、ブエナビスタの担当トレーナーでもあった、“彼女”だ。
現在は過去の経験を活かし、特定の担当を持たず、複数チームの兼業サブトレーナーとして忙しくしている。
何やら、ごく一部では「お姉様」などと呼ばれているようだが……深く突っ込むと藪蛇かもしれないので、“彼”は知らないふりをしているのだった。
だって時々、知らない子から「お前かぁ……」的な感じで睨まれて怖いんだもん。訳が分からないよ。
「兄さんがまた凄いウマ娘を見つけたって、もう皆、持ちきりだよ?」
「ははは。俺が見つけなくても、アイなら必ず注目を集めてたよ。むしろ、契約してもらった俺の方が幸運かも知れない」
「……兄さんがそこまで言うなんて。同期の子達は大変だね……」
「かもな。しかし、問題は……」
話題に上がるのは、やはりアイのこと。
なんだかんだで、毎年必ずGⅠを勝っている名伯楽(ほぼ自覚無し)がスカウトしたウマ娘。
注目を浴びるのは必然だが、そこに能力の高さが合わされば尚更だ。
けれど、はたから見れば順風満帆な状況も、当人からすると悩みは尽きないらしく。
「今のモチベーションを、どれだけ維持できるか……。一番の問題はこれなんだ」
「ふぅむ……。むらっ気のある子なの?」
「その逆だ。とにかく集中力が凄い。止めないと無限にトレーニングしそうな位に」
「そ、それは……ある意味、困るね」
モチベーション。
物事を行うための動機付けや、意欲を掻き立てるもの。
普通に考えれば高くて困るものではない……はずなのだが、何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。
スポーツであればオーバーワークに繋がり、仕事においてはワーカホリックという強迫観念症となる。
ただでさえ困難なローテーションへと挑むアイにとっては、高過ぎず低過ぎず、適切なモチベーションの維持が肝要だろう。
「難しく考えず、基本に立ち返るべきじゃない? 好きな物を食べたり、趣味に没頭する時間を作ったり。単純だけど、やっぱり効果的だと思う」
「……それもそうだな。よし、さっそく聞いてみるか」
妹からの助言に従い、“彼”はさっそくスマホを取り出す。
アプリを立ち上げ、メッセージを送る相手はアイの母親である、フサイチパンドラ。
相手が仕事中であろう事を考え、いつ連絡しても良いような文面を整える。
『お疲れ様です。アイさんの事で少し質問があるのですが、お時間はありますか? いつでも構いませんので、宜しければ連絡をください』
送信ボタンをタップする前に一呼吸。よく確認してから、人差し指で押下する。
……と、ものの数秒で通話リクエストが飛んできた。
早いなおい。
「もしもし」
『あ、トレーナーさん? どもども、パンドラでーす!』
「どうも。わざわざお電話、ありがとうございます。でも、良かったんですか? お仕事中では……」
『んもー、大丈夫ですって! 仕事なんかよりアイちゃんの方が優先ですもん!』
それで良いのか売れっ子デザイナー。
いや、仕事よりも娘のことを優先してくれるのは素晴らしい姿勢だし、実際に有り難いのだけども。
『それで、何が聞きたいんですか? 最近のスリーサイズとかなら、上からぁ……』
「ちょっ、ちょっと!? そんなの聞かされても困りますってば!?」
『あっはは! 冗談ですよぉー』
大慌てで止める“彼”に対し、あっけらかんと笑うパンドラ。
本当に冗談のつもりだったのだろうが、反応に困る情報をぶん投げてこようとするのは心臓に悪かった。
変に意識したらお縄になってしまうのでやめて欲しいです。
話題を変えるためにも、“彼”はメッセージを送った理由を説明した。
『なぁるほどぉ。アイちゃんの好きな物かー』
「はい。今後のモチベーション維持に有効そうなものがあれば、教えて頂きたくて」
『もちOKですよ! まず好きな食べ物はぁ、きゅうりですね!』
「きゅうり?」
『もう小っちゃい頃から大好きで、他の子が漬け物とかヤダー! って嫌がるのに、一人だけ大喜びでキューちゃん食べまくってました』
「へ、へぇ……」
渋い趣味だな……。食感が好きなんだろうか?
