井芹仁菜の鏡像は何を見る?   作:鏡合わせ

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譲れないからこそ

 あれから一ヶ月が経っただろうか。

 川崎に戻って来て、今まで通りの生活が戻って……来てはいなかった。間を空けたのを嫌だからじゃない。もう逃げなくてもいい、これから先は自分の道を進んでいいと信じることが出来るようになった。

 

 私にとってあの蕎麦屋が一つの居場所。

 いつでも帰れる居場所に変わった。あそこにいる人たちは今でも嫌いだけど、お父さんとはきっと昔とは違ってちゃんと話せるようになった。今だって、こうやって連絡を取り合うほどだから。

 

『最近の調子はどうだ?』

『うん、大丈夫だよ。バイトの方も生活費の方もちゃんと稼げてるよ』

 

 一番お父さんが心配して来そうなことに返事をする。

 正直、これからのことなんてまだ何も考えていない。私は中卒だし、これからの将来のことを考えれば高卒認定とかぐらいは持っていた方がいいに決まっている。将来的な不安はあるけど、私にとって不変的なものが存在する。

 

 それは間違いないなく……。

 

『椿ちゃん、今日大丈夫?』

 

 お父さんとの連絡を見返していると、井芹さんから連絡が来る。

 仰向けでベッドの中にまだ居続けていた私は……。

 

『井芹さんの為なら、死地へでも向かいます!』

 

 なんて送り返してしまう。

 先輩が戸惑ってしまうのが目に見える。後先考えないで、こんなことをしている時点で自業自得でしかない。私は井芹さんの連絡を受けてすぐに着替える準備をする。何処へでも行ける準備を、だ──。

 

 

 

 

 

「井芹さん、お待たせしました!!」

 

「急にごめんね、椿ちゃん」

 

「い、いえ!!」

 

 呼ばれた場所は喫茶店だった。

 現場にすぐ急行したこともあって、私の額は汗だくになっていて井芹さんの前で汗を掻いている私なんて見せられないと思ってハンカチで汗を拭って私は井芹さんの前に座る。こうやって向かい合って座るなんていうこともこれで何度目だろうか。井芹さんが私のことを助けてくれて以来、ずっと?いやずっとは誇張し過ぎかも……。

 

「それで仁……井芹さん。今日はどうなされたんですか?」

 

「仁菜でいいよ?」

 

「いや、それは流石に……」

 

 仁菜と言いかけてすぐに私は訂正してしまう。

 前に一度だけ仁菜でいいよと言ってくれたことがあったけど、どうしても恐れ多くて私は拒否してしまった。久々に挑戦してみようと思ったけど、やっぱりダメで井芹さんと呼んでしまう。

 

「な、なんで笑うんですか?井芹さん」

 

「ご、ごめんね……椿ちゃんちょっと一ヶ月前のこと思い出してたんだ。椿ちゃん自分で言っていたこと覚えてる?」

 

「覚えてます、あのときのことなら幾らでも鮮明に思い出すことが出来ます」

 

 笑う井芹さんに私は真剣の表情じゃなくて、何処か頬の筋肉が緩くなった表情で見つめる。

 車の中で二人で話したあの思い出は私にとって、大切な思い出でもあり今私が最も譲りたくない部分でもあるから。

 

 

 

 

 

 

『一旦休憩でよろしいですか?』

 

 軽井沢からの帰り、私はルパさんが運転する車の中に乗って行った。

 トゲトゲのメンバー全員が乗っている車の中、なによりも隣に井芹さんが座っているという事実だけで私は恐縮してしまって何かを話すことも出来なかった。前からは智さ……智ちゃんの威圧感も感じていたし。

 

『ああ、悪い。夕飯SAで済ませるけどいいよな?』

 

 桃香さんが皆さんに確認をしているのを見てから、私も頷くと皆さん車から降りて行くようでした。一番最後に井芹さんが降りようとしていたけど、井芹さんと話すかで悩んでいた。下手をすれば、このまま何も話さないで次のライブのときに会うなんて気まずいことが起きてしまう。

 

『どうしたの?椿ちゃん?』

 

『え?え??』

 

 思わず、声を荒げてしまう。

 気づいていなかったけど、無意識のうちに私は井芹さんの名前を出してしまっていたみたいだった。

 

『あ、あの……』

 

 知らないうちに声を掛けてしまっていたので声が上回ってしまう。

 自分でも恥ずかしくて顔を伏せたくなるのを堪えて、声を掛けた。

 

 

 

 

 

『ありがとうございました、井芹さん』

 

 目を見て話すという行為がこんなにも難しいことな訳がない。

 今までだって、自分を信じてきたと思い込ませていたからこそ背伸びをして誰にも負けないためにも胸を張って生き続けた。もしかしたら、昔も今もそれは変わらないことなのかもしれない。人の心が変わるなんてのはきっかけと長い年月が必要。私は今その一歩を踏み出している。お父さんのこともそう。今こうして井芹さんと話して過去のことを思い出してることもそうだ。

 

『私は貴方と出会えてなかったら、きっと変わることなんてできなかった。私は貴方の歌と行動に救われて、今の自分がいるなんてことを言うのは重いかもしれませんけど……』

 

『事実だからこそ歪めたくない。勝手ですし、最低かもしれませんけど浅瀬で溺死しかけていた私にとって貴方の全てが全てだった』

 

『私にはそれが動力源になっていたんです』

 

 重たいなんてもんじゃない。

 人一人の人生と命運を決めた。そんな大それたことを言うつもりはないけど、私の場合穴の中に放置されてそこで暮らすしかないんだと思い込んでいた。そんなときに井芹さんが命綱を置いて行ってくれたんだ。本人とは関係ないところで置かれてあった命綱を私が拾って、助けられたというのは本当に身勝手極まりない。

