「リオ先生おはよー」
「おはよう!」
「⋯⋯ええ、おはよう」
学校の中を歩く。
周囲を横目で見ると、どうにも見覚えがない。学校の敷地内はすべて把握していたのに、その知識はここ十何年でまったく使い物にならなくなってしまった。
記憶をたどれば、昔、この辺りは人気がないエリアだったはず。随分と改築と改装を繰り返したようで、あの頃の面影はとっくに失われていた。
知らない間に変わってしまったことを少し惜しく思う。卒業して以来、すっかり寄り付かなくなった場所だったから。
私が勝手に昔を思い出して行きたくなかっただけなのだけど。
なんとなく、足取りが重かったのだ。
もしここを拠点にしていたら感傷に浸るようなことはなかっただろう。ここで過ごしていれば、毎日の変化を明確に認識することなどなかったはずだから。
時間が、私に感傷を与えているのだ。
この学校から離れていた時間が。
そんな中で変わらないものは活気だった。私がその一部であったことはなかったが、その熱意と、未来への期待は、昔から変わらずそこにあった。
時計を見る。
授業の開始時刻が、もう少ししたら来てしまう。教師が遅刻というのも示しが付かないだろうと思って、私は少しだけ歩くスピードを速めた。
私がミレニアムで、非常勤講師として教鞭をとることになったのは、少しばかりの心変わりのせいだった。
もともと先生らしいことなんてしていなかったので、それを悪く思っていたのが一つ。
もう一つが、何か新しいことをしたいというあまりにも遅い決断をしたせいだ。
新しいことと言ったら、私にとってはたくさんのことがある。これまでの人生で大したことをしてこなかったから、何も、人に何かを教えるということだけではない。
その中で、改めて『先生』という道を選んだのは、私の肩書きがそれであるということも理由だ。
まぁ、これは小さな理由なのだけど。
⋯⋯ユイに何かを教えることに、私は充足感を感じていた。何かを遺せているような気がしたことが、この選択をした大きな理由だった。
色々なことを伝える中で、後進の育成というものに興味が湧いたのだ。
ユイが私の後をきっと継いでくれると思うだけで、気が楽になった自分が居た。
学生時代の私が聞けばそれこそ錯覚だと言うだろうが、今の私は安心してしまっていた。
ずっと前の私なら、誰かに後を託そうだなんて思わなかっただろう。託すという言葉は耳障りがいいだけで、結局のところやるべきことを押し付けているだけだと思っていたからだ。
けど、それはきっと違う。
託すことにも、遺すことにも、確かな意味がある。
ユイのお陰で、ようやくわかったことだ。
ミレニアムにも様々な生徒がいる。
かつての日々のような、輝く原石がある。
それを拾い上げ、導く。
未来につながるものを遺す。
ヒマリも、そんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろう。
こんな年になっても、少しでも変わっていきたいと思ったのだ。
こんなことを宣うようになった私を、ヒマリが見たらなんと言うだろうか。
笑ってくれてもいい。
いや、笑ってくれたらいい。
偉そうなことを言ったが、『後進の育成』はさっぱり進んでいなかった。
初回の授業で、私はユイに教えている時のことを思い出して授業をした。
私が人にものを教えるといった経験は殆どなかった。唯一あったのが、ユイに対してのそれだった。
ユイには昔から様々なことを教えた。だから、私でも先生ならやれるのではないかという甘い見通しがあったのだ。
結果、殆ど伝わっていないようだった。
流石に私の教え方が悪かったのかと思い、適当な生徒に声を掛け話を聞いてみると、「あまりに内容が難しかった」と言われた。
ユイは分かってくれたのだが。
そう口からこぼれてしまったのだろう。
そうすると、目の前の生徒に「ユイちゃんと一緒にしないでください!」と言われた。
そうして私は授業のレベルを一段階ずつ下げた。
六つほど下げたあたりで、クラスの半分ほどの生徒に伝わるようになったので、最近はこのあたりで下げるのをやめにしている。
人に教えるということは難しい。
相手の理解力に、というかユイに依存していた事実を発見し、私は反省した。
結局、私は人と話すのが得意でないのだから、ずっと昔からそういう教える力は育っていなかったのだろう。
まあ、向いてないのは知っている。
それでも、前に進みたいのだ。
私は、私たちは、ミレニアムなのだから。
「調子はどうですか? リオ」
「⋯⋯学校でぐらい、先生をつけてくれないかしら」
授業が終わり、昼休み。
私は中庭でぼんやりとしていた。
そうしていると、ここに居ると話していなかったはずなのにユイが隣に腰掛けてきた。学校でユイと会うのは珍しかった。接点がないためだった。
心なしか瞼が重そうで、寝不足なのかもしれない。
「で?」