脳裏に浮かぶのは、いつだったか見せてもらったアルバムの中の、髪をツインテールにした小さなアイが、国民的漬け物の代名詞であるキューちゃんを貪り食う姿。
確かに美味しいと思うけれど、子供の頃に喜んで食べたかと問われればNOである。
そういえば、アイが自作している昼食用のお弁当にも、必ず入っていたような。
『んでんで、きゅうり繋がりで好きなのが“キューまる”! 知ってます? カッパのアニメキャラなんですけど』
「あ、いいえ……そういうのには疎くて……」
『まぁ普通はそうですよねー。基本子供向けですし。でも映画とかは中々、侮れないんだなぁこれが!』
「映画ですか」
食の好みが渋いかと思えば、今度はアニメキャラ。途端に子供らしさ全開で、温度差が凄かった。
しかし、映画という選択肢は悪くない。
とにかくオーバーワークに気をつけねばならないアイに対しては、強制的に休息期間を設ける必要も出てくるだろう。
だが、自発的に休むのではなく、誰かから強制されて休まなければならない、というのは、実は非常にストレスのかかる状態だ。
そんな時、好きなアニメの映画などで余暇を過ごせたなら、肉体のみならず、精神的なリフレッシュ効果も期待できる。
後で検索してみよう。
『あぁん、今海外じゃなければ、一緒にリバイバル上映してるやつ見に行けたのにぃー!』
「いえいえ、教えて頂けただけでも十ぶ──」
『……デート。したかったなー』
「うっ」
高めのテンションから、急転直下のしっとりボイス。
忘れがちだが、パンドラは“彼”を窮地に追いやった元凶である。
ジェンティル、ヴィルシーナ、ブエナを始めとする面々の前で「未亡人ってダメ?」とのたまい、彼女達の危機感を焚きつけた張本人。
普段は開けっぴろげで大雑把な面が目立つも、隙あらばこうしてアピールを欠かさないマメな部分もあり、手のひらで転がされている気分だった。
「こ、このお礼は、いずれ、何かしますので……」
『んふふ。楽しみにしてまーす!』
当たり障りのない返事で通話を終え、ため息をこぼす“彼”。
顔を上げると、妹に見下ろされていた。まるで、台所を走り回るGを見るような表情で。
問い。いい年して未婚の兄が、目の前で電話越しに未亡人とイチャコラしているのを見せつけられた、同じく未婚の妹の心境を答えよ。
答え。あのさぁ……。
「な、なんだよ」
「…………」
「……何か言いたい事があるなら」
「言っても良いの?」
「…………やっぱ勘弁してください」
「はああぁぁあぁぁ……。私、もう行くから」
くそデカため息を残して、“彼女”は去っていった。
その頭の中ではもちろん、
このままだと、ブエナがゴールインする前に差されてしまう。どうにかして位置取りを押し上げなければ。
兄が結婚するまでは自分も……と考えているので、そっちの意味でも必ず成し遂げねばならない。
ふっふっふ。絶対にブエナとくっつけてやる。腕が鳴るなぁ……!
……などと考える妹を見送り、ほんの数秒。
再びスマホが着信を告げ、“彼”はビクゥッと肩を跳ねさせた。
発信者は……知らない番号。
普段なら無視するところだが、何故だか今日に限っては応じないといけない気がして、恐々と通話ボタンを押す。
「も、もしもし」
『お。トレーナーさん、おひさー』
「その声は……トランセンド?」
意外や意外、声の主は、ブエナの学生時代からの友人である、トランセンドだった。
その当時からガジェット大好きサブカル系ウマ娘だったが、現役時代の経験を経て、今はNPO法人などに協力し、世界中を駆け巡っているのだとか。
そんな彼女がどうして……? というか番号どこで知ったんだ? クラッキングとかされてないよな……?