 

『椿ちゃんが泣いているように見えたから、手を差し伸べただけだよ』

 

 

 

 

『だから……』

 

 

 

 

 

『後悔なんてしていないよ』

 

 車窓から頬に何かが映っていた。

 言い切ってくれていた。断言してくれるだけでどれだけ嬉しいだろうか。貴方という存在を信じたからこそ、ここまで来てよかった。あの日、貴方を信じて貴方に感化されたことは間違ってなんてなかったって信じられるからこそ私はこうやって井芹さんと……。

 

 

 

 

 

「あ、あの頃は私も無我夢中だったので……」

 

 話せている。

 本当にこれ自体が奇跡的なものでしかない。所謂、推しなんて軽々しい言葉を使うのはとてつもなく気が引けるけど一般的にはこういうのを推しというらしいから、推しとファンがこうやって交流して一対一で話すなんてイベントでもない限りありえないことだから。

 

 そして、私は井芹さんとの話を終えた後サービスエリア内で……。

 

 

 

 

『桃香さん、すみませんでした』

 

 ご飯を注文した後に全員が椅子に座ってるのを見てから私が決断していた。

 ラーメン屋の前で桃香さんに向かって牙を向けたことを……。私は間違ったことをしているつもりなんてない。所詮、ダイヤモンドダストはアイドルバンドに成り下がった存在。例え、井芹さんの友人がバンドのボーカルだとしても考えを改めるつもりはないけど、私を救ってくれたのはあの頃のダイダスであり、桃香さんという存在だ。なら、私がすべきことは前から決まっていたんだ。

 

『急にどうしたんだ?椿?』

 

『この前のことです、私が桃香さんに口応えしたことです』

 

 

 

 

『本当に申し訳ありませんでした』

 

 椅子から立ち上がって、深々と頭を下げる。

 勿論、周りの反応なんて分からないけど空気感はなんとなく伝わっていた。謝罪をするということをしたこと、自分の非を認めることをするということをしていることに周りが驚いているぐらいは気づけないほど馬鹿じゃなかった。

 

『私がダイヤモンドダストが嫌いなのは変わりませんが、私がやっていたことは桃香さんが居た頃のダイダスまでも否定してしまう可能性がある行動です。だから、すみませんでした桃香さん』

 

『とりあえず、頭を上げていいぞ椿』

 

 私は頭を下げようとするのをやめない。

 反省しているふりをしているのが嫌だったのもあるけど、自分の意志を曲げたくないから。

 

『まあ、お前にどういう心境の変化があったのか知らないが、アタシはロックバンドでお前みたいな狂犬みたいなファンが必要だと思ってる』

 

『……私みたいのですか?』

 

 音楽に関するものとか音楽界隈とかそういうものに対する知識がある訳じゃないから、桃香さんの言っていることに首を傾げてしまう。要は私のしていることを肯定しているように聞こえてしまうからだ。

 

『後、お前はそれでいいのか?』

 

『どういうことですか……?』

 

『仁菜の奴に看過されて、此処まで来た。だったら最後まで間違ってないからとか騒いで──「桃香さん、私のことなんだと思ってるんですか?』』

 

『ま、まあ……なんだ。自分の信念まで曲げて謝るのは違うんじゃないのか?って話さ』

 

 桃香さんがいいことを言おうとしてるときに、井芹さんに突っ込まれてしまっていた。

 言葉を使うために、私は息を吸ってから、言葉を続ける。智さんの何か言いたげな視線に気づいていたからじゃない。私が言いたいことがあったからだ。

 

『だとしても、私は信じたいものに対して信じ切れないようなことをしてしまったのが許せないから、此処は譲れないからこそ謝らせてください』

 

 

『桃香さん』

 

 譲れないから、信じると決めたから。

 私は自分の意志を変えることはなく謝罪をするという人から見れば変わったことをしていた。いや、こうやって人前に立って謝っている時点でもうこれはおかしな光景だったんだ。だから、桃香んも席に座って、とりあえず飯を食べろって言ってくれていたんだ。

 

『アタシはお前のことを別に嫌だとか、一言も言ってないし寧ろこういう奴が居てこそのロックだよなって思ってる。だから、今は今日と言う日を乗り越えたことを喜ぶ』

 

 

 

 

『それでいいんじゃないのか?』

 

 桃香さんは私の意見を肯定するんじゃなくて自分なりに居ればいいと言ってくれていた。

 智さんは納得していなくて、「知らないわよ」と返していたけど、それが当たり前だと思う。私はまあ一般的に見れば過激派というか、実際そうなのは間違いないから。智さんが警戒するの間違いなかった。

 

 自分が過激派だとか、こういうふうに第三者視点から見れるようになったのは心の余裕っていうのが出来たからなのかもしれない。やっぱり、お父さんとの溝が無くなってよかたったなと安心しきっていると井芹さんが私に声を掛けて来る。

 

 

 

 

「椿ちゃん?」

 

「あ、あっ……ごめんなさい、何か話しかけてましたか!?」

 

 自分の記憶の中に浸っていると井芹さんが話しかけていると知らずに私は思いっきりテーブルの上に頭を一旦下げてから、話をもう一度して貰う。井芹さんがちょっと引いていたように見えたけど気のせいだと思う。

 

「う……うん、それでね実は椿ちゃんに頼みたい事があって」

 

「え?私にですか?」

 

「椿ちゃんにCDのジャケットイラストとか頼めるかな?」

 

「私がですか?構いませんよ……?……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええええええ!!?」

 

 

 

 

 

 

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