「難しいわ」
「でしょうね。私と話してるみたいに授業したら駄目ですよ」
「痛感しているわ」
「リオって私以外とそんなに話してないから難しいんじゃないですか?」
そう言われて、少し言い返す。
「そんなことはないわ。アリスやケイとも話してる」
「他には? それと、あなたから話しかけてますか?」
「⋯⋯」
「まぁ、コミュニケーションは量とも言います。もう少し人と話すようになってから勝負を挑んでください」
言い返せなかった。
「や、無理して話さなくていいですよ。非常勤もやめましょう?」
「急にどうしたのかしら」
「私以外に生徒を持ったのが気に食わないです」
「⋯⋯?」
ユイは、どうしてか私がミレニアムで教鞭を取るのを嫌がった。初めて話したとき、それはもう本当に反対されたのだ。
私が向いていないからそう忠告しているのかと思えば、どうやら違うようで。
「その、わからないから教えて欲しいのだけど」
「私は唯一なんでしょう?」
「⋯⋯あぁ」
なるほど。以前言ったことを覚えていて、気にしていたのか。
私はこんなに近くにいてくれている人のこともわかってやるのが難しい。
だから、ありきたりなのだが、これからはちゃんと言葉にしようと、そう思っているのだ。
「変わらないわ、それは」
「どうだか」
「貴女が私を特別と言ってくれたように、私にとってもそうなの」
「⋯⋯ふん。そうですか」
「本当よ」
そう言って、私はユイの手を掴んだ。
「あーもう! 分かりましたから!」
慌てて手を振り払うユイ。
少しの沈黙。少しの逡巡。
そうした後に、ユイは肩にかけていた鞄から袋を取り出した。
「⋯⋯どうせ、昼は抜こうとか考えてましたよね? あげます」
袋を開けるとお弁当だった。
どうやら、手作りのようで。弁当というものに詳しい訳では無いが、それなりに凝っているもののように私の目には映った。
「面倒じゃ、なかったかしら」
「一つ作るのと二つ作るのはそんなに変わらないんですよ」
「⋯⋯そうなのね。ありがとう。いただくわ」
昼食は実際に食べなくともいいかと考えていたので、ありがたく受け取ることにした。
食べ進める。色とりどりのおかずが、すてきな物に見えた。久しぶりに、人が私のために作ってくれたご飯を食べたような気がする。
トキがいた頃以来だろうか。
「どうですか」
「おいしいわ」
「どれがよかったですか」
「まだ、全部を食べたわけではないのだけど、卵焼きがおいしいと思う」
私は素直に話した。
「へえ、ふーん。そうですか」
「どうしたのかしら」
「いや? なんでもないですよ」
「耳が赤いけれど」
「ほんっとうに人の機微に疎いですねあなた!!!!」
なぜか、急に怒り出してしまった。
「ごめんなさい、どうして怒っているのかしら」
「自分で考えてもらえますか??」
「ん⋯⋯」
考えてもわからない。
そうして私が悩んでいる間に、ユイは自分の分を片付けて、しまい込んでしまった。
「箱は帰るときに貰いますから!!」
「分かったわ」
「あと! ⋯⋯明日も、持ってきますから、ここで待っててください」
ユイがどこかへ行く前に、私は伝えた。
「ありがとう、ユイ」
「⋯⋯どういたしまして」
遠くなる背中を見ていると、最近はとんと聞いていない、懐かしい声が聞こえた気がした。
『羨ましいです』
それは、随分と久しぶりだった。
人は声から忘れて、記憶も摩耗すると言うけれど、ずっと鮮明で明瞭な、はっきりとした声だ。
ただの幻聴だ。
周りに聞こえないぐらいの声で、私は返す。
「これは、私のだから」
悪いとは思っているけれど。
貴女でも、あげられない。
☆☆☆
現在時刻は朝の5時。
眠い。
数時間起きるのを早めるだけで、こんなにも辛いのかということを、私は身を持って理解させられていた。
眠い。諦めてしまおうか。
そこまで考えて、私は無理やりベッドから飛び起きる。洗面台までふらつきながら歩き、顔を洗う。
そこまでやって、ようやく思考が安定してきた。
私だけ諦めるわけにはいかないのだ。
なぜなら、アリス姉さんに来てもらっているからだ。朝5時に。
キッチンに向かう。
這々の体で辿り着くと、アリス姉さんがもう準備を始めてくれていた。
「来ましたね! ユイ!」
「⋯⋯なんでメイド服なんですか?」
なんで?
「ちゃんと手を洗いましょう! 特にお弁当を作るときは気をつけてください!」
言われるがままに、手を洗う。
思えば、弁当どころか料理を真面目にやったことがなかった。
「洗えましたね! 今日はアリスのメニューで行こうかと思いますが、入れたいものとかありますか?」
「いえ、取り敢えず大丈夫です」
何が良いとかは分からない。
なら、自分が好きだったものがいいだろう。
私のお弁当は、アリス姉さんとケイ姉さんが作ってくれていたのだ。
「それじゃあ、始めますよ! 今日のアリスはメイド勇者です!」
なんで?