若干の不安を覚える“彼”に対し、しかしトランはケラケラと笑う。
『いやー、なんか急に連絡しなきゃいけない気がしてね? 用件だけ手短に伝えるよん。
このまま放っておくと、シュヴァちとジェラるんが爆発するかも? 早めの対処がオススメかなー』
「……何を言ってるんだ、君は?」
『なっはっはっは。全く全然ウチにもサッパリ妖精。んじゃ、頑張れー。はぁーサッパリサッパリー』
「あっ、ちょっ」
言うだけ言って、通話が切られてしまった。
静寂。
トレーナー室に取り残された“彼”は、言い知れぬ危機感を覚える。
爆発。
よくない噂。
勝手に傷つく一回会っただけの顔見知り。
うっ、頭が……っ。
「……と、とりあえず、予約、映画の席の予約、取らないと……」
何はともあれ、行動しなければ始まらない。
近場の映画館を検索し、ネット予約を進める“彼”であったが、やがてその指は凍りつき、ややあって、慌てたように通話アプリの連絡先を開くのだった。
数日後。
いつもの一張羅を着た“彼”は、一人、映画館へと向かっていた。
週末という事もあり、同じ方向へ向かう人々は多く、それぞれに楽しげな表情を浮かべている。
身バレ防止のため、ハッチング帽と色付きサングラスを身につけた“彼”もまた、足取りは軽い。
何故なら、向かう先には待ち人が居るからだ。
「シュヴァル、ディーナ。お待たせ」
映画館に程近い公園で待っていたのは、ジェンティルの後に担当した二人のウマ娘。
史上三人目の秋古馬三冠を達成したシュヴァルグランと、エリザベス女王杯に加え、引退直前に春秋マイルを制覇したジェラルディーナである。
二人とも、“彼”と同じように簡単な変装をしていた。
「あ、トレーナーさ──」
「トレーナー様ぁ♪」
「ぅわっ」
「ぬぉ!?」
挨拶をするや否や、話していたシュヴァルを押し除けて“彼”に抱きつくディーナ。
絶対に逃すまいと背中に腕をガッチリと回し、これでもかと胸元に額を擦り付けている。
摩擦であっつい。
「お久しぶりです、トレーナー様……。お会いしたかったですわ……♪」
「あ、ああ。うん、久しぶり……っ」
ディーナの全身から放たれる好き好きオーラに、“彼”の体は危険信号を発していた。
ジェンティルと似た雰囲気を持つ彼女だが、似ているのは雰囲気だけでなく、顔立ちや声、髪色などもそっくりで、前髪に流星が無ければ、親しくない人物は見紛うこと間違いなしである。
そんなディーナが、ジェンティルだったら絶対にしないような大しゅき攻撃をしてくるものだから、もうホント、色んな意味で防御力を無視されているような状態なのだ。
今でこそこんな感じだが、出会った当初は「ジェンティル様の寵愛を独り占めする不届者!」と嫌われていただなんて、誰が信じてくれるだろう。
そして、HPゲージに直接攻撃をされている“彼”を救ったのは、ディーナの一年先輩であるシュヴァルだった。
「……ちょっと、ディーナさん。今なんで僕を押し除けたの。僕、一応君の先輩なんだけど」
「あ。え、っと……。気が、昂ってしましまして、その……。も、申し訳ありません……」
「むぅ……。気持ちは分かるけど……。はぁ、もういいや。トレーナーさん、今日はお誘い、ありがとうございます」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。子供向け映画をおっさんが一人で見るのは、ハードルが高くてさ……」
それなりに付き合いが長いからか、シュヴァルのディーナへの物言いは、姉妹に対するそれと近い。
秋古馬三冠を達成してからは自信もついたようで、以前のような、おどおどした態度は少なくなった。ヴィルシーナ達は少し寂しそうにしていたが、これも成長の証だろう。
……まぁ、少なくなっただけで皆無ではなく、初対面の人物相手には挙動不審になったり、言葉を噛みまくったりするのだが。
「私のお友達にも、このシリーズを好きだと言っている子が居ましたので、少し気になっていました」
「評判、良いみたいだよね。こうしてリバイバルしてるくらいだし」
「だな。じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい」
「はい!」
挨拶を終えて、三人は映画館へと移動を始める。
が、“彼”はその一歩目で、たたらを踏んでしまう。
それは何故か。左腕をガッシリと抱え込まれているからである。もちろんディーナに。
「ディーナ? あの、腕……」
「……お嫌ですか……?」
「う……っ。ちょ、ちょっと、歩きづらい、かな……」
「じゃあ……我慢します……」
しゅん……と悲しげに表情を曇らせ、腕を解くディーナ。
そして、恐々とジャケットの袖をつまみ、視線で「この位なら良いですか……?」と問いかけてくる。
お嫌ですか、に答えなかった卑怯者は、今度は罪悪感でMPにダメージを負った。
ジェンティルの後輩とは思えない、恋愛強者ムーブだった。
(思えば、小さい頃のブエナ以外では初めてなんだよな。明確に好きだと言ってくれたウマ娘は……)
灰色の学生時代と警備会社時代は、女性と全く縁のない生活を送っていたが、トレーナーになってからはご覧の通りで、好意を向けてくれるウマ娘も居る。
しかし、行動が明らかにそうであっても、ハッキリと言葉で好意を伝えてくれた存在は、意外にもディーナだけであった。
直後に逆ぴょいされそうになって有耶無耶になってしまったけれど、それさえ無ければ、とっくにディーナと結ばれている世界もあった……のかも知れない。
ジェンティルのシニア期にチョコを渡してきた同僚連中?
一年と経たないうちに(最短は一ヶ月で)全員が寿退職しやがったので、もう思い出したくもない存在である。そのせいで一時期、軽い女性不審にも陥っていた。
歳を考えると純粋すぎる反応だが、実際に純粋というか無垢というか純潔なのだから仕方ない。
なお、さっきは口を挟んできたシュヴァルが静かなのは、ディーナの反対側で、それとなくジャケットの裾を摘み、然もそれが当然であるように佇んでいるからだ。
姉と違って無言のアピールができるだけ、シュヴァルも恋愛強者、なのだろうか?
それはさて置き、両手に華状態で映画館へ辿り着くと、入り口は家族連れで賑わっていた。
キューまるの映画の他にも上映されているが、この客層を見ると、ディーナの言った通り人気は確かなようだ。
「トレーナーさん。ポップコーン、買いませんか」
「お、良いな。違う味を選んで、シェアでもしようか」
「……はい! えへへ。トレーナーさんは、僕の言いたい事、すぐ、分かってくれますよね」
「そりゃあ、現役時代にさんざん買い食いしたからな。何を食べたがってるのかも、分かるようになるよ」
「うっ。そ、そうでしたっけ……?」
「そうですわよ! 私も付き合わされて、体重管理がどれほど大変だったか!」
「…………あっ! 珍しいフレーバーがありますよ、ほら、期間限定のなめ茸バター味っていうのが」
(誤魔化したな)
(誤魔化しましたわ)
色気よりも食い気が勝ったシュヴァルが、特大サイズのポップコーンを注文し、飲み物も用意。
チケットの確認が済んだら、いよいよシアターへ。
三人並んで席に座り、上映開始を待つ。
「席に座っても、始まるまでが長いんだよな、映画って」
「始まった、と思ったら違う映画の予告編だったり……」
「分かりますわ……。けれど、意外と面白そうなのもあったりして、また来たくなったりするんですのよね」
「確かに。……お、噂をすれば」
談笑していれば、待つ時間もあっという間だ。
暗くなっていく中、携帯をマナーモードに設定し、ポップコーンと飲み物を一口。
アイとパンドラが絶賛する映画……の前の、予告編タイムが始まった。
そして、数時間後……。
「ゔっ、ぐすっ……良かった……どでも、っすん、とても良い映画でしたわ……!」
「うん……。凄く、感動させられちゃった……」