私の困惑をよそに、姉さんからのレクチャーは始まった。
「お肉は早めに炒めます! 冷まさないといけませんからね!」
「結構味付けは濃くて大丈夫ですよ! 冷ました食べ物は味覚で感じにくいのです!」
「お弁当は保冷剤の上に置きましょう。詰めたあとも冷やすためですね!」
「卵焼きはスピードが命です! ユイは甘いのとしょっぱいのどっちがいいですか? しょっぱいのですね、わかりました!」
「ユイ! 急いでください! 最初に注いだときに少しかき混ぜないといけないんです! あー! 混ぜ過ぎです! スクランブルエッグになってしまいます!!」
「これは朝ごはんにしましょうか。さぁ、もう一回ですよ!」
「そうです、慎重に⋯⋯やりましたね! レベルアップです!」
「アリスは梅干しが少し苦手です⋯⋯ですが、ご飯にのせると安心です!」
「冷凍食品も上手く使いましょう! 最近のは凄いです!」
「ミニトマトを手で持って詰めてはいけません! 菌がついてしまうので、菜箸を使ってください!」
「完成です!! ゲームクリアですね、ユイ!」
「 」
しんでしまう。
お弁当とは、これほど気をつけて作られているのか。というか時間がかかり過ぎだ。
「ユイ、急がないと遅刻です!」
「ありがとうございます! 姉さん!」
ぐっと親指を上げて、ウインクする姉さん。
本当に、頭が上がらない。
私は鞄をひったくるようにとって。
丁寧にお弁当を入れて。
気持ち揺れないよう慎重に、私は家を飛び出した。
リオが、非常勤としてミレニアムで教師を始めたのだ。不愉快なことに。
聞くと、変わりたいだなんて。
なんともまあリオらしい生真面目さではある。そういうところは嫌いじゃないのだけど、それでもやっぱり先生を選ばなくたってよかったとにとは思うのだ。
「なーにが『唯一』ですか」
確かに、随分と長い間リオの唯一であったことには変わりない。
なにより、リオは持っている生徒が私一人ということを指して唯一なんて言葉を使ったわけではないのだろう。
理解している。リオは、伝えるのがへたな割に、言葉を軽くは使わない。
それでも理解していることと、それでも不愉快だということは両立できた。
あれから少しして、リオが外に出るようになったのだ。引きこもりみたいに話をしてしまったが、まあ快挙だ。それに、ミレニアムで先生として働くなんて!
以前までなら、あり得ないことだった。
アリス姉さんは喜んだ。
ケイ姉さんは驚いていた。
お父さんは褒めた。
プラナは嬉しそうだった。
私だけだ。
私だけが、子供みたいな理由でそれを嫌がった。
幼稚だ。
つまらない独占欲。私だけのものを、取り上げられていじける子どものような。
くだらない。
どこまでも、私は子供みたいで、嫌だった。
だから、これは牽制だ。
リオが一歩を踏み出したのは良いことだ。それは認めよう、仕方がないと納得しよう。
だけど、リオは私のだ。
私の特別だ。
レベルを下げたつまらない授業なんて受ける気が起きない。いくらリオの授業でも、扱う内容があの程度では時間の無駄だ。
私が受講したら、リオも気が気でないだろうし。リオが私に合わせて話し始めたら、リオの先生としての評価も下がるかもしれない。
それがきっかけでリオが先生を辞めるのもいいかもしれないが、流石に、悪い。一応認めることにしたのだから、それはやめよう。
だから、考えるほどに学校という場において、私とリオには接点がない。
今まではリオが外に出たりしていないから安心できたが、学校で悪い虫がついたら困る。
困る。知らない間にリオのことを気に入って、つきまとう奴が出てきたら、とても困る。
私がそいつをどうするか分からないから困る。
だから、手っ取り早く、牽制する必要があるのだ。
そんな奴が出てこないように。
で、その手段。
色々考えた。
考えて、弁当にしたことについて大した理由はない。まぁ、毎日会う口実としては悪くない。
しれっと渡せばいいだろう、多分。
作戦名はCode:BOX。
お弁当の箱を回収するまでが作戦だ。
渡した。
こんなに、こんなに恥ずかしいと思わなかった!!
明日も、その次も、持ってくるのか、私は。
続けられるだろうか。
続けたいなあ。
おいしいと言ってくれてうれしかったのだ。
やっぱり私は単純なのかもしれない。
軽くため息をついて、アリス姉さんにお礼のメッセージを送る。
少しして、他のも教えて欲しいと、続けて送った。
今日で小説初投稿から一年が経ったらしく、その記念の番外編です。
こういうことも、実はしてみたかったので。
新作のほうが格好がつきそうですが、あんまりにも筆が遅い上に書き出してみるばかりでまとまらず。結局、すらすら終わりまで書けてしまったのでこちらを投稿させていただきました。
一周年の初投稿作品も、良ければお願いします。
題名【ずっとそばにいて】
https://syosetu.org/novel/388788/
一万字程度の、ナギサとミカの話です。
少し暗めの話ですが、こちら読んでいただけると幸いです。
また、お会いできたらと思います。