映画館を後にするシュヴァルとディーナの顔は、良い意味で涙に濡れていた。
子供向けのアニメ映画。
侮っていたわけではないが、情緒溢れる映像美、声優陣の感情豊かな演技、王道ながらアレンジの効いた脚本などが合わさり、紛れもない傑作である。
当然ながら、“彼”もこの映画に感じ入っており……。
「トレーナーさん、大丈夫ですか……?」
「……っ……ごべん……だいじょばない……ゔっ……ふぐぅ……っ……」
「まぁ、お顔が大変な事に……。どうぞ、タオルを使って下さいまし」
「あ゛、あ゛りがどゔ……」
三人の中で、一番に酷い有り様でもあった。
大の大人が、良い歳して涙と鼻水を垂れ流しているにも関わらず、好奇の視線を集めることは無い。
周囲にも、同じような状態の家族連れが存在するからである。
子供向け映画のはずが、それを一緒に見た大人の方が大きなダメージを負うという、割とよくあるケースだ。
「もう歳かなぁ。すっかり涙腺が弱くなって……あ、ダメだ思い出すとまた……っ」
「そんな事ないですよ。僕達だって、いっぱい泣いちゃいましたし」
「ええ……。文字通り、感情を揺り動かされましたわ。素晴らしい脚本でした……」
かいつまんで説明すると、登場キャラクター達が些細なことですれ違い、アクシデントに見舞われて離れ離れになり、その間に互いを想う様子を細緻に描き、最後は再会して大団円……という、まさしく王道の内容だ。
しかしながら、それをとんでもなく高いクオリティーでやられると、どうしようもなく感情を揺さぶられてしまう。親しみやすいデザインの可愛いキャラ達というのも、感情移入しやすい要因だろう。
結局、“彼”が落ち着いたのは、近くの喫茶店に入り、30分ほど経過してからだった。
「はぁぁ……。久々に、いい涙を流した気がする……。ストレスの解消法として知ってはいたけど、なんか、心が整ったような、そんな感じがする」
「……考えてみると、泣くって、意外と難しいですよね」
「基本的には、ネガティヴな体の反応ですもの。実践しようにも、色々と大変ですわ」
「うん、そうだな。とりあえず……。他の作品も、時間を作って観てみよう」
「僕も……。ヴィブロスに勧めてみようかな……?」
「いいですわね! きっと気に入って下さいますわ! 私はジェンティル様に……うぅん、一緒に観てくださるでしょうか?」
こうして、ひょんな事から始まった映画鑑賞は、大満足のうちに幕を下ろした。
“彼”はその後、言った通りにキューまるの映像作品などを履修し始め、約一ヶ月後のトレーナー室には……。
「……あら? これって……!」
MTGのため、トレーナー室を訪れてすぐ。
アイは、部屋に備え付けのテレビの前に、昨日までは無かったアニメ作品のパッケージを見つけた。
可愛らしいカッパのキャラ達が全面に描かれたそれは、もちろんキューまるのアニメである。
「ね、ねぇ、トレーナー? ここにあるのって……キューまるのアニメよね?」
「ああ。そうだよ。パンドラさんに、アイがキューまるの事が好きだって聞いてさ。試しに観てみたら……ハマっちゃって」
少し気恥ずかしそうに、“彼”はスマホを掲げて見せる。
ストラップには、昨日までは付けていなかったキューまるのチャームが。
先日始まったばかりの、コンビニとのコラボ商品だ。
ただでさえキラキラなアイの目が、それはそれは嬉しそうに輝いた。
「水くさいじゃない、トレーナー! 言ってくれれば、オススメのエピソードとか映画とか、色々と教えてあげられたのに!」
「ははは、ありがとう。今日は休養日だし、MTGが終わったから鑑賞会でも、と思うんだけど、どうかな」
「もちろん良いわ! 何から観るのっ? やっぱり第一期シリーズかしら? ああでも、劇場版三作目は昔の話だから、そっちを先に観た方が理解度が……」
普段よりもテンション高めに、やや早口になって語る姿は、大好きなものを前にした子供そのもの。
どんなに高い素質を秘め、困難な目標に真正面から挑むアスリートであっても、まだ幼い少女。
その感受性豊かな精神と、これから酷使するであろう肉体も、必ず守らなければ。
楽しそうにパッケージを手に取るアイを見守りながら、“彼”は改めて、そう誓うのだった。
『オマケ 本日のアーモンドアイちゃん 悪い顔』
「むう……。ママの方の予定がこうだから……この日だったら……」
夜。
美浦寮の自室にて、アイはスマホと睨めっこしていた。
今日も今日とてトレーニングに励み、入念な準備をしたバスタイムを堪能し、あとはぐっすり眠るだけ。
本当なら、スマホをいじるなんて厳禁なのだが、それでも確認しておきたい事があったのだ。
「アイー? どうしたんだー? なんだか悪い顔してるぞー」
「悪い顔って、失礼ね。ママの新しい恋が上手く行くように、色々と考えているだけじゃない」
「アイのママさん? ……あ、そっか」
そんなアイに話しかけるのは、同室のニンゲン大好きウマ娘、ブラストワンピース。
大好きと言っても、幼い頃に人間達の世話になった経験から、自分とは違う種族である人間種への興味を抱き、それを追求しつつも、恩返しのためにレースを志している形だ。
人懐っこい性格は、人間だけでなくウマ娘にも発揮され、アイを始めとして友人も多い。
その関係で、アイの母親……パンドラの事情も知っており、母親の新しい恋、という言葉の真意も理解できたようである。
「なーなー。ママさんの好きなヒトって、どんなニンゲンなんだー? 心配はしてないのかー?」
「心配? いいえ、していないわ。“あの人”なら、きっと良いパパになってくれると思う」
「ふーん……?」(という事は、アイと面識あるんだなー)
まさかパンドラの想い人が、アイの担当トレーナーとは知りもしないブラストは、脳裏に見知らぬ男性を思い描く。
優しそうなニンゲン。たくましいニンゲン。他にも色々だ。
どんなニンゲンかは定かでない(実はブラストとも面識あり)けれど、アイがここまで太鼓判を押すニンゲン。きっと良い人物なのだろう。
「なんだかアイが楽しそうで、ブーは嬉しくなってきたぞ! ママさん、幸せになれると良いなー」
「ええ、本当に……。だけど、油断は大敵よ。ライバルは多いんだもの、次の作戦も、次の次の作戦も、しっかり考えておかなきゃ……!」
「そ、そっかぁー」
軽い気持ちで応援の言葉を送ったブラストだったが、アイの瞳はやる気に燃え上がり、鬼気迫る勢いだった。
母親を想う気持ちは尊いと感じるも、ブラストの胸中に、今度は別の気掛かりが生まれる。
(でもなー? その言い方だと、まるでアイがママさんの好きなニンゲンを攻略してるみたいだぞ。それって良いのかー?)
始めはそんなつもりがなくとも、相手を知るうちに同じ気持ちを抱き、やがて泥沼の昼ドラ展開に……。
ニンゲンの勉強を兼ねて何度か見たドラマでは、とても凄惨な物語が綴られていた。アイにはそうなって欲しくない。
……よくよく考えると、あれはお昼の時間帯だっただけで、内容的にはサスペンスの再放送だったような気もするけれど、それはそれ。
どこまでも勝つ事に貪欲なルームメイトの幸せを、ブラストは祈らずにはいられなかった。
遅かったじゃないかって? 年下師匠に浮気してましたサーセン。いうて一話だけやし許してちょんまげ(死語)。
というわけで、一話のみの短編ですがファレノさんの話をだいぶ前に書きました。ご査収ください。
https://syosetu.org/novel/426842/
んでもって、本当はブエナちゃんのオマケも今回の話にくっつけて更新するつもりだったんですが、ちょいとリアルが立て込んでおりまして……。
このままだと更新が11月になりそうだったし、描きあがってる分だけ先にアップする事にしました。
分割したブエナちゃんの話は後で個別に更新しますので、許してくださいなんでもしますから(前振り)。
次回、ブエナビスタVSフサイチパンドラ! 前代未聞の押しかけ女房対決! こうご期待!